沖山隆久・沖積舎
7月号で松尾正光氏、10月号で宗田安正氏を紹介したが、この他にも俳句界の伯楽の役割を果たした人は多くいた。松尾氏、宗田氏もそうだが単に俳句関係の出版にかかわったと言うだけではなく、俳句のあるべき姿に対する理念と(収益を越えた)義務感があることが伯楽の条件だ。今回はそうした人を若干紹介しておこう。沖山隆久氏と齋藤愼爾氏だ。松尾氏、宗田氏がそれぞれ東京四季出版、立風書房という中堅出版社の社主や編集長であったのに対し、沖山氏と齋藤氏は個人出版社と言う点が大きく違う。
沖山氏は沖積舎の代表であり、昭和49年に創業し今年で50年となる。この夏その沖山氏から「沖積舎の50年」というパンフレットを頂いた。既に、43年目、45年目の節目でパンフレットを出している。沖積舎と言えば俳句関係の著書、特に全句集が有名であるが、実は文芸出版社と銘打ているだけあって、短歌、詩、小説など広範な分野のものを取り扱い、二千点近い刊行を行っている。
俳句だけに限ってみると、渡辺白泉、西東三鬼、篠原鳳作、高屋窓秋、横山白虹、平畑静塔、日野草城、伊丹三樹彦、楠本憲吉、阿部完市、渋谷道、橋間石、永田耕衣、安井浩司、高柳重信、加藤郁乎らの全句集を出している。更に戦後世代の坪内稔典、夏石番矢、西川徹郎、攝津幸彦まで出している。こうみると、いわゆる新興俳句・前衛俳句系のものが多い。こうした前衛系や若手の全句集が目立つのは他の出版社では手を出せないからだ。これらの作家はとても結社の買取りや流通に乗りそうもないのである。とすればこれらの本は良書と言うしかないであろう。その証拠に多くの賞を受賞している。
実は私も、『楠本憲吉全句集』『加藤郁乎俳句集成』『攝津幸彦全句集』『車谷長吉句集』などでお世話になったし、若い作家たちでも沖積舎のお世話になった人は多いであろう。ただ「沖積舎の50年」の資料を見ると45年以降の五年間でわずか九点しか出ていないのは寂しかった。パートナーである伊丹啓子氏によると二〇一九年頃から沖山氏は難病を発症しているらしい。それ以前はよくお会いしていたが最近会えなかったのはコロナのせいばかりではなかったのだ。
齋藤愼爾・深夜叢書社
齋藤愼爾氏は深夜叢書社の代表であり、同社は昭和38年に創業しており、平成25年に創立50周年の会を開いているから沖積舎の大先輩に当たる。「深夜叢書」と言う名称はフランスのレジスタンスの拠点となった雑誌であり、齋藤氏の志のよく分かる名称である。刊行点数はリストから計算すると五〇〇点ぐらいで沖積舎に比べると多くはないようだが、刊行した著者の顔触れの中には、春日井健、塚本邦雄、高柳重信、清水哲男、寺山修司、三橋敏雄、楠本憲吉、唐十郎、吉本隆明、倉橋健一、島尾敏雄、大岡昇平、松村禎三、徳川無声、五木寛之、宗左近、鶴見俊輔等各界の多彩な執筆者を抱えているのが特徴だ。もちろん一方で、多くの新人の発掘もしている。
この他齋藤氏は、深夜叢書社以外の多彩な出版社から自ら著書・編書を持ち、小説・対談・連載コラムで活躍していた。理由は、同業の人からも「深夜叢書刊行の本は全然といってもいいほど売れない」(田中伸尚)と言われており(深夜叢書社から本を出させていただいた私から見てもあながち間違っていないような気もするが。もちろん、瀬戸内寂聴などの大ブレークする本もあるのだが)、こんなこともあり、結局、社主自らが健筆を奮うのである。例えば、ゴルフ雑誌の編集を長いことしていたり(齋藤氏自身はゴルフが大嫌いらしい)、週刊朝日でレコード評をしていたりする(三一書房から『偏愛的名曲辞典』を出している)のは実に意外で面白い。そしてそれが決して片手間でないことは、特に評伝で定評があり、『寂聴伝』『続寂聴伝』があり、美空ひばりを論じた『ひばり伝ーー蒼穹流嫡』で芸術選奨文部大臣賞を、山本周五郎を論じた『周五郎伝ーー虚空巡礼』でやまなし文学賞を受賞している。ちなみに東京四季出版から出た『吉行エイスケの時代』も忘れがたい名著だ。
俳句における業績としては「アサヒグラフ」増刊号の俳句や短歌の数次にわたる特集、朝日文庫「現代俳句の世界」16巻、三一書房の「俳句の現在」16巻、ビクターの「映像による現代俳句の世界」がある。昭和後期に俳句を始めた青年たち(いまでは70代になってしまっているが)に衝撃を与えた企画はこのようにみな齋藤氏が関与していたのである。最近の例で言えば、『20世紀名句手帳』全8巻があり、明治の子規以来の一万六千句を選した叢書である。伯楽の極めつけと言ってよいだろう。もちろん宗田氏同様齋藤氏も俳人であり、『夏の扉』『秋庭歌』『冬の智慧』『冬の覉旅』『永遠と一日』『陸沈』等があり一流の作家であることは言うまでもない。
(中略)
こんな齋藤氏であるが、最近体調が思わしくないのが気にかかる。俳句四季では「名句集を読む」対談シリーズが10年近く続いていたが最近これから退かれた。読者作品の「四季吟詠」の選者も降りられ、夏井いつき氏に交替された。また4年に一度の芝不器男俳句新人賞の選考委員は創設以来続けられていたが、今回は急遽欠席となった。深夜叢書社の出版物は、この夏にも井口時男『その前夜』、星野高士『混沌』と順調に刊行されているが、齋藤愼爾というコーディネータの見えてこないことが寂しいのである。
考えてみると、俳句界――特に前衛的な俳句界を支えてきた伯楽の高齢化をひしひしと感じるのである。
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