2014年6月27日金曜日

第76号 2014年06月27日発行

作品
  • 平成二十六年花鳥篇 第五
……水岩 瞳、辻本鷹之、佐藤りえ、寺田人、堀田季何、

木田智美、野住朋可、栢原悠樹、仮屋賢一   》読む

現代風狂帖
  •  小津夜景作品 No.29
   廃墟と宇宙      小津夜景   ≫読む





●鑑賞・書評・評論・エッセイ 

【戦後俳句を読む】
  • 我が時代――戦後俳句の私的風景 5.
……筑紫磐井   》読む


【現代俳句を読む】

  • <俳句時評>川名大の殉じかた
……外山一機   ≫読む

  • <俳句時評>字余り・字足らず・言葉足らず(こもろ・日盛り俳句祭シンポジウム関連)
……筑紫磐井   ≫読む
  • <朝日俳壇鑑賞> 時壇 ~登頂回望 その二十一~



(前号より継続掲載)
  • 〈俳句時評〉 クプラスの第二特集にびっくりした……堀下翔   ≫読む

  • <俳句時評> 五十句競作終了から30年目……北川美美 ≫読む
  • <俳句時評> BLOG俳句空間の歴史 ……筑紫磐井 ≫読む
  • <西村麒麟『鶉』を読む>15 幽霊飴 ……中山奈々 》読む




  • <「俳句新空間No.1」を読む>7  ……陽美保子   >>読む




  • <俳句評>(詩客より) 俳句と現代詩のあいだ ……宇佐美孝二   ≫読む 



大井恒行の日日彼是       ≫読む
読んでなるほど!詩歌・芸術のよもやま話。どんどんどんと更新中!!


412日更新:筑紫磐井『我が時代』         》読む
4月30日更新:仁平勝『路地裏の散歩者ー俳人攝津幸彦』 》読む 



● あとがき  ≫読む



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      • 俳句の林間学校 こもろ・日盛り俳句祭


      週刊俳句 第374号 2014年6月22日  ≫読む

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        平成二十六年 花鳥篇 第五



             水岩 瞳
        今年また旬の桜と旬の吾
        桜満ち花神が覗き込む世間
        桜とはあざとい花よ風邪心地

             辻本鷹之(「銀化」会員)
        六月のボタンで開く電車かな
        講堂に祝ひの幕やつばくらめ
        日本海おだやかにあり昼寝覚
        孫とゐて氷菓の列に並びけり
        箱庭や盆の漆の海ふかく

             佐藤りえ
        夏暁や月へ帰るといふ寝言
        今やらなくていいことばかり五月闇
        氷水とけておいしい水になる
        筋肉に呼びかけ雲の峰高し
        昼寝から覚めて真青の国へ行く

             寺田人(「H2O」「ふらここ」)
        さあ筆を取れ南風を色付けろ
        海水が甘くなるまでラムネ注ぐ
        万緑に憩う缶コーヒー二本
        おもいびといるのいないの蚊喰鳥
        初音ミクのアナウンスする熱帯夜
        眠剤の世界になってきた薄暑
        ビー玉の墓場となっている泉

             堀田季何
        『列子』説符第八第二十九章を読みしかど
        蚊のために神は吾等を造られき
        芥川より存へて夏の海
        何らかの肉らしきもの冷蔵庫
        バナナ責むナイフとフォーク駆使しつつ
        蛇衣を脱ぐダンディズム捨てしのち

             木田智美(関西俳句会「ふらここ」)
        マナティのかたちの雲や更衣
        みんな変わっちゃったね夏帽子に影
        ソーダ水かき混ぜ珍しい魚
        夏野菜失恋できる人になれ
        百日紅ばいばいたまには帰っておいで

             阿久津統子
        地球儀の日本は無傷夏終る
        桜桃忌だから真面目に呼吸して
        みんみんの内側に熱みんな恋
        わたしに善悪を問うな蝉時雨

             中山奈々(「百鳥」「里」)
        種半分見えたる枇杷の熟れにけり
        塀に色預ける雨上がりの枇杷
        枇杷食ぶや境内は廃材置き場
        休憩の易者バナナを剥いてをり
        枇杷熟るる夜にでつぱつてゐる鉄柵


             野住朋可
        ブラウスにしみが小さく麦の秋
        葉脈のとおり病葉壊れけり
        朴の花咲いて猫背の二回鳴る

             栢原悠樹
        狩人の墓は根元に風薫る
        ゆっくりとニュースは進み夏の昼
        童謡は窓超えて来て大南風
        Twitter閉じて夏野を駆け巡る

             仮屋賢一(関西俳句会「ふらここ」代表)
        裏表定まるまへの蝿叩
        まだ怖き道をゆくなり蛍狩
        冷房や生徒つぎつぎ指して訊く


        【俳句時評】 川名大の殉じかた   外山一機


         今年三月、川名大の新しい評論集『俳句に新風が吹くとき―芥川龍之介から寺山修司へ』(文學の森)が刊行された。本書は『挑発する俳句 癒す俳句』(筑摩書房、二〇一〇)の「発展ないし相補的関係」にあるものとして書かれたものである。両書は「各時代の表現史の高みを築いた句集」の「代表句を読み解くことで新風生成の真相に迫ろうとしたもの」であるが、『挑発する俳句 癒す俳句』が一九三六(昭和一一)年の『長子』(中村草田男)から一九八六(昭和六一)年の『君なら蝶に』(折笠美秋)までを対象としていたのに対し、本書もまた一九二七(昭和二)年の『澄江堂句集』(芥川龍之介)から一九七五(昭和五〇)年『花粉航海』(寺山修司)までを対象としており、この時代の選定がすでに川名の批評となっている。

         『挑発する俳句 癒す俳句』の「はじめに」でも書いたことだが、そのすぐれた俳人の一人で、現代俳句の牽引者であった高柳重信氏の逝去(昭58)あたりを境に、新風を生むための歴史的な生成のシステムが崩壊しはじめ、その生成力が衰弱する現象が起こった。人々は今を楽しむことに関心を傾け、表現史のパースペクティヴへの史的関心を失った。(「あとがき」)

         この種の川名の嘆きはすでに幾度も繰り返されてきた。それが現状への苛立ちとしてあらわれていたのはかつての次の文章であったろう。


         平成に入ってから、特にここ四、五年における俳句の状況は危機的であろう。近現代俳句史において、今日ほど俳句形式がないがしろにされ、真の俳人への畏敬の念が失われている時代はないだろう。その兆しは、すでに昭和五十年代後半にあった。主たる原因は俳句の大衆化をベースとする俳誌・主宰者の簇生や句集の氾濫である。一句も代表句がない俳人が恥じることなく主宰者となり、俳句講話などを行い、商品価値のないメモリアルな句集が量産される。(略)凡庸な俳人たちは、「吟行」というスナップ的な嘱目句やメモリアルな生活句を、たわいもない思いつきや擬人法や取り合わせなどで詠み、嬉々として俳句と戯れている。「お茶俳句」や高校生の『17音の青春』などの「平成くずれ」(飴山實)を良しとする愚鈍さも同類だ。(「俳句は『簡単な思想』形式か(一)―往信だけで終わった旧書簡より―」『俳句は文学でありたい』沖積舎、二〇〇五)

