2021年4月23日金曜日

第159号

          ※次回更新 5/14


豈63号 発売!購入は邑書林まで

俳句新空間第13号 発売中*

【転載】俳句時評特別寄稿 追悼北川美美 「詩客」10年と北川美美の死


【新企画・俳句評論講座】

・はじめに(趣意)
・連絡事項(当面の予定)
・質問と回答
・テクスト/批評 》目次を読む

【新連載・俳句の新展開】

句誌句会新時代(その一)・ネットプリント折本 千寿関屋 》読む
句誌句会新時代(その二)・夏雲システムの破壊力 千寿関屋 》読む
ネット句会の検討 》読む
俳句新空間・皐月句会開始 》読む
皐月句会デモ句会結果(2010/04) 》読む
皐月句会メンバーについて 》読む
》第1回(2020/05) 》第2回(2020/06)
》第3回(2020/07) 》第4回(2020/08)
》第5回(2020/09) 》第6回(2020/10)
》第7回(2020/11) 》第8回(2020/12)
第11回皐月句会(3月)[速報] 》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和三年春興帖
第一(4/23)のどか・大井恒行・夏木久

令和二年冬興帖
第一(1/22)ふけとしこ・網野月を・関悦史・花尻万博
第二(1/29)坂間恒子・曾根 毅・仙田洋子・仲寒蟬
第三(2/5)杉山久子・山本敏倖・竹岡一郎・辻村麻乃・神谷 波
第四(2/12)渡邉美保・渕上信子・木村オサム・夏木久・小沢麻結
第五(2/19)青木百舌鳥・松下カロ・井口時男・堀本 吟・望月士郎
第六(2/26)なつはづき・前北かおる・田中葉月・林雅樹
第七(3/12)岸本尚毅・浅沼 璞・眞矢ひろみ・加藤知子・水岩瞳・下坂速穂
第八(3/19)岬光世・依光正樹・依光陽子・花尻万博・大井恒行・中村猛虎
第九(3/26)小野裕三・飯田冬眞・妹尾健太郎・浜脇不如帰・五島高資
第十(4/2)早瀬恵子・家登みろく・佐藤りえ・筑紫磐井

令和三年歳旦帖

第一(1/22)曾根 毅・仙田洋子・椿屋実梛
第二(1/29)杉山久子・山本敏倖・竹岡一郎・小林かんな
第三(2/5)辻村麻乃・神谷 波・関悦史
第四(2/12)渡邉美保・渕上信子・木村オサム
第五(2/19)夏木久・小沢麻結・ふけとしこ
第六(2/26)松下カロ・堀本 吟・望月士郎
第七(3/5)なつはづき・仲寒蟬・前北かおる
第八(3/12)田中葉月・林雅樹・岸本尚毅
第九(3/19)浅沼 璞・眞矢ひろみ・水岩瞳
第十(3/26)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子
第十一(4/9)中村猛虎・小野裕三・飯田冬眞

■連載

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (9) ふけとしこ 》読む

英国Haiku便り[in Japan]【改題】(20) 小野裕三 》読む

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい
インデックスページ 》読む
12 さりげなくラブレター  句集『火の貌』賛/新海あぐり 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい
インデックスページ 》読む
14 生と死と/林 誠司 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい
インデックスページ 》読む
16 「ぴったりの箱」に詰まっているもの/瀬間陽子 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい
インデックスページ 》読む
11 『眠たい羊』の笑い/小西昭夫 》読む

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい
インデックスページ 》読む
16 他者の光景~やさしさと共感力に支えられて/菅野れい 》読む

【抜粋】〈俳句四季4月号〉俳壇観測219
沖とそこに集った人々の五十年――能村研三と渡辺鮎太
筑紫磐井 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
2 鑑賞 句集『たかざれき』/藤田踏青 》読む

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい
インデックスページ 》読む
11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む

句集歌集逍遙 なかはられいこ『脱衣場のアリス』/佐藤りえ 》読む

葉月第一句集『子音』を読みたい 
インデックスページ 》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中! 》読む


■Recent entries

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編 》読む

【100号記念】特集『俳句帖五句選』

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
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佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
インデックスページ 》読む

眠兎第1句集『御意』を読みたい
インデックスページ 》読む

麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ 》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
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麻乃第二句集『るん』を読みたい
インデックスページ 》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事 》見てみる

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
4月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子








「兜太 TOTA」第4号 発売中!


筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

ほたる通信 Ⅲ (9)  ふけとしこ

    犬にもたれて

畦焼の煙が攻めてゐる一樹

みづら髪野火の塵から逃れきし

思ひ出し笑ひに開きふきのたう

野蒜引く列車の音を遠ざけて

犬にもたれて卒業の日の写真

     ・・・

  白骨死体発見!

 いや、びっくりした。しかし、綺麗な骨だ。骨格標本にできるな、これは。

 物騒な話を始めたが、実はヤモリの骨。ほんの5センチ程の小さな物。屋上に重ねていた植木鉢を動かしたらその間から出てきたのだった。するすると這い込んでそのまま出られなくなったのだろう。即死ではないはずだ。じわじわと弱って死んでゆくのはどんな気持だろう。人間なら絶望的になりながら、助けを求めて声を上げたり、足掻いたりするだろうが……。

 南の離島に泊まったことがあった。リゾートホテルだったが「ヤモリが出ますから驚かないで下さいね」とフロントで言われた。「多いの?」と訊いたら「まあそれなりに」という返事。あんまり嬉しいことではないが仕方がない。夜になるとお約束通りに彼らは出てきた。天井にも壁にもあの影がスルスルモゾモゾ……。洗面所に立っていたら、ビトッと頭へも落ちてきた。宿泊案内には書かれていない特別サービスである。

 ベッドの上には落ちてこないでよ~と思いながら眠った。思いが通じたのかどうか、夜具へ落ちてくることはなかったが。

 入日も星も鳥も美しい島だった。ヤモリのおまけも今は懐かしい。

(2021・4)


【篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい】12 さりげなくラブレター  句集『火の貌』賛  新海あぐり

  この度の俳人協会新人賞おめでとう。受賞を信じていましたが、もしあなたが受賞できないようでしたら、私は俳句からしばらく遠ざかろうと思っていました。思っていた通りの大反響で、たぶんあなた自身、取り上げられたメディア、総合誌、新聞、ブログ、結社誌の把握をしきれていないものと思います。

 鍵和田秞子先生がいないのがなんとも残念ですね。パンデミックでお祝いの会も開けないなんて……。「未来図」では秞子先生から数えて、4人目の大賞になりますね。あなたと会うと「酒を飲むために句会がある」という言葉が蘇ります。ずいぶんと飲んだものです。あなたの世代はロストジェネレーション世代で、バブル世代と大違いで、酷く割を食いましたね。職を求めての苦労が、口に出さないだけに、いつも気になっていました。

 2002(平成14)年に、俳句の先生だった二川仁徳さん(現・「むさし野」主宰)に連れられて少し恥ずかしそうに現れたのを覚えています。まだ27歳? の乙女の風情? 20代でこの詩形にはまってゆくなんて何ということでしょう。

 2004年5月には親しくなったあなたを連れて、石地まゆみさん、小松健一さんと私は、箱根の森岡けいじさんの別荘に招かれ句会を催しましたね。何より驚いたのは私の句集『悲しみの庭』をわざわざ買い求めたと聞いたのは、その夜のことでした。句会が果て、森岡さんが眠り、3時ぐらいに寝始めた小松さんと私は「コラッ。まだ眠るな!」と叩き起こされ、温泉でアルコールを抜きつつ、夜通し酒を飲みましたね。翌朝は筍を掘り、少し寒かった大涌谷などを吟行し、帰りついた新宿で行きつけのボルガに入り、袋回しやりました。

 その翌年でしたか? まだ30歳? で2005年、朝日俳句新人賞奨励賞受賞。私も会場に駆けつけました。壇上のあなたは初々しく、まだ村の子の面影を引き摺っているようでもありました。

狐火の目撃者みな老いにけり

があり、鍵和田先生が「選者の茨木和生さんがこういう句を好きな句なんだわ」といったのが忘れられません。まだ産土の匂いを強く背負っている時間だったのでしょう。

野焼き終へ仁王の如き父の顔

と句集の冒頭にあり

血族の村しづかなり花胡瓜

開墾の民の血を引く鶏頭花

と続く強烈な句群がこの句集の核にあるようです。このぬぐいがたい村落の血はその後も核となり続け、いくつもの名句が現われます。

 都会で学生生活を送りながら、郷里と都会とのギャップにさぞや驚いたことでしょう。若い時に『万葉集』の研究に没頭し、短詩に出会えたがゆえに世界一の大都会を見る目も鋭くなっていたと、推察します。

