2021年5月14日金曜日

【抜粋】〈俳句四季5月号〉俳壇観測220  隔離と差別の悲劇——一年を経過してコロナを考えてみる  筑紫磐井

 コロナの影響

 コロナが発生してから一年たつ。感染者数は、第1波・第2波・第3波と現れているので、そのピークを見てみよう。ここでは、数字は全国平均ではなく東京を選んだが、マスコミでも東京の扱いが大きいためである。

第1波 206人(4.17)

第2波 472人(8.1)

第3波 2025人(1.7)

 これは各波のピーク人数と日付を示しており第3波はすさまじい。では第3波は完了したのであろうか。感染症はピークではなく、波がどう続くかが大事だ。300人超(土日を除く)の感染者を見てみる。第1波は300人を超えることはなかったから波とも言えなかったかもしれない。第2波以降はすさまじい。

第2波 300人超 7.23~8.20

第3波 300人超 11.11~3.7

 第2波は1か月、第3波は4か月続き(現在も続いているだろう)、リバウンドを考えるとコロナは終焉の兆しも見えないのである。

     *

 では俳句への影響はどうなっているか。私の手元に、或る俳句協会の地方支部の詳細な活動(令和2年度事業報告)が届いた。会議の6件は中止、俳句大会の3件は通信又は中止だそうだ。今後の年度内の予定は、会議は未定3件。平成3年度事業予定も12件というがこれらは今では見通しもつかないであろう。その一方で会員数も激減しているという。不思議なことに財政は黒字だそうである。まがりなりにも会費は集まったが事業をしないから支出がなく、差し引き黒字だと言うのである。これは笑うに笑えない状況だ。

    (中略)

感染症の歴史

 コロナに匹敵する感染症は百年前に流行したスペイン風邪と言われている。栗林浩が「コロナ禍と俳句あれこれ」(「現代俳句」8月号)でスペイン風邪の文学への影響をあげており、芥川龍之介、久米正夫は自身が罹患、与謝野晶子は多くの子供が罹患した。大須賀乙字はスペイン風邪で亡くなったと言う。ただ栗林が挙げる資料では割りとみなのんきであり、コロナに比較すべくもない。川端康成などスペイン風邪を避けて出かけた伊豆の旅行で「伊豆の踊子」を書き上げたと言う。

 一方、スペイン風邪に先立ち、何度も繰り返し発生したのがコレラである。

  コレラ怖じて綺麗に住める女かな

  コレラ舟いつまで沖に繋り居る

  コレラの家を出し人こちへ来りけり

 虚子もこんな句を詠んでいるが、これらもどこか緊迫感は薄い。

 むしろ、コロナに匹敵する悲劇を生んだのは結核(肺病)ではなかったかと思う。徳富蘆花の『不如帰』は浪子と武夫の悲恋で有名であるが、モデルとなった大山信子(大山巌元帥娘)と三島彌太郎の実話では感染を恐れた彌太郎が離婚を言い渡し、大山家の激憤を買ったと言う。

 俳句に縁の深いところでは、寺田寅彦の妻夏子が妊娠と同時に感染し、高知に住みながらも隔離され寅彦と会うことができなくなった。寅彦は後年、名品「團栗」でその若く美しく無邪気な妻のこの時の思い出を語っている。

 高知での夏子はその住む家の大屋から、肺病患者は家におけぬと言う理由で追いたてをくい、その後移転を決めた桂浜でも同じクレームを受け心労する。肺病に対する当時の差別意識は凄まじいものであった。この時駆け回ってくれたのが寅彦の老父であった。

 やがて東京に戻った寅彦は、結局夏子の最期を看取ることはできなかった。

 ただ言っておきたいのは、夏子を夫や子供と隔離しても、父母も、寅彦も、いや夏子本人も不思議と感じていないことだ。不合理なことである。しかし、肺病にはこうしたエピソードが数知れずあった。病気の恐ろしさ自身もあるが、隔離と差別――これこそが最大の悲劇であった。

※詳しくは「俳句四季」5月号をお読み下さい。


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