パンフレットには「ごあいさつ」として館長の佐塚真啓による次の言葉がある。
二〇一二年開館しました本美術館も、二年という歳月。雨風に耐え、そして今年の大雪、あと一日降り続いていたらつぶれていたのではないかという自然の猛威に脅え、更なる進化をとげてこのたびの展覧会開催に至りました。
今回は「13日間のプレミアムな漂流」
道が整備しつくされ、いたるところに解説や注釈があふれ、自分の意志を超えたところですべてが調合されている現代。自分の意志を超えた大きな力によって流され、漂うという意味においては、過酷な漂流の真っただ中にあるのではないでしょうか。
私はそんな状況の中で、嬉々とし悠々と舵をきる人たちを知っています。
台風一八号、一九号の直撃に耐えながらも会期を終えたこの展覧会の作品の多くはしかし、展覧会後には処分されるのだという。たしかに、引き取り手のない巨大なオブジェや絵を保管・保存しておくことはなにより経済的に困難であろう。そういえば先日NHKの「新日曜美術館」で森村泰昌が中高生向けのワークショップを行っている様子が放映されていたが、そのなかで自らの作品を子どもたちと一緒にごみ箱に捨てるというパフォーマンスを披露していた。しかしこのような森村のパフォーマンスは、まさに「森村泰昌」という特権的な作家をしてはじめて許されるものであろう。森村の作品には買い取り手があり、また美術館という場所に適切な温度と湿度で保存されることもある。ときにそれは国家や地方公共団体の予算によって行われることさえある。だがこのようなごく一部の作家のそれを除いて、この世に生まれ出た多くの作品は日光や雨風にさらされ、あるいは展示後早々に廃棄されるのである。森村泰昌が自らの作品を廃棄するという行為に意味を見出すことができたのは、いわば森村が作品を廃棄されなかった経験を持っているからであろう(考えてみれば森村はまた、作品を廃棄するという一回限りのパフォーマンスを日本国の公共放送を担うNHKが録画して保存してくれるようなきわめて特権的な作家なのだ)。
一方、「国立」を偽装し「美術館」を偽装する「国立奥多摩美術館」の作品群はともすれば自らの手で廃棄する以前に自然の力によって破壊、流失されかねないものだ。そのような場所で、一〇月一一日、参加作家の一人である永畑智大と一夜限りのパフォーマンスを行ったのが俳人の渡辺とうふである。無所属で活動し、青梅市で「俳句リヤカー」なるものを引っ張って俳句を売っていたこの俳人の動静を知る方法はウェブ上の渡辺のブログ、あるいはツイッター(ユーザー名nishinarihaiku)しかない。しかし、かつてウェブサイト「詩客」に掲載された次の作品(「回天」)で渡辺の名を知った者もあるかもしれない。
マンブリーノの兜に掬う秋の水
あしながおじさんの部屋にふゆの蠅
ああ松島や松島や 愛してるぜ
日の丸よ日の丸よ赤いクレヨン
日の丸よ日の丸よ黒いクレヨン
日の丸よ日の丸よ白いクレヨン
日の丸よ日の丸よ世界中の画用紙よ
日の丸よ日の丸よあばれだすクレヨン
日の丸よ子供たちよクレヨンの全色よ
日の丸の如き枯野人アフリカ人
伊一六五潜水雷長入沢三輝大尉よ
海軍工廠魚雷実験部の冬
歳時記へと向って進む冬の人間魚雷
ああ松島が松島が 燃えている
洗面器の水に冬の蠅の最期
しかし、渡辺の本領はこの作品のコメント欄に記された膨大な量の俳句にこそある。
すぬーぴーがこしかけているいちじていせん
あのすぬーぴーではありません
助手席には風しか乗せないすぬーぴー
おんがくしつにわすれものしたすぬーぴー
鉄アレイみたいにむりょくなすぬーぴー
あなたのおもいでのすぬーぴーよ
生れたてなのにすぬーぴーです
あらためてあらためてすぬーぴーです
彼女はきょうはずいぶんとすぬーぴー
すぬーぴーがわるいにきまっている
これはほんの一部である。「回天」に対するコメント欄に渡辺自身がこうした自動筆記的ともいえる作品を大量に投稿しているさまには、一種の狂気すら感じられる。だがこれこそが渡辺なのだ。
「過酷な漂流の真っただ中」にあって「嬉々とし悠々と舵をきる」者のありようとは、たとえばこういうものなのではあるまいか。そして今回の展覧会ではそうした渡辺のありようがより先鋭的に表出されていたように思う。
一階と地下一階に分かれた会場のうち、一階最奥の、屋根こそあるが床も壁もないガレージのような場所―おそらくはかつてそこを製材所の車両が出入りしていたであろう場所―に永畑の作品はあった。屋根から針金で吊るされた巨大な女の人形が目を引く。ガムテープでつくられたこの女の関節は奇妙に捻じ曲げられ、電動ドリルの埋め込まれた鼻はぐるぐると回転し、目と舌はとび出している。女の腹からはまた小さな人形が吊るされ、鼻と連動するようにぐるぐると回転を続けている。手元のパンフレットには蜷川千春による次の解説がある。
