2016年12月9日金曜日

【短詩時評32は年末企画で裏の雑談の前編】価値について 安福望×柳本々々



(『かばん』2016年12月号の特集「描く短歌」において編集人のながや宏高さんの提案により、イラストレーターの安福望さんと「絵と短歌とペン」という対談をさせてもらった。「安福望さんはいかにして安福望さんなのか」という〈対談〉は〈雑談〉としてもう少し続いたので、〈裏の雑談〉としてこちらに収録させてもらうことになった。ちなみに特集チーフも務めさせていただいた『かばん』2016年12月号は初の電子出版の試みもしているのでぜひお読みいただければ幸いです。特集「描く短歌」の執筆陣として、岡野大嗣さん、久真八志さん、少女幻想共同体さん、唐崎昭子さん、東直子さん、光森裕樹さん(五十音順)に絵/文をかいていただきました)

【パジャマの価値について】

柳本々々 うん、いい言葉ですね。「今のペンの方がより楽しい」。安福さんのその言葉で今回の対談を終わりにしましょう。

安福望 …………………。

柳本 …………………。

安福 ………。

柳本 ………………。

安福 ……あの、今年のやぎもとさんの「短詩時評」に「蛇、ながすぎる」っていう「名前の練習」がありましたね。

柳本 あ、はい…。

安福 ……読みました。それを読んで俳句のことを考えたんですが、俳句ってきっちりしっかりしてるなっておもってたんですよ。名詞で終わるからだとおもうんですけど……。

柳本 ……あ、そうか、たしかに季語って「浮いてこい」とかそういう特殊な季語もあるけれど、名詞が多いかもしれませんね。わたしも、短歌・俳句・川柳の違いって、音数というよりは、季語があるか・ないかじゃないかとさいきん少し思ったんです。季語があることでシステムががらっと変わってしまう気がして……………。

安福 「蛇、ながすぎる」のタイトルの話で名詞=体言でおわるタイトルは堂々としているっていう話があって、そうか俳句って堂々としてるのかもって思いました。それで「こころ」は「ここれ」に活用できないってはなしで、俳句の中の季語も変化できないものですよね。夏の季語が秋の季語に変化できないなって…………………。

柳本 …ああほんとですね! だからある意味で季語がないたとえば川柳だと倒錯ができるというか、すこし《狂う》ことができるんですよね。あぶないひとになれるというか。季語の活用不可能性っていうのはそういうのを逆に阻止するところがあるのかもしれないって思いますね。俳句をしているひとは長生きをするってどこかで読んだことがあるんですが、もしそれがほんとうなら、それが季語のシステムなんじゃないかって思うことがあるんです。倒錯しないというか。《健康》になるというか………………。

安福 ………あと、ライトノベルのタイトルがどんどん長くなっているってはなしで、新海誠さんの映画『君の名は。』の「。」はめちゃくちゃ長くなりそうだったから、無理やり「。」を入れて長くなるのをとめたのかなっておもいました。やっぱりいつまでたってもあの「。」気になるんですよね。

柳本 あ、そういえば、『君の名は。』も庵野秀明さんの『シン・ゴジラ』もタイトルがかえって短いですよね。過去のパッケージを使ったリメイクってそういう意味では「今」のむやみやたらな長さに拮抗することができるかもしれませんね。過去は変えられないし、短かった。そこから、はじまる。しかも句点の「。」があるの意味深ですね。ほんとだ……。

安福 ……………。

柳本 ……………価値かあ…。

安福 ……………。

柳本 …………………。

安福 あ、そうだ、やぎもとさんの『フシギな短詩』の荒木飛呂彦さん村上春樹さんの回なんかもそうだと思ったんですけど、美術館から絵をもちだして、そとで話してるかんじなんですよ。美術館で絵を鑑賞するんじゃなくて、外にもちだしたうえで話すっていうのか…。

柳本 ああ……なんかこう、電話で話してるかんじですかね。電話口で話す感想文というか。もしもし、あのね、というかんじの。電話口だからときにパジャマでまじめなことをしゃべってる感じもあるくらいの。

