2017年12月8日金曜日

【読み切り】BLOGは永遠か?——S夫妻のこと   筑紫磐井

 現在このBLOGを始め、俳句関係のBLOGが沢山更新されている。しかしこのようなBLOGはどのぐらいつづくのだろうか。人の人生と,BLOGの寿命はどちらが長いのだろうか。

 私の職場の後輩が長いこと(10年以上)がんを患って治療をしていた。家では妻の看護を受け、職場に時々通う生活を送っていた。ほとんど人のいないオフィスで、ひっそりと仕事している彼を見たことが何回かある。
 彼の妻は割と知られたイラストレーターだった。はじめから美術の専門家だったわけではなく、趣味が嵩じてプロとなったらしい。宝くじの背景の図案を描いていたから、その絵は多くの人がかつて見たことがあるはずであり、何枚かは今でも記憶に残っているはずだ。メルヘンティックな絵であり、確かに宝くじにはふさわしい夢のある図案であった。
 夫の看護を続けながら、その妻が2005年からホームページを始めた。
 直後不調を自覚し、やがて6か月後に妻に小腸がんが発見され、ホームページにそれは掲載された。
 以後身辺をホームページに記載し続けた。二人に子供は無かったので、ペットと絵と病気の話題が多かった。
 余命は1年と宣告されていたが、2006年、2007年、2008年と記事はつづいた。
 最後の記事は2008年12月23日、イラストレーターらしく、例年クリスマスには自分の描いた画を掲載していたが、その時はそれも難しくなっていたらしく、旧作を掲げて謝っていた。それが最後の記事になった。
 妻の死後、夫(つまり私の後輩)が、その後の妻のようすを1か月分記録している。
 年明けと共に食欲もなくなり、外出も出来なくなり、歩くのも不自由になり、意識も薄れて行ったそうだく。
 病院でみまかることは望まないだろうという妻の意向を夫が推測し、最後まで自宅で看取った。
 そして2009年1月のある朝、妻の寝息が消えかけているのに気づいた。脈もほとんど途絶えていた。
 当初の余命予測に比較して、3年近く生き延びたことになるのは、自分もがん患者である夫の看取りがあったからだろう。BLOGから、妻の没後の夫のなまの言葉を転載する。

 「このブログを開いた直後に、10万人に一人という小腸がんにかかっていることがわかりました。
 しかし、妻は、このブログをやめることなく、3年余りの治療生活の間、作品の発表を続けるとともに、各記事のコメント欄をお読みいただければおわかりのように、多くのブログ仲間と親交を深め、交流の輪を広げていきました。
 このブログを通じて、ブログ仲間に支えることにより、治療生活が続けられたというほうが正確でしょう。」


 2009年秋、夫が中心となり遺作展をギャラリー日比谷で開催した。画集は闘病中に刊行したが、未だ個展を開いたことがなく開きたかったという妻の遺志に沿うものであった。1000人近い入館者があり好評であった。
 この遺作展の好評を受けて、夫は、2010年秋に、第2回の展覧会(友人との「三人展」)を開催準備することとした。
 準備は順調に進んだが、途中体調不調を訴え入院し、展覧会の開催1か月前に、夫はがんで死亡した。
 2010年秋、仲間たちにより第2回の展覧会が開催された。
 夫の亡くなる直前の日記を転載する。

 「ちちなみに、現在のところ、ほぼ外見上は「元気」です。
 さすがに筋力は低下していますが・・・
 ということで、「わざわざ」お見舞いにきていただく必要はありません。恐縮してしまって、若干、迷惑な感じすら覚えそうです。
 ちなみに、がんという病気の場合、症状が出始めるのが最後の数ヶ月前で、最後の一月ないし半月で急速に悪化するというのがほとんどですので、いま「元気」なのは当然ですが。
 病室にパソコンなどを持ち込んで、三人展関係や、死後の後始末の準備(本人しか頼れそうにありませんので)をしていますので、入院患者としては、忙しいのですが、やはり「暇」はかなりありますし、たまには気分転換に看護師さん以外の「顔」を見るのも悪くはありません。
 ということで、「近くにきたついで」ということならば歓迎します。ただし、面会時間は午後7時までですから、会社帰りは無理でしょう。」


 妻のホームページの日記をみると、最後まで淡々とした生活が描かれている。
 最後の数年は、夫は妻のためにあったようである。
 まわりに迷惑をかけることもなく、周囲の友人たちもこの夫婦を温かく見守っていた。
 未だに妻のホームページの日記は見られるし、別のページでは展覧会の準備をしている夫の記録も見られた(ホームページに夫ははじめ興味がなかったようだが、妻の死後、妻のホームページを更新したり、自分でも始めたりしている)。
 今年、その夫の7回目の命日を迎えた。
 彼の名前は、もう職場でも忘れられかけているが、ホームページだけは妻の死後8年間ものこり、彼女の作品を燦然と輝かせている。

(妻のホームページは現在も開かれている。のみならず様々な彼女の作品も眺めることが出来る。しかし余り広く公開する性格のものではないような気がする。もし、関心のある人がいればURLをお知らせするので私までご連絡願いたい)

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