2022年5月27日金曜日

第184号

        次回更新 6/17


第45回現代俳句講座質疑(12) 》読む

★第6回芝不器男俳句新人賞の決定! 》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和四年春興帖
第一(4/29)仙田洋子・仲寒蟬・坂間恒子
第二(5/6)なつはづき・山本敏倖・杉山久子
第三(5/13)花尻万博・望月士郎・網野月を・曾根毅
第四(5/20)瀬戸優理子・鷲津誠次・木村オサム
第五(5/27)早瀬恵子・岸本尚毅・小林かんな

令和四年歳旦帖
第一(2/11)仙田洋子・神谷波・加藤知子
第二(2/18)坂間恒子・辻村麻乃・松下カロ
第三(2/25)杉山久子・仲寒蟬・花尻万博
第四(3/4)ふけとしこ・岸本尚毅・内村恭子
第五(3/11)山本敏倖・網野月を・田中葉月・なつはづき
第六(3/18)浜脇不如帰・木村オサム・鷲津誠次・男波弘志
第七(3/25)小沢麻結・前北かおる・小野裕三
第八(4/1)渡邉美保・曾根 毅・鷲津誠次
第九(4/8)浅沼 璞・眞矢ひろみ・下坂速穂・岬光世
第十(4/15)依光正樹・依光陽子・竹岡一郎・瀬戸優理子
第十一(4/22)林雅樹・水岩瞳・佐藤りえ・筑紫磐井


■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第24回皐月句会(4月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中! 》読む


豈64号 》刊行案内 
俳句新空間第15号 発売中 》お求めは実業公報社まで 

■連載

北川美美俳句全集17 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (22) ふけとしこ 》読む

【抜粋】〈俳句四季5月号〉俳壇観測232 稲畑汀子の業績―――花鳥諷詠の新興

筑紫磐井 》読む

英国Haiku便り[in Japan](30) 小野裕三 》読む

澤田和弥論集成(第7回) 》読む

句集歌集逍遙 櫂未知子『十七音の旅』/佐藤りえ 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス
25 紅の蒙古斑/岡本 功 》読む

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス
17 央子と魚/寺澤 始 》読む

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス
18 恋心、あるいは執着について/堀切克洋 》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス
7 『櫛買ひに』のこと/牛原秀治 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス
18 『ぴったりの箱』論/夏目るんり 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス
11 『眠たい羊』の笑い/小西昭夫 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
2 鑑賞 句集『たかざれき』/藤田踏青 》読む

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス
11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む





■Recent entries
葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
4月の執筆者(渡邉美保)

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

第6回芝不器男俳句新人賞の決定!

  第6回芝不器男俳句新人賞の最終選考会(主催:芝不器男俳句新人賞実行委員会)が、2022年5月21日(土)14時00分より、ゆいの森あらかわ ゆいの森ホールで開催され、新人賞、奨励賞、特別賞を決定した。 第六回芝不器男俳句新人賞は田中泥炭(たなかぴーと)に決定した。


選考委員会:

選考委員 城戸 朱理氏(詩人)

      齋藤 愼爾氏(俳人)

      中村 和弘氏(俳人)

      対馬 康子氏(俳人)

      西村 我尼吾氏(俳人)

      特別賞 関 悦史氏(俳人)

    コーディネーター 筑紫 磐井氏(俳人) 

※第6回芝不器男俳句新人賞の選考委員齋藤愼爾氏は病気のため参加されず、新人賞の選考には参加されなかった。また奨励賞も当日は授与されなかった。


    芝不器男俳句新人賞受賞者

第6回芝不器男俳句新人賞 田中泥炭(123番)

第6回芝不器男俳句新人賞 選考委員奨励賞

 城戸朱理奨励賞 櫻井天上火(120番)

 対馬康子奨励賞 浅川芳直(67番)

 中村和弘奨励賞 本人辞退

 西村我尼吾奨励賞 藤田哲史(97番)

第6回芝不器男俳句新人賞特別賞 早舩煙雨(66番)


賞は次の通り。

○芝不器男俳句新人賞 1名 賞状、賞金30万円、副賞 

○奨励賞(選者名を冠する賞) 5名 賞状、賞金5万円

○特別賞 1名 賞状、賞金5万円


【経過】

募集内容

 応募者が創作した俳句100句。既発表句も可、ただし、平成29年(2017年)12月1日以降に発表した句で、著作権を他に譲渡していないものに限る。

選考方法

一次選考会で、氏名等応募者の属性を秘匿のまま討議選考し、令和4年(2022年)4月に結果をウェブサイト上に掲載した。

 応募作品148編(前回は140編)から、選考委員が、氏名等応募者の属性がわからないようにした作品すべてに事前に目を通して、一次選考通過作品を決定。

一次選考通過作品番号(35作品)

