2015年3月20日金曜日

「評論・批評・時評とは何か?――堀下、筑紫そして・・・」その6 / 筑紫磐井・堀下翔


20.堀下翔から筑紫磐井へ(筑紫磐井←堀下翔)
the Letter from Kakeru Horishita to Bansei Tsukushi .


磐井さんの「詩学」のお話が出てきました。これまでのやりとりの中で聞いておかないといけないと思ったことがこの「詩学」についてです。

僕は先年大学に入ったばかりで、文学の勉強をしているのですが、そこでまず最初に教えられるのは「作者の死」なんです。ロラン・バルトが1960年代末にこれを宣言して以来、文学研究に作者の伝記的事実は不要である、というのは常識的な言説になっているのだ、と。

バルトの理論がどれほど実際的に普及しているのかは不勉強にしてピンときていません。世界での受容度はバルトフォロワーの福田若之なら分かるんじゃないかと思うので今度会ったら聞いてみます。ただ日本の俳句の世界ではまったく浸透していないのは見ればわかります。もちろん「俳句史」となれば伝記的事実の前後関係が織りなすものですから話は違ってきますが、一句一句に関してさえ作者の伝記的事実に関わって解釈されている。遷子の例をこれまで振り返ってきましたが、あの方法はまさに「作者の死」の裏側にあるものだと思われます。それが遅れていると言いたいのではありません。遷子がどのような場所で俳句を書いていたのか、それに思いを馳せることで感ぜられてくる、きわめて身体 的なインスピレーションはあると思います。また、「俳句史」が、つまり歴史的関係が、一句を生み出すことがあるという点も事実だと思います。一番簡単に言えば、この師匠についたから、こういう句を作った、ということです。バルトはその原因と結果から結果だけを取り出そうとしたわけですが、どのような文脈から一句が生じたのかを考えることがまったく無価値だとは僕は思いません。

遷子の例は「作者の死」とは異なった方法論だったわけですが、一方で、進化論的な俳句史に懐疑的だという磐井さんの、たとえば〈虚子・波郷に代表される伝統派と、草田男・兜太の反伝統派の2軸で俳句史を読んでもいいのではないか〉といった把握の仕方は、ダイナミックで、伝記的な俳句史から離れたところで展開されています。独自の史観から独自の把握が得られる、というのが磐井さんの考えていらっしゃることのようですが、その「史観」は、伝記的な事実の前後関係で生じるものではありませんから、ある意味では、バルトのテクスト論と近いのかもしれない、という印象を受けました。

と、いったことを磐井さんとのやりとりの中で考えていたわけです。磐井さんご自身は、西洋的なテクスト論について、どのような付き合いをしようとお考えなのか、気になるところです。


1 件のコメント:

  1. バルトを持ち出すなら当然、作品と社会文化との関係を分析する必要が出てきますが、社会性を放棄しつつある俳句に記号論が使えるのかどうか…

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