2021年12月31日金曜日

第174号*年末臨時増刊号

     ※次回更新 1/14

・令和俳句帖 》読む
・大井恒行の日々彼是  》読む


無限句集評シリーズ一覧

著者自身のセレクトによる句集評連載「無限句集評シリーズ」。
掲載人数・文字数・連載回数の制限のない新刊句集の句集評リレーです。
評者は基本的に著者の依頼により執筆いただいています。
現在進行中のラインナップを一覧掲載します。

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

執筆者:山本敏倖藤田踏青

版元:弦書房




渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 》読む

執筆者:嵯峨根鈴子・一門彰子・石井 冴・西田唯士・玉記 玉・山田すずめ・牛原秀治

版元:俳句アトラス




なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい 》読む

執筆者:赤野四羽・小松敦・柏柳明子・金子 敦・木村リュウジ・岡村知昭・辻村麻乃・小林貴子・川崎果連・山科誠・杉美春・瀬戸優理子・夏木 久・篠崎央子・津久井紀代・瀬間陽子・武馬久仁裕・夏目るんり
Amazon 版元:朔出版



篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい 》読む

執筆者:小滝 肇・中村かりん・吉田林檎・足立枝里・田島健一・鈴木大輔・なつはづき・涼野海音・黒岩徳将・小林鮎美・片山一行・新海あぐり・北杜 青・浅川芳直・野島正則・高野麻衣子・寺澤 始

版元:ふらんす堂


眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい 》読む

執筆者:松本龍子・朝吹英和・藤田踏青・山本敏倖・前北かおる・神谷波・藤岡紙魚男・佐藤均・西村我尼吾・堀本吟・池谷洋美


Amazon 版元:ふらんす堂



ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい 》読む

執筆者:内田 茂・杉山久子・曾根 毅・谷さやん・衛藤夏子・嵯峨根鈴子・小枝恵美子・岡村潤一・髙橋白崔・橋本小たか・小西昭夫

 Amazon 版元:ふらんす堂


中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい 》読む

執筆者:原英俊・矢作十志夫・栗林浩・ほなが 穂心・小川蝸歩・草深昌子・松原君代・辻村麻乃・太田よを子・佐藤日田路・山田六甲・大井恒行・杉原青二・林 誠司・鈴木三山・永禮能孚・滝川直広・谷原恵理子・内海海童・中野はつえ・中嶋常治・井上はるひ・河内壮月・福永虹子・岡本 功

版元:俳句アトラス



中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい 》読む

執筆者:馬場龍吉・涼野海音・柳生正名・松野苑子・松下カロ・北杜 青・山中多美子・嵯峨根鈴子・桜木七海・大木満里・加瀬みづき・加瀬みづき・鈴木牛後・山崎祐子・吉川わる・菅野れい・永井詩・堀切克洋

Amazon 版元:本阿弥書店


2021年12月17日金曜日

第173号

      ※次回更新 12/31


豈64号 発売! 》刊行案内

俳句新空間第14号 発売中 》刊行案内

第45回現代俳句講座質疑(2) 》読む


【新連載】北川美美俳句全集7 》読む

【連載】澤田和弥論集成(第6回-6) 》読む


【新企画・俳句評論講座】

・はじめに(趣意)
・連絡事項(当面の予定)
・質問と回答
・テクスト/批評 》目次を読む

【俳句の新展開】

句誌句会新時代(その一)・ネットプリント折本 千寿関屋 》読む
句誌句会新時代(その二)・夏雲システムの破壊力 千寿関屋 》読む
ネット句会の検討 》読む
俳句新空間・皐月句会開始 》読む
皐月句会デモ句会結果(2010/04) 》読む
皐月句会メンバーについて 》読む
》第1回(2020/05) 》第2回(2020/06)
》第3回(2020/07) 》第4回(2020/08)
》第5回(2020/09) 》第6回(2020/10)
》第7回(2020/11) 》第8回(2020/12)
》第13回(2021/05) 》第14回(2021//06)
》第15回(2021/07) 》第16回(2021/08)
第17回皐月句会(9月) 》読む
第18回皐月句会(10月) 》読む
第18回皐月句会(11月)[速報] 》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和三年秋興帖

第一(11/19)仙田洋子・渕上信子・妹尾健太郎・坂間恒子
第二(11/26) 杉山久子・神谷 波・ふけとしこ
第三(12/3)山本敏倖・曾根 毅・花尻万博
第四(12/10)小林かんな・松下カロ・木村オサム・夏木久
第五(12/17)中西夕紀・浅沼 璞・青木百舌鳥・中村猛虎・なつはづき


令和三年夏興帖

第一(9/17)なつはづき・堀本吟・飯田冬眞・青木百舌鳥・杉山久子
第二(9/24)渕上信子・木村オサム・中村猛虎・花尻万博
第三(10/1)加藤知子・仲寒蟬・網野月を・岸本尚毅・坂間恒子
第四(10/8)辻村麻乃・曾根 毅・小林かんな・望月士郎・神谷 波
第五(10/15)大井恒行・鷲津誠次・山本敏倖・水岩 瞳
第六(10/22)のどか・夏木久・早瀬恵子・竹岡一郎
第七(10/29)井口時男・眞矢ひろみ・前北かおる
第八(11/5)ふけとしこ・林雅樹・家登みろく・小野裕三・池田澄子
第九(11/12)妹尾健太郎・渡邉美保・下坂速穂・岬光世
補遺(11/26)依光正樹・依光陽子・佐藤りえ・筑紫磐井
補遺(12/17)小沢麻結

■連載

【抜粋】 〈俳句四季12月号〉俳壇観測227
三太・若狭男・まりうす——オジさん世代の活躍
筑紫磐井 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (17) ふけとしこ 》読む

英国Haiku便り[in Japan](26) 小野裕三 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい
インデックスページ 》読む
25 紅の蒙古斑/岡本 功 》読む

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい
インデックスページ 》読む
17 央子と魚/寺澤 始 》読む

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい
インデックスページ 》読む
18 恋心、あるいは執着について/堀切克洋 》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
インデックスページ 》読む
7 『櫛買ひに』のこと/牛原秀治 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい
インデックスページ 》読む
18 『ぴったりの箱』論/夏目るんり 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい
インデックスページ 》読む
11 『眠たい羊』の笑い/小西昭夫 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
2 鑑賞 句集『たかざれき』/藤田踏青 》読む

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい
インデックスページ 》読む
11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む

句集歌集逍遙 なかはられいこ『脱衣場のアリス』/佐藤りえ 》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中! 》読む




■Recent entries

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編 》読む

【100号記念】特集『俳句帖五句選』

葉月第一句集『子音』を読みたい 
インデックスページ 》読む

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
インデックスページ 》読む

眠兎第1句集『御意』を読みたい
インデックスページ 》読む

麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ 》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
インデックスページ 》読む

麻乃第二句集『るん』を読みたい
インデックスページ 》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事 》見てみる

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
12月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子







筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。  

■連載 【抜粋】 〈俳句四季12月号〉俳壇観測227/三太・若狭男・まりうす——オジさん世代の活躍  筑紫磐井

 三人の物故俳人

 飯田晴主宰の「雲」九月号を読んでいたら「三朗忌特集」が組まれていた。鳥居三朗(昭和一五年~平成二七年)がなくなってから六年目であるという。飯田晴は鳥居三朗の夫人であり、鳥居三朗なきあと「雲」を継承した。私にとっては、鳥居三朗は旧知の人であり、むしろその前の鳥居三太で親しんでいたからこの名前の方がなつかしい。「三朗忌特集」でも鳥居三太を語っていた人もいた。私の知る鳥居三太はまず「童子」の編集長であり、洒脱な人であった。「童子」編集長退任後、今井杏太郎の「魚座」に参加し編集長をつとめた。「魚座」終刊後自ら「雲」を主宰した。「魚座」「雲」を通じて若い人を育成し、その代表が同世代を代表する鴇田智哉である。句集に『小林金物燃料店』『太郎冠者』『山椒の木』『てっぺんかけたか』がある。

 三太で思い出す愉快な話がある。本人からじかに聞いた話である。「童子」の編集長であったころ、句会に若い女性が参加したことがあった。句会終了後、三太はその女性を控え室に呼び話をする。「こんな明るい晴れた日に、若い女性が何で句会になんか来るの。人生ではもっと面白いこと、楽しいことがあるだろうに」。その後女性が俳句をやめたか続けたかは知らないが、いかにも三太らしいエピソードだと思う。「俳句って楽しい」などと浮かれずに、若い身の上でなぜわざわざ俳句を選ぶか考えてみたらという、少しシニカルな愛情だと思う。

 鳥居三太の名前を見ると思い出されるのが遠藤若狭男(昭和二二年~平成三〇年)である。遠藤若狭男は鷹羽狩行の「狩」に入会し、「狩」の若手として片山由美子と双璧をなした。「狩」の編集長後、平成二七年「若狭」を創刊したが、平成三〇年十二月没。惜しまれながら「若狭」も終刊した。句集に『神話』『青年』『船長』『去来』『旅鞄』、評論集に『鷹羽狩行研究』『人生百景』がある。若くは文学青年であり小説集ももっていたが、三十代半ばとなり狩行に師事し俳句に復帰した。没後三年目の令和三年五月第六句集『若狭』が遺族により刊行された。


青き踏むときをり死語のこと思ひ

麦秋やはるかに日本海の青

ふるさとは歩くがたのし草ひばり

わが死後のわれかも知れず秋の風


 もう一人思い起こされるのが七田谷(なだや)まりうす(昭和一五年~令和三年)だ。彼が九月二五日になくなったことを新聞が報じていた。「天為」の創刊に参加し、有馬朗人の片腕として活躍して、俳人協会の理事も務めていた。晩年難病に苦しみ、車椅子生活を送っていたので、余り会う機会は多くはなくなっていた。本名は灘山龍輔である。句またがりで、「なだや/まりうすけ」と読んだところは、鷹羽狩行に似ている。


