2024年9月27日金曜日

第233号

                 次回更新 10/11


現代俳句協会評論教室・フォローアップ研究会 1 筑紫磐井 》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和六年春興帖
第一(6/21)辻村麻乃・豊里友行・川崎果連・仲寒蟬・仙田洋子
第二(6/28)小野裕三・水岩瞳・中西夕紀・神谷波・坂間恒子・山本敏倖・加藤知子
第三(7/12)岸本尚毅・浜脇不如帰・冨岡和秀・杉山久子・松下カロ・木村オサム
第四(7/19)小林かんな・ふけとしこ・眞矢ひろみ・望月士郎・鷲津誠次・曾根毅
第五(7/26)花尻万博・早瀬恵子・大井恒行・竹岡一郎
第六(8/23)高橋比呂子・なつはづき
第七(9/13)青木百舌鳥・小沢麻結・渡邉美保・前北かおる
第八(9/27)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子・筑紫磐井・佐藤りえ


令和六年歳旦帖
第一(5/25)辻村麻乃・豊里友行・川崎果連・仲寒蟬・仙田洋子
第二(5/31)小野裕三・水岩瞳・神谷波
第三(6/8)山本敏倖・岸本尚毅・浜脇不如帰・冨岡和秀
第四(6/14)杉山久子・木村オサム・小林かんな・ふけとしこ
第五(6/21)眞矢ひろみ・望月士郎・曾根毅
第六(6/28)花尻万博・早瀬恵子・大井恒行
第七(7/12)竹岡一郎
補遺(8/23)青木百舌鳥・小沢麻結・渡邉美保・前北かおる
補遺(9/13)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子
補遺(9/27)筑紫磐井・佐藤りえ

■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第49回皐月句会(5月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第19号 発行※NEW!

■連載

【抜粋】〈俳句四季8月号〉俳壇観測259 岡本眸と有馬朗人の全句集――昭和一桁世代の総括

筑紫磐井 》読む

【加藤知子句集『情死一擲』を読みたい】➀ エロスとタナトスとの狂想曲 藤田踏青 》読む

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】 3 現代川柳に通じる三句 佐藤文香 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(50) ふけとしこ 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり15 北大路翼『天使の涎』 》読む

【連載】大井恒行『水月伝』評(2) 田中信克 》読む

英国Haiku便り[in Japan](48) 小野裕三 》読む

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 7.梅若忌 筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句 》読む

句集歌集逍遙 筑紫磐井『戦後俳句史nouveau1945-2023——三協会統合論』/佐藤りえ 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
インデックス

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む

…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
9月の執筆者(渡邉美保)

■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

■連載【抜粋】〈俳句四季8月号〉俳壇観測259 岡本眸と有馬朗人の全句集――昭和一桁世代の総括  筑紫磐井

 短期間の間に全句集が立て続けに刊行された。『岡本眸全句集』(ふらんす堂2024年5月21日)と『有馬朗人全句集』(角川書店2025年5月28日)である。いずれも、兜太、龍太らのいわゆる戦後派世代の次の昭和一桁世代である作家である。戦後派世代の華々しさに比べ、やや地味であるが昭和俳句を作りだした大事な作家たちだ。その業績も全句集で伺う限り『岡本眸全句集』は10句集を収録、『有馬朗人全句集』も10句集を収録し500頁前後の大冊となっている。ちょうどいいタイミングなので2つの全句集を並べて紹介してみたい。


岡本眸全句集

 岡本眸は昭和3年1月、東京都江戸川区で生まれる。本名は朝子。日東硫曹株式会社に入社し、社長秘書を務める。職場句会で富安風生、岸風三楼の指導を受け、「若葉」「春嶺」に投句する。昭和46年第一句集『朝』を上梓し、第11回俳人協会賞を受賞する。その後10冊の句集を上梓し、現代俳句女流賞、蛇笏賞、毎日芸術賞を受賞。55年には「朝」を創刊し、毎日俳壇選者を勤める等精力的な活動を勤める。平成20年以降静養に入り、28年「朝」を終刊し、30年9月15日に逝去。

 私が俳句を始めた頃に最初に読み、かつ華々しく取り上げられた第1句集『朝』の印象は今も変わらない。特に眸のあとがきと風生の解説は逸品である。句集上梓の直前に子宮癌手術のために入院、「女のごみ箱」(これは立派な差別用語なのだが眸自身がこう言っている)と言われる癌病院婦人科病棟に入院した患者たちと、そうした絶望的な環境の中で家族を思いやる主婦の姿を描き、激励されていくのである。一方風生の解説は「エスカレーターがこわくて乗れない」「生卵をかどにぶつけて割るというわざができない」というかまととぶりと、句集名を本名に因んで強引に「朝」とつけさせ、風生に解説まで書かせるというしたたかさが共存しているのが嫌味でなく師弟の信頼を語っている。


霧冷や秘書のつとめに鍵多く『朝』

立冬の女生きいき両手に荷『冬』

残りしか残されゐしか春の鴨『二人』

浅草へ仏壇買ひに秋日傘『母系』

黄落の干戈交ふるごとくなり『十指』

飲食のことりことりと日の盛『矢文』

子に五月手が花になり鳥になり『手が花に』

母方の祖母より知らず麦こがし『知己』

本当は捨てられしやと墓洗ふ『流速』

温めるも冷ますも息や日々の冬『午後の椅子』

(『岡本眸全句集』には、平成16年の毎日の一句と日記記事を収録した『一つ音』)(平成17年11月ふらんす堂)が番外で載る)


 岡本眸と富安の関係を見ると、4S世代と昭和戦前生まれ世代の不思議な関係が以前から気にかかってしょうがなかった。もちろん4S世代はそれぞれ次世代(子世代)を育成してきたが、意外に次世代に対してクールな関係を保ってきたようである。富安風生と加倉井秋を、山口誓子と橋本多佳子、水原秋櫻子と加藤楸邨や篠田悌二郎、山口草堂(石田波郷は例外)などとの関係はそのように見える。ところが、4S世代とその孫世代は惚れ込んでいるような濃密な愛情を示しているように見える。富安風生と岡本眸、山口誓子と鷹羽狩行、水原秋櫻子と福永耕二と特別な関係が浮かび上がってくるように思われる。


有馬朗人全句集

 有馬朗人は昭和5年9月、大阪市住吉区で生まれる。父母共に俳人で特に母籌子(かずこ)は後年関西の名門雑誌「同人」を主宰する。朗人は東京大学に入学し、理学部教授、東京大学総長、理化学研究所理事長を経て、参議院議員、文部大臣、科学技術庁長官などを歴任した。国立大学法人化やゆとり教育を主導した。日本の大学の窮乏化を警告した『大学貧乏物語』は余りにも有名。

 一方俳句では、昭和21年に「ホトトギス」に初入選。東大に入学した25年に「夏草」に入会し、山口青邨に師事。また東大ホトトギス会にも入会。高橋沐石らと「子午線」を創刊。平成2年「天為」を創刊・主宰。東大俳句会の指導も行う。国際俳句交流協会会長。昭和62年年俳人協会賞、平成16年加藤郁乎賞、19年 詩歌句大賞、24年 詩歌文学館賞、30年 毎日芸術賞、蛇笏賞を受賞する。令和2年12月6日自宅で急死した。


水中花誰か死ぬかもしれぬ夜も『母国』

新涼の母国に時計合せけり『知命』

光堂より一筋の雪解水『天為』

中国に妖怪多し夕牡丹  『耳順』

漱石の脳沈みゐる晩夏かな『立志』

浅草の赤たつぷりとかき氷『不稀』

ひざにゐて猫涅槃図に間に合はず『分光』

ソーダ水巴里に老いたる女かな『鵬翼 四海同仁』

春の夜の雪となりゆくオペラかな『流轉』

いづこにも釈迦ゐる国の朝涼し『黙示』

(以下略)

※詳細は「俳句四季」8月号参照

【加藤知子句集『情死一擲』を読みたい】➀ エロスとタナトスとの狂想曲  藤田踏青

  句集の跋文にて竹岡一郎氏が真摯に正攻法で作品に対峙され、「此の世と彼の世を、・・・あるがままに・・・」と解明されたことで総てが言い尽くされていると思われると共に、それが氏の作者への遺言であるかのようにも思われる。

 私としては作者の〈あとがき〉から逆算的に句集を眺めてみたいと考えた。つまり句集名の『情死一擲』が、映画「華の乱」に触発された〈首筋に情死一擲の白百合〉に拠るという自解からである。此の映画の主人公は波乱に満ちた与謝野晶子であるので、白百合は彼女を暗示していると共に、有島武郎・波多野秋子との情死も重ね合わせていると思う。

 そこにエロスとタナトスとの狂想が認められる。

 エロスを象徴する句としては


   太腿に金の雨降る野のあそび

   引き籠もるとは貞操帯の冷まじき

   生殖器春泥こびりついてをり

   ほと深きところに卍春は傷


 肉体に関する「太腿・生殖器・ほと」などの性の直截的な語彙や、それに関連する「貞操帯」などの語彙への嗜好は作品に頻出している。それらの性・エロスは生への欲動であり、絵画や音楽のように感覚そのものが作品となっているかに。

 生の欲動であるエロスに対して、死の欲動であるタナトスは対立して存在しているのではなく、ここではお互いに抱き合った存在となっている。それは、肉体という概念が人間性全体を覆えない限り、生・エロスと死・タナトスは意識界の外に存在するからであろう。タナトスを象徴する句としては


   冬銀河輪投げのように逝くことも

   華よ血の香りよ虹に髪浸らしめ

   丹塗矢を受け立つ椿流れ着け

   首筋に情死一擲の白百合


 日常的な意識層をかき回すだけの詩への否定が、非日常のタナトスへと色彩的な視線を投げかけているのであろう。


   宇気比にかけ志士冴え返る水鏡

   鏡像は花咲く森の死のむこう

   青葉若葉詩にただようは死ねの声


 神風連への言挙げの作品であるが、作者はそこに西南の役との通底として、文学的な情死・心中を認めている。私はそこに更に秋月の乱を加えたい。というのも、肥後・薩摩・福岡といった九州の〈場〉というものの共通項を考えるからである。それを位置づけるには、存在根拠を述語=場所と無のうちに見出した西田幾太郎の〈場所の論理〉が最適であろう。西田は次の様に述べている。


