『戦場に命投げ出し 従軍俳句・人と作品』
匪の白馬花野をわたる美しき 小田黒潮
壕に並ぶ敵遺棄死体草枯るる 小林清之助
敵死体の外套をとりてうづくまる 小林清之助
壕深く兵士落花生の如くあり 栗生純夫
雪の夜ややがて歩哨の白くなる 栗生純夫
匍ひすすむ手あげしは傷者みつけたり 片山桃史
射ちつくし壕すてざりし屍なり 片山桃史
胸射貫かれ夏山にひと生きむとす 片山桃史
人も砲も見る見る雪を冠りたり 小倉緑村
対陣の雪が野に降る壕に降る 長谷川素逝
みいくさは酷寒の野をおほひ征く 長谷川素逝
麦の穂にたふれしづみしが起きて駈く 長谷川素逝
てむかひしゆゑ炎天に撲ちたふされ 長谷川素逝
かをりやんの中よりわれをねらひしたま 長谷川素逝
小孫子(シャオハイツ)老婦(ラオフ)もスパイ杏売る 堀川静夫
長き夜や壁ぷすぷすと弾丸を噛む 堀川静夫
砲身は灼けて時雨をはじくなる 堀川静夫
枯草に血はとくとくととめどなく 堀川静夫
街滅び向日葵金を全うす 吉田忠一
傷兵の銃執り迫る敵を射つ 吉田忠一
狙撃弾一兵の死を守るときも 吉田忠一
手榴弾擲ぐる姿勢を咫尺に撃つ 吉田忠一
くさむらがみなしのびよる敵と見ゆ 吉田忠一
筆みだれ終らぬ遺書に縡(こと)きれし 岡本圭岳
幾柱あるひは雪の戦歴も 岡本圭岳
白菊のそれよりしろき病衣にて 岡本圭岳句集をまとめる価値のある、力量のある作家たちだけに、リアリズム、象徴、諧謔など従軍俳句でなければ見えない作品が上げられる。普通にはこれらが従軍俳句として例に挙げられる作品であろう。しかしそれだけではないこともいっておかなければならない。
『ある俳句戦記・・詩華集にみる従軍俳句』
右手はや右腰足も砕かれし 加藤紫浪
ポケットの籾も尽きたり餓ゑて撃つ 松隈青壺
うすやみに金属吾が身に冷え来る 人見直鉄
娘らは避難に雛は略奪に 三条羽村
たたかひは蠅と屍をのこしすすむ 属朔夏
向日葵やとりかこまれて捕虜稚き 籾城信二
土匪を追ふおこりに銃の定まらず 北岡景窓
馬肉人肉あさる犬らよ枇杷の花 奈良部藤花
土匪銃殺
土匪斃れ蓬の花をつかみけり 東軒生露
遺棄体に葱のとがりし影がある 山田吉彦
敵弾は前に落ち来て日の彩(いろ)が 山田吉彦
箱の骨ごとりと音す枯野ゆき 清水皅志芽
弾道が菜の花畑を真一文字 木崎迷哉
弾丸の来るはあのアカシヤの咲く丘ぞ 堀川静夫
突撃の喇叭喇叭や霧の中 川口葭味
家焚いて酷寒の暖とりにけり 久野一仙
朝焼に両手を挙げて両手射たれたり 奥沢青野
戦死者も焼け下萌も焼かれけり 小林松壽
合歓のかげ銃うちまくり裸なる 武笠美人蕉
灼くる天流弾ながき音を曳けり 小島昌勝
敵機燃ゆ大き夕焼の中に燃ゆ 小山葉秋
米比俘虜蜒蜿として炎天下 堀川静夫
難民の廃墟にあさる土器の籾 新開少尉
突撃す瞳孔うるみ血飛びぬ 高見周造
敗戦の焦土戦術きび燃ゆる 森岡曹長
椰子の根に倒れて最早屍なり 山本ちかし
工兵のうるしの如く日焼けたり 西尾亜木
春泥や便衣の多き敵死体 阿部黄梅(便衣=民間人の服)
轡虫彼我の砲撃絶えてより 亀井輝男
夏草を握りしめ負傷の痛みに耐ゆ 山本正彦この集には無名の従軍兵士の作品が多い。その意味では技法的に前の俳句集にやや劣るようにも思われるが、さまざまな戦場のシチュエーション(民間人殺害、家屋放火、スパイ処刑、死体の放置、断末魔など)は我々の想像を超えるものもあり、そうした状況が技法を越えて鑑賞に値する作品を創り出しているように思われる。本当の戦争とは何なのか、批判するのはたやすいが、戦争とは何か、そして戦争を見つめる目は何であり、それは人間としてどのように受容すべきかが浮かび上がってくる。
『大東亜戦争俳句集』
明日はまた明日なりと兵等花を蒔く 岩原茶子
我が上に夏星のある野糞かな 上田尚一