         ここで川名が現在の「危機的」な状況の兆しを昭和五〇年代後半にみているのは、いうまでもなく高柳重信の没年を意識してのことであったろう。俳句を高柳に学んだ川名の立場を考えれば、これを師への肩入れだと一蹴することもできようが、はたしてそれですませてよいものだろうか。僕は川名の現状批判のすべてが正しいとは思わないけれど、いたずらに現状を肯定するような―いわば「平成無風」を否定する昨今の風潮も間違っていると思う。そもそも、(後掲するように)川名のいう「文学」としての「俳句」が成立しなくなったのが現在であるのならば、川名の目からすればろくな俳句表現が生成されないという現状認識が生じるのはいわば当然のことである。その意味では「平成無風」は正しい。だが、ここで問い直すべきは、そもそも「平成無風」を否とする批評の方法自体ではなかったか。僕には、「文学」としての俳句に対するときと同じやりかたで俳句表現の現在地をまなざそうとすること自体がいかにもちぐはぐなことであるように思われてならない。ここで再び川名の言葉に戻ってみよう。

         先に「危機的な」といったのは、そうした小手先の技術主義の俳句とは対照的に、自己のアイデンティティーの俳句によって敗戦以後の俳句を支えてきた主要な戦後派俳人が相次いで鬼籍に入ったからだ。戦後派俳人たちの俳句観は、「詠むべきテーマもなく作ってもしかたがない」(三橋敏雄)、「自己の命に根ざさなければ、巧くなくっても(ママ)仕方がない」(森澄雄)、「不安な時代には不安を詠わない作家は信用しない」(鈴木六林男)に端的に表れている。彼らが生みだしたのは、自己表現、文学としての俳句だ。(前掲「俳句は『簡単な思想』形式か(一)」)

         このような「俳句」を是とするならば、俳句表現の現在がいかにも無残なものに見えるのは当たり前である。「詠むべきテーマ」もないのに俳句を詠むことを恥じないのが現在であるからだ。とすれば、「小手先の技術主義の俳句」の氾濫もまた当然であった。川名がそのような現在を批判するのは一面では真っ当なことのように思う。けれども、僕には川名の掲げる正義があまりに眩しすぎる。この違和感の淵源は、たとえば本書「あとがき」に記された次の言葉にあるように思われる。

         上記二冊の著作(『挑発する俳句 癒す俳句』『俳句に新風が吹くとき』―外山注)で、昭和俳句の表現史にかかわる句集単位での仕事は、ひとまずピリオドを打ちたい。攝津幸彦の『鳥子』(昭51)など戦後世代の優れた句業への関心もあるが、それらに対しては若い世代に有能な適任者がいるであろう。したがって、私の二冊は平成俳句への訣れのメッセージでもある。
         私が愛し、私を育ててくれた昭和俳句。それを対象とした句集による表現史を意図した本書を、『挑発する俳句 癒す俳句』と併せてお読みくだされば、ありがたい。

         川名は「平成俳句」と訣別するという。山口誓子は「黙殺―これは実に立派な批評形式である」と述べたが、僕たちはこれから、川名大という優れた読み手の「黙殺」のもとで書き続けなければならない。けれど、寺山修司や高柳重信の死後に生まれた僕たちには、僕たちなりの俳句の愛しかたがあるはずだ。それがいまだ見いだせていないとすれば、それは僕たちがいまだ「僕たちの川名大」を持っていないからである。

        「昭和俳句」が「川名大」を持ちえたのは幸せなことだった。本書でも遺憾なく発揮されているように、具体的なテクストに即して表現史を構築していく読み手としての川名の優れた仕事ぶりは他の追随を許さないものであろう。たとえば川名は誓子について『凍港』から『炎昼』にかけての仕事ではなくむしろ『七曜』以後のそれに誓子の辿りついた高みを見出し、「すでに戦時下において誓子は『根源俳句』の高みを達していた」と評価する。しかしその一方で、戦後における「外面的」「心理的メカニズム」への執着という誓子の陥穽をも指摘している。川名はまた、鷹羽狩行の『誕生』を高く評価しながらも、師の誓子が陥った「外的対象物をおもしろく表現すること」に鷹羽もまた陥っているとし、「見立てのレトリックを中心として、心理的屈折・擬人法(これも見立て)・対句法(対比法)・論理的な綾(屈折)」などを用いて「おもしろさを狙い撃ちする」道へと進んだことを「踏むべき道を踏み誤った」と評する。川名は徹底して句集を読みこむことで新たな俳句史を生成していくのである。

        川名はまた掉尾を飾る寺山修司について、「寺山は青春俳句しか作れなかった」という加藤郁乎の評言を検証している。ここでいう青春俳句とは、たとえば次のような句だ。

        目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹 
        ラグビーの頬傷ほてる海見ては 
        母は息もて竈火創るチェホフ忌 
        父と呼びたき番人が棲む林檎園 
        沖もわが故郷ぞ小鳥湧き立つは

         川名は寺山の「青春俳句」の特徴を「のびやかでリリカルな短歌的な調べとともに父恋い・母恋いなどをモチーフとする仮構の物語を織りなしたこと」にあるとする。だがそのうえで、「歌ったり、物語ったり、演じたりせず、鈴木六林男の『阿部一族』の句のように『切れ』の空白に豊かな黙劇を呼び込む構造的な力を発揮した俳句」を「大人の俳句」と呼び、次のようにもいうのである。

        その「大人の俳句」の概念に照らしてみたとき、寺山も「青春俳句」以外の句も言葉にあふれ、歌いすぎ、物語りすぎている。つまり「青春俳句」の俳句様式、文体を引き摺っているのだ。言い換えれば、寺山は一度も俳句独特の黙劇の構造的な力を使いこなせなかった。それゆえ、寺山流の俳句様式を打ち砕く俳句形式の非情な力に敗れたともいえるのである。そこに「寺山は青春俳句しか作れなかった」要因を見ておきたい。
        「牧羊神」の仲間で、「牧羊神」時代には寺山の後塵を拝していた大岡頌司や安井浩司は後年、「大人の俳句」を作った。(略)
        寺山は俳人としては彼らにも敗れたことを甘受しなければなるまい。

         川名はここで大岡頌司や安井浩司を引き合いに出しているが、これこそ川名の昭和俳句への愛のありかたであったろう。ここでの川名の言葉は、その若き日に寺山を中心とした「十代の俳誌」である『牧羊神』の同人を馘首された安井が、やはり寺山によって「仲間のうちで最も嫌いな俳人」と形容されたという大岡の第一句集『遠船脚』について述べた次の言葉を念頭に置いているにちがいない。

        いまや懐かしい『遠船脚』は、大岡頌司個人のみならず、私たちの遺産の一つであると思っている。あまり誇れるものもない中で、貴重な遺産の一つというべきであった。私たちといえば、かつてそこには一つの世代、ごく狭義の世代があって、それは昭和二十八・二十九年頃、〝寺山修司〟の俳句運動に象徴される一つの世代意識である。直接に寺山修司と関係のないグループもあったが、しかし寺山の波及力を考慮に入れると、けっきょく寺山を中心に私たちの世代のサイクルは回転したとみるべきであろう(傍点原文。「『遠船脚』と大岡頌司」『海辺のアポリア』邑書林、二〇〇九)

