2021年2月26日金曜日

第155号

      ※次回更新 3/12


豈63号 発売!購入は邑書林まで

俳句新空間第13号 発売中*


【告知】池田澄子氏が読売文学賞及び現代俳句大賞を受賞しました!

【告知】篠崎央子氏が句集『火の貌』で俳人協会新人賞を受賞しました!


【告知】北川美美さんの逝去


【新企画・俳句評論講座】

・はじめに(趣意)
・連絡事項(当面の予定)
・質問と回答
・テクスト/批評 》目次を読む

【新連載・俳句の新展開】

句誌句会新時代(その一)・ネットプリント折本 千寿関屋 》読む
句誌句会新時代(その二)・夏雲システムの破壊力 千寿関屋 》読む
ネット句会の検討 》読む
俳句新空間・皐月句会開始 》読む
皐月句会デモ句会結果(2010年4月10日) 》読む
第1回皐月句会報 》読む
皐月句会メンバーについて 》読む
第2回皐月句会(6月) 》読む
第3回皐月句会(7月) 》読む
第4回皐月句会(8月) 》読む
第5回皐月句会(9月)
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第6回皐月句会(10月) 》読む
第7回皐月句会(11月) 》読む
第8回皐月句会(12月) 》読む
第9回皐月句会(1月)[速報] 》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和二年冬興帖
第一(1/22)ふけとしこ・網野月を・関悦史・花尻万博
第二(1/29)坂間恒子・曾根 毅・仙田洋子・仲寒蟬
第三(2/5)杉山久子・山本敏倖・竹岡一郎・辻村麻乃・神谷 波
第四(2/12)渡邉美保・渕上信子・木村オサム・夏木久・小沢麻結
第五(2/19)青木百舌鳥・松下カロ・井口時男・堀本 吟・望月士郎
第六(2/26)なつはづき・前北かおる・田中葉月・林雅樹


令和三年歳旦帖
第一(1/22)曾根 毅・仙田洋子・椿屋実梛
第二(1/29)杉山久子・山本敏倖・竹岡一郎・小林かんな
第三(2/5)辻村麻乃・神谷 波・関悦史
第四(2/12)渡邉美保・渕上信子・木村オサム
第五(2/19)夏木久・小沢麻結・ふけとしこ
第六(2/26)松下カロ・堀本 吟・望月士郎


■連載

【抜粋】〈俳句四季3月号〉俳壇観測218
俳句、その表記方式について―「LOTUS」「青群」の提起した問題
筑紫磐井 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (7) ふけとしこ 》読む

英国Haiku便り[in Japan]【改題】(18) 小野裕三 》読む

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい
8 自選十句から/涼野海音 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい
インデックスページ 》読む
10 心地よい裏切り感/佐藤日田路 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい
インデックスページ 》読む
12 自分を「更新」する俳句/瀬戸優理子 》読む

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい
インデックスページ 》読む
12 ~闊達と気品と~/田中聖羅 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
1 異世界への誘い/山本敏倖 》読む

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい
インデックスページ 》読む
11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい
インデックスページ 》読む
10 手紙/橋本小たか 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む

句集歌集逍遙 なかはられいこ『脱衣場のアリス』/佐藤りえ 》読む

葉月第一句集『子音』を読みたい 
インデックスページ 》読む
8 パパともう一人のわたし/北川美美 》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中! 》読む


■Recent entries

第5回攝津幸彦記念賞応募選考結果 ※受賞作品は「豈」62号に掲載

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編 》読む

【100号記念】特集『俳句帖五句選』

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
インデックスページ 》読む

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
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眠兎第1句集『御意』を読みたい
インデックスページ 》読む

麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ 》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
インデックスページ 》読む

麻乃第二句集『るん』を読みたい
インデックスページ 》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事 》見てみる

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
2月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子






「兜太 TOTA」第4号 発売中!


筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(7)  ふけとしこ

   烏の爪
霜晴や鳩居堂より鳩が飛び
紙を繰る音のときをり日脚伸ぶ
枯蔓の被さるがまま梅早し
うすらひを烏の爪が破りけり
春が来て山羊の横目に笑はれて

     ・・・
 人だますやうには見えず狸の目 仲寒蝉
 
 冬興帖に見つけた句。そうだなあ、と頷いた。そして昨年の冬初めに出会った狸を思い出した。
 毎朝、外回りの掃除をする。門を出ていつものように西側へ目を向けた途端にそいつと目が合った。「あれ? 君、狸だよね?」じっと見たら、相手もじっと私を見た。全身茶色で鼻と目のあたりが黒い、尻尾は太くて垂れている。御堂筋へ出る道を、それもちゃんと歩道を歩いて来た。野良猫にも偶に会うが、彼らはさっと隠れる。こいつは逃げも隠れもせずにじっと私を見返す。やっぱり狸、どう見てもタヌキ。こんな街中を悠々と歩いているとは……。どこから来たのだろうか。しゃがんで「夜遊びしてたん?」と話しかけると、また私の顔をじっとみて、それからおもむろに東へと歩いて行った。御堂筋へ出てどうするのだろう。
 以前、我が家の前で鼬が車にはねられて死んだことがあったが、あの狸、無事に帰ったかしら。

 たぬき汁夜風の騒ぎだしにけり  太田土男

誰にも捕まってはいないだろうなあ。

(2021・2)

【抜粋】〈俳句四季3月号〉俳壇観測218 俳句、その表記方式について―「LOTUS」「青群」の提起した問題  筑紫磐井

俳句における表記問題
  我々一行の俳句を作る作家でも、色紙に書く時には何の疑念もなく多行で書いている。これは一種の装飾とも考えられるが、これを俳句や詩の本質と考えようとする人たちもいる。最近、表記法をめぐる特集が一斉に行われた。伝統俳人たちにあまり縁がないように思われるかもしれないが、色紙を書く前に考えてみたい。
      *
 一つは、「LOTUS」第四七号(二〇二〇年一二月)の特集「多行形式の論理と実践〈作品篇〉」である。巻頭随筆「主題と方法―「多行俳句形式」に向けて」を酒巻英一郎が執筆しLOTUS内外の一〇人が作品を発表している。作品中心なのだが、酒巻の短い随筆が、高柳重信亡き後の多行俳句の活動を手際よくまとめている。
 今回特集に参加している林桂は以前『多行形式百句』という力作をまとめているが、これによれば雑誌ではじめて多行俳句が発表されたのは「層雲」の荻原井泉水作品(大正三年)、多行句集をまとめたのは高柳重信の『蕗子』(昭和二五年)だとする(実は多行句集としては前前号で紹介した従軍俳句集の田中桂香『征馬』(昭和一五年)が最初である)。
いずれにしろ多行俳句の歴史は古いが、九堂夜想が編集後記で「書き手も発生当初より少数派であったものが今ではおよそレッドデータ状態にある」というのが正直な感想であろう。

身に沁む     高原耕治
聽雪
いくそばく
華厳をめぐり

 もう一つは、「青群」第五七号(二〇二〇年秋冬)の「特集「分ち書き」再考」である。伊丹三樹彦が一昨年亡くなり伊丹のすすめた「分ち書き」俳句の精神を見直そうとするものである。伊丹や有力同人の議論を再掲するのだが、特集の大きな動機は、伊丹の追悼文に寄せられた坪内稔典の分ち書き俳句批判があると言う。坪内は知られるように伊丹の門下を代表する現代作家だが、彼が行った批判が反発を呼び起こしたのだ。ただ編集部では、「分ち書きという技法は俳壇で冷遇されており、三樹彦が目指していた「俳壇の新常識」になるのには程遠い状態にある」と述べ、前述の九堂と同じ感想を漏らしている。
 伊丹の論文では、昭和三四年の記事の中で自ら提案したと言っているが、分ち書きの歴史はもう少し古く、富澤赤黄男、楠本憲吉にも見られるはずだ(高原は「一字空白の技法」と呼んでいる)。読点や「!」も含めれば加藤郁乎が愛用しているのはよく知られている。