総合誌の新しい企画

 鳥居三太、遠藤若狭男、七田谷まりうすといったオジさん世代をなぜ回顧するかと言えば、実は富士見書房から出ていた「俳句研究」が、一時期この団塊以前の世代を集めていろいろな企画に導いていたからだ。既に「俳句」の編集長海野謙四郎が色々斬新な企画を打ち出していたことは前号でも紹介した(黒田杏子の『証言・昭和の俳句』や若手による『12の現代作家論』等)が、この直前に「俳句研究」編集長の赤塚才市氏、中西千明氏らも新企画を打ち出そうとしていた。どうも俳壇全体が胎動しようとする、そんな時代であったのだ。その一つに、鳥居三太、遠藤若狭男、七田谷まりうすのほかに、鈴木太郎、小島健、橋本榮治、筑紫磐井等を加えて超結社吟行会を盛んに催した。その最初が、赤塚才市編集長による平成七年九月「出雲崎吟行」であったと思う。


海青くして涼しくて出雲崎     遠藤若狭男(狩)

弟切草雲中に佐渡在すなり     小澤實(鷹)

涼しさは夕日に遊ぶ五合庵     小島健(河)

良寛を讃へながらも土用波     鈴木太郎(杉)

手毬置く二枚重ねの夏座布団    鳥居三太(童子)

山の背に晴・雨を分けてほととぎす 筑紫磐井(沖)

あらうみの古志の銀河は神なりき  七田谷まりうす(秋・天為)


 「俳句研究」編集長が中西千明氏に引き継がれてもこの企画は続き、平成九年七月「安曇野吟行」が行われている。参加者の重複を除くと次のような顔触れが加わった。面白いのは、編集長も同行して句会の様子を逐一楽しんでいたことだ。何か編集のヒントになったことでもあったであろうか。


草田男句碑罪なく咲けるたんぽぽか 橋本榮治(馬酔木)

豊かなる水を導き山葵植う     棚山波朗(風・春耕)

安曇野の奔流に散る遅櫻       伊藤伊那男(春耕)

(以下略)

※詳しくは「俳句四季」12月号をお読み下さい

【新連載】北川美美俳句全集7

【豈63号】2020年12月


空     北川美美


ざく切りのキャベツの自由瓶詰に

学長は額縁にゐるイースター

禿山の廃市廃線青嵐

澤田君むつりと消えし五月かな

自作の巣遠くより見し庭師鳥

葉から葉へ光こぼれて六月来

囀りやたしかに空の空は空

みっちりと十薬の庭文字うっり

鴬や昨日の庭に手を入れて

金玉糖いつか見て来し地平線

老鴬や巨石ばかりの庭石に

抱き終へて吊るされてゐる竹婦人

海の日を簡易テントで寝る練習

日焼の人潮目を越へて束る眼

入る蛇と穴の痛みを思ふかな

晩秋の水のかたちを彫り当てし

開くたび林檎に戻り束る顎よ

長芋を昏き廊下に横たへし

からっ風に突き出てゐたる頭かな

折鶴の首尾を折りて芋虫に


(筑紫注)「豈」としては、美美最後の作品である。締め切りとしては5月であったからまだ再入院前の元気なころの作品ではなかったかと思う。

 「澤田君むつりと消えし五月かな」は平成二十七年(2015年)五月に亡くなった澤田和弥であろう。この句を見ると面識があったのだろうか。彼の第一句集『革命前夜』の序文を書いた有馬朗人氏もなくなった。そして美美もいなくなった。

 次回からは、「俳句新空間」のバックナンバーから拾ってみることとする。


第45回現代俳句講座質疑(2)

第45回現代俳句講座「季語は生きている」筑紫磐井講師/

11月20日(土)ゆいの森あらかわ 


【赤羽根めぐみ氏質問】

―――私は、飯田龍太の「一月の川一月の谷の中」についてお聞きしたく思っております。

筑紫先生のご著書の中の用語ではない言い方でお聞きしますが、「一月の川一月の谷の中」は一物仕立ての句でしょうか、あるいは取り合わせの句でしょうか。(ここでは、あえてこの二択とさせていただきます。)


【筑紫】批評用語の難しいのは、批評用語の背負っている時代の思想が抜けきらないことかと思います。「一物仕立て」「取り合わせ」も、現代の俳句を論じるときに、江戸俳諧の思想がどこかに滲み出てきてしまう問題があるように思われます。

「一物仕立て」「取り合わせ」には俳句を仕立て上げるという俳諧的な思想が前提となるように思います。ですから、俳句は文学である、俳句は詩であると考える人たちにとって、自らの作品を「一物仕立て」「取り合わせ」と評されても困惑することが多いと思います。

それでも「取り合わせ」の方は明治の子規により、「配合」と言い換えられていますが、言い換えと同時に俳句を仕立て上げるという俳諧的な思想は拭い去られたように思います。なぜなら子規の「配合」は、俳句という詩が言葉の組み合わせでできているという前提(これは極めて近代的発想です)から、言葉の組み合わせはいずれ尽きてしまうのではないかという問題意識に始まり、江戸以来の俳諧・明治の俳句の組み合わせをすべて提示しようとする科学的意識が働いていたように思います(その先には明治の新俳句では、新しい配合を作り出そうという意思が働いています)。子規の江戸俳諧10万句の句を分類しつくした「俳句分類」という壮大な事業はそうした成果であると思います。だから、そうした研究から生まれた用語が「配合」であり、子規は常に新配合を志していたと言えるでしょう。

その意味では、「一物仕立て」か「取り合わせ」かという問いは、龍太の句が俳句を仕立て上げるという俳諧的な思想が前提としているかどうかという問いに答えてから出てくる問いということになると思います。正直いって私は龍太の句が俳句を仕立て上げるという俳諧的な思想が前提というようにお答えできないので、この二択は難しいというのがお答えになるかと思います。

ただそれだけではあまりにもぶっきらぼうなので補足させていただきます。「配合」はやがて碧梧桐、乙字へと議論が進み、講演でお話しした乙字の新しい季語論、「季感象徴説」に進むのですが、その過程で季語の用法の「暗示法」の発見にたどり着いたのです。一種の象徴的使用法となっているのですが、実はこの手法を一番有効に使ったのが人間探求派であると思います。


      鰯雲人に告ぐべきことならず      加藤楸邨

  蟇長子家去る由もなし         中村草田男


 鰯雲、蟇も象徴的使用法であることは明らかです。作家が詠みたい主題があり、これに文学的効果を持たせるための暗示的使用として季語がおかれているのです。これは厳密にいえば子規の「配合」の延長ではありますが、子規の関心からはだいぶ離れ(まして取り合わせからはすっかり離れ)、主題を意識した詩的な表現法となっています。

 問題はさらに拡散します。楸邨、草田男の象徴的使用法に、表現論として現代の俳句のあるべき方法として反対提示されたのが金子兜太の「造型俳句論」であったのです。「造型俳句論」は花鳥諷詠や新興俳句が仮想敵であるのではなく、人間探求派が仮想敵でした――その敵は自分の師である加藤楸邨であり、さらに言えば楸邨のもとで育った(造型俳句提唱前の)兜太自身であったと思われるのです。従って「造型俳句論」とは、懺悔の書、自己批判の書であったと理解します。

 そう考えると、龍太の句は、俳諧的な思想ではないことはもちろん、人間探求派の象徴的使用法でもありません。私はむしろ、龍太には同時代の空気を吸った兜太の影響こそ強いのではないかと思っています。こんなことを言うと驚くかもしれませんが、龍太の「一月の川」の句は造型俳句なのだと言ってみたいと思います。その構造性、無意味性、現代性から行っても、「一物仕立て」でも「取り合わせ」でも「配合」でもない造型俳句なのだというのが私の結論となるのですが、いかがでしょうか。


[補足]

ご質問に沿って少し話題を拡散させれば次の質問にどう答えるでしょうか。例えばこんな問いは成り立つでしょうか。

①短歌には「一物仕立て」の短歌、「取り合わせ」の短歌があるか

②詩には「一物仕立て」の詩、「取り合わせ」の詩があるか

③小説には「一物仕立て」の小説、「取り合わせ」の小説があるか

多分否でしょう。このようにみると「一物仕立て」「取り合わせ」の俳句かどうかは、俳句固有の問いのように思われます。短歌、詩、小説にはない、というよりはこんな発想さえわかないのではないかと思います。我々が思いこんでしまっている俳句という枠組みにはぴったりするのですが、俳句以外では成り立ちません。その意味では、あまり批評の普遍性はないように思われます。逆にここを問い詰めてゆくと、俳句とは何かより、我々が俳句をどのように考えてしまっているのか、という答えが出てくるように思います。非常に興味深い問題ですが、ただこの問題は、冒頭に掲げたように少し問題がずれてしまうので、別の場に改めて考えてみた方がいいですが。

(以下続く)

第19回皐月句会[速報]

投句〆切11/11 (木) 

選句〆切11/21 (日) 


(5点句以上)

9点句

闇汁の闇甘くなり辛くなり(西村麒麟)

【評】 闇に味を感じるおもしろさ。──中山奈々


ふるさとは人の厚さの掛布団(近江文代)


7点句

マシュマロの弾力水鳥の浮力(近江文代)

【評】 マシュマロと水鳥。全く違うものなのに、対比させて句が立ち上がっていますね。──仙田洋子

【評】 ちょっと拍子抜けな位、堅そうで柔らかいものや重そうで軽いものにその力のはたらきの面白さを発見しています。──妹尾健太郎

【評】 マシュマロ食べながら、水鳥を見ている。いい日。──中山奈々


6点句

日の沈むまでの手すさび種を採る(仙田洋子)