         川名はかつて大岡や安井が甘受した作家的敗北を、数十年の時を経て「寺山は俳人としては彼らにも敗れたことを甘受しなければなるまい」と語り直しているのである。これはあたかも三人の作家の間に生じた逆転劇のようにも見えるが、「昭和俳句」の読み手としての川名の本懐はそこにはあるまい。僕たちがここに見るべきは、「川名大」という読み手によって成し遂げられた彼らの再びの邂逅の美しさであろう。そもそも、「寺山/安井・大岡」などという対立構造など、彼らにとって―少なくとも安井自身にとって―どれほど重要であったろう。僕には彼らがそのような安っぽい構造で語れる程度の関係にあったとは思えない。先の文章で安井がしきりに「私たち」という言葉に執着しているのはそれゆえではなかったか。そして川名が寺山を語るときに安井や大岡の名を挙げたのは、この「私たち」という言葉に込められた安井の愛憎入り混じった思いを、川名もまた切実なものとして受けとめ続けてきたからではなかったか。いわば、寺山を語るときに安井や大岡がそのアングルに映りこんでくるということこそが、川名の「昭和俳句」の愛しかたなのである。


        第76号 (2014.06.27 .) あとがき

        北川美美

        今号無事更新。あとがきはお休み・・・。


        筑紫磐井

        ○家の隣は長いこと植木畑であったが、3年ほど前に地主がなくなって売りに出され、建売り住宅がたくさんできた。これに伴い新しい私道が設けられて、私の家の前の突き当たりの私道とつながった。このため、通り抜けが可能となり、歩行者の動線が大幅に変わったのである。今までは私道の奥に住んでいる人しか使わなかった道路だが、通り抜けが多く通うようになった。

        最も顕著なのが、小学生だ。家の近くの車の通う区道は視界が悪く危険なので、そこから逸れるこの私道を10人ぐらいの小学生が通学路として常時利用するようになった。朝飯を食べながら眺めていると、たぶん始業の1時間ぐらい前から出かける真面目な生徒もいれば、8時半の始業にぎりぎり間に合うようにあたふたと駆けて行く生徒もいる。踏切にひっかからなければ、何とか教室に滑り込める時間なのだ。ただ、朝の踏切は混雑しているから、この生徒は2回に1回は教室で立たされていたのではなかろうか。

        面白いのは、この生徒の姿が突然見えなくなったことである。たぶん、この生徒は6年生で、今年の3月に卒業し、今頃は中学に通うために別の通学路をあたふたと駆けて行っているのだろう。

        なぜこんなことに関心があるかというと、俳壇によく似ていると思えたからだ。相変わらず、たくさんの通行人(俳人)はいるが、亡くなったり、別の趣味に移ったりして、通っているのは、すべてが昔の人々ではない。同じ通行人(俳人)のつもりで話をしても、実際は随分と違った人々の構成となっているかもしれない。俳句の指導者が何度でも同じ話をしているのを聞くと少し面倒くさくなるが、案外聞いている人達は次々に入れ替わり、新しい話として聞こえるのかもしれない。

        以上は皮肉である。それに反して、このBLOG俳句空間は、アーカイブ機能を持っているからいつでも古い話を書庫から引きずりだせる。だからこそ、常に新鮮な話題を提供したいと思っている。



        【俳句時評】字余り・字足らず・言葉足らず(こもろ・日盛り俳句祭シンポジウム関連)/筑紫磐井 

        (週刊俳句より転載)

        こもろ日盛り俳句祭のシンポジウムは、数回にわたり季語をテーマに取り上げてきていた。
        これはそれなりに有効で、例えば日本気象協会の24節気見直しキャンペーンに反対して、気象協会の担当者を呼んで議論し、その主張を撤回させることに成功している(最近刊行された協会の報告書では「一般の方からも「24節気を変えるのはやめてほしい」という意見が日本気象協会に寄せられました」と書かれている)。

        もっとも、季語についてのテーマで延々と「写生」についての自説の主張を続け他人の発言の余地をなくしたパネラーもいたり、予想外の展開もあったりはしたが。



        今回は、今までと趣向を変えて「字余り・字足らず」をテーマとすることとし、その司会を勤めてほしいと依頼が来た。

        パネラーの顔ぶれをみると皆ひとくせもふたくせもありそうな論争好きな人ばかりで、今まで多少混じっていた純真そうな若手がいないので、シンポジウムとしては面白そうだが、司会としてはその運営が思いやられる。

        たぶん司会としてはあまり自分の意見が述べられそうもないので、この際先に述べてしまおうと思う。

        字余りのこと

        今回の小諸にちなんで虚子『五百句』から異形の句を選んでみよう。

        明治時代の句から選んでみると、大半が字余り句であり、字足らず句は少ないようである。

        【五百句・明治編】

        ①怒涛岩を噛む我を神かと朧の夜 
        ②書中古人に会す妻が炭ひく音すなり 
        ③曝書風強し赤本飛んで金平怒る 
        ④書函序あり天地玄黄と曝しけり 
        ⑤凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり 
        ⑥叩けども叩けども水鶏許されず 
        ⑦蛇穴を出てみれば周の天下なり 
        ⑧友は大官芋掘つてこれをもてなしぬ 
        ⑨石をきつて火食を知りぬ蛇穴を出る 
        ⑩御車に牛かくる空やほととぎす 
        ⑪此墓に系図はじまるや拝みけり

        特徴的なのは、虚子にあっては、俳句575、つまり上5、中7、下5のうち、上5部分の字余りが多いことである(①~⑤)。

        これに次ぐのが中7である(⑥~⑧、⑩~⑪)。下5は少ない(⑨)。

        またこのことから、無制約に字余りにしているのではなくある種の法則性がありそうに感じられる(2か所に字余りにしている句もあるが一方に限って示すことにした)。

        つまり、575の純粋な定型に、その一部だけを字余りにしてリズムを崩しているが、字余り部分を一気に読んでしまえば、全体は575の定型構造が維持されているように感じ取ることができる。

        例えば、上5・中7・下5を頭・腹・足にたとえれば、特定局部、頭とか腹とかだけが異常に大きくて、その他の部分は普通であるという詠み方なのである。これが虚子の字余りの法則であった。

        だから(櫂未知子のように)中7を8字にすることの抵抗感のようなものはない。

        一方で、楸邨や草田男に多い下5を6字にする字余りは少ない。

        次に字余りになる部分をよくよく吟味すると、皆文語であり、更に如何にも由緒ありげな表現となっていることに気づく。

        これは虚子が能の家(池内家)に育ったことと無縁ではないようである。能の歌謡部分である謡曲にあっては、75調が主調であるが、一方で室町時代の様々な歌謡(例えばクセ舞)を取り入れ不定型となっている部分も多い。

