88.擂粉木の素の香は冬の奥武蔵
「武蔵」とはかつて日本の地方行政区分だった令制国の一つであり6世紀の武蔵国造の乱の後、无邪志国造(胸刺、牟邪志、无謝志とも)の領域と知々夫国造の領域を合し7世紀に成立したとされる。本居宣長は『古事記伝』の中で「武蔵国は駿河・相模と共に佐斯国(サシ)と呼ばれ、後に佐斯上(サシガミ)・下佐斯(シモザシ)に分かれ、これが転訛し相模・武蔵となった」としている。その「奥武蔵」とは現在の埼玉県西部・武蔵野台地の奥に位置する、田園・丘陵・山岳地帯・地域を指す地名である。
本書の題名とした「眞神」は『大海』に「狼ノ異名。古ヘハ、狼ノミナラズ、虎、大蛇ナとある、ドヲモ、神ト云ヘリ」とある、其である。武蔵国は御嶽神社、或いは、同じく三峯神社等の祭神を相え随ふ地位に祀られて座す 大口眞神、即、広くは火災盗難除去の効験をみ担ふ所の英姿を、其護符上に拝する許である。ここに登場する御嶽神社、三峯神社は、山を神聖視し崇拝の対象とする信仰の社である。昨今のパワースポットブームに便乗して知られるところであるが、敏雄の『眞神』を大口眞神の信仰に準えるならば、久しく消え去ったものを崇めると解釈することができるのである。
『眞神』後記
三峯神社階段
さて掲句。奥武蔵である秩父地方に三峯神社は位置しており、大口眞神のご加護をいただくべく参拝にいってきた。いくつかの鳥居をすぎて階段を上り詰めていきつくところは、本殿ではなく、山である。神々しい奥武蔵の山山を拝むのである。
三峯神社に辿りつくまでの道のりが深い森に入ってゆくごとくの風景に秩父という土地、そして武蔵という地形を体感してきた。日本の国土の80%は山間部といわれている。日本人の山との関わりは古く、深い。
「擂粉木の素」とは何だろうか。料理ですり鉢でするための棒を「擂粉木(すりこぎ)」というが木枯により裸木になった木をも擂粉木というのだと認識している。擂粉木棒ならば山椒の木が適しているらしい。実際に我家の山椒の木を伐採することになり記念に擂粉木棒を作ったが、この棒のことだろうか。掲句を冬の奥武蔵で食した田舎蕎麦に山椒の香りが記憶に残った・・・と読むのは浅はかすぎる解釈だろうと消沈する。
「素」の字源は「撚り合わせる前の糸」を意味するが、御嶽神社、三峯神社の位置する八王子から秩父のあたりはかつての養蚕地帯としても名高く、日本の近代化を支えた絹遺産の地域である。
「スリコギ ノ スノカ」と読むならば「su」が韻を踏んでいることもリズム感がある。三峯神社にある「お犬茶屋」で食した田舎蕎麦は、夏であったが、「スリコギ ノ スノカ」がした気がする。
冬ならばどうなのだろうか。関東といえども秩父地方の冬は厳しい。氷結で有名な場所でもある。秩父には「秩父動乱」という激しい紛争の歴史もある。奥武蔵に住む人々、そして自然という激しさの中に佇む山々。本当は「冬の奥武蔵」には近寄ることも厳しい気がする。
「冬の奥武蔵」を詠むには、リズム感が佳すぎる感もあるが、『眞神』の中で地名が詠われているのはこの句のみである。
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