2019年7月26日金曜日

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑯  のどか 

第2章‐シベリア抑留俳句を読む
Ⅳ 庄子真青海(しょうじ まさみ)さんの場合(2)


以下*は、『シベリヤ俘虜記』『続・シベリヤ俘虜記』の作者随筆と庄子真青海さんの句集『カザック風土記』を参考にした筆者文。


  雪くるか明日恃む身の傷膿みゆく(シベリヤ俘虜記)
*シベリアの冬の訪れは早い。空はどんよりした雪雲に覆われてきた。明日へ命を繋ぐことがやっとの身である。「身の傷膿みゆく」は、具体的な体の傷(消耗)なのかもしれないが、ノルマのある冬の炭鉱の作業、死と隣り合わせの付きまとう不安、仲間に対する猜疑心いろいろな感情が膿んでいくことを詠んでいるのである。

  女唱寧し明日の斧研ぐ雪明り(シベリヤ俘虜記)
*どこからか女性の歌声か流れてくる。その声を聴きながらしばし安らぎ、明日の斧を雪明りで研ぐのである。シベリア抑留者の中に、日本やドイツの女性もいたようである。
2019.2.23付けの日本経済新聞に121人の日本人女性とドイツ人女性の抑留者名簿が、モスクワのロシア国立軍事公文書館に、残されている事を大阪大学の生田美智子名誉教授が発見したという記事が、載ったことに依っても明らかである。

   抑留句帳抄
  初蝶をとらえ放つも柵の内(シベリヤ俘虜記)
*この句は、復員直後にメモしたとある。
 厳しい冬が終わり、緑の芽吹く収容所(ラーゲリ)に初蝶をみた。手にとらえ愛おしむが、やがてその蝶を放つ。まだ羽柔らかい蝶は収容所(ラーゲリ)の柵を越えられない。力一杯羽ばたき柵を越えて自由になりたいけれども、越えられない自分を重ねるのである。

  生き下手な死臭払えり秋の風(続・シベリヤ俘虜記)
*生来ひ弱でノルマ作業に苦しむ自分。栄養失調により忍び寄る死臭を払うよう秋の風に吹かれるのである。

  立ちて死ぬ男にこぼれ雪の華(続・シベリヤ俘虜記)
*点呼の最中か、作業中なのか仲間が立ったまま息を引き取った。静かに倒れる刹那、体に積もった雪が散華のように散っているのであった。

  死もならぬ力がむしり塩にしん(続・シベリヤ俘虜記)
*厳しいノルマと重労働に体力も消耗し死を意識する毎日ではあるが、弱り切った肉体は生きたいと要求するように、塩にしんをむしり食うのである。
 「続・シベリヤ俘虜記」P.78には、昭和23年長きに渡った抑留生活の栄養失調が起因の「飢餓浮腫」の症状が激しくなり、急遽ソ連陸軍病院のベッドに送られたとある。投薬の殆どない状況で、白パンやミルク入りのカーシャ(粥)などの病院食で命をつなぎとめたとある。
 そんな日々の4月の初め、帰国名簿にその名前をあげられた。その日を「死なぬ」のごろ合わせで覚えている。

【庄子真青海さんの作品を読んで】
 庄子さんの句は、「シベリヤ俘虜記」に29句、「続・シベリヤ俘虜記」に16句が紹介されている。そのうちの6句が庄子真青海句集「カザック風土記」に,収められている。この中から随筆に合う句を選んで紹介をした。 
 庄子さんの作品の冒頭には、「戦争は残酷だ。諸君はそれをどんなにしても美化することはできない。」とW・Tシャーマンという人の言葉が掲げられている。(ウイリアム・テカセム・シャーマンはアメリカの軍人で作家)
 戦場整理や抑留生活を通じて、庄子さんの目に焼き付いた光景は、この言葉のとおりどんなにしても美化できない世界だったに違いない。
    日ソ無名戦死碑建設
  「生きて虜囚の」茜砕きて斧振う 
 この句は、目を覆うばかりの凄惨な現場の戦場整理に当たり、戦争の悲惨さを伝える一句である。平時は、人の命は地球よりも重いと言われるが、戦争の大義名分にあって人の命は、芥子粒ほどに小さくなってしまうのだ。

  昼寝覚め香煙硝煙いずれとなく
  借命や撃たれきらめく宙の鷹

 逃亡は、現実から逃れたいための衝動的な自殺に近い。
 自動小銃で撃たれなくても、厳寒の雪の原野で凍死してしまうからだ。
 しかしながら、人為的に自動小銃であっけなく奪われる戦友の命と撃たれた鷹の命が重なりあい、自分の命もやはり借りの命であると洞察している。
 厳しい境涯にあって命についての洞察に至るのは、それに寄り添う俳句の作用も一因であると筆者は考える。
 『カザック風土記 庄子真青海句集』卯辰山文庫のP.174~175には、無聊をかこつ抑留所に「若草会」というグループができて、ここで草皆白影子を知ることになる。とあり、『続・シベリヤ俘虜記』P.77には、「若草句会」について、夜七時過ぎに集まり、翌日の作業を考慮して9時には散会するという月1回の句会があったと書かれている。
 筆者は初め抑留俳句について、個人でコツコツ編まれた作品が殆どだと思っていたが、ラーゲリ内で句会の形で俳句が親しまれてきたことに驚きを感じた。
 普段はノルマに追われ、飢餓や死の恐怖に苛まれ、政治教育による密告や吊し上げにより猜疑心や人を妬むような人間関係の中にあり、俳句は作者の心を開放し支える存在である。これに加え俳句に親しむ仲間と月に1回会うことで、お互いの存在を確認し励ましあい、一時の時間を共有することは、辛い収容所生活を生き抜く大きな力となったのだと考える。
                      
参考文献
『シベリヤ俘虜記~抑留俳句選集~』小田保編 双弓舎 昭和60年4月1日
『続・シベリヤ俘虜記~抑留俳句選集~』小田保編 双弓舎 平成元年8月15日
『カザック風土記~庄子真青海句集』卯辰山文庫 昭和51年4月15日
W・Tシャーマンの言葉:名言集 №1856  http://www5f.biglobe.ne.jp/~kimmusic/nihongo-meigen.html


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