3、6、7、8、10、18、22、23、31、34、45、46、49、55、61、62、66、67、75、83、88、89、96、97、104、107、108、115、119、120、122、123、125、128、130

(このうち2作品が最終選考前に辞退があった)。


【歴史】

 芝不器男俳句新人賞は、4年に一度、愛媛県松野町出身の俳人・芝不器男にちなみ、今世紀の俳句をリードする新たな感性が登場することを支援することを目的とし、新鮮な感覚を備え、大きな将来性を有する若い俳人に贈る賞で1ある。

 平成14年に第1回を愛媛県文化振興財団が主催し、第3回まで継続したが、平成26年、第4回から芝不器男俳句新人賞実行委員会によって継続されることとなった。

過去の受賞者は次の通り。


第1回芝不器男俳句新人賞 冨田拓也

第2回芝不器男俳句新人賞 杉山久子

第3回芝不器男俳句新人賞 御中虫

第4回芝不器男俳句新人賞 曾根毅

第5回芝不器男俳句新人賞 生駒大祐


【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (22)  ふけとしこ

  二羽

たんぽぽのわたを吹こうよ泣き止めよ

かいつぶり潜り覚えし二羽の子と

黄菖蒲や鋭く過ぎる鳥の声

上手とは言へぬオカリナ夏の浜

北山と名づけて薔薇の真白なる

 

・・・

 ある人から冊子が届いた。

 あなたの名前を出しているのでお送りしますとの添え書きがあった。

 私の名前が載っているところというのは、ヒメジョオン(姫女菀)についてのエッセーだった。ふけとしこさんからヒメジョオンの覚え方について教わった云々というのである。

 「芯はしっかり姫女菀と覚えればいいのよ」と私が言ったのだそうな……。違います! それは間違いです! 私は「芯はしっかりお姫様」と言ったのである。と言ってもこれは私の発見でも言葉でもなく、植物写真家いがりまさし氏の受け売り。そのことも同時に話していたはずだ。

 何の話かというとヒメジョオンとハルジオンの見分け方のことなのである。ユーミンに「ハルジョオン・ヒメジョオン」という歌があったが、正しくはハルジオン・ヒメジョオンということになる。でもこれは歌詞だから、まずは作詞家の意図であったり、美意識であったり、歌う時の音を調えるためだったりすることである。漢字で書けば春紫菀・姫女菀となるのだが、それはそれ、植物図鑑ではないのだから……。

 その図鑑では春紫菀は春。姫女菀は夏に分類されるが、多くは春から夏、秋にまでも混在していることが多い。どちらもアメリカからの外来種でキク科。白い小さい花を咲かせる。見分けるには、花の色とか花びらの数や大きさの違いを知っていなければ難しい。ハルジオンはうっすらと紅色を含み、蕾の時には下向きであるといったささやかな特徴があるけれど、これは二種の花を並べてみないと見分けがつかないかも知れない。

 そこで一番手っ取り早いのが茎を折ってみるという方法なのである。ハルジオンは茎の中が空洞、ヒメジョオンは髄が詰まっている。そこで前述の「芯はしっかりお姫様」という覚え方が出てくることになるのだ。このことを草の観察会の時に話したのであった。他人様から見ればどうでもいいことだろうが、私としては面白くない。いがりまさし氏にも申し訳ないではないか。

 というわけでふけとしこさんは少々怒っているのである。

 ヒメジョオンは季語になっているが、何故かハルジオンは歳時記には見当たらない。

 野原はもちろん、土手や空地、道路の分離帯でも今頃は花盛り、白い花が風に揺れている。

(2022・5)

北川美美俳句全集 17

 ●面111号「ゲリとフレキ」2011年2月1日


元旦の東京タワー赤し赤し

太古より蝉は飴色琥珀色

グラシン紙覆ひて透ける太古かな

秋暑し引上げ船に船名なし

教会の枯葉を挿む書は天金

赤頭巾かの狼を連れまわす

極寒に少年運ぶ夜汽車かな

冬の日や畳の上で抱き合へり

十二月曇り硝子に迫る鱶

 追悼 ハプニングス・フォー ぺぺ吉弘

淋しさの片方を提げ虹の中


●面112号(大高さん追悼句のみ) 2011年5月5日

鳥帰る神のひかりの輪の中へ


●面113号「冬来たる」2011年12月1日


色褪せぬ母の戀なり鶏頭花

指と指離れ落葉また落葉

淋しさに濡れる道あり秋の暮

大陸に昔つながり渡り鳥

七面坂どすんどすんと冬來たる

故郷とはいちばん寒き處かな

弥生一日墓の因果を考へる

七階より洗濯機でてゆく水無月盡

封筒を開けて香あり巴里祭

太陽が同じところに紫黄の忌

第45回現代俳句講座質疑(12)