 「ふつうわれというも物と同じく、種々の性質を含んだ主語的統一と考えられているが、われとは主語的統一ではなくて述語的統一である。一つの点ではなくて、一つの円である。物ではなくて場所である。」(『場所』)


 そしてこの場所が無の場所と呼ばれるのは、それが存在=有の反対の極にあらわれるものだからである、と。つまり、九州の反乱の各場所は主語的な存在感をもち、各反乱の主体はそれによって喚起された述語的存在である、と。また、存在=有への反対の極には「死=無」が当て嵌まるであろう。その九州の歴史意識の流れは、終戦時にマレーシアのジョホールバルで自決した〈日本浪漫派〉の蓮田善明にも受け継がれていたようである。蓮田の詩碑が田原坂に建立されているのも何かの因縁であろうか。

 また、宇気比=祭祈と受取れば、三島由紀夫の恋闕にも連なるものがあろう。

 句集で他に印象に残った作品


   青の世界蝶と小鳥とくちなわと

   黒鍵に触れればほたる舞いあがり

   腿深く螺鈿蒔くようほうたる来い

   向日葵の立ち枯れ仮面舞踏会

   こしょろよこしょろどうしょろか

   夕薄暑どの風向きも異教なる

   白黒の虹なら屋根を飾る猫

   月とるにあばらの骨をそぎ落とす

   DADAや冬瓜つるりと向きを変え

   荒ぶるや我に背もたれ瀑布欲し

   一色ずつ虹をはがせば火傷痕

   この自販機でんでらりゅうばででむしで

   お百度を踏むほど尖る夏薊


 ここまで書いてきて、新聞で神風連資料館の閉鎖を知った。

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり15 北大路翼『天使の涎』  豊里友行

 北大路 翼(きたおおじ ・つばさ)は、もう既に第一句集の『天使の涎』(2015年刊、邑書林)、第二句集『時の瘡蓋』(第二句集、2017年4月刊、ふらんす堂)、第三句集『見えない傷』(2020年6月刊、春陽堂書店)、第四句集『流砂譚』(2023年3月刊、邑書林)が出ているのだが、遅ればせながら『天使の涎』を私なりに句集鑑賞しておきたい。


 2009年に大変な話題となった新人発掘のアンソロジー『新撰21』のひとりで私も参加していたのでこの俳人・北大路翼の存在を知ったし、面白い俳句だなーというのが北大路翼俳句の初見だった。


コインロッカー雪兎の育つ


 雪兎(季語は冬)は、盆上に雪でウサギの形を作ってユズリハの耳とナンテンの実で目を燈すのだが、コインロッカーという現代的な題材から大都会の駅の喧騒の中の片隅を私は思い浮かべてしまう。そんな処に雪兎が育つ。サバイバルな大都会の此処に生きているからこそ雪兎と遭遇し、こんな俳句を感受できたのではないか。そこには、俳人の観察眼というよりもサバイバルな大都市を生き抜くための洞察力を否が応でも培っていかなければならない。そんなサバイバルな緊張感が句集の奥底に流れる川のようにある気がした。


 俳人としての観察眼としても秀句が多くて選びあぐねるほどで「携帯を開く流氷軋む音」「打ち首のやうな人参スープカレー」「不夜城のてつぺんにある鼠捕り」「眼から乾きだしたる羽化の蟬」「油蟬カレーを煮込むよりも鳴く」「太刀魚の折れて図鑑に納まりぬ」「弓道部の素足のやうな新豆腐」など数珠玉の俳句群。


いつまでも立てざる金魚掬ひの子

雷が落ちたみたいなジャンボパフェ

マンホール汚れて十薬花盛り

空蟬を運んでゐたるベビーカー


 たんなる俳人の写実としての観察眼ではなく金魚掬いの子の没頭ぶりを北大路翼の洞察力がより深い物語性を掘り下げている。

 またダイナミックで斬新でドストライクな粋な比喩でジャンボパフェの存在感が立ち現れる。

 それは、他の俳句にも顕著に「病弱の彼にドラキュラ役をやる」の洞察力に情景が加わった俳句や「蟋蟀と鈴虫だけのオフ会です」「雪踏んで千のスーツの緊張感」のような現代社会を活写するような鮮明なnewドキュメンタリーの写真のような時代の目撃者になりえる俳句たちでもある。

 流星のようなマンホールから溢れ出す現代人の消費の産物の汚物や汚水で苔なども生えて汚れているその一帯には、十薬が花盛りである。其処に詩的な俳句を見い出したのもあっぱれだ。

 普段から外に置いていたのだろうか。ベビーカーでスヤスヤと寝入る赤子や母親たちには見えない視界でベビーカ―の傍らにしがみ付く空蟬を発見する。

 俳人・北大路翼のこの句集は2015年に発刊されているのにまだまだ俳句の輝きは、色褪せることがない。


次の戦争までしやぶしやぶが食べ放題


 テレビや新聞のニュースでは、日本も関与するアメリカの戦争がイケシャーシャーと流れている。

 ラッパーの友人にこの俳句を紹介するとラップでも肉とかに喩える。そのラッパー同士のバトルで相手を婉曲にカッコよく揶揄するのがあるという。

 カッコ悪い表現とイカシタ云い回しとでラップの勝敗の歓声が際立つという。

 この俳句もいっ見するとシャブシャブ食べ放題に夢中な現代人が次々と戦争が展開されるこんな時代のニュースの川音を掻き消すように現代人の欲望を喰い散らかしているようだ。


投石に夏のすべてを捧げたわ


 こういう飲み屋のママさんの証言を引き出したらかっこええなー。だが北大路翼俳句の物語は色褪せることのないエンターティメントなのだろう。


団栗やごろごろとゐる鬱の人


 団栗を敷き詰めたような現代社会の森には、ごろごろといる鬱病の人。

 エンターティメント性の中にも、現代社会への鋭い洞察力で掘り下げた俳句があることも特筆しておきたい。

 俳人としての北大路翼俳句の秀句について長々と前置きをしてきたのだが、その『天使の涎』は、第7回田中裕明賞(2016年)受賞作品で大変な話題作だった。

その受賞者の言葉と選考委員の言葉を引いておきたい。


 僕に出来るのは戦ひ続けることだけである。傷つけ過ぎて俳句を殺してしまふかも知れない。僕が死ぬか、俳句が死ぬか、屍派は常に命を賭けてゐる。(北大路翼)


 この句集には胸に響くものがあって、それは一過性のものではないと感じた。ただし、私としてはあまり見たくないような作品がその数を超えている。かといって、それらの作がなかったらこの句集は面白くない。それをどう私の中で位置づけよう。少なくとも作者は、この句集において、世間にも読者にも、そして俳句という詩型にも甘ったれていないのではないか。それかなと思う。 そう思ってこの句集を今回の田中裕明賞とすることに賛成した。(石田郷子)


 『天使の涎』は歌舞伎町という舞台に徹底的にこだわって圧巻だ。花鳥諷詠と現代風俗の融合が奇観をなす。掃いて捨てても惜しくない俳句の多さに閉口しながらも、読み終えると「マフラーを地面につけて猫に餌」「俺のやうだよ雪になりきれない雨は」といった句が塵の中でせつなく輝く。(小川軽舟)


 『天使の涎』の評価は悩ましかった。「引つ張り合ふ女の喧嘩鳥交る」「ストリップ最前席の深海魚」「杉花粉飛ぶ街中が逃亡者」「飲めばすぐ戻る機嫌や尿に虹」「ゴミを轢くゴミ収集車春日射す」「綿菓子のやうなおかんを連れ歩く」「秋の雨猫の骸を撫で続け」「店員がかはいいだけでよき師走」「透き通るやうな白さや蛆がわく」「サンタかもあそこで休んでゐる髭は」「おーいお茶はおしつこの色春霞」「驚けば花咲く秋の墓場かな」など呆気にとられつつ惹かれた句は多々。特異な句柄ながら俳句として十分に楽しめる。ふつうの「巧さ」と異質の、この作者独自の「読ませ方」が仕組まれているのではなかろうか。(岸本尚毅)


 北大路翼句集は、矢野に負けず劣らず優れたことばの感覚を持ち、かつ都会に生きる大衆のエネルギーを力強く表出している。痛烈な諷刺精神を貫く一方、季語の処理など技術的にもレベルが高く、田中裕明賞にふさわしいと判断した。(四ツ谷龍)


 2015年の俳人のサバイバルな大都会の森を等価で其処に生きる眼差しが、活き活きと活写しているように鮮明に脳裏に焼きつく俳句そのものを楽しめるので此処では、私の俳句鑑賞を割愛したい。

 私の共鳴句をいただきます。


キャバ嬢と見てゐるライバル店の火事

風俗店を貫くエレベーターの寒

先客にハゲデブオタクスイートピー

寝袋を抜けて建国記念の日

ストリップ最前席の深海魚

缶拾ひの縄張りに入る揚羽蝶

お寿司屋で二度聞く開幕投手の名

酒気帯びのサンタが悲しいこと歌ふ

解体中のコマ劇場の松飾り

四トン車全部がおせち料理かな

夏盛ん腹に一本鞭のあと

新宿を見下ろしてゐる裸かな

血と肉と油のこびりつく銀河

初雪や警察官が四千人

犯人と思はれてゐる花の下

金魚鉢から働く人を見てゐたる

髭伸ばし放題冷やしジャージャー麺

雑炊をわけあつてゐて好敵手


祝連載50回!【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(50)  ふけとしこ

   油滴天目

風少し欲しき白花さるすべり

油滴天目おはぐろはもう寝たか

朝涼やくれなゐ帯びて神樹の実

かまきりが雄の目玉を食み落とす

茗荷の子地を這ふ霧に尖りては


      ・・・

汕頭のハンカチーフのやうな嘘 行方克己

                『肥後守』より

汕頭の白ハンカチの別れかな 栗林 浩

                『あまねし』より


 最近頂いた句集に見かけた俳句。2句続いたので心に残った。片や嘘、片や別れ……。ハンカチの存在感がポイント。汕頭とはスワトウ。その刺繍を施したハンカチのことである。ヨーロッパの白糸刺繍も美しいが、こちらは細かなカットワークなども用い、ごく薄くではあるが詰め物をしてより立体感を出している。繊細で丁寧な手仕事。高価になるのも頷ける品である。私の抽斗にも入ってはいるけれど。あまり出番がない。

