2013年10月25日金曜日

第42号 2013年10月25日発行

【第二回攝津幸彦記念賞 発表】

第二回攝津幸彦記念賞各賞を下記の受賞者に決定致しました。
受賞者の発表とともに受賞作品の一部を掲載致します。
  • 正賞  花尻万博  
応募作「乖離集(原典)」より三句  》読む
  • 準賞  小津夜景、鈴木瑞恵
小津夜景応募作「出アバラヤ記」、鈴木瑞恵応募作より各三句 》読む
  •  佳作          佐藤成之
     〃           しなだしん
     〃           望月士郎
     〃           山田露結
     〃           夏木 久
     〃           山本敏倖


※「豈」55号にて正賞・準賞の応募全作、佳作20句抄出を掲載。        

選考委員: 池田澄子・大井恒行・高山れおな・筑紫磐井
※「豈」55号にて池田澄子、高山れおなによる選評を掲載。


  • 正賞受賞コメント、準賞受賞者の応募動機  》読む




  •                      ※『-俳句空間- 豈 第55号』は邑書林のサイトから購入可能です。

    【俳句作品】
    • 南紀  花尻万博 (2011年5月27日「詩客」より転載)  ≫読む

    【戦後俳句を読む】
    • 【戦後アンケート(テレビ・レコード・文庫本)】はじめに 
                     ……筑紫磐井   ≫読む
    • 【戦後アンケート(テレビ・レコード・文庫本)】その2
                     …… 土肥あき子、内村恭子、陽 美保子、
                                                  中西夕紀、水岩 瞳、小林千史、小川春休、
                                                   池田瑠那、仲寒蝉  ≫読む

    • 文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む17~食⑥~】
                     ……筑紫磐井   ≫読む

    • 三橋敏雄『眞神』を誤読する 90 
                     ……北川美美   》読む

    【現代俳句を読む】
    • 【俳句時評】 ささやかな読む行為 ―青木亮人『その眼、俳人につき』― new!!
    ……外山一機   ≫読む
    • 【俳句時評】  紙の時代(文末増補版) 
    ……筑紫磐井   ≫読む
    • 【俳句時評】ハイクの越境―『現代詩手帖』9月号、Haiku in English: The First Hundred Years
    ……湊圭史   ≫読む 
      
    • 【俳句時評】Bunkamura ドゥマゴ文学賞受賞!恩田侑布子
    ……筑紫磐井   ≫読む

    【編集後記】

          あとがき   ≫読む   


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    • 【特別寄稿】 芝不器男俳句新人賞に応募しましょう  
    ……関悦史   ≫読む

    • 第2回  攝津幸彦記念賞 たくさんのご応募ありがとうございました。 ≫読む
       





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    三橋敏雄『真神』を誤読する 90. 身のあぶら以て磨くや冬の瘤 / 北川美美


    90.身のあぶら以て磨くや冬の瘤

    「瘤(こぶ)」という文字の病垂れであることから、身体にできる「瘤」であると解することができる。

    「虫こぶ」といって、植物組織にできる瘤もある。いずれにしても生きているものにできる瘤であるので、何か不気味である。「はれもの」の総称である「瘤」。「動脈瘤」のそれとも通じるものであるが、「冬の瘤」とは冬になるとできる「はれもの」と解すればよいのだろう。人にできる「瘤」としても「虫こぶ」としてもどちらも冬にできやすいようだ。

    けれどもその「瘤」を磨く。哀れむというよりもはれものを愛するのである。それも自らの「あぶら」で。例えば、髪や、爪、歯などの人間の遺物となるものに遺愛があるように、瘤をも愛する我なのである。自分にできた「腫れもの」はどこか愛おしい。

    格助詞的用法の「以て」の使用が「身のあぶら」に品格を与えているように思う。文語文体というのはそう簡単には習得できないと思うのは時代の差だけではないだろう。

    そして、前句の「山は雪手足をつかぬみどり児に」を受け、室内で過ごすことしかできない厳しい冬の労働の句であると読む。労働による疲労によってできた「瘤」。

    家族と過ごし、家族のために、生きてゆくために働く。外の寒さに劣らない室内の寒さ、そしてやるせなさと自己愛が伝わってくる。

    【俳句時評】ささやかな読む行為 ―青木亮人『その眼、俳人につき』―  / 外山一機

    先日、三〇年以上の長きにわたって放送されてきたテレビ番組「笑っていいとも!」の終了が発表された。このニュースを目にしたとき、ふいに思い出されたのは、同番組を主題にした映像作品「ワラッテイイトモ、」に対する椹木野衣の次のような言葉であった。

    本作は、作者が引きこもっていたころ、唯一の現実との接点であったテレビ映像の記録を、日記として再構成したものだという。 
    浮かんで来るのは、明け方近くまで一人、部屋で起きていて、夜が白む頃ふとんに入ると、目がさめるのは昼前という「気分」のようなもの。時計の表示は11時58分。テレビをつけるといつものように「笑っていいとも!」が始まろうとしている。そして12時00分。いつものように、それは始まる。(「このうすら寒い夏の正午に」『美術になにが起こったか』国書刊行会、二〇〇六)

     学校を休んだ日、布団から出て何気なくテレビをつけるといつも「笑っていいとも!」が流れていたような気がする。画面では花束と花輪をどっさりと並べた席で特に何ということのないお喋りが続く。CMが明けると段取り通り観客の拍手があり、アイドルや芸人たちがだらだらとゲームに興じている。それでも「笑っていいとも!」を観ていたのはどうしてだったろう。「笑っていいとも!」は、僕にとって、学校を休んだ日のあの浮き足立つような喜びと、少しばかりの後ろめたさと、世界から取り残されてしまったような気重さとともに呼び起されるものだ。思えば、僕が「笑っていいとも!」を観ていたのは、きっと、「笑っていいとも!」を今日もまた見ているであろう人たちと繋がるためであったような気がするのである。いわば、どうにも身動きのとれない場所から、それでも世界に繋がろうとしたときに、もっとも容易く手に入る補助線こそ「笑っていいとも!」なのであった。僕は「笑っていいとも!」を観ることで、今日もまたいつも通りであるはずの世界に、僕もまたいつも通りに参入してよいのだという手応えを得ていたのである。

    でも僕はいつのまにか「笑っていいとも!」を観なくなってしまった。それはたぶん、世界を想起するための補助線となるものが、いつのまにか他のものへとすり替わってしまったからだろう。思えば、傲慢な僕はもっと僕仕様の補助線を求めるようになっていたのではなかったか。多分に逆説的だが、世界は前提ではなく、僕仕様の補助線の向こうに想起されるものであるような気がしたのである。


    青木亮人が評論集『その眼、俳人につき』(邑書林)を上梓した。同書において井上弘美がとりあげられていることを疑問に思う俳人は、きっといるにちがいない。それは自らを少数派と認め、それを矜持としながら俳句史のなかに自らの座標を定めてきた者であろう。彼らには井上弘美の句集について論じる必要はないし、だからこそ、彼らは井上を読み、論じるための方法論を持つこともないのである。だが青木は、たとえば「転勤」と前書された井上の句「春の暮教室に鍵かけて出づ」を次のように読む。
     
     教師の「転勤」(多くは三月であろう)を季語「春の暮」で表現した点、またそれを「教室に鍵かけて出づ」と具体的な動作で示した点に工夫があるのは無論であるが、むしろ「春の暮(の)教室」から想起される情景に、つまり夕陽が射しこむ教室の静けさが感じられるところに同じ教員として胸を打たれてしまう。 
     私自身に引きつけると、中高一貫校とはいえ生徒との付き合いは基本的に一年である。クラスが変わり、担当も変更すれば彼らとの関係は稀薄にならざるをえない。もちろん、その後も廊下で会えば挨拶をしあうし、ラウンジで世間話をすることもあるが、何か大切なものが過ぎ去った後の余韻という感じであり、彼らの読書ノートを見る機会もほぼ消えるのであった。(略)三学期を終えたある日、彼らの座席には夕暮れの光が漂い、その机や椅子は墓碑のように宵闇に沈みゆくのだった。(「卒業、グランドピアノに映る青空」)

     井上の句に対する青木の読みのありようは多分に私的であるが、しかし井上の句とは、そのような読みによってはじめて生き生きとしたものとして発見されるものでもあったのである。このような読みかたや井上に対する評価はある意味で独善的なそれのようにも見えるが、読み手としての青木はもっとしたたかだろう。竹中宏論と関悦史論の間に井上弘美論を配置する青木であってみれば、自分の読みのありように無自覚であるはずがない。読む行為がはらむ本質的な傲慢さについて自覚的であろうとする青木を前にしたとき、僕は青木が井上のために一項をたてたことに誠実さを感じる。