  第45回現代俳句講座「季語は生きている」筑紫磐井講師/

11月20日(土)ゆいの森あらかわ


(2-4)誓子の前衛批判

 前衛俳句論争は、「俳句の難解性について」のあと、大きな転換を迎えます。朝日新聞が前衛特集を始めたのです。俳句にとどまらず社会全体の動きとして、「前衛を探る」という企画が始まりました。前衛は、すでに述べたように前衛俳句にとどまらず、➀建築➁グラフィックデザイン③写真④音楽⑤工芸⑥詩⑦映画⑧演劇⑨推理小説⑩絵画⑪俳句⑫いけばな⑬墨象⑭彫刻⑮テレビドラマ⑯漫画⑰日本舞踊⑱記録映画作家⑲小説があり、当然、短歌もそうです。

 この時、俳句で取り上げられたのは金子兜太と堀葦男で、兜太は東京版で加藤楸邨が、葦男は大阪版で山口誓子が論じましたが、誓子は葦男に批判的でした。誓子は葦男を前衛俳句の有能な実験者としながらも、葦男の考えている前衛俳句を俳句として見ることは誤りだと述べています(1960年10月11日)。

 何分堀葦男に限っての批評、短い文章でもあるので十分に言い尽くしていないところがあります。しかしこれを補う主張が見えます。山口誓子は、1961年6月12日の朝日新聞に「前衛俳句への疑い/前衛詩の切れはし?/金子兜太氏に問う「俳句性」」という記事を書いています。

 ここで誓子は、前衛俳句を連想で結び付けてゆく作り方だといいます。このやり方を吉岡實の詩に例に類似を見て、前衛俳句はシュルレアリスムとどう違うのか、俳句性はどこに行ったのかと問いかけます。この記事の直前の5月31日に朝日新聞に掲載された金子兜太の「現代俳句への誘い」を引き、前衛俳句における俳句性の欠如を論駁しています。最終的には金子が引いた、兜太・兜子・葦男の作品を「無意味であるから意味を持つ」のだろうと評しています。10月の論考以上に6月の誓子の論は前衛俳句に批判的です。特にその主張は、前衛俳句における意味のなさ、俳句性のなさから前衛詩の切れはしに過ぎないと酷評しています。

    *

 えてして戦いに巧みな者は、自らの戦いの中にとんでもない弱点を発揮するものです。誓子もこの轍を免れません。ここでわき道によらせていただきたいと思います。

 実は誓子は、この文章の冒頭に不思議な前置きを置いています。


 「ひところ記憶術に関する書物が相次いで出版されたとき書物好きな私はみな買って目を通した。その中でもいまでも忘れられないのは『記憶術の実際』という書物に書いてあった連想結合法のことである。物を順に結び付けて覚える方法で、たとえば「富士山・トラック・時計・スイカ・こうもりがさ・ソーセージ」は

富士山がトラックに衝突した

トラックに柱時計がかけてある

スイカにこうもりがさを突き立てた

こうもりがさの柄がソーセージだ

と覚えるのである。

 これらの章句は前衛俳句によく似ている。前衛俳句とどこが違うのであろうか。私はそれを前衛俳句作家に問う前に、自分で問うて自分で答えよう。」


 ここから、前衛俳句は連想(記憶術の連想結合法)で結び付けてゆく作り方だというのです。少し記憶術を馬鹿にしている節もうかがえますが、わざわざ記憶術に着目して比較したところは面白く思います。特にこの部分は私にとって興味深いです。

 なぜなら私も誓子とほぼ同じ時期に記憶術に関心を持ち、特に『記憶術の実際』を熟読していたからです。中学1年生の時代でした。

 渡辺剛彰著『記憶術の実際』(主婦の友社36年刊)は、哲学者井上円了の教えにヒントを受け父君彰平が開発した記憶術を渡辺氏自ら実験開発した手法です。その成果は突然現れ、劣等生から突然優等生に躍り出、東大文学部に合格、文学部(法学部ではありません)在学中に難関の司法試験に合格し弁護士を開業、NHKの「私の秘密」でデモンストレーションを披露、以後通信講座(ユーキャンの前身)の「記憶術」の講座は大人気だったそうです。ただこの記憶術は人によって適不適であったようで、私にはあまり向かなかったようです。

 こうした意味で『記憶術の実際』に注目した誓子には敬意を表しますが、果たしてそれを十分に理解していたかはやや疑問に思います。なぜなら、渡辺式記憶術は、「連想結合法」だけではなく、「外連想術」という別の手法も展開しているからです。「連想結合法」を誓子はかなり正確に理解していますが、『記憶術の実際』で最も大事で、奥義にあたるものが誓子の触れていない「外連想術」なのです。「連想結合法」は誓子が述べているように物を順に結び付けて覚える方法ですが、それはあくまで人為的な結合なのです。しかし、「外連想術」は自然発生的な連想を進め、一度その連想ができると一気に記憶の鎖が出来上がるという方法なのです。その意味では、自然な人間の「意識の流れ」に沿ったものだったのです。だからこの外連想こそがシュルレアリスムの、そして前衛俳句の源流といってよいと思います。