 それで思い出したことがある。

 ある時「道端の草を訪う会」(現在私がやっている「草を知る会」の前身)に飛び入りの感じで参加した人があった。どなたかの紹介だったのだろうが、覚えていない。ワンピースだったか、ロングスカートだったかそれも忘れたが、エレガントな装いで参加した人があった。何が目的だったのか分からないままだったが、草木に興味があるようでもなかった。

 そして困ったことに香水を匂わせていたのである。山歩きというほどなくても郊外へ出かける時には香水はつけないのが鉄則。匂いにつられてやって来る蜂や虫がいるからである。

 さらに困ったことに、川沿いの道の草を観察しながら歩いていて、どこかで汕頭のハンカチを落としたというのである。「汕頭だけど、とても上等なのよ、安物じゃないのよ。いやぁ、どうしよう?」と……。

 私にすれば、いい加減にして~と言いたい気分。場違いな格好して来て、場違いな物を持って来て、自分のミスの筈なのに「どこで落としたのかしら?」とそればかり。

 私に訴えられても困る。同行者の中に私が探してあげましょうという紳士はいなかったし。

 そんなことを思い出して何やら腹が立ってきた。

 思い出し笑いならぬ思い出し怒り!

 で、件の彼女はこの会へは一度限りで再び現れることはなかった。あれは何だったのだろう。

 そういえば、汕頭に限らず薄手のハンカチを持ち歩くことが減った。鞄に入れてはいるが、大方は小振りのタオルを使う。吸水性もよく、アイロンかけの手間もいらず、手拭き、汗拭きとしては本当に楽なのだ。

 ある小説(時間潰しのような推理物)を読んでいたら、このタオルが出てきた。いちいちタオルハンカチとこの作家は書いている。そこは汗を拭ったとか、ハンカチを取り出したとかで済む場面じゃないの? と突っ込みたくなった。

 いや、ハンカチに限らず、身辺の物のことごとくに対して描写が細かすぎた。細かいなあ、と思いながらもその品々を想像するものだから、ストーリーを追う以上に時間がかかったことだった。と、これはつまらない思い出し笑い……。 

(2024・9)

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】3 現代川柳に通じる三句 佐藤文香

 俳人であり写真家である豊里友行の本質は、沖縄に暮らす者としての血の通った表現にあると思うが、個人的にはたまに出現する皮肉っぽい句やシュールな句により魅力を感じるので、ここで少し紹介しておく。


蟹を食う父母は獅子舞のようです


 顔を突き出してデカい口を開け、並んで蟹をくらう両親の滑稽さと恐ろしさ。その二人の子供であるこの人は「ようです」とリポート調に述べる。ホームビデオを見せられているようでもあり反応に困るが、その妙な空気がいい。


菜の花は洋菓子店の絵画です


 ふつうに述べれば「洋菓子店の中に飾られているのは菜の花の絵画です」ということのはずだ。しかしまず「は」で強引に菜の花が主題として提示されたことで、一旦リアルな菜の花が目に浮かぶ。そこから洋菓子店の外装を思い、店内に入ってまた絵画に出会う、それが菜の花の絵である、というように、菜の花に二度出会う構造になっている。

 もしくは、「洋菓子店の絵画のようです」を省略したかたちかもしれないが、そうだとしても、菜の花の褪せた黄色、小綺麗で少し古い洋菓子店を想像することにはなるだろう。


玉葱炒めのプチ哲学を堪能する


 哲学という広く深い思索を要する分野について「プチ哲学」や「堪能」などと言うのは最大級のおちょくりである。「玉葱炒め」というのもどうなんだ。玉葱は多くの炒め物の名脇役ではあっても、主役になるというのは、ほかの具材がせいぜい薄いベーコンと細かい人参くらいということだろうか。だからこそ「プチ哲学」が必要になるのか。謎だ。が、当の本人は満足気に見えるから面白い。

 散文的と思われるかもしれないが、現代川柳に通じる作品としても記憶しておきたい三句である。

 なお、ご興味のある方には豊里友行の写真もぜひおすすめしたい。撮影者の心が、その場の空気を真面目に捉えている。今の沖縄に必要な写真家だと思う。


■現代俳句協会評論教室・フォローアップ研究会 1 筑紫磐井

【評論執筆例(初期能村登四郎作品について):筑紫磐井】

――現代俳句協会評論教室のフォローアップについて(1)――


はじめに

 8月に行った現代俳句協会評論教室で私は「評論執筆のヒント───テーマの選択と手法」と題して講演させていただいた(8月17日)。前半は私の経験に即してのテーマの選び方、後半は具体例として能村登四郎を取り上げてどのような手法で評論を完成するかの講義とした。しかしもともとは、これは講義だけで完了するものでは無く、受講者からの具体的な提案・質問を受けてのフォローアップ研修が必要だと考えていた。今回なつはづき研修部長にそのための試行を相談することとした。

 実は以前、俳人協会評論講座を理事の角谷昌子氏と立ち上げて、ちょうどコロナが発生したところであったので「BLOG俳句新空間」を使ってフォローアップの研修を行い、かなりの参加者を得たところから今回も同じ方式をとってみたいと考えたものである(本BLOGの「■ 俳句評論講座」参照)。

 もともと受講者は、初めて評論を書いてみたいと考える人と、評論賞にチャレンジしたいと思う人が混在し、一律な講義では難しいと考えたからである。しかしこんな過程で始めた本フォローアップも、渡部有紀子氏や本年度俳人協会評論書受賞者大関博美氏のような書き手が現れたことは手ごたえがあったと考えている。

    *

 評論教室受講者からの反応がどのようにあるかはまだ未定だが、その前に、私が講演した能村登四郎の初期作品を使ってどうやって評論の形に仕上げてゆくかを示してみたいと思ってその概要を以下に示してみた。当日の講演資料(能村登四郎初期作品データベース)を参考にしてご覧いただきたい。

 もちろん評論の書き方に王道があるわけでもなく、定石があるわけではないが、いくつかのパターンを知っておくことは実作業としては役に立つだろう。

 

 なお念のために、能村登四郎を取り上げたのは、私が俳句を始めたときは能村登四郎の「沖」に在籍しており、当時かなりの能村登四郎初期作品データベースを作っていたからであり、当時若書きであるが「若き日の能村登四郎」を執筆していたからである(「沖」昭和57年7月号)。現代俳句協会の評論教室であるので、むしろ金子兜太や鈴木六林男を論じた方がよかったと思うが、作品データベースを作るには時間を要し評論教室の実施に間に合わなかったからである。その意味では受講者に不親切であったかもしれない。

 しかしこの初期作品データベースによる作家研究は私が考え付いたものであるが、能村登四郎以外のほとんどすべての作家に適用できる手法であるので、受講者にはその応用を他の作家においても試していただきたかった。

       *

 以下の論では、能村登四郎が自ら作り出した「ぬばたま」伝説とその浸透、私が初期作品データベースとの乖離を上げていかに作者は自らのことについて正しく認識していないかを実証してみた。これを評論執筆の手がかりにしていただきたいと思っている。


1.登四郎の「ぬばたま」伝説

 参考までに能村登四郎の略歴を張り付ける。

【能村登四郎略歴】

 明治34年1月、東京都台東区谷中生まれ。國學院大學高等師範部に入学、在学中、短歌同人誌「装填」に参加。卒業後、私立市川学園の教諭となる。昭和13年より、俳誌「馬酔木」に投句、水原秋桜子に師事。20年応召。除隊後に教員に復職。翌年に復刊した「馬酔木」に投句を再開。永らく「一句十年」「偽青春」の時代を過ごしたが、23年、馬酔木新人賞を受賞、25年「馬酔木」同人。当時、藤田湘子、林翔と併せて戦後馬酔木の三羽烏と呼ばれる。第1句集『咀嚼音』で教職俳句、第二句集『合掌部落』は社会性俳句の代表句集となり現代俳句協会賞を金子兜太と共同受賞する。協会分裂後しばらく「冬の時代」を過ごすが、第3句集『枯野の沖』で独自の心象俳句の世界で復活する。45年「沖」創刊、主宰。以後、60年、句集『天上華』で蛇笏賞受賞、平成5年、句集『長嘯』で詩歌文学館賞受賞。13年5月24日に死去。同誌からは正木ゆう子、中原道夫、筑紫磐井、今瀬剛一、小澤克己、鈴木鷹夫、鎌倉佐弓と多彩な俳人が巣立った。


 能村登四郎は馬酔木で頭角を現した時期の回想をしばしば行っている。一例を見てみよう。


【伝説資料1】

 「戦争が敗戦に了り、私は再び原職に復帰した。総てが逆になったような時代で教育の世界も荒れていた。私はもう一度日本人として謙虚に出直したいと思った。そして荒廃した日本語をもう一度勉強して正して行きたいと思った。それには詩の生活に入ることが大切だと思った。いくたびか詩の周辺にさまよった私は、馬酔木復刊を機に再び初心に帰って投句をはじ(め)た。時に私は三十五歳であった。やはり一年ほど一句がつづき、私は絶望に近い気持になり俳句を全く放棄しようとさえした。当時馬酔木は波郷・楸邨去った後で戦後の建直しの時期で新人を求めていた時でようやく秋櫻子先生のお目に止った。先生とも直接話か出来る機会もあった。昭和二十三年に私は久しいあこがれであった巻頭を得た。この時の「ぬばたま」の句について当時療養中の波郷から批判があった。そのいきさつは私の「伝統の流れの端に立って」や随筆「野分の碑」の中で書いてあるのでここでは省くことにする。」(「俳句」46年12月「恩寵」)