        これらは上の虚子の法則によくかなうのである。

        このことから、虚子には虚子の字余りの法則、楸邨には楸邨の字余りの法則があることになる。

        俳句では家々・師弟の伝承だけでなく、個人個人の文体につながる独特の表現法則があり、特に字余りはそれが多いようである。

        相生垣瓜人のようにすべての字余りを排除する作家もいれば、字余りに無抵抗なもの、字足らずに無抵抗なもの、字余りであっても特定の型に対してのみ無抵抗なもの、等様々な傾向があるようである。



        ではなぜ定型に逸脱するのであろうか。上にあげた虚子など、大正時代に入ると自ら「守旧派」(伝統派)と宣言するのであるが、その直前にはこんな自由な文体を駆使していたのである。

        これに対して、歌人の岡井隆や阿部完市の主張するリズム論は、なかなか示唆に富む。

        定型というリズムはもちろん575の伝統的な形式で厳然としてあるが、これを原型のリズムとすれば、別に意味のリズムがあるという。

        「意味が、拍による等時的リズムに干渉し、その等時性を乱す。その時に生ずる音の線の流れを、意味のリズムと呼ぶ」
        「拍を単位とする等時的リズムを原型とみるならば、意味の干渉を受けて生まれる意味のリズムは、そのヴァリエーションである」
        「そして、意味のリズムが、原型から隔たれば隔たるほど、詩のリズムとしての価値は高まる(逆に原型のリズムにちかづけばちかづくほど、単調になり、そのリズムの表現力は弱まる)」

        という。


        つまり我々は、575のリズムに支配されつつ、それが永遠に続くことにいらつくのである。虚子でさえいらいらしたのである。

        実際、虚子の⑩⑪などは、字余りにする必要性は認めがたく、虚子のいらつきばかりが伝わってくるように思うのである。

        そこで、あの最も自由律に近い阿部完市は

        「一句一句それぞれに、・・・字余りという特別の律にあらぬ、定型十七音の一句として、心中に立ち上がらせ、静かに存在せしむる事が可能となる」

        と主張する。

        つまり字余りは、意味のリズムから見れば、異形のものではなく、純正な定型となるとまで言い切るのである。

        超字余りのこと

        最後に話題を転じよう。『超新撰21』で華々しく登場した種田スガルであるが、彼女の作品集には次のような句がある。

        白壁のリビングに溶ける扇風機と愛撫のノイズキャンセラー

        ほぼ短歌に匹敵する長さである。これは短歌であるか俳句であるか。しかし、こうした伝統は江戸時代からあり、談林の俳諧にも長い発句は登場している。

        与市に酒を喰ハせ子を雉のませよなんとゝあり 定之 
        三味線調べ男はつれなげにあちらむきたる 三井秋風
        正に前衛は戦後の金子兜太にばかり始まったわけではない。江戸の前衛も歴然と存在した。そして芭蕉さえこうした句の影響を受けて、字余りの句が初期には登場する。

        あら何ともなやきのふは過てふくと汁 芭蕉 
        芭蕉野分して盥に雨を聞く夜哉 
        櫓の声波ヲうつて腸氷ル夜やなみだ

        よくみると虚子と同様に、字余り部分は文語であり、更に如何にも由緒ありげな表現となっている。字余りの法則は、芭蕉も虚子も余り変わりはなかったのかも知れない。

        さてこれらは短歌か俳句か、少なくとも俳句ではないのか?字余りはどこを超えると俳句ではなくなるのか。種田スガルの例に照らせば、俳句ではないと言いたくなる人がいるに違いない。

        安吾の「第二芸術論」

        さて最近、若い人たちに再び人気が出始めている坂口安吾に「第二芸術論について」(『坂口安吾全集』第5巻)という評論というかエッセイというか、文章がある。

        当然桑原の第二芸術論に対する感想かと思うと、冒頭「私は桑原武夫氏の「第二芸術論」を読んでゐない」というから、桑原とは無関係な坂口固有の第二芸術論である、すこぶる面白い。

        「むろん、俳句も短歌も芸術だ。きまつてるぢやないか。芭蕉の作品は芸術だ。蕪村の作品も芸術だ。啄木も人麿も芸術だ。第一も第二もありやせぬ。」

        これは俳人が喜びそうだ。しかし、「然し日本の俳句や短歌のあり方が、詩としてあるのぢやなく俳句として短歌として独立に存し、俳句だけをつくる俳人、短歌だけしか作らぬ歌人、そして俳人や歌人といふものが、俳人や歌人であつて詩人でないから奇妙なのである」なんか雲行きがおかしい。

        「俳句も短歌も芸術の一形式にきまつてゐるけれども、先づ殆ど全部にちかい俳人や歌人の先生方が、俳人や歌人であるが、詩人ではない。つまり、芸術家ではないだけのことなのである」おやおや、俳句や短歌は立派だけど、俳人や歌人は二流だと言っているのだ。

        「外国にも二行詩三行詩はあるが、二行詩専門の詩人などゝいふ変り者は先づない」「日本は古来、すぐ形式、型といふものを固定化して、型の中で空虚な遊びを弄ぶ。然し流祖は決してそんな窮屈なことを考へてをらず、芭蕉は十七文字の詩、啄木は三十一文字三行の詩、たゞ本来の詩人で、自分には十七字や三十一字の詩形が発想し易く構成し易いからといふだけの謙遜な、自由なものであつたにすぎない」うーむ。

        だから「俳句も短歌も私小説も芸術の一形式なのである。たゞ、俳句の極意書や短歌の奥儀秘伝書に通じてゐるが、詩の本質を解さず、本当の詩魂をもたない俳人歌人の名人達人諸先生が、俳人であり歌人であつても、詩人でない、芸術家でないといふだけの話なのである」これが結び。

        桑原武夫の「第二芸術」よりひどいではないか。




        8月2日 16:00〜18:00
        2日目 日盛俳句祭シンポジウム
        字余り・字足らず
        司会=筑紫磐井
        パネリスト=井上泰至、岸本尚毅、櫂未知子、島田牙城
        なお、当シンポジウムでは、フロアー発言を積極的に募りたいと肝煎=本井英氏が話しておられます。ご参加下さる方々、是非、これだけは言いたいということを考えておいて下さい。

        「我が時代――戦後俳句の私的風景」5./ 筑紫磐井   

        十時海彦(3)

        十時海彦は昭和51年ごろ誌上から姿を消してしまう。その直前の作品から眺めてみることにしよう。

        50年5月特集青年作家競詠
        霞ヶ関
        十時海彦
        今朝の冬凶器たるべく靴を磨く 
        冬木立高層ビルにひびを入れる 
        妥協なしビルの四壁も木枯も 
        木枯やペン画のごときビルの群 
        ビルの根に噴水凍るただ一輪 
        寒燈のビルまる見えのサラリーマン 
        冬銀河一万の椅子ビルに死す 
        寒夜またも地中の駅への四角な灯 
        地虫出づ手に荷物なきサラリーマン 
        熱帯魚へらへら暇な喫茶店