冬日呆 虎陽炎の虎となる  赤黄男
争へば火の鳥めくよ 夜の女  憲吉
白鳥は来る!垂直のあんだんて  郁乎
古仏より噴き出す千手 遠くでテロ  三樹彦
(以下略)

※詳しくは「俳句四季」3月号をお読み下さい。

【篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい】8 自選十句から  涼野海音(「晨」)

 句集を読む際に、まず私自身が共感した句に付箋をつけ、それらの句と作者の自選句を比較することが多い。
 ここでは、句集の帯に記されている自選十句のうち八句を鑑賞したい。

  血族の村しづかなり花胡瓜

 あとがきによれば、作者は茨城県の小さな村で生まれ育ったそうである。「血族」という言葉は生々しい血の色を想起させる。一方で「花胡瓜」は鮮やかな黄色。色彩的な対比が一句の中で見事に決まっている。

  狐火の目撃者みな老いにけり

 「みな」という断定に驚かされた。詩的断定というべきか。
 過去から現在への時間の流れが、一句に凝縮されている。狐火をみた時はみな青年、壮年だった。もしかしたら、その時はその人たちが暮らす土地が繁栄していたかもしれない。
 だが、今は「みな老いにけり」。狐火の目撃者だけでなく、その土地の歴史を知る者も高齢になったのではないか。

  東京の空を重しと鳥帰る

 高村光太郎の詩の一節「智恵子は東京に空が無いという」を思い出した。(『智恵子抄』に収録されている「あどけない話」という詩の一節である)。
 「東京の空を重し」は、大都会の東京の空を感覚的に把握している。「鳥帰る」の鳥がまるで人間のようだ。

  栗虫を太らせ借家暮らしかな

 栗虫をこのように愛らしく詠んだ句が、今まであっただろうか。
 「借家暮らし」の生活感も「栗虫」によく合っている。現代版の虫めづる姫君といったところか。

  筑波嶺の夏蚕ほのかに海の色

 「夏蚕」を「海の色」と言い表したところが新鮮だ。「筑波嶺」と海とはかなり離れている。下五で「海の色」が出て来るとは誰が想像できようか。

  黒葡萄ぶつかりながら生きてをり

 ぶつかりながら生きているのは作者だろう。深読みかもしれないが、この言葉は黒葡萄の弾力をも表わしているようにも読める。つまり「黒葡萄」=「ぶつかりながら」と。

  倭の國は葦の小舟や台風圏

 まるで倭の國全体を俯瞰しているかのようだ。もしかすると天気図を見ている時に、このような発想を得たのかもしれない。
 「葦の小舟」は揺れ動きやすく、漂いやすい。日本という国の現状を風刺しているようにも読める。

  縄文のビーナスに臍山眠る

 縄文のビーナスは、妊婦をかたどった土偶である。その土偶の小さな臍に、目をつけた所が面白い。
 この縄文のビーナスに自己を投影して詠んだか、あるいは誰かに似ている部分を見つけたか。いずれにせよ、土偶に対する愛着が一句全体からにじみ出ている。

プロフィール
・涼野海音(すずのうみね)
・昭和五六年、香川生まれ。高松市在住。
・「晨」所属。
・第四回星野立子新人賞、第五回俳句四季新人賞、第三一回村上鬼城賞「正賞」などを受賞。
・句集『一番線』(文学の森)
・ブログ「涼野海音の俳句部屋」
http://suzunoumine.blog.fc2.com/

【中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい】10 心地よい裏切り感  佐藤日田路(句会亜流里 同人)

 句会亜流里結成時に俳句を始めて15年、常に俳句とともに亜流里代表中村猛虎と私はいた。私は、彼の一番のフアンと自負している。

 今回は、彼の句集から、「父」の句に絞り、取り上げることにする。父母を一度も詠んだことがない俳人は希有であろう。「父母」は、現実世界と同じく俳句にとっても欠かせない存在である。それ自体詩性を帯びたタームである。しかし、困ったときの「父母」頼みにもなりがちで、類句類想・月並俳句に陥りやすい句材ともいえる。

  本句集での使用例は、「父」の句が6句、「父母」の句が1句、「母」の句は1句である。

 生物学上の父よ梟よ

 句会で、この句に出逢ったとたん、彼の句だと思った。15年も一緒にやっているとそうなる。「やられた!クソッ!」と小さく叫ぶ。そしてシブシブ採る。なお、彼は私の句と分かると、好い句だと評価しても十中八九は採らない。あとでこっそり「あの句はよかった」と耳打ちしてくる。

 検索したわけではないが、「生物学上の父」を用いた類例句は無いだろう。独特のフレーズだ。本来「父」は、生物学上の遺伝関係を指す言葉である。が、あえて「生物学上の父」と使われてみると新たな化学反応が生ずる。「養親」「名付け親」古くは「烏帽子親」などもあるにはある。しかし、ここでは、そうした意味的な説明を狙ってはいない。「父は父で、あるにはあるが」という父との距離感がグサリと心臓に届く。
 上中を跨ぐ一挙12音の破調をどうまとめるかは難しいところだ。彼は「梟よ」と5音で見事合計17音で納めた。重い12音がここで軽く裏切られることになる。ただ、梟には知恵のイメージ、父のイメージを含んでいる。とすれば、近すぎか?それとも、冷たい父との距離感を冬の季語しかも「生物」である梟でバランスをとったのか?

 言葉には、すべて質量と引力がある。付きすぎても離れすぎても、衝突するか、またはバラバラになる。この句は、地球と月のようにすくなくとも数億年の間、互いの引力で引き合うことだろう。技法的には、「よ」と連続した呼びかけで韻を踏んだのも好ましい。
 
 父の日の父はひたすら螺子を巻く
 アル中で死んだ親父の部屋に蟻
 開戦日父は螺子売るセールスマン


  父母俳句のほとんどは、郷愁、愛情、感謝に充ち満ちており、まして父母が亡くなると、哀しみ、喪失感を全面に共感を求める句になりがちである。世の中には、幸せな親子関係を築けた人々が圧倒的に多いのだろう。それは社会にとっても、当人にとっても好いことに違いない。しかし、古くはバット父親殺人事件に始まり、親子間の哀しい関係の報道も珍しくない。彼らは、大きな声で主張したり理解を求めないだけで、親子関係の闇に悩んでいる。現代社会では、決して少数とは言えないのかもしれない。

  俳句は、詩である。詩は美しいものと決めつける人々がいる。しかし、私は、真実に根ざした共感、命の叫び、肉感や鼓動を表現するものもまた詩であると考える。俳句を通じて自らのこころの真実を捌く戦列に私も続きたい。

 亡き父の碁盤の沈む冬畳

 もちろん、彼は、物の情感に感情を移入させた正当な俳句も作る。新たな地平は、しっかりとしたデッサン力を基礎に開きうるのではないか。

【なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい】12 自分を「更新」する俳句  瀬戸優理子

  著者を思わせるスレンダーなショートカットの女性が、自身の姿形にジャストサイズの箱の中に納まっている。そんなイラストが描かれた句集『ぴったりの箱』の表紙は、なかなかにインパクトがある。

 女性は、笑っても、泣いても、安らいでも、不安そうでもない。表情と言える表情はないのだけれど、これから「魂」を入れて動き出しますよ、とでもいうような準備万端な視線を読者に向けている。

 「あとがき」で触れているように、なつさんは、「俳句で自分自身の『寸法』を確かめる作業」を続けているという。そして、この第一句集で自身が(今のところ)ぴったりとおさまる寸法の箱を見つけた、と。

 俳句十七音も、「箱」と一緒だ。言葉を盛り込み過ぎても、スカスカすぎても、おさまりが悪い。伝わらない。「箱」に過不足なく収まることで、いわゆる佳句となる(と思われている)。

 ただ、句集を通読すればわかるが、なつさんが目指しているのは、そういう俳句ではない。誰かが、「なつはづきの俳句」という「箱」を開けてくれた時、その中にぴったりおさまった「私」がきらきらした瞳で「あなた」を見つめ返す。あるいは、真剣な眼差しで訴えかける。もしくは、あえて視線を逸らす。そんなサプライズを仕掛けたいというチャーミングな野望が見え隠れする。その野望実現のために、大きすぎず、小さすぎず、その都度「ぴったりの箱」を見つける作業が必要だったのだろう。