 ここで指摘している句は「ぬばたまの黒飴さはに良寛忌」と「長靴に腰埋め野分の老教師」の2句である。これが登四郎伝説のキーワードとなるが、これだけではでディテールが余り明らかではないので登四郎の随想「野分の碑」でもう少し詳しく眺めて見よう。


【伝説資料2】

 「昭和二十二年三月、私は思いもかけず馬酔木集の巻頭の栄に浴した。その時の句は、

  ぬば玉の黒飴さはに良寛忌

であった。秋櫻子の選後評を引用すると、 

「今の世で童たちがたやすく買える菓子といったらまず第一に飴であろう。いやこれは現代だけの話ではない。むかしも飴ならば手に入れやすく、童好きの良寛上人は袂の中にこれを忍ばせて、童たちに与えるのを楽しみにされたことと想像される。の着想がうかんだにちがいない。その上良寛上人は飴屋の看板を書いている。これが越後のどこかに残っている筈だーーそんな因縁がからんでくると、この句の味いは相当に深くなる。そうして全体に高雅な燻しをかけるため、作者は「ぬばたま」という枕詞を用意したのである。こんなわけでこの句は仲々念が入っており、古典的な風格をもつとともに現代生活とも関連している。」

 私は有頂天であった。俳句でこのような幸運を得られるとは全く考えたこともなかったからである。ところがこの句には横槍が入った。それは病重く清瀬で呻吟していた石田波郷からであった。当時波郷は未だ「馬酔木」へ復帰していなかった。波郷氏はあの黒飴の句は俳句に必要な具象性をもたない、あまりに趣味に溺れた句である。殊に枕詞を使用するなどは、若い生活派といわれる作者のすべきことではない。と難じられたということを「鶴」作家のKからきいた。

 相手が尊敬している波郷だっただけに、私はようやく獲た王座から転落していくような気がした。私は俳句の世界が考えていたような甘いものでないことをしみじみと知らされた。

 しかし私の「馬酔木」での成績はこれをきっかけに上り、その後幾度か巻頭をとり、昭和二十三年藤田湘子と一緒に馬酔木新人賞をうけて同人に加わった。

 しかし同人の末席についたその時から、私は第二の危機にのった。そんな中でつくる俳句に生活の実感が流れないのは嘘だ。私は貧しい自分の現実を確かめ確かめしながら俳句をつくろうとした。そんな時に、

  長靴に腰埋め野分の老教師

の句を得た。この句は九月のはじめ台風の日、古びた雨傘にやや猫背の体をかばいながら、よろめくようにして登勤する菅田先生の姿を何気なく詠んだものである。(略) 先生をモデルにした句をいくつか詠んでいる中に、私は妙にやるせなくなった。矜りと満足の中に生きる先生の姿があまりに痛ましく惨めだったからである。私はこの先生の姿を眺めながら、教師として生きることに心弱くも煩悶した。

 私は、自分を含めての教師の姿を刻みこんだ二十五句を「その後知らず」と名づけて第一回の新樹賞応募作品に提出し、幸運にも受賞した。

 この時批評にあたった石田波郷は次のように言っている。 

「この「長靴に腰埋め」の一句を得たことによってこの一編二十五句の努力は充分酬われたものと考えたい。この一句は他の二十四句とは把握も表現も隔絶している。他の句には多かれ少かれ作者の情感の色づけが見られるのに対してこの一句にはそれがない。野分の中に長靴に腰埋めた一老教師の姿を描き出しただけである。作者はその他の一切を抑えて発しない。(中略) 俳句表現の特質を端的に示した一つの典型である。」

 又波郷はこの句を俳句講座(明治書院)の「現代の名句」の中でとり上げて、次のように言っている。

「野分の中を出勤する老教師の姿をこの句は力強い線で適確に描出しているが、作者はその姿に自らのうらぶれた未来の姿を見ているのである。それはやがて避けがたい運命のようにやってくるにちがいない。」

私は波郷というすぐれた先輩をもった幸を思った。」(昭和41年9月「野分の碑」)


これを具体的な「能村登四郎年譜」でたどってみれば次のとおりである。


【能村登四郎年譜】

●昭和21年(1946)   35歳

 すべてにおいて変ってしまった教育に甚だしく疑問を抱き、仕事に張りを感じなくなった。学友、教え子多く戦死。「馬酔木」復刊を機に、もう一度俳句を一から始める気持で投句するも相変らず一、二句入選。

●昭和23年(1948)   37歳

 三月、「ぬばたまの黒飴さはに良寛忌」の句一連で「馬酔木」巻頭となる。秋櫻子の激賞で有頂天になったが、当時清瀬に療養中の石田波郷から、趣味に溺れた新人らしくない句だと厳しい批判を受け、少なからずショックを受けた。

●昭和25年(1950)   39歳

 同人の末尾に列座したものの、従来の方法から脱却出来ず、新しい方法の摸索に苦しむ。

●昭和26年(1951一)  40歳

 「馬酔木」三十周年記念の特別作品に「その後知らず」25句を応募し、第一回新樹賞を受賞。この中の「長靴に腰埋め野分の老教師」の一句は波郷の激賞をうけ、ようやく作品の方向が決った。


 戦前からつづく「相変らず一、二句入選」時代を後の登四郎は自虐的に「一句十年」と名付け、ここから抜け出すきっかけが「ぬばたまの黒飴さはに良寛忌」、「長靴に腰埋め野分の老教師」であったというのである。これは登四郎が常に語り続けた伝説であった。今も「沖」ではこの伝説を語っている人が多い。

(続く)


2024年9月13日金曜日

第232号

                次回更新 9/27


第16回「こもろ日盛俳句祭」シンポジウム「歳時記について」 筑紫磐井 》読む
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■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和六年春興帖
第一(6/21)辻村麻乃・豊里友行・川崎果連・仲寒蟬・仙田洋子
第二(6/28)小野裕三・水岩瞳・中西夕紀・神谷波・坂間恒子・山本敏倖・加藤知子
第三(7/12)岸本尚毅・浜脇不如帰・冨岡和秀・杉山久子・松下カロ・木村オサム
第四(7/19)小林かんな・ふけとしこ・眞矢ひろみ・望月士郎・鷲津誠次・曾根毅
第五(7/26)花尻万博・早瀬恵子・大井恒行・竹岡一郎
第六(8/23)高橋比呂子・なつはづき
第七(9/13)青木百舌鳥・小沢麻結・渡邉美保・前北かおる


令和六年歳旦帖
第一(5/25)辻村麻乃・豊里友行・川崎果連・仲寒蟬・仙田洋子
第二(5/31)小野裕三・水岩瞳・神谷波
第三(6/8)山本敏倖・岸本尚毅・浜脇不如帰・冨岡和秀
第四(6/14)杉山久子・木村オサム・小林かんな・ふけとしこ
第五(6/21)眞矢ひろみ・望月士郎・曾根毅
第六(6/28)花尻万博・早瀬恵子・大井恒行
第七(7/12)竹岡一郎
補遺(8/23)青木百舌鳥・小沢麻結・渡邉美保・前北かおる
補遺(9/13)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

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【抜粋】〈俳句四季5月号〉俳壇観測256 「塔の会」と「火の会」――六十年前は余りにも遠すぎて

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…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

【抜粋】〈俳句四季5月号〉俳壇観測256 「塔の会」と「火の会」――六十年前は余りにも遠すぎて  筑紫磐井

 「塔の会」のこと

 合同句集『塔』第11集が刊行された(令和5年12月)。もともとこれは「塔の会」(現在代表は鈴木太郎氏)という句会のメンバーの合同句集であり、5~6年に一度のインターバルでまとめられている。メンバーはその都度変わっているが、50年近い歴史のある合同句集である。協会などの例を除けば大記録であると思う。第10集が平成31年1月刊であったから4年ぶりであるが、ごく普通の刊行日程であり合同句集としては順調な刊行であるが、この第10集から第11集の間は、ほぼコロナの時代であり句会そのものが逼塞していた苦しい時代と言うことになる。

     *

 「塔の会」の発足そのものは古い。第1回の会合は、東京郵政会館で昭和43年2月19日に開催されたのだという。今から57年前のことである。

 塔の会の最初期のメンバーは星野麥丘人・原裕・磯貝碧蹄館・岸田稚魚・加畑吉男・草間時彦・八木林之助・轡田進・清崎敏郎・松本旭・松崎鉄之介・成瀬櫻桃子・岡田日郎・鷹羽狩行・香西照雄・林翔の十六人で俳人協会に所属する各結社の中堅メンバーということで、毎月句会を中心に会会が続けられた。

 長く幹事を務めた岡田日郎によれば、「会発足の社掛人は草間時彦・岸田稚魚・加畑吉男・鷹羽狩行らで、準備会のとき束京タワーが見えたので「塔の会」と命名したと、私は加畑吉男から聞かされたことがあった,月1回第3金曜日の夕刻から東京郵政会館を会場に十人ぐらいの参加があり、地味な句会が重ねられた。また、この年の終わりごろから有働亨・能村登四郎も加わっていた。当初の幹事役は加畑吉男・鷹羽狩行。」という。

 発足後、昭和47年に初めての合同句集『塔』が刊行された(発行5月25日)。林翔が結社別に参加者を掲げているので眺めて見よう(合同句集に出稿していない当時のメンバー名も()で追加しておいた)。これにより当時の俳人協会での勢力図もうかがえるようである。一方で、現在からみても錚々たる顔ぶれであり、この会を通して俳人協会の人材育成も進んでいったことが分かるのである。

 馬酔木(有働亨・(千代田葛彦)・能村登四郎・福永耕二・林翔)、鶴(岸田稚魚・草間時彦・星野麥丘人・八木林之助)、浜(中戸川朝人・松崎鉄之介・宮津昭彦)、若葉(清崎敏郎・轡田進・故加畑吉男)、万緑((磯貝碧蹄館)・香西照雄)、氷海(上田五千石・鷹羽狩行)、鹿火屋(青柳志解樹・原裕)、河(松本旭・(渡辺寛))、山火(岡田日郎)、春燈(成瀬櫻桃子)


