2023年9月29日金曜日

第211号

            次回更新 10/13

黒田杏子を偲ぶ会 筑紫磐井 》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和五年花鳥篇
第一(7/14)五島高資・杉山久子・神谷波・ふけとしこ
第二(7/21)山本敏倖・小林かんな・仲寒蟬
第三(7/28)辻村麻乃・竹岡一郎・早瀬恵子・木村オサム
第四(8/12)小野裕三・松下カロ
第五(8/18)望月士郎・曾根 毅・岸本尚毅
第六(8/25)中村猛虎・渡邉美保・なつはづき・小沢麻結
第七(9/1)堀本吟・眞矢ひろみ・下坂速穂・岬光世
第八(9/8)依光正樹・依光陽子・前北かおる
第九(9/28)浅沼璞・佐藤りえ・筑紫磐井

令和五年春興帖
第一(6/9)仙田洋子・大井恒行
第二(6/16)杉山久子・小野裕三・神谷 波・ふけとしこ
第三(6/30)山本敏倖・小林かんな・浜脇不如帰・仲寒蟬
第四(7/7)辻村麻乃・竹岡一郎・早瀬恵子・木村オサム
第五(8/12)望月士郎・浅沼璞・曾根毅・岸本尚毅・中村猛虎・花尻万博
第六(8/18)渡邉美保・なつはづき・小沢麻結・堀本吟・眞矢ひろみ
第七(8/25)鷲津誠次・下坂速穂・岬光世
第八(9/1)依光正樹・依光陽子・前北かおる
第九(9/28)佐藤りえ・筑紫磐井

■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第37回皐月句会(5月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第18号 発行※NEW!  》お求めは実業公報社まで 

■連載

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑪ こどものいる風景 千野千佳 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(38) ふけとしこ 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む④ 》読む

【抜粋】〈俳句四季7月号〉俳壇観測246 アイドル大石悦子の死——師系の靄化

筑紫磐井 》読む

英国Haiku便り[in Japan](39) 小野裕三 》読む

句集歌集逍遙 岡田由季句集『中くらゐの町』/佐藤りえ 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】② 豊里友行句集『母よ』書評 石原昌光 》読む

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む




■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
9月の執筆者(渡邉美保)

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

黒田杏子を偲ぶ会  筑紫磐井

  9月17日(日)、神田如水会館で「黒田杏子さんを偲ぶ会」が開かれた。藍生の会が中心となった会(件の会の偲ぶ会はすでに7月に行われていた)なので当然藍生の会員が多かったが、黒田杏子の生前の幅広い交際で多くの方が集った。

 冒頭、平凡社の下中会長、件の会の仲間横沢放川氏、作家の中野利子さん、下重暁子さん、アビゲール・フリードマンさんが挨拶をされた。その間、なじみの董振華兄弟、橋本榮治、大井恒行、堀田季何、黒岩徳将、星野高士、坂本宮尾、宮坂静生、津久井喜代、広瀬悦哉、辻村麻乃、コールサック社の藤原父子、藤原書店の藤原社長らと思い出を語り合った。

 最後にご夫君の黒田勝雄氏が、言葉に詰まりながら感謝の言葉を述べられた。8年前脳梗塞で倒れて以来何処へ出かけるにしろ二人で行くことになり濃密な時間を過ごされたらしい。

 そんな中、中野さんの話で、黒田杏子から評伝を書いてほしいと話されていたと聞いて驚いた。黒田杏子のスケールの大きな活動からしても、たとえ藍生の後継誌ができても、黒田杏子の活動の総てを引き継ぐことは難しいはずだ。件の会でも難しいかもしれない。その意味で黒田杏子の全活動を後世の人に知ってほしいという思いが強かったのではないかと思う。黒田杏子の代表的著作『証言・昭和の俳句』は黒田杏子がインタビュアーとなって13人の戦後俳人から聴き語りをしたものであるが、いろいろ野心的な活動をしてきた黒田杏子にとっては、自ら『証言・昭和の俳句』を語りたいと思ったのではないか。中野さんの手で評伝ができればこんなうれしいことはない。





【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑪ こどものいる風景  千野千佳

  渡部有紀子さんの第一句集『山羊の乳』は隙のない句集だ。一句一句の完成度が高く、句会の投句一覧の中にあれば選びたくなる句ばかりだ。日原傳さんによる序文は、有紀子さんの句の特徴と魅力をこれ以上ないほど的確に伝えている。色を詠み込んだ佳句が多いこと、美術に関する素材を詠んだ句が多いこと、子育て句も魅力的であること、澤田和弥さんを悼んだ句が収められていること、そして有馬朗人さんへの追悼句の見事さ。

 多彩な魅力をもつ句集なので、読者によって惹かれる句はさまざまであろうが、こどもを詠んだ句に好きな句が多かった。わたしのこどもが二歳のイヤイヤ期で、毎日育児に悩んでいるからかもしれない。


人日の赤子に手相らしきもの

 句集の二句目にこちらの句があることで、有紀子さんの吾子俳句は甘くない(そこがいい)ということが読者に伝わる。「らしきもの」から、母親であることの実感もまだおぼろげであることを想像した。


