2019年4月26日金曜日

【抜粋】〈「俳句四季」5月号〉俳壇観測196 金子兜太の日記と回想——「海程」と「狼」はこう生まれた      筑紫磐井

●『金子兜太戦後俳句日記』
 兜太がなくなった後もいくつもの話題が生まれている。
まず兜太の一周忌に合わせ、『金子兜太戦後俳句日記1』(平成三一年二月白水社)が刊行された。兜太は昭和三二年から晩年まで、六〇年という長期間にわたり日記をつけている。金子兜太が戦後俳句の中心にいたことを思えばこれほど貴重な記録はないはずである。戦後俳句史はこの日記によって書きかえられるはずだ。
 例えば兜太の活動拠点となった「海程」の創刊は昭和三七年四月であるが、この前後の時期に兜太は、造型俳句論の執筆、第二句集『金子兜太句集』刊行、俳人協会の分裂への対応、岡井隆との共著『短詩型文学論』の執筆と八面六臂の活躍をしている。それらが相互に絡み合って、複雑な人間関係を知ることが出来るのも貴重である。
 いずれまとめた話題となるであろうがここでは、「海程」創刊の経緯を中心に眺めてみよう。契機は、日記に拠れば一年ほど前になる。

五月十五日(月)曇、晴
 昼、赤尾[兜子]氏から電話。神戸からわざわざかけてくれる。小生が「縄」「十七音」のキャップになるという噂があるとのことだが真偽如何、というわけ。雑誌を出すべき時期にきていると判断されるが、方法に迷っていること、意見をきゝたい、とこたえる。(以下略)

 まだ積極的な「海程」創刊の準備ではない。ここから次第に醸成されていくのである。

九月四日(月)晴
 昼、塚崎くん[角川書店俳句編集長]と話した結果、雑誌の構想を得る。もうこれしかないと思い、皆子にも話したところ、どうもいままでのは小さすぎると思っていました、と賛成してくれる。プランは、全国の同人グループと結社内の同志向の人を結集する、大同人誌を出すこと。そのため編輯同人に、堀、赤尾、和地、田川、隈、北、それに出来れば島津を加え、各地を担当してもらう。季刊。誌名は「創原」ではどうかと思ったりする。六〇名くらいあつめたい。塚崎氏も、「後はあなたの政治力ですよ」という。情熱を傾けてみたい。何か今度こそやり甲斐のあることのように思う。

 「創原」という誌名は面白い。いずれにしろ、この間さまざまな人の意見が寄せられ、主宰誌、個人誌等いろいろな形態を検討する。面白いのは、豪放磊落な兜太らしくないうじうじとした思慮が続くことである。

十月二十三日(月)雨
 雑誌のことをしきりに考えている。自信がない。はたして売れるか集るか、と不安。自分に対する人気というものが、客観的なものにすぎず、いざとなると、おそれをなすか、むずかしすぎるとして敬遠されるかするのではないかと思う。また思うことによって、純度を失うことも心配。なんとも、もやもやしたこの頃で、同人の幾人かの未回答、伊勢崎や熊谷からの返事もないことなど、みな気になる。
(以下略)

※詳しくは「俳句四季」5月号をお読み下さい。

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