2016年8月26日金曜日

俳壇観測164回/平成二九年の俳句界 ――中山奈々を読みつつ明治・昭和・平成の三つの時代の俳句を考える / 筑紫磐井



(前略)

○平成二九年の俳句界

以上眺めたように(筆者注:正岡子規「明治二九年の俳句界」・角川書店「俳句」31年4月号特集「戦後新人自選五十人集」)、明治・昭和の二つの長い時代の俳句の世界を典型的に示す評論や選集があった。そして、それらは、今日我々が近代俳句史・現代俳句史といっているものを先導している。それが、二九年とか三〇年とかの、割合近い数字で現われたのは不思議な気がするが、やはり時代の精神はそれぐらい時間を経過しないと見えてこないのかも知れない。こうした偶然を考え合わせると、我々はそろそろ近未来の俳句を予言してもよいのかも知れない。恐らく一、二年の間に果たさないといけないのだろう。どこかの商業誌で是非企画して貰いたいものである。  

  
 さて、明治二九年、昭和三〇年の俳句界を眺めてみるといずれもそれは新人の登場と一致していることに気づく(人間探求派・新興俳句が入っていないではないかという批判はご容赦いただきたい。そうそううまく揃うものばかりではないからだ)。とすれば、「平成二九年の俳句界」には当然、新人が登場してよいはずである。果たして、この表題で新人は登場するのであろうか。

   *      *

 こんなことを考えているうち「俳句文学館」七月号で中山奈々が右の問題に関係しそうな「若手俳人の提言」という諧謔めいた記事を書いていた。諧謔めいた部分は除いても論旨ははっきりしている。中山は「若手が必要とされることは光栄である。しかしそう思われる方は、じっさいどれだけ若手を知っておられるだろう」と挑発的である。そして返す刀で、「期待される若手の皆さんに質問である。自分と同じ世代を除いた俳人を、どれだけ知っているだろうか」という(知っていることの証拠に俳句まであげてみろというのだ)。若手問題を論じていながら、若手も、若手を期待する側も、お互い無関心なのではないかという趣旨であろう、この問題の中核をもっとも的確に指摘している論だと思った。若手にも中山のような人がいることは心強い。

 しかしあえて反論させて貰えば、若手が知っている俳人という問いの答に間違いなくあがってくる中村草田男や石田波郷は、一度でも若手として登場したことがあったのか疑問だ。若手以前に「中村草田男」や「石田波郷」として存在してしまっていたのではないか、若手を経て草田男や波郷となったわけではないように思う。中山は諧謔の中で、「中山奈々を入れ忘れた方は不勉強」というのだが、若手俳人中山奈々などと言われているようでは、「平成29年の俳句界」にはまだまだ登場できない。登場した瞬間に、若手俳人などという形容詞は消えて、「中山奈々」として独り立ちして貰いたいものである。批判しているように見えるかも知れないが、恐らく中山の後半の論旨とそれ程違うことはないと思う。


付記:以上にあげた明治・昭和は新人と言っても三〇代であった事を忘れてはならない。平成の新人と言われている人も既に三〇代に突入している、それ程残された時間があるわけではないのである(中山も三〇歳を超えた)。



※詳しくは「俳句四季」6月号をお読み下さい。







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