歩き初む児について来る春の月

 歩いていると月がついてくると感じるあの現象と「歩き初む児」との取り合わせがいい。他の季節ではなく「春の月」がしっくりとくる。この世の不思議を子とともに眺めている。


永き日の逆さに覗く児の奥歯

 仕上げ磨きの一句。「逆さに覗く」だけで親と子の体勢がわかる。季語が「永き日」なので、仕上げ磨きを嫌がらない子を想像した。(羨ましい……。)


春夕焼木箱にしまふ紙芝居

 さりげない一句だが、たしかな感触がある。紙芝居の句はこどもが身近にいないとなかなか作れない。こうした佳句を得ることで、また育児が楽しくなるのだと思った。


二階より既に水着の子が来る

 プールや海水浴が楽しみで、早々と水着に着替える子を詠んだ句はあると思うが、「二階より」に独自性がある。家の造りが見えてきて、「来る」によって子の足音まで伝わる。


子が星を一つづつ塗り降誕祭

 降誕祭の飾りの星をクレヨンでぬりぬりと強めに塗っていく小さな手が見えてくる。「一つづつ」の丁寧な描写がいい。


子と歩む名月見ゆるところまで

 今日は中秋の名月だよと月の出のころに子を連れ出したと想像した。都会は高い建物が多いので、まだ低い位置にある月を見ることができる場所は限られている。ぱっと見えた名月にわぁっと驚く親子を想像して楽しくなる。


赤子抱き二階より見る神輿かな

 まだ子が小さいので外には出ず、家の二階から祭を見ている。赤子のうちから伝統行事を一緒に楽しむ姿勢がいい。句集ではこの句の後に「亡き祖父と三社祭ですれ違ふ」「泥鰌鍋鴨居に雷除の札」と続くことで、一気に景色が広がる。


 以上、たくさんあるこどもの秀句から特に好きな句を引いた。


 あと個人的な趣味で好きだったのが、句集の最後から二句目の句。


旅芸人黒き箱曳き冬木立


 「旅芸人黒き箱曳き」まで読んで、パッと頭に浮かんだのは、金田一耕助シリーズ「悪魔の手毬唄」の恩田幾三のような、昭和初期の詐欺師。すると季語「冬木立」で「おや、昔のヨーロッパの旅芸人かも」という気もしてくる。旅芸人の不思議な色気と、怪しい雰囲気がとてもいい。


執筆者プロフィール
千野千佳(ちの・ちか)
1984年新潟県生まれ。埼玉県在住。蒼海俳句会。2023年、第11回星野立子新人賞受賞。

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(38)  ふけとしこ

  鬼やんま

串を打つ鮎のぬめりに負けながら

パパイアの花優しくも炎暑なる

夏の果ホワイトボードを字の辷り

気を付けと休めの間鬼やんま

夏が逝く赤き実赤き毒を持ち

・・・

 ある句会で席題に「ハゼ」が出た。聞いた時に「鯊」か「櫨」か? と一瞬迷った。もっとも櫨は櫨の実とか櫨紅葉とか言わないと秋の季語にはならないのだが。

 そこで音のことがふと気になった。

 ゴンズイという魚がいる。ゴンズイという木がある。魚は権瑞、木は権萃と書く。魚の方は鰭に毒があることで知られているが、木の方はどんなことで知られているのだろう。秋、赤い実(莢)が裂けて中から真黒の種が見えるととても綺麗だけれど……。

 サワラという魚がいる。サワラという木がある。これは鰆、椹と書き、どちらも有名である。椹はヒノキ科であって、檜によく似ている。私は未だに椹と檜の違いがよく解らない。何度か調べてみたのだけれど、実際に木の前に立つと「これってどっち?」となってしまう。

 ちゃんと調べればこんな例は色々あるのだろう。

 同音の話ではないが、チョウトンボという蜻蛉がいる。これがまたややこしい。漢字なら蝶蜻蛉と書かれる昆虫である。姿を知っていれば何ということもないが、字だけを見ると、特に俳句にした場合には「蝶・蜻蛉」と取られてしまうことも多々。吟行先で見かけたりすると、出会いの嬉しさもあって詠んでみたくなるものでもあるが。

 そういえば、今年この蜻蛉にまだ会っていない。とにかく残暑の厳しさに怖気づいてしまって、なかなか家から踏み出す元気が出ないのである。

 我が家から一番近くで見られる所というと、吹田市の万博記念公園になる。ここの蓮池には夏から秋にかけてよく見られる。翅、特に後翅の幅が広くて、飛び方もひらひら~という感じである。青というか瑠璃色というか、美しい翅をしている。

 いつだったか山中の池でこの蜻蛉が沢山飛んでいるのを見かけたことがあった。水面にはびっしりの菱、これを菱畳というのだろうなと思いながら眺めた。目を凝らすと白い小さな花が咲いていた。その上をこの蝶蜻蛉たちが沢山飛んでいたのだった。壮観だった。