 自身の寸法がわからない中での確認作業は、時に体当たりである。

夏あざみ二度確かめるこの痛み
春の雲素顔ひとつに決められぬ
毛糸編む嘘つく指はどの指か
紺セーター着ていい人のふりをする


 驚くほどストレートな自己表出に、一瞬たじろぐ。一句目、「痛み」とわかっていながら、二度もその感覚を味わいに行って自身に刻む自傷行為。これが自傷しながら自身を愛するという逆説的ナルシシズムでないことは、上記に挙げた他の3句や句集後半に配置された「リストカットにて朧夜のあらわれる」でよくわかる。闇の底に沈むのではなく、朧夜があらわれるまで目を凝らす凛とした視線。

 2句目の「素顔」をひとつに決められないことへの居心地の悪さ。3句目の気づかずに「嘘」をついているかもしれないと自問する内省。4句目の「いい人のふり」をしてしまう自身へのちょっとした罪悪感。自分を起点として世界と関わり合う時に「不誠実」を犯しているのではないかという、うしろめたさに付きまとわれているかのようだ。しかし、そんな自分から目を逸らさない態度は「誠実さ」でもあると、読者である私には感じられる。

 「春の雲」「毛糸編む」「紺セーター」。季語と心情を配合させるシンプルな詠み方だが、ネガティブに傾こうとする心情から一歩進んだ「明るい抜け道」を予感させる飛躍のさせ方が、なつ流の「寸法」を確かめる作業の成果だろう。

 ストレートな感情を隠さない一方で、なつさんは含羞の人でもある。

君に電話狐火ひとつずつ消える
泣くときはいつも横顔リラの花
夢二の忌冗談まばたきで返す
無花果やアルトの音域で生きて


 猜疑心をゆっくり消していくためにかける何気ないふりの電話、涙がこぼれるのを見せまいと横を向く所作、冗談を言う相手に咄嗟にどう反応していいかわからなくなる戸惑い、本当はもっと声を張れるのに敢えて「アルトの音域」に留まる奥ゆかしさ。心を揺らしつつも、客観的な視点で自身を捉え直し、十七音に表現する。寸法を再確認するための真摯な作業を繰り返す。

 あちこちに身体の一部をぶつけて傷をつくり、時に慎重に縮こまり、膝を抱えて静かに涙し、もう大丈夫と再びそろそろと立ち上がる。そうして見つけた、自身をとりまく世界と自分との「心地よい距離感」。自然体にのびのびと言葉が躍動していると感じさせる次のような句群が眩しい。

はつなつや肺は小さな森であり
ゲルニカや水中花にも来る明日
図書館は鯨を待っている呼吸
沈黙の明るく置かれ晩白柚

 
 いずれも、身体性と直観の冴えが発揮され、「虚」と「実」の相互往来が自在な魅力的な句である。

 さて、体当たりで営んできた自分自身の寸法を確認する作業も、最後は少し余裕の表情を見せ始める。

綿棒で闇をくすぐる春隣

 句集の末尾に置かれた句である。「少女期や夜の鯖雲ばかり見て」と、なすすべもなく佇んでいたのは、はるか遠い昔。少女は大人になり、「俳句」という世界と対峙するための強い味方を得ている。

 にもかかわらず、である。ちょっとした「闇」を前にすると、まだ少しの弱気が襲うのだ。と同時に、その弱気を笑う茶目っ気もある。掲句、「くすぐる」の措辞になつはづきらしさが炸裂していて、こちらもニヤリとしてしまう。なんてったって「春隣」。しかも、耳の中に広がる小さな柔らかな「闇」である。くすぐるようにかき混ぜているうちに、いつしか「ほう」と甘いため息が漏れてきそうだ。

 心の微妙な「揺れ」に敏感であることが、彼女の作句への原動力であり、ぴったりの寸法を更新していくエネルギーともなるのだろう。次の「ぴったり」を見つけにいく旅のプロセスを、今後の作品で垣間見るが楽しみである。

【中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい】12 ~闊達と気品と~  田中聖羅

 第4句集『くれなゐ』は、第3句集『朝涼』から9年の月日の結晶である。その月日はまた、私が結社「都市」に入会てからの月日でもある。句集を手にし、余白が生かされた装丁が美しく、帯の一句が句集の奥行きを感じさせている。読みすすめて、「誰にも衒うことのない清々しさ」が第一印象だった。
 『くれなゐ』の句は、一見平明に感じることがあるが、ことさら難しい語彙や常套的言いまわしに与せず、自らの身を貫いた感覚をことばに結実させる結果からだろう。リズムも同様、実感に伴ったものだ。即物的であろうとするとき、その感覚をことばに置き換えるとき、その推敲は大変なものだろう。結果として自身の「今」を詠まれている。
 宇多喜代子著『戦後生まれの俳人たち』(2012年 毎日新聞社)の宇多氏の鑑賞に、

 玉虫に山の緑の走りけり     (第3句集『朝涼』)
 いくたびも手紙は読まれ天の川  (第3句集『朝涼』)

の二句を「巧みな技をさりげなく見せて景を大きくしている」との評価がある。その巧みさに加え、『くれなゐ』ではより対象物を自身に引き寄せ、恐れることなく心で踏み込んでいる。しかも猶、動きのある若々しさと新鮮さを失わない。宇多氏は、「戦後生まれの俳人たち」に、「新鮮な一句」と「俳句の未来」を期待した。夕紀は、この『くれなゐ』により闊達な、しかも気品のある一句、一句でその期待に応えている。

ばらばらにゐてみんなゐる大花野

 帯文に紹介されている一句である。「都市」での吟行句と思われるが、一読してそのリズムに取り込まれる。「みんなゐる」の「みんな」は、例えば句作に没頭する「都市」の仲間たちであろうか。主宰として自らが育ててきた「みんな」である。その充実感と幸せ感が伝わり、その吟行にいなかった私を悲しい気持ちにさせたほどである。「大花野」という舞台がよく、この期の代表句の一句になるかもしれない。

百物語唇なめる舌見えて

 現在では、さしずめ白石加代子演じる「百物語」の舞台であろう。躍動的に動く真っ赤な唇から吐き出される言葉・・・話の興に乗り益々話術も冴え唇をなめる、その瞬間を捉えた一句である。その舌までもが見える演者の形相そのものに集中し、妖怪話の怪奇さを表している

山襞を白狼走る吹雪かな

 一見、平明な句に思えるが、激しい句ではないか。旅吟であろう。「白狼伝説」のある地かもしれない。折からの吹雪の中に山襞を見つめ続け、ついにその詩魂が白狼の姿を引き寄せる。吹雪の激しさに対峙する俳人の心の激しさが真っ白な世界に舞い上がっている。
青大将逃げも隠れもせぬ我と
 吟行の最中、青大将と出会い「逃げも隠れもせぬ」と啖呵をきってみせているのである。どんな対象物でも、見て、触って対峙する覚悟でいる自身を詠んでおり、句作へ挑戦する思いと、ちょっぴりユーモアのある余裕が感じられる。

  宇佐美魚目先生宅へ
こほろぎや畳み重ねて明日の服  (第3句集『朝涼』)
春障子ひと夜明ければ旅に慣れ  (第4句集『くれなゐ』)

 「こほろぎや」は、泊まりがけとなる吟行参加をかかさなかったという若き日の一句である。志に向かい、いかに旅吟や吟行を大切にしてきたかが窺える。そして、その志を繋ぎ今も旅にいる。「春障子」は、そうした自身を客観視した余裕のある一句となっている。
日の没りし後のくれなゐ冬の山
 古都への旅吟を重ねて、冬の山を遠景に会心の一句を得る。日没のあとの余韻の残る日本の美しい光景である。夕紀は、この句にて「くれなゐ」を自身の色にした。夕紀の旅はまだまだ続く。今はもう次の一句へと心が騒いでいることだろう。