        49年4月から十時は文部省に入省するから、「霞ヶ関」とはまさに当時の虎ノ門にある文部省の風景である。十時の従来の俳句とは違った都会俳句であり、索漠たる感じの風景作品となっている。句に出てくる「サラリーマン」とは、官僚はサラリーマンとは厳密には異なる筈だが時間を切り売りしている点では異ならず、自嘲気味に自らのことを呼んでいる。

        あまり楽しそうな雰囲気ではなさそうである。

        51年5月特集・沖の20代

        十時海彦
        米研ぐや鶴めざめゐる水明り 
        天と地と金剛力の鶴一本 
        鶴食ひし夢の如くに昼の雪 
        鶴も地も夜へ回りゆく吾もろとも 
        風花のふれあふ空の深さかな 
        寒鯉を夜の雲おほひ尽しけり 
        寒鯉の鱗の数の完結す 
        酔へば歌ふ青春無頼の懐手 
        鷲遠くなぐれゆきても流氷群 
        薄氷を剝ぎて汲む水やはらかき 
        鶴白し檻のまはりに春暮れて 
        眼鏡はづせば名知らぬ鳥の雲に入る 
        鳥わたる村の出口の仏達 
        父母の家を無数の鳥の目がわたる 
        わたり鳥ひろがりちぢみ消えにけり

        これは沖誌上での十時最後の作品となってしまった。再び「鶴」「鯉」「鳥」の題詠へ復帰している。20代の十時の本領は題詠であったようだ。さらにこの特集では小文で俳句が作れなくなった状況を詳しく書いている。就職後2年目にして力尽きてしまった感じがよく分かる。聞くところによれば、この頃、地方の教育庁に赴任し、労務問題に対応していたらしいから俳句どころではなかったのだろう。

        気持の余裕がほしい
        ここ2年余り殆ど俳句が作れない。正確に言うと、そもそも作ろうという気が起こらないのであるが、作ろうとしないことも広い意味では作れないことのうちに入るのであろう。理由は簡単である。気持ちの余裕がないからに外ならない。俳句はわずか17文字であるが完結した1つの世界を表現せねばならない。そのためには気持ちの余裕が必要である。矢張り当分の間、私は作れないだろう。

        ほとんどの青年作家がこうした経路をたどって俳句から去っていった。再び蘇るのは、40代になってからとか、60歳の定年を迎えてからとかになるわけである。当時のことを考えると、青年作家がいないわけではなかった、青年作家が続けることが難しかっただけなのではないかと思える。

         【小津夜景作品No.29】   廃墟と宇宙    小津夜景



           廃墟と宇宙   小津夜景


         わたしは軽トラックに乗ると、鼻歌を歌ひつつ無断でそれを発車させた。月下に静まり返る住宅街を抜け、原生林ばかりの郊外を過ぎて海へ出ると、そこには緩やかな海岸線に沿ふやうに、炭坑用臨港鉄道のブロードゲージが続いてゐて、その脇には海底の石炭を掘り出した際の、白ズリの山の裾野があつた。わたしは軽トラックを降りてブロードゲージをまたぎ、白い石灰岩が偽りの天然と化したズリ山の端をおもむろに踏みしめた。それがゴミだといふことを確かめるために。
         踏んだ瞬間、山がまがひものであることはすぐ分かつた。けれどもなんとなく、ゴミで山をつくるといふ営みが、人間の労働に不可欠の、手すさびとしての創意であるやうな気分にもなつた。この「巧まざる賜物」は、労働といふ自己疎外によつて生み出されたからこそ、こんなにも真つ白に、無意味に輝いてゐるに違ひない。ああ。なんて背理的なオリジナリティに満ちた夜なんだらう……。
         わたしはさう感動しつつ、目の前のゴミを、固有のリアルさをもつ建造物であるとみなして静かに登り始めた。
         白ズリの、そのざらついた肌合ひは力強い活力に満ち、その肌に埋もれたシェルフミンは儚く侘しげで、生きたまま化石となつた海の生き物の、そのおびただしい死骸の上に立つていま月を仰いでゐるわたしは、この覚醒しきつた空間とあの目に見えない時間の両腕に抱かれ(あるいはそんな時空の狭間に見捨てられ)まるで廃墟を制した天使か蛆のやうだつた。
         ともあれ今宵のわたしは、廃墟のまぼろしが、完全なる現実感を備へた建造物に欠くべからざるものだといふ真理を、はつきりと学んだのだ。


        ジェラートの燃えて宇宙が永き午后

        義髪なるモナリザ蛆を笑まひけり

        白玉に化けて迷子の祖父無傷

        ニッキ水灰の情事を聴いてをり

        ゆすらうめあまたの死後の重さかな

        シーシュポス裸のランチ食しにけり

        みなつきの月ぞはじめて吸血す

        真夜中の通り魔パインアップルは

        我が名よぶ遥かデモクリトス水着

        金平糖こぼし地球を去りゆかむ




        【作者略歴】
        • 小津夜景(おづ・やけい)

             1973生れ。無所属。





         【朝日俳壇鑑賞】 時壇  ~登頂回望その二十一~ 網野月を

        (朝日俳壇平成26年6月23日から)

        ◆仁左衛門観に水無月の始発便 (福岡市)伊佐利子

        金子兜太の選である。去年三月に新開場した銀座・歌舞伎座での「六月大歌舞伎」へ松嶋屋の片岡仁左衛門が昼の部最後の演目である「お祭り」〈鳶頭松吉〉役で出演した。将来の仁左衛門を期待されている孫の片岡千之助も〈若い者正吉〉役で同じく共演した。肩を痛めて舞台を遠慮していた松嶋屋だけにファンにとっては久々のご対面である。始発便だろうが何だろうが、これは放ってはおけない出来事なのである。はるばる福岡から上京したのだ。単純に事実だけを叙しながら、その中にファンならではの熱い心が籠められている。「一年に一度の浮き立つ祭り気分も手伝い、祭礼の御神酒を振る舞われたのか、ほろ酔い加減の松吉。いつものいなせな姿に浮かれ気分が加わって、その男振りは一段と上がっている。」(歌舞伎座刊「筋書・六月大歌舞伎」より)と記されている。前名孝夫時代からの、松嶋屋ならではの当たり役であろう。大向こうからの「待ってました!!」が一層華やいで聞こえる。

        ◆籐椅子や父の思ひしこと思ふ (松戸市)橘玲子

        長谷川櫂選である。お父上愛用の籐椅子に作者が腰かけたのであろう。揺られながら、お父上を思い出している。そんな景である。「父の思ひしこと」が何であったかに思い当たったそんな時に「あの時、なぜ私は父へ逆らったのだろうか?」と思ったりする。

        上五の切れ字「や」に対する座五の終止形を嫌う向きもあろうが、句の内容が情に勝っているだけに、切れをはっきりつけた掲句のやり方に筆者は賛同する。

        今回の稲畑汀子選には薔薇のテーマが多かった。

        ◆もしかして私の為に薔薇開く(富士市)蒲康裕、
        ◆ひと夜さの雨の錘の薔薇を剪る(松原市)加藤あや、
        ◆華やぎをたたみきれずに薔薇散りし(名古屋市)中野ひろみ