 やっぱり飛び回る蝶蜻蛉を見たい! 九月が終わらぬ内に万博記念公園まで行ってみよう。

(2023・9)


【連載】『極限状況を刻む俳句―ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ-』上梓その後②(連続④) 大関博美

 令和5年6月14日、小田保氏のご遺族のお嬢様から、手紙が届きました。その後電話で話をさせていただきました。拙著の感想をブログ「俳句新空間」に載せさせていただきたいとお伝えし、ご了承をえました。

 まず、手紙の冒頭に、以前大関さんからの便りを、今は亡き母が「お父さんの作品を読んでくれた娘さんから手紙が来た」ととても喜んでいましたと、ありました。(以下電話での話を含めて引用する。)

   《この本を読んで父の生きた時代の戦争のこと、シベリア抑留の事を深く理解することが、できました。やはり父も千島列島での戦いが激しかったことを話しましたが、多くを語りませんでした。私は俳句をしませんが、句ごとに添えられた、解説がわかりやすく、また、全章のまとめを読んで、父が死の間際まで抑留俳句や広島の平和についての俳句を読み続けたのか、理解できました。この本を母にも読ませてあげたかった。姉が夏に帰省したら、この本を真っ先に読んでもらいます。》

 私からは、「私は、小田さんの著書に、この仕事をするように言われたように思ってい ましたし、くじけそうになる時は、何度もお父様の本を見て、自分を励ましていました」とお伝えし、電話を終わりました。

 信州塩尻の百瀬石涛子氏へは、手紙のやり取りは大変なので、私から一カ月を待ち7月3日に電話を入れさせていただきました。百瀬氏は今年99歳になると言い、現在は車椅子で過ごされているそうです。私の電話にこたえてくださいました。  

 《本が届いて、1週間かけて読んだよ。たくさん調べて書いてくれてありがとう。戦争当時のおらたちに分からないことまで、調べてあった。この本を次に人に貸して、又その次に読む人も待っている。あんたのお父さんと私は、ほぼ同い年だ。お父さんがシベリアの話をしなかったのはよくわかる。シベリアから帰っても生活が苦しくて、家族も守らなきゃならんし、シベリアのことは誰にも話せなかった。今でも俳句は、毎日詠む。シベリアの句もね。月一回の句会には、娘に連れて行ってもらうよ》

 百瀬氏にとっては、レッド・パージにより、国鉄を辞めざるを得なかったことが、長い沈黙の理由であったのだと感じる。百瀬氏の言葉から、私の父が子どもたちに対して戦争を語らなかったのは、戦争は勝者・敗者の別なく、加害者と被害者をうむこと、その体験が凄惨な体験であることから、思い出したくない、家庭に戦争の影を落としたくない、平和な家庭を守りたいという一念のあらわれだったのだと感じた。

 私の父と同年の百瀬氏には長生きし、健吟を続けてほしいものだと思います。(つづく)


第37回皐月句会(5月)

投句〆切5/11 (木) 

選句〆切5/21 (日) 


(5点句以上)

9点句

触れゆきてどれも好きな木夏隣(依光陽子)

【評】 〈触れゆきて〉が良いですね。これから躍動してゆく木々の命に触れて〈夏隣〉を実感されたのが、伝わってきます。──飯田冬眞


8点句

筍を焼きをる方が拾得か(仲寒蟬)

【評】 寒山拾得の故事を踏まえている。詳しくは森鴎外の「寒山拾得」参照。とはいえ、寒山拾得でセットになってしまっているため、寒山と拾得それぞれの独自の性格はよくわからない。天台山国清寺の食堂係が拾得、その余りものを貰うのが寒山、これで辛うじてこの句とつながる。しかし、風狂の士であり、寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩と謎解きされると全く分からない。いやこの物語に出て来る、豊干、道翹、閭丘胤全員胡散臭い。それを鴎外も面白がっている。こんなフィクションの世界の句なのだ。──筑紫磐井


7点句

朧夜の母は指狐と話す(中村猛虎)

【評】 おかしな後味が残る句だ。そもそも指狐と話せる朧夜限定の母は居る(居た)居ない?そして指狐とはヒト狐どちらの言語で通じ会えるのか?と言う様に、気づけばすっかり術中にはまり、狐に抓ままれているのはこの句に立ち止まった読者。──妹尾健太郎

【評】 お母様はお狐様らしい。葛の葉か・・・。──仲寒蟬


はんざきのまなうら飛行船がくる(望月士郎)

【評】 はんざき、じーっと動かない山椒魚。空への、ゆったり動く飛行船への、あこがれか。イメージの句だが妙にリアリティを感じる。──山本敏倖


ゆふがたの匂ひのしたる潮干狩(依光正樹)

【評】 潮干狩の匂いの表現が面白い。──辻村麻乃


6点句

白玉や褒めるところを探しつつ(西村麒麟)


バナナ剥く無能の王と呼ばれつつ(渡部有紀子)