永畑の作品は「具体と飛躍」である、彼の造形物には「らしさ」が潜んでいる。新聞やガムテープ、発泡スチロールなどを主な造形素材とし、現れた形体は人体、女神、頭部など、一見して誰もがそれとわかる具体形体を持つ。その反面、それらの造形物には永畑が集めた日用品や工業用品、家電などとの組み合わせ、あるいは動力装置によって与えられた動きにより、それまで感じ取っていた「らしさ」から飛躍し、私たちの推測を裏切る。
しかし、私たちが感じ取る「らしさ」の確定要因は何だったのか。それは作品へ向ける眼差しの中に親しみを含み、日常的な場での行いが地続きに持ち出されているからであろうか。(傍線原文)
周囲には渡辺の俳句が書かれた短冊が散らばっているが、剥き出しの基礎や廃材のようなもの、廃棄するまでとりあえず置いてあるだけの作品、さらには土や石や植物が混然となったこの場所ではいったいどこまでが作品なのかは判然としない。午後五時四〇分、二人のパフォーマンス「奥多摩に流れ着いた男たちの詩」が始まった。すっかり陽は落ちて、会場脇の都道一九三号線を行き来する車やバイクの音がときおり聞こえる。
はじめに原付に乗った永畑と渡辺が登場する。永畑は股を広げた人形の付いたヘルメットをかぶりパンツ一枚である。渡辺は乳首と臍のようなものが触手のごとく伸びたコスチュームを身に着けている。先ほどの女の人形の周りをぐるぐると巡りながら永畑が「秋の夜」とつぶやく。渡辺は金属バットで地面をこつこつ叩きながら「いろはすだろ」と返す。やがてそれと呼応するように「いろはすだろ」という女の声がする。金属バットから鹿の角に持ち替えた渡辺は「いろはす」を却下すると、
「『だいたいが』、そうやろ。…『だいたいが秋の月など』」
だが永畑が「秋は季語だろ。季語を工夫したほうが」と言うと、渡辺は少し声高になって言う。
「『だいたいが秋でもないし』」
そしてまた、
「『だいたい』というところにどういう字をあてるか考えろ、考えろ、漢字かカタカナかローマ字かギリシア語かロシア語か」
だが永畑の「だいたいにはもう飽きたし」という言葉に、再び女の「だいたいにはもう飽きたし」という声がする。渡辺はまた「だいたいにはもう飽きたし鹿の角」「だいたいにはもう飽きたしサングラス」などと呟きつつ、ガムテープを地面に貼りつけるとそこへ「だいたいがもう飽きたし」と書きつける。渡辺がこちらにやってくる。長く伸びた乳首のようなものをこちらに近づけ下五に当たる言葉を訊いてくる。すぐ隣で「言葉がないのかあんたには!」と渡辺の叫ぶ声が聞こえる。やがて観客から言葉が出てくる。
「米をとぐ」「ガムテープ」「終わらせろ」「次は何」「トイレ行こう」「寒くないですか」「春だし」「こんにちは」「秘宝館」「舌を噛む」「さようなら」「乳首みょーん」「シクラメン」…。ときおり歓声や笑う声がする。一通り聞き終えた後で「インスパイアされた?」という永畑の言葉に「命に関わるよこの五文字は」と苦笑する。再び人形の周りをぐるぐるとまわりながら、渡辺が喇叭とハーモニカを吹き始める。すると永畑もギターを弾き、歌い始める。
「だいーたーいがーもうー飽きたしー」
やがて観客も一緒に歌いはじめると、渡辺は縄をもってふらふらと踊るようなしぐさを始める。たった今渡辺が「だいたいがもう飽きたし」と書いたガムテープが足で踏みつけられ、足の裏に貼り付くが、渡辺はかまわずずるずると引きずっている。
さて、永畑が「もういいだろ、正解は?」と聞くと、渡辺は乳首を女の人形の口へとマイクのように向ける。しかし声がない。すると突然渡辺は土下座し、女に向かって言う。
「俳句じゃなくてすいません!すいません!俳句なんかやってなくてすいません!」
やがて永畑に促されるようにして二人は帰る。未練らしく何か言いあっている。足には先ほどのガムテープがまつわりついている…。
僕は渡辺が引きずっていたガムテープが気になってしかたがない。あんなふうに自らの俳句を足蹴にし、踏みにじり、しかしどこまでも執着するということが、たしかに僕にもあったような気がするからである。しかしながら、僕はまた、あそこまで格好悪くなる前に、僕はその執着を無かったことにしていたような気もする。渡辺は「俳句じゃなくてすいません」と言っていた。これは誰に謝っていたのだろうか。あの人形の女に?そうではあるまい。「俳句」に対してであろう。あるいは僕やあなたに対してであろう。たしかに俳句はいつでも私たちを待ってくれるのかもしれないけれど、その待っている場所にどうしても辿りつけない者や、その辿りつけないということに対してどうにもならない後ろめたさを抱えている者もいるのだ。渡辺がさらけ出したのはこの後ろめたさなのではあるまいか。
飯島耕一は「探す」という詩で次のように書いた。
おまえの探している場所に