英国Haiku便り[in Japan]【改題】(18) 小野裕三


谷川俊太郎と俳句の重力


 この五月に、BBCラジオで詩人の谷川俊太郎氏を特集した番組が放送された。番組では、谷川氏自身の他に翻訳者たちも出演した。
 その一人、ウィリアム・エリオットは、米国生まれだが、日本に長く暮らし、谷川氏の詩を多く翻訳してきた。そんな彼が番組で谷川氏の詩を紹介するのに、まっさきに俳句のことに言及したのには驚いた。彼曰く、谷川氏は俳句のグループにも参加したことがあり、そんな彼の詩は「静かに俳句の重力(gravity)の影響を受けていた」というのだ。
 確かに、谷川氏は俳句も作らないわけではないようだ。小学生の時には授業で俳句を作ったし、その時以来の「俊水」という俳号まで持つらしい。だが、それは事実だとしても、少なくとも彼の詩を論じる時に「俳句の影響」をまっさきに論じる日本人はおそらく皆無だろう。
 しかしここで僕が論じたいのは、谷川氏の詩歴の検証ではない。むしろ注目したいのは、ある英語圏の翻訳者が、日本の口語詩の先駆者であり続けた詩人の作品に接して、「俳句の重力」という観念にまず行き当たったという事実だ。五七調の呪縛と対峙することで日本の口語詩は成立してきたとも言えるし、だとすればこの事実はなんとも逆説的だ。
 そして日本人の目から見た時、「俳句の重力」があるとすれば、それはむしろこの五七調の呪縛と近しい。西洋のダンスを踊ろうとしてもどこか盆踊りみたいになってしまう、みたいな悲哀に似て、五七調は絶望的なほどに日本語を話す人の肉体を呪縛する。
 ところが、このような呪縛のない西洋人の目に映る「俳句の重力」は、俳句のもっと本質的な可能性だ。先述の翻訳者はこうも語る。日本語の詩は多くのものを開かれたままに残すが、英語の詩はある種の完結性にこだわる、と。簡潔な断片性を旨とする俳句に象徴的に見られるこの「開かれた」特性は、それが谷川氏であろうが誰であろうが、日本語の詩全般にも通底するのだろう。五七調の呪縛を知らず、かつ英語詩との比較もできる西洋人には、逆にこの意味での「俳句の重力」が明瞭に感じられるのだろうか。
 そもそも、たった十七文字で詩を作るという発想自体がラディカルで実験的であり、つまり俳句という形式自体こそが前衛的だというのが僕の持論なのだが、そんな話をあるイギリス人女性にしたところ、あっさり同意してくれた。
「そう思うわ。だって、Haikuのシンプルさってモダンアートにも通じるし」
 西洋人の目には、五七調の肉体的呪縛というフィルタを経ない分、クリアに俳句の本質が映っている気がする。前衛的で「開かれた」言葉としての俳句の持つ「重力」が、彼らには純粋に感知できるのかも知れない。

(『海原』2020年9月号より転載)

2021年2月12日金曜日

第154号

     ※次回更新 2/26


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皐月句会デモ句会結果(2010年4月10日) 》読む
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■平成俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和二年冬興帖
第一(1/22)ふけとしこ・網野月を・関悦史・花尻万博
第二(1/29)坂間恒子・曾根 毅・仙田洋子・仲寒蟬
第三(2/5)杉山久子・山本敏倖・竹岡一郎・辻村麻乃・神谷 波
第四(2/12)渡邉美保・渕上信子・木村オサム・夏木久・小沢麻結


令和三年歳旦帖
第一(1/22)曾根 毅・仙田洋子・椿屋実梛
第二(1/29)杉山久子・山本敏倖・竹岡一郎・小林かんな
第三(2/5)辻村麻乃・神谷 波・関悦史
第四(2/12)渡邉美保・渕上信子・木村オサム


■連載

【新連載】加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
1 異世界への誘い/山本敏倖 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい
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11 なつはづき第一句集『ぴったりの箱』の触感/杉美春 》読む

【抜粋】〈俳句四季2月号〉俳壇観測217
有馬朗人氏の突然の逝去―――若き日にアメリカの大学図書館にかよって見つけた大発見
筑紫磐井 》読む

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい
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11 五七五で描く西鶴の世界/加瀬みづき 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい
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9 中村猛虎句集選評/太田よを子 》読む

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい
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11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい
7 次のステージのための「火」へ 篠崎央子『火の貌』を読む/なつはづき 》読む

英国Haiku便り[in Japan]【改題】(17) 小野裕三 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい
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10 手紙/橋本小たか 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (6) ふけとしこ 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む

句集歌集逍遙 なかはられいこ『脱衣場のアリス』/佐藤りえ 》読む

葉月第一句集『子音』を読みたい 
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8 パパともう一人のわたし/北川美美 》読む

麻乃第二句集『るん』を読みたい
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17 無意識の作品化、俳句のフレームを超えて/山野邉茂 》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中! 》読む


■Recent entries

第5回攝津幸彦記念賞応募選考結果 ※受賞作品は「豈」62号に掲載

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編 》読む

【100号記念】特集『俳句帖五句選』

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
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佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
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眠兎第1句集『御意』を読みたい
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麒麟第2句集『鴨』を読みたい
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前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
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「WEP俳句通信」 抜粋記事 》見てみる

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
2月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子






「兜太 TOTA」第4号 発売中!


筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【新連載・俳句の新展開】第9回皐月句会(1月)[速報]

投句〆切1/11 (月)
選句〆切1/21 (木)


 北川美美さんが闘病の末1月14日に亡くなりました。お母さんから26日に連絡を頂きました。享年57のまだ若い死が惜しまれます。

【最後の投稿句】
鉢合わせの去年の御慶も誰も来ず 2点 北川美美

【評】 例年ですと客の鉢合わせで困ることが、今年は疫病のせいか人が来ない。一面寂しさがあり作者の複雑な気持ちが窺えます。 ──松代忠博
 並選 筑紫磐井
手鞠歌肉屋の娘は二九(じゅうはち)に 1点 北川美美
 並選 筑紫磐井

(5点句以上)
10点句
湯たんぽのたぷんと不審船がくる(望月士郎)

【評】 換骨奪胎という言葉は功罪両面を指す際に使われますが、良い方の意味で西東三鬼の水枕の句を換骨奪胎していると思いました。 ──妹尾健太郎

8点句
襖絵の海割つて父入り来たり(仲寒蟬)

【評】 特選。父が大きく偉く見えて嬉しい。「襖」が新年ではなく、単なる冬の季語であるにも拘わらず、新年の目出たさが感じられます。 ──渕上信子
【評】 見事な絵柄の真ん中を、ほろ酔い千鳥足の父が…などと思うと滑稽味あふれる景となります。 ──佐藤りえ
【評】 スケールの大きな襖絵の海を二つに割って、父が冬座敷に入ってきた。古い日本家屋と豪快な父の容姿や気性が見えてくる。 ──山本敏倖
【評】 ダイナミックな景に惹かれました。四枚の襖一杯に描かれた海の、真ん中の2枚を両側に開いて「父」が入ってきたのだと思います。その勢いと迫力が見事に表現されています。お屋敷の立派な座敷のしつらいと、そこの主たる「父」の人物像も想像されました。 ──前北かおる
【評】 まるでモーセのようだが、たぶん気弱で慌て者の父 ──望月士郎

7点句
べこの子の鈴あらたまの音立てり(小林かんな)

5点句
若菜摘む初めて海を見るやうに(真矢ひろみ)

婚約す鯨が沖を通る朝(内村恭子)