        以上三句である。

        薔薇には非常に強いメッセージ性がある。それだけにその強さに匹敵するだけの句柄と作者の個性そのものが要求されるように思う。残念ながら筆者は御三人とも存じ上げないのだが。






        【執筆者紹介】

        • 網野月を(あみの・つきを)
        1960年与野市生まれ。

        1983年学習院俳句会入会・同年「水明」入会・1997年「水明」同人・1998年現代俳句協会会員(現在研修部会委員)。

        成瀬正俊、京極高忠、山本紫黄各氏に師事。

        2009年季音賞(所属結社「水明」の賞)受賞。

        現在「水明」「面」「鳥羽谷」所属。「Haiquology」代表。




        (「朝日俳壇」の記事閲覧は有料コンテンツとなります。)



        2014年6月20日金曜日

        第75号 2014年06月20 日発行

        作品
        • 平成二十六年花鳥篇 第四
        ……山本たくや、川嶋ぱんだ、浅津大雅、羽村 美和子、竹岡一郎

        夏木 久、西村麒麟、内田麻衣子、小久保佳世子   》読む

        現代風狂帖
        •  小津夜景作品 No.28
           雨の思ひ出      小津夜景   ≫読む

        • 竹岡一郎作品 No.17
        吾輩は蛸である骨はまだ無い      竹岡一郎     ≫読む




        ●鑑賞・書評・評論・エッセイ 

        【戦後俳句を読む】
        • 上田五千石の句【テーマ:「山」】
        ……しなだしん   》読む

        • 我が時代――戦後俳句の私的風景 4.
        ……筑紫磐井   》読む

        • 「俳句空間」№ 15 (1990.12 発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ
        (続・9、福田甲子雄)……大井恒行  ≫読む



        【現代俳句を読む】


        • <朝日俳壇鑑賞> 時壇 ~登頂回望 その二十~



        (前号より継続掲載)
        • 〈俳句時評〉 クプラスの第二特集にびっくりした……堀下翔   ≫読む
        • <俳句時評> 僕たちは「高野ムツオ」で感動したい……外山一機 ≫読む
        • <俳句時評> 五十句競作終了から30年目……北川美美 ≫読む
        • <俳句時評> BLOG俳句空間の歴史 ……筑紫磐井 ≫読む
        • <俳句時評>「俳壇抄」の終刊から ……筑紫磐井 ≫読む
        • <西村麒麟『鶉』を読む>15 幽霊飴 ……中山奈々 》読む



        • <「俳句新空間No.1」を読む>7  ……陽美保子   >>読む







        • <俳句評>(詩客より) 俳句と現代詩のあいだ ……宇佐美孝二   ≫読む 



        大井恒行の日日彼是       ≫読む
        読んでなるほど!詩歌・芸術のよもやま話。どんどんどんと更新中!!


        412日更新:筑紫磐井『我が時代』         》読む
        4月30日更新:仁平勝『路地裏の散歩者ー俳人攝津幸彦』 》読む 




        ● あとがき  ≫読む



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               【朝日俳壇鑑賞】 時壇  ~登頂回望その二十~ 網野月を

               (朝日俳壇平成26年6月16日から)
                                      
              ◆大空へ刻を積み上げ今年竹 (岡山市)岩崎正子

              大串章と稲畑汀子の共選である。清々しい句で、今年竹の季題のイメージそのままである。今年竹の節々が伸びてゆく様子が「積み上げ」てゆくように見えたのだ。「大空へ」という一見漠然とした把握だが、大雑把になっておらずに大空の広さが句を大きくする働きをしている。

              「刻」はどういうイメージを表現しようとしているのだろうか?「刻」は一日という時間を基準に算定したものであろうが、どれ程の時間の長さだろうか。(中国では一日昼夜を百分の一にした時間、現在の日本では十五分くらいになろうか)今年竹は数時間で文字通りスクスクと伸びる時期がある。今年竹の一日の内の朝夕の様子の変化に作者が改めて気が付き、驚き感心し、楽しみにしているようだ。

              他に稲畑汀子の選に

              ◆母の日も口を開けば父のこと (大津市)西村千鶴子

              がある。選者の評に「三句目。母の日とて父を思う母と知る。」とある。選者は好意的な評を寄せているということが出来る。「口を開けば」という動詞の使い方から、選者は作者が誰か(たぶん母だろうと推測している)を見て、その様子を叙していると解釈したのであろう。

              作者の母は、父の話をしている、というのだ。仲の良い両親に作者の心は満たされている、というのだ。しかしながら、中七座五の「口を開けば父のこと」ばかりを話している母は、自分自身がお祝いされたり感謝されたりする「母の日」にもかかわらず、自分のことを顧みずに父のことばかりを話している、という理屈が働いてしまわないだろうか?母親の父親への心の在り方には筆者は共感するのだが、上五の「も」辺りに改善の余地が有るかも知れない。




              【執筆者紹介】

              • 網野月を(あみの・つきを)
              1960年与野市生まれ。

              1983年学習院俳句会入会・同年「水明」入会・1997年「水明」同人・1998年現代俳句協会会員(現在研修部会委員)。

              成瀬正俊、京極高忠、山本紫黄各氏に師事。

              2009年季音賞(所属結社「水明」の賞)受賞。

              現在「水明」「面」「鳥羽谷」所属。「Haiquology」代表。




              (「朝日俳壇」の記事閲覧は有料コンテンツとなります。)



               【小津夜景作品No.28】   雨の思ひ出 小津夜景

                           雨の思ひ出    小津夜景
               
               昨夜、友人のダンスを見た。
               この季節になると、この友人はモナコの大聖堂でダンスを踊る。私はそれを、別のモナコ系の友人と連れ出つて、毎年のこのこ見にゆくのである。
               クルマを降りると、夜のモナコは煙のやうな小雨だつた。開演まで少し時間があつたので、私たちは城の広場で待つことにした。
               人の気配がない。見回してみると、観光客が数組。私たちは丁度高台になつてゐる広場の端から、町と海を眺めた。
              「なんだかさみしいね」
              「うん」
              「雨のモナコつて、いつもこんな感じ?」
              「さうだね。特に夜は」
               一緒に来た友人はさう答へながら、向かうの谷や、すぐ真下の住宅街を指差して、うちの家族はあの谷に十四世紀から住んでるんだよ、とか、あ、あそこ私の生まれた病院だ、とか教へてくれる。
              「へえ。さういへば、シャルレーヌ妃がご懐妊だよね? モナコの人たち、喜んでるんぢやない?」
               私がこんな世間話を口にすると、友人は少し思案するやうな顔つきになり、
              「んん」
              と唸つた。一般に、モナコ人の王室に対する心情は、さう単純ではないもののやうである。私はその事を思ひ出し、すぐこの話を引つ込めた。
               もうすぐダンスの開演時間だ。私たちは大聖堂へ移動することにする。歩き出すとき、友人が、言つた。
              「みんな、グレース・ケリーのこと、ずつと忘れてないんだよ。彼女がお嫁に来る前の晩も、とても静かで寂しい雨が降つてゐた。雨の広場にくると、わたし、今でもその夜の事を思ひ出すんだ」