安福 ああ……そうかも……。

柳本 …………。もしもしかあ。…………いや、価値かあ…。

安福 ……。


【価値について】


安福 あ、そうそう対談の映画の話もそうだったんですけど、やぎもとさんとお話してから、いろんなことってもう一回もどってくるんだなって思いましたよ。いままではそんなもどってくるとおもってなかったので。ながれてくかんじでした

柳本 あ、そういえばわたしも、たとえば、斉藤さんの、歩く短歌って、図書館でであったのが、2010年かなあ、それくらいなんです。それから投稿するのに三年かかったし、そこからそのさいとうさんの短歌の感想かくまで、つまりきょうまで三年かかったんだけど。ああまた戻ってきたんだなとおもって。出会い直し、ってことかな。出会い直す、ってすきなんです、あの、ヘレン・ケラーがね、unlearn って単語をつかっててつまり、学んだことをもう一回ほどいて学びなおすってことなんだけど。出会いも、なんどもほどいて、もういっかい出会い直すんじゃないかとおもって

安福 ほんとですね。出会い直し、いいですね。

柳本 価値にきづくってそういうことかもしれないですね

安福 あ、ほんとだ。そうですね。ほどいてもっかい出会いなおすとまたべつのこととつながりますね。

安福 さいとうさんの短歌なんですけど、やぎもとさんの「船」を定型詩とみるのなるほどなあって。星に降りたら歩くしかないように歩いたの星って読者なのかな。

柳本 ああそれおもしろいですね。

安福 短歌が星におりたら、勝手によまれてくかんじ。

柳本 そうなのかもしれないですね。

安福 でも最初、ひきこもりの歌かなっておもいました。船のなかだと、他者とコミュニケ―ションとるのに手紙かくしかないかなってそこから、星にでたら、歩いて他者に直接あうしかコミュニケーションできないから、歩くしかないように歩いたのかなってなんかだれかと出会いたいような歌に思いました

柳本 のりべんのうたもあるくうたですよね。

安福 あ、ほんとですね。誰かに会うかもって歩いてたら、ぶちまけられたのりべんしか会えなかったのかな。でものりべんがあるってことは、だれかいたんですよね。タイミングがわるかったですね。

柳本 わたしがおもうのは、歩くのって、その場所のルールをうけいれるしかないんだなとおもって。のりべんがぶちまけられててもルールなんですよ。うけいれるしかない。じぶんのものがたりにはできない。よけるしかない。

安福 あ、そうかよけるしかないんですよね。

柳本 ぶちまけられたのりべんばっかじゃないかとおもって、この世界は。たとえばシンゴジラもなんできたかはわからないけれど、ぶちまけられたのりべんだとおもう。巨大不明生物に名前をつけたところでどうにもならない。災害もそうですよね。

安福 ああ、そうですね。

柳本 ルールが最適化できない部分がこの世界にはぜったいあるんですよ。ルールが最適化できないもの。それがぶちまけられたのりべんだとおもう。

安福 ほんとよけるしかないんですね。

柳本 だれかが傷つかなきゃ成立しない世界がある。防護服きて作業しないと成立しない世界。

安福 そうですね。みんな幸せってないです。

柳本 なんでしょうこれはのりべんってきづいてものりべんが修復できるわけじゃないですよ。その意味でひとは「歩くしかないように歩く」ことしかできない。

【太宰治の価値について】

安福 やぎもとさん、フシギな短詩で東さんをとりあげられたじゃないですか。

柳本 ああそうですね。そのころ『十階』をずっと読んでいて勇気をもらっていました。なんだろう、この東さんの日記のなかには、ひとが生活のなかで〈書く〉こととどのように共に暮らしていくかがいろんなかたちで書かれているように思うんですよ。それがすごく好きですね。好きだし、勇気づけられる。書くことってちょっと〈十階〉に暮らすようなことだと思うんですよ。すこし地上からは離れている。でも天上ってわけでもない。十階特有の風が吹き、雨が降り、陽がさしこんでくる。そういう〈すこしだけ〉高い異界のような場所で暮らすこと。