【評】 婚約も大きなイベントだ。鯨の朝も妙に心に響いた。 ──依光正樹

裸木や十のわたしがぶら下がる(田中葉月)
【評】 ふっと思い出したのは、三千年以上前の三星堆遺跡(古蜀文化と言われる)の青銅神樹だ。4メートルの青銅樹には9本の枝があり9羽の鳥が止まり、伝説では太陽を運んでいると言う。夏王朝時代に天に10個の太陽が上がり人民が苦しんだとき、羿という弓の名人が9個の太陽を射落としたとされる。こんな壮大な宇宙樹が背景にありはしないか。 ──筑紫磐井
【評】 どことなくアベカンぽくて、嬉しくなる句です。 ──依光陽子

六日失業七日七種粥を食べ(西村麒麟)
【評】 落語みたいな、かなしい可笑しさ。 ──渕上信子
【評】 淡々とした詠みぶりに好感。「そんなこともあらあな」という気分になりました。 ──青木百舌鳥
【評】 赤裸々でありながらどこか救いがある。命の尊さを少し考えてみたりした。 ──依光正樹

(選評若干)
去年今年生簀に眠る魚たち 3点 内村恭子

【評】 超時空の超写実・・・? ──夏木久

太陽のしづかにのぼり初鏡 2点 田中葉月
【評】 新年詠なるもの、淑やかにするか華やぐか、どちらにせよ須らくどちらかに徹し切るべしとして本句は淑やか。アマテラス、元始女性は太陽であったの連想も効かせてあり、姿の端然と決った句と存じます。 ──平野山斗士

鳳凰も龍も飛びゆく初日かな 1点 仙田洋子
【評】 鳳凰は中国古来の想像上の瑞鳥。龍も想像上の動物。初日の出に鳳凰も龍も飛んでいるのは、めでたい。コロナ禍の中、パッとしたスケールの大きい句にめぐり合えました。 ──水岩瞳

部屋ごとにちがふ時計の冬灯 4点 依光陽子
【評】 時計にはその住人、その所有者の趣味趣向が如実に表現される。腕時計にも。また、腕時計を着けないことも、その所有者の性を知る重要なポイントと考えている私に楽しい句。 ──千寿関屋

初日待つ犬は地の面嗅ぎ廻り 2点 平野山斗士
【評】 初日の出の名所は全国各地にある。少しずつ膨らみ始めた地平線に人間達は胸をときめかせるが、犬にとってはいつもの日常。縄張りの確認のために地面を嗅いでいる。普段は心を通わせている犬と感動を共有できないすれ違いのようなものを冷静に描いている。 ──篠崎央子

金箔のこぼれて加賀の祝箸 2点 中村猛虎
【評】 豪華絢爛。たとえお正月だけの虚構であっても、めでたしめでたし。 ──仙田洋子

我が影のみるみる巨人毛皮着る 4点 渡部有紀子
【評】 「みるみる巨人」。うまく言いましたね。 ──仙田洋子

落葉焚男子と女子が揉めている 4点 佐藤りえ
【評】 ご時勢柄、出句全体に新年の期待感や元気さが足りないなか、若い人達が、ハイティーンか。いやもっと低年齢のこどもたちなのか、暖を求めて集い、密を恐れずに焚き火などして、しかもなぜか「男子と女子」に分かれて「揉めて」いる。(この程度でも濃厚接触になりそうなので、決して密を推奨するわけではないが、青春とはこういうものだ、と我が昔を思い出す)に、楽しそうで活気あるこの光景に救われる思いがしたのは私だけだろうか?他にしっとりした佳句もあったが、今いちばんキモチを明るくさせてくれる情景が詠まれている。 ──堀本吟
【評】 揉め事は落葉焚きの煙のいがらっぽさほど些細なのだろうと想像させます。 ──小沢麻結

【告知】池田澄子氏が読売文学賞及び現代俳句大賞を受賞しました!

 このたび池田澄子氏が句集『此処』(朔出版、2020年)で第72回読売文学賞詩歌俳句賞を受賞。更に永年の功績で第21回現代俳句大賞を受賞しました!

 池田澄子氏は現在「豈」同人、BLOG「俳句新空間」にも参加されています。心よりお喜び申し上げます。

【加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい】1 異世界への誘い  山本敏倖

 コロナ禍の大変な世の中になったにもかかわらず、その虚を突いて加藤知子第3句集『たかざれき』は上梓された。しかも石牟礼道子論併録しての一巻、知子ワールドの全貌が伺え、感無量です。
 その貴重な一冊の、多くの共鳴句の中から絞りに絞れば

頭上に芽吹き青空ばかりが残像
文月葉月川の流れはヴィブラフォン
よく眠る骨はこどもとカシオペア
鵜を抱いてわたし整う骨の冴え
稲光るたび人妻は魚となり
ひえびえと乳房の方へ向く流沙
月岬までの逍遥うちわ振り
脳の襞さわぐ鏡の間の万緑
けしからんヌードのるーる天高く
もの書きの肺に生まれる金魚かな
わが孵す鶉の卵露万朶
少年と少女がバッタになっちゃった
ゆうべからかなかな無痛分娩中
刈るほどに下萌えてゆく王墓かな
日食や姉出戻りて菊なます
すかあとのなかは呪文を書く良夜
また人間の仔になるまでを寒林
戦争という肉塊打ち上げ花火
楽土へと落葉横切る蛇長き
寒椿薄濃(はくだみ)にして愛すべし
獣(カチュー)耳(シャ)を着けにんげんという遊び
虎の眼の追う昼星と兎とぶ
雛の首きゅるきゅるゆるむ江戸小紋
のたうてば霧の中より吉祥天
風光る道行のこの白足袋の 
鳥帰る少女じゅうろくひとばしら


 どの句も動機は日常の一景からなのでしょうが、俳句はイメージの真髄を自家薬籠中のものにしており、その造型美は、ポエジーとイデオロギー性の衝撃的配合により、すべて意外性を孕んだ一寸景として読み手の心象に深く浸透します。一句一句における語彙の豊富さは無論のこと、繊細な感性による細やかな写生眼をベースに、思わぬ季語とのドッキングが、かつてない異世界へ誘います。
 そこには、詩的骨法を心得たコントラスト、色彩感、滑稽味、アイロニー、物語性等々、古典への造詣を背景にした独創的着想が、それぞれの句の核として構造化され、口語体による表記の音楽性、その絵画的心象の完成度に驚かされます。
 しかもその境地に甘んじることなく、次への危うきに遊ぶ、真、新、深への探究的作句姿勢は、文体の端々から感受され、俳句に関わるものとして大いに啓発、覚醒された次第。

【中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい】11 五七五で描く西鶴の世界  加瀬みづき

 句集「くれなゐ」を読み返し、「くれなゐ」評の先行の方々が取り上げていない句と、夕紀の第一句集「都市」から「さねさし」、「朝涼」にもない句を探した。そうしたら、次の二句があった。

好色一代女と春のひと夜かな
西鶴の美女は胴長竹床几


 この西鶴を詠んだ二句で書こうと決めた。しかし、西鶴を読んだことがない。「好色一代女」(新潮社)、「好色一代男」(岩波文庫)、「好色一代男(吉行淳之介訳)」(中公文庫)をネットで取り寄せた。