     本書の末尾を飾るのは関悦史論だが、同書を読んだとき「関悦史」を俳句史に残る存在として位置づけた青木の手腕に感嘆する者もあるかもしれない。しかし僕は「関悦史」を読む青木についてこのようにとらえている限り、青木の仕事の本質的な部分にはついに辿りつけないような気がする。「関悦史」が俳句史に残るか否かという議論はそんなに重要なことなのだろうか。僕が青木の関悦史論から感じたのはむしろ、「関悦史」が何よりもまず青木自身にとってそのように語らざるをえないほど重要なものであったらしいということであった。青木は関悦史論の冒頭で大竹伸朗が描いた「日本景」をとりあげ、次のように述べる。

    歴史も奥行きも欠いた風景の中、私たちは大きな物語も信じられず、希望も悔恨も抱けないままあてどなく電柱を仰ぎ、郊外のモールやネットの中をさまようのみである。大竹の「日本景」は、この平成「日本」をデフォルメした作品だったといえよう。(略)
    このよるべなき「日本」を、平成俳壇は片鱗でも詠みえただろうか。(略)混迷とジャンクのただ中で「既にそこにあるもの」を身近に感じ、慈しみ、昂ぶりとともに謳いえた平成俳人は、関悦史のほかに誰がいたであろうか。(「空爆と雑煮、既にそこにあった「平成」の道標」)

    ここで青木は「私たち」と書きつけている。「関悦史」を読むということは、青木にとって、それを自らの詩としてひきとるということでもあったのだ。そして僕は読む行為における青木のこのようなありようこそ、青木の仕事の本質を示すものであると思う。

     本書には随筆に近い文章も収められているが、たとえば青木はある随筆風の一編のなかで、自宅に掛けた虚子や碧梧桐の短冊への違和感から次のような認識に至ったことを率直に述べている。
     聴秋や梅室などの宗匠の作品は、活字では平凡だが、暮らしの中で短冊や軸として接するといいしれぬ魅力を発する。聴秋たちの句は生活の平凡さを脅かさず、むしろ認めてくれるもので、だからこそ暮らしの中で魅力を放つのではないか。生活とは平凡であり、変わらぬ習慣とささやかな秩序に支えられた月並の別名に他ならないためだ。 
    しかし、虚子や碧梧桐の句はこうはいかない。彼らの作品には常識を揺るがす何かが潜んでおり、だからこそ「文学」として優れているとみなせよう。しかし、「文学」は生活の中で常に必要とされるものだろうか。(「日々暮らすこと、たとえば月並宗匠の書について」)
    青木は自分と俳句との距離を測定するなかで、虚子や碧梧桐を遠ざけることさえ厭わない。「文学」なるものに対するこうした私的な実感に自覚的な青木の姿勢を端的に示しているのは、たとえば次の一文だろう。
     なぜ、私たちは三森幹雄を否定せねばならないのだろう。幹雄率いる明倫講社は私たちの祖先かもしれないのである。私たちは天才でなく、凡人に過ぎない。(「俳諧宗匠、春秋庵幹雄」)

    私たちは凡人に過ぎない―自らを凡人と称する者はこれまでにもいたことだろう。しかし、それを謙遜でも諧謔でもなく、悲壮感など微塵も伴わない率直な告白として披歴した者はどれだけいただろうか。

    そういえば僕たちは、どういうわけか「天才」の姿ばかりを追いかけてきたのであった。俳句史のヒーローはいつも「天才」で、その「天才」の内実を問うことはあっても、僕たちはその「天才」を共有することの正義自体を問いなおすことはなかった。だから、たとえば俳句史が「天才」の群像とともに語られるとき、僕たちはあるいは恐縮し、あるいは自らの不出来を憂いては、その「天才」を畏れてきたのである。けれど、俳句史をそのように語る彼らのよって立つ正義など何だというのだろう。

    「四Sや四Tばかりが相手じゃ曲がなく芸にならず飽き飽きする」と言ったのは加藤郁乎であったが(『俳の山なみ』角川学芸出版、二〇〇九)、僕たちはいまや加藤とは異なる意味において、四Sだの四Tだのそれらを語る俳句表現史的な文脈だのを、愛しつつも飽きてしまったのかもしれない。天才の営為は遠くから眺めてこそ美しいし、楽しいし、愛せもするけれど、その後に連なることはついに僕たちの切実な希求とはなりえないのではなかったか。ならば、僕たちはもっと僕たちのための読みをしていいはずなのである。そして、そのささやかな読みの向こうに想起される俳句史もまた信ずるに足るものであるはずなのである。






    『その眼、俳人につき』青木亮人


    邑書林サイト

    第42 号 (2013.10.25 .) あとがき

    北川美美

    前週休刊させていただきました。今号は「豈」55号の発行日と重なり、「攝津幸彦記念賞」の受賞発表特別号としました。正賞・花尻万博氏、準賞・小津夜景氏、鈴木瑞恵氏と連絡をとらせていただき、応募句の自選三句、その他コメントをいただくことができました。三氏のご協力に感謝いたします。

    正賞・準賞受賞の三氏に「応募作の中で気に入っている句を三句」とお願いしたところ、花尻氏より「全て気に入っている句ですので、受賞作品の第一句~三句を記します。」という御回答をいただきました。よって花尻氏の三句を「自選」から「冒頭」に校正し掲載致しました。豈55号では正賞・準賞の応募作の全貌(佳作20句抄出)が掲載されます。是非「豈」誌面を御覧ください。

    今回の「攝津幸彦記念賞」においてかの「五十句競作」に似た興奮があるように思います。『新撰21』よりもその度合は強いかもしれません。今回、応募年齢制限がなく、正賞1名、準賞2名、佳作6名という受賞者の多いことも「五十句競作」との類似点という気もします。また今回の入賞に評論が含まれているのか、情報が得られていません。「豈」55号にてその全貌があきらかになることと期待しています。

    ご興味のある読者の方へ。花尻万博氏の過去作品が収録されている『現代俳句100人20句』(2001年・邑書林)は、「豈」同様、邑書林のサイトにて購入可能です。在庫もあるそうです。


    筑紫磐井

    ○更新が中止になり、また私の不在で連絡先が変更になったところから一部の執筆協力者にはご迷惑をおかけしてしまった。お詫び申し上げる。

    ○この間、「豈」の本誌の編集も順調に進み、その予告を本号に掲載出来ることになった。特に、攝津幸彦記念賞の発表が雑誌と同時に見ることが出来るのは喜ばしい。私の不在中に、ブログの北川編集長と豈の大井編集人で協力してまとめていただいたものである。予告でご覧の通り、「豈」通常号(定価1000円)としては今までにない大冊となり、内容も充実したものとなったと思う。一部の記事は次号(56号。明年春刊行)にも掲載されるので併せてご覧頂きたい。また、11月3日には攝津幸彦記念賞の表彰式と懇親会も行われる予定である。





    【第二回攝津幸彦記念賞】正賞受賞コメント、準賞受賞者の応募動機


    【正賞受賞コメント】
    • 花尻万博(はなじり・かずひろ)

    私が選ばれたのではなく、私の句が選ばれたこと重々承知しておりますが、それでも一言、この場をお借りして、審査委員の先生方にお礼を申し上げたく思います。これからも攝津幸彦先生の名を汚すことないよう精進したく思います。有難う御座いました。


    応募作「乖離集(原典)」より冒頭三句・略歴 》読む




    【準賞受賞者への質問】 差支えなければ応募動機をお聞かせください。



    • 小津夜景(おず・やけい)
    「攝津幸彦」という賞の名前に魅力を感じたから。
    応募作「出アバラヤ記」より自選三句・略歴 》読む
      

    • 鈴木瑞恵 (すずき・みずえ)

    (解答欄 空白)
    応募作より自選三句 》読む



     

    【第二回攝津幸彦記念賞】 準賞応募作より自選三句 / 小津夜景、鈴木瑞恵


    • 準賞:小津夜景、鈴木瑞恵 




         小津夜景

    冬ざれよジガ・ヴェルトフの心臓音

    約束は《いま・ここ》の反故イワシグモ

    ナフタリンのやうだ二人は抱きあつて


    応募作「出アバラヤ記」より自選三句





         鈴木瑞恵

    きっとつゆくさの水と同じだろうな

    海が見えてきたまっすぐな道のまま

    たねはなみだのかたちで眠る

    応募作より自選三句





    【受賞者略歴】


    • 小津夜景(おづ・やけい)