              とんだ雨なり婚礼の羅を穿ち

              夏雲を追ひたて盲目の姉妹

              睡蓮のねぐらよ壺をかくまふは

              茂り男が庭に掻きつづける楽碑

              空虚五度鳴りわうごんの祭かな

              リュートただよへり水母の日記のごと

              没年はありや幾多の箱庭に

              まくなぎはけむりと返しさし枕ける

              果てしなき流れの果てのまくはうり

              ゆきなさい海星に生まれたのだから





              【作者略歴】
              • 小津夜景(おづ・やけい)

                   1973生れ。無所属。





              第75号 (2014.06.20 .) あとがき

              北川美美

              ○昨日は桜桃忌。 


              太宰治の俳句は歳時記の例句でもあまり見ることもなく、今回いくつかを調べてみました




              追憶のぜひもなきわれ春の鳥   太宰治
              外はみぞれ、何を笑ふやレニン像
              幇間の道化窶れやみづっぱな
              ひとりいて蛍こいこいすなっぱら


              太宰ミュージアムなるものも。



              ○こもろ・日盛俳句祭について後日トップページからリンクできるよう詳細を記します。

              取り急ぎ、小諸市のサイトと イベント応援Face book をリンクいたします。


              小諸市のサイト(俳句の林間学校 「第6回 こもろ・日盛俳句祭」)

               「第6回 こもろ・日盛俳句祭」の応援 Facebook 


              ○東京都内では小田急線が脱線したというニュースが。 


              筑紫磐井

              ○すでに予告している通り、こもろ日盛り俳句祭が、平成26年8月1日(金)[兼題「青胡桃」]・2日(土)[兼題「土用」]・3日(日)[兼題「金魚」]に開催される(「嘱目句」「当季雑詠」も可)。

              句会は、「ベルウィン句会」「山城館句会」「應興寺句会」「みはらし交流館句会」「高峰高原吟行」「俳句入門講座」など。「BLOG俳句空間」のほかに今回は「週刊俳句」もバックアップする予定。

              ○「講演会」は講師として今年は矢島渚男が「虚子のことなど」という演目。「シンポジウム」は、今まで季語をめぐるテーマが続いたが、今年のテーマは「字余り・字足らず」。司会は筑紫磐井、パネリ
              ストに岸本尚毅、櫂未知子、島田牙城、それに近世文学の専門家として井上泰至氏が加わる。

              ○なお今年は、高浜虚子の『小諸百句』が復刊された(頒布価格2000円)。今回の会場の一つ、市立小諸高濱虚子記念館だけで販売の限定グッズ。

              ちなみに、あとがきの著者略歴を見ると、リアルタイムの記録(まだまだ生きるつもりでいた)であるだけに興味深い。 明治7年2月22日、伊予松山に生まる。伊予尋常中学校、京都第三高等中学を経、仙台第二高等学校中退。正岡子規と共に雑誌ホトトギスを発刊し、今日に至る。俳句の著書数十編、小説、随筆亦数十編。帝国芸術院会員。年齢73歳。住宅、鎌倉、目下仮寓、小諸。


              小諸市のサイト 「續小諸百句」の頒布について 

              「我が時代――戦後俳句の私的風景」4./ 筑紫磐井

              十時海彦(2)

              遡るが、十時海彦の活躍を見ておこう。「沖」では昭和46年から「俳句コンクール」と題して、公募作品を募集した。十時は早くもその第2回(47年)で入賞している。全15句を掲げてみよう。

              第二回俳句コンクール 入選三位

                   愛虫抄    十時海彦 
              でで虫や父はギリシャの海ゆくころ  
              昼寝覚蝶の羽音を聞きし如し 
              くしゃみすれば幽かに灯る螢籠 
              燃え上がる火蛾の総身透くばかり 
              あめつちの一点に持す唖の蟬  
              天道虫ねむるや天の七つ星 
              黄金虫胸に脚抱き死を夢む 
              窮すれば羽持ちて逃ぐ油虫 
              子蟷螂己が影にさへ斧を挙ぐ 
              でで虫の殻膨らます海の音 
              でで虫の渦に潮騒吸はれつぐ 
              夕かなかな我が胸腔は響き易く  
              旅の果てに見しは破船と浜昼顔 
              夜を泳ぐ首から下は玻璃となり 
              夕月や朝(あした)に撒きし山羊を呼ぶ

              十時海彦(とときうみひこ)略歴
              本名 玉井日出夫
              昭和二十三年九月、松山に生まる。東京大学生。四十三年、小佐田哲男助教授の「作句ゼミ」に参加、俳句の手ほどきを受ける。四十六年六月号より「沖」に投句。現在、東大学生俳句会員。
              第1句から第12句は虫を、この作者らしいテーマ詠だが、全体に題詠っぽい趣が強い。「燃え上がる火蛾の総身透くばかり」は火蛾の解説のようであるし、「子蟷螂己が影にさへ斧を挙ぐ」は蟷螂の題を与えられればこのような句は生まれそうである。しかし詠みぶりが若々しいのと、写生俳句に食傷していた昭和40年代後半の新しい俳句雑誌としては新鮮な感じを与えたのだろう。元々沖は理屈っぽいから(その理由は前々回述べた通りである)違和感は少なかったのかも知れない。

              そんな中でも次の3句は題詠であるにしても、飛躍があり、その飛躍が新しい叙情を産んでいるようである。

              でで虫や父はギリシャの海ゆくころ  
              あめつちの一点に持す唖の蟬  
              夕かなかな我が胸腔は響き易く 

              第13句から第15句は、虫の句が種切れになったのか虫以外の素材であるが、却って自然な詠みぶりで好感が持てる。写実の背景に若い情感が漂っているように見えるのである。

              旅の果てに見しは破船と浜昼顔 
              夕月や朝(あした)に撒きし山羊を呼ぶ

              このコンクールの応募総数は不明であるが、十時の他には大屋と大関が応募している。能村登四郎や林翔が期待している程、若手たちは熱していなかったようにも思える。なお、大屋もテーマ俳句で応募しているから、日常詠での勝負は若い世代に取ってみると苦手だったようだ。

              十時は、その後評論にも活発に挑戦し、受賞直後は長編評論「理念型としての俳句」(48年1・2月)を執筆、3周年記念号(48年10月)の評論コンクールでは「虚実論体系」で3位入賞、5周年記念号(50年10月)の評論コンクールでは「切字論」で大関、筑紫とともに同点1位入賞を果たしている。昭和40年代後期、すなわち沖創刊直後の若手有力論客であった。正木ゆう子も、中原道夫も、小沢克己も登場する前の時代であった。


              上田五千石の句【テーマ:「山」】/しなだしん

              この山の奇峰にならふ雲の夏    上田五千石

              第三句集『琥珀』所収。昭和六十一年作。

              「妙義山 三句」と前書きがある。

                      ◆

              今年平成二十六年五月、日本山岳会をはじめとする山岳関係者や自然保護団体等からの意見を受け、国会議員などを中心に検討されていた「山の日」という祝日の制定が決まった。日付は八月十一日。施行は二年後の平成二十八年から。