 私が『記憶術の実際』に関心を持ったのは、渡辺記憶術が実は「記憶とは連想である」という仮説に基づいていたからです。誓子が言っている「意味」や「俳句性」は論理の世界であり、人間のもう一つの大きな世界が「連想」であると思われるからです。誓子の『記憶術の実際』を使った批判は誓子の考える「意味のある俳句」を明らかにしましたが、逆に『記憶術の実際』が明らかにした連想の世界を排除してしまっていることも明らかにしてしまったのです。言い換えれば、前衛俳句とは意識の流れ俳句であったということでしょうか。

2022年5月13日金曜日

第183号

       次回更新 5/27


第45回現代俳句講座質疑(11) 》読む

★現代俳句協会 金曜教室のお知らせ 》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和四年春興帖
第一(4/29)仙田洋子・仲寒蟬・坂間恒子
第二(5/6)なつはづき・山本敏倖・杉山久子
第三(5/13)花尻万博・望月士郎・網野月を・曾根毅

令和四年歳旦帖
第一(2/11)仙田洋子・神谷波・加藤知子
第二(2/18)坂間恒子・辻村麻乃・松下カロ
第三(2/25)杉山久子・仲寒蟬・花尻万博
第四(3/4)ふけとしこ・岸本尚毅・内村恭子
第五(3/11)山本敏倖・網野月を・田中葉月・なつはづき
第六(3/18)浜脇不如帰・木村オサム・鷲津誠次・男波弘志
第七(3/25)小沢麻結・前北かおる・小野裕三
第八(4/1)渡邉美保・曾根 毅・鷲津誠次
第九(4/8)浅沼 璞・眞矢ひろみ・下坂速穂・岬光世
第十(4/15)依光正樹・依光陽子・竹岡一郎・瀬戸優理子
第十一(4/22)林雅樹・水岩瞳・佐藤りえ・筑紫磐井


■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第24回皐月句会(4月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中! 》読む


豈64号 》刊行案内 
俳句新空間第15号 発売中 》お求めは実業公報社まで 

■連載

【抜粋】〈俳句四季5月号〉俳壇観測232 稲畑汀子の業績―――花鳥諷詠の新興

筑紫磐井 》読む

英国Haiku便り[in Japan](30) 小野裕三 》読む

北川美美俳句全集16 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (21) ふけとしこ 》読む

澤田和弥論集成(第7回) 》読む

句集歌集逍遙 櫂未知子『十七音の旅』/佐藤りえ 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス
25 紅の蒙古斑/岡本 功 》読む

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス
17 央子と魚/寺澤 始 》読む

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス
18 恋心、あるいは執着について/堀切克洋 》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス
7 『櫛買ひに』のこと/牛原秀治 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス
18 『ぴったりの箱』論/夏目るんり 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス
11 『眠たい羊』の笑い/小西昭夫 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
2 鑑賞 句集『たかざれき』/藤田踏青 》読む

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス
11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む





■Recent entries
葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
4月の執筆者(渡邉美保)

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

連載【抜粋】〈俳句四季5月号〉俳壇観測232 稲畑汀子の業績―――花鳥諷詠の新興  筑紫磐井

 稲畑汀子という人

 この冬多くの俳人が亡くなられた。岡田日郎、安井浩司、棚山波朗、榎本好宏といまだ十分働き盛りの人たちであった。こうした中で極めつけは稲畑汀子の急逝であった。

 稲畑汀子氏は2月27日に心不全のため死去。享年91であった。2年半前に会った時は、はちきれんばかりの元気さであったから、今年になってからの朝日俳壇選者の辞退、日本伝統俳句協会会長の勇退と続く活動の収縮、そして逝去という衰えにはちょっと気持が付いていかなかった。

(中略)