【評】 「手すさび」が巧み。この一言にいろいろな情報が詰まっている。この人にとって種を採ることは毎年行っていることで、特別なことではないのだろう。なんとなくそこに居て、なんとなく目について、なんとなく手が動いて…といった風。まず思い浮かんだのが朝顔。手の中で揉んだ時に薄い殻がパリパリと割れる感じや、そのあと粉々になった殻を息で吹き飛ばすところまで見えて来た。そんな風に私も「日の沈むまでの手すさび」で種を採っているなぁ、と強く共感。──依光陽子


寒き日々造花をいくつ並べても(依光正樹)


5点句

文化の日満艦飾のピザが来る(松下カロ)

【評】 「満艦飾」という言葉がいいですね。ピザの様子が目に浮かびます。──仙田洋子

【評】 「全部のせ」というやつでしょうか。華やかさがあります。──佐藤りえ


夕焚火文字なき民の謡ふ神(渡部有紀子)


夜業の灯猫は液体かもしれぬ(中村猛虎)

【評】 「猫は液体」という発想が好きです。──仙田洋子


コンロの火ぐるりと回り冬に入る(飯田冬眞)

【評】 寒さを感じた作者はコンロに火つけると火がぐるりと回り、その時に冬を感じた様子が目に浮かびます。──松代忠博


(選評若干)

白鳥が来るそらいろの方眼紙 4点 望月士郎

【評】 中七下五が新鮮でした。白鳥の白と空色が美しいですね──小沢麻結

【評】 白鳥が来る冬の空。手元にはそらいろの方眼紙。白鳥の飛来してくる経度緯度をイメージしているのだろう。ちょっと景が見えすぎるきらいはあるが、美しい。──山本敏倖


秋遍路灯台守もこの道を 1点 岸本尚毅

【評】 〈灯台守〉の一語は効き目抜群、心憎い言葉選びと瞠目します。果てなく巡る時のなか、遥かなる寂しさ、といった情趣が醸されています。〈を〉と云いさした下五もまた相乗効果を挙げていると思われます。──平野山斗士


素うどんがきつねに化けて神の留守 4点 仲寒蟬

【評】 ただきつねあげを載せただけなのに、「化けた」との大袈裟に惹かれた。神の留守の良さと合う。──中山奈々


AIのまどろむ夢に雪ぼたる 2点 真矢ひろみ

【評】 詠みにくい素材に挑んだ意欲を買います。──仙田洋子


双眸に須臾たくはへて夜の鹿 1点 佐藤りえ

【評】 「須臾」・・これは、瞬間とかその時限りという意味の数量の単位だという。「夜の鹿」は、検索してみると、目をつむってあるいは薄目を開けて眠るようだ。網膜に瞬間ごとに闇が張り付いているという想像は、ありえないほどトリビアルな状態である。

しかし、この一句はそのことを「須臾たくはへて」というすばらしい言葉(認識)で形容した。この受け止め方にリアリティを感じるのも、昼間の彼らの、ゆったりとまたたうっとりしてあの、目ざめながらながら眠っているような瞑想しながらも何も考えていない無為のまなざしを観ることが多いからである。──堀本吟


中華屋の自販機上にある冬菜 3点 青木百舌鳥

【評】 些細な光景で、よくある日常の一コマ。ただ、何かしら気になる 夜寝ようとするときに何故か思い出されてしまうもの。数年後にどこかで見た光景だとデジャブのように思い出すもの。こういうものも人の心を支えているに違いない。──真矢ひろみ


どたばたと降り来る二階鮟鱇鍋 3点 松代忠博

【評】 これは家庭の情景ではなく、鍋物屋の風景であろう。やや体重超過の仲居が鍋を持ってくるのだが、ちょっと不細工な方が鍋がうまく感じるものだ。──筑紫磐井

【評】 下宿の子を誘ったら。あらまあ。──中山奈々


団栗や寄り目かなしき忿怒仏 2点 岸本尚毅

【評】 かなしは「悲しい」ではなく趣きがある。興味深いの意に思える。団栗との取り合わせもぐっと惹かれる。──依光正樹


秋夕焼け鳥には見ゆる鳥の国 4点 田中葉月

【評】 生物の種ごとに、世界は違って見えるのでしょう。人間は、自分に見えているものだけが世界だと思いがちですが。──仙田洋子


冬耕のはや日の廻りきたるかな 1点 小沢麻結

【評】 山の畠か、粛々と行われている孤独な仕事の様子が想われました。──青木百舌鳥


【連載】澤田和弥論集成(第6回-6)

  (【俳句評論講座】 共同研究の進め方 澤田和弥のこと――「有馬朗人研究会」及び『有馬朗人を読み解く』(その2))


(6)【「俳句四季」二〇一五年一〇月号 [座談会]最近の名句集を探る40】

▼澤田和弥句集『革命前夜』

筑紫 最後の句集は澤田和弥さんの第一句集『革命前夜』(邑書林)です。

 出版されたのは少し前で、平成二五年の七月です。澤田さんは昭和五五年生まれ、学生時代は早稲田大学の俳句研究会に所属していました。平成一八年に「天為」に入会し、二五年に「天為」新人賞も取って、これからという時だったのですが、この第一句集を出して二年後の今年の五月に三五歳で亡くなられました。

 この句集はもう亡くなったことがわかっていて読むと、少し読み方が変わってくるのではないかと思うんですね。それを踏まえて幾つか句を紹介します。

 「冬夕焼燃え尽きぬまま消え去りぬ」。まさに澤田さんそのものを詠んでいるような句で、今読むと印象的です。

 「言霊のわいわい騒ぐ賀状かな」。ちょっと不気味な感じがします。「マフラーは明るく生きるために巻く」は今読むとシニカルにも読めますね。「秋天に雲ひとつなき仮病の日」。職場で悩む事もあったのかもしれません。「生前のままの姿に蝿たかる」「地より手のあまた生えたる大暑かな」。鬱々とした感じが胸に迫ります。

 こういう句ばかりだと湿っぽくなってしまうので「黄落や千変万化して故郷」。故郷に戻ってきてほっとした気持ちが窺えます。「冬の夜の玉座のごとき女医の椅子」は豪華でいいですね。

 有馬朗人さんが序文に「この『革命前夜』をひっさげて俳句にそしてより広く詩歌文学に新風を引き起こしてくれることを心より期待」と書いているのですが、二年後に亡くなってしまう事を考えると悲しく響ききます。

齊藤 この句集には「修司忌」の句が二十句人っているけれども、僕が辛うじて採ったのは「革命が死語となりゆく修司の忌」の一句。全体的に寺山修司の影響はあまり感じられないですね。寺山だったら同人物の忌を二十句も作りはしない。世界で最愛の人が亡くなっても、せいぜい一句でしょう。二十句は死者に対して冷淡です。

 採った句は「シスレーの点の一つも余寒かな」。シスレーの点描画を「点の一つも余寒」と表現するのは面白い。「接吻しつつ春の雷聞きにけり」。これは「聞きいたり」としたい。

角谷「聞きいたり」だとずっと接吻が続いている感じですね(笑)。

齊藤 接吻するか、雷を聞くか、どちらかに専念せよということです。「短夜のチェコの童話に斧ひとつ」。寺山修司は斧を随分詠んでいるから、その影響かもしれない。「幽霊とおぼしきものに麦茶出す」「母も子も眠りの中の星祭」「終戦を残暑の蝉が急かすなり」「香水を変へて教師の休暇明」「金秋や蝶の過ぎゆく膝頭」などを採っています。

 「狐火は泉鏡花も吐きしとか」。泉鏡花と狐火は確かに合うしこのままでも面白いけど僕なら「狐火は泉鏡花を吐きしとか」とやりたい。「も」と「を」の一字で内容は反転する。

堀本 僕は澤田さんとはフェイスブックで繋かっていて、ある俳句の催しに参加しませんかと声をかけて貰った事がありました。結局都合が合わなくて行けなかったんですが、お会いしたかったですね。

 『革命前夜』というタイトルは、自分の内側でまず革命を起こしたい、という澤田さんの気持があったんじやないかなと思います。若くして亡くなられた事でどうしても句に後から意味が付加されて読まれてしまうんですが、できるだけ作品そのものをニュートラルに捉えたいと思って読みました。

 「恋猫の声に負けざる声を出す」。恋猫は実際うるさいんですよね。それに負けないように声を出す。すごく切実な声にも思えるし、楽天的に取ればユーモアとエロチシズムを感じます。

 「空缶に空きたる分の春愁」。春愁の句としてテクニカルな詠い方をしているのですが、同時に彼の繊細さが出ている一句です。「卒業や壁は画鋲の跡ばかり」。卒業の嬉しさよりも寂しさを詠んだ所がいいなと思います。

面白い句で伽羅蕗や豊胸手術でもするか。「豊胸手術でもするか」という軽い言い方に上五が渋い「伽羅蕗」で、日常の食べ物からいきなりメタモルフォーゼするようなところへ飛んでいく、そういう面白さがあります。「外套よ何も言はずに逝くんじやねえ」。友人に呼びかけるような、もしくはつぶやくような一句なのですが、これも亡くなってから意味が出てくる句ですね。自分が死を感じた時に、他人の事がよく見える時があると思うんです。そういう心理の働きがこの句でも見えていると思います。例えば中上健次が宮本輝さんに最後に会った日の別れ際に、「宮本、お前、長生きしろよな」と言ったという話があります。その一年後に中上健次は亡くなるんです。そういう事を思い出して、胸が締め付けられた一句でした。