    1973年生。無所属。俳暦は2ヶ月ほど(2011年週刊俳句の「十句競作」投句時および今回の応募作品の制作期間)。



    • 鈴木瑞恵(すずき・みずえ)

    ※空白







    文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む17~食⑥~】/筑紫磐井

    (6)その他

    一応「食」のシリーズは前回で終わった積もりであったが、触れきれない題もあったので追加で加える。

    ただしそれらの中には、すでに各回でも言い訳をしておいたが、筆者が若年ゆえ(?!)に説明が十分できない句がまだたくさん残っている。以下については、むしろ読者のご教示を得たい問題提起の句としてご覧いただきたい。その後調べた結果、多少得た不満足な知見も合わせて掲げておく。

    また、「食」にかかわるものと、「食」にかかわらないものが混在している題(配給など)もある。はっきり分かるものは、前者を前に、後者を後に示すことにしよう。何が素材であるか分からないものは、そのまま列記する。

    【配給】
    配給の酒を余さず初胡瓜 現代俳句 21・10 沢木欣一 
    魚待つ列に北風吹雪となる 太陽系 22・3 西岡美智世 
    サッカリンの配給あり紅茶沸かしあればまた来し夜のしぐれ 太陽系 22・3 笠原静堂 
    背に配給の甘藷主婦の糞力 天狼 24・1 田中大 
    砂糖配給枯野と同色妻の鉢に 風 24・2 金子兜太 
    霙るるや軽き配給米を下げ 春燈 29・2 岩淵青衣子 
    歳晩へ烏賊の配給ばかり続く 鼎 田川飛旅子 
       *    * 
    蔵書売り冬配給の列に入る 太陽系 22・3 長田喜代治 
    配給の毛布一枚にくるまりぬ 浜 22・4 近藤一鴻 
    白菊や炭の配給近しと云ふ 曲水 23・3 遠藤一男 
    配給へ春雨傘をもやひつつ ホトトギス 23・4 北村須起 
    寒明や糸の配給を少しばかり 曲水 23・4 森本泰陽
    【供出―供米】
    供出の炭重ねあり下萌ゆる ホトトギス 26・8 千納三句
    ※前半が食料、後半が食料品以外である。供出には米はすでに取り上げたのでそれ以外の供出の例句を掲げる。様々なものが配給されたことが分かるが、その意味では代用食の項目と比べてみるとよい。必要なものを作るというのではなく、先ず作ることの出来るものを作り、それを国が供出させ、統制的に配給するという社会主義システムが実現していたのである。

    【遅配】

    遅配続き十薬の花よごれたり 浜 21・11 堀江杜鵑子 
    遅配十日白日の砂ただ光る 万緑 22・1 真川孤舟人 
    遅配欠配の夕蝉の昂りぬ 石楠 22・4/5 杉田以山 
    日々旱天遅配の日数つもりつつ 俳句研究 22・12 藤田初巳  
    遅配つづく巷の声のむし暑し 曲水 23・9 橋本竹水居 
    花桐やトロ押して得し遅配の銭 浜 29・8 高橋草風


    【欠配】
    欠配十日昼顔の花また咲きぬ 慶大俳句作品集 小川雅夫
    ※配給が遅れること、または中止されることであるが、食糧難と違い切迫感のある句は少ない。

    【米高騰】

    米価また値上か紫蘇の実やたらこき 氷原帯 28・9 大谷比呂哉 
    誰が謀る米価騰貴ぞ蟇 鶴 28・9 刈谷敬一
    【闇値】
    屠夫清貧牛肉の闇値かかわりなし 火山系 23・12 京谷保天 
    風の日に風吹きすさぶ秋刀魚の値 雨覆 石田波郷
    ※配給制度から外れた物資は闇物資となる。すでに闇米は取り上げたのでそれに関連する項目を挙げる。

    【外食食堂】

    外食食堂凍てて食ふのみの口を持つ 寒雷 28・3 金子洗三
    ※外食はこの時代にどのように可能であったのか。次の寿司屋については、不思議な制度があったことが知られるが、それ以外の外食は一律に禁止され、違法な状態にあったのだろうか。それとも、米などを持ち込むことによって食堂としての形態が成り立ったものであろうか。

    【すしの委託加工】

    妊る妻にいくばくの米寿司に替ふ 道標 26・4 相沢一羽
    ※昭和22年に法律により飲食業が禁止され寿司屋は表立って営業できなくなったが、1合の米と握り寿司10個を交換する方式を採用し、飲食業でなく委託加工業として営業を認めさせることができたという。

    【米を借る】

    米借りに渡る吊橋ホトトギス ホトトギス 27・2 中村巨花 
    明日を喰う米借り帰る大夕焼 氷原帯 27・10 伊藤健志

    ※「米を借りる」とは単純な貸借関係だけであろうか。制度としてあったのか?、利子は?、給付は米か金か?

    【ローブ菌】

    批評うるさしや麺麭にはロープ菌 俳句 23・2 山口誓子
    ※土壌菌(納豆菌の一種)の中に「ロープ菌」があり、これがパンに入るとパンの組織を腐敗させて糸を引いた状態にする。一度ロープ菌が入ると長期にわたり施設の使用が不可能になると言う。

    【放出物資】

    放出の粉団子黄に灌仏会 石楠 22・11/12 細川火城
    ※「放出」の正確な意味はよく分からない。通常は、連合軍が意図的に提供した物資(次のララやユニセフなどからの物資も含む)であるが、旧日本軍の物資が流出したものなどもあった。

    【ララ物資】

    療園にララの山羊来る草青む 暖流 24・7 大橋晴風
    ※LARA(アジア救援公認団体)が提供した日本向けの援助物資で食糧(牛や山羊などもあったと言われる)や衣料に及んだ。

    【攝津幸彦記念賞】 応募作 「乖離集(原典)」より冒頭三句 / 花尻万博


    • 正賞: 花尻万博  応募作「乖離集(原典)」


    応募作「乖離集(原典)」より冒頭三句

    「未番抄」より

      荒ぶりて
      空に詩充つる
      斧よ鉈よ

    虎斑木菟神楽歌には隠れなし

      この先の
      光年沈む
      鯨眠り

    炭火とふ見えぬ時間 禁戒(タブー)まで

      獣心や
      二束三文
      木に飾る

    空に烏飼ひ藁仕事頂けり




    【受賞者略歴】

    • 花尻万博(はなじり・かずひろ)

    1970年和歌山生まれ。和歌山県在住。
    句集参加『現代俳句精鋭選集Ⅰ』(東京四季出版)、『現代俳句100人20句』(邑書林)。





    【戦後アンケート】テレビ・レコード・文庫本・2/土肥あき子、内村恭子、陽 美保子、中西夕紀、水岩 瞳、小林千史、小川春休、池田瑠那、仲寒蝉


    Q1.私(あるいは我が家)が初めて見たテレビ番組は?
    Q2.私が初めて買ったレコード(あるいはCD)は?
    Q3.私が初めて買った文庫本(新書でも本一般でも結構です)は?