日本伝統俳句協会の創設

 日本伝統俳句協会の発足は兜太の朝日俳壇選者への就任を発端とする。朝日俳壇の選者として金子兜太を入れたことに対し、破格調の横行は許されないので伝統俳句を守る会を作ることを決めた。凄まじいのはここからの行動力で、当初の構想では三笠宮を新協会の総裁とすることとしていたらしいが、三笠宮は賛意を示したが「伝統俳句という呼称は古い」と言う意識を持っていたようで結局この人事構想は断念された。しかし、塩川正十郎・中島源太郎文相、(俳人でもある)唐沢俊二郎前郵相を通じて文部省に働きかけ、日本伝統俳句協会の発足、同協会の公益法人認可を獲得したのであった。先行する俳人協会が公益法人となっていたが認可の条件として伝統俳句という用語を用いることが出来ず、「社団法人俳人協会は、俳句文芸の創造的発展とその普及を図り、もって我が国文化の向上に寄与することを目的とする。」とされていた。つまり伝統も前衛もひっくるめて俳句とされ、これらを発展させることとなっていた。こうした俳人協会の轍を避けたのが、日本伝統俳句協会であった。優れた官僚OBを使い、文部省と緊密な連携を取り、有季定型を「伝統俳句」と呼び、これは「俳句」とは別の事業であると認定させるウルトラCをとった。日本伝統俳句協会の目的は次のようになっている。もはや、伝統は日本伝統俳句協会にしかない。

 「有季定型の花鳥諷詠詩である伝統俳句を継承・普及するとともに、その精神を深め、もって我が国の文化の向上に寄与することを目的とする」

(『金子兜太戦後俳句日記』(白水社)、『大久保武雄―橙青―日記』(北溟社)によった。)

    *

 最期に、稲畑氏の略歴を述べておく。稲畑汀子は高浜虚子の孫。高浜年尾の次女。昭和6年1月8日神奈川県出身。小林聖心女子学院卒。稲畑順三(稲畑産業の創業者稲畑勝太郎の孫。ちなみに社名の稲畑はイナバタINABATAと読む)と結婚。父年尾没後の昭和54年から「ホトトギス」を主宰。昭和57年より朝日俳壇選者。62年日本伝統俳句協会を設立し、会長となる。戦後低迷していたホトトギスを復活させ、虚子の再評価に尽力した。平成25年「ホトトギス」の主宰を長男・稲畑廣太郎にひきつぎ名誉主宰となる。令和4年には朝日俳壇選者を辞退し、日本伝統俳句協会会長を退任し、名誉会長となっていた。句集に『汀子句集』『汀子第二句集』『汀子第三句集』『月』『花』(雪月花の三部作を企図していたようだが『雪』は出されていない)、評論集等に『花鳥諷詠、そして未来』『俳句と生きる : 稲畑汀子講演集』等。

  今日何も彼もなにもかも春らしく

※詳しくは「俳句四季」5月号をお読み下さい

英国Haiku便り [in Japan] (30)  小野裕三


「俳フル」とhaikuのハイブリッド化

 十月の第一木曜日は、英国では「ナショナル・ポエトリー・デー」(「国民の詩の日」という感じか)とされ、詩のイベントや催しが学校・図書館などで展開される。その告知サイトを見ると、今年の全国的な催し物のひとつとしてhaiku関連のものがあった。その名称は、プロジェクト「ハイフル(haiflu)」。ハイは俳句の俳から来ているので、「俳フル」とも書けそうだ。その定義はこうだ。

 《世界的なパンデミックの中で書かれたhaiku(5.7.5の音節からなる3行)で、しばしば同じ週に撮られた写真とともに提示される》

 多くの人がある週に作ったhaikuと、その同じ週に撮られた写真。それらを組み合わせ、音楽をつけて動画にし、ネット上で公開する。写真もhaikuもどちらかの添え物ではなく、この合成が「新しい何か」を作り出すことを意図する。

 これが始まったのは、2020年のことだ。コロナ拡大で英国全土がロックダウンされた3月、リヴ・トーク(Liv Torc)という女性詩人がネットで多くの人に呼びかけ、そんな環境での一人一人の思いをhaikuにして送ってもらった。たくさん集まると、それが全体としてリアルな物語になると彼女は気づいた(*1)。それに写真・音楽を加えて動画化すると、ある種の時代証言としての生々しく共有された人々の感情・感覚がそこに現れた。その手法を彼女は「俳フル」と名づけた。


Hidden by a mask / an instinctive smile, I hope / still has some meaning

 マスクの下でも / 本能的に笑う、それが / まだ何か意味を持つと信じて

Queuing at Sainsbury’s / quick chat at a distance / surrounded by blue

 セインズベリー(スーパーの店名)で列に並び / 距離を空けて短い会話 / 青い色に囲まれて


 興味深いことに、彼女は詩人ではあっても特にそれまでhaikuに熱心だったわけでもないし、彼女の「俳フル」紹介ビデオでは、haikuが日本に出自を持つことや日本の俳人や句のことも言及されていない。それでも、「立ち止まり、観察し、感じたままを書け」という彼女の指南は、日本の俳句の本質にも添う。