安福 わたし、30歳のときにはじめて個展したんですけど、ブックカフェみたいなところで。作品と一緒にすきな本も何冊かもっていったんですよ。そのとき『十階』ももっていきました。あと笹井さんの歌集も。東さんの本、はじめて読んだの『十階』だと思います。

柳本 あ、そうなのかあ。東さんの《ふたしかさのなかにあるたしかさ》みたいなものにぐっと引き込まれたんですよ。

安福 東さんのフシギな短詩よんでて、これやぎもとさんの文章よまないとわたし全然読めない歌でした。だからなるほどと思いながら読みましたよ。それで、なんでこの歌読めないのか考えてたんですけど、「桜桃忌」と「フィンガーボウル」がわたしには遠い言葉なんですよね。普段使わない言葉。

柳本 ああそうですね。

安福 あの東さんの歌はなんか取り残されたかんじがするんですよね。しかも姉がもどってこないきがする。それでもわたしはなにかを語ろうとしている。なんのためだろう、ってかんがえたんです。わたしも姉は帰ってこないんだろうなって思いました。この姉、死んでんじゃないのって。

柳本 桜桃忌に太宰治だから死のイメージにあふれてますねたしかにね。

安福 出かけてゆきました、だから家からって最初思ったんですけど、家にフィンガーボウルあるのかなっておもって、どっかレストランとかで姉とごはんたべてそこにあったんかなフィンガーボウルっておもって、それが姉と会ったさいごなんだろうなって。

柳本 ええっ! すごい面白い解釈しますね。びっくりと納得がいちどにきた。

安福 それでこれは妄想すぎるんですけど、フィンガーボウルわたしどこでであったかなって考えたら、結婚式のときにテーブルにあった気がしたんですよね。それでこれ姉が結婚する歌なのかもってちょっと思いました。姉妹でだれかの結婚式についこの前まで一緒にでて同じテーブルにいたはずなのに、気付けば姉が結婚式してるという。結婚すると女性って名前がかわるじゃないですか。それって、旧姓の自分が死ぬかんじがして。それと同時に新しい名前の自分が生まれるんですよね。

柳本 ああ、その発想はありえるかもしれないですね。

安福 「桜桃忌」と「フィンガーボウル」の間に「姉」がいるんで、桜桃忌とフィンガーボウルが姉を召還したような気もしました。姉がでかけた記憶を、ですかね。何か思い出すって、一つの単語じゃなくて、二つ以上が重なったら、別のものを思いだすのかなと思いました。こう思ったのも桜桃忌とフィンガーボウルが遠い単語だから、「姉は出かけてゆきました」だけがわたしには近くて浮き上がってみえたんですよ

柳本 ああそうかあ。やすふくさんがフィンガーボールになじみがないってところから引っ張り出された解釈なのがとてもいいと思いましたね。つまりこう自分のなかのちょっとした生きてしまった違和というか、日常的気付きから解釈をしていったというか。そうかあ、そういう解釈もできるのかあ。東さんの短歌はそのひとの所属しているジェンダーとか階層とかで意味が少しずつ変わってくるのがいいなっておもうんですよね。だからわたしの立場から読めば太宰治から読んでああいう解釈になったし、やすふくさんの立場から読むと結婚式とかからそういう解釈になる。そういうのってとてもおもしろく感じるし、忘れちゃいけない部分なんだろうなって思います。

【指先からソーダの価値について】

安福 フシギな短詩で小津夜景さんの記事よんだんですけどね、たしかに記憶ってゼリーな気がしました。なんでなんですかね。なぜかゼリーがぴったりですよね。

柳本 夜景さんでフシギな短詩を書くならゼリーだなとはなんとなくずっと考えていたんですよ。でも書けるかなあとかなんとなく考えていて。それで俳句の福田若之さんの小津夜景さんと記憶をめぐる文章を読んだときになんとなく、ああそうかそういうことなのかと自分が書きたいことがわかりはじめて。それでも、あれやっぱりちがうかもとめげたりもしたんですが、夜景さんの『フラワーズ・カンフー』を読んだときに、あ、そうか、やっぱりいいんだ、とまたわかりはじめて。でもサイダーの句はぜんぜん想定していなかったんですよ。でも書き始めたときに、あ、サイダーなんだな、これでいいんだなっておもって。