    • 土肥あき子
    東京オリンピック記念のレトロ企画。昭和38年10月生まれの私は、最近の風潮では東京オリンピック前世代。七年後は二度目の経験となることに少々釈然としません(^^;)

    A1.
    おばけのQ太郎(初めて録音された歌も主題歌でした)
    A2.
    1976年「水の中の妖精」オリビア・ニュートン=ジョン
    A3.
    星新一「ほら男爵現代の冒険」



    • 内村恭子(天為同人)
    A1.
    「河童の三平」実写版 白黒
    A2.
    シューベルト「冬の旅」LP
    A3.
    安房直子



    • 陽 美保子

    A1.
    おかあさんといっしょ(白黒テレビの前で正座して見ていました)
    A2.
    ビートルズのホワイトアルバム
    A3.
    矢沢宰遺稿詩集『光る砂漠』 



    • 中西夕紀

    A1.
    赤胴鈴之助か鞍馬天狗だったような。相撲も見ました。
    A2.
    テンプターズ 「エメラルドの伝説」 ショウケンのファンでした。


    A3.
    野菊の墓



    • 水岩 瞳

    A1.
    NHKのマンガだったと思います。題名はさだかではないですが、主人公が黒い猫の「フィリクス君」です。カバンから飛行機とかいろいろな物を出せるのでしたよね。
    A2.
    自分で買ったのは、井上陽水か小椋佳だったと思います。
    A3.
    これはよく覚えています。今も手元にあります。中学校の読書感想文用に買った夏目漱石の「こころ」大人になってから、もう一度読み直しました。大切な本の一冊です。




    • 小林千史
    A1.
    番組ではないですがヤン坊マー坊天気予報
    A2.
    ビートルズ赤版
    A3.
    シェイクスピア 真夏の夜の夢



    • 小川春休
    A1.
    「ひらけ!ポンキッキ」。1980年前後のこと。
    それより早く見た番組もあったのかもしれませんが、記憶になし。
    3・4歳頃見た幼児向け番組が初めて見たテレビ番組の記憶です。
    返信用封筒を送るともらえるポンキッキニュースなるものも
    何度か親に入手してもらったような気がする。
    A2.
    出自の怪しいカーペンターズのベスト盤CD1,000円也。1988年頃のこと。
    小学生時代に既にCD時代に突入、レコードには縁がなかった。
    子供の頃ピアノなんぞ習っていた割には、音楽にあまり興味のない子供でした。
    A3.
    正式名称は不明ですが、「ウルトラ怪獣図鑑」のような本。1982年頃のこと。



    • 池田瑠那

    A1.
    幼児向け番組だと思いますが、はっきりとは覚えていません。
    A2.
    大江千里「APOLLO」。ちなみにその後ポルノグラフィティの「アポロ」も購入。
    名前の所為か、宇宙開発に浪漫を感じてしまう人間です。
    A3.
    安房直子『きつねの窓』。



    • 仲寒蝉

    A1.
    親は知りませんが私の記憶では「夢で逢いましょう」とか「コンバット」でしょうか。ちなみにカラーでは『ひょっこりひょうたん島』かな。
    A2.
    自分のお金で初めて買ったのはJ.S.バッハ「ブランデンブルク協奏曲第2,4,5番」演奏はカール・リヒター指揮ミュンヘンバッハ管弦楽団(レーベルはアルヒーフ)


    A3.
    忘れもしません、中学1年生のときで岩波文庫の『古事記』でした。


    【俳句作品】 南紀  花尻万博 (2011年5月27日「詩客」より転載)

    ※画像をクリックすると大きくなります。





       南紀    花尻万博


    白藤に波放さざる古江かな

    すぐに木を移る言霊ひこばゆる

       「然り、ただ死し、行け」 バイロン「安らかな死」より


    春愁ひ新の斧の柄漂へり

    磯風に身を巻き直し母猫よ

        大和国と紀伊国の国境


    果無しの果てのまほらま母子草

    葱の花頭大きは俳人なる

        いつかは平等に海の底に


    耕すは矢面に立つ思ひせり

    黒潮の波曳きたがり鳥の恋

         長男時季(とき)授かる、少し患ふ


    吾子抱けば春の日傘を笑はれず

    溺愛の続き巣燕やも知れず



    【作者紹介】

    • 花尻万博(はなじり・かずひろ)

    1970年和歌山生まれ。和歌山県在住。
    句集参加『現代俳句精鋭選集Ⅰ』(東京四季出版)、『現代俳句100人20句』(邑書林)。

    2013年10月11日金曜日

    第41号 2013年10月11日発行

    【俳句作品】

    • 平成二十五年 秋興帖 第六
            ……中山奈々, 北川美美, 林雅樹, 後藤貴子  ≫読む


    •  ころも日盛り俳句祭レトロスペクティブ 匙晩夏 月野ぽぽな ≫読む
    •    ほたる通信Ⅱ(増刊) 2013秋 ふけとしこ ≫読む  


      【戦後俳句を読む】

      • 【戦後アンケート(テレビ・レコード・文庫本)】はじめに 
                       ……筑紫磐井   ≫読む
      • 【戦後アンケート(テレビ・レコード・文庫本)】その1 
                       …… 仙田洋子・三木基史・北川美美・高山れおな  ≫読む

      • 文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む16~食⑤~】
                       ……筑紫磐井   ≫読む




        【現代俳句を読む】


        • 【俳句時評】 残ること、書きつづけること―萩澤克子句集『母系の眉』
        ……外山一機   ≫読む
        • 【俳句時評】  紙の時代(文末増補版) 
        ……筑紫磐井   ≫読む
        • 【俳句時評】ハイクの越境―『現代詩手帖』9月号、Haiku in English: The First Hundred Years
        ……湊圭史   ≫読む 
          
        • 【俳句時評】Bunkamura ドゥマゴ文学賞受賞!恩田侑布子
        ……筑紫磐井   ≫読む

        【編集後記】

              あとがき   ≫読む   


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      • 購読者の皆さまへ
      • 平素より「-blog俳句空間‐戦後俳句を読む」をご愛読いただき厚く御礼申し上げます。2013年10月18日(金)を休刊日とさせていただきます。ご理解をお願い申し上げます。尚2013年10月25日(金)更新の第42号にて「攝津幸彦記念賞」受賞者を発表予定です。乞う御期待ください。

        • 急募!!攝津幸彦忌(大南風忌)の俳句募集 ≫読む
        応募締切: 平成25年10月15日(火) 


        • 第4回芝不器男俳句新人賞募集要項 ≫リンク
        応募締切: 平成25年10月31日(木) 17時 !!
        • 【特別寄稿】 芝不器男俳句新人賞に応募しましょう  
        ……関悦史   ≫読む

        • 第2回  攝津幸彦記念賞 たくさんのご応募ありがとうございました。 ≫読む
        ・・・2013年10月25日発売予定「豈55号」と同日更新予定の当サイトにて受賞者発表予定!
        • 第5回「こもろ・日盛俳句祭」無事終了いたしました。ありがとうございました。

            





        ※画像をクリックすると鮮明な画像に変わります。



        ※『-俳句空間ー 豈 第54号』は邑書林のサイトから購入可能です。
        関悦史第一句集『六十億本の回転する曲がった棒』、『相馬遷子ー佐久の星』、などなど話題の書籍がぞくぞく!

        -俳句空間ー豈 第55号』間もなく発刊!!


        第41 号 (2013.10.11 .) あとがき

        北川美美
        秋興帖第六(おそらくこれが最終回)と月野ぽぽなさんの作品を掲載いたします。また急遽、攝津幸彦忌の俳句募集の詳細を掲載しました。皆様ふるってご応募ください。

        攝津幸彦賞詳細をそろそろ掲載できる時期と狙っております。告知となりますが、攝津幸彦賞発表と受賞作品を掲載した豈55号が間もなく発刊されます。追って当サイトからもお知らせいたします。邑書林のサイトからも購入可能です。

        戦後俳句アンケート、何に使用するのかよくわからず回答していましたが、早速第一回目の掲載でお恥ずかしい!!

        ※ 尚、次回 2013年10月18日は、「-blog俳句空間‐戦後俳句を読む」を休刊させていただきます。 

        筑紫磐井

        ○月野ぽぽな氏の「匙晩夏」は9月9日に送って頂いていたものだが手違いで遅れてしまった。謹んでお詫び申し上げたい。「平成25年夏興帖番外 こもろ日盛俳句祭」のさらに番外編に当たる。

        ○今回からしばらく、アンケートが続く。テレビ・レコード・文庫本という安易な文化にどのように接触したかを聞いてみたいと思う。そして、おそらくその時期が、半ば近くの回答者が東京オリンピックの時期の前後ではないかという予想の下に比較検証してみたいと思うのである。それは戦後俳句を読むためにも案外役に立つ事実であろうと思っている。今回はその第1回目を、仙田洋子・三木基史・北川美美・高山れおな氏から寄せていただいた。あと25人ほどが待機している。

        攝津幸彦忌(大南風忌)の俳句募集2013-やはりこの日は今年も晴れている‐ / 大橋愛由等


        みなさんへ
        物故した表現者の読みを今夏くりかえしていました。
        いのちが果てているために、亡くなった表現者の新作はありえないのですが、読み手が、位相を変えることで、あらたな発見はいくつもあるものです。

        もうすぐ刊行される「豈55号」に、去年九月八日に神戸文学館で開催したシンポジウム「一九七〇~八〇年代俳句ニューウェイブ〈摂津幸彦〉を読む」を私なりにまとめた文章を寄せています。摂津幸彦は読めば読むほど〈味〉のある俳句作家であることを思い知りました。