【評】 こういう王はいいなあ。側近さえしっかりしていれば平和なんだが。──仲寒蟬

【評】 失地王のことではありますまいが、無為の瞬間のようで、好ましいです。──佐藤りえ


5点句

カーネーション童話の中の母に会ふ(近江文代)


下手な歌けふも聴かされ熱帯魚(仲寒蟬)


箱庭やわれに優しき昼の月(堀本吟)


(選評若干)

乳ほる猫口さんかくに風薫る 4点 田中葉月

【評】 「口さんかく」がかわいらしい。仔猫は本当にそんな感じ。──仲寒蟬

【評】 猫を飼いたい。しかし住宅がペット不可なのでYouTubeで猫動画を見て我慢している。特に生まれたばかりの捨て猫を保護する動画がたまらない。はじめは上手くいかなかったのが、哺乳瓶で上手にミルクを飲めるようになった時の口元がまさに「さんかく」。「風薫る」の季題が健やかさを感じさせてぴったり。気持ちのいい句だと思った。──依光陽子


まぐはひの網戸に穴のあいてをり 4点 仙田洋子

【評】 こんな家(連れ込み宿??)はダメでしょう。もともと網戸だから声はダダ洩れだろうが他にもいろいろなものが洩れそう。──仲寒蟬


娘と居りて親を思へりこどもの日 1点 辻村麻乃

【評】 わかる気がします。──渕上信子


御殿場とお台場似たる南風 1点 依光正樹

【評】 いやいや「場」が同じなだけで全然違うだろう。あ、「御(お)」も同じか・・・。──仲寒蟬


海なせる若芝の端の乳母車 1点 平野山斗士

【評】 保育業界ではハギーとかカートと呼ばれるもの。ベビーカーと呼べば一人用だ。上五からの広がりと下五の締まり方。好感が持てる。──依光正樹


混濁の地に届かんと九尺藤 1点 水岩瞳

【評】 藤のうちでも特別な令名ある藤を出すからにはそれを如何に描写するかに、心を砕くことになりましょう。そうして、この上五の表現。納得いたしました。──平野山斗士


おどろいて我を見てゐるあをとかげ 2点 佐藤りえ

【評】 私が蜥蜴を怖がったら、「蜥蜴の方がもっとあなたを怖がっているのよ」と言われた。蜥蜴を見るたびに思い出す。 ──渕上信子


南吹く焼きそばパンを屋上で 4点 飯田冬眞

【評】 読み下して下五の意外性に惹かれました。ビルの屋上を思います。日が溢れ空が広く、南風を直接存分に味わえそうです。 ──小沢麻結


陰険と言はれ走らす夜汽車かな 2点 夏木久

【評】 うっかり読むとシチュエーションがどうも普通じゃない。自転車とか自動車ならまだしも、「汽車」はそんなの恣意的には走らせることはできない。できるのは、JRの人とか交通関係の仕事人たちであろう。しかも、昔「汽車」といわれていたが今では「電車」とか「列車」と呼ばれる。それを承知で、こんな句にした作者は、このすり替え方がまことに陰険なのである。さしずめ、職場で我慢して帰ったサラリーマンや、夫婦喧嘩で言い負かされた男が、夜中にプラモデルの「汽車」を走らせてうっ憤を晴らしている、という情景が目に浮かぶ。それなら、フツーの生活詠だ。が、なんだかすさまじいストレスやエモーションを感じさせるところが気になったし、気にいった。──堀本吟


2023年9月8日金曜日

第210号

           次回更新 9/29

救仁郷由美子追悼《追加》②  大井恒行・筑紫磐井 》読む

関東大震災100年に思う  筑紫磐井 》読む


■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和五年花鳥篇
第一(7/14)五島高資・杉山久子・神谷波・ふけとしこ
第二(7/21)山本敏倖・小林かんな・仲寒蟬
第三(7/28)辻村麻乃・竹岡一郎・早瀬恵子・木村オサム
第四(8/12)小野裕三・松下カロ
第五(8/18)望月士郎・曾根 毅・岸本尚毅
第六(8/25)中村猛虎・渡邉美保・なつはづき・小沢麻結
第七(9/1)堀本吟・眞矢ひろみ・下坂速穂・岬光世
第八(9/8)依光正樹・依光陽子・前北かおる


令和五年春興帖
第一(6/9)仙田洋子・大井恒行
第二(6/16)杉山久子・小野裕三・神谷 波・ふけとしこ
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第四(7/7)辻村麻乃・竹岡一郎・早瀬恵子・木村オサム
第五(8/12)望月士郎・浅沼璞・曾根毅・岸本尚毅・中村猛虎・花尻万博
第六(8/18)渡邉美保・なつはづき・小沢麻結・堀本吟・眞矢ひろみ
第七(8/25)鷲津誠次・下坂速穂・岬光世
第八(9/1)依光正樹・依光陽子・前北かおる

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■ 第35回皐月句会(4月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

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■連載

【抜粋】〈俳句四季7月号〉俳壇観測246 アイドル大石悦子の死——師系の靄化

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英国Haiku便り[in Japan](39) 小野裕三 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑩ 確かめる目線 藤原暢子 》読む