安福 サイダーをほぐすってできるんじゃないかなって思いました。サイダーって炭酸がはいってるじゃないですか、炭酸と水にほぐすことができそうな気がして。

柳本 いや、サイダーをほぐすことができると思えるなんてひと、あんまりいないんじゃないかな(笑)。あの、なんだっけ、「牛乳をかむ」とかってありましたよね、あれはなんだったんだろ、なんかすごくふしぎな表現ですよね。牛乳かめないだろ、っておもうんだけど、でもなんかなんとなくこどものころそういう表現があった。

安福 サイダーって炭酸と水じゃなくて炭酸とシロップが入った水だから、ほぐしても白紙の状態のただの水にはならないなって思って、ほんとだ、書き込まれた状態だ、やぎもとさんの言うとおりだなって思いました。

柳本 あ、それおもしろいですね。あ、そうか、サイダーって無色だけど、炭酸があるからすでに無色じゃなくて書き込まれているんですね。それおもしろい見方ですね。そうか、だからひとって炭酸に惹かれるんですかね。

安福 サイダーのあの炭酸の泡って、やぎもとさんがゼリーが記憶っていっていたように、私には記憶のように思うんですよ。なんとなく。

柳本 ああそれもおもしろいですね。炭酸の泡ってパッケージングだから、記憶のパッケージングと重なるのかな。やすふくさんにいわれていまかんがえたら、あ、そうなのかなって。今日マチ子さんが炭酸を印象的なかたちで描いていたけれど、あれも学生時代っていう記憶のパッケージングですよね。どこか無責任で、でもあぶないことをしちゃうと責任が発生してとりかえしがつかなくなっちゃうような、そういうなにか刺激的で、でも美しい、はかない時代。

【名前の価値について】

安福 やぎもとさんもフシギな短詩で書かれていた穂村弘さんの「夢の中では、光ることと喋ることはおなじこと。お会いしましょう」の短歌のことを思い出して、これずっと夢の中でお会いしましょうだと思ってたんですけど、光ると消えるから夢から醒めるってことなのかなって。だから夢の外で会いましょう、現実で会いましょうってことなのかなって思いはじめました。「夢の中では、光ることと喋ることはおなじこと。」の後ろについてる「。」がずっと気になってたんですよね。「夢は音がないから嫌いだよ なんでなんにもしゃべってくれなかったの?/石井僚一」も好きなんですけど、この短歌と「夢の中では~」の短歌は矛盾してしまうなってずっと考えてたんです。「夢の中では~」の短歌は夢で喋ると光るが一緒っていってるから、夢の中で喋ったりするのか。音があるってことなのかって。作者が違うけど、好きな短歌は同じ世界にいてほしいなって勝手な気持ちでいて、気になってたんです。この二首がずっと。

柳本 ほむらさんの短歌もでも音がないですよね光ることがしゃべることっていうのは音がないことですよね。夢のなかの音ってたしかにかんがえてみるとおもしろいな。そういえば夢のなかの音ってどうだったかな。光は聴覚じゃないものね。またいろいろみえてきましたね。

安福 あ、そうかあ、ほむらさんのも音がないのか。しゃべるからあると思ってました。光ること、自分が光ってるっていうのはわからなさそうですね。ひとが光ってるのはわかるのだろうけど。なんか怖い世界ですね、夢って。わたし、夢のなかで音ないんですよね。だからいしいさんの短歌よんで、そうそうっておもったんです。たしかに音ないなって。夢で光を感じるときって起きる時だった気がしました。でもそうしたらいつも夢ではなにをみてるんだろうっておもいました。「夢の中では、光ることと喋ることはおなじこと」って夢の中だと音が光になるんですよね。やっぱり音がないのかな。なんか普通によんだら、最初からそう書いてるやんかってなりますね。ぐるぐる考えすぎてるのかな。