 この句集を読めて良かったと思います。と同時に第二句集も読みたかったですね。

角谷 私はなるべく亡くなった事を先入観として持たないように読みました。でもタナトスの影がどうしてもちらついてくるんですね。例えば「椿拾ふ死を想ふこと多き夜は」「若葉風死もまた文学でありぬ」。田中裕明さんの最後の句集『夜の客人』に「糸瓜棚この世のことのよく見ゆる」という彼岸に足を踏み入れているような句かありますが、それに近いものを感じました。

 『革命前夜』といっても前衛的な句はあまりなくて抒情的な句が多い印象です。「半烏に銃声響き冴返る」には弛みのない硬質な叙情があります。「拘置所の壁高々と雪の果」。青年期の特徴とも言うべきこの世との隔絶感ですね。緊迫と弛緩の対比で作られているのが「薄氷や飛天降り立つ塔の上」。

 「鳥雲に盤整然とチェスの駒」。「チェスの駒」という整然としたものと「鳥雲に」のような柔らかく自在なものを取り合わせる。この取り合わせはこの方の持っている精神性から発せられているのかなと思いました。

 「修司忌」の句は齋藤さんが仰ったようにあまり採れる句はなかったです。「目」にこだわっている印象が強く、「船長の遺品は義眼修司の忌」など、凝視の作家だと思います。

筑紫 実はもう一つ所属している結社誌「若狭」では修司論を連載し始めてたんですよね、亡くなってしまったので四、五回で終わってしまいましたが。恐らく修司への意識の仕方は作品そのものからはあまり見えないけれど、評論の形で見えてきたかもしれない。

角谷 亡くなられると次第に忘れられてしまうことがあるので、こうやって語られる機会は大事だと思います。

筑紫 これからも澤田さんの俳句が語り継がれていって欲しいと思います。

【刊行案内】豈64号

 


豈 64号 CONTENTS

●第6回攝津幸彦記念賞選考結果
逸賞作品全句掲載(夏木久・なつはづき)

●特別作品 大井恒行/城貴代美/高山れおな/亘余世夫

●特集「兜太はこれからどう発展するか?」宮崎斗士・五島高資・筑紫磐井

●「池田澄子は何処」筑紫磐井

●句集評 夏木久『組曲*構想』/眞矢ひろみ『箱庭の夜』/山﨑十生『銀幕』/池田澄子『此処』/なつはづき『ぴったりの箱』/秦夕美『さよならさんかく』/中島進句集『探求Ⅰ』・評論集『考察Ⅰ』/加藤知子『たかざれき』/樋口由紀子『金曜日の川柳』/藤原龍一郎『202x』


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【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (17)  ふけとしこ

   測棹

測量の二人が離れ冬の菊

測棹を倒せば出て雪蛍

綿虫の用あるやうに無きやうに

夕星や白菜が身を締める音

もう走れない枇杷の花高く咲き


 ・・・

 着物を全て手放した。

 大好きな帯揚げの二枚と、半襟の一枚、餘布の少し、未練がましくこれだけを残したが、さすがに悲しかった。一枚一枚に思い出も思い入れもあり、洋服を捨てるのとは違う思いだった。

 引越しを機に決意したことであったが、この引越しを決めたとき、句友たちは「断捨離ができていいねえ、羨ましい」と言い「その歳で引越しなんて狂気の沙汰や」とからかってくれた。来年より今年の方がまだ若い」と私は強がってみせたが……。

 『断捨離』とはどなたかの著書で有名になった言葉。一過性のことかと思ったが、廃れることがない。ということは「断」も「捨」も「離」も誰もが必要としていることでもあるのだ。

  かつては嫁入り箪笥というものがあった。その箪笥というもの、よくできているというか、よく物が入るというか、いざ処分しようと思うと、その物の多さといったら半端ではない。箪笥だけではない。机の抽斗一つにしても無用となった筈の物があれこれと出てくる。

 遺品整理という職業が成立するのもよく解る。

 この度多くを捨ててきたから、私の遺品を整理してくれる人にはかかる負担が少ないだろう。いや、この後負担をかけないよう、物を増やさないよう、心して暮らしていこうと誓ってもいるが……。

 夫の両親は住まいにお金をかける人達だった。だから、絵を筆頭に集めた物の数がすごかった。家を引き継いで以降、処分させてもらいながら暮らしてきたが、それでも以前からの調度がまだまだ残っていたのである。

 処分費かかりましたよ~と仏様へ愚痴を言いたくもなった。

 家終いには本当に体力が必要。来年よりは今年の方がまだ若い、これは冗談ですむ話ではないのだった。

            (2021・12)

2021年11月26日金曜日

第172号

     ※次回更新 12/17


豈64号 発売! 

俳句新空間第14号 発売中 》刊行案内

第45回現代俳句講座質疑(1) 》読む


【新連載】北川美美俳句全集6 》読む

【連載】澤田和弥論集成(第6回-5) 》読む


【新企画・俳句評論講座】

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・連絡事項(当面の予定)
・質問と回答
・テクスト/批評 》目次を読む

【俳句の新展開】

句誌句会新時代(その一)・ネットプリント折本 千寿関屋 》読む
句誌句会新時代(その二)・夏雲システムの破壊力 千寿関屋 》読む
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皐月句会デモ句会結果(2010/04) 》読む
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》第13回(2021/05) 》第14回(2021//06)
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第17回皐月句会(9月) 》読む
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■平成俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和三年秋興帖

第一(11/19)仙田洋子・渕上信子・妹尾健太郎・坂間恒子
第二(11/26) 杉山久子・神谷 波・ふけとしこ


令和三年夏興帖

第一(9/17)なつはづき・堀本吟・飯田冬眞・青木百舌鳥・杉山久子
第二(9/24)渕上信子・木村オサム・中村猛虎・花尻万博
第三(10/1)加藤知子・仲寒蟬・網野月を・岸本尚毅・坂間恒子
第四(10/8)辻村麻乃・曾根 毅・小林かんな・望月士郎・神谷 波
第五(10/15)大井恒行・鷲津誠次・山本敏倖・水岩 瞳
第六(10/22)のどか・夏木久・早瀬恵子・竹岡一郎
第七(10/29)井口時男・眞矢ひろみ・前北かおる
第八(11/5)ふけとしこ・林雅樹・家登みろく・小野裕三・池田澄子
第九(11/12)妹尾健太郎・渡邉美保・下坂速穂・岬光世
補遺(11/26)依光正樹・依光陽子・佐藤りえ・筑紫磐井

■連載

【抜粋】 〈俳句四季1月号〉
目から鱗の落ちる本(再)――阿部誠文・蒲原宏の見えない努力
筑紫磐井 》読む

英国Haiku便り[in Japan](26) 小野裕三 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (16) ふけとしこ 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい
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渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
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7 『櫛買ひに』のこと/牛原秀治 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい
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18 『ぴったりの箱』論/夏目るんり 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい
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11 『眠たい羊』の笑い/小西昭夫 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
2 鑑賞 句集『たかざれき』/藤田踏青 》読む

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11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む

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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。  

【抜粋】〈俳句四季1月号〉/目から鱗の落ちる本(再)――阿部誠文・蒲原宏の見えない努力  筑紫磐井

  これは2021年1月8日金曜日の第152号に載せた記事だが、後半は省略していた。しかし今回「俳壇」11月号で『畑打って俳諧国を拓くべし』の書評をかなり詳細に行ったので、参考までにその削った部分を紹介したい。興味がおありの人は、「俳壇」の記事をご覧いただきたい。


『畑打って俳諧国を拓くべし』

 次に紹介したいのは、ブラジルの俳句王国を実現した佐藤念腹(明治三一年~昭和五四年)の評伝である。蒲原宏が主宰する雑誌「雪」に連載した評伝をまとめたもので七百頁に及ぶ大冊である(大創パブリッシング令和二年六月刊)。念腹は新潟の出身で、高浜虚子に師事し、中田みづほ、高野素十(いずれも新潟医専の教授)らの指導を受けたこともあり、新潟俳壇との関係が深い。昭和二年にブラジルに移植し、開拓と同時にホトトギス俳句の指導に当たった。入植に当り、虚子からは〈畑打つて俳諧国を拓くべし〉を頂き蒲原はそれを書名とした。入植後は〈雷や四方の樹海の子雷〉〈ブラジルは世界の田舎むかご飯〉などでホトトギスで五回の巻頭を得ている。

 念腹がほトトギスの支援を受けて順調であったかと言えば必ずしもそうではなかったようであり。当時すでに新興俳句はホトトギスを敵として活動していた。領事館の支援を受けて俳誌「南十字星」が創刊されたのだが、ホトトギスと新興俳句の対立から念腹は不参加の態度を決める。本土の虚子・素十と新興俳句の代理戦争の趣があったようだ。

 戦争が始まると、念腹はさらに大きな影響を受ける。ブラジルは日本を敵国と見なし、昭和一六年から移民中止、一七年からは国交断絶、日本語禁止(家庭内教育ですら!)、日本人の集会禁止の措置を受けることとなる。日本語で笑ったといって検挙されたという。とても俳句どころの状況ではなかった。念腹も、収監はされなかったものの書物の押収を受けた時の句を残している。

 やがて敗戦を迎えた。戦後の勝ち組・負け組の争いは殺し合いにまでなり熾烈であったようであるが、意外に俳句の復興は早く、昭和二〇年から念腹は次々と句会を起こし、新聞俳壇選者となり、ブラジルでは本国に先がけて俳句ブームを招来したようである。

 やがて昭和二三年に俳句雑誌「木蔭」を創刊し多くの俳人を育てた。「木蔭」のピーク時会員は八百人という。念腹は昭和五四年に八〇歳でなくなったが、弟の牛童子が「木蔭」を承継した「朝蔭」を創刊した。大冊を駈足で通り過ぎてしまったので著者には申し訳ないが、実に波瀾万丈の生涯であった。

