前回(8月23日のブログ更新)、大井恒行の第四句集『水月伝』について、その全体構成の特徴と、第Ⅰ章、第Ⅱ章の感想を述べた。今回はそれに続く第Ⅲ章、第Ⅳ章と、全体を振り返って考えたことなどを申し述べたい。
【章全体が追悼句であることの意味】
まず第Ⅲ章であるが、この章は全てが追悼句で構成されるという特徴的な形を採っている。追悼の対象は三十九人。勿論俳人が多いのだが、他にも、歌人、画家、前衛芸術家、パフォーマー、編集者といった様々な芸術・創作ジャンルの人々が、この章に刻印されることになった。
よろぼいて神よと問いし白き貌 (市原克敏 歌人)
風は木に木は風になる風の倉 (風倉匠 前衛芸術家)
「花の悲歌」芥子の花にぞとこしなえ (糸大八 画家)
栲(たく)よまた吹かれる風に吊り上ぐ椿 (首くくり栲象 パフォーマー・俳優)
美本づくしの史世一民(ふみよかずたみ)万華鏡 (大泉史世 編集者・装幀家)
これらの職業分野や肩書の広さは、そのまま大井の交友網の度量と幅とを示している。この章には、彼らへの追悼の思いと同時に、彼らがその人生を賭けて追い求めたものが記録され、大井自身が彼らと共に生きた時代が振り返られて、大切に収められているようだ。
残像やかの狼やあやまちや (三橋敏雄)
いくたびもまかせて希望の春を言いし (佐藤鬼房)
「憲法を変えるたくらみ」六林男の訃 (鈴木六林男)
切り抜きは重信の記事桃遊び (中村苑子)
郁山人淋しきものは長き春 (加藤郁乎)
糸電話浩司安井のさるおがせ (安井浩司)
極彩のみちのくあれば幸せしあわせ (澤好摩)
俳人では、三橋敏雄、佐藤鬼房、鈴木六林男、和田悟朗、金子兜太といった新興・前衛俳句を担った先人達が追悼される。また中村苑子や加藤郁乎、安井浩司、澤好摩など、高柳重信との縁が深く、やはり戦後俳句の一角を築いた作家達が記録され、彼らとの思い出が偲ばれている。これらの作家達は、その芸術思想や創作作品において、それぞれの時代を象徴する面々であり、彼らの他界は、そのまま俳句の時代の変遷を示すものでもあろう。言ってみれば「昭和は遠くなりにけり」といった感慨だろうか。
我ではなく春の硝子に満ちる影 (大本義幸)
裕一郎驟雨に似たる花吹雪 (長岡裕一郎)
当然ながら、作者の所属する『豈』を飾った、大本義幸や長岡裕一郎といった作家達も登場する。またその傍らで『未定』や『海程』で活躍した作家達も追悼されており、読んでいると、まるでここ五十年程の現代俳句史の再現ドラマを見ているような気分になる。
私の存じない方も多いので、ネット検索をしたり、大井のブログ『日々彼是』や『新・俳句空間』の記述を色々と当たってみた。俳句作品、経歴や創作主張、数々のエピソード。それらを読んでゆくと、この章の一つ一つの作品が実に立体的に見えてくる。作家によっては短歌や絵画などをこなす人も居て、そうしたイメージを重ね合わせると、まるで万華鏡のような世界観が拡がってくる。彼らがいかに創作に心を砕いたか。その様子が窺われるとともに、大井達との間で交わされたであろう文芸論議や、相互の心のやりとりが想像できて、この章自体がひとつの大河小説であるかのような豊かさを感じさせるのである。
追悼された人々の中には、私自身が面識を持つ人達も居て懐かしかった。
水中の水はレモンの水ならん (和田悟朗)
他界の春を与太な兜太よ九八 (金子兜太)
朋の死後わが死後秋の青空よ (葛城綾呂)
など、私が直接感じた人物の雰囲気がそのまま現れていて、世話になった思い出とともに、私自身の過去を振り返って色々な感慨に浸ることが出来た。付言であるが、この三十九人の中には、大井の令室である救仁郷由美子も、大井自身が個人的に世話になった人達も含まれている。その意味でもこの章の持つ意味は換え難いものがある。
【追悼句集=一つの「俳]の構造として】
