日英仏独伊語での詩の質感
ある縁があって、海外(北米)のhaikuイベントで俳句を展示してほしい、と招待された。新作のhaikuを作るのが条件だ。
ピアニストの帰国静かに木の葉雨
A pianist returns to her mother country —
Silently
Winter leaves fall like rain
という句を作り、提出の事前にロンドン在住の日本人の友人にも見てもらった。その彼女に、「この句は日本語よりも英語で読んだほうがよく感じる」と指摘され、僕自身もうすうすそう思っていたのでどきりとした。英訳では、aかthe、hisかher、などを選択せねばならず、日本語よりも像が明確化する。「静かに」はquietlyやcalmlyなどの訳語も思い当たるが、silentlyを選び取ることでニュアンスが決まる。要は英語化によって句の細部がより精緻化する。俳句のように短い詩には、それが決定的な違いになる。
そんな折、イギリス人の友人が最近書いた本(*1)を読み、ある指摘に注目した。彼女自身が数か国語に堪能なのだが、同じ詩をフランス語、ドイツ語、イタリア語に訳した時にその質感が変わる、というのだ。いわく、概して詩としてはフランス語のものが一番すばらしく、音韻の精妙さは「心がことばを理解する前に、口が言葉と逃げ去ってしまう」ようだと言う。一方でドイツ語は「感覚や難しい感情を捉える」のに長ける。イタリア語は「もっとも音楽的」で「リリシズムへの欲求」がもっとも満たされる、と。
その比較があまりにも冴えていて頷けたので、彼女に連絡を取り会話してみた。一般論として、言語ごとに持つ質感が違うという捉え方自体は、決して奇異な発想ではないはずだ、と彼女は言う。「じゃあ、英語の特質は?」と訊くと、「同義語が多い」のが長所だが、フランス語ほど「母音の押韻」が多くないのは短所だとか。同義語の多さゆえに、英語の語彙は他国語と比較しても豊かで、それは詩には当然有利に働く。同じ意味の中でよりよい音やリズムの単語を選び取れるし、異質な文化圏から来た単語も英語には多いため、異質な響きを持つ単語も選択できる。一方で、彼女は英語の短所として「時制」の構造から来る単調さやアクセントの不一貫性などを挙げ、それが逆に英語詩のルールを形作ったと指摘する。
そんな説明に感嘆しつつ、あることに思い当たる。日本語の詩に特徴があるとすれば、音ではなく「文字」の多様さではないか。日本語では、同じ意味と発音でも、例えば「なく」「ナク」「泣く」「哭く」などと書き分けうる。英語の同義語の多さが豊かな音楽性を詩に生むように、漢字、日本語の文字の多様さは、詩に独特の視覚性を生むとしたら——。彼女とのこの議論は話題に尽きそうにない。
*1 Gertrude Gibbons, The Silent Violinist, Troubador, 2021
(『海原』2022年6月号より転載)