この度の俳人協会新人賞おめでとう。受賞を信じていましたが、もしあなたが受賞できないようでしたら、私は俳句からしばらく遠ざかろうと思っていました。思っていた通りの大反響で、たぶんあなた自身、取り上げられたメディア、総合誌、新聞、ブログ、結社誌の把握をしきれていないものと思います。
鍵和田秞子先生がいないのがなんとも残念ですね。パンデミックでお祝いの会も開けないなんて……。「未来図」では秞子先生から数えて、4人目の大賞になりますね。あなたと会うと「酒を飲むために句会がある」という言葉が蘇ります。ずいぶんと飲んだものです。あなたの世代はロストジェネレーション世代で、バブル世代と大違いで、酷く割を食いましたね。職を求めての苦労が、口に出さないだけに、いつも気になっていました。
2002(平成14)年に、俳句の先生だった二川仁徳さん(現・「むさし野」主宰)に連れられて少し恥ずかしそうに現れたのを覚えています。まだ27歳? の乙女の風情? 20代でこの詩形にはまってゆくなんて何ということでしょう。
2004年5月には親しくなったあなたを連れて、石地まゆみさん、小松健一さんと私は、箱根の森岡けいじさんの別荘に招かれ句会を催しましたね。何より驚いたのは私の句集『悲しみの庭』をわざわざ買い求めたと聞いたのは、その夜のことでした。句会が果て、森岡さんが眠り、3時ぐらいに寝始めた小松さんと私は「コラッ。まだ眠るな!」と叩き起こされ、温泉でアルコールを抜きつつ、夜通し酒を飲みましたね。翌朝は筍を掘り、少し寒かった大涌谷などを吟行し、帰りついた新宿で行きつけのボルガに入り、袋回しやりました。
その翌年でしたか? まだ30歳? で2005年、朝日俳句新人賞奨励賞受賞。私も会場に駆けつけました。壇上のあなたは初々しく、まだ村の子の面影を引き摺っているようでもありました。
狐火の目撃者みな老いにけり
があり、鍵和田先生が「選者の茨木和生さんがこういう句を好きな句なんだわ」といったのが忘れられません。まだ産土の匂いを強く背負っている時間だったのでしょう。
野焼き終へ仁王の如き父の顔
と句集の冒頭にあり
血族の村しづかなり花胡瓜
開墾の民の血を引く鶏頭花
と続く強烈な句群がこの句集の核にあるようです。このぬぐいがたい村落の血はその後も核となり続け、いくつもの名句が現われます。
都会で学生生活を送りながら、郷里と都会とのギャップにさぞや驚いたことでしょう。若い時に『万葉集』の研究に没頭し、短詩に出会えたがゆえに世界一の大都会を見る目も鋭くなっていたと、推察します。
朝日俳句新人賞奨励賞受賞の翌、2006年には未来図新人賞。入会からわずか5年目で、その実力を認められ、同人になりましたね。「未来図」の文字通り若手のホープでした。あなたの句に感動したカメラマンの畏友・橋本照嵩さんが突然、あなたを「撮りたい」と、言ってきて、立ち合いに付き合ったのも忘れがたい思い出です。誓子、楸邨、真砂女、兜太など『現代の俳人50人』を撮っている人ですよ。
月赤し都会は捨つるもの多き
パンの黴剥ぎ一行の詩を練りぬ
スカーフのなじまぬ育ち鳳仙花
東京は玻璃の揺りかご花辛夷
なんですね。そんななかでもいくつかの恋に走っていたんですね。
恋の数問はれ銀杏踏みにけり
葉牡丹の紫締まる逢瀬かな
ロスジェネ世代だから詠えた句も痛切に迫ってきます。
枯芝に身を擦る猫や失業す
麦笛に犬の振り向く職探し
着ぶくれて遊女になつてみたき夜
