2023年5月12日金曜日

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】③ 渡部有紀子『山羊の乳』鑑賞 杉原祐之

   渡部有紀子さんは「信念の人」だと思う。私は実は渡部さんと直接お会いしたのは、2回ほどしかない。渡部さんが数多くの賞を受賞されていてしっかりとした評論を書くことを存じ上げていたが、私があまり俳句の集まりに顔を出していないこともありお目にかかることはなく、俳人協会の若手部の早朝句会でZoom越しにご一緒するくらいだった。

 私が昨年4月に上梓した『十一月の橋』も読んでいただきたいと送ったが、宛所不在で返ってきてしまった。他に連絡する術を知らず、ご縁がないのかとあきらめていた時、角川書店から『俳句』の書評を誰に依頼するかの相談があった。私は天啓と思い渡部さんを紹介し、『俳句』に素晴らしい評論を書いていただいた。その渡部さんの評論は、出版元のふらんす堂・山岡さんも絶賛されていた。

 そんな形でご縁が出来ても暫くはメールやメッセージを交換する仲であったが、12月に渡部さんが『山羊の乳』を出版され、私がその感想をFacebookに載せたときに大きな変化があった。


>最後に

>「句友・澤田和弥氏を悼む 一句」

風五月手を振りやまぬ弥次郎兵衛


 この俳句は私と同年代、「早大俳研」出身の35歳で夭逝された澤田和弥さんを悼まれた俳句である。渡部さんは澤田さんと同じ「天為」に所属しており、彼の俳句と評論を愛していたのだ。ある日、渡部さんから澤田和弥さんの遺句文集を出したいと相談を受けた時は驚いた。なぜ渡部さんがそこまで義理があるのか分からなかったが、渡部さんに信念を感じた私は全面的に協力することを決めた。私の人脈で当たれる「早大俳研」や「慶大俳句」の仲間に相談、浜松で澤田さんと「のいず」を刊行していた面々にも連絡を取り、出版の準備を進めている。

 その中で、渡部さんは澤田さんの俳句、評論を集め、ご遺族への了解を取るための手紙、各出版社へ相見積依頼、クラウドファンディングの調整など、精力的に行っている。澤田和弥さんの作品を後世にまとめた形で残すことを、天から与えられた使命だと信じていらっしゃるのだと思う。

 私は4月からシンガポールへ単身赴任することになり、遠隔地からの協力しかできなくなってしまったが、渡部さんの熱意に応え是非澤田和弥さんの遺句文集出版まで漕ぎつけたいと思う。


 信念の人渡部有紀子さんの俳句として、私が好きな句は以下の通り。


「黒曜石」

手文庫のうちのくれなゐ鬼やらひ

 →中七の把握でハッとさせられる。節分が冬から春への切替えのイベントであることもうまく活用している。

霜降る夜紅き封蠟解くナイフ

 →この句も赤(紅)を効果的に使っている。真剣な眼差の渡部さんの様子が目に浮かぶ。

「神の名」

ミモザは黄洗濯船の若き画家

 →絵画を鑑賞しながらの吟行にも積極的に取り組んでいるようだが、上五の把握で生き生きと絵が輝いた。

月涼し手のひらほどの詩の絵本

 →道具立てが見事。詩情に溢れて隙のない感じ。

「ディアナの弓」

真白なる湯気を豊かに雑煮かな

 →正月のめでたさが率直に伝わり、福の多い一年が期待できる。

形代のなんとも薄し夏祓

 →観察の鋭さ、焦点が絞れている。

子が星を一つづつ塗り降誕祭

 →子どもの俳句も冷静な視点で詠まれている。甘すぎずそれでいて愛情が感じられる。

「師のなき椅子」

雛段の進むことなき牛車かな

→動きそうで動かない牛車。哀れがある。

朝焼や桶の底打つ山羊の乳

→句集の表題の一句。季題「朝焼」と「桶の底」の対比に高原の凛とした空気感が伝わってくる。

「王の木乃伊」

人日や木匙で掬ふ朝のジャム

→この句も道具立てが周到で表現に無駄がない。

立子忌の和風パスタをくるくると

→立子は女流俳人のある道を作った一人。和装のイメージがあるので和風パスタがぴったし。

夕焚火文字なき民の神謡ふ

→しばしば神話をモチーフとした俳句が出てくる。この句も硬質の表現だが冷たすぎず余韻がある。


【杉原祐之】
 1979年生まれ、東京都出身。1998年「慶大俳句」入会。本井英、三村純也に師事。
 2012年『先つぽへ』、2022年『十一月の橋』(共に、ふらんす堂)を上梓。「山茶花」飛天集同人、「夏潮」運営委員。
 2023年4月よりシンガポールへ単身赴任中。