「火の会」のこと

 「塔の会」の初期メンバーは多くがなくなってしまっている(長く代表幹事を務め、本会について最も詳しい岡田日郎氏も令和4年に亡くなっている)。現在の存命作家は鷹羽狩行氏ぐらいであろうが今では話を聞くことも難しいであろう。従って、塔の会の発足は既に霧の中にあるような状況である。しかしこの会の発足には、実は現代俳句協会時代の伝統作家たちの横の交流が関係していることはあまり知られていない。。


「もう十年以上も前(昭和35年ごろ)になるが、「火の会」という会が俳壇の中堅作家達の交流の場として作られ、万世橋に近い柳森神社を会場として毎月句会を開いていた。一番若手であった久保田博(鶴のち沖同人)さんが幹事役で、女流は柴田白葉女さん(雲母)が紅一点であった。文字どおり火花を散らす句会だが、結社の違う人々が集まる会なので非常に刺激になり、且つ楽しかった。

 その後俳壇が現代俳句協会と俳人協会とに分裂し、「火の会」も自然消滅したが、これをなつかしむ思いは誰の胸にも埋み火のように残っていた。やがて、当時のメンバーで俳人協会の幹事になった岸田稚魚・草間時彦・加畑吉男・能村登四郎・林翔らと、「火の会」のメンバーではないが、やはり協会幹事の鷹羽狩行らが中心となって、「火の会」と同じ行き方をする新しい会を作る話がまとまり、会員轡田進の世話で会場は芝の郵政会館と決まった。ここは東京タワーの真下である。誰言うとなく会の名は「塔の会」と決まった。

 現代俳句協会に残った旧「火の会」のメンバー達も皆伝統俳句作家であるから、旧交を温めたい気持は誰の胸にもあったが、俳壇の情勢にかんがみて、「塔の会」は俳人協会に属する中堅作家の会ということになった。」(林翔「塔の会のこと」)


 「火の会」について言及しているのは林翔ばかりである。しかし、現代俳句協会時代にも、伝統俳句作家たちの横断的な交流が行われていたのは事実だ。後に、俳人協会に移籍した人も、そのまま現代俳句協会に残留した人も、彼らの懇親・交流とは句会を囲むことによって実現していた。従って現代俳句協会からの俳人協会の離脱は、これらの人々にとっては不幸なことだったようである。

 最後に、第11集に載る作家何人かの作品を掲げるが、今の「塔の会」の会員たちはこうした歴史をどう考えているか聞いてみたいところである。

(以下略)

※詳細は俳句四季5月号参照のこと

第16回「こもろ日盛俳句祭」シンポジウム「歳時記について」 筑紫磐井

第16回「こもろ日盛俳句祭」

シンポジウム(2024年7月27日)

テーマ「歳時記について」

パネラー:

小林貴子

村上鞆彦

土肥あき子

山田真砂年

筑紫磐井(司会)

 恒例の小諸日盛俳句祭が本年も7月26~28日に行なわれ、その中でシンポジウム「歳時記について」が開催された(27日)。

 パネラーは、中堅作家の小林貴子、村上鞆彦、土肥あき子、山田真砂年の4人と(司会)筑紫磐井であり、各自の推薦する歳時記をあげた。

     *

 大歳時記としては、講談社の『カラー版新日本大歳時記(5分冊)』と『新版角川俳句大歳時記(5分冊)』に人気が集まった。

 講談社の大歳時記は『カラー図説日本大歳時記(5分冊)』(昭和56年)を出すが、使いやすい常用版や、山本健吉基本季語500選(講談社学術文庫)を出したのち大改訂をして、『カラー版新日本大歳時記(5分冊)』(12年)を出す。現在ではこれを一本にまとめた愛蔵版(20年)を出している。

 角川書店の大歳時記は、昭和46年の『図説俳句大歳時記(5分冊)』が原点となっており、これを踏まえて(図説はないが)記述内容・例句を充実させた『角川俳句大歳時記(5分冊)』(平成18年)がでた。

 『角川俳句大歳時記』(平成18年)には、歳時記・季語の総論が「歳時記へのおもい」(宇多喜代子)「歳時記と季語の歴史」(筑紫磐井)が書かれ、これを踏まえて24節気の解説などが行われた体系なものとなっていた。15年を経過し、その後『新版角川俳句大歳時記(5分冊)』(令和4年)が刊行されたが、前著の編集方針をかなり変更して、特に歳時記季語論の総論もなく、新しい季語を加える一方古い伝統的な季語を削除したりした。


①新版角川俳句大歳時記 定価:5,995円(春)

【推薦者】小林貴子、村上鞆彦、土肥あき子


②角川俳句大歳時記

【推薦者】小林貴子、山田真砂年


③鍵和田秞子監修『花の歳時記』(講談社)

【推薦者】小林貴子、山田真砂年


④最新俳句歳時記(文芸春秋)

【推薦者】小林貴子


⑤虚子編『新歳時記』(三省堂) 定価3,300円

【推薦者】小林貴子、山田真砂年


⑥『図説俳句大歳時記』(角川)

【推薦者】小林貴子


⑦『俳句歳時記第5版』(角川文庫)  定価:2,970円

【推薦者】村上鞆彦


⑧俳句歳時記(角川ソフィア文庫)  定価:616円(春)

【推薦者】土肥あき子


⑨『日本大歳時記』(講談社)[常用版]→『カラー版新日本大歳時記(5分冊)』定価:16000円

【推薦者】村上鞆彦、土肥あき子、山田真砂年、筑紫磐井


●(参考)山本健吉基本季語500選(講談社学術文庫)定価:3,300円

※『日本大歳時記』(講談社)の抜粋本


⑩稲畑汀子編ホトトギス季寄せ(三省堂)定価2,640円

【推薦者】土肥あき子


⑪『俳諧歳時記』(改造社)

【推薦者】小林貴子、土肥あき子


⑫水原秋櫻子編『新編歳時記』

【推薦者】筑紫磐井


⑬今はじめる人のための俳句歳時記(角川書店)定価:924円

【推薦者】筑紫磐井


加藤知子句集『情死一擲』跋  竹岡一郎

宇気比(うけい)に焦がれる句、観るための          竹岡一郎


 俳句が穏やかなもの、誰にでもわかるもの、存問の詩となってから、どのくらい経っただろう。それは俳句が生き残る手段でもあったように思う。それはそれで良い。俳句が穏やかに懐かしく、心を慰めるものである事に、何の間違いもない。しかし、その穏やかさ、判り易さに留まる事の出来ぬ者もいるのだ。留まらぬ事こそが生だと。

生きている駅と国境(さかい)にある裸身

魂洗う水の(ほそ)きに雁渡

 俳句が物を言えない詩だからこそ、同じく言葉に出来ないような密かな昂りを、俳句に託したいと望む者がいる。その衝動はどんなに抑えようとしても、灯る欠片のように零れ落ち、此処に外れ者がいる事を知らせる。国境に、比良坂にある如く桃が実る。死が灯り、性が香るのか。或いは性が灯り、死が香るのか。

人体のかけらが明りほうほたる

とめないで桃の香りに酔うて襞

 城塞の内に囲まれ得ぬ者は、常に死を見る、同時に性を見る、それは破壊と再生の円環を見る事だ。最大公約数から外れ、平均化されない思いを詠おうと試みる。

蠢くは契りし口に蛆血膿

ほと深きところに卍春は傷

 その詠い方は、従来の慣れ親しんだ俳句の在り方からは異質なもので、時に酷く不器用で、幼いと見違える程たどたどしく在らざるを得ない事さえある。

ひとりきり 澄むほど凍え咲くすみれ

ぐるぐるす鏡の奥の野遊びは 

 此の世の中央に近づけば近づくほど、偽りの比率は大きくなると言って良いだろうか。欺瞞がはびこるのは世の常だと、歳を重ねれば好い加減わかるはずだ。

牡丹絢爛ミイラとなりて隣る影

 では、辺境に在れば、此の世の本質は見えるだろうか。そうとも限らないが、少なくとも、見ようとする己が望みは護れる。直截に見ようとする意志、それは焔だ。

一色ずつ虹をはがせば火傷痕

 「技法に長ける事」と「技法に悪馴れする事」との判別は難しいのかもしれない。それならば、いっそ意味を跳躍してでも鮮やかであろうとする方が良いかもしれない。何が幻で何が現実かなど、此の世の誰にも、そして彼の世の誰にも分りはしない。

隙なく絞めむ鯨の精の果つるまで

囀りに命おちこち落ち止まず

火柱を舐め合う夏野漆黒の

 死も、性も、生も、唯物論で安易に括られるようになってしまった現在、それらを鮮やかに詠おうと試みるために、どんな立ち位置が必要だろうか。血は魂である、郷土である、系譜である。個人は世界との関係性によって立つが、それは公共性や平均化とは何の関係も無い。最大公約数という落し処は、個人と世界との結び目を穏やかに断ってしまう。一人の生が独特のものである以上、一人の死も性も、独特のものだ。己が死を抱きしめ、己が性を抱きしめるとは、己が血を抱きしめる事であり、その血こそが、世界との独自の結び目だ。物言えぬ詩において、削ぎ落すべきものの選択。

華よ血の香りよ虹に髪浸らしめ

月とるにあばらの骨をそぎ落とす

縊る手を持つのはあたし姫女苑

 生を思うなら、己自身が世に現れる入口であった母とは、何者だろう。一人の母を探る事は、己が独自の神話を探る初めだろう。神話の始まりは、いつでも暗いのだ。

暗河(くらごう)の母のようたりもがり笛

 ならば愈々、神は。西洋の唯一絶対神ではなく、豊かな感情を持ち、経典や教義に縛られない八百万の神々に、俳句という最小の詩で接触するには、どうすれば良いだろう。「国産み」なるものが、実は中央集権の正当性を補填するのではなく、一人の個人の恋と性と死を、確認するための神話だとすれば。地祇、或いは更に古い祀られぬ神々の物語は、最大公約数から外れる個人が詠わなければ、誰が詠い得るというのか。