   *

 前の田中桂香『征馬』といい、念腹の「木蔭」といい、戦争の影響は大きかったようである。そしてこれらの記事を読むと、歴史の中に埋もれてしまっているこうした事実の発掘こそ大事なのではないかと思われる。またこの二冊の本を読むと、阿部も蒲原も、決して華々しくはないこうした本の刊行に、資金的にも苦労したことがさりげなく書かれている。しかし資料も散逸し関係者も死去して行く現在にあって、この時期にまとめなければならないという二人の使命感はひしひしと伝わる本である。是非とも残して欲しい本に出会えたと思う。


第45回現代俳句講座質疑(1)

45回現代俳句講座「季語は生きている」筑紫磐井講師/

11月20日(土)ゆいの森あらかわ


現代俳句協会の現代俳句講座が久しぶりに会場で開かれることとなった。

内容は、「季語は生きている」と題して、「季題」と「季語」の違い、それぞれの誕生の歴史、季題派の俳句の作り方と季語派の俳句の作り方の違い、そしてこれによる二つの派による新季語の可否、新季語の作り方、季重なりの可否、忌日季題・季語の厳密さの違いなどの応用編を述べ、最後は題詠俳句の究極とは何かを考えた。

講演の後は、赤野四羽、赤羽根めぐみ氏を交えて季語に関する質疑応答を行った。

この講演は「現代俳句」誌への掲載や、後日のビデオ配信があり得るとのことなので、具体的内容はそれを待つこととして、あらかじめ赤野四羽、赤羽根めぐみ氏からいただいていた質問で、回答できなかった事項を挙げて述べてみたいと思う。


【赤野四羽氏質問】

――蕪村にみられるように、俳諧では季重なりの佳句が多くありますが、現代は忌避されているといってよい状況です。季重なりがこれほど避けられるようになった経緯はどういったものでしょうか。

【筑紫】近代になって季重なりが忌避されるのは句会の構造があるかもしれません。近代の句会は正岡子規から始まります。句会の方式は10題10句と1題10句の方式がありますが、後者が中心となりました。句会で集まると1つの題で10句を皆が持ち寄り互選するという方式です。例えば、


  鶏頭の十四五本もありぬべし      正岡子規


は子規庵で開かれた句会で、「鶏頭」の題で10句(実際この時は9句しか提出していません。体調のせいでしょうか)提出して選句されたものです。

 虚子の時代になると、1題10句では時間的にも長くなるせいか、1題4~5句が多くなります。東大俳句会の句会には次のような句を虚子は出しています。


  帚草露のある間の無かりけり

  帚草おのづからなる形かな

  其まゝの影がありけり帚草

  帚木に影といふものありにけり


 このように一つの題に集中した作句法を取るとどうしても、複数の季題が入る余地がなくなります。これは忌避しているというより題詠という方法をとるための免れがたい傾向だと思います。

 これに対して、題の出題のない、当季雑詠の句会が生まれると、季節を描くために自由に季語を駆使するようになり、ことによると2つ、3つの季語が入るようになります。馬酔木系の俳人や句会、雑詠になると季重なりが盛んにおこなわれるようになります。講演で上げた、


  郭公や瑠璃沼蕗の中に見ゆ  水原秋櫻子

  白蓮白シャツ彼我ひるがえり内灘へ   古沢太穂


がそうです。

 ただ最近のマニュアル化した俳句入門の教え方では季重なりを忌避することが多いようです。これは題詠のような信念のある忌避でもなく、季感尊重のような自由な表現でもない、俳句制作沈滞のようにも思えます。 


――いわゆる超季の方向性は、有季との対立というよりは統合や総合であると思いますが、いかがでしょうか

【筑紫】「超季」という概念はよくわかりません。世の中には、有季の俳句と無季の俳句しかないので、あえて超季と言わず、有季・無季で考えていいのではないかと思います。そのうえで有季・無季の総合を考えてみると、それぞれの流儀を駆使して名句を作ることに尽きると思います。

有季・無季の差よりは、題詠と季感季語のほうが差は大きいと思います。しかし言っておきますが、題詠で生まれる名句は決して季感季語で生まれる俳句にはなりませんし、季感派の人は題詠の名句を作ることが出来ません。それぞれの舞台で名作を作り、それを合わせて現代の名句が出来上がると思います。競い合うべきでしょう。


――国際俳句いわゆるHAIKUが俳句に与える影響は今後どうなっていくでしょうか

【筑紫】それぞれの言語が独自の短詩型を生みます。これはまことに結構なことだと思います。正岡子規俳句大賞を取ったフランスの詩人ボンヌフォアは、欧米では詩は思想を詠むものでありしたがって長編でなければならないという固定感観念があった。自分は詩の断片にきらめきを見つけたと言っており、これが授賞の理由となっています。

ただ、英語のHAIKU、ドイツ語のHAIKU、フランス語のHAIKU、中国語のHAIKU、韓国語のHAIKUをHAIKUでくくってもなかなか生産的な原理は生まれないように思います。英語の言語構造が英語圏の短詩型(HAIKU)を生み、中国語の言語構造が中国語圏の短詩型(HAIKU)を生みます。当然日本語の言語構造が日本語圏の短詩型(HAIKU)を生みます。それぞれの言語構造は特殊ですから、特殊な短詩型を生みでしょう。特に日本語はいわゆる助辞(助詞や助動詞)という特殊が言語構造を持っていますから、比較は難しいです。

 この点を考えると翻訳の問題が大きくなります。翻訳の可能な短詩型同士は多少影響しあうことはあるかもしれません。

例えば、名詞と動詞の塊でできている


  七月の青嶺まぢかく熔鑛炉       山口誓子

  朝はじまる海へ突込む鷗の死      金子兜太


は他国のHAIKUと影響しあうことがあるかもしれません。翻訳がしやすいからです。兜太がノーベル文学賞を受賞できるかもしれないと言われた根拠です。しかし、助詞・助動詞が重きをなす句や言語構造を持つ


  鶏頭の十四五本もありぬべし      正岡子規

  白牡丹といふといへども紅ほのか    高浜虚子


は適確な翻訳はほとんど不可能でしょう。ノーベル文学賞を受賞する可能性はないと思います。


――題詠というのは連句や付句からあるもので、どちらかというと先祖がえり的なのではないか。

【筑紫】連句や付句は題詠と関係ないように思います。むしろ、和歌(特に100の題を詠む百首歌)、さらには歌合せから題詠は誕生していると思います。中国では楽府詩集、沖縄歌謡はこれに近いものと思います。

先祖がえりというと悪い意味にも受け取れますが、むしろ題詠はあらゆる文学の母胎であり、それがなかりせば文学(特に短詩型)が生まれないほど貴重であり、王道であるといえると思います。ただ近代人にとって王道(伝統)は我慢のならない桎梏であるところから、常にそれに対する反攻を繰り返しています。現代俳句は常に反乱の連続であり、完成してはならないものだと思います。

英国Haiku便り[in Japan](26) 小野裕三



社会性に向き合う美術賞

 ターナー賞は、世界的にも注目度の高い、英国の現代美術の賞だ。先日発表された2021年の候補者はグループ(collectiveと英語では呼ばれる)ばかりで、個人のアーティストが一人もいなかったことがBBCニュースなどでも話題となった。背景には、コロナ禍で美術館・ギャラリーなどが長く閉鎖され、多くのアーティストに作品発表の機会がほとんどなかったこともある。

 そのためか、今回候補のグループも、「アート作品」の通念からは少しかけ離れ、「アートを通じて社会変化を促す(inspire)」と審査員が評したように、社会性・行為性が強いのも特徴だ。絵画や彫刻だけでなく、映像やパフォーマンス、社会的テーマへの抗議やデモ、市民対象のイベントやワークショップの開催など、活動手段も多岐にわたる。

 この傾向は、実は以前から見られた。2018年のターナー賞は、僕もロンドンでその展示を見に行った。その年の候補の「フォレンジック・アーキテクチャー」という団体は、世の中に散在する断片データを集めて解析することで、社会的事件や犯罪の真相を追究して弱者を救うという活動を行っていた。美術賞よりも社会貢献を対象とする賞の方がむしろ相応しい内容とも感じた。

 その後のターナー賞は、ややイレギュラーな展開が続いた。2019年は、四人の候補者から「四人の共同受賞にすべき」という提案が行われ、その主張を審査員が受け入れた。彼らの提案の理由は、「分断と孤立に満ちた今の世界」だからこそ、アートこそが率先して連帯を示すべき、というものだった。2020年は、コロナ禍で賞自体が中止されたが、その賞金はコロナ禍で活動を制限された多くのアーティストの支援に分配された。両年とも、社会の大きな視点からアートを捉える姿勢が窺えるのが興味深い。

 2021年の候補も、食をテーマとしたアート作品で今の世界の仕組みを批判的に描き出すグループ(写真)や、北アイルランド地方の難しい政治状況に深く関与するグループ、社会募金活動を音楽イベントの形で行ったグループ、など多彩な活動が並ぶ。

 英国で出会ったアーティストたちが、自身の制作活動に「プロジェクト」という言葉を多用することが以前から気になっていた。「今、作っている作品は」ではなく「今、取り組んでいるプロジェクトは」と言う。社会の多様な人を巻き込んで作り上げる共同作業として、社会課題が持つ困難なテーマに対する挑戦として、アート活動はある、という思いがそこには感じられる。そんな彼らの話を聞きながら、果たして俳句は社会変化を促す「プロジェクト」と呼ぶに足りえているか、とも自問した。「第二芸術論」にもつながる、古くて新しい問題でもある。

※写真はBBCニュースより引用。

(『海原』2021年7-8月号より転載)

