2023年6月9日金曜日

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑤ 雪よりも白く  吉田林檎

 俳人協会の若手句会。質問の時間がくると渡部有紀子さん(以下敬称略)は必ず手を挙げた。返答をもらうとさらに畳みかける。それはちょっと聞いてみようという態度ではない。心底自分の中で解決していないゆえの質問であることが見てとれた。


 土のこと水のこと聞き苗を買ふ


 若手句会の席で熱心にメモをとる姿と重なる。ただ苗を買うだけではなく、その後どう育てればよく実るかまで飲み込む時間が作者には必要なのである。納得するまで諦めないその姿勢は作品においても一貫している。その実直さに色があるとするなら白。『山羊の乳』という句集名に始まり、白を基調とした世界がこの句集を貫いている。


 春寒し白磁の匙の朝の粥

 産着とす白のレースの花模様

 噴水の人魚の抱く白き貝

 はつなつの帆船白のほか知らず

 箱庭の白沙微かな熱を持つ


 寒さが戻ると暖をもとめて明るいものに目がいく。朝の粥で匙の色と質に着目する視点が細やかだ。冬の寒さなら白磁の冷たい質感は付きすぎである。二句目、レースであることから新生児が女の子であることが推測され、白の必然性が確かだ。三句目、噴水の人魚の抱く貝、人魚全体ではなく貝に焦点を絞ったことで噴水と対比するにふさわしい白さが浮き上がる。四句目、帆船はいつでも白だが、はつなつを季語としたことで空や海の青が思われ、色彩の印象は白が主役になる。最後の句、箱庭の砂が熱を持つことに不思議はないが、光を集める黒ではなく反射する白の中に熱を持っている点に小さな感動がある。砂浜では得られない感覚だ。

 いずれも他の色には置き換えがたい効果を発揮している。さらに有紀子句が描く白の特徴として、白だけではなく「真白」としている点がある。


 真白なる藁を敷入れ降誕祭

 真白なる湯気を豊かに雑煮かな

 初御空胸に真白き矢を抱く

 月涼し仮面真白き古代劇

 八月の折紙の裏みな真白


 いずれも「真白」を「白し」などに置き換えれば価値が半減する仕立てだ。一句目、降誕祭の句はキリスト生誕の場面をあらわしたクリッペを詠んだと考えると腑に落ちる。そうなると藁の色のリアリティは不要で、真白であるからこそドラマとしての感動があるのだ。二句目、雑煮の湯気が白いというだけならそこに詩はないが、真白とまで述べたことで映像は力強さを獲得した。新年を迎えた溢れるほどの生命力を色に託して語っているのだ。初御空の句は第4回新鋭俳句賞受賞作品の冒頭に配置された。この時既に白の世界を追求しはじめていたのだ。その後の輝くばかりの活躍を見るにつけ、この句はその後の作者の姿を先取りしており、「真白き矢」とはその志の形だったと思わされる。月涼しの句は、「白き仮面」ではなく「仮面真白き」としているので仮面は白でなくても成立する。前者の表現であれば仮面の色についての事実を述べているが後者は作者が真白と感じていることになるからだ。「仮面真白き」からくる不気味な涼しさが月涼しに呼応する。最後の句は季語を八月としたことで真白が終戦日への思いにも立秋の心持ちにも重なる。白し、では八月とのバランスがとれない。

 ある場面に遭遇して心が動いた時、有紀子にはそれが白く輝いて見えるのだろう。通常であれば「白い」で見過ごしてしまうようなことに心がとまり、観察の目を研ぎ澄ませているうちに真白に昇華するのだ。


 惜春の粉糖すこし食みこぼす

 大いなるニケの翼や涼新た

 降誕祭十指を立てて麵麭を割る


 白の字を使っていなくてもそう感じさせる句もある。一句目、惜春に形を与えた時の一つの正解がこぼれるほどの粉糖であると思わされる。掴みどころのない粉糖のありようが惜春と響きあう。二句目、ルーブル美術館所蔵のサモトラケのニケの翼は時代を感じさせる色ともとれるが、涼新たの心情を重ね合わせると真っ白な光をまとっているようだ。最後の句、麺麭こそ白とは限らないが、降誕祭に十指を立てて割る麺麭は白であるべきである。先出の<真白なる藁を敷入れ降誕祭>でもそうだったが、信仰に関わる句には白のイメージが伴うようである。

 白とは特定できないものまで白を読者に感じさせる詠みぶり。有紀子は眩しいものや光のあたるものから逃げることなく真正面から取り組んでいる。そうした修練があるからこそ成立する作風なのだ。

 

 本句集の序文では色を詠み込んだ句が多い点について触れられている。それは事実であり同感だが、筆者はそれも「白」がもたらす効果であると考える。『山羊の乳』とはどんな句集だろう、と読み進めると眩しいばかりの白の句群に出会う。白が通底する世界の中で色彩に出会うとその色はより際立って見える。キャンバスが白と読者の中で確定しているからこその効果だ。その中でも筆者は白に相対する存在としての「赤(紅)」に目がとまった。