昂るけもの地祇のみどりへ華を産む

その児流され脚の生ゆ日子(ひゆ)の軍

 如何なる「宇気比」を、即ち如何なる神託を、書く者自らが審神者となって判断すれば良いのか。審神者となる、とは、己を神の鏡と化す事だ。神風連はなぜ、明治政府の欧化政策に、死を賭けて刃向かったのか。己が血を護るためではなかったか。

宇気比(うけい)にかけ志士冴え返る水鏡

鏡像は花咲く森の死のむこう

 生きる限りは、戦争という、人間の本能とも言える暗黒を、地上にかつて一日たりとも絶えた事のない殺戮を、見続けなければならない。凝視するとは苦痛である。

地の腹に花火分かれて臓物の街

ミサイルも戦車も溶けずされど緑雨

 戦争の状況を詠うだけでは、もはや充分ではない。戦争が常に掲げる正義を、どう疑い、正義にどう抗し、どんな反語と諧謔を以て、戦争を、本能を見抜こうとするか。

枯野薔薇少年兵の撃つ快楽

詩を書くな戦争だけをさるすべり

 第三次世界大戦がこれほど迫り来た事は無かった。国々に伝染する悪疫の如く、戦時が常態化する国は増えゆくのか。だが、己が炬火を掲げる困難さとは、常に一個人それぞれの、独自のものだ。己が独自の死を、性を、生きのびる事を求めゆく日々。己にとっての「国産み」の神話を探るとは、己が血を真っ向から見る事でもある。

腿深く螺鈿蒔くようほうたる来い

首筋に情死一擲の白百合

 此処に一巻の句集があり、あけっぴろげで不器用で、時にたどたどしく時に鋭く、時に婉曲であり時に直截だ。此の世と彼の世を、人間と八百万の神々とを、あるがままに観たいと立つ焔、宇気比に焦がれる焔の、その欠片が、それぞれの一句である。

 読者よ、その明かりの一片でも、己が心に灯されんことを。


  令和六年四月


 (この跋文は、6月21日亡くなられた竹岡一郎氏の加藤知子句集『情死一擲』に寄せられた跋文を転載させていただいたものである。竹岡氏の最後に執筆された文章ではないかと思われる。竹岡氏には、「俳句新空間」で様々なご協力をいただいたところから、加藤知子氏のご了解を得て転載させていただいたものである。その豊かな才能(時に過激な才能)を惜しみつつご冥福をお祈りしたい。 筑紫磐井)


英国Haiku便り[in Japan](48) 小野裕三


 インターナショナル俳句デー


 四月十七日は何の日? そう訊ねられて即答できる日本の俳人はおそらくいないだろう。正解は、「インターナショナル俳句デー(International Haiku Day)」。「世界俳句の日」といった感じか。

 僕もこの存在に気づいたのはつい最近だ。Facebookで外国人の俳人たちとのつながりが増えてきて、彼らの投稿をつらつらと見ていると、「インターナショナル俳句デー、おめでとう」みたいな投稿を四月にいくつか見かけた。それなりにコメント欄も盛り上がり、イベントの類も開かれているように見えた。

 そこで調べてみると、このインターナショナル俳句デーは、決して歴史が古いものでもない。二〇〇七年に、サリ・グランドスタッフという米国の女性が「ナショナル俳句デー」、つまり「米国民の俳句の日」を提唱した。二〇一二年には「俳句ファウンデーション」という団体がそれを引き継ぎ発展させて今に至る。その過程でもともと二月だった時期が四月に変更され、かつ「ナショナル」が「インターナショナル」に変わった。それがその日が誕生した経緯だ。

 それにしても、なぜ四月十七日なのか。芭蕉関連の何かの記念日、もしくは西洋に俳句が紹介された何かの記念日、と推測したが、その推測は見事に外れた。四月は、その月が米国での「詩の月間」だから、という単純な理由。そして、十七日は、俳句が十七音である、というその数字に準えたもの。

 その経緯からは、米国由来と思えなくもない「インターナショナル俳句デー」だが、僕が会員になっている英国俳句協会でもしっかり盛り上がっていたので、米国以外でもそれなりの認知があるようだ。他にもカナダ、豪州、欧州諸国にも広がっている様子である。

 提唱団体とも言える「俳句ファウンデーション」では、その日に合わせて俳句コンテストや集会なども呼びかける。ユニークなのは、ネット上での連句的なイベントや、さらには俳句を組み込んだ動画関連のイベントもあることだ。「俳句ライフ映画祭」と銘打った企画では、一句を十七秒で紹介してそれを十七句分繰り返す、という基本フォーマットで動画を作ることを呼びかける。計五分弱の長さの俳句動画ができるというわけだ。他にも「ビデオ俳画」という呼称で作られたものや、現代アート的な趣きの動画もあって、とにかくその多彩さやユニークさ、そして熱気には驚く他ない。

 これまで、英語俳句の世界はまるで日本の俳句に対するパラレルワールドのように存在し、そしてひょっとすると日本の俳句よりも新しいことに野心的で実験精神がある、とうすうす感じてきたが、「インターナショナル俳句デー」を目にしてまさにその感を強くした。

※写真は英国俳句協会ウェブサイトより

(『海原』2023年10月号より転載)

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり14 『金魚』阪西敦子句集(2024年刊、ふらんす堂) 豊里友行

 ラガーらの目に一瞬の空戻る


 稲畑汀子の言葉として「見るから観るへ」というのがある。これはただ眺めるだけではなく、その奥にある季題の本質を探ることが大切であるという意味だが、まさにそれを実践した素晴らしい作品群である。

                 稲畑廣太郎

スクラムといふ枯芝の塊に

スクラムに射す視線とも冬日とも

マフラーに皆声援をくぐもらせ

一度だけトライの後の白き息

ノーサイド枯野へ人を帰しけり


 帯文の秀句だけでなくラグビーの俳句にも良い俳句があるので御紹介しますね。

スクラムを枯芝の塊に喩え方が面白い。

 またスクラムを組んでいく中でラガーらの視線が飛び交う。其処には冬日も零れている。

ラグビーの観戦者も闘志で温まりたいところだがマフラーに埋もれた顔からくぐもった声援が飛び交う。

 たった一度だけのトライの後に見たラガーの彼の白い息が印象的だ。

ラガーらの夢は走り続けたいところだが、夢の続きは枯野へ。ノーサイドが鳴り響きば、人々は帰る場所へ帰っていくが、夢野は思い出すたびにラガーらの疾駆を鮮やかに蘇らせる。


 どれも選びがいのある俳句ばかりで丁寧に読んで楽しんで欲しい。


焼藷の大きな皮をはづしけり


 焼藷の大きな皮を鎧のように「外す」と捉えた処にこの秀句の慧眼が冴える。

 他にも沢山の秀句がある。

 その中でも主眼の俳句に私は、魅了された。

 丁寧に生きることの大切さを噛み締めるように俳句に結実させていて脱帽です。



燗熱く出番を待つてをりにけり

煮凝をとらへて匙のたのしさよ

団栗の光を奪ふやう握る

柿剥いて夜の電話を待つてをり


 「燗熱く」は、熱燗と捉えてみるといい。擬人化された熱燗は出番を待っている。

もちろん作者の丁寧な心遣いと御もてなしが待っているのですよね。

 煮凝を匙で丁寧に掬い取る料理の所作も愛情燦燦と楽しいことよ。世の男性らは、其処まで想像できなくともこの俳句で一目瞭然ですね。

 団栗の光を奪うように掌(てのひら)に握る。この独自の感性の開花をもっともっと大切にして欲しい。

 夜の電話を待っている御相手は、さておき。柿を剥いて夜のお喋り舞台は満月の受話器のテーブル上で柿をおつまみにしながら夜も更けていく。

 「また人に抜かれ春著のうれしさよ」とあるように句友の開花も喜び、「お先にどうぞ。」と、にこやかに俳句の座を温めているひとりひとりも大切だが、独自の感性の開花も丁寧に向き合うことでさらなる俳句の昇華があり、俳句の座をさらに切磋琢磨の座にするのだから、ゆうゆうとだけれども丁寧な一歩一歩は、確かな秀句をもたらしてくれる。そんな自己の開花も並々ならぬ嬉しさでしょうね。


東京に友人多し絵双六


 東京に友人が多いという。まるで絵巻のように双六を振って楽しい花詣でにでも出かけるようだ。


またひとり近づいてゆく春の海


 またひとり近づいていく春の海を眺めている作者がいる。春の海を鷲掴みした秀句。


いい服を着てとてもいい枯野行く


 好きな服を着てテンションを上げてみる。人生と深読みする必要もなく素敵な枯野を行く。

 人生は、楽しんだもんがち。そんな歌もあるけれど俳句にしてくださる人生の先輩たちは、そうそう。俳人の先輩たちには多くいらっしゃる。この方もですよね。


身につけて動きの速きちやんちやんこ

落椿水へませて流れけり

黴びてゐて心当たりの形かな

柄よりも大きな口や初浴衣

振り向きて水着の中の水動く

窓広く夏の終わりとなつてゐる

桃の毛と眼の映るナイフかな

夏牡蠣の一皿大いなる白さ


 ちゃんちゃんこの動きの速さを鮮やかに身につけた者への愛燦燦と俳句にしたためる。

 落椿の重さが水を凹ませながら流れている。

 黴(かび)具合にうっとりするくらい。だけれどもその形具合からその黴の主に心当たりがある。ユーモラスに捉えてみないと口惜しい作者なのかもしれない。

 浴衣の金魚よりも大きな歓喜の独楽のように口を大きく開けた笑顔は、初浴衣のお孫さんでしょうか。

 振り向いたら少女の水着を絞るように肢体を捩じらせて水着の中の水もまた動く瞬間をこの俳人は見逃さない。

 窓は伸び縮みすることは無いのだが、この作者は夏の終わりを空の深さが増してくる中で窓をキャンバスのように眺めた秀句だ。

 桃の産毛とナイフに映る眼を意識して見せるところに写実を超えて不思議な世界をパズルのように創造している。

 観察眼。写生の大切さを日々精進の中で養いながらも独自の瑞々しい感性を盛り込んで慧眼の秀句を夏牡蠣のお皿に盛りつけている。


 観察眼の徹底した共鳴句をいただきます。


白鳥の重き加速ありにけり

鉦打つて風呼んでをり阿波踊

牡蠣買うて愛なども告げられてゐる

葉先みな風へ向けたる落葉かな

すぐ果つる街でありけり朝の雪

菫すみれいつも走つてゐるわたし

青梅をくぐりて少女歌ひだす

むかし川見えたる蛍袋かな

熟れながら風を呼びたるバナナかな

簡単な腰掛ありて梅見かな

初花の下を運ばれゆくピアノ

パンプスはあを草の花踏みたがる

電話に出る声豊かり熊手売

枝揺らし春の鴉となりにけり

桜さくら空の見えない桜かな

いつまでも冬日の中の鴉かな

涼しさの魚と鳥と木の話

鰻食ひ終へ足早に帰られし

夏蝶の雨のあひだを昇りけり

空豆の皮ていねいに皮の上

肩と肩触れて青葉をくぐりけり

うそ寒の吊り広告の真下なる

山茶花の増えつつ町もはづれかな

クリスマス市の人形歯白し

こはくないひとつひとつの桜かな

鬼灯の内なる日差なりしかな

東京のどの渋滞も黄落す

ジャズはソロへ移りぬ暖房の匂ひ


第49回皐月句会(5月)[速報]

