2025年11月21日金曜日

英国Haiku便り[in Japan] (57)  小野裕三

「海を越えた俳句」の時代を超えて

 『海を越えた俳句』(佐藤和夫著、丸善ライブラリー)という本を読んだ。一九九一年刊行のもので、明治の頃から始まりその時期に至るまでの、haikuの海外での広がりを丁寧に追う、とても参考になる一冊だった。強く共感しつつ読みながら、一方でそれから三十年ほどの間に起きた変化も大きいと感じた。

 ひとつには、「海を越えた俳句」という書名自体が象徴的なのだが、そこには「ようやく俳句も世界で認められるようになった」というニュアンスがある。しかし今の僕が目にするのは、もはや完全に世界各地で定着し、かつそれぞれに独自の進化を遂げつつあるhaikuの姿である。ステージが一段も二段も進んでいる、というのが率直な実感だ。

 そしてそのこととも関連するのだが、三十年前にはなかったインターネット普及の影響も大きい。佐藤氏は、当時の「サンデー毎日」「英文毎日」などのhaiku欄を担当していたというが、おそらくそれらのメディアが読まれるのはほぼ日本国内で、だから投句する人も日本在住の外国人が多かったのではと推察する。それと比較して、僕が現在担当する日本英語交流連盟ウェブサイトのhaiku欄は、インターネットメディアであるだけに、文字通り世界各地在住の外国人から投句が来る。また、Facebookなどを見ても、インターネットが世界のhaikuを生き生きと繋いで進化させていることを実感するし、その意味でもhaikuは「海を越えた俳句」の時代からはさらに進んだステージにいると感じる。

 この本の中では、haikuを発見・評価し海外で広めてきた多くの外国人が列挙される。ただし、たった一人だけ、俳句とhaikuを繋ごうとした日本の俳人の名が記される。その名が、高浜虚子であることは、興味深い事実だと思う。

 haikuならぬhaikaiが隆盛していた戦前のフランスを虚子は訪れ、フランスの詩人たちと俳句談義を交わした。虚子は、フランス語の十七音は日本語よりも内容が長くなることに気づき、十七音にこだわるな、そして社会風刺ではなく季や景色を詠め、とアドバイスしたらしい。さらには、フランスから帰国後も、雑誌『ホトトギス』『俳諧』に外国の俳句欄を設け、また自分の俳句も各国語に訳させた、という。その意味では、最初期の「海を越えた俳句」に取り組んだ文字通りの先駆者は実は、日本では何かと守旧派と目されがちなあの虚子であったし、そのhaiku観も的確であったと感じる。

 それから百年近い時を経て、世界に定着したhaikuはインターネットで繋がった。虚子が生きていたらどう感じるだろうと思うし、僭越ながらその虚子の志をいささかでも僕の活動が受け継げているのだとしたら嬉しくもある。

※写真はKate Paulさん提供

(『海原』2024年9月号より転載)