2018年7月6日金曜日

【―俳句空間―豈weeklyアーカイブ】■第0号(創刊準備号)●俳句など誰も読んではいない・・・高山れおな


 2008年8月から始まり2010年7月18日をもって終わった「―俳句空間―豈weekly」は作品発表でなく、評論発表ためのサイトでありユニークなものとして評価された。こうした特色に注目され、様々な刺激的発言、論争が行われ、さらにこの場から、『新撰21」『超新撰21』も生み出されていった。俳句の世界で、新しいものが少しばかり動き出した瞬間と言ってよいだろう。
 しかし御多分にもれず、BLOGの世界は忘れられやすい。こうした発言があったことさえ忘れられている。ときおり思い返してもいいのではないか。
 創刊から10年を迎えようとしている現在、当時新鮮であった発言をいくつか抜き出しみることにしたい。(筑紫磐井)

■第0号(創刊準備号)2008年8月9日土曜日

■創刊のことば 
俳句など誰も読んではいない     ・・・高山れおな

  「―俳句空間―豈weekly」を創刊する。俳書を読み、その感想を記す文章のみのサイトで、作品発表の場所ではない。

  俳句の世界には、他人に読まれることを待っている人は大勢いるが、他人の書き物をみずから読もうとする人はいたって少ないと誰かの発言にあった。そもそも結社誌なる存在にしてからが、主宰者を主体にした刊行物という見せかけのもと、多数の小口の出資者が共同でひとりの読み手を雇っていると考えた方が実態に近いだろう。意地悪く言えば、句会もまた、俳句作品に対する贋の需要を最小限の犠牲で発生させる装置なのだ。こうした事態への慣れによって、誰が自分の作品を読むのかという目もくらむような問いは隠蔽され、読むこと、読まれることに対する奇妙に楽観的な心性が形成される。平明とか難解といった言葉が、いかにも屈託なく作品評価の場を支配することになる。

  俳句人口なるものがどんな誇大な数字を示そうとも、俳句など誰も読んではいない。残念ながら事実はその通りだが、しかしこの事実に甘えて、みずからもまた読むことに怠惰であったのではないかという反省が今はある。当サイトの立ち上げは、数週間前、雷雨の神楽坂の某酒肆でとつぜん決まった。古人曰く「兵は神速を貴ぶ」というわけで何の準備もないままの見切り発車である。創刊メンバーは、生野毅、中村安伸、高山れおなの3名だが、おいおいに書き手が「豈」内外に広がってゆけばよいと思っている。

二〇〇八年八月八日の夜記す

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