        そして去年、シンポジウムの余勢をかりて、攝津幸彦忌(10月13日)にあわせて、攝津にかかわった人たちや、攝津作品に接した人たちに対して、追悼句を募集したところ、12名から作品が寄せられました。三年間忌日にあわせて追悼句を募集して、攝津作品を身近に感じてもらおうと企画したのです。

        今年はその二年目。多くの皆さんから作品を募ります。寄せられた作品は、私が運営するブログ「神戸まろうど通信」に掲載します。maroad66454@gmail.com

        までメール送信してください。締め切りは忌日(10月13日〈日〉)としたいところですが、ぎりぎりの設定ですので、2013年10月15日(火)まで伸ばします。また、来年の三回分をまとめて、ささやかな小冊子にする予定です。

        どうぞ、みなさん、意欲的な作品をお待ちしています。

        去年寄せられた作品群を御覧ください。




        2013.10.10(やはりこの日は今年も晴れている)大橋愛由等@「豈」同人より




        十月が来れば攝津忌のはなやぎ 堀本 吟 

        豈同人、のみならず、その誌友の方々、巷間に雌伏する隠れた摂津ファンへ。
        大橋愛由等同人の「神戸まろうど通信」から、今年で二回目のよびかけです。趣旨は上記の心こもった名文をお読みください。

        最初にこの呼びかけを受けた私は、もちろん故人への思いが中心となりますが、いまの「言葉の状況や情況」と「攝津幸彦というカテゴリー」をクロスさせておきたい、そこに私たちの俳句表現への志向と思考の一つの断面を見せてゆける、という意義を感じました。まずこの期間「セッツユキヒコ」に意識を集中してみること、だと思いました、みなさまもぜひ、そのような趣旨およびご自分なりの理解をして、ご投句いただければ、まことに嬉しく存じます。

        締切は、ブログ掲載は15日までです。
        送り先は、上記のとおり大橋愛由等のアドレスへ。










        平成二十五年 秋興帖 第六

        ※画像をクリックすると大きくなります。
        地色がグレーになる現象について引続き調査中





              中山奈々(「百鳥」「里」同人)
        鬼灯の赤を呪ひの道具とす
        心臓の色のチークや雁渡し
        禰宜のあを巫女の赤銀杏踏みぬ

              北川美美
        牛の顔それぞれ並び走る秋
        まぼろしの船が出てゆく芒原
        むかし犬びよと鳴きけり秋黴雨
        夜露死苦と路上にありし夜の秋

              林雅樹
        身じろげば椅子の革鳴る秋日かな
        電話機を見れば鳴りさう秋の昼
        アパートの花壇猫じやらし繁茂

              後藤貴子(「鬣」同人)
        渡海船ついに沈まず鬼胡桃
        コスモスの野にみっしりと俺の骨
        人形に生命線や獺祭忌

        文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む16~食⑤~】/筑紫磐井

        前回までは、何とか食も可能な状態だったが、最後に飢餓俳句を掲げることとする。今まで食のディテールを見てきた目からすると、圧巻である。飢餓を正面から歌った句、側面から歌った句と異なるが、殆どの句に心を動かされないわけにはいかない。社会性俳句の本領が出ていると言うことが出来る。社会性俳句がともすれば基地闘争とか、原爆反対とか社会的メッセージを特徴とするように思われるが、生きると言うこと、それを阻害する社会を見据えることに目を向けることが先ず第一歩としてあり、それから内灘を詠み、合掌部落を読むことが続くのだと言うことを理解しておくべきだ。ここには寒雷も、ホトトギスも、浜も、曲水も、太陽系もない人間的な共感を覚えることが出来る、波郷も楸邨も草田男も無名の作家も生き生きしている。「飢ゑと寒さ人は言葉をもてあそぶ」には、現代の俳句には決して見えない思想が存在しているだろう。それが戦争で得た俳句の唯一の財産であったと言うことだ。

        今回は贅言も不要と思うので作品だけを列挙する。

        【食糧難】

        粗食ゆゑにあはれ風邪さへながびくや 冬雁 22 大野林火 
        米櫃の底かく音す五月冷え 石楠 23・7 辛崎修羅 
        まだ青き稲刈りて食ひつなぐなり 浜 28・2 増田達治 
        【飢餓】

        飢うる街あかい氷菓に唇よごす 太陽系 21・6 水谷砕壺 
        わが重きギリシャ辞典と飢ゑてゐし 太陽系 21・7 小田武雄 
        百方に餓鬼うづくまる除夜の鐘 俳句研究 21・7/8 石田波郷 
        ひもじさと孤独に耐えて寒燈下 ホトトギス 21・8 山下雨畦 
        大き飢の妻の夏痩すさまじき 太陽系 21・9 三保鵠磁 
        飢ゑかくす術なかりけり天の川 現代俳句 21・11 志摩芳次郎 
        飢餓といふさへ忌々し牡丹活けぬ 現代俳句 21・11 渡辺水巴 
        飢ゑしなむてふのみ霜の石また石 寒雷 22・3 加藤楸邨 
        飢餓の毛穴黄色冬の陽も黄色 風 22・4 佐々木邦彦 
        子等に飢餓なきごと裸婦の額かかげ 現代俳句 22・5 火渡周平 
        ひもじさを夕鶯にこらへつつ ホトトギス 23・4 那須ちとせ 
        飢ゑと寒さ人は言葉をもてあそぶ 曲水 23・4 吉村芝水 
        飢餓ふかしこの飽食の牛を見る 太陽系 23・8 京谷保夫 
        鉛筆の屑を炭火にくべて飢う 浜 24・5 中村青螺 
        この飢ゑや遠くに山羊と蹴球と 風 29・7 佐藤鬼房 
        冬隣芋のつぎ何を食すべきか 早桃 大野林火 
        餓鬼となるわが末おもふ夕霞 旦暮 日野草城 
        引き据うるわが俳諧や飢餓の前 旦暮 日野草城 
        あやめ活けて萎果鶴まで飢幾度 雨覆 石田波郷 
        永き日の飢ゑさへも生いくさすな 銀河依然 中村草田男 
        飢餓線といふ語うべない焚きけぶらす 野哭 加藤楸邨 

        【戦後アンケート】テレビ・レコード・文庫本・1/仙田洋子・三木基史・北川美美・高山れおな

        Q1.私(あるいは我が家)が初めて見たテレビ番組は?
        Q2.私が初めて買ったレコード(あるいはCD)は?
        Q3.私が初めて買った文庫本(新書でも本一般でも結構です)は?


        • 仙田洋子

        A1.
        オバQとか、ウルトラQとか、パーマンとか、鉄腕アトムとか、宇宙少年ソランとか、遊星少年パピーとか、マグマ大使とか、怪獣王子あたり。子供の頃の絵本を開くと、「せんだアトム」とか、「せんだパピー」とか母の字で書いてあります。「せんだようこ」では承知しなかったようです。
        A2.
        アグネス・チャンのレコード。デビューして暫くファンでした。まだ実家にあるはずです。
        A3.
        覚えていません。かなり大きくなるまで、本に関しては、親がいつでも買ってくれていました。我ながら思うのですが、すごくレトロな回答ですね。



        • 三木基史

        A1.
        マジンガーZのようなロボットアニメシリーズは熱心に見ていたと思います。(はっきりとは覚えてません)
        A2.