投句〆切5/11 (土) 

選句〆切5/21 (火) 


(5点句以上)

8点句

グラスみな裏返されて夏きざす(仲寒蟬)

【評】 俳句を、言葉で作ると捉えるか、素材で作ると捉えるか、によって、まるきり評価が逆転する句と見ます。謂わば、濃い味を好むか薄い味を好むかの嗜好の違いですね。個人的好みをなるべく排しての選を心掛けるなら、こうした恬然たる句に敬意を表します。──平野山斗士


夜店の灯まっ赤なものを舐めている(望月士郎)

【評】 林檎飴か何かなのだろうがこう書かれると血でも舐めているかのようで恐い。──仲寒蟬

【評】 金魚、りんご飴、風車、帯、水風船、綿菓子、旗幟・・・赤を引っ張り出して、いろいろな記憶へ連れ込まれる?それも舐めるように・・・!──夏木久


7点句

おむすびの中は未知なるみどりの日(松下カロ)

【評】 みどりの日はかつて昭和の天皇誕生日からの名称変更があり、昭和の日との置き換わりもあり、名実が揺らぎながらも平日に返されずに存続している。ピクニック日和に恵まれて芝生に転げ出た沢山のおむすびに目移りする。お目当ての具入りは何れであろうか。──妹尾健太郎

【評】 未知というのはちょっと怖い。みどりの日だから何かの草や葉なのかもしれない。食べられないことはあるまい。──仲寒蟬


6点句

炎天の真ん中昏し裸馬(田中葉月)


5点句

肘掛けに肘やはらかき五月かな(依光陽子)

【評】 肘掛けにおそらく素肌の肘の存在。柔らかくひんやりとした質感が季題五月と響き合う。──小沢麻結


バビロンの滅亡に似て牡丹散る(仲寒蟬)


(選評若干)

月山を寝釈迦にしたる春の雲 2点 山本敏倖

【評】 季節が春ということはよしとして、月山を囲む春の雲によって月山そのものが涅槃像に見えると見立てた。スケールの大きな句。──仲寒蟬


紅テントくらくら揺れる五月闇 4点 佐藤りえ

【評】 紅テント、先日亡くなった唐十郎主宰の状況劇場の通称。中七が、上五、下五へ両掛かりになっており、紅テントと五月闇の配合が色彩感を詩的に際立たせている。──山本敏倖

【評】 追悼唐 花園神社乱闘を思い出します──真矢ひろみ

【評】 状況劇場、唐組の紅テントだろう。その周りの、また、それが張られていない時の五月闇。時空がくらくら揺れる。紅テントがくらくら揺れる。──依光陽子


風五月句友は永遠に若きまま 2点 渡部有紀子

【評】 何となく分かるなあ。自分ひとりが歳を取ってゆくような感じ。──仲寒蟬

【評】 澤田和弥さん…──依光陽子


筍や自分で脱いでくれないか 4点 中村猛虎

【評】 筍に皮を脱ぐという季語から連想される中七以降が面白い。手間がかかる子どもの世話ともとれるが、付き合って日の経った男女間ともとれる。──辻村麻乃

【評】 櫂未知子氏の名句〈春は曙そろそろ帰つてくれないか〉へのオマージュとしても秀逸。〈春は曙〉句の話者が、女性だとするならば、掲句の〈筍〉は男性であり、「竹の皮脱ぐ」の季題諷詠でもあります。すばらしい!──飯田冬眞


汐干狩より帰りたる息を吐く 3点 依光陽子

【評】 まるで、浅蜊の化身のように、息を吐いている。疲労感と不思議な一体化・・蜃気楼の内側の遠浅の浜にでも入り込んだような、文字通り不思議な句である。──堀本吟


鳥の恋たのし並んで糞垂れて 4点 岸本尚毅

【評】 身も蓋もないですが、そうですね。地上の我々のことなど気にすることなく、飛び回っていただきたい。──佐藤りえ


鳴らせずに麦笛持って帰って来る 1点 妹尾健太郎

【評】 「持って帰って来る」という冗長な言い方の中に残念がっている作者の気持ちが籠められている。傍から見ると滑稽なのだが。──仲寒蟬


【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】2 豊里友行句集『地球のリレー』:杉山久子

 この洞窟(ガマ)も口を塞がれ蝉しぐれ


 沖縄には多くの洞窟(ガマ)があり、戦争中は避難場所や日本軍の陣地あるいは野戦病院として利用されたと聞く。その中で発見されないまま、特定されないまま遺骨として眠っておられる方も多いだろう。 「口を塞がれ」という表現に、蹂躙され、奪い去られ、押し付けられ、見捨てられた人たちの痛切な叫びがなおも押さえ込まれようとしている現実を思う。


壕中を燈す鉄砲百合の悲鳴


 この句の悲鳴もまた塞がれようとしているのではと戦慄する。 今を生き、いっしんに鳴きつづける蝉たちの命の音がかなしいほどに降り注ぐ。


 最後の章「地球のリレー」には、こんな文章がある。


地球上の生きものすべてや

死者でさえ繋がり合って 

地球のリレーを織り成す


 命のリレーを繋げて行きたいという氏の強い祈りのようにも感じられる。それは決して塞がれるようなことがあってはならない。


【新連載】大井恒行『水月伝』評(2)  田中 信克

  前回(8月23日のブログ更新)、大井恒行の第四句集『水月伝』について、その全体構成の特徴と、第Ⅰ章、第Ⅱ章の感想を述べた。今回はそれに続く第Ⅲ章、第Ⅳ章と、全体を振り返って考えたことなどを申し述べたい。


【章全体が追悼句であることの意味】

 まず第Ⅲ章であるが、この章は全てが追悼句で構成されるという特徴的な形を採っている。追悼の対象は三十九人。勿論俳人が多いのだが、他にも、歌人、画家、前衛芸術家、パフォーマー、編集者といった様々な芸術・創作ジャンルの人々が、この章に刻印されることになった。


  よろぼいて神よと問いし白き貌 (市原克敏 歌人)

  風は木に木は風になる風の倉  (風倉匠 前衛芸術家)

  「花の悲歌」芥子の花にぞとこしなえ (糸大八 画家)

  栲(たく)よまた吹かれる風に吊り上ぐ椿 (首くくり栲象 パフォーマー・俳優)

  美本づくしの史世一民(ふみよかずたみ)万華鏡 (大泉史世 編集者・装幀家)

 

 これらの職業分野や肩書の広さは、そのまま大井の交友網の度量と幅とを示している。この章には、彼らへの追悼の思いと同時に、彼らがその人生を賭けて追い求めたものが記録され、大井自身が彼らと共に生きた時代が振り返られて、大切に収められているようだ。


  残像やかの狼やあやまちや (三橋敏雄)

  いくたびもまかせて希望の春を言いし (佐藤鬼房)

  「憲法を変えるたくらみ」六林男の訃 (鈴木六林男)

  切り抜きは重信の記事桃遊び (中村苑子)

  郁山人淋しきものは長き春 (加藤郁乎)

  糸電話浩司安井のさるおがせ (安井浩司)

  極彩のみちのくあれば幸せしあわせ (澤好摩)

 

 俳人では、三橋敏雄、佐藤鬼房、鈴木六林男、和田悟朗、金子兜太といった新興・前衛俳句を担った先人達が追悼される。また中村苑子や加藤郁乎、安井浩司、澤好摩など、高柳重信との縁が深く、やはり戦後俳句の一角を築いた作家達が記録され、彼らとの思い出が偲ばれている。これらの作家達は、その芸術思想や創作作品において、それぞれの時代を象徴する面々であり、彼らの他界は、そのまま俳句の時代の変遷を示すものでもあろう。言ってみれば「昭和は遠くなりにけり」といった感慨だろうか。


  我ではなく春の硝子に満ちる影 (大本義幸)

  裕一郎驟雨に似たる花吹雪 (長岡裕一郎)


 当然ながら、作者の所属する『豈』を飾った、大本義幸や長岡裕一郎といった作家達も登場する。またその傍らで『未定』や『海程』で活躍した作家達も追悼されており、読んでいると、まるでここ五十年程の現代俳句史の再現ドラマを見ているような気分になる。

 私の存じない方も多いので、ネット検索をしたり、大井のブログ『日々彼是』や『新・俳句空間』の記述を色々と当たってみた。俳句作品、経歴や創作主張、数々のエピソード。それらを読んでゆくと、この章の一つ一つの作品が実に立体的に見えてくる。作家によっては短歌や絵画などをこなす人も居て、そうしたイメージを重ね合わせると、まるで万華鏡のような世界観が拡がってくる。彼らがいかに創作に心を砕いたか。その様子が窺われるとともに、大井達との間で交わされたであろう文芸論議や、相互の心のやりとりが想像できて、この章自体がひとつの大河小説であるかのような豊かさを感じさせるのである。