 朝日俳句新人賞奨励賞受賞の翌、2006年には未来図新人賞。入会からわずか5年目で、その実力を認められ、同人になりましたね。「未来図」の文字通り若手のホープでした。あなたの句に感動したカメラマンの畏友・橋本照嵩さんが突然、あなたを「撮りたい」と、言ってきて、立ち合いに付き合ったのも忘れがたい思い出です。誓子、楸邨、真砂女、兜太など『現代の俳人50人』を撮っている人ですよ。

月赤し都会は捨つるもの多き

パンの黴剥ぎ一行の詩を練りぬ

スカーフのなじまぬ育ち鳳仙花

東京は玻璃の揺りかご花辛夷

なんですね。そんななかでもいくつかの恋に走っていたんですね。

恋の数問はれ銀杏踏みにけり

葉牡丹の紫締まる逢瀬かな

ロスジェネ世代だから詠えた句も痛切に迫ってきます。

枯芝に身を擦る猫や失業す

麦笛に犬の振り向く職探し

着ぶくれて遊女になつてみたき夜

 「枯芝」はまるで捉えようのない会社社会の冷たさを象徴しているようです。「職探し」は自分を否定されるようないくつもの辛い思いを強いられたでしょう。この無念があるいは俳句へ、故郷へ、恋へ向かわせた一因かもしれないと、ふと思います。句会の後の飲みっぷりは豪快でした。酔うとすぐ寝てしまうのですが、しばらくすると回復。再び飲み始める。なかなか見ものでした。そのあとのカラオケでも、俳句同様、驚くべき上達を見せました。ソファの上に立って踊りながら、音痴でも思いっきり歌うのが大事なのでしょう。どんどん上達し周囲を唖然とさせるほど日進月歩? でしたよ。

血の足らぬ日なり椿を見に行かむ

 句会でこれが回ってきたときにはびっくりしました。その後も何度、驚かされ、感動し、“俳句の才能”というものを思い知らされるはめになったことか。都会生活の中で独特の眼差しを持って、見るべきものを新しい視点で詠んでくれました。

栗虫を太らせ借家暮らしかな

 私が2011年『深沢七郎外伝』を出版し、翌年に出版パーティを開いたとき豪勢な花束をあなたから受け取りました。その時衆目の面前で、私の首に抱きついてきました。お酒の勢いもあったのか、びっくりポン。首が折れるかと思いました。

 この頃、冬真さんと恋に陥り始めていましたね。親しい句友と少しハラハラしながら見守りました。ほどなく二人は同棲、結婚に至りました。句会はいつも一緒。仲睦まじく、楽しそうでした。時に起こしたヒステリーも忘れがたいのですが。冬真さんがベテランの俳人でしたから、あなたの句に一層の磨きがかかったのでしょう。ほどなく夫の両親を引き取り、その介護を抱えるというキツイ生活でも「極楽の文学」をいかんなく発揮。

風のごと夫に寄り添ひ水芭蕉

東京の人は土買ふ蜥蜴飼ふ

太股も胡瓜も太る介護かな

 2015年夫君は『時効』という、話題沸騰した第一句集を上梓。その代表句に

〈時効なき父の昭和よ凍てし鶴〉 

があります。お二人はすっかり意気投合、あなたは自身の句集のあとがきで「こんなにも馬が合う夫と巡り逢うなんて、私は、前世でかなり良い仕事をしたのだろう」と、平然と記しましたね。前代未聞の一文です。

職業は主婦なり猫の恋はばむ

春愁の塊として牛眠る

黒葡萄ぶつかりながら生きてをり

瘦身の夫蟷螂に狙はるる

倭の国は葦の小舟や台風圏

脱藩をしさうな松を菰巻に

 「春愁の」「黒葡萄」の句には切ない美しさが。「痩身の夫」をユーモラスに、「倭の国は」は縄文の時代からのこの国のありようを捉えている鋭さがあります。「脱藩」の句は句会で出会い思わず竜馬を思い、ニヤリとしました。どの句にも言えるのは季語の的確な使い方と視点のユニークさだと感心させられます。

 今二人は「未来図」を引き継ぐ形で誕生した俳誌「磁石」の中心になって働いてますね。冬真さんが編集長になり、あなたは会計という重荷を負って頑張っていますね。いつも二人吟行を楽しんでいるようでうらやましい限りです。鍵和田先生の「こんなところで満足していちゃだめよ」の遺言を胸に、今後の俳句界を大いに賑わせて楽しませてくれることを切望してやみません。

 いつも平然として、酒席に付き合ってくれてありがとう。改めて感謝する次第です。新型コロナのパンデミック後の第二句集を楽しみにしています。酒席を用意しておきますね。お元気で。


新海あぐりプロフィール

1952年、長野県佐久生まれ。光文社で「カッパ・ブックス」「月刊宝石」の編集に携わる。1987年より作句開始。藤田湘子の後、鍵和田秞子に師事。俳人協会会員、日本ペンクラブ会員。本名均。著書に『深沢七郎外伝』『司馬遼太郎と詩歌句を歩く』(ともに潮出版社)、『カッパ・ブックスの時代』『満州集団自決』『いのちの旅人』(ともに河出書房新社)『季語うんちく事典』(角川文庫)、句集に『悲しみの庭』(朝日新聞社)がある。

英国Haiku便り[in Japan]【改題】 (20) 小野裕三


第二芸術論からコロナ禍の今へ

 僕がいた英国の芸術大学で、何度かイギリス人たちに聞いたことがある。

「俳句は現代アートになりうるでしょうか?」

 答えはいつも決まって簡単だ。

「もちろん、なるわよ。どうしてならないって思うの?」

 異国の地で俳句が「芸術」として認められたようで少し嬉しかったし、あの「第二芸術論」を超えられた気さえした。

 とは言え実はその背景は、そもそも「芸術」の観念が二十世紀に大きく変わった、という側面も大きい。コンセプチュアルアートなどの登場は、美術史の流れを不可逆に変えた。今や、浜辺のゴミを拾ってきてアート作品とするみたいな手法は珍しくもない。ここ百年で「芸術」は大きく転換した。

 そして今、我々はコロナ禍に向き合う。それはアートにどんな影響を与えつつあるのか。答えは簡単ではない。例えば、自己隔離という異常な環境も、もともと芸術作品制作は孤独な作業が多いので違和感はなかったと告白する人も多い。多くの美術館が閉鎖される中で、インターネットとアートとの関係も注目されたが、そのテーマならばコロナ以前から既に大きな課題だった。一方で、ロックダウンなどの社会の風景をアート作品として写し取ろうという動きもあるのは注目される。

 だが、コロナ禍でもっとも浮き彫りになったことは皮肉にも、「その社会が芸術をどう扱うか」かも知れない。ロンドンで僕が出会ってきた日本人アーティストの多くが、できれば欧州で活動を続けたいと希望を語った。理由は、「アートで食べていける」可能性が広がるからだ。欧州ではアーティストへの公的な経済的支援も手厚い。ロックダウン直後にも、ネットで手続きしたらすぐにまとまった額が政府から振り込まれた、といった話を欧州在住の日本人アーティストからも耳にした。欧州には社会全体でアートを尊重する気風があると感じる。英国では、世界的な名画が犇く美術館の展示室で、幼い子供たちが行儀良く座り込んで先生の解説を聞く光景に頻繁に出くわした。そんな美術教育も含めた社会風土の大きな違いがある、と日本人アーティストたちは指摘する。

 私見なのだが、イギリス人たちが芸術に価値を認めるのは、決して美的な側面だけではないと思う。そもそもアートとは何か。英国のアーティストと話す中で、彼らが最大公約数的に抱くある思いがあるように感じた。

 何かを変える力を持っているのが、アートだ。

 アートは個人の中の何かを変え、ひいては社会の何かを変える。決して静的な鑑賞の対象だけではない——彼らは共通に心のどこかでそう信じているように感じた。そしてそんな彼らの思いは、「第二芸術論」が孕んでいた根本的な問いかけにもあらためて繋がっていく。

(『海原』2020年11月号より転載)

【中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい】14 生と死と  林 誠司

 いつだったか猛虎氏より久しぶりに連絡があり、(たしか同人誌「豈」だったと思うが…)「自分の作品が載っているので見て欲しい」と言われた。早速読んでみると、癌と闘う奥様の深刻な病状を詠んだ句が並んでいてびっくりした。

  余命だとおととい来やがれ新走

 長年の友でありながら、全くそのことを知らなかった自分を恥じ、彼の悲しみを考え、私も胸が痛んだ。しかし、一方で、妻の余命宣告に「おととい来やがれ」と啖呵を切った俳人もおそらくいまい、と驚いた。この自由で、率直で、柔軟な表現はやはり彼の魅力だ。