        中森明菜の「TANGO NOIR」(小学校の高学年だったと思います。)
        A3.
        マーク・トゥエインの「トムソーヤーの冒険」(中学生だったと思います)



        • 北川美美

        1963生れのため東京オリンピックは記憶になく、鮮明に憶えているのは大阪万博です。

        A1.
        記憶にあるのは、歌番組で三波伸介、ジュリーなどが出演していたような。寸劇などがあった。恐らく「ザ・ヒットパレード」あたり。「ひょっこりひょうたん島」「ピンポンパン」「ロンパールーム」などは第一回目の放送から観たかと。 
        初めてという設問の答えとは異なりますが、初めて熱中した番組として「ザ・キーハンター」「奥様は魔女」、全編ストーリーが言えるもの「魔法使いサリー」。 
        また父(大正15生)がプロレスマニアで父の夕食にあわせ血だらけのレスラーを見なければならず閉口。力道山はオンタイムではないが、上京後、勤務地が赤坂のリキマンションに近く、力道山に親近感が湧く。以降、港区に居住する間、徳川家康についで力道山を守護神とする。
        A2.
        ドーナツ盤の郷ひろみ「よろしく哀愁」のような。
        ビートルズは10歳年上の兄がいたため、郷ひろみよりも前に聴いていた。
        A3.
        子ども料理「ジュニアクッキング」木村文子著(学研)

        母親の料理がどうも味気ない気がして自分で研究した記憶あり。大所帯(家族の他に住み込みの方もいた)の割にいつもひとりで食事をとらねばならず、つまらないので他人様の家で夕食を御馳走になるのが好きな子供だった。それは大学時代までつづく。


        • 高山れおな

        A1.
        1968年7月生まれ。もう家にテレビのあるのは普通の時代。もっとも、新婚の両親の家には父親の主義でテレビは無かったらしい。私が隣家にテレビを見に行くようになり、やむなく購入したと聞いた記憶がある。 
        その時、何を見ていたのかははっきり憶えていない。再放送物を除くと「ウルトラマンタロウ」(1973年4月~1974年3月放送)の可能性が高いが、その前年の「ウルトラマンA」(1972年4月~1973年3月放送)かも知れない。それはしかしあくまで状況証拠(家にあったおもちゃやテレビブック。そういうものはずっと後まで残る)からの推定で、番組を見ている自分の姿まで確実に覚えているのは、NHK総合テレビの人形劇「新八犬伝」(1973年4月~1975年3月)である。「玉梓が怨霊~」という名セリフを自分でもよく口にしていた。
        A2.
        シャルル・ミュンシュ指揮、ボストン交響楽団演奏のベートーヴェン「交響曲第三番」のLPレコード。小学校5年か6年の時の誕生日プレゼントか何かで、親に指定して買ってもらったのではないか。




        A3.
        自分の選択で買った(買ってもらった)本一般ということなら、マンガ(光瀬龍原作・萩尾望都『百億の昼と千億の夜』)が最初か。文庫本ではゲーテの『ファウスト』(高橋義孝訳 新潮文庫)を中学一年の時に買っているのが最初だと思うが。

        【俳句作品】 匙晩夏 / 月野ぽぽな

        ※画像をクリックすると大きくなります。
        (グレーの地色について調査中)


         

          匙晩夏   月野ぽぽな

        日盛や庵は与良の坂の上

        蝉時雨いちまい青空いちまい

        炎昼の底に自動車修理工

        教え子として万緑の中に座す

        観音に触れてから蛇皮を脱ぐ

        思うときホタルブクロの傾きに

        炎天に影を落し過ぎてなくす

        カラメルに至るプリンの匙晩夏

        ブルーベリー昼の中にも少し夜

        夏霧に深き轍を置きて去る



        • こもろ日盛俳句祭レトロスペクティブ 平成23第3回参加作品より 

        二年前、身内の都合で急遽帰国した際、俳句仲間にこの俳句祭の情報をもらった。ちょうどタイミングが合ったため参加。ニューヨークへ渡る前の数年間、仕事の関係で小諸に住んでいたこともあり、とても懐かしく楽しく参加させていただいた次第。この大会にて作った句からここに十句抄出する。次回参加できる日を楽しみにしつつ。



        【作者略歴】

        月野ぽぽな (つきの・ぽぽな)

        1965年長野県生まれ。ニューヨーク市在住。「海程」同人。現代俳句協会会員。2008年海程新人賞、09年豆の木賞、10年現代俳句新人賞、11年海程会賞受賞。
        月野ぽぽなフェイスブック:http://www.facebook.com/PoponaTsukino

        2013年10月4日金曜日

        第40号 2013年10月04日発行

        【俳句作品】

        • 平成二十五年 秋興帖 第五
                           ……清水青風,木村修,羽村美和子,
                 茅根知子,堀本裕樹,網野月を,山田耕司,
                 小久保佳世子,太田うさぎ,近恵  ≫読む



        •    ほたる通信Ⅱ(増刊) 2013秋 ふけとしこ ≫読む  


          【戦後俳句を読む】

          • 【戦後アンケート(テレビ・レコード・文庫本)】はじめに 
                                ……筑紫磐井   ≫読む
          • 文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む15~食④~】
          ……筑紫磐井   ≫読む

            • 三橋敏雄『眞神』を誤読する 89. 
            ……北川美美 ≫読む



            【現代俳句を読む】


            • 【俳句時評】 残ること、書きつづけること―萩澤克子句集『母系の眉』
            ……外山一機   ≫読む
            • 【俳句時評】  紙の時代(文末増補版) 
            ……筑紫磐井   ≫読む
            • 【俳句時評】ハイクの越境―『現代詩手帖』9月号、Haiku in English: The First Hundred Years
            ……湊圭史   ≫読む 
              
            • 【俳句時評】Bunkamura ドゥマゴ文学賞受賞!恩田侑布子
            ……筑紫磐井   ≫読む

            【編集後記】

                  あとがき   ≫読む   


            PR】 広告・告知


            • 第4回芝不器男俳句新人賞募集要項 ≫リンク
            応募締切: 平成25年10月31日(木) 17時 !!
            • 【特別寄稿】 芝不器男俳句新人賞に応募しましょう  
            ……関悦史   ≫読む

            • 第2回  攝津幸彦記念賞 たくさんのご応募ありがとうございました。 ≫読む
            • 第5回「こもろ・日盛俳句祭」無事終了いたしました。ありがとうございました。

                





            ※画像をクリックすると鮮明な画像に変わります。


            ※『-俳句空間ー 豈 第54号』は邑書林のサイトから購入可能です。
            関悦史第一句集『六十億本の回転する曲がった棒』、『相馬遷子ー佐久の星』、などなど話題の書籍がぞくぞく!


            第40 号 (2013.10.04 .) あとがき

            北川美美

            10月になりました。今号で順調に40号、アクセスは53,000台となりました。ありがとうございます。そして秋興帖第五です。

            そろそろ豈の次号、そして攝津幸彦賞の発表の頃です。何か特集が組めるよう努めます。乞う御期待!!

            ツイッタ―にて更新情報を流し始めました。更新日は金曜ですが更新時刻未定ですので更新情報としてツイッタ―を利用してみようと思います。

            ここのところ暑かったり寒かったりと少々身体に堪えます。季節柄温度変化にお気をつけください。

            筑紫磐井

            次回からのアンケート記事のためにインターネットで話題を探していたら、ニール・セダカの「恋の片道切符」は、日本では大ヒットしたのに、アメリカではヒットしなかった理由が書かれていた。この曲の歌詞が、繰り返し歌われる恋の片道切符以外の部分が、「Bye Bye Love」(エヴァリー・ブラザーズ)、「Lonely Teardrop」(ジャッキー・ウィルソン)、「Lonesome Town」(リッキー・ネルソン)、「Heartbreak Hotel」「A Fool Such As I」(エルヴィス・プレスリー)などのヒット曲の題名満載で出来あがっていたからだという。英語のわかるこの曲をアメリカ人は馬鹿にしていたが、英語のわからない日本人は感心していた。まるで、英語の不得手な日本人を馬鹿にした話として伝わっている(現在の日本人の語学能力も同様だろう)。

            しかしひるがえってこの話は俳句にも通用するようである。意味が分からなくても俳人は感心していることが多い。あるいはとんでもない誤解から高く評価されている名句があるかも知れない。そういえば、新刊の「ku+」では「いい句とは」の特集が行われるらしいし、あるいは「俳句」12月号では平成の名句集の特集が行われると言う話である。眉に唾をしながら承ろう。

            One Way Ticket(Neil Sedaka)
            Choo choo train
            a-chuggin’ down the track
            Gatta travel on,
            never comin’ back woo ooo
            Got a one way ticket to the blues
            Bye bye love my baby’s leavin’ me
            Now lonely teardrops
            all that I can see woo ooo
            Got a one way ticket to the blues
            I’m gonna take a trip
            to lonesome town
            Gonna stay at heartbreak hotel
            A fool such as I
            there never was
            I cried a tear so well
            (以下繰り返し)

            三橋敏雄『真神』を誤読する 89. 山は雪手足をつかぬみどり児に / 北川美美


            89.山は雪手足をつかぬみどり児に

            前句<擂粉木の素の香は冬の奥武蔵>を受けて里山の暮しを想像する句である。

            まだ歩くことのできない乳呑児と窓の外の雪が降っていると思える山、あるいは冠雪山との遠近の景がみえる。山深い村落に暮らす人々の冬の暮しを想像するのである。

            技法的には「は」を使用することの意味が大きいだろう。三橋敏雄の句の特徴として「は」の使用が印象深いのである。

            腿高きグレコは女白き雷>の項(詩客2011年05月20日号)で少し触れたこの「は」の使用について考察してみたい。

            『まぼろしの鱶』
            出征ぞ子供ら犬歓べり
            塩座して帯びゆく放射能
            世界中一本杉の中
            雪子供つくらぬ蜂窩窟
            金鉱なき山山音楽命ぜられ
            抛(なげうつ)るべき石探され父祖の磧(かわら)

