[小野氏の了承を得て、今回から月1回の連載となります]
俳文とペチャクチャ
ときおり、思いもかけない日本語が英語に定着していることに出くわして驚くことがある。
先日、「自伝」をテーマとしたセミナーに参加した。博士号を持つ男性が登壇し、ドゥルーズなどの哲学者に言及しつつ話を進める。難しい話だなあ、と思って聞いていると、突然、「ハイバンという日本語があります」と話し始めた。ハイバン? 廃盤? などと思ってよく聞くと、俳文(Haibun)のことらしい。それは俳句と哲学的思索の文章の組み合わせであり、芭蕉もそれを書いた、みたいな説明をしている。彼自身も、実際にHaikuまで作って俳文を書いたようだ。
このような日本語の英語への移植には、一種の誇張や神秘化がつきまといがちだ。Haibunについての彼の説明も、聞いていてなんだかこっちが照れ臭くなった。しかし、このような誇張も必ずしも悪いものではないのかも、と最近思った。
というのも、最近出会った英語化した日本語のひとつに「ぺチャクチャ(pecha kucha)」がある。ある集まりに参加したところ、「事前にペチャクチャの素材を準備してください」と言われた。ペチャクチャって、ひょっとして日本語? そう思い、意味や語源を調べてみた。長年日本に住む二人の西洋人の建築家が、あるイベントを2003年に東京で企画した。建築家やデザイナーが集まり、コンピューター画面のスライドでお互いの活動をプレゼンテーションする、というもの。だが、建築家などの話は長くなりがちだ。そう危惧した彼らは、計20枚のスライドを一枚ずつ20秒ごとに自動的に切り替え、発言者はその制限時間内でスピーチをする、というルールを作った。聴衆も、ビールなどを片手に気軽にスピーチを聴く。このユニークな形式のプレゼンテーションを彼らは日本語から借用して「ペチャクチャ」と名付けた。この新しいスタイルはすぐに世界中に広まった。「プレゼンテーション」という堅苦しい言葉にはない気軽さや楽しさや仲間、といったニュアンスが「ペチャクチャ」にはある。推測だが、この発案者たちも長年の日本暮らしの中で、「ペチャクチャ」の持つそんな雰囲気を感じ取っていたのだろう。その雰囲気をあえて誇張して英語に導入することで、彼らはまったく新しいコミュニケーションのスタイルを創出した、とも言える。
だとすれば、HaikuやHaibunはどうだろう。それがいささか誇張・神秘化されて英語に導入されることで、かえってまったく新しい文化的価値を英語圏において作り出す可能性がないとは言えまい。仮にHaibunという形式が誇張されて導入された結果、哲学と詩が混交したまったく新しいスタイルを西洋文化に創出するとしたら、それはなんとも痛快ではないか。
(『海原』2019年12月号より転載)
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