 真紅てふ色恐ろしき水中花

 芍薬の散る一片のなほ真紅

 落書のラッカー真つ赤春疾風


 白に対する色を黒としないのが作者の個性。一句目、ただ真紅であることを「恐ろしき」とまで叙している。水中花の色としてはさほど珍しくないが作者はそこに不吉なものを感じたのだ。それも人工物である水中花ゆえ。二句目、芍薬の一片の真紅を「なほ」とまで感じ取っている。散ってなお発するその色に美しさの奥底の禍々しさを描いている。三句目、落書があるという事実や内容ではなくただ「真つ赤」と感じた点に焦点をしぼっている。春疾風は若い力として落書と響き合う。

 どの赤も美しさや前向きな意味での情熱を表していない。むしろ赤く染まることを恐れているようだ。真っ白なキャンバスに痛々しいまでの真紅が飛び散る。下地が白だからこその効果であり、作者の心中を象徴している。


 音韻についても触れておきたい。作者はピアノを習っていた経歴があり、現在もご令嬢のピアノレッスンに付き添われている。俳句以外の場所でも聴覚への感覚を日々磨いているのである。句会での見事な披講からは、受け手にどう響くかをも常に考えていることが見てとれる。


 待春やアンモナイトの奥の闇

 うららかや合掌朽ちし木端仏

 水鳥の身動ぎもせず弥撒の朝

 獅子を据ゑ四角涼しき大理石

 ガチャポンの怪獣補充炎天下


 待春の句、「ん」のリフレインが心地よく、アンモナイトの渦と響き合う。母音も[a]から[o]へと閉じていく過程は闇に近付く過程だ。春を待つ弾んだ心が音韻に表れている。二句目、促音を重ねた音韻は一度読み終えるともう一度音読したくなってしまう。うららかな日差しを浴びると木端仏は芽吹きのようである。三句目は「み」のリフレインが唇にも耳にも優しく、水鳥のもつ曲線に似つかわしい。四句目は17文字の中に[s]が7回使われている。[s]を発音するために口の中を通る風は涼しさそのもの。読んで涼める句だ。ガチャポンの句は、濁音と拗音が口の中に暑さを再現している。何度も音読したい句だが、特に濁音の続く中七は唱えることで童心に帰ることができる。

 音韻と季語との相性が言葉を選ぶ上での重要な基準となっていることがみてとれる句群である。こうした音韻感覚はピアノとの関わりが深い時間を過ごしてきたからこそ獲得したものといえよう。


 さて、今回筆者にこの句集評の機会をいただいたからには触れておかねばならない一句がある。


 蓮ひらくモノクロームの世界より


 これは作者と筆者の二人である取り組みをしていたことで出来た句である。その取り組みとは、毎週1曲BTSのミュージックビデオ(MV)を鑑賞して作句するというものだ。その話をいただいた時にはせいぜい毎週1句だろうと思っていたのだが、続けていくうちに2人とも毎週3句出来上がるようになってきた。映像から閃くもの、甦る記憶、季語の発見。コロナ禍に俳句を作る新しいアプローチを獲得した。

 掲句は「Make It Right」という曲のオフィシャルMV (Vertical ver.)が課題だった週に作句されたものである。モノクロまでは容易に辿りつくが、魂を振り絞って観ることがなければ「蓮ひらく」に到ることはない。

 一人では継続が難しいこの取り組みを通して映像から句を詠むことも不可能ではないことを作者に教えてもらった。そしてそれには相当な集中力が必要であることも。

 句集を読み進めるうち、作者がこうした取り組みに費やしてきた月日を知った。


 メドゥーサの憤怒のごとく髪洗ふ

 茨の芽イコンの聖母イエス見ず

 箱庭の道は羅馬へクォ・ヴァディス


 ギリシャ神話の世界に入り込み、メドゥーサの頭髪にうねる蛇を見てきたかのようである。髪洗ふが動かない。二句目、イコンを見て作った句のようだが、聖母が何を見ているのかにまで思いが到るにはそのイコンの世界に入り込むことが必要である。茨の芽がその後のイエスの生涯を語っている。三句目の下五は新約聖書の言葉で「(主よ)いずこへ行き給うぞ」という意味。小説や映画・絵画にもなっているが掲句は聖書からとったと考えるべきであろう。そのような背景を持つ言葉を箱庭の規模で考えることにおかしみがある。いずれもイメージの世界に全力で入り込むことで句として結実した作品である。MVから俳句を作ることも今後開いていくべき道として記しておきたい。


 優れた聴覚で、対象に入り込んで真っ白のキャンバスに描くように作るのが有紀子句の世界であり、心のありようだとすると、作者は世界の陰の部分をどのように呑み込んでいるのだろうか。拒絶だけでは生きて来ることが出来なかったはずである。その手がかりとなるのが、師の追悼句である。


 集ひきてここに師のなき椅子寒し

 聖樹の灯受け空つぽのたなごころ


 「寒し」「空っぽ」と気持ちを率直に言葉にしている。有紀子は悲しみにも目を背けることなく真正面から向き合っているのだ。そして雪を降らせたように白に染めてしまう。他の色に染まることを恐れるように。

雪よりも白いその表現はこれからどのように年輪を重ねていくのであろうか。陰を許さず輝きを磨き続けるのか、有紀子の白い世界の中で陰を獲得していくのか。箱入り娘を見守っているような心境なのである。 (「天為」令和5年6月号より転載・一部加筆修正)


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだりんご)1971年東京都出身。『知音』同人。
第3回星野立子新人賞/第5回青炎賞(知音新人賞)/第16回日本詩歌句随筆評論大賞 俳句部門 奨励賞
俳人協会会員/句集『スカラ座』