 そんな事実は、俳句がその本質を引き継ぎながらhaikuとなり、もはや英国文化に溶け込んでいることを示すようだ。「俳フル」はその手法が面白いだけではない。現代の英国文化が、haiku形式を取り入れつつもそれを超えて遊び心と創意に充ちた新しい表現スタイルを生もうとする、その文化的ダイナミズムが面白い。広く世界に普及したhaikuはもはや定着の段階を超えて、各国の文化環境と溶け合いながらハイブリッド化して新しいスタイルを作り出す、そんなステージに入っているのでは、とも思えた。

*1 「DruidCast」のインタビュー/※写真や俳句はNational Poetry Dayのウェブサイトより引用。

(『海原』2021年12月号より転載)

第45回現代俳句講座質疑(11)

第45回現代俳句講座「季語は生きている」/筑紫磐井講師

11月20日(土)ゆいの森あらかわ


【筑紫回答】

(2-3)前衛の歴史

  新興俳句の変遷を踏まえてみると、前衛の歴史もある程度見えてくると思います。前衛も新興同様近代になって使われるようになりましたが、新興より限定的な意味を持って使われていたようです。

➀前衛はもともと軍事用語で英語のadvance guard, vanguard、フランス語のavant-gardeです。ただ意外に意味は限定的で、単に前方にいる部隊というだけではなく、「行軍する兵隊の安全を保護し、その進路を捜索し、障害物を除去し、又命令の旨趣に従い、あるいは敵を襲撃し、あるいはこれを撃退し、或いは頃刻の間抗拒をなし、以て本軍をして戦闘の準備をなさしむるに任ずべきもの」(野外演習軌典)とあります。このことから、本隊があっての前衛ということがわかります。

➁そんなことから、労働運動における前衛として、「労働階級に対する前衛としての●●党」(あえて当時の検閲に従って伏字を使ってみます)と定義したことにより、プロレタリア運動の担い手をさすようになっています。社会や階級を先導する集団という意味です。各国共産党はしばしば自らを前衛党と位置付けているようです。また社会主義時事評論誌や戦後の共産党理論誌に『前衛』と名付けられてます。

 このような中で、プロレタリア系の文学に前衛という呼称が使われているようです。

〇プロレタリア前衛小説戯曲

〇前衛文芸全集

〇前衛芸術選集

③従って、単に前に位置する、とか先進的な、という意味ではなかったのです。ただ日本では、テニスのnet player、front playerを前衛、バレー、バスケットのforwardを前衛と呼ばれていました。少し誤解があるようです。

    *

 こうして(文学上に)前衛の意味がいち早く用いられたのは、欧米の小説戯曲や詩であり、翻訳を通して日本でも紹介されます。詩人たちが挙げている例としては、具体的には、高踏派、象徴派、未来派、ダダイズム、立体派、超現実主義、イマジズム等といわれています(第三の「新興」に似ています)が、こうした詩人たちの考え方に共感したのはまず歌人だったようです。1955~60年にかけて「短歌研究」や「短歌」の誌上で前衛短歌の問題が取り上げられます。詩人、小説家だけではなく(俳句雑誌ではなく、短歌雑誌で前衛論争に)俳人も参加しているのは面白いことですが、やはり論争の中心は、塚本邦雄、菱川善夫らの歌人でした。

 1957年の金子兜太の造型俳句論以前の短歌関係の論文・記事を見てみましょう。


●前衛短歌

(参考)現代に於ける前衛の意味 北園 克衛 日本短歌 1951.7

前衛精神と短歌 加藤 克巳  短歌研究  1955.7

前衛短歌の方法を繞って / 大岡信 ; 塚本邦雄 短歌研究 1956.3 

特集 前衛と民衆の芸術 前衞の位置 短歌研究  1956.8

  ただこれだけの唄/塚本邦雄

  前衛の場について/鮎川信夫

  自明の理/山本太郞

  思想の韻律/孝橋謙二

  短歌の中の現代詩/上田三四二

  前衛短歌の規定/菱川善夫

  勞働の實感と表現/佐多稻子

  民衆短歌の母胎/武川忠一

  療養者と個性/竹安繁治

前衛短歌の規定 菱川 善夫  短歌研究  1956.9 

前衛と伝統 高尾 亮一  短歌研究  1957.4

昭和詩の前衛運動 北園克衛  短歌研究  1957.4

政治と文学と前衛の課題 吉本隆明 他 短歌研究  1957.5

前衛短歌のすべて(塚本邦雄氏に応えて) 斉藤 正二 短歌 1957.10 

モダニズム・前衛派・難解派の諸問題 岩田 正 他 短歌 1957.10

(以下参考)