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【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(37) ふけとしこ 》読む

句集歌集逍遙 岡田由季句集『中くらゐの町』/佐藤りえ 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】② 豊里友行句集『母よ』書評 石原昌光 》読む

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む




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9月の執筆者(渡邉美保)

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…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】〈俳句四季7月号〉俳壇観測246 アイドル大石悦子の死——師系の靄化  筑紫磐井

 大石悦子の活躍

 大石悦子が4月28日に死去した(85歳没)。一昨年、句集『百囀』で第55回蛇笏賞を受賞し、昨年コロナで1年遅れで行われた小野市詩歌文学賞受賞式に出席し、本年版角川俳句年鑑では「2022年100句選」という、前年度の全作品を読んで選出するという膨大なエネルギーを要する作業を発表していただけに、亡くなる予兆すらも感じていなかった。

 もともと、昭和59年に第30回角川俳句賞、61年に第10回俳人協会新人賞、平成17年に第5回俳句四季大賞、25年に第53回俳人協会賞、30年に第10回桂信子賞、令和3年に第13回小野市詩歌文学賞及び第55回蛇笏賞と、軒並み受賞を重ねた人であった。

 大石は、石田波郷の「鶴」出身だが、後藤綾子の「あの会」、澁谷道の「紫薇」にも参加していたというから、比較的自由な立場に立ち、これだけのキャリアを持ちながら雑誌を主宰せず、しかし人気は高かった。その意味では私は俳壇で稀有なアイドルに近いと思う。80代の大石をアイドルというのもどうかと思うが、一方で99歳の兜太もそうしたアイドルに近かったから許されそうだ。

 以前は色々な場で頻繁に会っていたが、お互い活動が自粛されて遠出もできず(大石は高槻市在住)、誌面で活躍を拝見する程度になっていたが、冒頭に述べたような活躍でまだまだ元気だと思っていたのだ。

 実は、私にとって印象深かったのは平成14年より26年まで、第1回から第4回まで芝不器男俳句新人賞選考委員会の委員長を務めていたことである。大石が、今日の芝不器男俳句賞を支えた一人であったことは間違いない。他の選考委員が、城戸朱理(詩人)、齋藤愼爾(俳人・出版)、対馬康子(俳人)、坪内稔典(俳人)であるから伝統俳人を代表するただひとりの委員であった。実行委員(愛媛県)が選出したこの顔ぶれもなかなか乙であると思う。しかしこの顔触れでの委員長はなかなか簡単に務まるものではない。

 ちなみに芝不器男俳句新人賞には本賞のほかにそれぞれ選者の奨励賞が授与されるが、大石悦子奨励賞の受賞者には、第1回小田涼子、第2回ことり、第3回成田一子、第4回西村麒麟とならぶ。その後の活躍の不明な人もいるが、成田一子、西村麒麟は今や雑誌を主宰し、マスコミでも売れっ子の若手俳人である。大石氏の鑑識眼は間違いないものであった。大石はその作品だけではなく、若手を見出す伯楽としての役割も果たしていたということができるだろう。

 直近の句集『百囀』は池田澄子『此処』と様々な賞を争奪しあった。私も何回か紹介したことがあるが、その中から次のような句を選んでいる。


野宮の春のしぐれにあひにけり

夜桜や花の魑魅に逢はむとて

双六の大津に三日とどまりぬ

冬うらら遺言書くによき日なり

羅や遺品少くしておかむ


 これらの句は、表現も巧みだが、古典的というか、非現実的な感じの作品が多い句集となっている。年齢的に死を詠む句も多いようだが、死を切実なものとして詠んでいるかというと切迫感はあまりない。死を一つの素材として美しい流れで詠んでいるような気もする。俳句四季の座談会で、大石『百囀』と藤本美和子の句集『冬泉』を並べて取り上げたことがあるが、表現ぶりは似ているけれど、対照的だという意見となり、可否をとったところ二対二で分かれたのが興味深い。評者の趣味によるところが大きいのだ。

 ただ最後の二句は、今回の突然の訃報を予告するような趣がなくもない。静かに華麗に、思いを深く去っていったのが大石悦子であったのだろう。


師系の靄化

 大石の活動を眺めていると、石田波郷の「鶴」出身ということが大石という作家にどれだけ影響しているのだろうか、という気がしてならない。

 実は戦後もしばらくは、師系が歴然として語られることが多かったように思う。戦後一家を成した作家について考えるとき、高浜虚子―星野立子・稲畑汀子、水原秋櫻子ー能村登四郎、加藤楸邨―金子兜太、中村草田男―香西照雄、山口誓子―鷹羽狩行、飯田龍太―広瀬直人・福田甲子雄などがそうだ。あれほど峻烈な批判を下した高柳重信にしてもその影響力を否定できない。勿論、あまりにも師系を引き付けすぎてはいけないと思うのだが、それでもそれぞれの作家論を書いてゆくときどうしても師系がふっと頭に思い浮かんでしまうことがある。実際これらの第二世代の作家の言説にはしばしば第一世代の言及が頻繁に登場する。第二世代は第一世代を乗り越えようとして、結局第一世代を無視できていないようだ。