「枯芝」はまるで捉えようのない会社社会の冷たさを象徴しているようです。「職探し」は自分を否定されるようないくつもの辛い思いを強いられたでしょう。この無念があるいは俳句へ、故郷へ、恋へ向かわせた一因かもしれないと、ふと思います。句会の後の飲みっぷりは豪快でした。酔うとすぐ寝てしまうのですが、しばらくすると回復。再び飲み始める。なかなか見ものでした。そのあとのカラオケでも、俳句同様、驚くべき上達を見せました。ソファの上に立って踊りながら、音痴でも思いっきり歌うのが大事なのでしょう。どんどん上達し周囲を唖然とさせるほど日進月歩? でしたよ。
血の足らぬ日なり椿を見に行かむ
句会でこれが回ってきたときにはびっくりしました。その後も何度、驚かされ、感動し、“俳句の才能”というものを思い知らされるはめになったことか。都会生活の中で独特の眼差しを持って、見るべきものを新しい視点で詠んでくれました。
栗虫を太らせ借家暮らしかな
私が2011年『深沢七郎外伝』を出版し、翌年に出版パーティを開いたとき豪勢な花束をあなたから受け取りました。その時衆目の面前で、私の首に抱きついてきました。お酒の勢いもあったのか、びっくりポン。首が折れるかと思いました。
この頃、冬真さんと恋に陥り始めていましたね。親しい句友と少しハラハラしながら見守りました。ほどなく二人は同棲、結婚に至りました。句会はいつも一緒。仲睦まじく、楽しそうでした。時に起こしたヒステリーも忘れがたいのですが。冬真さんがベテランの俳人でしたから、あなたの句に一層の磨きがかかったのでしょう。ほどなく夫の両親を引き取り、その介護を抱えるというキツイ生活でも「極楽の文学」をいかんなく発揮。
風のごと夫に寄り添ひ水芭蕉
東京の人は土買ふ蜥蜴飼ふ
太股も胡瓜も太る介護かな
2015年夫君は『時効』という、話題沸騰した第一句集を上梓。その代表句に
〈時効なき父の昭和よ凍てし鶴〉
があります。お二人はすっかり意気投合、あなたは自身の句集のあとがきで「こんなにも馬が合う夫と巡り逢うなんて、私は、前世でかなり良い仕事をしたのだろう」と、平然と記しましたね。前代未聞の一文です。
職業は主婦なり猫の恋はばむ
春愁の塊として牛眠る
黒葡萄ぶつかりながら生きてをり
瘦身の夫蟷螂に狙はるる
倭の国は葦の小舟や台風圏
脱藩をしさうな松を菰巻に
「春愁の」「黒葡萄」の句には切ない美しさが。「痩身の夫」をユーモラスに、「倭の国は」は縄文の時代からのこの国のありようを捉えている鋭さがあります。「脱藩」の句は句会で出会い思わず竜馬を思い、ニヤリとしました。どの句にも言えるのは季語の的確な使い方と視点のユニークさだと感心させられます。
今二人は「未来図」を引き継ぐ形で誕生した俳誌「磁石」の中心になって働いてますね。冬真さんが編集長になり、あなたは会計という重荷を負って頑張っていますね。いつも二人吟行を楽しんでいるようでうらやましい限りです。鍵和田先生の「こんなところで満足していちゃだめよ」の遺言を胸に、今後の俳句界を大いに賑わせて楽しませてくれることを切望してやみません。
いつも平然として、酒席に付き合ってくれてありがとう。改めて感謝する次第です。新型コロナのパンデミック後の第二句集を楽しみにしています。酒席を用意しておきますね。お元気で。
新海あぐりプロフィール
1952年、長野県佐久生まれ。光文社で「カッパ・ブックス」「月刊宝石」の編集に携わる。1987年より作句開始。藤田湘子の後、鍵和田秞子に師事。俳人協会会員、日本ペンクラブ会員。本名均。著書に『深沢七郎外伝』『司馬遼太郎と詩歌句を歩く』(ともに潮出版社)、『カッパ・ブックスの時代』『満州集団自決』『いのちの旅人』(ともに河出書房新社)『季語うんちく事典』(角川文庫)、句集に『悲しみの庭』(朝日新聞社)がある。
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