前衛批判に応えて(対談) 塚本 邦雄 他  短歌  1959.4

特集・前衛の次にくるもの 星野 徹 他  短歌研究 1960.1

リアリズムと前衛の問題--新人論争 短歌  1960.6

前衛短歌私見 小野 十三郎  短歌研究 1961.4 


 さて次に俳句における前衛の登場を眺めてみましょう。明らかに前衛短歌の後に前衛俳句は登場しています。


●前衛俳句

俳句の造型について 金子兜太 俳句 1957.2

難解俳句とは何か(特集) 俳句 1959.2

難解俳句特集をめぐって 俳句 1959.3

(前衛俳句批判・寺山修司/前衛作家10人集への感想・志城柏)

難解派の現況レポート 俳句 1959.12

「前衛を探る」(俳句) 加藤楸邨・山口誓子 朝日新聞 1960.10.11

前衛俳句への疑い  山口誓子 朝日新聞 1961.6.12


 前衛俳句という言葉の戦後の初出について言えば、「前衛俳句について」(高柳重信 現代俳句 1949.10)がありますが、この論文によって前衛俳句の烽火が上がったということではないようですので、一応通説に従って上に掲げた論文・記事によって前衛俳句は登場したと考えておきましょう。特徴的なことは、前衛俳句の始まりといわれているにもかかわらず、「前衛俳句」のことばが一般的に普及し始める前に造型俳句とか難解俳句とか呼ばれており、朝日新聞によって初めて広く使われることになったと言えましょうか。もう少し厳密に言えば、歌人寺山修司によって前衛短歌になぞらえて呼ばれたのがはじめと言ってもよいようです)。

       *

 以上のような前衛の発生の経緯をたどると次のようなことが言えると思います。当然広く、軍事や労働運動を踏まえての前衛の考察です。


(1)前衛の原義には組織分業が存在している。それは、本隊(軍事にあっては陸軍本部・大隊、労働運動にあっては労働者階級、文芸にあっては社会や大衆)と前衛部隊である。

(2)前衛は、前衛のためにあるのではなくて、本隊が任務を全うするために存在するものである。

(3)したがって、前衛が本隊になることは絶対にありえない。それは前衛の存在意義に反するからである。万が一起こったとしたら、それは前衛運動とは関係のない組織であり、本隊の否定となる(この過程でしばしば独走し、専制主義が生まれる例がある)。

(4)前衛は本隊のためにあるのであるから、独自の固定的戦術・作戦はあり得ない。

  1)陸軍の「野外演習軌典」にあるように、目的達成のため状況に応じてありとあらゆる戦術・行動をとらねばならない。そこには軍事活動以外のものまでが含まれる。

  2)特に、時々の本隊の要請に応じて、前回の戦術がすべて否定されたり、まったく異なる妥協を要請されることは日常茶飯と考えなければならない。

  3)まとめていえば、昨日の前衛は今日の前衛ではなく、今日の前衛は明日の前衛ではないのである。

(5)さらに非情なことを言うようであるが、前衛は本隊のためにあるのであるから、本隊によって前衛が殲滅されることもあり得る。本隊が存続するため、後方支援を断ち切られたりして前衛は切り捨てられることもしばしばある。前衛と本隊の関係は非情なのである。

(6)しかし一方で、前衛が存在せず、裸の本隊だけで軍事や労働運動、文芸活動をすることは不可能である。戦術遂行者が存在しないからである。従って、確かに不安定・不確定ではあるものの、前衛は永遠に不滅である。なぜなら前衛が存在しない本隊など早晩滅亡するからである。


 もちろんこれは本隊が現代文学である場合のことです。伝統芸能であるならば、前衛など必要ないでしょう。

       *

 さてこのような前衛派はその後どうなったでしょうか。話題を少し戻してみましょう。「前衛俳句」が登場した当初の資料――朝日新聞が特集した「前衛を探る」です。この時取り上げられた俳句以外の他分野の前衛の人々とはどんな人たちであったでしょうか。


➀建築(菊竹清訓)

➁グラフィックデザイナー(杉浦康平)

③写真作家(東松照明)

④音楽(武満徹)

⑤工芸(清水洋)

⑥詩(吉岡實)

⑦映画(大島渚)

⑧演劇(浅利慶太)

⑨推理小説(星新一)

⑩絵画(堂本尚郎)

⑪俳句(金子兜太・堀葦男)

⑫いけばな(中川幸夫)

⑬墨象【注】・書(磯部翔風・榊莫山)

⑭彫刻(毛利武士郎)

⑮テレビドラマの演出家(和田勉)

⑯第三の新漫人(真鍋博)

⑰日本舞踊(西崎みどり)

⑱記録映画作家(羽仁進)

⑲小説(倉橋由美子)

【注】墨の造形美を追究する芸術


 19分野の21人です(俳句と墨象・書では東京版と大阪版で別の人物が挙げられています)。私は他の分野には疎いので、自信をもって紹介できる人ばかりではありませんが、それにしてもこれだけの人が前衛として紹介されていたのです。現在見ていただくと、もはや前衛を超越した、一流の芸術家ばかりのように思えます。「昨日の前衛は今日の前衛ではない」といったのはこういう意味なのです。こういう文脈で見ると、金子兜太も前衛の枠をはみ出したことがよくわかると思います。いや前衛である必要などなかったはずです。