もう一つ思ったことがある。この章はその構造自体が、多分に「俳句的」であるということである。俳句においては、季語や時事語といった象徴性・テーマ性の強い言葉が重要な役割を果たす。季語が象徴する自然感や生活との関り、時代を越えてその言葉の中に紡がれた思いなどが、総体となって十七音の中に響いている。また時事語や流行り言葉は、現在の社会や歴史を考える上での読者との共通項として働き、その言葉が問い掛ける課題や意義についての対話が深められる効果を持つ。この章を読んでいると、追悼された人々の存在自身が、俳句における季語や時代のキーワードであるかのような、そんな気がしてくるのだ。先ほども書いたが、彼らが担った役割や業績、彼らが抱いた芸術観や社会観、人生観のようなものが読者と対峙し、読者との対話を誘ってゆく。そんな構造が、各作品の中に仕込まれているような気がするのである。いわば読者は、大井という「語り部」を媒介として、時代を負って懸命に生きた人々の人生に向き合い、その価値を共に考え、理解し合う、そのような構造的な機能があるように思われる。そう考えると、この章自体が、大井が仕掛けた壮大な「俳句装置」であるようにも見えてくるのである。
【第Ⅳ章 日本の社会文化を見つめ直して】
さて最後の第Ⅳ章に入りたい。前回の掲載で、第Ⅰ章について「戦前から現在に至る日本と世界が問い直され」ていると書いた。この第Ⅳ章においても多分にその意識は窺える。「団塊世代」「昭和」「この国」「チェルノブイリ」「白頭山」「ウクライナ」といった言葉の数々は、そのことを裏付けているようだ。しかし、作品の個々を比較してゆくと、その視線や捉え方の方向性に、第Ⅰ章とはまた違った味わいが感じられる。第Ⅰ章では、歴史的な出来事や社会事情などの「事実」を見つめ直し、それらが人々に与えた精神的な影響を考察してゆく手法が多いのに対し、この第Ⅳ章では、人々の「心の内側」にまず目が向けられ、その在り方を探ることで、逆に社会を観てゆくような、そんなアプローチの仕方が印象的である。
春風や人は木偶なり踊るなり
涙のつぶ怒りのつぶも天秤に
この章の二頁目、98頁に置かれた二句である。この二句などは端的にそのことを示しているようだ。「春風」の句では、様々な言動に踊らされる民衆の姿と心情が表現されている。大きな事件が起きるたびに、それをどう捉えるか、どう向き合うべきがといった報道やコメントが発信されるが、大衆の多くは、それらの言動に疑いを抱かず、またそれに同調することに甘美な愉悦を覚えつつ、様々な感情に翻弄されてゆく。そんな国民達を優しく笑うように、またさらりと諦めるように、春風がそよそよとじわじわとこの国土を覆ってゆくのである。また二句目には、被害や不幸に悩まされる人々の心情と、それを社会に訴える行動との間で起きる、表現しがたい懸念や思いが表現されているようだ。日本人の場合、我慢することが一つの美徳だと見做される面も依然として存在し、しかし、訴えないことには、自己の救済のみならず、社会が良い方向に変わらないといった正義の思いもあり、それがこの句の「天秤」という言葉に象徴されているようだ。その危ういバランスの間に、様々な痛みがあり、願いがあり、諦めがある。これなどは日本社会の底に貯まるやるせない心情だと思われる。
善魔より悪魔待たれる春一番
砲手ならずも絶えて久しき労農派
赤い十字架「ぎなのこるがふのよかと」
墨書は「死民」暗黒の満つ力石(ちからいし)
方言札いまは無きかや琉歌(ウタ)の夏
これらの作品にも同様のことが言える。「善魔より悪魔」とは遠藤周作の言葉だろう。大内兵衛などの労農派の主張がすっかりさびれてしまった侘しさ。谷川雁の詩の一節、「ぎなのこるがふのよかと(残った奴が運のいい奴)」という熊本弁にささやかれた人生の感慨。「死民」の文字に再び問われる水俣病の悲惨さ。「方言札」に思う同化教育と米国による支配の双方の問題。この章では、こうした社会状態の中での国民の悲しみや畏れ、暗澹たる思いや諦めが、その心を救い取るかのように、静かに訴えるように詠われてゆく。そうした過程の中で、作者の想う「日本の姿」が重ねられ、読者の解釈を交えつつ、様々な考察が為されてゆく。このように俳句作品を媒介にして、作者と読者との対話が進んでゆくのである。こうした方法は、複雑さと多様性を増してゆく今後の社会のことを考えてみても、実に有効な理解形成の手段の一つだとも思えるのである。
また後半になるが、近年のウクライナ戦争や国際情勢を扱った作品も印象深いものがあった。
ダモイ(家へ)また聞くに堪えざる春隣(ウクライナ)
狐のかんざし素人戦(しろうといくさ)つかまつる