【新連載】北川美美俳句全集6

 【豈61号】2018年10月

ほたるとどくだみ

 

どくだみのにおいのゆびははたらく手

どくだみのはみだしてゐる自家用車

十薬に赤い茎あり黒い土

待つ人に十薬抜いてやりました

十薬を洗う束ねる竿に干す

十薬を煎じて懐疑的になる

十薬の蕾解かれて白十字

十薬の丘聖クララ修道院

日は山の彼方に暮れて蛍の夜

暮六つの蛍の川の繁みかな

群衆の橋より離れ蛍待つ

ホと点りツと消えゆけり蛍の夜

横にいく蛍ほーツと消えにけり

蛍見てだんだん蛍になってゆく

瞳閉じ見えるものあり蛍の夜

二日目は椅子を畳みし蛍守

明日からは雨の予報と蛍守

てのひらの蛍囲めばみな家族


【豈62号】2019年10月

何かの日

 

秋の日に両手を広げ翼めく

一人でも二人の食事夫婦の日

群青に下がる体温ミントの日

DJも老いて侯ラジオの日

片耳につけるイヤホンラジオの日

球体の見えぬ手ざはり電気の日

薔薇愛でるトランスジェンダーの日なりけり 

新しき香水まとふ改元日

母の日の母の慕ふる母の母

夏ひと日ザトウクジラを埋葬す

S環に肉を吊るして氷の日

父の日の犢鼻褌(たふさぎ)白くありました

夏至の日のハンカチ・指輪・腕時計

両耳に海の記憶を真珠の日

手の甲に太き血管土用の日

旧・海の日は渚Y子の誕生日

海の日のイギリス海岸遠くあり

山の日も海を恋しく思ひけり

指を折り数ふる遊び俳句の日


注釈

夫婦の日=11月22日

ミントの日=3月10日

ラジオの日=3月3日

電気の日=3月25日

トランスジェンダーの日=4月4日

令和改元日=2019年5月1日

母の日=5月第2日曜日

氷の日=6月1日

父の日=6月第3日曜日

真珠の日=7月11日

旧・海の日=(1996~2002年)7月20日

海の日=(2003年~)7月第3月曜

山の日=8月11日

俳句の日=8月19日

ほたる通信 Ⅲ(16)  ふけとしこ

    岩を抱へて

織られゆく糸の輝き銀杏散る

階段を上がつて窓を開けて冬

人形の髪の手触り冬の月

岩肌を転がる小石滝涸るる

落ちさうな岩を抱へて山眠る

 ・・・

 偶然にもルリチュウレンジという昆虫を知った。

 晩秋のある日ある寺を訪れた。蓮池へ回るとまだ実が残っていて、数個を手に入れた。お寺で泥棒行為をしてはいけないのだが……。そこで近くの木に絡んでいた藪枯らしの残り花の上に三匹の黒い虫を見つけた。見たことがあるかしら、初めてかしら? と思いつつ見た。小さな蜂のようでもあった。

 次の日に句会があった。それが終って外へ出た時に躑躅の植込みを多くの黒っぽい虫が飛び回っているのを見つけた。あれ? 昨日見た虫じゃないの? である。2日連続で見かけるとは、これは縁だろう。そう思って今度はじっくり観察した。

 何しろルーペは持っていないし、相手は動き回っているし……、ではあったが、ただ黒く見えた翅は藍色のような、もう少し青味があって瑠璃色に近いような色をしている。

 帰宅後調べたらルリチュウレンジ(瑠璃鐫花娘子)らしい。何に驚いたって、この漢字に、である。たかだか1センチ弱の黒っぽい蜂につけるような名前なのだろうか。「鐫」は初めて見る字だったし、意味も解らない。辞典によると「鐫」とは穴を開けるとか掘るとかいう意味があるとのこと。つまり、雌蜂が植物(多くの場合,ツツジやサツキ類)の茎に穴を開けて、そこに卵を産み付けることが名前の由来のようだ。その植物はつまり幼虫達の食草になるわけで、農家や園芸関係の人達からすれば害虫ということになる。

 綺麗な花には棘があるとはよく言われることだが、綺麗な虫にも何かがあるということだろう。何月頃に発生しているのか、これからは気にかけて見てゆこうと思っている。

 そう言えば今年の9月にはウバタマムシ(姥玉虫)を見た。須磨海岸から山へ続く道でのこと。いわゆる玉虫色のタマムシよりやや小さいだろうか。ウバタマムシは法隆寺の玉虫厨子で有名だから、その存在は知っていたが、見るのは初めてであった。初めてのことには幾つになってもちょっとドキドキする。

(2021・11)

【連載】澤田和弥論集成(第6回-5) 

 (【俳句評論講座】 共同研究の進め方 澤田和弥のこと――「有馬朗人研究会」及び『有馬朗人を読み解く』(その2))


(5)【参考】2015年7月24日(BLOG「俳句新空間」)

澤田和弥の過去と未来  /筑紫磐井


 未見の人であったが気になっていたのは澤田和弥氏であった。『超新撰21』の時から候補にはあがっていたが、結果的に見送ってしまっていた人である。特にその後、句集『革命前夜』を上梓され、いい意味でもそうでない意味でも、『新撰21』の影響があった人ではないかと思っている。

 『新撰21』等に入らなかったことについて西村麒麟氏から、『新撰21』がこれだけたくさんの新人(42人。小論執筆者まで入れれば80人。さらに『俳コレ』まで登場した)を発掘してしまうと、このシリーズに入らなかったことそれ自身が逆の差別をされてしまったような気になる、と企画者の一人に対する注文とも不満ともつかぬ発言をしたことがある。これは澤田氏にとっても同じ思いであったかもしれない。

 逆に言えば、入らなかった御中虫、西村麒麟、最近の例でいえば堀下翔などは、すでに『新撰21』(例えば神野紗希、佐藤文香)を超越してしまった世代といえるのではないかと勝手に思っている。『新撰21』といえども企画者3人の独断と偏見に満ちた選考で上がった名前であるから、これら3人の枠組みの中でしつらえられている。御中虫、西村麒麟、堀下翔はこうした企画者に反発して自分たちの枠組みで自分たちの登場の場を確保したのだ。

 以前、俳句甲子園に苦言を呈したのは、もちろん若い高校生たちが俳句に関心を持ってゆくのはありがたいが、彼らは、俳句甲子園企画者のルールに従い、枠組みの中で競っているのであって、自分たち独自のルールを作り上げたわけではない。以前の高校生は――つまり寺山修司などは、自分たちで同人雑誌を創刊し、全国の高校生を結集し、中村草田男などと交渉して俳句大会を開催していった。そうした活動と俳句甲子園とはずいぶん違うのだということである。もちろんどちらがいい悪いとは言わない、より多くの高校生俳人を結集させるには俳句甲子園方式はかなりいい手法かもしれないが、寺山流ではないのは間違いない。

 『新撰21』から外れた動きを眺めるために、今回【アーカイブコーナー】で、御中虫、西村麒麟の活動を掲げてみた。これは明らかに「上から目線」を完全には排除できなかった(他の俳人たちに比べれば余程努力したつもりだったのだが、完全には排除出来ないのだ)『新撰21』に対する、反『新撰21』の活動であったと思っている。いや、ほどほどに妥協し、揶揄しながら自分たちの主張を断固として貫徹している。『新撰21』が存在しなくても自分たちの存在は明らかになっていると思っている人達であろう。

 澤田は『新撰21』の影響を受けつつ、やはり独自の世界を模索し続けたようである。実に様々な媒体に挑戦している。私の関係するところでは、「豈」「俳句新空間」に登場しているし、その行く先は茫漠としていた。若い人らしい行方のなさだ。

 澤田は自らも寺山修司への傾倒を語り、句集にもその痕跡を残したが、しかし作品として寺山の傾向が強かったとはあまり感じられなかった。むしろ早稲田大学を通して、寺山の系譜を確認し続けたといった方がよいかもしれない。彼のライフワークになると思われたのは(悲しいことにわずか4回で中断してしまったが)、遠藤若狭男の主宰する「若狭」に連載し続けた寺山修司研究(「俳句実験室 寺山修司」)だ。これが完成していたら、寺山と澤田の関係はもっと濃密に見えたかもしれない。

 本人が存命している時の句集『革命前夜』と、亡くなってしまったあと読む句集『革命前夜』は少し趣が違っている。前者が今まで書かれた句集評の大半なのだが、後者を「俳句四季」10月号の座談会で取り上げ試みる予定であるが(齋藤愼爾、堀本祐樹、角谷昌子と座談)、妙に物悲しいものに思える(既に『革命前夜』は版元で売り切れ絶版となっている由)。有馬朗人氏の、「『革命前夜』をひっさげて俳句にそしてより広く詩歌文学に新風を引き起こしてくれることを心より期待し、かつ祈」るという、わずか2年前の序文がどうしようもない違和感を醸し出す。なぜなら今日のこの状況を誰も知らないからだ。私は当初、こんな句を選んだがそれは未来のある人の句としての鑑賞だ。


    佐保姫は二軒隣の眼鏡の子

    黄落や千変万化して故郷

    冬の夜の玉座のごとき女医の椅子


 実は死の予告のような句を選んでしまった。詳細は「俳句四季」10月号を見て頂きたい。だからここでは、『革命前夜』後の作品を掲げて締めくくりたい。澤田和弥の未来がどうあったか(亡くなっても作者としてはまだ未来があるのだ。後世の読者がどう評価するかは我々の思惑を越えているのだから)、考えてみたい。御冥福をお祈りする。


