日の没りし後のくれなゐ冬の山 中西夕紀
エンドロールを見るように日没のあとの余韻に浸っている中西夕紀は冬山に何を見たのか。理屈でいえば日没の照り返しの明るさなのだろうけれど。この「くれなゐ」を感じたことによってこの句集がはじまってゆく。
「青嵐」「桐筥」「野守」「緑蔭」「墨書」「冬日」六つのテーマから成る句集『くれなゐ』。中西作品にはいつも思うことだが確かな写生眼があってそれを俳句で確かなことばに再現するという力量を感じる。それは写生に厳しい宮坂静生、藤田湘子、宇佐美魚目に師事してきた所以であろう。
蝌蚪孵りけり泡立ちつ苛立ちつ
干潟から山を眺めて鳥の中
口開けて蛇抜け出でし衣ならむ
颯と風釣忍より水ぽとと
飛火野の小鹿は草の露まみれ
逢ふよりも文に認(したた)め西行忌
藤棚にそよりと人の来てゐたり
雪掻きに古看板を使ひをる
あをあをと雪の木賊の暮れにけり
木の影をたどればベンチ小鳥来る
──自由闊達というべきか、つい拍手をしたくなるような言葉遊びも。
ふらつくを亀の鳴きたるせゐにして
好色一代女と春のひと夜かな
一生に一茶二万句三光鳥
兄弟を踏みつけてゆく雀の子
はこべらや一人遊びの独り言
十までを数へて雀隠れかな
雀と鬼ごっこをしているような。季語でここまで遊べる茶目っ気。
かなぶんのまこと愛車にしたき色
あの羽のメタリック感を再現している。
店奥は昭和の暗さ花火買ふ
まだまだ昭和の残る店、そこの花火を見て昭和につい手が出る。
空耳に返事などして涼新た
季節の変わり目の囁きか「涼」の遣い方が見事。
皺くちやな紙幣に兔買はれけり
帯文にもあったが「小さなものたちの命に寄り添う」のがテーマでもある。
ばらばらにゐてみんなゐる大花野
花野のたのしさ、さみしさがここにはある。いま生きてあるさまざまな人間はもちろんだが、まだ若くして亡くなった母も、厳しく優しかった師にもこの花野に行けば会える。だから「大花野」なのだ。
かりがねに峰の観音開きかな
鶴飛ぶや夢とは違ふ暗さもて
まだまだ中西夕紀の俳句の旅はつづく。
(なかにし ゆき)宮坂静生の指導のもと「岳」に20余年。宮坂静生の勧めで「鷹」に入会、藤田湘子に15年間師事。「晨」に同人参加。宇佐美魚目に師事。平成20年「都市」創刊主宰。句集に『都市』『さねさし』『朝涼』。共著多数。俳人協会評議員。日本文藝家協会会員。
[本阿弥書店 定価:2,800円+税]
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