 それにしてもこうした顔ぶれを見る限り前衛運動は決して無意味だったとは思えません。


【注1】伝統について

 俳句より先に前衛運動に突入した短歌では、初期の関心は、前衛と伝統ではなく、前衛と大衆性だったようです。多くの特集ではこれらについて何らかの言及がされています。

 ちなみに前衛と対立する「伝統」が俳壇で議論され始めたのは、草間時彦「伝統の終末」(俳句1970.4)、能村登四郎「伝統の端に立って」(俳句1970.12)などからです。総合誌として、伝統と前衛に関して議論を盛り上げたのは「俳句研究」で、前衛と伝統の深堀に大きく貢献しました(あるいは伝統の探求に貢献したと言えましょう)。角川書店の「俳句」はあまりこうした特集をしていません。


伝統と前衛・交点を探る(座談会)俳句研究 1970.3.~4.

俳句の伝統(特集)俳句研究 1971.5

俳句の伝統と現代(特集)俳句研究 1971.8

伝統俳句の系譜(特集)俳句研究 1972.7

伝統と前衛――同じ世代の側から(座談会) 俳句 1973.1

現代俳句の問題点――俳句伝統の終末・物と言葉など 俳句研究 1975.4


【参考】現代俳句について

 現代俳句は戦後になって盛んに用いられたと思っています。現代俳句協会、「現代俳句」などです。

 もちろん、現代俳句という言葉は、戦前もあることはあるのですが、戦後ほど多くは用いられず、かつ意味も単純な時代区分の意味が強かったようです。つまり、当時の本を読むと、子規の俳句―現代俳句という対照での比較で現代俳句も用いられていたようです。ところが、戦後の現代俳句は、「現代を詠む」、「現代社会を詠む」という意味に代わっているようです。

 その契機は、桑原武夫の「第二俳句――現代俳句について」だろうと思っています(もちろんこれに先駆けて石田波郷編「現代俳句」という雑誌が出たりはしていますが)。俳人が、俳句は 「現代を詠」まねばならない、「現代社会を詠」まねばならないと強迫観念にとらわれだしたのは第二芸術の影響が大きかったと思います。「現代を詠」まねば現代文学ではないと思い始めたのです。もちろん俳句が現代文学である必要は必ずしもありません。しかしそんなことをいったら、当時の文学界では完全に潮流から遅れる物となることは明らかであったからです。文学者にとって、それは「第二芸術」といわれるよりもっとつらいことでした。

(続く)

北川美美俳句全集 16

●面110 巻頭44句「魚の目」 2010年5月1日


蛇衣を脱ぎすてカテーテル開く

古電灯ひっくり返って夏野かな

蟻の巣をみていた少女の物語

教会の向日葵の首おもかりき

またしても向日葵畑に行き着けず

蓮根やアジアの泥で息をする

胡桃の実脳内いくつも扉あり

いつか鳴る硝子の中の銀の鈴

山本紫黄眠る駒込吉祥寺 順天堂大学供養等にて     

逆光の塔に声なし冬桜

しぐるるや母は無言でミシン踏む

咳き込めば背中は広き野となりし

冬晴や親指と人差し指で丸

月せまる窓ふる里の大晦日

花びら餅牛蒡の雅しめやかに

寝積や腸ゆっくりかたよれり

人類がつぶやきだせばぽっぺん吹く

ひとときがくりかえされて春めける

いきもののまなこ可愛や春の立つ

いきものがいきものに触れひこばえる

アスパラガス光を忘れ白くなる

春昼や診察台から巴里の写真

人体の魔法とけだし春眠し

憂いとは曇天に舞う黒揚羽

恋多き友に聞き入る端居かな

三伏や左回りの壁時計

七日目の子猫にミルク飯饐える

丸盆に置けば西瓜の重さ増す

海べりの日傘の影と男かな

赤道を知らぬ男とバナナ食ぶ

十一月とてもさびしい夜のジャズ

嚔して卵にひびが入ったか

風花やあなたのそばにきて消える

冬の田に子は十の字に抱かれをり

毛皮脱ぐ空気の薄い録音室

正門に二丁目の人冬薔薇

くらがりに釣竿のある寒暮かな

遠山の赤城の山の雪もよい

危ないと知りつつ生まれ春の蝿

春の夜誰もとめない警報機

適温を唇で知るバレンタインの日

不機嫌な人がとなりで山椒の芽

鐘霞つぶることなき魚の目

死してなお一途な恋あり春怒涛

二十八歯失う日あり敗戦日