            『鷓鴣』
            老い皺を撫づれば浪かわれ
            木木痛し恋しき松松落葉
            くりかへす花火あかりや屋根江戸
            おほぞらお我鳥(わどり)汝鳥(などり)もろびとよ
            鳴いてくる小鳥すずめ紅の花 
            『疊の上』
            井戸母うつばり父みな名無し
            棒杭のあたま平ㇻ朝曇
            胸高に牡丹木となりにけり
            切花死花にして夏ゆふべ
            山山の傷は縦傷夏来る
            両の眼の玉飴玉盛夏過ぐ
            あやまちくりかへします秋の暮
            行くさ来さ中山道は北颪
            飯粒籾米よりものどかなる
            秋の日別に落ちたり撥釣瓶
            永遠に兄貴戰死おとうとも
            すゑずゑの石卵形冬ひでり
            生死の算用数字世さくら
            おぼろ晝はかすみの目さすらひ
            旱星山山みなせりあがり
            日盛の火見櫓の鐘
            夏池の底なる泥けむり

            『巡禮』
            手をあげて此世の友来りけり 
            『長濤』
            表札三橋敏雄留守の梅
            又の名のわれ雉尾や雉の聲
            ふるさとや多汗の乳母の名お福
            字(あざ)の名駒をいただき春の雲
            この鈴馬居ずなりし馬の鈴
            あの家の中老女や春げしき
            酒臭きわれ瓜なり朝ぐもり
            地(つち)もと天なり秋の蟬の穴
            待遠しき俳句我や四季の國
            エノケン笑へりこの夜われも笑ふ
            はるばると天錨をはこぶなり
            前あしかひなの眞神立ちあがる
            臼に雪は庇をのめり出る
            みちのく木木をかをりや雪の果
            しづかなる枯蘆騒(かれあしざゐ)刈りゐたり
            萬愚節師の忌の墓遥かにて
            しずかなり一家の壁の剥落

            『しだらでん』
            尋常の死冬に在り奥座敷
            夏港を出でて歸りたし
            衣食住付船乗あほうどり
            石段のはじめ地べた秋祭り
            太陽いつもまんまる秋暑し
            たましひ先を行くなり秋の空
            約八十瓩(キロ)の猪迷惑狭庭に来
            手さぐりに肌(はだへ)廣し虎落笛
            待針のつまみの花母の花
            搖籠止まりやすけれ百舌鳥
            一日の果て百年秋の暮
            家ごとに干す夜具蒲団ここ御國
            足もと土に非ざり初飛行
            彼岸會やここらバードサンクチュアリ
            知合の神樣無し独活の花
            手の内に三つ止めて栗拾
            一抹の濕(しめ)り日照雨(そばへ)冬ざくら
            土に隠れて深し冬日向
            産み捨てのはららご散り四海波
            足奪(と)る何の荊棘線(ばらせん)基督よ
            梟やひとつ火の氣誰が煙草
            梟や男キャーと叫ばざる
            若菜野やうなじ垂らす摘みがてに
            廣しいづれつがひの春の晝
            満月の裏くらやみ魂祭
            皆置かれて泰(やす)し秋風裡
            俳諧四季に雑さて年新た
            晩年に刊行された「しだらでん」に於いての「は」の使用は28句と最多である。

            遡ると敏雄には「は」の使用について戦時下において「も」に改めたという記録がある。

            出征ぞ子供ら犬も歓べり (『太古』)
            出征ぞ子供ら犬は歓べり (『まぼろしの鱶』)(『靑の中』)
            『太古』発表当時(昭和16年)、時勢を配慮して手直しをしたものを後に原形に戻したと考えられている。「も」であれば、全ての人々が喜び、「は」であれば「子供ら犬は」以外の人は喜んでいないことになる。

            晩年になるほど「は」の使用されている句を収録しているのは、自己主張を意図する傾向にあるとも解せるが、「は」との使用に敏雄は終生こだわりを持ちつづけたとも言えるだろう。

            係助詞の「は」は単なる強調というだけでないことが歴史的な俳諧文法解説からわかる。
            「は」と「も」とは本居宣長の所詮第一弾の係辞ではその陳述に対する勢力は甲乙ないものである。二者の差異は他と区別する下心があり、之を提示して判別作用をあらわし理解を要求するものであり、「も」は他の包容する下心があり、含蓄的で感情に訴えるものである。普通の文章では「は」が甚だ頻繁に用いられ盛んに主格の語に附くことにより、主格を示す助詞とまで誤り認められたものである。俳諧においても「は」の用いられることが多く、やはり「も」よりも優勢であるように見えるけれど、実地に就いて精査すると必ずしもそうでは無いのである。
            『俳諧文法概論』山田孝雄
            上記の山田孝雄文法論を資料とし国文学者の小林祥次郎氏から更なる補足解説を頂いた。

            解りやすい例としは、「おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ芝刈に行きました。おばあさんは川へ洗濯に行きました。」この例から解るのは、「が」が未知の情報に用い、「は」は既知の情報に用いる。しかし、この例の「は」が特に取り上げる方法とも見られ「も」と対比するものと考えられる。「あいつは体はツヨイ」というのは「頭がヨワイ」ということを、「あいつは体もヨワイ」というのは「頭もヨワイ」ということを暗に表わそうとしている。
            なるほどわかりやすい。

            単に強調ということではなく裏の意味を示す。

            上掲句に戻ろう。上五<山は雪>の意図することは、おそらくつづく中七下五の作者の視点位置との対比である。例えば<山は雪>であれば「里は風」あるいは「雨」かもしれない。遠景の「山」に雪が降り寒々しい風景であるが、近景の<みどり児>のいるおそらく「里」では雪ではないが厳しい冬の低温感が伝わる。

            それは同時に里の生活が冬の間、閉ざされたものであることを想像させる。「手足をつかぬ」という意味が嬰児の意志でもあるように手足をついて這うことすらも拒むというように読め、抱かれている、あるいは背負われている風景を想像する。その陰に男達は町へ出稼ぎに行き、家の中には女と子供だけが残されるというムラの風景をも読み取ることができるのだ。

            戦後の社会情勢を孕む風景。戦後リアリズムといわれた土門拳の『筑豊の子供たち』(1960)のドキュメンタリー写真を思い浮かべる。


            現実の社会を見ようとする昭和30年代後半から40年代当時の動きも『眞神』には多いに影響しているだろう。

            敏雄の「は」は、「や」「かな」の詠嘆の技法と隔て、その裏にあるあ風景をも含む「は」であると解せる。



            文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む15~食④~】/筑紫磐井

            (5)パン

            パンについては前回で触れ、そのまとめての感想は、巻末の句に掲げておく。まず個別の状況の作品から眺めておく。

            【給食】

            木枯や給食のパン掌に黙し 浜 29・1 上杉艸果 
            給食のバターめつきり痩せて冬 暖流 29・4 金井充
            ※これは代用食のイメージで読めばよいであろう。家庭では食糧がなくても、学校に行けばあると言うのは平和のありがたさであった。

            しかし、給食でまず思い出されるのが脱脂粉乳で、牛乳から脂肪分、水分を除去し粉末状にしたもの。保存性がよく、栄養価が高いことから戦後学校給食に用いられたが不味かった。ララ物資、ユニセフなどの援助を受けて配給された。昭和20年代前半からは始まっていたから、俳句に詠めばパンより印象深いはずであるが・・・。

            【パン食】

            山羊の乳さわやかにパン食の朝 石楠 26・12 中村春葉●
            【白パン配給】

            白麺麭ぞ雪のごとくに白き麺麭ぞ 太陽系 21・10 日野草城●
            【パン】

            新涼の朝の麺麭切る妻のそれも 風 23・2 大島四月草●
            ※幸福感に溢れたパンは、別に戦後固有のものではない。しかし、戦後の荒廃した雰囲気の中で、わずかに感じ取れるこれらの幸福感は、ささやかなだけに印象深く鑑賞されるのである。