柳本 ただこれそもそもぐるぐるですよね。しゃべることは光ることなら、光ることに音が与えられるので。

安福 あっ、ほんとだ! あの少し関係あるかもしれないんですが、やぎもとさんの名前、「々」ってね、漢字だと思ってたんですけど、記号なんですね。読めないって音がないってことなんですね。々って無音なんですね。名前なのに音がないってかっこいいなっておもいました。

柳本 たしかにそういわれるとふしぎですね。音がないのかあ。じゃあそこで消えるんですね。ああそうか、じゃあしゃべることはひかることを一字であらわすと々になるのかあ。夢って々のことなんですね。名前なのに音がないっておもしろいですね。あ、そうだ、「やぎもと」さんってはじめから呼ばれたことがないんですよ。たぶん、ひとりくらいじゃないかな、はじめからそうよんでくれたの。いつも、やなぎもとで。だからもともと間違えられた名前としてこの世界でいきてるんだってきもちはこどものころからあったような気がしますよ。「々」って「どう」や「おなじ」の変換ででるんですが読みにくいし打ち込みにくいから恐縮してるんですねいつも。で、やっぱりときどき問い合わせももらうんです。この名前はなんなのかと。それも恐縮しているんですが。「あとがきの冒険」で山田露結さんのことを書いたときにあっと思い出したんだけど、私の筆名、曾祖父の筆名を使っているんですよ。短歌とか川柳をしていたひとで。でも、まあ、曾祖父はいったいどういう気持ちでこんな名前をつかってたんだろうと思うことはあるけれど、名前が手にいれられなかったのかもしれませんね。けっきょく。名前の価値ってなんなんだろう。名前の幸福とか。だからもしドロシーにくっついてオズの国にわたしがいくなら、オズの大王からもらうのは「名前」ですよね。

安福 々と光と音かあ。たしかになんかむすびつきそうですね。々って目にはみえてるのに、音が、名前がないってふしぎですね。夢のなかだと々は光ってそうだ。やなぎもとの「な」を封印するもののような気もしてきました。々って。なんだろ打ち消すためのもの? やなぎもともともとさんって言いにくいですよね、やぎもともともとさんがやっぱりしっくりきます。々々かあ。なんかカタカナみたいでもありますね。

柳本 自己紹介のときとかあいてに余計な心的ショックあたえたくないから、今でも柳本です、ってさらっということにしてます。

安福 心的ショック(笑)。

柳本 出オチみたいになるので。やなぎ・ほん、っていう柳・本でもよかったんですけどね。ただ、ホンさんってちょっとアジアになっていきますからね。

安福 アジアになりますね(笑)。

柳本 やぎ・もと、とかね。まあそもそも、やぎがおかしいんですよ。柳はやぎじゃないんだから。

安福 ああ、そうですよねふしぎですね

柳本 先祖がかってによみにくいって抜いたらしいんですよ。

安福 えっ、そうなんですね!

柳本 もうめちゃくちゃなことになってますよ、みょうじもなまえも。

安福 めちゃくちゃから生まれた々々ですね。

柳本 ……!?

【だぶだぶの価値について】

安福 「あとがきの冒険」や「フシギな短詩」で取り上げていた岩田多佳子さんの川柳なんですが。

柳本 はい、句集『ステンレスの木』ですね。

安福 あの句集って木だけじゃなくて、水も出てきますよね。あ、そういえば、やぎもとさんは水をめぐって野間幸恵さんながや宏高さんのも書いてましたよね。

柳本 短詩で水ってなんか重要なキーワードみたいですね。たぶん、水って濡れると形質がもとにもどらないそういう宿命観みたいなものがあるのと、あと水ってどこにでもいけちゃう柔軟性や越境性をもってるからだとおもうんだけど。それは野間さんとながやさんから学んだことです。

安福 うん、水ね。それで、岩田さんの句集の水の句なんですが、

  産まれたわ四十トンの水と朝  岩田多佳子

でその前の前の場所に、

  満水のサクラ並木の栓を抜く  岩田多佳子

こういうふうにあって、木が水になっていくのかなって思いました。木と水って字似てるなってこの前気付いたんですけど、岩田さんもそんなこと考えたのかなって。

柳本 世界の根っこにあるものとしては木も水も原理的な形質ですしね。

安福 ええ。最後の方に水がでてくるのが気になったんですよね。木になれない木が水になるのかな。

柳本 この句集ってなんていうかな、人があんまり出てこないんですよね。出てきてもないがしろにされちゃうというか。この句集の跋文を書かせていただいたんだけど、書いているときはずっとエコ文学批評みたいなものを意識していました。思い出していたとういうか。あとよく南方熊楠のことを思い出したり読んだりしていました。