 ところがある時期からこうした師系から自由になった作家が増え始めた。勿論それがいいことか悪いことかは別だ。現象として見えてきてしまうということだ。そんな作家の比較的初期に大石悦子もいるのではないかと思う。おそらく、これらの世代の成長は師系という垂直の関係から、同世代という横の関係、場合によると下の世代からの影響、もっと茫漠とした時代からの影響の方が強くなっているのかもしれない。

(以下略)

       *詳しくは俳句四季7月号をご覧下さい


救仁郷由美子追悼《追加》➁  大井恒行・筑紫磐井

 ●「五七五」3号・2019年8月

   風友に参禅す

薔薇赤き赤き依身も照らす朝

地獄(かぜ)吹き荒る涅槃や放射線

(すさ)び雨(くが)の芭蕉樹よ

苦なり病なり生死赤葉青葉添え

芍薬の一瞬救いの宇宙身体

(だつ)髪の(だつ)身心や水面の月

ほんとうの生誕地行く東西南北

山高き丸橋来たらん明暗燈

(げつ)満院孤児ら銀白の子守歌

下闇の白樫無限の白宝珠

万有の友の縁よと楠双樹

万象の色も信ならん沙羅双樹

その衣木喰卒寿や聴し色

五つ又行きつ帰りつ道祖神

直衆生(した)しき河童空也南無


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●「ぶるうまりん」43号・2021年12月

   友が居る

垂れ漏らす尿とて分身秋彼岸

言の葉を来るんだ香り金木犀

苦しかり白に溶け入るさるすべり

遁れ端の痛みは白き曼殊沙華

呼び起こす月日は揺れるコスモスよ

絶望に目覚める日毎秋深し

柿の実の色づく頃の悲しみよ

コスモスと幼き日々の坂の町

   師安井浩司闘病中

日々帰らん 悲しみ滲む破芭蕉

歩く度痛み染み入る秋時雨

秋霖に濡れてつゆ草友の声

山茶花咲き始めて冬隣

僻んだ心傷み痛みて満月よ

赤染まるヌカキビ垂れし霧雨に

風起こりヌカキビ静かに揺れる朝

山鳩の山鳩在りし午后(ひる)の道

心友よローズピンクの薔薇開花

南天の色づく先を友が来る

冷ゆる風広がる雲に空の青

幸せが満ちる赤い実秋麗


●「ぶるうまりん」46号(2023年6月)

   友が居る(2)―最期の俳句

すずかけの無音ひとひら舞い降りし

病臥し友との別れ冬の旅

苦しみを共に歩くはシリウスよ

秋晴れやエンジェルラッパも応援し

電灯と火の見櫓の昭和かな

遠逝を生きて今此処大花野

橙黄色天空彩る樹木達

妬むなと微笑む冬の月光菩薩

弱き我妬み捨しと寒の夜

羨めば醜い貌鳥捨て往こう

赤垂れてチロリアンランプの冬うらら

揺れ木の葉音ひとつ無き隣人よ

開花一輪白山茶花に夕日雲

秋光と赤い帽子の少女かな

浄土門変化色づく南天の実

本棚に飾る小さきお正月

眠りの国へ赤い実たわわ届きたり

涙腺に細菌暴れ読めぬ文字

雲高き美し着物女絵葉書よ

空想のつもりに遊ぶ少女となり

寄り添うて散歩ふたりの冬日かな

流水の皮膚に染み入る冷たき夜

埋火や心貧しき女人とならん

   安井浩司追悼二句

大寒や米代川へ哀悼を

寒中の雲霞なる野添の地

曇天や下萌え寒き小雨かな

雨音に伝わる優しさ冬曇り

冬雲に無限の青の青の空

石榴葉の降り下る黄色地に咲き

雪降れり金柑無数の円描き

原の海涙落ちつつ浄化せり

桃咲きていのち散りしも浄土門

雨音や響く靴音かなし花色

怖いと泣く子どもじぶんの子守唄

目覚めれば涙の夜明け君ともに


[本号をもって追加は終了となります]

英国Haiku便り[in Japan] (39) 小野裕三

世界は兜太を待っている

 俳誌『豈』から、金子兜太をテーマに文章を依頼された。そこで、以前から兜太を含む現代俳人がどう海外で受け止められているかが気になっていたので、最近知り合ったインド在住のインド人の俳人(Geethanjali Rajanさん)にeメールで質問をしてみた。回答の詳細は『豈』(65号、「兜太の世界戦略」)に譲るが、まさに目から鱗だった。

 そもそも、英語圏でhaikuが語られる時、もっぱら触れられるのは芭蕉で、あとは蕪村や一茶が少々。僕の印象では、それ以外によく言及されるはむしろ少なくとも欧米においては西洋の詩人であるジャック・ケルアックだ。まるで、英語圏の俳句が芭蕉とケルアックという二つの柱から成り立つかのように思えた。