  卵巣のありし辺りの曼殊沙華

  脊椎の中の空洞獺祭忌

  秋の虹なんと真白き診断書

  モルヒネの注入ボタン水の秋

 これらの句からも壮絶な闘病の様子が想像出来る。彼の願いも叶わず、二〇一七年一〇月九日の朝、奥様は天に召された。

 遺骨より白き骨壺冬の星

 葬りし人の布団を今日も敷く

 鏡台にウィッグ残る暮の秋

 猛虎氏は二〇〇五年に句会「亜流里」を創設、そのリーダーとして、地元の句会仲間とともに研鑽し、地元姫路の俳句の発展に貢献してきた。勝手な想像だが、今回、その彼が句集刊行を決めたのはやはり奥様の死が大きなきっかけとなったのではないか。猛虎氏の第一句集『紅の挽歌』は大きな評判を呼び、地元では読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、神戸新聞とメジャーな新聞全てに写真付き、インタビュー付きで大きく掲載された。これは快挙と言っていい。彼の作品の優秀さももちろんあるが〝早逝の妻への挽歌〟というのがマスコミに受けたのだろう。

 以前、ある表彰式を取材した時、歌人の永田和宏氏がスピーチし「われわれはなぜ挽歌を詠むのか」と自身に、参加者に問うように言ったことを鮮烈に覚えている。彼の意識には、先年亡くなられた歌人であり、夫人の河野裕子さんが念頭にある。俳人・森澄雄も亡くなった奥様へ「百句」を供養として作ることを自らに課していた。俳句では「追悼句」ということになるが、「追悼句」もまた「挽歌」だ。永田氏が「われわれ」と言ったのは、彼の勝手な思い込みではない。『万葉集』以来、相聞歌と挽歌は詩歌の二つの大きな柱である。「われわれはなぜ挽歌を詠むのか」。この問いに対して、彼が今後、作品でどんな答えを見せるのか。

 今回の『紅の挽歌』鑑賞だが、私はこの句集の跋文を執筆し、彼の作品の全体の魅力や才能についてはすでに書いている。よって、ここでは微細なことに触れてみる。一句、気になる句があるのだ。

  この空の蒼さはどうだ原爆忌

 この句は新聞や結社誌でも多く取り上げられた、彼の代表句の一つ。この句をどう鑑賞すべきだろう、という意識が私の中になんとなくある。『紅の挽歌』には、

  原爆忌絵の具混ぜれば黒になる

  ステージに空き椅子ひとつ原爆忌

もあり、「原爆忌」は彼にとって詠まずにはいられないものがあるらしい。「どうだ」という口語的表現が率直に鑑賞者の胸に迫って来る。口語表現の持つ〝率直さ〟がこの句を輝かせているのだ。で…、この句は原爆で亡くなった人を悼んでいる句だろうか、原爆、ひいては戦争の悲惨さ、愚かさを訴えている句だろうか、そして反戦の句だろうか。そういう部分がないわけではないが、私には、彼の言いたいことはそこではないような感じがする。私なりに鑑賞すれば、この句のテーマは「隣り合わせの生と死」なのだ。何万もの人間の命が一瞬で消えてしまうという事実の不可解さ…、不可解という表現が適切かはわからないが、この句は何万もの命が一瞬で青空の中へ消えてしまったかのような不可思議さがある。奥様への哀切な挽歌の影に隠れてしまいがちだが、『紅の挽歌』には「生」と「死」が隣り合っている、個人や身近な人のことだけではなく、一般的な「生」と「死」を意識した作品が実に多いのだ。

  順々に草起きて蛇運びゆく

にも「生」「死」が隣り合っている。「草」も「蛇」も「生」そのものだが、その草と蛇が描き出す風景はまるで葬送風景だ。前に挙げた〈葬りし人の布団を今日も敷く〉も生と死が綯い交ぜになっている。

 今は俳句に限らず、全てが健康志向の時代で、死を本気で見つめている人は病人だけである。その病人も見つめているのはおのれの死であり、死とは何か、という問題に迫るものではない。俳句も今は生きる活力を詠った、瑞々しいものが好まれる。しかし「エロスとタナトス」を持ち出すまでもなく、「生」と「死」は一体であり、生きる活力とは、「死」を排除したものではなく、「死」を意識した上でのものであってこそ本当と言える。

 死にたての君に手向けの西瓜切る

 僕たちは三月十一日の水である

 「西瓜」が生であり、「水」が生である。現代俳句に今、こういう意識はほとんどない。これは深見けん二さんから聞いた話だが、季題とは極端に言えば生から死への移り変わりであり、例えば、季題「枯菊」を詠む場合、秋に華々しく咲き誇っていた「菊」の残像がなければならない、と聞いた。このように「生」「死」との関係性を見つめることは伝統俳句とか新興俳句とか前衛俳句とかではなく、全てを超越する問題だ。

 そういう意味では彼は本物の詩人であり、今後を期待出来る貴重な俳人と言える。神戸新聞で山田六甲氏は彼を「森澄雄、赤尾兜子以来の姫路の本格俳人」と評していた。彼の作品の魅力は技量ではなく、句の奥底に潜む詩の意識にある、と言える。そこを発展させ、現代俳句の一端を担ってほしい。

【ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい】11 『眠たい羊』の笑い  小西昭夫

 ふけとしこさんの『眠たい羊』はさまざまな読み方ができる楽しい句集だが、今回ぼくが注目したのはふけさんの滑稽句、ユーモアにあふれた句の多さである。『眠たい羊』は笑いの宝庫なのだ。

指先で穴開けてゆく春の土

 指先で春の土に穴を開けて何をするのだろう。普通に考えれば、花の種や作物の種を蒔くのだろう。しかし、穴を開けるだけで何もしないことだってありうる。純粋に穴を開けることを楽しんでいるのだ。しかし、そんな人はいないかと思うと急に可笑しくなる。

六月を風のきれいな須磨にゐる

 明治二十八年、日清戦争に従軍して帰路喀血した子規は、神戸病院に入院後須磨で療養した。ふけさんのこの句は「須磨」という前書きのある子規の「六月を奇麗な風の吹くことよ」を踏まえた句である。子規の回復を促した須磨と六月のきれいな風へのふけさんからのオマージュであるが、子規とふけさんが同化しているところが可笑しい。

播磨国一宮より蟻の列

黒光りとはこの蟻の尻のこと

 蟻の列は一宮からどこまで続くのだろう。例えば前句の須磨であってもいいだろうが、一宮よりとあるのだから、かなり長い列である。つまりはあり得ない話なのだがそれが面白い。

 黒光りが蟻の尻だという断定もいいな。尻という言葉に少しエロティックに反応する自分にも笑ってしまう。

箱庭の二人心中でもしさう

 この句も可笑しい。箱庭に置かれた二つの人形。男と女なのだろう。その人形にどこか幸薄い印象を持ったのだろうか。その人形が「心中しそう」と言われても、ではご勝手にと笑うしかない。

山近く暮らし秋刀魚を焦がしけり

 ただ、秋刀魚を焦がしたというだけの俳句だが、その人が山近く暮らす人だというだけで笑いが生まれる。事実に基づくのかもしれないが秋刀魚がいい効果を出している。これがふけさんの笑いのセンスだ。

蛤になる気の失せて浜雀

 この句は可笑しくしすぎたかもしれない。「雀蛤となる」という荒唐無稽な季語を逆手にとって季語で遊んだ句であるが、浜雀はもう蛤になる気はないのだ。雀は雀なのだ。そこにふけさんのリアリズムをみることもできる。

白鳥が進む私も歩き出す

 白鳥と私を対比させた対句表現であり、私も前へ進もうというのだ。こんな真面目な句が何でこんなに可笑しいんだろう。私は白鳥だと言っているように感じるからだろうか。そうなのだ、ふけさんは白鳥なのだ。

義士の日の混み合うてゐる足湯かな

 赤穂浪士の討ち入りの日は十二月十四日。そんな討ち入りの日も足湯は込み合っているのだ。もちろん、足湯の人たちに誰かの仇討ちをしようなどという思いはない。それをさりげなく表現して笑いを誘うのである。


この他『眠たい羊』はユーモアのある句に溢れている。それが意図的に感じらっれるものには触れなかったが、『眠たい羊』は笑いの宝庫である。

【なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい】16 「ぴったりの箱」に詰まっているもの  瀬間陽子

  俳句と作者との「距離」が近い。見たもの、在るもの、だけでなく、自分の身体で感じたものを貪欲に表現しているから。生々しくてスリリングでどきどきする。だけど湿っぽくはない。俳句形式に忠実であるところと、作者自身の個性、さらに言えば力量に依るのだろう。

 なつはづきさんの個性の一つとして、片仮名の使用が効果的という点がある。片仮名特有の響きがリズムを作り出し、音にも文字にも余裕をもたらす。そこで生まれる「渇き」によって、俳句のなかの作者自身の気持ちが薄まり、読者は過剰な胸やけを起こさずに済む。


