2023年12月8日金曜日

新連載・伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句 1.伝統について  筑紫磐井

 平成21年(2009年)に亡くなった林翔の全句集が11月に刊行された。林翔は、能村登四郎、藤田湘子と並んで馬酔木の戦後の三羽ガラスと呼ばれた作家であり、特に盟友登四郎が主宰する「沖」の創刊に当たり、水原秋櫻子からの要請で編集長を勤めた人である。この初期の「沖」は伝統派の中では積極的に発言する雑誌として注目を浴びたが、その中心を担ったのが林翔であった。先日、出版を語る会でご息女の吉川朝子氏から林翔全作品使用のご了解をいただいたので、「伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句」を始めてみることとしたい。

 今回連載を始める理由は、抽象的な俳句史がふえてきており、その根拠となるディテールとそれを結ぶ理論の検証がややおろそかになっているように感じるからだ。例えば、伝統と言えば、有季定型、反前衛と条件反射的に語られるようだが、そう単純に行くものではない。人によっても時期によっても大きなブレがあるはずである。それを包摂して、理論を考えるべきであろう。そうした考察に比較的林翔は向いているように思うのである。

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 今般『林翔全句集』の編集にかかわったが、その過程で多くの資料を渉猟し、林翔の評論、随筆及びその編集に伝統俳句の戦後問題が凝縮している感じを受けた。もちろん、戦後の代表的伝統俳句作家として、飯田龍太、森澄雄がいるのだが、彼らの俳句に対する発言は分かりやすいとは言えない。「俳句は無名がいい」「一瞬に永遠を言いとめる大きな遊び」等は有名であるが、だからと言って龍太、澄雄の作句の主張がすべて分かるものではない。社会性俳句に於ける兜太、欣一の主張「俳句は態度」「社会主義的イデオロギー」、前衛俳句における造型俳句論はこれを読むだけで彼らの作品はおぼろげながら浮かび上がる。しかし伝統俳句についてはこうした主張がよくわからないのだ。

 前衛俳句からの伝統批判はいくらでも見ることができるが、伝統俳句からの自らのアリバイ証明が見えてこないから信仰の表白のようになってしまうのだ。しかし、能村登四郎や林翔はかなりはっきり伝統の論拠を述べている。追ってこれらを見てゆきたいが、その前に林翔のこんな発言を見ておきたい。


 今井豊が40年も前に発行していた雑誌に「獏」がある。短詩型文学機関誌と銘打った雑誌で、多くの若手が作品を発表していた。第33号(1984年4月号)にこんな記事が載っている。「全国俳人50氏へのアンケート」(第8号からの復刻。時期不明だが5年程前か)。


問。あなたが作句されるときに季語はどう扱われますか。

問。将来の俳句に於いて季語はどういう位置を占めると思いますか。

問。無季俳句を認めませんか。またその理由。


林翔はこんな回答を寄せている。

➀季語は必ず入れている(歳時記にない語でも季感があれば使うことがある)。

➁現在と変わりはないと思う。

③認める(季語はあった方がよいが、絶対なものではない)


 伝統派と目される長谷川双魚、阿波野青畝、岡田日郎、森田峠、岸田稚魚が③について、「認めない」と答えている中で、林翔はかなり踏み込んでいる。伝統派に属すると言っても、理論的で、立場に固執しないのが林翔の特色であった。

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 こんな林翔が、「沖」の編集長として行った最初の企画が「シリーズ伝統俳句研究」である。毎号、部外執筆者等に伝統俳句の考察を行わせている。例を挙げて見よう。伝統、前衛にこだわらず執筆者を選んでおり、なかなか豪華な顔ぶれである。


【シリーズ伝統俳句研究】

伝統俳句の悪路 能村登四郎(46年2月)

伝統と私 飯島晴子(46年6月)

若年と晩年――蛇笏俳句に於ける伝統の一方向 福田甲子雄(46年7月)

伝統的視点の再検討 川崎三郎(46年8月)

新しきもの、伝統 林翔(46年9月)

伝統俳句の新しい行き方 有働亨(46年10月)

現代俳句に於ける伝統の変革 岡田日郎(46年11月)

伝統俳句と女流俳人 柴田白葉女(46年12月)


 当時総合誌も盛んに伝統特集を行っていた。一種の伝統ルネッサンスの時代であったと言えるかもしれない。これらと伍し、またはさきがけ、前衛に負けない伝統を生み出そうとしていたようにも見える。


➀伝統と前衛・交点を探る(座談会)俳句研究 45年3月~4月

➁俳句の伝統(特集)俳句研究 46年5月

③俳句の伝統と現代(特集)俳句研究 46年8月

④伝統俳句の系譜(特集)俳句研究 47年7月

⑤伝統と前衛――同じ世代の側から(座談会)俳句48年1月

⑥現代俳句の問題点――俳句伝統の終末・物と言葉など 俳句研究 50年4月


 まさにこれらと競い合うように沖における伝統研究が行われていたのである(沖では、これに続き「シリーズ現代俳句の諸問題」「心象風景」「イメージ研究」が行われたが、いずれも「伝統俳句研究」の延長にあるテーマであった)。

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 実を言えば林翔はかなり早くから伝統論を展開していたのである。世の中が伝統で騒ぎ始めるずっと前に伝統論を執筆している。前衛俳句が猖獗を極め、伝統俳句がすっかり意気消沈している時代の伝統論である。


〇硬質の抒情――伝統俳句の道 南風 36年1月

〇伝統の克服 南風 37年5月

〇伝統俳句の道 南風 43年3月


 我々は単純に伝統、――あるいは前衛に対する伝統を語ってしまっているが、林翔を手掛かりに腰を据えた伝統を考える必要があるのではないか。


(第1回なので意気込んで少し重苦しいテーマを選んでしまった。今後の連載に当たっては、もう少し軽やかな林翔の発言も取り上げることができると思う。)

林翔全句集(コールサック社)