2018年8月10日金曜日

季重なりについて    筑紫磐井

 今年のこもろ日盛俳句祭で季重なりシンポジウム(7月28日)に出席して来た。余り、他人の言うことを聞いていなかったので記憶にあるのは自分の喋ったことばかりであるが、シンポジウムの記録はなかなかでき上らないので、それだけでも記録しておくことは意味があろう。
 特に私は、『虚子は戦後俳句をどう読んだか』(深夜叢書社)を出したばかりであり、そこから最晩年の虚子が論評した主な季重なり句は面白かったと思う。シンポジウムの資料から例を挙げてみよう。

 夜鷹鳴くしづけさに蛾はのぼるなり      秋桜子
 牧開 白樺花を了りけり
 啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々 
 残雪も夜空にしろし梨の花
 田植すみ夕焼けながす雄物川
 蟇鳴けり春田に映る安食町(あじきまち)
 泳ぎ場の裸の中に分け入れり          誓子
 早苗束濃緑植田浅緑              素十
 春の月ありしところに梅雨の月
 夕涼しちらりと妻のまるはだか         草城
 冬晴れや鵙がひとこゑだけ鳴いて
 風邪の床一本の冬木目を去らず         楸邨
 蚊帳出づる地獄の顔に秋の風
 鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる
 虹消えて馬鹿らしきまで冬の鼻
 あえかなる薔薇撰りをれば春の雷       波郷
 春すでに高嶺未婚のつばくらめ        龍太
 麦蒔くや嶺の秋雪を審とし
 炎天の巌の裸子やはらかし 
 冷ややかに夜は地を送り鰯雲 


 虚子が昭和27年から34年まで行った玉藻の「研究座談会」で飯田蛇笏から金子兜太までの著名な戦後俳人35人の戦後俳句を取り上げている。この人選及び例句の選は、清崎敏郎がおこなったものらしく、比較的バランスのとれたものとなっている。
 この中から特に代表的作家の季重なり句を掲げてみた。ここから分ることは虚子の選と評であるが、その前に戦後俳人の季重なりに対する態度も分かるのが面白い。
 後者(季重なりの態度)から言える事は、季重なりは作家によって頻出度に差があり、秋櫻子、楸邨、龍太に目立つことである。言ってしまえば、馬酔木系や抒情系の作家にそれが多いと言うことである(波郷はその後の傾向から云うとむしろ虚子に近いような気がするのでここに出てこないでも不思議はない)。
 次に前者(虚子の季重なりの評価)についていえば、虚子はこれらの句の論評にあたり、季重なりがいいとも悪いとも言っていないのである。虚子は季重なりに全く関心がなかったのである。俳句の評価にあたって、季重なりを何ら基準に置いていなかったということである。これはシンポジウムの司会をした本井英氏も指摘していたことである。永年にわたる虚子研究を重ねて来た本井氏の発言であるから重みがあり、私の多少の不安も払拭された。
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 それにしても、季重なりの「季」とは何だろうか。私は、論者ごとに、①季題・②季語と言い分けられているのではないかと感じている。季題とはもちろん虚子やホトトギスの作家が言う季題であるが、その基本理論は、花鳥諷詠である。俳句とは何かという質問に対し、虚子は花鳥諷詠詩であると答えているが、別の場で季題諷詠詩であるとも言っている。何のことは無い、季題諷詠とは題詠のバリエーションのようなものである。約束なのである。
 一方、季語については、虚子と対立した乙字・井泉水の提唱したものであり、季感と密接に関係している。秋桜子の季語もそうしたものと言えよう。
 パネラーの奥坂まや氏は、季題も季語も季感に基づく言葉だと言っているが、これは奥坂氏が馬酔木系(つまり季語派)で長らく育った作家である為の誤解ではないかと思う。虚子の頭の中の季題には季感は存在していない――もちろん季題が発生するには季節感を無視して生まれはしないが、何度も何度も季題を使った作品を使った過程で季感は薄れている。季題は約束だから使うのであり、俳句が季節感を詠む文学であるからではない。
 だから虚子は季題を大事だと言ったが、季節感が大事だとは言わなかった。むしろ、虚子は秋櫻子の季感に対してやや警戒的な立場をとっている。季感を主張することにより、季題がないがしろになるからだ。繰り返して言うが、虚子は俳句は季題の文学であると言ったが、季節感の文学であるとはいっていないのだ。我々は季節感を忘れても、約束事である俳句と言う文芸に参加していることがあるのである。
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 なぜこんなことを言うのかと言えば、冒頭の馬酔木系は季重なりが多いという指摘に、会場から黒岩徳将氏が、なぜ流派によって季重なりの是非が出て来るのかと質問が出たからだ。しかし、馬酔木派とホトトギス派が季重なり肯定派と否定派なのではない。馬酔木派は季感を詠むからいくつでも季語を重ねても不都合はないわけである。場合によって季語が無くても寛容な態度をとる。そうしなければ新しい季語が生まれないであろう。これに対しホトトギス派は季題で俳句を作るから、通常季題が二つ以上入ることは無いわけである。しかし入れてはならないと言う原理があるわけではないから、虚子のように季重なりを排斥もしないのである。ただ悩ましいのは虚子の態度を貫くと、季題が無い俳句、つまり無季俳句を作ってみなければ新しい季題ができないことである。
 虚子は、

 塩田に百日筋目つけ通し             欣一
 しんしんと肺碧きまで海のたび          鳳作


の句を、「塩田」「海のたび」は将来多くの人が詠めば夏の季題となりえるという。しかし、これらが夏の季題に昇格するまでは無季の句を読み続けなければならないのである。

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