ティンパニーどんどん熊ん蜂が来る

チンアナゴみな西を向く神無月

イリオモテヤマネコ梅雨の月匂う

カナリアや踏絵に美しき光沢

キーンと夜ツキノワグマが振り返る


 次に、身体の感覚。痛覚、聴覚、触覚等々、総動員して詠む。肉体の全てを使って詠む。肌、歯、肺、読者は急にその存在を意識させられ、同時に作者の身に起こったであろう出来事を追体験する羽目になる。十七音を読むだけで、こんなにも不穏な(とあえて言いたい)胸の高鳴りを感じさせてもらえるとは。


夏あざみ二度確かめるこの痛み

右手から獣の匂い夏の闇

花疲れ鳴りっぱなしのファの鍵盤

はつなつや肺は小さな森であり

片恋や冬の金魚に指吸わせ

合鍵を捨てるレタスの嚙み心地


 なつはづきさんとは、よく句会をご一緒する。特に気になるはづき俳句、それは何と言っても恋の句だ。俳句をするなら、とにかく恋を詠まないと。なつはづきさんも、きっとそう思っているに違いない(ご本人に確かめたわけではないけれど)。ただし、恋は単なる記号である。音程や、水着や、ミモザや、キリンとくっついて。記号として詠まれる恋は、本来の切実さとは一旦切り離され、逆に作者と読者をぐんと近づけてくれる。その結果、なつはづきさんは自分の思いを読者に無事届けているというわけだ。


音程のぐらぐらの恋夏帽子

さっきまで恋をしていた水着脱ぐ

ミモザ揺れ結末思い出せぬ恋

梅雨曇りキリンのような恋人と


 とは言うものの、思いを届けるためには、丁寧で、真摯でなければならない。なつはづきさんは、詠んで、詠んで、詠みながら、いつもとても丁寧だ。そんなふうに詠まれた言葉が、この句集「ぴったりの箱」にはぎゅうぎゅうに詰まっている。よけいな飾りもひけらかしも一切ない。でも、みっちり思いの詰まった箱。温かくて豊潤な、重みや感触や匂いが、心のなかに、てのひらに、いつまでも残る。


いぬふぐり聖書のような雲ひとつ

やわらかい言葉から病む濃紫陽花

梅真白母をフルネームで呼ぶ日

少女にも母にもなれずただの夏至

水たまりは後ろ姿であり葉月

思い出に光が足りぬ石蕗の花

ふきのとう同じところにつく寝癖

前髪と前髪触れて木の実降る

綿棒で闇をくすぐる春隣


【中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい】16 他者の光景~やさしさと共感力に支えられて  菅野れい

  まだまだ俳句初心者の域を出ない私が、『くれなゐ』という魅力的ではあるが初心者にとっては厳しく険しい山に、恐る恐る登ってみた。やはり道は険しかった。私などには到底語ることのできないような句の数々が聳え立っていた。それらについては、諸先生、諸先輩方の論を読ませていただきつつ、これからさらに勉強していきたいと思っている。

 ただ、読み進めていく中で、登山中、前から来た人に「こんにちは」と声を掛けられた時のような、ふっと心和む瞬間があった。それは、次に挙げるような〝他者の光景〟を詠んだ句に出会った時のことである。ここでは、それらの句について述べてみたい。

毛糸帽被りて才気消されけり

 ふだんは才気走って凛とした強気の人。それがある時、毛糸帽を被って現れた姿を見ると、なぜか少し老け込んで弱々しく見えた。おや、この人にもこんな面があったのか…と、小さな驚きとともに何とも言えない愛おしさまで感じてしまう。

蜜豆の豆を残して舞妓はん

 茶店か何かで偶然隣り合わせた舞妓さん。ふと見ると、蜜豆の豆だけきれいに食べ残されている。「あらあら、好き嫌いをして…。綺麗に着飾っていても、やっぱりまだ半人前の子どもなのねえ。」と、くすりと笑ってしまう。

はこべらや一人遊びの独り言

 相手がいないので、独り言を呟きながら一人遊びをしている子。遊びに夢中になっているからこそ出る独り言なのだろうが、なぜともなく切ない。誰に顧みられることもなく風に吹かれているぺんぺん草だけが話し相手なのだろうか?

吊革に立寝の人や遠花火

 帰宅時間帯の電車の中。ふと見ると、前に立っている人が吊革にぶら下がってウトウトしている。シャツの襟元は崩れ、上着には皺が寄っている。きっと昼間の勤めで疲れ切っているのだろう。どこかで賑やかに行われている花火大会などとは縁遠い、勤め人の悲哀…。

泡消えしビールの前のふたりかな

 ついだビールに手もつけないまま、泡が消えてしまうほどの時間が流れたのだろう、それも多分、重苦しい沈黙の時が…。この二人はどんな間柄なのだろう?二人の間に何があったのかしら?ついつい気にかかって、そっと見つめてしまう。

手話の子の手も笑ひをり花木槿

 誰と話しているのだろう。自分の耳が不自由なのか、それとも相手だろうか。いずれにしても、普通の会話よりもどかしく不便そうに思える手話。でも、この子は楽しそうにそれを操っている。手の、指の動きが、本人の笑顔同様、きらきら笑っているようだ。傍で咲き乱れている木槿の花も、まるで一緒に笑っているよう…。時としてマイナスイメージを纏ってしまうこともある〝手話〟を、こんな素敵なものにしているこの子に拍手。

ぶら下げて女遍路の荷沢山

 ふつうは、背に一つ腰に一つの荷姿で、手には杖一本だけのお遍路さん。ところがこの女遍路さんは、さらに手にもう一つ二つ荷物をぶら下げている。荷沢山は女の性(さが)。どこに行くにも、ついついあれこれと荷物が増えてしまう。遍路旅でさえ…。

彫物の皺む太腿踊りけり

 祭りで踊っている老人。尻端折りの裾から覗いている皺んだ太腿には、彫物の痕が見える。昔は威勢を誇っていたであろうそれも、今では皺の中で見る影もなく色褪せている。けっして平穏ではなかった来し方が偲ばれる、それでも踊り続ける老人に、「頑張ってきたんですね、お疲れ様でした」と声を掛けたくなる。

握る手を握り返さぬ受験の子

 試験会場に送り出す子の手を握りながら、「頑張ってね」とエールを送る。ところが、力強く握り返してくるはずの手は、力なく握られたまま…。余程緊張しているのか、不安のあまり心ここにあらずなのだろうか?心配が募る。何も言わず会場に向かう後ろ姿に、もう一度「頑張って」と呟く。

普段着の父母若し七五三

 七五三の光景。子どもは綺麗な晴れ着で着飾っているのに、付き添う両親は普段着。まだ年若く収入も少ない夫婦は、子の晴れ着を整えるのがやっとで、自分たちの装いにまで手が回らない。でもこの夫婦はそんなことはお構いなし、子どもの晴れ姿に満足しながら写メでも撮っているのだろう。若く健気な親心に乾杯。


 いずれの句も、それぞれの景を淡々と描写し、特に自分の思いを語っているわけではない。にもかかわらず、それぞれの句からは、作者の「どうしたのかしら…」と心配げに見つめる顔、「素敵ね!」と賛嘆する顔、「あらまあ…」と微苦笑する顔等々が浮かび上がってくる。そして読み手も、その場の景やそれによって呼び起こされる様々な思いを共有し追体験することができるのである。

 もちろんそうさせているのは、季語をはじめとする語句の巧みな選び方、それらの配置の妙、描写に当たっての思い切った省略、その他私などには思いも及ばぬほど多くの作句上のテクニックの力に相違ない。しかし、それ以上にこれらの句を成り立たせ支えているのは、他者のちょっとした仕草や様子、その小さな意外性にまで気づくことのできる力、そこからそれらの人々の思いや背景にまで思いを致し、そっと思いを寄せることのできる力=人としての優しさ、共感力なのではないかと思う。

 そんな優しさと共感力に支えられた句だからこそ、それらに出会った時、私の心もふっと和み、安らいだのだと思う。最初に書いたように、まだまだ勉強途中の私であるが、これらの句に励まされ背中を押してもらいながら、高き山『くれなゐ』をこれからもしっかりと読み込んでいきたい。


2021年4月9日金曜日

第158号

         ※次回更新 4/23


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【転載】俳句時評特別寄稿 追悼北川美美 「詩客」10年と北川美美の死


