★―3「高柳重信における皇国史観と象徴主義の精神史」―戦前の影響と戦後の変容をめぐって―後藤よしみ
第二章 少年期の感受性と皇国史観との邂逅
高柳重信の思想形成は、まず自然との深い交感から始まる。群馬の地に育った少年期の重信は、富士と筑波を仰ぎ見る日々の中で、山々に宿る霊魂と心を通わせるような感覚を育んでいた。彼は後年、こう記している。「富士と筑波とを眺めてくらす日々は、…そこには、おのずからの連想力による交感が、自然に準備されていったのである」¹。このようなアニミズム的感受性は、後の自然詠の基底となる精神的土壌であった。
その一方で、重信の思想形成に決定的な影響を与えたのが、中学時代の歴史教師・久保田収との出会いである。久保田は東京帝国大学国史学科卒で、平泉澄の高弟として知られた人物であり、重信は彼を「心の恩師」と呼んでいる²。久保田の授業は、従来の歴史教育とは一線を画し、感情移入を伴う〈フィーリング〉の歴史教育であった。楠木正成や新田義貞、北畠顕家らの忠義の物語を語る際、重信は「私も同じ誓いの下に死んでゆくのであった」と述懐している³。
このような教育は、重信に皇国史観的な歴史観を植え付けると同時に、英雄的死への共感を育んだ。久保田は西洋史も担当しており、フランス革命におけるルイ16世の処刑を「まことに残念」と嘆き、スペイン内戦ではフランコを支持していた⁴。こうした授業は、平泉澄の講義と同様、歴史上の人物への「心境推測」を通じて物語を紡ぐものであり、重信の感受性に深く刻まれた。
重信は、戦時下に肺結核を患い、病床で歴史書を読み漁ることになる。その中には、平泉澄の著作や、吉田松陰・藤田東湖・『神皇正統記』など、皇国史観に基づく書物が含まれていた⁵。妹が敗戦後に発見したこれらの蔵書は、重信の精神的支柱であり、彼の思想形成における重要な要素であった。
このように、少年期から青年期にかけての重信は、自然との交感による霊的感受性と、皇国史観に基づく英雄的死への共感という、二つの精神的軸を育んでいた。これらは、後の思想的変容においても、深層に残り続けることになる。
脚注
¹ 高柳重信「俳句の廃墟」『高柳重信全集Ⅲ』立風書房、1985年。
² 高柳重信「わが心の恩師を語る」『高柳重信散文集成 第十六冊』夢幻航海社、2002年。
³ 同上。
⁴ 田中正俊『戦中戦後』名著刊行会、2001年。
⁵ 高柳美知子「思い出すことなど」高柳蕗子HP(潮汐性母斑通信)より。
★ー5清水径子の句/佐藤りえ
手足うごく寂しさ春の蚊を打てば
ひき続き『鶸』「白扇」より、昭和45年の作。蚊にとっての適温、活発に活動できる温度は20℃~30℃だという。成虫が活動的になるというだけでなく、この温度帯では卵から成虫になるまでの期間も短縮される。飛びまわり、血を吸い、繁殖する、蚊にとっては繁忙期、人間にとっては少々困る頃合いといえる。
「手足」をうごかしているのは打たれた蚊で、床に落ちたのちの蠢くさまに、無常の寂しさを見ている。あるいは蚊を打つ動作をした自身の手足に寂しさを見出しているのだろうか。足で打つのはヘンであるから、やはりここはまだ動いている蚊の状態に一抹の寂しさを感じる景としたい。まだ動きが緩慢な春の蚊は思いがけなくあっさりと人の手に打たれ、ぽとりと落ちることがある。
「悲嘆の声が強すぎる」と指摘されてきたことを径子自身が句集のあとがきで述べているが、直接的な感情表現はそこまで多用されていない。『鶸』集中で「さびし」「淋し」「寂し」の措辞が使用されている残りの6句を挙げる。
暑さなき一日があり淋しがる 「昼月」
盤石を踏み舟虫のさびしさは 「火の色」
くちびるの淋しや秋の山清水 「北の畳」
落葉焚き煙らすさびしがりやの火 「白扇」
雲なきはむしろ淋しや寒の入 「寒凪」
極楽はさびしからずや蓴生ふ 〃
428句中7句、多すぎるというほどの数ではない。何より「さびしさ」の扱いかたにちょっとした特徴がある。
「暑さなき一日があり淋しがる」、夏らしからぬ涼しい日を「暑さがない」日として、その物足りなさを「淋し」としている。
「盤石を踏み舟虫のさびしさは」、ごく小さなフナムシが自身の何万倍もあろう巨岩、その盤石の上を歩く、その計り知れなさがフナムシにとって「さびしさ」である、という。
「くちびるの淋しや秋の山清水」、山歩きのさなか、清水を含んだ口のつめたさ、その体感を、爽やかさやここちよさではない「淋し」としている。
「落葉焚き煙らすさびしがりやの火」、乾ききらぬ落葉を焚いたものか、いぶる煙を「火がさびしがって」あげたもの、としている。
「雲なきはむしろ淋しや寒の入」、一月初めの日和の空、寒さのなかのほっとする晴天に雲がないことが「むしろ淋しい」。
「極楽はさびしからずや蓴生ふ」新芽が顔を出す蓮沼を前に、すでに見知った顔が揃う極楽浄土は、それでもさびしくはないでしょうかと、問わず語りに独りごちている。
いずれも自身が日常の中でふと寂しさを感じる――というよりは、ある種の違和感、落差、物足りなさといったものを「さびし」と評している。諧謔味をとらえたとき、径子の「さびし」は発動している。
ここに見る嘆きの詩脈は儚さの嘆きではなく、心を燃やすゆえの嘆き、そこに生ずる浪漫ぶり、私はそんなふうにこの女流の嘆きをうけとる。だから、嘆きがむしろいさぎよいくらいだ。(『鶸』序/秋元不死男)
師・不死男が評する「心燃やす」「浪漫ぶり」といった傾向は、フナムシや火のさびしさを思うものを言うものでもあろうし、のちの耕衣への敬慕につながる、アニミズムというより、なんとかこの世と溶け合っていこうとする、心の動きのようにも見える。