 そして、そのインド人の彼女と会話して気づいたのは、明治から現代に至る俳人の情報が英語圏では極端に少ないという事実が背景にあることだ。芭蕉、一茶、蕪村、子規、が〝四大俳人〟のように英語圏では流通すると彼女は言う。山頭火などの少ない例外を除き、二十世紀を彩った俳人たちはほとんど知られていないようだ。

 そんな情報の乏しい中でも、彼女は兜太のことをネットの英語情報を中心に調べて、それなりに正確に理解していた。そんな彼女は言う。

「欧米でもインドでも、英語で俳句が書かれるところでは、伝統的な季語をベースにした巨匠たちの古い俳句に倣うか、あるいは三行や一行の自由詩のような詩を書きそれを俳句と呼んでとても現代的だと考えるか、のどちらかです。前衛俳句運動、あるいは現代俳人による伝統的な季語を使った俳句などの現代の動きについては情報が少ないので、俳句の精神や真理は必ずしも理解されていません。」

 僕が、英語俳句は極論すると芭蕉(「巨匠の古い俳句」)とケルアック(「自由詩のような詩」)から成ると感じたのはあながち間違いでもなく、つまりケルアックのような天才詩人が芭蕉から本能的に嗅ぎ取ったものが「型」のひとつとなって英語俳句の進展を支えてきた。

 そのこと自体は決して悪くない。だが問題は、その英語俳句の歴史に、新興俳句、前衛俳句・社会性俳句、一方で現代における伝統派俳句、といった流れが化学反応として何も組み込まれていないことだ。彼女はこうも言う。

「日本の近代そして現代の俳句の翻訳がもっと出てくることを望みます。そうしないと、俳句は生き生きとしたダイナミックな詩として世界から理解されないでしょう。」

 世界のhaikuは、まだ見ぬ化学反応の要素として、日本の現代俳句のことをもっと知りたがっている。まさに世界は兜太を筆頭とする現代俳人たちの句業の紹介を待っているのだ。

※写真はKate Paulさん提供

(『海原』2022年11月号より転載)

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑩ 確かめる目線  藤原暢子

  有紀子さんは静かな熱のある人だ。彼女とはコロナ禍の中、俳人協会若手部のオンライン句会を通して知り合った。句会の中でいつも彼女は皆へ問いかける。自身の句について、相手の句について。ひとつひとつ確かめる。俳句に対する熱を目の当たりにして、いつも背筋が伸びる思いがする。

 そんな有紀子さんの熱心な姿をいつも目しているので、第一句集『山羊の乳』を手に取った際は、いささか緊張した。だが、ページをめくりながら、私にまず飛び込んで来てくれたのは燕だった。

  つばめつばめ駅舎に海の色曳いて

 つばめつばめと繰り返すのは、作者の呼びかけだろう。口にすると私の目の前にも燕の姿が見えてきそうである。「駅舎に海の色曳いて」から、その後の燕の動きを想像することは容易い。燕が駅舎と海を繋ぐ。海の色を曳く燕の線が見える。それは駅と海との間を行き来する作者の想いと重なるのだろう。思わず「つばめつばめ」は口に出して読みたくなる。とても好きな句だ。

 娘さんのいる有紀子さんの、母の姿が見えて来る句も好きである。

  木苺の花自転車で来る教師

  月蝕を蜜柑二つで説明す

  台風の目の中にゐて布巾煮る

 木苺の花の句。家庭訪問だろうか。木苺の花の白さと葉の青さに、新米教師を想像してしまう。花の季節は4月。進級により、変わったばかりの担任教師。自転車で来るという情報以外ないのだが、木苺の花から教師の色々な様子を想像させられる。

 月蝕の句。月蝕の仕組みを知らない、幼い子どもへの説明だろう。そばにある蜜柑をぱっと手に取り、娘さんへ説明する有紀子さんの姿を想像すると、あたたかな気持ちになる。蜜柑の色のあかるさもいい。

 台風の句。布巾を煮るという日常の家事が、台風の目の中にあると詠んだ途端、日常から遠ざかる。台風の目の円の中心に、付近を煮る鍋の円がある。その円のすぐそばに有紀子さんがいるのが、なんだか不思議だ。そう、有紀子さんは、異界へ誘い出すのもうまい。

  箱庭の夕日へすこし吹く砂金

  黄金虫落ち一粒の夜がある

  秋の蛾の影を分厚く旧市街

 箱庭の句。現実と箱庭のスケールを夕日でつなぐ。砂金を吹くのは人であろうが、箱庭の住人の目線になると、それは風を生む神の姿とも重なる。ただの砂ではなく砂金であることで、夕日の光が粒子となって見える。

 黄金虫の句。「一粒の夜」というフレーズがとてもいい。黄金虫が落ちる時、ばちんと音がする。その姿に目を奪われる時、周囲に広がる夜が、その甲虫の小さな体にぎゅっと凝縮される。