【新企画・俳句評論講座】

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【新連載・俳句の新展開】

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句誌句会新時代(その二)・夏雲システムの破壊力 千寿関屋 》読む
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■平成俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和二年冬興帖
第一(1/22)ふけとしこ・網野月を・関悦史・花尻万博
第二(1/29)坂間恒子・曾根 毅・仙田洋子・仲寒蟬
第三(2/5)杉山久子・山本敏倖・竹岡一郎・辻村麻乃・神谷 波
第四(2/12)渡邉美保・渕上信子・木村オサム・夏木久・小沢麻結
第五(2/19)青木百舌鳥・松下カロ・井口時男・堀本 吟・望月士郎
第六(2/26)なつはづき・前北かおる・田中葉月・林雅樹
第七(3/12)岸本尚毅・浅沼 璞・眞矢ひろみ・加藤知子・水岩瞳・下坂速穂
第八(3/19)岬光世・依光正樹・依光陽子・花尻万博・大井恒行・中村猛虎
第九(3/26)小野裕三・飯田冬眞・妹尾健太郎・浜脇不如帰・五島高資
第十(4/2)早瀬恵子・家登みろく・佐藤りえ・筑紫磐井

令和三年歳旦帖

第一(1/22)曾根 毅・仙田洋子・椿屋実梛
第二(1/29)杉山久子・山本敏倖・竹岡一郎・小林かんな
第三(2/5)辻村麻乃・神谷 波・関悦史
第四(2/12)渡邉美保・渕上信子・木村オサム
第五(2/19)夏木久・小沢麻結・ふけとしこ
第六(2/26)松下カロ・堀本 吟・望月士郎
第七(3/5)なつはづき・仲寒蟬・前北かおる
第八(3/12)田中葉月・林雅樹・岸本尚毅
第九(3/19)浅沼 璞・眞矢ひろみ・水岩瞳
第十(3/26)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子
第十一(4/9)中村猛虎・小野裕三・飯田冬眞

■連載

【抜粋】〈俳句四季4月号〉俳壇観測219
沖とそこに集った人々の五十年――能村研三と渡辺鮎太
筑紫磐井 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
2 鑑賞 句集『たかざれき』/藤田踏青 》読む

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい
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15 「小さなものたち」への共感/吉川わる 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい
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15 等身大のわたし/津久井紀代 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい
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13 中村猛虎句集『紅の挽歌』/杉原青二 》読む

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい
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11 「湯島句会」から『火の貌』へ ~~篠崎央子さんの句に触れて/片山一行 》読む

英国Haiku便り[in Japan]【改題】(19) 小野裕三 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (8) ふけとしこ 》読む

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい
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11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい
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10 手紙/橋本小たか 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む

句集歌集逍遙 なかはられいこ『脱衣場のアリス』/佐藤りえ 》読む

葉月第一句集『子音』を読みたい 
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大井恒行の日々彼是 随時更新中! 》読む


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特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編 》読む

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寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

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4月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子







「兜太 TOTA」第4号 発売中!


筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】〈俳句四季4月号〉俳壇観測219 沖とそこに集った人々の五十年――能村研三と渡辺鮎太  筑紫磐井

 沖五十周年を迎えて

 昨年十月「沖」が五十周年を迎えた。昭和四十五年十月に能村登四郎により創刊され、その後能村研三が承継している。当時は、「鷹」「草苑」「杉」などが創刊され、戦後派俳人が発表の場を確保した目覚ましい時期であった。

 コロナの影響で記念大会は延期されたが、十月には三五〇頁の大冊の記念号を刊行した。大半が沖に在籍していた作家の寄稿である。今瀬剛一、鈴木節子、大関靖博、鎌倉佐弓、波戸岡旭、正木ゆう子、中原道夫、大島雄作、筑紫磐井である。本来ここに入るべき福永耕二、鈴木鷹夫、大牧広、中嶋秀子、小澤克己(いずれも物故)を加えると当時の壮観さがなつかしい。雑誌主宰者ではないが、北村仁子(ひとこ)、坂巻純子(すみこ)、北川英子の女傑三人を中原道夫が回顧しているが、納得した。彼女たちは、右の主要作家以上に沖を華やかにしていたからである。

 ただこの記念号最大の特集は「沖の源流」一一〇頁である。沖に在籍した同人五三四人の紹介であり、同人となる直前の沖に発表された一句とそれに対する登四郎・研三の選評である。五百人を超える同人数も凄いが、通常同人リストで済ませるところを全員の作品と評で検証しているのは画期的だ。五十年間の「沖」の風がここには吹いている。『沖俳句選集第九集』も出されたが、通史としての価値はこちらの方が高い。

 記念号と前後して、今瀬剛一『能村登四郎ノート[二]』、(二〇二〇年五月)と能村研三『能村登四郎の百句』(二〇二一年一月刊)が刊行されている。前者が[一]を含めて千頁を超える詳細な資料集であるのに対し、後者が気楽に読める入門編となっている。また従来、今瀬の著書だけでなく、大牧広の『能村登四郎の世界』(一九九五年)など登四郎を語った著作はいくつかあったが、研三の『能村登四郎の百句』は身内から見た登四郎の姿が伺える点で興味深かった。創刊に当り、他誌へ散った弟子たちに盛んに勧誘の電話をしていた話とか、季題別句集を嫌っていたなどのディテールが溜まらなく面白い。

 ただ何にもまして「沖」の特徴は初期の若手世代の層の厚さであろう。毎年の二十代作家特集・青年作家特集で漏れなく若手作家に特別作品を発表させ、さらに俳壇の一流評論家・作家にこれを論評させている。これに奮起しない作家はいなかっただろう。佐藤鬼房、角川春樹、阿部完市の鑑賞を受けるという幸運は「沖」ならではのものだった。

 右に掲げた以外の当時の若手の名前をあげると、上谷昌憲、正木浩一、酒井昌弘、陶山敏美、千賀潔子、堀江棋一郎、十時海彦、森山紀美子、岡崎ヨシエ、小藪早苗、大屋達治、長浜勤、安徳由美子、柳川大亀、林昭太郎、田中耕一郎、東条未英、安居正浩、四方幹雄、森岡正作、平沼薰洋、安居久美子、猪村直樹、渡辺鮎太、梅田津と際限なく続く。


悪筆の梶の七葉を弄ぶ      研三

八朔や電波時計の誤差もどり

白扇たたみて決まる一語かな

八月大名てふ自粛の家籠り

炎帝の許創刊の陣備へ

(以下略)

※詳しくは「俳句四季」4月号をお読み下さい。

【新連載・俳句の新展開】第11回皐月句会(3月)[速報]

投句〆切3/11 (木) 

選句〆切3/21 (日) 


(5点句以上)

12点句

弔問のいつまでもいつまでも蝶(中山奈々)

【評】 「蝶」が泣かせる。──仙田洋子

【評】 長寿を全うした人の葬儀と思いました。作者の視点は屋内から外に向かっていて、眩しいなかにときおり蝶の閃きが見える。──青木百舌鳥

【評】 「俳句新空間」「豈」の編集をしていると、いつまでもいつまでも北川美々さんへの追悼文が届く。──筑紫磐井

【評】 北川美美さんへの思いから作られた俳句でしょうか。「いつまでもいつまでも蝶」というのが切なくて美しいです。──水岩瞳


11点句

チューリップ影を育ててゐたりけり(田中葉月)

【評】 チューリップの花が開いてくると、影も変化する。のだが、実際はそんなにくっきりと現れない。土の下のしっかりした球根とその鮮やか色の花とを結ぶ影の育ちも楽しい。──中山奈々

【評】 チューリップは「喜びだけを持っている」花だから明るさこそ相応しく、影は似合わないはず。そういう通念を見事に引っくり返したところが痛快で面白い。──仲寒蟬


8点句

ふらここや天より取つて来し楽譜(仲寒蟬)

【評】 聴いてみたいその調──妹尾健太郎

【評】 モーツァルト?ここは天か!ソラとかミソラとかしてしまいそうだが…?──夏木久


6点句

大波の記憶目刺にがらんどう(真矢ひろみ)

【評】 大波の、津波の、フクシマの記憶が消えない。消してはならない。串で刺した目刺の眼か、食べた時の腸の触感か、がらんどうを感受した。大波の記憶と共に。──山本敏倖

【評】 復興半ば、ぽっかり空いたところには何を詰めればいいのだろうか──中村猛虎

【評】 東日本大震災の津波のことであろう。目刺は、焼くと内臓が流れ出て腹の部分が空洞になることがある。目刺のがらんどうが、震災より10年の空白のよう。──篠崎央子


三月十一日朝刊の濡れている(中村猛虎)

【評】 新聞紙が濡れているだけで、この苦渋‼──夏木久


牛蛙びたんびたんと追つて来し(西村麒麟)

【評】 「びたんびたん」に実感あり。私も追いかけられたんですよ。怖かった!──渕上信子


5点句

死者の貌日ごとに変はる花の雨(仙田洋子)

【評】 コロナウイルスの終息が見えない中亡くなる人が増えています。死に目に家族も会えない状況です。悲しい世の中です。──松代忠博


胸深く吸へば痛みや沈丁花(小沢麻結)


(選評若干)

