2021年8月27日金曜日

英国Haiku便り[in Japan](24) 小野裕三


 

エズラ・パウンドの「切れ字」

 エズラ・パウンドは、米国で生まれ欧州で活躍した英語圏の詩人で、二十世紀初頭のモダニズムや前衛詩運動の中心の一人でもあった。その彼が俳句に強く影響を受けたのはよく知られた史実だ。パリの駅で見た光景を元に、彼は「地下鉄の駅にて」と題した短い詩を書いた。

 The apparition of these faces in the crowd;    群衆の中に現れるこれらの顔

 Petals on a wet, black bough.       濡れた黒い大枝の上に花びら

 彼が最初にこの詩想を得たのは一九一一年で、最初は三十行の詩を書いたが、それをいったん半分に縮め、最終的には前掲の詩として一九一三年に完成させた。俳句(当時はhokkuと呼ばれた)を意識して作った詩だと彼も明言するし、この詩を〝世界初の英語で書かれたHaiku〟と位置づける研究者もいる。

 同時期に彼は、「イマジズム」(語義としては「イメージ主義」)というモダニズム文学運動を主導し、その創作方法の提言を発表する。「長々しい作品を作るよりも、生涯で一つのイメージを提示できたほうがいい」「余分な言葉や形容詞を省け」「(抽象的な表現は)イメージを鈍らせる」「直接的に<物>(thing)を扱え」など、そこに記された彼の前衛詩のルールは、まるで俳句のルールのように見える。

 彼は単に俳句の短さに注目しただけではない。上記の詩は、動詞もなく、純粋なイメージだけが二つ直接的に並置される。この手法を彼は「重置法」(super-position)と呼び、この詩で体得したものだ、と語る。この詩の二行目を一行目の比喩と捉える見解もあるが、むしろ俳句の「二物衝撃」にも似た異質性を孕むと僕は感じる。つまり、この詩で彼は彼にとっての未知のイメージ操作であった「二物衝撃」の原理を体得し、革新的な詩的方法論を導いた。

 彼の探究を裏付けるように、彼はこの「二物」を繋ぐのにセミコロン(;)を使う。この詩の初稿ではそれはコロン(:)だったらしい。英語の語法的には、ピリオド(.)、エムダッシュ(―)、コンマ(,)などもここでの候補になりうるが、彼は最終的にそれをセミコロンと定めた。言ってみれば、彼は英語という言語の中での適切な「切れ字」を模索したわけだ。というのも、他の記号だと「二物」は説明的な比喩関係になったり、逆に距離が生じてしまったりする。セミコロンならば、「二物」は説明的でもなく密接に並置される関係に置かれる。その結果、二つの具体物の直接的衝突の中から新しい第三の感覚的観念が生まれる(彼は類似の原理を「漢字」の成り立ちにも見出し、「表意文字的方法」<Ideogrammic method>と呼んだ)。かくしてこの〝世界初の英語俳句〟には、前衛詩運動を主導した西洋詩人が俳句の「切れ」と格闘した痕跡が明確に残っている。それはなんともスリリングな事実だ。

(『海原』2021年4月号より転載)

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