2018年11月23日金曜日

【抜粋】〈「俳句四季」12月号〉俳壇観測191「第一句集シリーズ」を読んで ――筑紫磐井

 この夏刊行されたふらんす堂の「第一句集シリーズ」を読んで一種の眩惑のようなものを感じないではいられなかった。

 私が俳句を始めた頃(一九七〇年代)は、結社にもまだ無名の若い俳人が多くいたが、結社外部からはなかなか目に留まらない時代であった。彼らが俳壇で目覚ましい活躍をするのは、一九八〇年代に入ってからであるが、こうした若い俳人が俳壇で活躍するにあたり新興俳句出版社である牧羊社の計り知れない貢献があった。

 牧羊社は元々文芸書を扱っていた出版社だが、一九六〇年代後半から俳句事業に本格参入し、一九七〇年頃企画した「現代俳句十五人集」は戦後派俳人の評価をゆるぎないものとした。これに参加した飯田龍太、野沢節子は読売文学賞を受賞し、森澄雄、能村登四郎、金子兜太の名声が確立したのもこのシリーズの句集によってであった。こと句集に関しては、角川書店の時代から牧羊社の時代に移っていったと私などには見えたのである。

 牧羊社は、こうした中でさらに俳壇で第三番目の総合誌「俳句とエッセイ」を創刊し、一九八〇年代からは若手俳人を精力的に発掘したのである。その一つとして、若い人向けの安価な「処女句集シリーズ」(一九八四年~)を刊行した。シリーズⅠには片山由美子、鎌倉佐弓、今井聖、鈴木貞雄、辻桃子、星野高士らがおり、Ⅱ以降では、小澤實、岸本尚毅、対馬康子、中西由紀など結社を代表する戦後生まれ作家が登場する。結社単位での売り出しが狙いだったのだが、それが成功したことは、彼らが現在の俳壇を支えていることからも明らかだ。

 このシリーズは瀟洒な、薄手の、手のかからない親しみやすい句集であったが、それが今回のふらんす堂の「第一句集シリーズ」と、版型といい、頁数といい、装丁といい、構成といいそっくりだったのである。

 よく似た理由は推測できる。それは現ふらんす堂社長の山岡喜美子氏が、当時、牧羊社の編集部員として「処女句集シリーズ」を企画した人であったからである。ふらんす堂の「第一句集シリーズ」は、言ってみれば出版人山岡喜美子氏の原点であり、青春の復刻版のようなものであったのである。
(以下略)

 ※詳しくは「俳句四季」12月号をお読み下さい。

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