みごろしもみなごろしにも 空襲忌 3点 筑紫磐井

【評】 すごくインパクトがあって惹かれるのですが、「にも」でいいのかなぁとやや疑問。──仙田洋子


建築は上へ上へとよなぐもり 3点 堀本吟

【評】 バベルの塔のような、てっぺんが見えないほど大きなものを建てているような感興がありました。──佐藤りえ


イヤホンの落ちてゐる椅子春の雪 4点 依光陽子

【評】 座ろうと引いた椅子にイヤホンがある。座っていた誰かが落としていったもの。春の雪に閉ざされた一室、例えば図書館やカフェに居る作者が見えて来る。──小沢麻結


花粉症と印すマスクに薄笑い 1点 夏木久

【評】 「薄笑い」を、疑い深い他者の表情とみるか?、弁解する自分の心の現れとして書いているか?どちらとも取れる。この季節の困った症状にたいして、信じてくださいよ、と言わねばならないのばかばかしい。それでも、信じちゃいないよ、あんたは危険だよ、となおも疑ってくる意地悪な「薄笑い」でもある。端的な時事性と婉曲な心象の絡みにここまで踏み込んであらわしたことを評価します。──堀本吟


野を撫づる指のあひだの菫かな 4点 中山奈々

【評】 〈撫づる〉の解釈如何ですが、ちょうど猫が伸びをするように、春野の地べたに坐るか膝を突くかして十指を突き進ませてゆく動作と解します。無造作に撫でたらおやおや菫だというのではない、薙ぎ倒したのではなくって、予め菫は見えておりそこを目掛けて、でしょう。てのひら全体で春を堪能しようという、ええと逆ラスコーリニコフとでも申すべきか、その心地良さで頂戴します。──平野山斗士


卒業のかなはぬ生徒かかへゐて 2点 前北かおる

【評】 「かかへゐて」に言葉にならない思いが込められていて、読むほどに強く刺さってくる。──依光陽子


剪定の終はれば庭師黙ゆるむ 1点 松代忠博

【評】  そうですね。お茶出して、短いおしゃべりが楽しいです。──渕上信子


【加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい】2 鑑賞 句集『たかざれき』  藤田踏青

  著者は『We』共同編集発行人、「豈」「連衆」同人、熊本県現代俳句協会会長等で、これは三冊目の句集である。

 句集題の『たかざれき』とは、石牟礼道子の『苦海浄土』の「高漂浪(たかざれき)」に因んだもの。それは魂が身からさまよい出て諸霊と交わって戻らないさまを言い、巫女的存在の石牟礼自身の事を示唆している。句集に収録された評論〈「高漂浪」する常少女性――石牟礼道子の詩の原点へ〉において著者は「石牟礼は、巫としてことば以前の世界を直感し、自身の身体を借りて湧き上がってくることばを、その口で語り、手を動かして、可視化していった」と述べ、「かなしみに対する憧憬と敬虔な思い」が水俣病に対する告発の姿へと神降りていったと指摘している。

 因みに取上げられていた石牟礼の短歌と俳句の一部を紹介する。

  われはもよ 不知火をとめ この浜に いのち火焚きて消えつまた燃へつ 

 加藤はこの歌について「いのちの火は焚かれては消え、消えては焚かれて。〈悲しみ〉は美である。これこそがまさに、彼女の詩への衝動。」と読み解いている。それはまた、不知火とは「領(し)らぬ霊(ひ)」の謂いでもあることから、先の諸霊とも重なってくるのが解る。

  祈るべき天とおもえど天の病む

  繋がぬ沖の捨小舟生死の苦海果てもなし

 加藤は、前句の「〈天を病む〉は、人間の絶望的な愛が肉体化した形か、或いは人間の無力感、孤独感、深い悲しみをにじませた措辞か」と捉え、後句の「〈捨小舟〉とは〈うつろ舟〉であるかもしれない。」としてヒルコのマレビトと水俣病患者とを重ねて見つめている。

 そして最終章に「天を仰ぐ時、祈りの中心に自分がいて、母郷でもあり水でもある天と繋がっている事は間違いない。」と述べ、石牟礼と同じ心境・視点に立っている作者の姿をそこに見る事が出来る。

 さて、本題の句を垣間見てみよう。

  音楽じかけのあなたを燃やす菜種梅雨

  口中の闇ざらついて台風来

  鯖雲や体毛あるとこないところ

 三句共に句中に反意というか断絶を包含しているのだが、体感化された対象が肉感にまで昇華され、その認識に妥当性を付与している。日常に非日常を見つめ、見えないものを見つめ、抽象化された具象への展開が説得力を持つ。

  稲光るたび人妻は魚となり

  ひえびえと乳房の方へ向く流砂

  初夢の縄文式の女体かな

 女性独特のエロスを醸し出している作品であるが、そこにはギリシャ的な、透徹した、縄文的な明るい健康的なエロスが見出せる。そしてそれぞれに流線的な描写があることも。

  朝顔の朝を交換する電池

  鶏頭の枯れうるわしき愚連隊

  神口や椿咲く海咲かぬ海

 朝顔も鶏頭も椿も、人間との関係性において、その存在が人間そのものに憑依してゆくような作品である。特に「椿」は「海石榴」とも表示され、それによって「咲かぬ海」の連想へと導かれてゆく。

  憂国の道化師すでに全裸なる

 三島由紀夫を暗示した作品であろう。三島は「〈武〉とは花と散ることであり、〈文〉とは不朽の花を育てることだ。そして不朽の花とはすなわち造化である。」と述べていた。つまり造化とは虚構であり、自らの肉体改造は虚であることを認識していた訳で、その行動を世間が道化とみなすことも解っていた。そして掲句の全裸とは全身全霊という日本的な一回性美学の謂では無いか。今年が三島没後五十年にあたり、この句集の発行日が十一月二十五日(憂国忌)であることも奇縁である。

  すかあとのなかは呪文を書く良夜

  汝は陰(ほと)を神器としたり寒椿

 共に意味深長な句である。すかあとのなかは闇であるが、呪文は本能に寄り添うものであり、それは良夜へと素早く転換することが出来る、とも。そして寒椿は古への道を問うものであるから、奥深い陰を神器とみなすも可能であろう。

  晴れにけり館を出でけりしぐれけり

  海に降る風花ならば抱きしめる

「知覧特攻平和記念館」の前書きのある句である。前句は遺書・遺品などを見た後の心象風景であり、後句は幼い特攻兵らへの母情でもあろうか。先年、私も鹿屋・万世・知覧の特攻基地跡を訪れ、枕崎の岬から南の海を眺めていた。

  女郎蜘蛛湿る障子をそそのかす

  女郎ぐも腹のふくらみ止まず沖

 生殖に対する雌の湿感と胆の太さには、牡はとうてい及びがつかぬようである。女郎蜘蛛に託された女の挑発とも読める。

  夜行列車きれいに蛇の穴渡る

  蟻よりもせつせつ肢体なだれけり

 蛇の穴を抜け出たら何が現われるのだろう。攝津幸彦の「路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな」の句を彷彿とさせる作品である。また、蟻の黒タイツの動きは何故か蠱惑的でもあり、肢体の傾れが鮮明に浮かび上がってくる。。

  青竹に曳かれ狂女か遊行女婦(うかれめ)か

  鳥帰る少女じゅうろくひとばしら

  花ふぶく沖の宮へと虚ろ舟

 「高漂浪」の章にある句であるから、狂女やひとばしらは水銀中毒による被害者であり、それらへの思いが重なる中で、虚ろ舟とはヒルコを乗せて流した舟を示しているのであろう。各句ともに重苦しい内容であるが、「青竹」「鳥帰る」「花ふぶく」にマレビトとしての救いが込められていると想う。

 言及できなかったが、とても気になった句を掲出する。

  植木鉢抱いて肋骨(あばら)を信じてる

  少年と少女がバッタになっちゃった

  銅鏡の縁の日永を倭人伝

  夜をみがくわたしだけの百合の部屋

  満月に杭たてられる青胸乳

  露けきを奏でて杉の切株や

【中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい】15 「小さなものたち」への共感  吉川わる

 中西夕紀(敬称略。以下同じ)の第四句集『くれなゐ』の「あとがき」には「自分なりですが、句材を広げ、色々な詠い方を試みました。特に吟行では、小さなものたちの命を描きたいと思い、(後略)」とある。次のような句のことを言っているのであろう。

薄氷や滑つてゆきしあれは鳥

ころぶこと鳥にもありて冬の草

 「薄氷」を滑っていくのであるから、小鳥であろう。わざわざ「あれは鳥」と言っているのだから身のこなしが鳥らしくないのであり、意に反して滑ってしまったところを見たのだ。「ころぶこと」も鳥にすればちょっとした失態であろう。いずれも取り合わせの句だが、「薄氷」という季語には儚さ、「冬の草」には健気という情感があり、作者が鳥を慈しんでいるのがわかる。二句目などは、「鳥にも」とあるから自分自身を重ね合せてもいるのだろう。