好色一代女と春のひと夜かな

 一読したときは、恋多き女と春の一夜の儚き逢瀬を描いているのだと思った。
「好色一代女」を読む。一代女には名前がない。美貌で「官女」となり「十一歳の夏の初めより、わけもなく取り乱して」十三歳の時、「さる青侍」に通じ、「初通よりして、文章、
命取る程に、次第次第に書を越し」たのに焦がれて「身をまかせる」が、やがて、女は追放され、男は処刑される。
 現代からみると随分早熟だが、当時は、初潮を迎えるとすぐに女性の世界に入るのだろうか。
 まず、昔の恋が思いを文に託すことから始まることである。古代の相聞歌の時代から江戸の一代女まで。そういうやりとりをする女性は文才がなくてはならない。教養も重要である。句を作る者として、古典を深く読んでいない、近現代の俳人の作品も知らないことが多く、まだまだ勉強なんだと思った。
 話をもとに戻して、短くまとめると、一代女は若衆仕立ての舞子になり、以降遊里の太夫から下級の女郎まで身を落とし、その間にも様々な男性との関係があり、最後には夜発は色勤めの納めになり、六十五歳で尼になる。
 読んでいて、一代女の一生が、身にも心にもこたえた。女性の本性をえぐられるようだった。女性の深層を西鶴はよく描いたものだ。
 「都市」二〇二〇年十月号の「魚目の蝶の句」論で、夕紀は魚目の「エロス」の句を取り上げているが、この「好色一代女と春のひと夜かな」の句も、中西夕紀のエロスの句ではないかとおもう。
 そして、魚目の言葉として「ここに居る我々は詩に汚れているものだ」という一言がある。文字通り「好色一代女」の句は、西鶴の色欲に接して作品が一度汚れているような気がする。
 魚目が「女性を詠んできて、エロスに行きあたった」のが五十三歳から六歳の頃、夕紀が第四句集「くれなゐ」の作品を詠まれたのが、平成二十三年頃から令和元年の春までの、五十七歳から六十六歳まで、この間、夕紀も「魚目はエロスを夢幻として捉え、一つの恋を描ききり、完成させたのではなかったか」の世界に到達されたのだろうか。
 「好色一代女」を読み終わり、この「好色一代女と春のひと夜かな」の句は、女性の立場では、自分も好色一代女になり、自分語りをしている句ではないかと感じた。
 一代女は最後に、「これも懺悔に身の曇り晴れて、心の月清く、春の夜の慰みん、我、一代女なれば、何を隠して益なして、胸の蓬草開けて萎むまでの身の事、たとへ、流れて立てたればとて、心は濁りぬべきや」で終わる。二人の若者に一生を語り終え、心は平明に終わる。
 

西鶴の美女は胴長竹床几
 
 「西鶴の美女は胴長」の姿を求めて、何か江戸時代の女性の絵がないだろうかと、当時の浮世絵師、菱川師宣をネツトで調べると、井原西鶴の「好色一代男」の挿絵がちょうどのっていた。そこには、胴長の女性が描かれていた。
 「好色一代男」(岩波文庫)が届くと、本の表紙の絵が師宣の絵だった。本文を読むと、「人には見せぬところ」の段で、九歳の世之介は四阿屋(あづまや)に備えつけてある遠眼鏡を持ち出して屋根に登り、菖蒲湯を使っている中居(こまづかい)を盗み見している挿絵だった。
 西鶴の時代、美女の条件に「好色一代女」にも、「胴長常のより長く」とある。
 では、「竹床几」に腰掛けて美女と話ををするのは誰だろう。世之介のような色恋の酸いも甘いも噛分けた男性だろうか。恋の駆け引きか、しんみりした話か、たわいない世間話か、想像は幾重にも広がっていく。
 ちなみに、「好色一代男」の巻七「新町の夕暮嶋原の曙」に、吉行淳之介の現代語訳で、「昼は寝て、まず夜のうちのくたびれを取りのぞき、暮方から表に床几を据えさせて眺める九月十日の月、さすが都だけあって風情のすることだった」と、床几が出てくる風流な場面がある。

好色一代女と春のひと夜かな
西鶴の美女は胴長竹床几


 五七五の短い俳句の世界で、夕紀は西鶴の作品を表現した。後人に続く者として、果たしてこのような句が出来るようになるかわからない。
 最後に俳論を超えて文学論として西鶴を語っている、「好色一代女」(新潮社)の校注者村田穆氏の解説文を長いが引用させて頂く。「現実の貧も、その貧を巧みに利用して水脹れる狡猾な富も、西鶴の力でどう処理し得るものではない。西鶴のなし得ることは、その現実を徹底的に追及して、人の心に反省を求めることでしかない。ということは、文学の弱みではない。精神の面から人間を改変しようとするもの、人間を内部から改変することの意味深さを真に知るもの、しかも、自分の意見を読者という他者の自由な取捨にまかせるもの、その人を文学の士と呼ぶ。」
 これで私の「『くれなゐ』を読みたい。五七五で語る西鶴の世界」を終わります。

【なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい】11 なつはづき第一句集『ぴったりの箱』の触感  杉美春

 爽やかなロイヤルブルーの表紙に個性的な句集名とイラストが印象的。帯や本体の薔薇色のイラストもシンクロしていてまことに美しい。句集『ぴったりの箱』には、現在進行形のなつはづきさんがまさにぴったりと詰まっている。
 各章のタイトルにも工夫があるが、I章の「ファの鍵盤」には特に心を惹かれた。ドでもミでもソでもない、ちょっと不協和音を思わせるファの音が、本句集の序奏にふさわしい。宮崎斗士氏の跋によれば、「まず強く印象に残るのはなつさん独特の「身体感覚」である。・・・身体というものの機微をしっかりと見据え、その上で神羅万象を自らの身体という器で汲まんとする俳句作家としての姿勢。」であるという。この身体感覚、とりわけ「皮膚感覚」、五感のなかでも「触覚」に秀でた表現こそが、なつはづきさんの持ち味と言えないだろうか。そして感覚の飛躍、独自な取り合わせの妙、これもなつはづき俳句の特色だろう。

いぬふぐり聖書のような雲ひとつ
 いぬふぐりから目を空に浮かぶ雲へと転じている。「聖書のような」が清潔感のある白い雲と、聖書の時代から今現在への時間の流れも感じさせる。

象の背に揺られ春まで辿り着く
 若冲の描く白い象を連想させる。ゆるやかな白象の背にまたがり、ゆるゆると春へ運ばれる、そんな風景が目に浮かぶ。

春の水まずはくすくす笑いから
 「春の水」と「くすくす笑い」がぴったり。夏の水ならもっと豪快な笑い、秋の水なら、冬の水なら、と読み手が共鳴しつつ想像を膨らませる余地がある。

ヒヤシンス小さじ二分の一悪意
蟻地獄母を見上げている少年

 「悪意」や「蟻地獄」が本来美しいはずの「ヒヤシンス」や「母」との関係に罅を入れてみせる。

修正液ぼこぼこ八月十五日
 理屈を言わず、説明もせず、ただ「修正液」で八月十五日を表現した佳句。

チンアナゴみな西を向く神無月
花疲れ鳴りっぱなしのファの鍵盤

 この二句も取り合わせが個性的。確かにチンアナゴは同じ方向を向いている、それを西、神無月、と発展させたところが素晴らしい。「鳴りっぱなしのファの鍵盤」が花疲れの気分や身体感覚とよく響き合っている。この発想は非凡である。

はつなつや肺は小さな森であり
 初夏の空気感、それを思い切り吸い込んだ時の身体感覚を、「肺は小さな森」で過不足なく表現している。

殴り書きのような抱擁花梯梧
 インパクトのある喩えが見事。「殴り書き」「花梯梧」で、抱き合う二人の激情がストレートに伝わってくる。しかも表現が平凡ではない。

月白や鏡の中で待つ返事
 さらっとした表現の中に抒情が感じられるのは、季語の力だろうか。「鏡の中で待つ」という表現が、作者の行為や位置、二人の関係性を物語っている。

鍵探す指あちこちに触れ桜
指先がふいに臆病ほおずき市

 この二句の「指」の持つ感覚と思いも印象に残る。「あちこちに触れ」「ふいに臆病」という措辞も共感を呼ぶ。

夏あざみ父を許すという課題
 娘と父親の関係の複雑さ。慕う気持ちと許しがたく思う気持ちの共存。ある時は思慕に傾き、ある時は怒りに傾く。「夏あざみ」の花の美しさととげとげしさ、逞しさ、激しさがよく合っている。「父を許すという課題」をぜひ仕上げてほしい。

霜夜かな拾えぬ猫の声を背に
永田町子猫いっぴき分の影

 猫も、拾えない私も、せつない。「霜夜」だからなおさら。「いっぴき分の影」ではかなさが伝わってくる。永田町という地名も効いている。

冬怒濤少ない色で生きてゆく
 「少ない色」とは、余分なものをそぎ落とした、ぎりぎりの私自身ということだろう。冬怒濤の厳しさと美しさ。作者の潔さと覚悟が感じられる。