            【パン】

            若けれどパンかじる背の麦踏めく 俳句 29・5 細谷源二★ 
            夜学生のパンかぢりゆく啄木忌 俳句 29・6 飯野たか志★ 
            うそ寒きラヂオや麺麭を焦がしけり 雨覆 石田波郷
            枯芝に一片のパン顔の隈 寒雷 28・2 清水清山 
            ※一方貧しさや困惑を感じさせるのはこんな句である。

            【パン】

            配給の粉がパンになり紅葉添へ ホトトギス 23・4 小野房子 
            パン種の生きてふくらむ夜の霜 野哭 加藤楸邨 
            パン種のふくるる清し冬の蜂 寒雷 28・3 山本天津夫 
            パン焼器湯気を噴き上ぐ喜雨休み ホトトギス 21・11 中川古泉 
            くらげ見て蒸しパン食むはかなしきや 太陽系 23・9 桂信子 
            ふかしパンにぎればぬくし秋虚ろ 氷原帯 27・1 田沼露草 
            パンすこしふくれすぎたる薄暑かな 春燈 26・9 瀬川あゆ子 
            ※パン屋で購入したパンではなくて、パンを製造している過程が句になるのもこの時代の特徴であろう。粉からパン種を混ぜ、発酵させた後、焼いたり蒸したりするのだが、こうした些事が俳句になって行くのはいかにも戦後らしい雰囲気である。

            【パン食】

            パン食や雨のつづける棕櫚の花 浜 21・7 北見楊一郎 
            ギス近く鳴いてパン食足れりとす 石楠 25・1 山下泉 
            しぐるるやパン濡らさじと抱き来たり 氷原帯 29・1 奥村比余呂
            【パン】

            爪はじくパン屑蟻の行く方へ 起伏 加藤楸邨 
            春近しぼろぼろパンを喰みこぼし 風 22・5 細見綾子 
            パンに慣れ露けさにやや遠ざかる 寒雷 22・11 田川飛旅子 
            パンのあとに氷飲めば啼く夜の雁 寒雷 23・2 冨田実 
            パン毟る朝はまつげのななめ翳 麦 26・11/12 栗栖ひろよし 
            冬の仏像麺麭は一と日の生物にて 俳句 27・6 中村草田男 
            パンの餉に祈る父子は半裸にて 氷原帯 27・8/9 出倉狗峰 
            夜の霧がパンの耳をしめらせに来る 氷原帯 29・4 鈴木美枝 
            春の崖に朝日黄金バタなき麺麭 俳句 29・6 西東三鬼 
            稿継ぎて片手パン焼く朝ぐもり 俳句 29・8 秋元不死男

            ※問題はこんな生活の一齣とパンを組み合わせた句である。組み合わせたからと言って、作者の主観があらわになるわけでもない。おそらく戦後の些事はここに明らかになるものの、名句と呼ばれるようなものはないようである。これらの句の中から、「俳句」編集部が特集した「揺れる日本」が浮かび上がってくるとは思われない。「パン毟(むし)る朝はまつげのななめ翳」など、松嶋菜々子のスナップ写真のようだ。

            【戦後アンケート(テレビ・レコード・文庫本)】はじめに / 筑紫磐井

            ――1回目の東京オリンピック前後――

            1964年(昭和39年)オリンピック開幕の前後の風俗を知っておくことは、「戦後俳句を読む」を続けるに当たっても有意義ではないかと思い、「BLOG俳句空間」のメンバーに次のようなアンケートを行ってみた。

            質問1.私(あるいは我が家)が初めて見たテレビ番組は?
            質問2.私が初めて買ったレコード(あるいはCD)は?
            質問3.私が初めて買った文庫本(新書でも本一般でも結構です)は?

            多くの方から回答を頂いたので、次回から連載でこの3つの問の回答を掲載する。回答者にはそれぞれの年齢を示していないので、いろいろ憶測してみながら、読んでいただきたい。もちろん、参加者はオリンピック開幕時にはまだ誕生していなかった人もいるから、「――東京オリンピック前後――」は僭越かも知れないが、それ程厳密な意味ではないからご容赦いただきたい。たまたま2回目の東京オリンピックの開催が決まったからそれに便乗したまでである。

            便乗ついでに、ちなみに、1964年(昭和39年)オリンピック開幕の前後のテレビ・レコード・文庫本(むしろベストセラー本)を掲げてみると次の通りである。私の気に入った項目を選んだから何も権威があるわけではないが、それなりの時代の雰囲気を伝えてくれるだろう。下線はオリンピックの年の事件である。

            【テレビ】

            1960年:怪傑ハリマオ
            1961年:シャボン玉ホリデー、アンタッチャブル
            1962年:てなもんや三度笠、隠密剣士、ベン・ケーシー
            1963年:鉄腕アトム、ケネディ暗殺中継、紅白歌合戦視聴率81.4%(史上最高)
            1964年:赤穂浪士、逃亡者
            1965年:水戸黄門、
            1966年:ウルトラQ、おはなはん、カラーテレビ開始
            1967年:スパイ大作戦
            1968年: 金嬉老事件中継
            1969年:東大安田講堂事件中継

            【レコード】

            1960年: アカシヤの雨がやむとき(西田佐知子)
            1961年:君恋し(フランク永井)、上を向いて歩こう(坂本九)、悲しき片想い(ヘレン・シャピロ)、ライオンは寝ている(トーケンズ)
            1962年:いつでも夢を(橋幸夫・吉永小百合)、遠くへ行きたい(ジェリー藤尾)、悲しき雨音(カスケーズ)
            1963年:こんにちは赤ちゃん(梓みちよ)、見上げてごらん夜の星を(坂本九)、東京五輪音頭(三波春夫)、アイ・ウィル・フォロー・ヒム(リトル・ペギー・マーチ)
            1964年:明日があるさ(坂本九)、お座敷小唄(和田浩とマヒナスターズ)、夢みる想い(ジリオラチンクエッティ)、ほほにかかる涙(ボビーソロ)、ミスターロンリー(ボビービントン)
            1965年:君といつまでも(加山雄三)
            1966年:星影のワルツ(千昌夫)、恍惚のブルース(青江三奈)
            1967年:ブルー・シャトー(ジャッキー吉川とブルーコメッツ)
            1968年:三百六十五歩のマーチ(水前寺清子)

            【本】

            1960年:性生活の知恵(謝国権)
            1961年:英語に強くなる本(岩田一男)
            1962年:徳川家康(山岡荘八)
            1963年:徳川家康(山岡荘八)
            1964年:愛と死を見つめて(河野実・大島みち子)
            1965年:人間革命(池田大作)
            1966年:氷点(三浦綾子)
            1967年:頭の体操(多胡晃)
            1968年:民法入門(佐賀潜)




            平成二十五年 秋興帖 第五

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                  清水青風
            碧空に山次々と湧く初秋
            妻の手に土瓶とアキノキリン草
            長き夜や遺句集といふおもきもの

                  木村修(「玄鳥」)
            月今宵駱駝の水が溢れ出す
            船長室のタロットカード今日の月
            臍の緒のこんがらがっていて無月


                  羽村 美和子(「豈」「WA」「連衆」同人 近著『堕天使の羽』)
            十六夜の影歩き出す宇治拾遺
            これよりは核の灯りと月夜茸
            酔芙蓉いつも核心はぐらかし

                  茅根知子(「絵空」同人)
            秋霖のどこかが管でつながりぬ
            銀色の梯子に秋の蝶が来る
            近くまで来たのと言うて夜長かな

                  堀本裕樹
            蝶々のまはりをあそぶ素風かな
            あの鹿毛の踏みたる木の実かとおもふ
            秋草に風ジーンズの元女優

                  網野月を(「水明」「面」「鳥羽谷」所属・「Haiquology」代表。)
            歪なものに中心があるヴェネティアの秋
            秋の海愛する権利は平等に
            秋も海その移ろいは見事なり
            泥棒になったことなし恋も柿も

                  山田耕司(「円錐」同人)
            双眸のそれらの球の海の秋
            涙より重たき零余子ではあるが
            生前の掌を皿にして零余子めし


                  小久保佳世子(「街」同人)
            夜長のビデオ再生するたびビル崩壊
            人だったかしら月夜の交差点
            地震竜巻台風五輪注意報

                  太田うさぎ
            腰痛の日や鶺鴒の石移り
            ゑのころの大きく吹かれ鳥辺山
            下駄脱げば忽ち雨や断腸花

                  近恵
            十六夜の奥歯でかみつぶす薬
            秋の虹見上げる為の無人駅
            草虱草虱自堕落な一日