    人間に涙のかたち日記買ふ   「若狭」より

    菜の花のひかりは雨となりにけり

    春夕焼文藝上の死は早し   「週刊俳句」角川俳句賞落選句より

    復職はしますが春の夢ですが

    女見る目なしさくらは咲けばよし

2021年11月5日金曜日

第171号

     ※次回更新 11/26

第45回現代俳句講座(2)
日時:2021年11月20日(土)14〜16時
会場:ゆいの森あらかわ ゆいの森ホール
講師・講演内容
1「季語は生きている」筑紫磐井
2「季語を考える、季語を楽しむ」筑紫磐井・赤野四羽・赤羽根めぐみ
定員:120名(申込順)
聴講料:1000円(現代俳句協会会員:700円)
申込・問合せ先:現代俳句協会・現代俳句講座係

豈64号 まもなく発売! 購入は邑書林まで

俳句新空間第14号 発売中 》刊行案内


【新連載】北川美美俳句全集5 》読む

【連載】澤田和弥論集成(第6回-4) 》読む


【新企画・俳句評論講座】

・はじめに(趣意)
・連絡事項(当面の予定)
・質問と回答
・テクスト/批評 》目次を読む

【俳句の新展開】

句誌句会新時代(その一)・ネットプリント折本 千寿関屋 》読む
句誌句会新時代(その二)・夏雲システムの破壊力 千寿関屋 》読む
ネット句会の検討 》読む
俳句新空間・皐月句会開始 》読む
皐月句会デモ句会結果(2010/04) 》読む
皐月句会メンバーについて 》読む
》第1回(2020/05) 》第2回(2020/06)
》第3回(2020/07) 》第4回(2020/08)
》第5回(2020/09) 》第6回(2020/10)
》第7回(2020/11) 》第8回(2020/12)
》第13回(2021/05) 》第14回(2021//06)
》第15回(2021/07) 》第16回(2021/08)
第17回皐月句会(9月) 》読む
第18回皐月句会(10月)[速報] 》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和三年夏興帖

第一(9/17)なつはづき・堀本吟・飯田冬眞・青木百舌鳥・杉山久子
第二(9/24)渕上信子・木村オサム・中村猛虎・花尻万博
第三(10/1)加藤知子・仲寒蟬・網野月を・岸本尚毅・坂間恒子
第四(10/8)辻村麻乃・曾根 毅・小林かんな・望月士郎・神谷 波
第五(10/15)大井恒行・鷲津誠次・山本敏倖・水岩 瞳
第六(10/22)のどか・夏木久・早瀬恵子・竹岡一郎
第七(10/29)井口時男・眞矢ひろみ・前北かおる
第八(11/5)ふけとしこ・林雅樹・家登みろく・小野裕三・池田澄子

■連載

【抜粋】 〈俳句四季11月号〉俳壇観測226
「『真神』考」の誕生――「詩美よりも詩心を深く読みとる」
筑紫磐井 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (15) ふけとしこ 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい
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25 紅の蒙古斑/岡本 功 》読む

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい
インデックスページ 》読む
17 央子と魚/寺澤 始 》読む

英国Haiku便り[in Japan]【改題】(25) 小野裕三 》読む

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい
インデックスページ 》読む
18 恋心、あるいは執着について/堀切克洋 》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
インデックスページ 》読む
7 『櫛買ひに』のこと/牛原秀治 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい
インデックスページ 》読む
18 『ぴったりの箱』論/夏目るんり 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい
インデックスページ 》読む
11 『眠たい羊』の笑い/小西昭夫 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
2 鑑賞 句集『たかざれき』/藤田踏青 》読む

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい
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11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む

句集歌集逍遙 なかはられいこ『脱衣場のアリス』/佐藤りえ 》読む

葉月第一句集『子音』を読みたい 
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大井恒行の日々彼是 随時更新中! 》読む


■Recent entries

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編 》読む

【100号記念】特集『俳句帖五句選』

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
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眠兎第1句集『御意』を読みたい
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麒麟第2句集『鴨』を読みたい
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前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
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麻乃第二句集『るん』を読みたい
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寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事 》見てみる

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
11月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子







筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】 〈俳句四季11月号〉俳壇観測226 「『真神』考」の誕生――「詩美よりも詩心を深く読みとる」  筑紫磐井

 戦後俳人の人気を調べれば、金子兜太と双璧をなすのが三橋敏雄であろう。この二人は対照的である。金子は、戦後俳句運動を体現した作家であり、社会性俳句、前衛俳句といった戦後俳句の中でその足跡をしるし、「海程」主宰、現代俳句協会名誉会長という組織の頂点にも立った作家であるが、三橋はこうした「長」と名の付く肩書は持っておらず、その出発は戦前の戦火想望俳句であるが、戦後はほとんど俳句界から抜け出し、空白期間をおいて復活している。いかにも新興俳句作家らしい生き様であった。

 人気作家らしく、三橋敏雄の全句集としては、生前の『三橋敏雄全句集(増補版)』(一九九〇年立風書房刊)、没後の『定本三橋敏雄全句集』(二〇一六年鬣の会刊)がありその研究のための資料は比較的恵まれている。

 一方、三橋敏雄論としては、すでに遠山陽子氏の『三橋敏雄 したたかなダンディズム』(二〇一二年沖積舎刊)がある。きわめて評価の高い本であるが、基本的には評伝であり、三橋敏雄の生涯とその間にちりばめられた著名な句が紹介されている。しかし、人気作家でありながら三橋の関係書はこの本以外決して多くはない。例えば、右に上げた金子兜太に比較するとどうしても少ないと言わざるを得ない。

 こうした中でつい最近、北川美美による三橋敏雄句集『眞神』(一九七三年刊)の鑑賞書である『『眞神』考――三橋敏雄句集を読む』(二〇二一年九月ウエップ刊)が出された。句集『眞神』一三〇句の鑑賞であるから作品数は決して多いとは言えないが、『眞神』が三橋の代表句集であること、『眞神』の中に人口に膾炙した多くの句が含まれていることから、三橋敏雄研究としては適確手ごろな鑑賞書と言える。手頃と言っても、三六〇頁の大冊だから世の常の入門書とは違う。手ごろというのは、世の中の多くの雑誌には三橋敏雄論がおびただしく発表されている(これが三橋の人気作家である証拠なのだが)が、代表句を連ねた鑑賞をすることでやや上滑りで類型的になりやすいのに比べ、『『眞神』考』のように三橋の句集を集中的に読むことにより、ある時代の三橋の俳句に対する考え方を集中的に浮かび上がらせるからなのである。

 『『眞神』考』は二部に分かれ、前半第一部鑑賞編は一三〇句を淡々と鑑賞し、技法や思想における『眞神』の各句相互の関係、あるいは『眞神』以外の句集の作品との関係を考察する。淡々と言っても、ツボにははまった句は数ページにわたり小見出しを多くつけて論じるから著者の思い入れに圧倒される。

 一方、後半第二部研究編は三橋のキーワードとなる問題を横断的に比較し、深層に踏み込もうとする。冒頭、三橋にとって決定的な意味を持つ戦火想望俳句を取り上げ、動詞の多用、父母の関係、色彩、連句と連作、戦火想望俳句の結論である無季問題について取り上げる。せっかくなので著者の生の言葉を一部紹介しよう。


〇戦火想望俳句が受けた非難、そして新興俳句弾圧、壊滅の経験が以降の敏雄の作風転換の原動力だった。

〇戦火想望俳句の制作は敏雄の〈想望の門出〉でもあった。

〇人間探求派と呼ばれる師系と新興俳句を継承する師系の微妙なる過去の対立が残っているように感じられる。

〇新興俳句最年少であった敏雄は、終生想望による無季句、反戦を込めた戦争詠をつくり続ける。戦火想望俳句は敏雄にとり想望の礎なのである。


 これらを見ることにより研究編の大筋を理解できるであろう。戦火想望俳句、戦争俳句と無季俳句は密接につながっているのであった。もちろんこの考えは人によってさまざまな評価があるが、「詩美よりも詩心を深く読みとる」が北川の本書の根幹なのであった。

       *

 さて著者の北川美美についてはぜひ言っておかなければならないことがある。実は北川美美は「『真神』考」を準備中の本年一月十四日に亡くなったことだ。享年五七であった。三雄は最晩年は「面」に所属していたが、三橋没後北川は「面」に入り、当時「面」の同人であった山本紫黄、高橋龍、池田澄子などから三橋に対する伝説を聞いていたのであろう。三橋の没後弟子という不思議な関係でこの本がまとめられたのであった。何回か断続連載されたBLOGでの「『真神』論」、総合誌「WEP俳句通信」での二一回に連載を経て最終稿にたどりついたが、亡くなる寸前まで原稿に手を加え、親しい人には「『真神考』は絶対完成させたい。それが終わるまでは、絶命したくない」と言っていたそうだ。

(以下略)

※詳しくは「俳句四季」11月号をお読み下さい


【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(15)  ふけとしこ

    ひんやりと

無花果の箱ひんやりと受け取りぬ

猿茸日照り続きを鬱々と

澄む秋の枝に嘴拭うては

秋深し石鹸白きまま細り

秋の日の笹舟岸を離れけり

笹舟が岸を離れる秋がゆく


   ・・・

 ある人から句集を頂いた。蜘蛛の句があった。字が蛛蜘となっていた。間違いだろう。それより前に『寺田京子全句集』を頂いていた。帯に書かれていた「鷹の巣や東西南北さびしきか」を見て、あれ? と思った。私は「鷺の巣や東西南北さびしきか 京子」と憶えていたからだ。この句に憧れて鷺の巣の句を自分なりに幾つか試みたこともあったし。収録の俳句はちゃんと「鷺の巣や……」と印刷されていてほっとしたものだった。ただ、この全句集が結社誌に紹介されることがあればどうなるかという心配はあった。謹呈句集の場合は帯の一句を引いて礼状を書くという人がいるのを知っていたからだったが、案の定それは起きた。某俳誌に「鷹の巣や……」として鑑賞されているのを見たのである。心配した通りのことが起きたのだった。

