麻乃さんと初めてお会いしたのは、さる超結社句会での事だった。二次会のバーで隣になり、年も自分と近くぐんと親近感が沸いてきたのだった。それで母の結社を受け継いだ方だと聞いていたのに、迂闊にも「私の母も俳句やっているんですう」と酔った勢いで言ってしまった。何を馬鹿な事を言ったもんだと後から激しく後悔。そう、麻乃さんの場合は背負っているものが違う。麻乃さんとお話をした機会はあの夜一回きりだ。句集の中の世界で読み取るしかないのだが私なりに「母と娘」について考えてみたくなった。
母入院「メロン」と書きしメモ一つ
普通に考えればメモに書かれたこのメロンは母へ持っていくためのメロンであろう。しかしそう思えば思うほど何故メロンか、という思いが拭えない。お母様はメロンが大好物だったのかも知れないのだが、この句の中のメロンという存在はとても不安定だ。入院した母にメロンを持っていくのか?否、少なくとも私ならば持っていかない。実際に病室で食べることを想定した場合、メロンは実に不適切だから。そう思った時にこの「メロン」は実在のメロンではなく、何かの象徴のように思えてくる。メロンという他人行儀。見栄。母に対しての他人的な目。母と娘、というよりももっと違う距離感。
母留守の家に麦茶を作り置く
病床の王女の如きショールかな
多忙が故、麦茶を作っている余裕がない。そんな母へのさりげない気遣い。「作っておいたから」とは言ってないだろう。何事もなかったかのように作っておく。母は気が付いたか付かないかは解らぬが恐らく何も言わなかったのではないか。(もしリアクションがあったら句にはしなかっただろうと思ったのだ)
二句目、病室には似つかわしくない派手なショール。この句ではそれを使っている母を「女王」と言っている訳ではない。あくまでも焦点が当たっているのはショールだが、身に纏っている母はやっぱりただの母親ではなくあくまでも「女王」。結社の主宰の顔を崩さぬ母なのだ。
娘てふ添ひ難きもの鳥渡る
この句が一番ストレートだ。添い難き、とふっと溜息をつくも、母の方は娘にそっと寄り添おうとしているのかも知れぬ。
帰りたいと繰り返す母冬夕焼
母はすぐ横にいる。そして娘に駄々をこねる。そこにいるのは俳人でもなく、母という言い方ではまだ固いくらいのただの「お母さん」。娘はその我儘に答える事が出来ず冬の弱い夕焼けを見ている。母と娘の気持ちが淡く交わる時刻。
句集は季節ごとに並べられていて、時間軸がそのまま句順とは思えないのだが、
花篝向かうの街で母が泣く
雛のなき母の机にあられ菓子
鞦韆をいくつ漕いだら生き返る
「生き返る」というのはお父様なのかは私には解らない。ただ、様々な感情が行きつ戻りつしているのは感じる事が出来る。生き返る、と言っているのは亡くなった人でもあり、葛藤している自分自身でもある。失った後でしか気が付けないものがある。次に行こうと足に力を込めて踏ん張っても、強い力ですうっと引き戻される哀しい浮遊感。
句集の中での麻乃さんの感性の瑞々しさは強く私を惹きつけた。その魅力はどこか不安定で視線が現実を捉えたがらない「少女性」ときっちりと写生をしてくる「現実性」が程よく合わさっている所以であろう。
電線の多きこの町蝶生まる
たましひは鳩のかたちや花は葉に
虞美人草いぢわるさうな花開き
紙風船破いたやうにポピー咲く
姫蛍祠に海の匂ひして
求愛のゴリラのストレス熱帯夜
肯定を会話に求めゐては朱夏
大西日プラスティックの匂ひたる
鰯雲何も赦されてはをらぬ
「何も赦されてはをらぬ」と言いながら誰に何を、が絶対的に欠落している。ただ背負うものがある人間にとっては「赦されたい」と思う瞬間はあるし、赦されたいと願う資格もある。本当は誰も自分を責めていない。恐らく自分を苦しめているのは自分自身だ。
解っていても誰か絶対的な存在の者から「赦す」と言われたい。具体的な「ソレ」ではなく漠然とした何かに。それは例えば自分の背中を見つめてくれているあの雲のようなものに。そして赦されたい、と思った瞬間、本当はすでに赦されているのだ。
出来る限り沢山の共鳴句を挙げさせていただく。
恋多きキリンの母よ夕立風
日本地図能登を尖らせ秋麗
夜学校「誰だ!」と壁に大きな字
ポインセチア抱へ飛び込む終列車
我々が我になる時遠花火
夫の持つ脈の期限や帰り花
他にも一杯あり書ききれない。この続きはまたあのバーでゆっくりと…。
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