僕はいないだろう。
僕の探している場所に
おまえはいないだろう。
この広い空間で
まちがいなく出会うためには
一つしか途はない。
その途についてすでにおまえは考え始めている。
けれど、その道が見えていてもどうしてもそこを歩くことを躊躇してしまう者だっている。道が見えているのに、その道を歩くことのできない自分に後ろめたさを感じている者だっている。あるいはこう言えばいいだろうか。古谷実は漫画「ヒメアノ~ル」で女性の首を絞めることで性的興奮を覚える男の姿を描いたが、その男が自分の抱え込んだそうした業を自覚したとき涙を流していたのを、僕は忘れることができない。彼は許されてはいけないし、彼は否定されなければいけない。それゆえに彼は苦しいが、だからといって彼を許すことは彼にとって救いになるのだろうか。むしろ徹底的に彼を否定し許さないという覚悟をもって彼と対峙することこそが、彼と誠実に向き合うということなのかもしれない。安易な許しや肯定ほど、彼にとって侮辱的なものはないのではないか。「渡辺とうふ」とは、こうした後ろめたさを抱え込んだまま俳句をつくり続けている者の謂なのである。
僕たちにはこんなふうに俳句をつくることがあっただろうか。僕は渡辺の俳句を「これも俳句なのだ」というふうに妙に寛容になって受け入れようとは思わない。そういう寛容さをもってしては決して渡辺の俳句の本質は見えてこないだろう。渡辺の俳句に真摯に対峙するということは、たとえば渡辺の営為やその作品を完膚なきまでに否定するということだ。そもそもこの渡辺のパフォーマンスの無意味さは何なのだろう。こういう営為を前にして僕たちが心を動かされたとか、考えさせられたとか、そういう言葉を安易に口にするのなら、それはきっと嘘だ。あるいは都合のいい逃げ口上だ。渡辺の俳句とは、きっと「これも俳句だ」と評し、許すような、妙に大人ぶった優しげなまなざしからは決して見えてこない何ものかを抱え込んでいる。渡辺の見せたものは、いわば「これは俳句ではない」という断定と、それと裏表をなす「これが俳句だ」というような―もっといえば「これだけが俳句だ」という命がけの断定である。ならば、そうした断定を前にしたとき、たとえば強い嫌悪感や拒否感を表明することこそ、むしろ僕らの目の前に突き付けられたものに誠実であるということなのではあるまいか。
結局、この二十分あまりのパフォーマンスにおいて「俳人」たる渡辺は俳句をひとつも完成させることができなかった。それどころか、「俳句じゃなくてすいません」と土下座さえしているのである。このパフォーマンスの気味の悪さは、途中までは「俳句」なるものについてあたかも僕たちの自明のこととしている認識の枠組みに寄り添うかのように見えたところにある。現に、僕たちは、変則的な韻律ながら「だいたいがもう飽きたし」の後に続く下五を探し、それによって「俳句」をいとも簡単に完成させようとしていたではないか。あのとき、こんなふうにすればみんな「俳句」をつくることができるのだと信じた瞬間があったではないか。けれど、もしも僕たちの知っているその「俳句」とどうしてもにこやかに手を結ぶことができない自分に気づいてしまったとしたら、そのとき僕たちはどうしたらいいのか。渡辺はそれを問うているのだ。
偶然にも先ごろツイッター上で作句法に関する議論があった(「俳句の作り方 12音+季語?」)。また総合誌においても下五や中七の穴埋めを行なうような企画が立てられこの種の方法の効用や楽しさがうたわれることがあるが、そもそも、そのような営みの果てに「俳句じゃなくてすいません」と土下座する者がいるなどと、誰が想像できるだろう。僕たちはこの種の想像力を決定的に欠いている。僕たちは昨日も今日も俳句をつくっているし、そのことに何のやましさもない。いや、やましさがたとえあるにせよ、それは結局「俳句なんかやっている」ということに対する俗っぽい羞恥心や安易な自虐的態度に回収されてしまう程度のものにすぎなかったりする。また僕たちはそれを「それでも俳句をやっているのだ」と居直ることで解消しようとさえする。このような僕たちには、渡辺が立っている場所など思いも寄らないものであるだろう。だが渡辺はいまあなたの前に土下座しているのだ。「俳句じゃなくてすいません」―渡辺は自身の営みが「俳句」ではないものへと結果してしまうことを白状するとともに謝罪しているのだ。そしてまた、あなたに問うているのである。すなわち、この謝罪を前に、あなたはどうするのか。
外山一機と渡辺とうふ
thanks
The end マジで pic.twitter.com/2Kotd1Ji18
— 渡辺とうふ (@nishinarihaiku) 2014, 10月 16
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