(雑誌<WEP俳句通信>では「『眞神』考」として引き続き連載中。)
109. 蝉の殻流れて山を離れゆく
「蝉の殻」は書いてある通りに蝉の抜け殻だが、俳句に関わると「空蝉(うつせみ)」という選択はなかったのかを考える。おそらく、うつしみ(=現世)を簡単に想像してほしくなかったのだろう。まさに「蝉の殻」が句を際立たせる。そして下五「山を離れゆく」が人の一生と重なり、読者を郷愁へと誘う。
一連の流れによる『眞神』の舞台設定は、高度成長により住民が都市へと流れていった山々に囲まれた小さな村であるように思う。「蝉の殻」は「山を離れ」、もう二度と山に戻れないことをも示唆している。
「流れる」という言葉が水だけでなく風、人、星、等々に使われる動詞だからこそ読む人の心を揺さぶるのだろう。
敏雄が先生と慕い、敏雄とともに古俳句研究に励んだ阿部青鞋は掲句を下記のように絶賛する。
山容水態全てこれ一個の蝉殻(せんかく)に従うに至る。集中の絶品と言えよう。
(阿部青鞋 「俳句研究・三橋敏雄特集」昭和五十二年十一月号)
「蝉の殻」が全ての風景を連れて移動できることを掲句は教えてくれる。
以下は端渓社版 句集『眞神』の書影(酒巻英一郎氏所蔵)
名作を文庫で。
邑書林句集文庫
0 件のコメント:
コメントを投稿