ここに攻め敵の血塗りし蚊帳に寝る 大村杜六
軍務にも慣れてこのごろ蚊にも慣れ 大村五代
向日葵の炎ゆるに堪へて痢を秘むる 原まこと
乏しさに寒さに耐へて民の春 原田凡平
湯婆やいくさおもへばねむられず 林田柴古
囀や草に投げ出す仮義足 播間友蔵
鈴虫や何も思はぬ夜の欲しく 藤本夏包
コレラ怖づ死なば弾にと思ふ身の 福島良夜
英霊も去り夕顔も開花終へにけり 福澤孝子
戦争百年小庭の芋のさかりかな 福留奈鹿翁
夏足袋をはかす恩賜の義足かな 前田たけわ
帰さねばならず外套著せてやる 松尾静子
火蛾舞へば亡き妻のこと母のこと 三谷蘭の秋
兵楽しバナナの樹々にのぼりをり 南三濤
街はしる戦車の塵も春なれや 村瀬紫浪
第二国民兵訓練
炎天や茫然と見し蟻の列
召されたる愛馬(あを)ぞ麦田を刈り急ぐ 吉岡荘枝
日焼手や鰈の如き表裏あり 渡辺こうみ
日本名に改められし島の春 渡辺隣人この句集では、前の二つの俳句集の持つリアリズムに比べ、生活の中の比較、それにより生まれる諧謔や皮肉な目が際だっている。これは意図したものではなくて、編者河野南畦の嗜好も働いていることと思うが、前の俳句句集で拾い洩らされた視点が浮かび上がる。
特に興味深いのは、『大東亜戦争俳句集』には多くの著名俳人が作品を採られており、次のような作品があげられる。
皇国の大き深冬に真向へる 東鷹女
おおみことかしこし冬天ただ邃し 臼田亜浪
一万六千の英霊に灯を寒の雲 加藤楸邨
国の秋測り知られぬ力あり 高濱虚子
冬日寂と聖天子戦ひをのらしたまふ 瀧春一
いくさして富士美しき国の春 富安風生
しろがねの柩征く南十字星(サザンクロス)涼し 内藤吐天
あまつ神の御戦かな事始 長谷川かな女
飛雪の中大きみいくさを吾は知りぬ 橋本多佳子
シンガポール陥ちぬ春雪の敷く夜なり 水原秋桜子
わが島根寒月照りて侵し得ず 山口誓子
神の梅かくも真白し勝たでやは 渡辺水巴いずれも風格のある見事な俳句であるが、生々しい人間を感じさせるものではない。その意味で、上に掲げた無名の作家たちの従軍俳句の迫力には叶わないのである。[注]
同様のことは、『ある俳句戦記』の中の胡桃同人社編『聖戦俳句集』の末尾で、深田久弥、佐藤惣之助、尾崎士郎、川口松太郎、岸田国士、小島政二郞、石川達三、吉川英治等が作品を発表しているが、これら従軍作家の作品を、阿部は「みな耳目に触れただけの景で内からつきあげるものがない。生死に関わる命の声がない。切迫したものがない。それは、俳句にとっては、決定的なものの一つである。俳句は、技術がなければ表現できない。方法も必要である。その前に、多くの言葉を使いこなし、詩的なフレーズを作ることも必要である。しかし、そうしたものがあっても、体験を通して、内からつきあげる命の声がなくては、どうしようもない。小手先のテクニックだけでは、どうしようもないのである。従軍作家の俳句と比べて、従軍兵士の俳句が生々しいのは、そうした違いによるのであろう。戦闘によって死ぬだけではない、相手を殺すのである。それが、戦争だと肯定してみたところで、仇討ちだといってみたところで、どこかに人間の心情を押さえこんでいるとはいえ、相手を殺す兵士にとっては、ただならぬことであり、それによって自らも傷ついて行くのだ。従軍作家には、そうした精神の傷痕がないのである。」と述べている。全く同感である。
[注]例外が感じられたのは、前田普羅の次のような作品であった。同時代の作家たちと異なる、特別な感性や文学意識があったように思われる。
戦へる闇きになれて端居かな 前田普羅
いくさ長期木々の冬芽の浅みどり 前田普羅
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