空き箱に蓋見つからずちちろ虫

皺くちやな紙幣に兎買はれけり

 「ちちろ虫」をもらったのだろう、ちょうど良い大きさの空き箱があったのに蓋が見つからない。無造作に取り出した「皺くちやな紙幣」により兎は買われていった。この二句は一物仕立てと言ってよく、「小さなものたち」への思いがより直接的に出ている。第三句集『朝涼』からも引用してみる。

白魚の雪の匂ひを掬ひけり

玉虫に山の緑の走りけり

 それぞれ白と緑が印象的な句であるが、作者が「白魚」や「玉虫」に見ているのは前四句のような「小さなものたちの命」ではなく、「俳句はものに語らせる」という時の「もの」なのだと思われ、だからこそ、切れ味鋭い佳句となっている。『くれなゐ』にも色に着目した句があるので比較してみよう。なお、以下、句はすべて『くれなゐ』からの引用である。

かなぶんのまこと愛車にしたき色

 「玉虫」の句とは肌触りが違う。うちの嫁にしたいという感じなのであり、それは「かなぶん」を「もの」ではなく、近しい「他者」として認識しているからである。冒頭に引用した「あとがき」に気付いたのは、この稿をほぼ書き終えようとしている時だったのだが、確かに『朝涼』には小動物に焦点を当てた句は少なく、「かなぶん」のようなテイストの句はない。「句材を広げ、色々な詠い方を試みました」と言うが、『朝涼』から『くれなゐ』への変化はそれだけで説明はできないだろう。

寂しがる母もう居らず林檎の香

伯母も吾も子の無き同士青ふくべ

かきつばた一重瞼の師をふたり

人逝きてわれに残りし鷹の空

 『くれなゐ』は、両親、伯母、恩師など多くの人との別れが詠われており、哀惜の句集としての側面を持つ。別れが他者の存在に気付かせ、他者への共感が新たな俳句を生んだと考えることはできよう。だが、それは推測に過ぎず、また、重要なのは理由ではなく、変わったという事実なのだ。

青大将逃げも隠れもせぬ我と

殺すかもしれぬ毛虫を離れけり

きちかうや屈む少女に背の窪み

ぶらんこやたぶん失恋した少女

 他者の発見はまた自己を再発見するということであり、「青大将」や「毛虫」の句はその現れだろう。「少女」の二句はかつての自分を見ているのであり、それらはさらなる意識の変化をもたらす。

干潟から山を眺めて鳥の中

ばらばらにゐてみんなゐる大花野

 「私」(自己)と「あなた」(他者)から、「私たち」への変化であり、それは他者との共生を意味しよう。

 『くれなゐ』は、中西夕紀の意識の深化と、師から受け継いだ写生の技が融合することにより生まれた句集だと思う。

【なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい】15 等身大のわたし  津久井紀代

  はづきさんの「ぴったりの箱」の中はぎゅうぎゅう詰めではない。まだ多少の余裕がある。しかし箱の四隅の陵は正しくしっかりとしている。はづきさんのその「ぴったりの箱」の中には一枚一枚丁寧にたたまれた来し方が詰まっている。「等身大のわたし」なのである。

 「等身大のわたし」を紐解いていくと、まづ虚子の伝統俳句の真逆にいることがわかる。


 いぬふぐり聖書のような雲ひとつ

 象の背に揺られ春まで辿り着く


 はづき俳句の季語には季語性がないのである。「犬ふぐり」と「聖書のような雲」との余白に注目すべきだ。「聖書のような雲」は身体感覚が捉えた実景であろう。一方「いぬふぐり」とは関係性はないのである。二つを関係づけているものとして、余白が重要な役割を果たしている。つまり「いぬふぐり」は、はづき自身であることだ。そこには等身大としての「はづき」が存在するのである。「いぬふぐり」を紐解いてゆくと、道端に人知れず咲いている小さな花、まるでお星さまのようだ。見上げると雲が一つ。「聖書のような雲」だと捉えたのである。はづきの感性が捉えた「聖書のような雲」なのである。

 「春」があたかも象の背に揺られてくるような錯覚を覚える。「春」という言葉を象徴的に捉えた一句となっている。この不思議な象徴性もはづきさんを支配し得ているのである。


 約束は確かこの駅黄砂降る

 春の水まずはくすくす笑いから

 花粉症恋なら恋で割り切れる

 春雷やカレー粉入れるには早い

 清明や自転車隅々まで磨く

 夏木立儀式のように降り向いて


 はづき俳句の特徴にまづ素材の新しさを挙げねばならない。従来にない言葉が生き生きと描かれている。俳句独特の湿潤性からは遠いところにある。あかるくからっとしていることにも注目しなければならない。従来の俳句の常識をくつがえし、俳壇にあたらしい風を起こしたのである。

 「約束は確かこの駅」から「黄砂降る」への表現の斬新さに注目すべきであろう。「春の水」を「くすくす笑う」という新しい感覚でとらえている。「花粉症」のもやもや感、なにか割り切れぬ感覚を恋に発想を転換したところは注目すべき点である。「春雷」から「カレー粉」への発想の転換、日常の行為を詩に転換することにおいて稀有な存在であろう。


 身体から風が離れて秋の蝶

 からすうり鍵かからなくなった胸

 晩秋の木々一本はフランスパン

 音のない思い出あまた毛糸編む

 鯛焼の芯冷め切っている重さ

 はつなつや肺は小さな森であり


 はづきさんほど身体感覚に優れている俳人はいないであろう。五感をふるに使って、「秋の蝶」や「からすうり」をなんなく「胸」のなかに引き入れてしまうのである。「晩秋の木々一本一本はすでにはづきの胸のなかでフランスパンとして立っているのである。夜更けて毛糸を編んでいる。思い出には確かに音はない。鯛焼きの芯の冷めきった重さは身体が覚えている過去の内面であろう。肺が小さな森であるという感覚は新鮮だ。


 豚まんの身ぐるみ剥がす酷暑かな

 夏雲や振る手は明日にはみ出して

 夏帽を足して完璧な青空

 図書館は鯨を待っている呼吸

 狐火や絵本に見たくないページ

 思い出をいくら積み上げても案山子

  

  はづきさんは人生を等身大で生きている人だ。つまり人の痛み、もののあわれに敏感であるのだ。身ぐるみ剝がされている豚まん、明日にはみ出した手不気味な手、夏帽を足してはじめて完璧な空になるのだ。図書館に充満する息苦しい空気、絵本の中に見たくない狐火もある。思い出をいくら積み上げても案山子は案山子でしかあり得ないのである。ここには生きていることへの虚無感が描かれている。


 荒星やことば活字になり窮屈

 まだ脱げる言葉があって寒卵

 綿棒で闇をくすぐる春隣

 

  はづきさんにとって、ぴったりの箱の中に活字を閉じ込めるにはあまりにも窮屈なのだ。まだまだこれからも、新しい言葉を等身大で紡いでいくことの出来る人だと思う。
 小さな綿棒で大きな闇をくすぐりながら。

【中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい 】13 中村猛虎句集『紅の挽歌』  杉原青二(句会亜流里 同人)

  猛虎句集の紅の挽歌 よみました。


余命だとおととい来やがれ新走

卵巣のありし辺りの曼殊沙華

新涼の死亡診断書に割り印

少年のどこを切っても草いきれ

月天心胎児は逆さまに眠る

たましいを集めて春の深海魚

冬すみれ死にたくなったらロイヤルホスト

缶蹴りの鬼のままにて卒業す

ひとりずつカブセルにいて花の雨

心臓の少し壊死して葛湯吹く


 昔、猛虎氏にどのようにして句を作るのか尋ねたことがあります。

 そのとき、見せてくれた数枚のペーパーには、季語のない、句になる前の言葉が順不同に書き付けられていました。


 会話、生活、仕事、体験等から得られたと思われる言葉、本、 雑誌、映画、旅行等から閃いたと思われる言葉です。

 これに二物衝撃の季語をつけていくと言っていました。

 また、句は1年間寝かしてから世にだすとも。


 猛虎氏は直情怪行型の天才ですが、地道な取材を積み重ね、季語の組み合わせを試行錯誤し、最適の句を見つけていく「言葉のエンジニア」でもあります。 技術者の努力が句集に結実したことをともに喜びたいです。

 小さい引出しから季語を頼りに句を作っている自分に少し反省しています。

【篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい 】11 「湯島句会」から『火の貌』へ ~~篠崎央子さんの句に触れて 片山一行

  神田神保町に「銀漢亭」という〝俳句酒場〟があった。店主は「銀漢」主宰の伊藤伊那男先生。お客の大半は句歴はともかく俳人である。「え、こんな人が!」という著名な俳人も訪れることがあった。