「ダモイ」については前回掲載の第一章のところで書いた。そこには戦後のシベリア抑留で日本国民が負った悲惨な状況と帰郷への悲痛が思いが語られていた。ところが、その時代から七十五年以上を経た現在において、ロシアのウクライナ侵攻が起こり、その被害の中で、同じロシア語による願いの言葉が、双方の国民の口から語られているのである。歴史は繰り返すと言うが、戦争という愚かさに対する憤りが、静かな句調の中に痛々しく表現されている。侵攻が起きたのが二月であり、雪に覆われた大陸の河を、板を渡しただけの橋をつたって非難して行った人々の姿が記憶に蘇える。「春隣」と言う季語がこれほどの意味を持つ俳句も珍しいのではあるまいか。
二句目の「素人戦」も言い得て妙な表現である。中東やアジア地域での覇権と支配の問題、世界各所での国内紛争とテロやゲリラ行為など、現在の世界情勢を見事に揶揄していると思われる。第二次世界大戦後、四分の三世紀以上が経過して、現在の世界の主導者達には、地球規模の大戦の経験を持つ人は存在しなくなっている。侵攻や内紛を起こしたり収めたりする処方には長けていても、大戦のレベルとなれば、ほぼ「素人」であることは否めない。また優秀で真面目な「素人」ほど、理論的には正しいが、現場の事情に不適合な政策を無理に進めてしまうおそれがあり、その懸念についても歴史はまた教えてくれている。この句は、ユーモラスな表現の内に重い憂鬱と懸念とを仄めかしてもいるようだ。戦争が犯す取り返せぬ過ちというもの。第一章の最終句「戦争に注意 白線の内側へ」がここでも想い出され、再び警鐘が鳴らされるのである。
【国民性への想いと慈悲の眼差し】
もう一つ、この章の感想として述べておきたいことがある。それは、前述したような悲しみや不幸、諸々の問題を引きずりながらも、次の句のような美徳と美意識を信じて崩さない、この国の国民性への指摘とそれに寄り添う心である。
虚舟(むなしぶね)漕ぎつつ列を崩さざる
虚舟(むなしぶね)漕ぐ汝と我とすめろぎと
大きな災害の最中でも、感染症の混乱の中でも、整然と列を作って並ぶ、従順で規律正しい国民の姿。「すめろぎ」に対する理由もない信頼と思慕。「虚舟(むなしぶね)」とはなんともシニカルなでありながら、言うに言えないこの国の美意識を示しているようで哀しく切ない。
雪花菜(きらず)なれいささか花を葬(おく)りつつ
この国をめぐる花かな尽きたる山河
最後に、この『水月伝』の最終頁の二句を挙げて、感想の結びとしたい。二つとも色々な意味でこの句集を象徴しているように思われる。前述したように、この句集の四つの章においては、戦前から戦後、現在に至るまでの人々や社会の姿が見つめられてきた。その中には作者自身の姿もあり、また第Ⅲ章に見るように、周囲の人達の面影も大切に収められている。作者の視線は、優しさと思い遣りを持ちながら、冷静で繊細で、どこかシニカルでもユーモラスでありといった、何とも言えぬ味わいに満ちている。過ぎ去った時代や事象、人々や社会に対して手向けられる花束。それがこの句集の一つの意味でもあろう。しかし、それが雪花菜=オカラであるという表現は、自虐めきながらもなんとも美しく、不思議な味わいを持つものだ。また二句目は「尽きたる山河」という現実感になんども言えぬ凄みをを感じる。その痛々しさを見つめつつも、この国とそこに生きる我々に、そっと添えられる花を見出す。その願いの内に、「この国」を深く強く思う作者の心情が窺える。時代と社会を見つめる「慈悲の心」とでも言ったものであろうか。
仏像に「水月観音」というものがある。観音菩薩が水に映る月を見つめる構図の像である。観音の多くは白衣姿であり、水墨で描かれる画幅も多い。静かな時間の中に、じっと水面の月を見つめる菩薩の眼差しが表現されている。この句集に詠われた事象の数々、追悼された人々の想い出、作品に込められた諸々の思いは、たしかに「水に映る月」のように揺れて儚いものなのかもしれない。しかし、それらを見守り続ける瞳と心が、この句集の根底には存在する。『水月伝』というこの句集名にも通じるようでもあり、実に不思議な意味の符合を感じるのだ。そのことを添えて、この句集についての考察を結びたい。
(約5500字)