ぴったりの箱が見つかる麦の秋
平泳ぎなのかな麻酔醒めてゆく

 意外な取り合わせで、身体感覚をするどく切り取っている。術後の目覚めは、たしかに「平泳ぎ」のようだ。

思い出のそこだけが夜鮫が来る
 兜太の俳句「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」を連想させる。「思い出のそこだけが夜」という表現が読み手の想像をかきたてる。誰にもあるかもしれない負の思い出なのか。暗い海底から音もなく浮上してくる鮫の恐ろしさと美しさを思う。

背中からひとは乾いて大花野
 大花野の美しいだけではない寂寥感。水からあがれば(羊水を離れれば)、あるいは大花野に立てば、ひとは背中から乾いていく。死まで連想させる皮膚感覚の鋭い句である。

荒星やことば活字になり窮屈
 活字になった「ことば」とは、すでに書かれた作品であり詩情である。活字になった途端に「窮屈」に感じられるのは、作者がもうその先へ行き、新しい「ぴったりの箱」を探しているからだ。ヤドカリが一回り大きな新しい貝殻を探すように、蛇が脱皮を繰り返すように、なつはづきは一歩先へ一歩先へと踏み出し、俳句の新しい地平を切り開いていく。作句に苦悶しつつ、苦悶する自分を笑いつつ、日々「ぴったり」感を更新していく、そんな作者から今後も目を離せない。

【中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい】9 中村猛虎句集選評  太田よを子(「朱愚」代表)

  コロナコロナのこんな時期に、おもしろい句集を頂きました。
 「おもしろい」と言ったのは、言葉遣いも表現の仕方も感覚も独特で、でも難解ではなく共感できて、すっすっと読んでいけたからです

 私の気に入った句を書き抜きます。
 「妻」を詠んだ一連は、一句一句読んで、私も一喜一憂しました。これ等が句集の冒頭にあったので、私は、この句集にぐっと惹きつけられました。

痙攣の指を零れる秋の砂
白息を見続けている告知かな
病室のベッドの高さに冬の水
寒紅を引きて整う死化粧
遺骨より白き骨壷冬の星
葬りし人の布団を今日も敷く

 自然を描写した旬にも惹かれました。

雪ひとひらひとひら分の水となる
 美しい描写です

産土の闇深くなる星祭
 伝統的な俳譜の世界。

春の水君の形に拡がりぬ
 いろいろなところに妻の面影が

子をくれてやろうか夏の星たちよ
 得意な気持を表現

刃物研ぐ音を吸い込む秋の雨
 神経がいたくなるほどの鋭さに惹かれる。

白魚は水の塊かも知れぬ

すすきの穂ほら魂が通った
 すすきのあの揺れ方は

蛍龍車の揺るる度に燃ゆ
 描写が効いている

納得の音の出るまで枯葉踏む

 「ぎょっ」とした句もありましたが、素敵な句だと思いました。
 初めにぎょつとした分だけ、私の心に深く刻まれました。

順々に草起きて蛇運び行く
 動きがあって爽やかな草原の情景

井戸掘れば現れる骨秋の暮
 妻恋の句

 次の繊細さも好きです

墨を擦る月冴える夜に墨を擦る

少年は夏の硝子でできている
 少年や少女を美しく表現していて好きです。

向日葵に見つめられていて童貞
俯きしままぶらんこの少年よ
少しずつ君が芙蓉になっていく
ラフランス少女は三度羽化をする


 優しい句があります

三月の流木のそばにいてやる

 戦争と平和を語った句では

この空の蒼さはどうだ原爆忌
ビリーホリディに針を落として敗戦日


 ありがとうございました。楽しんで読みました。
 今後もご活躍のほど期待しています

【眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい】11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』  池谷洋美

  眞矢ひろみ氏の句集『箱庭の夜』を鑑賞。Jazzに詳しくはないが、あとがきに記されたジョン・コルトレーンの「至上の愛(A Love Supreme)」を聴きながら鑑賞させていただいた。宝石のような一音一音が重なり合い、時に激しく、熱く、優しく心に降り注がれる。そして、句集の言霊と響き合う。

屈折光掬えば海月かたち成す
 光の速さは1秒間に30万km。ただし、これは真空中を通る場合であり水などの物質であれば光の速さはそれより遅くなる。これが光の屈折の原理だ。直線的で硬質的な屈折光といかようにも姿形を変化させることの出来る水や海月との対比が面白い。掬った水の形が、水中を浮遊するコケティッシュな海月だったという発見か。作者が持つ感性豊かな詩魂がそこにある。

鬱なればさりげなく過ぐ花野道
 中七の「さりげなく過ぐ」により、心の有り様が迫ってくる。秩序づけられた安定した世界の喪失により不安を抱え堅く閉ざされた心は「花野道」を直視はしない。意識的に遠ざけようとする心理が働き「さりげなく」とはするものの、真意は真逆だ。「花野道」に自我を投影してしまうだろう不安感を抱きつつも、それを超えてゆこうとする勇気をそこに見る。「鬱」と「花野道」の取り合わせが中七により絶妙な距離感を保ち、心象風景を創出している。

山襞に鬼らしきもの秋闌ける
 日本最初の百科事典とも言える『和名類聚抄』には「鬼」について、物に隠れて形が顕われることを欲しない「隠(オン)」の音が、後に「オニ」となったと記されているらしい。つまり姿の見えないものを人は「鬼」とし、時に自らが持つ醜悪さや弱さ、人の世の歪みを映し出してきたようだ。秋闌ける山襞の陰影に、人間の心の内なる孤独や弱さと哀しみを見る。故に、陰と陽、山襞は美しい景として広がりをみせるのであろう。

日を集め日に遠くあり石蕗の花
 「石蕗の花」の花言葉は「困難に負けない」。日影でも常に緑色の葉っぱを茂らせている丈夫な性質に由来するからだそうだ。確かに、日影でも緑の葉に黄色い花が映える。この句の面白さは、謎掛けのような上五「日を集め」、中七「日に遠くあり」という調べ。煩くなりがちな二つの動詞は、石蕗の花に焦点を定め見事に着地している。見たままの景を詠むが故に、景は広がりを見せ生き生きとした命が感じられる。

星生まる空蝉の背を割れば
 星の爆発と蝉の羽化するその瞬間の命のエネルギーを感じる。時間的な対比で言えば、あまりにもスケールが違いすぎるが、蝉の幼虫が羽化する瞬間にも宇宙の彼方では数多の星が生まれては死んでいき、蝉も短い命を繋ぎながら命のバトンを渡している。「生」のあとには「死」があるからこそ命は輝く。万物に宿る命を賛美する秀句。まさに、その一瞬一瞬を捉える俳句の醍醐味がここにある。

箱庭に息吹き居れば初雪来

 「箱庭」という制約のある空間は、まさに定型短詩の俳句と同じだ。故に無限の世界がそこに広がる。「息」は作者の日常の大切な一つ一つの思いや言葉であり、今を生きる証とも言えよう。そして、「初雪」という季語からは高揚感が伝わってくる。どうして、眞矢氏が俳句を詠みつづけているのかという問への答えがここにある。

完 2021.01.31筆

【篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい】7 次のステージのための「火」へ 篠崎央子『火の貌』を読む  なつはづき

 初めてその人に会った時、一番印象に残るのが「顔」だ。
 アメリカで活動する心理学者のアルバート・メラビアン氏によると、人の第一印象は見た目が55%、なのだそうである。いや、9割だ、という意見もあり、とにかく人の印象は見た目による。わたしが篠崎央子さんを見た印象は「おだやか」だった。柔和な表情を浮かべた方だなあ、と思った。しかし、届いた句集のタイトルを見て、どきっとしたのだ。一瞬、ご本人とタイトルが重なり合わなかった。もちろん、第一印象だけで本人を決めつけてはいけない。きっとどこかに「火」を隠しているに違いない。そう思いながら、ページを捲り始めた。