変換ミスも誤植も起きる。校正は必ずやるけれど、数人でやっても全員が同じ箇所を見落としてしまうこともままある。

自作の例でいうと碁石が墓石に、蚯蚓が蜥蜴に、底が庭に、鯉が鮭になっていた等々である。夜が世になっていたこともあった。悲しかったのは文章の末尾の3行が消されていたこと。俳句では「馬の眼に映つた順に寒くなる」のはずが「馬に映った順に寒くなる」と印刷されていたこと。この時は少し悲しかった。もっとも、これらは笑い話ですむ程度のことだと言われればそれまでのことだけれど。

今、小さな句会の作品集の編集にかかっていて、それでこんなことを思い出している。

(2021・10)

【新連載】北川美美俳句全集5

 今回は、作品下に書いたエッセイもあげておいた。『『真神』考』のあとがきにも書いたように、北川美美と吉村毬子との関係(というより美美からの毬子への関心)は深い。俳句新空間第14号の北川美美追悼号で長嶺千晶氏が書いている鬼気迫るエピソードは毬子のことだと思う。その毬子は美美に先立つ4年前になくなっている。多分お互い思い残すことの多い死ではなかったかと思うだけに、共感も溢れているように感じたのである。文中の「何かに駆り立てられていたのだろう。けれどそれは周囲を巻き込む凄まじい負のエネルギーでもあった」は美美自身を語っているようにも思える。


【豈60号】2017年11月

    沐雨~吉村毬子に捧げる鎮魂~

                     北川美美

瞼裏に見ゆる春日や恋ひ暮らし

満開の桜の森にゐる毬子

脱ぎなさい金襴緞子重いなら

霞むまで煙草が好きで大好きで

流さるる磯巾着のあはれかな

バスを待つ毬子がそこにゐたやうな

深海の魚を連れて毬子来る

茅ケ崎の方より驟雨空無限

沐浴の雨はあたたか夏木立

真珠より白き足裏や死装束

滴の消へてひろごる水輪かな

日盛に火を焚いてゐる女ゐて

西方の空か真つ赤弓金魚売

昨日の蠅が部屋から出てゆかぬ

おのづから閉まる引戸や夏館

弓に張る弦は黒髪きりぎりす

河泳ぐ身体しなやか星月夜

しばらくは毬子を思ふ秋雨かな

黒革の手袋に入る白き指


 何度か顔を合わせていた吉村毬子と話をしたのは二〇一三年三月五日、筑紫氏の祝賀会(俳人協会評論賞)の二次会の席だった。新宿・サムライのコーナー席からカウンター席に場所を移したが申し訳ないことに何を話したのか全く憶えていない。彼女の席の下に黒革の手袋が落ちていて、店を出た毬子を追いかけたことは覚えている。顔を合わせて話をしたのはそれが最初で最後。しかし以降約二年問、BLOG俳句新空間における「中村苑子論」を巡るやりとりがはじまった。同時期、毬子は、第一句集『手毬唄』を上梓した。何かに駆り立てられていたのだろう。けれどそれは周囲を巻き込む凄まじい負のエネルギーでもあった。二〇一七年七月十九日、彼女は浄土ヘと旅立っていった 潮騒と蝉時雨に見送られ安らかな眠りだったと思いたい。 

   吉村毬子『手毬唄』より三句

 金襴緞子解くやうに河からあがる

 毬の中土の嗚咽を聴いてゐた

 水鳥の和音に還る手毬唄


第18回皐月句会(10月)[速報]

投句〆切10/11 (月) 

選句〆切10/21 (木) 


(5点句以上)

10点句

鳥渡る骨のかたちをして綿棒(望月士郎)

【評】綿棒で耳の軟骨をコリコリしてやろう…、空が軽く響くかも??…マンボー!──夏木久

【評】 手羽先を食べた時の骨の残骸を思い出しました。確かに綿棒みたいです。そう考えると〈鳥渡る〉が何だか面白く思えてきました。──篠崎央子


8点句

月光のくだけて水のいそがしく(小林かんな)

【評】 月光が真っ直ぐ差し込み、川などの水に当たって砕けた。実際は水が弾け散ったのだが、月光が砕けたように見えた。光を纏った水は眩しく、いそがしく感覚された。──山本敏倖


7点句

カンナ咲く明治の余熱積む煉瓦(飯田冬眞)


秋暑し展示ケースは指紋越し(内村恭子)


鰡が跳ね東京の川らしくなり(西村麒麟)

【評】 実景が手にとるようにわかる。東京らしいというところが心象の要素。──依光正樹

【評】 どこか東京以外の土地から転居してきたのだろうか。川の流れだけ見れば、何処とも大して変わらぬ水の流れだったのだろう。日々、川はただそこを流れていて、作者は日常を重ねてゆく。川をのんびり眺める余裕などなかったのかもしれない。ところがある日、ぴょんと鰡が跳ねた。それを見た瞬間、何でもない景色が作者の中で一変する。ああ「東京の川だ」と思ったのだ。川が東京の川らしくなったと書きながら、実は作者自身も東京の人らしくなってきたということ。私も東京の水辺に住んでいる。東京の川が好きだ。隅田川、荒川、中川、江戸川。掲句はどこかほのぼのとしていて、読み手をほっとさせてくれる、そんなひろやかな句だと思った。──依光陽子


6点句

長き首の上に置きたる秋の顔(水岩瞳)


5点句

木のかなた風のかなたの運動会(依光陽子)

【評】 「いつまでも運動会に行く途中」(故澤田和弥)を思い出して切ない。──渕上信子


(選評若干)

天狗茸ボルジアならばどう使ふ 3点 仲寒蟬

【評】 もちろん毒殺!──仙田洋子

【評】 ヴァレンティーノ公チェーザレ・ボルジアならどんな謀略に使うでしょうね。──佐藤りえ


捨案山子並びて何を語り合ふ 3点 松代忠博

【評】 案山子同士の会話には、雀も参加。そもそも、案山子が雀を追い払っているのを見たことがありません。──渕上信子


天網を揺すりて帰る燕かな 4点 仙田洋子

【評】 「揺する」という動詞の選び方は如何。という点だけ気になりますがそれはそうと、恢恢たる天網を、突破なり回避なりして帰って行くという見立ては妙想、と小膝を打ちました。燕はそう思ってもじつは天は遥かに広く寛闊で……というニュアンスまで含めて。──平野山斗士

【評】 「天網を揺すりて」がいいですね。スケールが大きくなりました。──水岩瞳


鰯雲ここにひとりの父もおらず 2点 松下カロ

【評】 不思議な言い回し。「ここにひとりも父おらず」ではない。父もいないんだから、母もいないのかもしれない。不思議な集まりだ。鰯雲もそうだ。父母なんてない、有象無象の集まりなのだ。──中山奈々


どの辺りとなく揺れ交はす花野かな 4点 小沢麻結

【評】 どの辺りとなくエロチックで諧謔もあり 叙景でもよいが心象描写として読む方が面白いかな などと揺れるアングルを読み手に提供する──真矢ひろみ


銀杏の道に母子の悲鳴かな 2点 平野山斗士

【評】 大変な事が起きたような、ただ臭い実を踏んだだけのような。──望月士郎


きちきちが左右へと開け景開け 1点 平野山斗士

【評】 土手を登るときのような、草を分けきちきちを飛び立たせ、登り切ったところで一気に視界のひろがる爽快さが想われました。──青木百舌鳥


実むらさき鈴木しづ子のそののちは 3点 仙田洋子

【評】 鈴木しづ子は戦後ダンサーや黒人兵との結婚を経て奔放な女性の境涯を詠んだ俳句で注目を浴びた。しかし、昭和27年第2句集『指環』を刊行直後、現在まで行方不明。存命なら102歳となっているはず。伝説の俳人の筆頭である。──筑紫磐井


みちのくの新米届く鴨肉と 2点 渡部有紀子

【評】 白く輝くお米を炊き、鴨は何に調理して頂くのだろうなど食欲が湧いてくる御句です──小沢麻結


千古らを白砂にして落とす秋 1点 山本敏倖

【評】 太古や永久を意味する語「千古」が複数形で用いられたことで不思議な印象が生じました。記紀の千五百秋(ちいおあき)を思いました。──妹尾健太郎


夢にまた同じ人ゐる女郎花 4点 真矢ひろみ

【評】 ちょっと怖い句。「同じ人」がどんな人なのか、もう少しわかると、更にいい句になるように思います。──仙田洋子


蜉蝣にされて誰かの記憶の川 3点 望月士郎

【評】 この書かれ方は主人公が神によって蜉蝣にされた、つまり生まれ変わらされたということであろうか。生まれ変わった先が誰かの「記憶の川」であったという。実に不思議な句だ。曖昧かつはかなげな川で作者の生まれ変わりの蜉蝣はただでさえ短い一生をどのように過ごすのだろうか。──仲寒蟬


画架立てて運動会を遠巻きに 2点 前北かおる

【評】 「遠巻きに」が面白かった。──仙田洋子

【評】 運動苦手の私には、運動会はいつまでも遠くにあって欲しかった。──渕上信子


秋草の天を指すもの垂るるもの 3点 渡部有紀子

【評】 いかにも秋草らしい。──仙田洋子


草は実に人間何にかはりゆく 3点 水岩瞳

【評】 本当に、何になるんでしょうねえ・・・──仙田洋子


秋の酒ふらりふらりと本棚へ 1点 西村麒麟

【評】 自宅でのひとり酒でしょうか。自分ならスマホやテレビになりそうなので、よほど読書を愛好する人なのだろうと思います。「ふらりふらり」という足取りも、人物が表れていて面白いと思いました。──前北かおる