2015年2月6日金曜日

時壇  ~登頂回望その五十一・五十二 ~  / 網野月を

(朝日俳壇平成27年1月26日から)

                           
◆かつきりと入れ歯を噛ませ初鏡 (高松市)島田章平

長谷川櫂の選である。評には「一席。初鏡に向かう老人の生態を活写。噛みあっているか、ニッと笑ってみもする。」と記されている。句意も表現における叙述方法もオリジナリティーに溢れている。
座五の「初鏡」の季題としては新味があるということである。『作句歳時記新年』(楠本憲吉著、講談社、1988)には「新年になって初めて向かう鏡をいう。顔の手入れをしたり化粧をしたりすること。(以下省略)」とある。入れ歯の噛み合わせを調整するのは化粧ではないが、鏡の前での所作である。「かつきりと」は擬態でもあり擬音でもあり、心の中の在り様を表す音でもあるようだ。


◆初山河飛越えてゆくバレリーナ (東京都)竹内宗一郎

大串章の選である。評には「第一句。両手を前後に伸ばして大きく飛び跳ねるバレリーナ。「初山河飛越え」が素晴しい。」と記されている。「両手を前後に伸ばして」というよりは、両足を前後に伸ばして飛び跳ねる図であろう。バレエの初稽古の様子であろうと想像してみた。その跳躍は山河を越えるに似て美しく、力強さを感じる。・・それとも冬山の初登山中の自己をバレエダンサーに擬したのであろうか?どちらにしても「初山河」と「バレリーナ」の結び付きは大した飛躍である。


◆仕合せは疲れることよ三ケ日 (北海道鹿追町)高橋とも子

稲畑汀子の選である。評には「一句目。幸せな三ケ日を過ごした。子や孫が来て賑やかなお正月。がっくり疲れた作者の本音。」と記されている。

評には「疲れた作者の本音」とあるが、作者は決してその疲れを厭うものとして捉えてはいない。また訪れるであろう疲れを心待ちしているように感じる。


◆年明くる入院中は惚けもせず (狛江市)舘岡靖子

金子兜太の選である。評には「十句目舘岡氏。「入院中」と敢えて断るところ。」と記されている。花鳥諷詠とは真逆の句である。川柳的な表現に加えて諧謔性の高い句意であろう。パラドクスの中にエスプリが沈殿している。が掲句を俳句にしているのは、「年明くる」である。季題の影響力の何と偉大なことか。特定の季節の中に限定して「入院中は惚けもせず」を捉えて、表現によって示す世界を倍幅している。


(朝日俳壇平成27年2月2日から)
                       
◆寒柝の天に貼り付く響かな (東京都)森住霞人

大串章の選である。上五の格助詞「の」が連体格としての所有の意ではなくて、主語を提示する働きをしている。既にお馴染の用法であり、「の」の後に若干の切れを生じる、と解説する向きもある。類想が有りそうな句ではあるが、中七の「天に貼り付く」は新味がある。地上にいる人間が寒柝を打ち、地上にいる人間が聞いているのだろうが、響そのものが天空の高いところで「貼り付く」ような感覚を呼び起こしたのだろう。寒柝の音が天にまで達して貼り付くということは天が何処までも果てしなく続いているというのではなくて、天井を想定しているような感じがある。それだけに「寒柝」のことを詠んでいるというよりも「寒天」の質感をよく表現している。

◆走り根も階として冬遍路 (養父市)足立威宏

金子兜太の選である。車で札所を廻るような訳にはいかないのであろう。また札所の中には寂れ切って参道が整備されていないところもあるだろう。そうした遍路の一面を「走り根も階として」が余すことなく表現している。菜の花が咲く初春の遍路ではなくて、「冬」が時期的な限定を加えているだけに句意に一種の峻烈さを加味している。

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