 10年少し前、知人に「一行さんは詩を書いているんだから、面白い店があるよ」と銀漢亭に連れて行かれた。周囲の皆さんから「俳句、おもしろいよ~~。本格的にやってみれば」と誘われるまま、歳時記を買って俳句を始めることになった。

 篠崎央子さんの句に初めて出会ったのは2012年の初めだと思う。場所はこの銀漢亭。『火の貌』の話をする前に、まずこの銀漢亭の話をしておきたい。おそらく央子さんはここで大きく飛躍したはずだから。

 寒林や昔男は笛を吹き 央子

  たぶん、央子さんの句のなかで最初に触れた句である。

 銀漢亭で「湯島句会」という伝説の巨大超結社句会が開かれていた。最初は初心者数人で始めた句会だが、来店される俳人に片っ端から「選だけでも」とお願いして、著名な俳人の選がズラリと並ぶ豪華な句会になっていった。

 人が人を呼ぶように句会は膨れあがり、4年目を超えた頃には出句者は100人近くになっていた。句会当日は狭い店内に、それこそ立錐の余地もなく数十人が集まる。参加結社は延べにして30になった。

 央子さんとお会いしたのは第49回あたり。すでに未来図の同人で、お若いのに「巧いなあ」という堅実な句を詠まれた。何よりも堅実で生活に根ざした句だった。

 歌ふこと鯉にもありぬ花盛り

 舟はいま翼を得たり秋の虹

 声あげて水動きをり薄氷

 これは当時の湯島句会での句。いずれも美しい。

 央子さんは毎回点を集める。当然、披講のときに「篠崎央子!」と名乗ることも多い。すっかり記憶に刷り込まれていった。特選にいただいたこともあった。

 湯島句会は120名を越す投句者にまでなると、運営も大変になる。2013年の夏、第66回で惜しまれながら閉会になった。銀漢亭も、伊那男先生が俳句と居酒屋経営の「二足の草鞋」が厳しくなり、そこへコロナで2020年5月に閉店になった。

 俳人にとってはオアシスのようなところでもあり、道場でもあった。いまは「神保町に銀漢亭かあったころ」というリレーエッセイがネットで連載されている。

「セクト・ポクリット」https://sectpoclit.com/

 私はこの湯島句会と銀漢亭に育てられたと思っている。この店に行けば、誰かしら俳人と出会う。そして俳句に関する話に花が咲く。いまでも閉店を惜しむ人は多い。

 湯島句会からは、多くの若手俳人が輩出された。月野ぽぽなさん、西村麒麟さん、堀切克洋さん……等々。おそらく央子さんもここで鍛えられたはずだ。超結社だけに普段、所属している結社内での句会とはまったく違う句柄の俳句がどんどん出てくる。当然刺激になる。

 選もかなりばらつく。

       *

 7年前に私は故郷の愛媛県松前町に移住した。いまは、湯島句会をモデルに「松前(まさき)ネット句会」というものの世話人のようなことをやっている。まだ30名だが、各結社の同人や編集長クラスがズラリと揃う、超結社のハイレベルな句会だ。

 央子さんともフェイスブックを通じて数年ぶりに連絡が取れるようになり、この句会にお誘いした。興味のある方は以下のアドレスへ。

  ikko_k@nifty.com

(片山一行アドレス)

 湯島句会の最大の特長は、「誰が選んだか分かる句会報」である。普通、5人の選が入れば「5」と点盛りされるが、湯島句会の場合は、例えば私なら「片」、央子さんが選んだのであれば「央」と点盛りされる。いま世話人をしているネット句会でも、このやり方を引き継いでいる。

       *

 さて前置きが長くなった。篠崎央子さんの第一句集『火の貌』である。これまでの実績からすれば遅すぎるぐらいだが、引き込まれた。いきなり最初のページで、

 ぜんまいの開く背中を鳴らしつつ

「ぜんまい」という春の雑草が、詩語として何気なくしかし見事に斡旋される。さらにページをめくると――。

 朧夜の笛の余熱をしまひけり

 砂を食む鳩の目赤き啄木忌

 ペンギンの腹から進む立夏かな

 堅実な客観写生でありながら、読者を唸らせる視点がある。当たり前そうで当たり前ではない句群である。そして、美しい。韻律も爽やかで無意味な破調はない。

 花あやめ髪は水気を吸うてをり

 とくにむずかしい言葉を使っているわけでもない。気を衒ったような表現もない。なのに「当たり前ではない句」に仕上がる。「髪は水気を吸うて」など、その極地の措辞だろう。

 ハンカチを出すたび何かこぼれゆく

 極月の地球の果ての魚を食ふ

 海鼠腸やどろりとうねる海のあり

 血統の細くなりゆく手鞠唄

 こうしてあげていくと切りがないのだが、物語性のある句、平明だが考えさせられる句が多い。そして深い。またニヤッとしてしまうような面白い句も混じっている。

 洗面器の底に西瓜の種ひとつ

この句など、とりたてて何も言っていない。最近は俳句甲子園などの影響もあるのか、ワケの分からない取り合わせの句が目立つが、央子さんの句は取り合わせであっても「ワケが分かる」のだ。意地悪に見れば飛躍がないという人もいるかもしれない。しかし俳句は読者がいる。読者を置き去りにするような飛躍は、なるべくなら避けるべきだと思う。

 その点、央子さんの句は常に読者に寄り添っている。しかも、かすかなユーモアもある。私は俳諧味を出すのが苦手だけに、さりげなく日常を切り取った多くの句は、うらやましくもあった。このユーモアと生活感が、甘くなりがちな抒情性を〝芯〟のあるものにしていると思う。生活感のある抒情性、とでも言えるだろうか。

 だからいずれも、地に足がついた堅実さがある。

 秋暑し黄身の染み出す割れ卵

 秋の蚊の淡きかゆみを古筆展

 黄落や乾ききつたるパンを食ふ

 名刀のかすかなる反り十三夜

 肩触るる距離落椿踏まぬやう

 銀蠅や早送りするラブシーン

 森に入るやうに本屋へ雪催(これは湯島句会で出句された句のはず)

 蛍狩つなぐてのひら濡れ手をり

 緋鯉ゆく恋の勝者とならむため

 ラムネ飲む人魚のゐない水族館

 共通しているのは、対象へのさりげない優しさではないだろうか。きりきりと痛むような句は、まずない。平明で、俳句に対峙する姿勢がまっすぐなのだ。

 ある人に言わせると俳句の神髄は「忠実な客観写生+刺激的だが自然な措辞」だという。まさに央子さんの句が、それである。さらに季語へのリスペクトがある。

    *

 このままだとあと何十行も書いてしまいそうなので(笑)、最後に私なりに10句ほどを選んでみた。

 寒牡丹鬼となるまで生き抜かむ

 溶岩の緻密なる影蠅生る

 通りやんせ蛍袋に夜の来たる

 かはほりや鎖骨に闇の落ちてくる

 空つぽになるまで秋の蟬鳴けり

 しんちぢり人魚の卵かもしれず

 夏至の夜の半熱の闇吸ひ眠る

 露草は足元の草踏まぬ草

 透明になれぬ街なり聖樹の灯

 涼しさよ骨砕かれて収められる

 さざなみや凍つる絵の具を絞り出す

 そして句集のタイトルにもなった一句。

 火の貌のにはとりの鳴く淑気かな

 「あとがき」でも書かれているように、火の形相をして鳴く「にはとり」。それを「淑気」と取り合わせる見事さ。先にも書いたが、驚くような取り合わせではないのだが、当たり前すぎる取り合わせでもない。このギリギリのところに央子さんの句はある。

 蛇足になるかもしれないが……。

 芋の秋ひげ濃き人を愛しけり

 これは夫君の飯田冬眞さんのことだろう。冬眞さんとも湯島句会でよくお会いした。お二人とも未来図の同人だが、湯島句会あるいは銀漢亭がお二人をさらに結びつけたのかもしれないのであれば、こんなに嬉しいことはない。そして連れ合いのことを大らかに「愛しけり」と詠める央子さんを心から羨ましく思った。

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プロフィール

片山一行(かたやまいっこう)

1953年 愛媛県宇和島市生まれ 現在同県・松前町在住 職業:出版企画編集

    松前ネット句会世話人

    「銀漢」「麦」同人

2019年「麦」新人賞

2020年 NHK全国俳句大会・飯田龍太賞選者(宇多喜代子)賞

2021年 NHK全国俳句大会・自由詠 特選(対馬康子)

俳人協会会員、現代俳人協会会員、日本詩人クラブ会員。

著書

『職業としての編集者』(H&I)

『おそらく、海からの風―第一詩集』(早稲田出版)

『あるいは、透明な海へ―第二詩集』(創風社出版)

『たとえば、海峡の向こう―第三詩集』(創風社出版)