 追悼された人々の中には、私自身が面識を持つ人達も居て懐かしかった。


  水中の水はレモンの水ならん (和田悟朗)

  他界の春を与太な兜太よ九八 (金子兜太)

  朋の死後わが死後秋の青空よ (葛城綾呂)


 など、私が直接感じた人物の雰囲気がそのまま現れていて、世話になった思い出とともに、私自身の過去を振り返って色々な感慨に浸ることが出来た。付言であるが、この三十九人の中には、大井の令室である救仁郷由美子も、大井自身が個人的に世話になった人達も含まれている。その意味でもこの章の持つ意味は換え難いものがある。


【追悼句集=一つの「俳]の構造として】

 もう一つ思ったことがある。この章はその構造自体が、多分に「俳句的」であるということである。俳句においては、季語や時事語といった象徴性・テーマ性の強い言葉が重要な役割を果たす。季語が象徴する自然感や生活との関り、時代を越えてその言葉の中に紡がれた思いなどが、総体となって十七音の中に響いている。また時事語や流行り言葉は、現在の社会や歴史を考える上での読者との共通項として働き、その言葉が問い掛ける課題や意義についての対話が深められる効果を持つ。この章を読んでいると、追悼された人々の存在自身が、俳句における季語や時代のキーワードであるかのような、そんな気がしてくるのだ。先ほども書いたが、彼らが担った役割や業績、彼らが抱いた芸術観や社会観、人生観のようなものが読者と対峙し、読者との対話を誘ってゆく。そんな構造が、各作品の中に仕込まれているような気がするのである。いわば読者は、大井という「語り部」を媒介として、時代を負って懸命に生きた人々の人生に向き合い、その価値を共に考え、理解し合う、そのような構造的な機能があるように思われる。そう考えると、この章自体が、大井が仕掛けた壮大な「俳句装置」であるようにも見えてくるのである。


【第Ⅳ章 日本の社会文化を見つめ直して】

 さて最後の第Ⅳ章に入りたい。前回の掲載で、第Ⅰ章について「戦前から現在に至る日本と世界が問い直され」ていると書いた。この第Ⅳ章においても多分にその意識は窺える。「団塊世代」「昭和」「この国」「チェルノブイリ」「白頭山」「ウクライナ」といった言葉の数々は、そのことを裏付けているようだ。しかし、作品の個々を比較してゆくと、その視線や捉え方の方向性に、第Ⅰ章とはまた違った味わいが感じられる。第Ⅰ章では、歴史的な出来事や社会事情などの「事実」を見つめ直し、それらが人々に与えた精神的な影響を考察してゆく手法が多いのに対し、この第Ⅳ章では、人々の「心の内側」にまず目が向けられ、その在り方を探ることで、逆に社会を観てゆくような、そんなアプローチの仕方が印象的である。


  春風や人は木偶なり踊るなり             

  涙のつぶ怒りのつぶも天秤に             


 この章の二頁目、98頁に置かれた二句である。この二句などは端的にそのことを示しているようだ。「春風」の句では、様々な言動に踊らされる民衆の姿と心情が表現されている。大きな事件が起きるたびに、それをどう捉えるか、どう向き合うべきがといった報道やコメントが発信されるが、大衆の多くは、それらの言動に疑いを抱かず、またそれに同調することに甘美な愉悦を覚えつつ、様々な感情に翻弄されてゆく。そんな国民達を優しく笑うように、またさらりと諦めるように、春風がそよそよとじわじわとこの国土を覆ってゆくのである。また二句目には、被害や不幸に悩まされる人々の心情と、それを社会に訴える行動との間で起きる、表現しがたい懸念や思いが表現されているようだ。日本人の場合、我慢することが一つの美徳だと見做される面も依然として存在し、しかし、訴えないことには、自己の救済のみならず、社会が良い方向に変わらないといった正義の思いもあり、それがこの句の「天秤」という言葉に象徴されているようだ。その危ういバランスの間に、様々な痛みがあり、願いがあり、諦めがある。これなどは日本社会の底に貯まるやるせない心情だと思われる。


  善魔より悪魔待たれる春一番            

  砲手ならずも絶えて久しき労農派          

  赤い十字架「ぎなのこるがふのよかと」       

  墨書は「死民」暗黒の満つ力石(ちからいし)           

  方言札いまは無きかや琉歌(ウタ)の夏  

         

 これらの作品にも同様のことが言える。「善魔より悪魔」とは遠藤周作の言葉だろう。大内兵衛などの労農派の主張がすっかりさびれてしまった侘しさ。谷川雁の詩の一節、「ぎなのこるがふのよかと(残った奴が運のいい奴)」という熊本弁にささやかれた人生の感慨。「死民」の文字に再び問われる水俣病の悲惨さ。「方言札」に思う同化教育と米国による支配の双方の問題。この章では、こうした社会状態の中での国民の悲しみや畏れ、暗澹たる思いや諦めが、その心を救い取るかのように、静かに訴えるように詠われてゆく。そうした過程の中で、作者の想う「日本の姿」が重ねられ、読者の解釈を交えつつ、様々な考察が為されてゆく。このように俳句作品を媒介にして、作者と読者との対話が進んでゆくのである。こうした方法は、複雑さと多様性を増してゆく今後の社会のことを考えてみても、実に有効な理解形成の手段の一つだとも思えるのである。

 また後半になるが、近年のウクライナ戦争や国際情勢を扱った作品も印象深いものがあった。

   

  ダモイ(家へ)また聞くに堪えざる春隣(ウクライナ)       

  狐のかんざし素人戦(しろうといくさ)つかまつる           


 「ダモイ」については前回掲載の第一章のところで書いた。そこには戦後のシベリア抑留で日本国民が負った悲惨な状況と帰郷への悲痛が思いが語られていた。ところが、その時代から七十五年以上を経た現在において、ロシアのウクライナ侵攻が起こり、その被害の中で、同じロシア語による願いの言葉が、双方の国民の口から語られているのである。歴史は繰り返すと言うが、戦争という愚かさに対する憤りが、静かな句調の中に痛々しく表現されている。侵攻が起きたのが二月であり、雪に覆われた大陸の河を、板を渡しただけの橋をつたって非難して行った人々の姿が記憶に蘇える。「春隣」と言う季語がこれほどの意味を持つ俳句も珍しいのではあるまいか。

 二句目の「素人戦」も言い得て妙な表現である。中東やアジア地域での覇権と支配の問題、世界各所での国内紛争とテロやゲリラ行為など、現在の世界情勢を見事に揶揄していると思われる。第二次世界大戦後、四分の三世紀以上が経過して、現在の世界の主導者達には、地球規模の大戦の経験を持つ人は存在しなくなっている。侵攻や内紛を起こしたり収めたりする処方には長けていても、大戦のレベルとなれば、ほぼ「素人」であることは否めない。また優秀で真面目な「素人」ほど、理論的には正しいが、現場の事情に不適合な政策を無理に進めてしまうおそれがあり、その懸念についても歴史はまた教えてくれている。この句は、ユーモラスな表現の内に重い憂鬱と懸念とを仄めかしてもいるようだ。戦争が犯す取り返せぬ過ちというもの。第一章の最終句「戦争に注意 白線の内側へ」がここでも想い出され、再び警鐘が鳴らされるのである。


【国民性への想いと慈悲の眼差し】

 もう一つ、この章の感想として述べておきたいことがある。それは、前述したような悲しみや不幸、諸々の問題を引きずりながらも、次の句のような美徳と美意識を信じて崩さない、この国の国民性への指摘とそれに寄り添う心である。


  虚舟(むなしぶね)漕ぎつつ列を崩さざる             

  虚舟(むなしぶね)漕ぐ汝と我とすめろぎと           


 大きな災害の最中でも、感染症の混乱の中でも、整然と列を作って並ぶ、従順で規律正しい国民の姿。「すめろぎ」に対する理由もない信頼と思慕。「虚舟(むなしぶね)」とはなんともシニカルなでありながら、言うに言えないこの国の美意識を示しているようで哀しく切ない。


  雪花菜(きらず)なれいささか花を葬(おく)りつつ     

  この国をめぐる花かな尽きたる山河         


 最後に、この『水月伝』の最終頁の二句を挙げて、感想の結びとしたい。二つとも色々な意味でこの句集を象徴しているように思われる。前述したように、この句集の四つの章においては、戦前から戦後、現在に至るまでの人々や社会の姿が見つめられてきた。その中には作者自身の姿もあり、また第Ⅲ章に見るように、周囲の人達の面影も大切に収められている。作者の視線は、優しさと思い遣りを持ちながら、冷静で繊細で、どこかシニカルでもユーモラスでありといった、何とも言えぬ味わいに満ちている。過ぎ去った時代や事象、人々や社会に対して手向けられる花束。それがこの句集の一つの意味でもあろう。しかし、それが雪花菜=オカラであるという表現は、自虐めきながらもなんとも美しく、不思議な味わいを持つものだ。また二句目は「尽きたる山河」という現実感になんども言えぬ凄みをを感じる。その痛々しさを見つめつつも、この国とそこに生きる我々に、そっと添えられる花を見出す。その願いの内に、「この国」を深く強く思う作者の心情が窺える。時代と社会を見つめる「慈悲の心」とでも言ったものであろうか。

 仏像に「水月観音」というものがある。観音菩薩が水に映る月を見つめる構図の像である。観音の多くは白衣姿であり、水墨で描かれる画幅も多い。静かな時間の中に、じっと水面の月を見つめる菩薩の眼差しが表現されている。この句集に詠われた事象の数々、追悼された人々の想い出、作品に込められた諸々の思いは、たしかに「水に映る月」のように揺れて儚いものなのかもしれない。しかし、それらを見守り続ける瞳と心が、この句集の根底には存在する。『水月伝』というこの句集名にも通じるようでもあり、実に不思議な意味の符合を感じるのだ。そのことを添えて、この句集についての考察を結びたい。

(約5500字)