安福 この句集、木→林→森と木を植えていったけれど、木って木になれないやつとかでてきて、更生施設にいかせたりするからめんどうだなって気付いてステンレスを使うんかもって思いました。

柳本 この句ですね、

  木々になれない木の更正施設  岩田多佳子

これはじめみたときヤンキー句なのかなあって一瞬おもったけど、でもやすふくさんの解釈がいいと思いますね。エンジンの木の句ありますよね。

  エンジンの掛かったままの木が並ぶ  岩田多佳子

これ読んだとき、ハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』って戯曲を思い出したんですよ。ハムレットが革ジャンを着てバイクに乗るやつ。あるいはカウリスマキの映画『ハムレット』を。あれは現代の設定でテレビに首をつっこんで死ぬひととかたしか出てくるんだけど、そういうデジタルパンクというか。

安福 あ、そうそう。『ハムレット』といえば未亡人がでてくるけれど、

  だぶだぶの着物で立っている歴史  岩田多佳子

を読んだとき、なんか怖い句だなっておもったんですよ。そしたらやぎもとさんが「あとがきの冒険」で亡霊のことを話していて、「はっ」となりました。この句、未亡人に亡き夫の着物を着せられる未亡人の新しい恋人みたいって妄想しました。「はっ」として未亡人の妄想してしまいました。

柳本 ああなるほどね、着せられてる感なんだ。だぶだぶって。合わない服を着せられるとき、ぴっちりかだぶだぶだものね。しかもこの歴史って私的な歴史っていうかそういう恋人みたいな場合があるのか。こわいですね。それは。「だぶだぶ」ってそんなふうにみると恐怖が生まれる場合があるんだ。おそろしいだぶだぶですね。でもひとってひとの「だぶだぶ」を理解しえないですよね。そのひとが誰とであってどんなふうに生きてきたのかなんてわからない。ひとと出会うとそういうだぶだぶと出会うこともあるんだ。たとえば誰かと出会ってもそのひとがどんな「だぶだぶ」をもっているかなんて理解しえない部分もあるんだから。だんだんいい感じでおそろしくなってきましたね。これは。まいったなあ。…………。

安福 ……だぶだぶの価値かあ……。

柳沢 ……価値かあ。

安福 あの、すいません、柳沢さんって……誰ですか。



(後編の「幸福について」に続く)


《附録:青春の映画10選》

【安福望の日本映画10選】
1、岡本喜八「殺人狂時代」
2、吉田大八「桐島、部活やめるってよ」
3、川島雄三「洲崎パラダイス赤信号」
4、黒沢清「CURE」
5、横浜聡子「ジャーマン+雨」
6、鈴木清順「陽炎座」
7、濱口竜介「ハッピーアワー」
8、三池崇史「殺し屋1」
9、深作欣二「仁義なき戦い」
10、渋谷実「悪女の季節」

【柳本々々の世界映画10選】


1、ダニエル・シュミット「ラ・パロマ」
2、ベルイマン「ある結婚の風景」
3、カウリスマキ「浮き雲」
4、タルコフスキー「惑星ソラリス」
5、キアロスタミ「桜桃の味」
6、アンゲロプロス「ユリシーズの瞳」
7、クストリッツァ「アンダーグラウンド」
8、キェシロフスキ「トリコロール 白の愛」
9、フェリーニ「81/2」
10、グリーナウェイ「フォールズ」





1 件のコメント:

  1. >だれかが傷つかなきゃ成立しない世界がある。防護服きて作業しないと成立しない世界。

    これはちょっと気持ち悪いですね。少なくとも原発は人間が作ったシステムで、人工物として誰かを犠牲にしているものであって、所与の世界ではない。

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