2021年2月12日金曜日

【眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい】11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』  池谷洋美

  眞矢ひろみ氏の句集『箱庭の夜』を鑑賞。Jazzに詳しくはないが、あとがきに記されたジョン・コルトレーンの「至上の愛(A Love Supreme)」を聴きながら鑑賞させていただいた。宝石のような一音一音が重なり合い、時に激しく、熱く、優しく心に降り注がれる。そして、句集の言霊と響き合う。

屈折光掬えば海月かたち成す
 光の速さは1秒間に30万km。ただし、これは真空中を通る場合であり水などの物質であれば光の速さはそれより遅くなる。これが光の屈折の原理だ。直線的で硬質的な屈折光といかようにも姿形を変化させることの出来る水や海月との対比が面白い。掬った水の形が、水中を浮遊するコケティッシュな海月だったという発見か。作者が持つ感性豊かな詩魂がそこにある。

鬱なればさりげなく過ぐ花野道
 中七の「さりげなく過ぐ」により、心の有り様が迫ってくる。秩序づけられた安定した世界の喪失により不安を抱え堅く閉ざされた心は「花野道」を直視はしない。意識的に遠ざけようとする心理が働き「さりげなく」とはするものの、真意は真逆だ。「花野道」に自我を投影してしまうだろう不安感を抱きつつも、それを超えてゆこうとする勇気をそこに見る。「鬱」と「花野道」の取り合わせが中七により絶妙な距離感を保ち、心象風景を創出している。

山襞に鬼らしきもの秋闌ける
 日本最初の百科事典とも言える『和名類聚抄』には「鬼」について、物に隠れて形が顕われることを欲しない「隠(オン)」の音が、後に「オニ」となったと記されているらしい。つまり姿の見えないものを人は「鬼」とし、時に自らが持つ醜悪さや弱さ、人の世の歪みを映し出してきたようだ。秋闌ける山襞の陰影に、人間の心の内なる孤独や弱さと哀しみを見る。故に、陰と陽、山襞は美しい景として広がりをみせるのであろう。

日を集め日に遠くあり石蕗の花
 「石蕗の花」の花言葉は「困難に負けない」。日影でも常に緑色の葉っぱを茂らせている丈夫な性質に由来するからだそうだ。確かに、日影でも緑の葉に黄色い花が映える。この句の面白さは、謎掛けのような上五「日を集め」、中七「日に遠くあり」という調べ。煩くなりがちな二つの動詞は、石蕗の花に焦点を定め見事に着地している。見たままの景を詠むが故に、景は広がりを見せ生き生きとした命が感じられる。

星生まる空蝉の背を割れば
 星の爆発と蝉の羽化するその瞬間の命のエネルギーを感じる。時間的な対比で言えば、あまりにもスケールが違いすぎるが、蝉の幼虫が羽化する瞬間にも宇宙の彼方では数多の星が生まれては死んでいき、蝉も短い命を繋ぎながら命のバトンを渡している。「生」のあとには「死」があるからこそ命は輝く。万物に宿る命を賛美する秀句。まさに、その一瞬一瞬を捉える俳句の醍醐味がここにある。

箱庭に息吹き居れば初雪来

 「箱庭」という制約のある空間は、まさに定型短詩の俳句と同じだ。故に無限の世界がそこに広がる。「息」は作者の日常の大切な一つ一つの思いや言葉であり、今を生きる証とも言えよう。そして、「初雪」という季語からは高揚感が伝わってくる。どうして、眞矢氏が俳句を詠みつづけているのかという問への答えがここにある。

完 2021.01.31筆

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