 火の貌のにはとりの鳴く淑気かな  央子

 タイトルはこの句から取ったものだ。鶏であったか…。
 「朝という刻を告げる鶏は、火のような形相を持つ。」とあとがきで篠崎さんは言う。でも、どうしてもこのタイトルが「鶏の貌」だけではない、そんな気がしていたのである。同あとがきで「『万葉集』が沢山の恋の歌を残しているように、あの頃の私もまた、果敢に恋の句に挑戦していた」とある。そう、恋こそが人の顔を「火の貌」にするに違いない。

 逃水や恋の悩みを聞くラジオ
 雁渡しノートの隅の三行詩
 ばい独楽の弾けて恋の始まりぬ
 恋の数問はれ銀杏踏みにけり
 葉牡丹の紫締まる逢瀬かな
 貝殻のやうな耳ありひめ始


 これらの句は「恋」という文字が出てきたり、一読して恋の句だろうな、という察しが付く句である。ここに彼女の「恋の貌」がある。笑っていたり、泣きべそだったり。しかし恋とは古来隠すものである。隠すからこそ燃える恋もある。

 虫の夜の舌荒るるまで飴を舐め

 わたしにはどうしても「恋の句」としか思えなかった。だからご本人に「恋の句では?」と書いて送った。返事に「恋の句と解釈して下さったのは、はづきさんが初めてです。」と・・・。他の方はそうは見えなかったようだ。
 いったいどれだけの飴を舐めたのだろう。飴と言う小さなもの。恐らくそれは短い言葉なのかもしれないし、恋している相手のちょっとした仕草なのかもしれない。そういうものをひとつひとつ思い出し、反芻し、溶けてなくなるまでかみしめる。そしてそれが終わるとまた別の「飴」を取り出し、ああでもないこうでもない、と思いながら味わい尽くす。いくら舐めても何かが足りない、どこかが満たされない。少しの幸せを少しずつかみしめているうちに、だんだんと心が麻痺する。荒れてくる。疑いも生じてくる。そんな秋の夜。そう思ったら、「実物の飴」なんて舐めていない気にすらなる。
 
 肩触るる距離落椿踏まぬやう
 ネックレスの不意に重たし夏の鴨
 ハンカチを出すたび何かこぼれゆく

 
 ハンカチを出す、とは単に手を洗った後だとか汗を拭うため、という現実的な所作の事ではない気がする。デートでの食事の時に膝に広げるために出すハンカチ、相手の頬を拭いてあげるために出したハンカチ…各シチュエーションでハンカチを出す度に、何かがこぼれてしまう。自分の思い、秘めた恋心がぽろりと溢れ出すのである。

 あひづちを少し変へたる野菊かな

 素朴で愛らしい笑顔を持つ篠崎さんが、ふっと相手への相槌を変える。思わせぶりな口調なのかもしれない。そっけないのかもしれないし、妙に艶っぽい口調かもしれない。とまれ、相手に「あれ?」と思わせるテクニックを使う。もう純情なだけの少女の口調ではない。

 こうやって恋の句を句集の中から探す作業をしていて、ふと気が付く。ある一定の時期を境に、はたと「いわゆる恋の句」が見当たらなくなる。句順が制作順に並んでいるかどうかは定かではないが、どうやら「夫」が句に登場した頃から少し様相が変わってくる。

 浅利汁星の触れ合ふ音たてて
 風のごと夫に寄り添ひ水芭蕉
 花ミモザ夫ていねいに皿洗ふ


 ミモザの花は明るい花を空いっぱいに咲かせる。それは包容力の表れでもある。夫の事を「お腹を壊す時も歯痛になる時期も一緒。こんなにも馬が合う夫と巡り逢うなんて、私は、前世でかなり良い仕事をしたのだろう。」と述べている。ていねいにお皿を洗うのは夫であり、篠崎さんだ。そこに家族の平和がある。
 すばらしき伴侶を得、身を焦がすような恋心の句はもう作らなくなってしまったのか、否、視点を変えて恋の句は続いていく。

 初雪の裾より濡るる恋の絵馬
 狐啼く春画の唇の燃えてをり
 職業は主婦なり猫の恋はばむ


 当然、この絵馬を書いたのは篠崎さんではない。誰か解らぬ人の絵馬にそっと心を寄せたり、春画の半開きの唇を見て恋の不確かさに眉を顰めたり、貞淑な妻が自由奔放な猫の恋を嗜めたり、形を変えて句の中に恋は残り続ける。恋を傍観するものの貌として。
 傍観者の恋の句が出てきたころから、介護の句が見られるようになる。

 新しき巣箱よ母を引き取る日
 熱帯魚眠らぬ父を歩かせて
 かなかなの風に雨意あり母の鬱
 いくたびも名を問ふ父の夜長かな
 魚の皮残す家族よ秋の虹


 義理の父母の介護である。恐らく自分の家族との違いに戸惑い、苦労もあっただろう。夫をはじめこの血族は魚の皮を残すのである。ああそうか、皮って食べないのだな、皿に残った皮を眺めながら、皮を残さない自分の皿を見る。ささやかな疎外感。秋の虹のようにすぐに消えてしまうのだけれど。
 
 うなづくも撫づるも介護ちちろ鳴く
 父に似るじやがいも抜かりなく洗ふ
 母がため飯食ふ父よ鷹渡る


 それでも愛情を持ち、ご両親に接していたのだろう。そこには力強く献身的に介護をする篠崎さんの貌が見て取れる。家族に対する湧き上がるような気持ちがあっての事である。望郷の念があったであろう両親の為に、丁寧にじゃがいもを洗う。きっと北海道産のじゃがいもであろう。何を作って差し上げたのか。

 篠崎さんの様々な「貌」を句集から見て取って、タイトルになったあの一句をもう一度ここで読み直してみる。「朝という刻を告げる鶏は、火のような形相を持つ。」朝とは時間的な事のみではなく、次のステージの始まり、とも思える。その時その時の新しい局面、それに向かっていくときの貌、それが「火」なのだろう。恋もそう、夫婦の新しき暮しもそう、夫の親の介護もそう、ひとつひとつのステージに全力で取り組むときのその貌こそが「火」なのだ。体の中から湧き上がるその熱き思いが顔に現れる。
 第一句集を上梓し、次のステップへ向かう篠崎さん。一月の終りにこの『火の貌』で俳人協会新人賞を受賞されたというニュースが飛び込んできた。心から御礼を申し上げたい。
この句集を手にした時に感じた「ただならぬパワー」が確信に変わった瞬間でもあった。この受賞をきっかけに恐らく一段とギアを上げて来るに違いない。次はどんな「火の貌」で俳句を作って行かれるのか、楽しみで仕方ない。

 寒牡丹鬼となるまで生き抜かむ  央子

なつはづき
横浜市在住
「青山俳句工場05」「豈」所属 超結社「朱夏句会」代表
第36回現代俳句新人賞 第5回攝津幸彦記念賞準賞
『ぴったりの箱』朔出版(令和2年6月刊行)

2021年2月1日月曜日

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス


1 句集『火の貌』に潜むもの   小滝 肇  》読む
2 縄文のビーナス   中村かりん  》読む
3 恋と血と   吉田林檎  》読む
4 恋は続く   足立枝里  》読む
5 篠崎央子句集『火の貌』を読む その場所/視座   田島健一  》読む
6 あるいは「時間の花」について   鈴木大輔  》読む
7 次のステージのための「火」へ 篠崎央子『火の貌』を読む   なつはづき  》読む
8 自選十句から   涼野海音  》読む
9 力と色   黒岩徳将  》読む
10 妖怪側の理屈   小林鮎美  》読む
11 「湯島句会」から『火の貌』へ ~~篠崎央子さんの句に触れて   片山一行  》読む
12 さりげなくラブレター  句集『火の貌』賛   新海あぐり  》読む
13 『火の貌』小評   北杜 青  》読む
14 内側の視線と外側の視線   浅川芳直  》読む
15 恋と出会い   野島正則  》読む
16 他者理解の糸口   高野麻衣子  》読む
17 央子と魚   寺澤 始  》読む


Fragments de poteries de la culture Jômon (exposition Fukami, Paris)