 秋の蛾の句。「影を分厚く」と言ったことで、厚みのある石の壁の建物と、旧市街の姿が浮かび上がってくる。きっと異国だろう。秋の蛾の乾いた質感も、日本とは異なる乾いた空気を運んできてくれる。そして異界から、日本へ目を向け直す祭の句も少し。

  声かけて縄の降りくる秋祭

  亡き祖父と三社祭ですれ違ふ

 秋祭の句。縄だけに焦点を絞ったのが面白い。確かに縄は、祭の色々な場面で活躍する。山車の上からだろうか。縄がするすると降りて来る。縄の動きとともに、縄の周囲の澄んだ秋の広い青空が見えてきて気持ちがいい。

 三社祭の句。「すれ違ふ」の言い切りにとても惹かれた。亡き祖父と、確かに「すれ違ふ」のである。有紀子さんの中にある祖父の姿が浮かび上がって来る。きっと祭が、とりわけ三社祭がお好きだったのだろう。三社祭があるとき、その中にはいつも、亡き祖父が存在しているのである。

 幅のある世界を詠んでいるが、その中に一貫して感じるのは有紀子さんの確かめる目線である。ひとつひとつ、納得がいくまで近くから見つめ、遠くから見つめ、句を立ち上げる。

  朝焼や桶の底打つ山羊の乳

 タイトルとなったこの句も、山羊の乳絞りの様子を、熱心に見つめた有紀子さんの姿を想像することができる。熱のある目のもとに、これからもまた新しい句が生み出されていくのだろう。

【執筆者プロフィール】
藤原暢子(ふじわらようこ)1978年鳥取生まれ、岡山育ち。東京都在住。「雲」同人。2000年「魚座」入会。「魚座」終刊に伴い、2007年創刊より「雲」入会。第10回北斗賞受賞。2021年雲賞受賞。句集に『からだから』。


【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』③ 上梓その後 大関博美


 筑紫磐井先生にお会いしたことをきっかけに、私の父のソ連(シベリア)抑留をたどる旅をまとめた『極限状況を刻む俳句~ソ連抑留者・満洲引揚げ者の証言に学ぶ』を令和5年6月6日に上梓することが出来ました。昭和1945(昭和20)年8月6日、広島に原子爆弾が投下され、8月8日にはソ連が日本に宣戦布告し、8月9には長崎にも原子爆弾が投下、そしてソ連が満州に侵攻した日で、8月は正に祈りの月です。

 さて、この度は拙著に託した私の思いについて、またこの本の作成にご協力いただいた、ご遺族や俳人の方の中でご了承の得られた感想をご紹介させていただきます。

 父の体験したソ連抑留をたどる旅で、新宿にある平和祈念資料館での語り部の体験談を伺いに通う一方で、拙著のもととなるソ連抑留・満州引揚げ俳句を読んで参りました。これらの作品について、浅薄な私の知識では「なぜ日本は、日清・日露戦争他を経、日中戦争から太平洋戦争へ突き進まなければならなかったのか」「なぜ、大日本帝国は大陸(現在の中国北東部)に満州国を建国したのか」「なぜ、ソ連は日ソ中立条約の締結期間を残し破棄したのか」「なぜ、当時155万人もの日僑俘虜をうむほど多くの日本人が満州に渡ったのか」「なぜ、57万5千人のソ連抑留が可能だったのか」など分らないことがありました。そこで、戦争に至る歴史背景・ソ連抑留の体験談・ソ連抑留俳句・満州引揚げ俳句をリンクしその実相に近づくことにより、父母が戦争を体験した世代や戦争を知らないその子の世代にこれらのことを伝えたいと思いました。何の肩書もない私の言葉に、ソ連抑留や満州引揚げの体験者やご遺族の皆様は、耳を傾けてくださいました。多くの方々との出会いがあってこそ、この本は生まれることができましたことを、私は深く感謝しております。拙著では、「極限状況における俳句の果たした働きや句座の力」を主題とし、次の世代に語り継ぐ証言として、また、将来あってはならない戦争について投げかけを試みるという3層構造をなしています。ですから体験談や俳句による証言の凄惨な内容に心を奪われず、平和な未来を保つための今ここを考えて、お読みいただければ幸いです。

 上梓後6月10日に、関係者の皆様に謹呈の本が発送されました。令和5年6月13日、高木一郎氏のご遺族の高木哲郎氏から、電話を頂きました。 

《あなたから本が届き、名前に見覚えがあった。父の句集にあなたからの葉書を挟んでおいたのを思い出し、手紙を書くより早く気持ちを伝えたかったので、葉書の番号に電話を掛けました。父の作品をこんなに丁寧に取り上げてくれてありがとう。この本を手に取る人は、一握りの人かもしれないが、その人を通じて次の世代に伝わってゆく貴重な一冊だと思います。私には兄弟姉妹が他に4人います。4人にもこの本を持たせ、当時満州国建国や満州移民政策などの歴史を読んで、私たちが体験した、戦争について再認識したいと思います》

と、お話くださいました。 これから、歩き出して行く拙著にとてもありがたいご感想を頂くことができたことを嬉しく感じた日でありました。

(つづく)