              ハッピーマンデーなる制度改訂で三連休を増やすため、月曜に当てはめた祝日が多くなった。たとえば七月二十日であった「海の日」も第三月曜日になるなど。

              その中で今回の「山の日」は八月十日と日付が特定された久々の祝日である。ちなみに、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことをその旨としている。

                      ◆

              さて、五千石が山歩きをはじめたのは、スランプに陥った昭和四十五年頃からであることは以前(第九回「精神の一句」・第十回「夏の一句」)に触れた。

              掲出句も「山」の句である。

              前書きの「妙義山」は、群馬県甘楽郡下仁田町、富岡市、安中市の境界に位置する山。日本三大奇勝の一つとされる。いくつもの切り立った岩の頂から成り、最高峰は表妙義稜線上の相馬岳で千百三m余。

                      ◆

              掲出句の同時作は、

              白扇を用ひて山気そこなはず 昭和六十一年 
              山暮にはか「虚飾やめよ」とほととぎす  〃

              の二句。また翌昭和六十二年にも妙義山へ赴き、二句を残している。

              信仰は難処を強ふる岩たばこ 昭和六十二年 
              崖みちに工みいささか落し文  〃

              これらは山の句というよりも、そこで出会った動植物や物を題材にした句。

              一方掲出句は、荒々しく尖った山容と、その「奇峰」に寄り添う「夏の雲」を眼前にした感動を率直に詠った作。「ならふ」は五千石らしい措辞で、「妙義山」ならではの一句といえるだろう。

              五千石が存命であれば「山の日」の制定をきっと喜んだことだろう。



              【竹岡一郎作品 No.17】  吾輩は蛸である骨はまだ無い   竹岡一郎




              吾輩は蛸である骨はまだ無い   竹岡一郎


              蛸嬲りても三界に癒える無し

              蛸まみれなる廃園を逃げ惑ふ

              松原の蛸屋敷にてすつてんてん

              蛸統べる者陸戦を制すらし

              まどろみの不死鳥に蛸絡み死(じに)

              逢坂は蛸の占領下にあります

              蛸裂けば骨笛ありぬ吹けば崩る

              蛸夜ごと窓を叩くをもう聞くな

              七月四日蛸匿ひて真珠湾

              水鉄砲蛸元帥の脳撃ち抜く

              七夕の泣き止まぬ蛸撫でてゐる

              不夜城に幸せならば蛸叩く

              大蛸は常世を広げ征きたいの

              革命は蛸である神はまだ無い

              蛸さすらふ一輝の脳標本どこかに




              【作者紹介】

              • 竹岡一郎(たけおか・いちろう)

              昭和38年8月生れ。平成4年、俳句結社「鷹」入会。平成5年、鷹エッセイ賞。平成7年、鷹新人賞。同年、鷹同人。平成19年、鷹俳句賞。
              平成21年、鷹月光集同人。著書 句集「蜂の巣マシンガン」(平成23年9月、ふらんす堂)。

              【俳句作品】  平成二十六年 花鳥篇 第四




                   山本たくや(「船団」「ふらここ」所属)
              ドライブの窓全開に薫る風
              こっちだよ手をこまねいている若布
              万緑の中でポキバキ鳴らす骨
              致死量を超えてピーマン肉詰めに
              マニュアルに沿ってリンゴ喰む白熊

                   川嶋ぱんだ(2013年12月末に関西俳句会「ふらここ」に入会。)
              黒南風に追われて神戸港を去る
              旧の宿恵みの黴とそうでない黴
              横道に一本いけば蝉の声
              粉チーズ夏の温室的思考
              残月に軸足置いて夏渡り
              弱冷車に女の髪の淋しけり
              傘閉じて港が見えるねホトトギス

                   浅津大雅
              天牛やトイレ案内板に点字
              吹いても吹いても頁にしがみつく糠蚊
              かはほりや絹ごし豆腐派でありぬ
              新樹光裏口入学のはなし
              さへずりや糺の森の土やはく
              初夏の怪物映画傑作選
              膨らめば国となるなり稲の花

                   羽村 美和子(「豈」「WA」「連衆」同人)
              夏蝶湧きふと式神のひとりふたり
              烏瓜の花秘密をさてどうしょう
              白雨です激しいプルトニウムです

                   竹岡一郎(「鷹」同人)
              五月雨の琴百年の柔き指
              短夜の短き舌を愛しけり
              玉葱を剝けば記憶の無くなりぬ

                   夏木 久
              阿弗利加の痒いところに蚊遣香
              五月雨の狙ふゴールの右の隅
              紫陽花の乾けば謀反はじまれり

                   西村麒麟
              薔薇の名を残念なほど忘れけり
              濃厚な薔薇ことごとくドイツ産
              赤黒く大人の薔薇でありにけり


                   内田麻衣子(「野の会」同人)
              摘み草や悋気な猫はまるく寝る
              太陽のたまご抱えてする午睡
              逐電インコの遠き裏声夏野原
              青物屋赤べら泳ぐサッシ裏
              みづいろに燃えよ静脈いなびかり

                   小久保佳世子(「街」同人)
              梅雨鴉こはいこはいと鳴いてゐる
              ざりがにの取引眼鏡の子が泣けり
              さみだれや眼鏡かけると眼が小さし




              2014年6月13日金曜日

              第74号 2014年06月13 日発行

              作品
              • 平成二十六年花鳥篇 第三
              ……花尻万博,下坂速穂,岬光世,依光正樹,依光陽子,藤田踏青,

              林雅樹,中西夕紀,津髙里永子,山田露結,小林苑を   》読む

              現代風狂帖
              •  小津夜景作品 No.27
                 天蓋に埋もれる家(後)      小津夜景   ≫読む

              • 竹岡一郎作品 No.16
               セーラー服特急あじあ号孕む      竹岡一郎     ≫読む




              ●鑑賞・書評・評論・エッセイ 

              【戦後俳句を読む】
              • 我が時代――戦後俳句の私的風景 3.
              ……筑紫磐井   》読む

              • 「俳句空間」№ 15 (1990.12 発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ
              (続・9、福田甲子雄)……大井恒行  ≫読む



              【現代俳句を読む】

              • <西村麒麟『鶉』を読む>15 幽霊飴 
              ……中山奈々 》読む


              • <朝日俳壇鑑賞> 時壇 ~登頂回望 その十九~


              • <俳句評>(詩客より) 俳句と現代詩のあいだ 

              ……宇佐美孝二   ≫読む 




              (前号より継続掲載)
              • 〈俳句時評〉 クプラスの第二特集にびっくりした……堀下翔   ≫読む
              • <俳句時評> 僕たちは「高野ムツオ」で感動したい……外山一機 ≫読む
              • <俳句時評> 五十句競作終了から30年目……北川美美 ≫読む
              • <俳句時評> BLOG俳句空間の歴史 ……筑紫磐井 ≫読む
              • <俳句時評>「俳壇抄」の終刊から ……筑紫磐井 ≫読む
              • <西村麒麟『鶉』を読む>14 俳句的自意識 ……しなだしん 》読む





              • <「俳句新空間No.1」を読む>7  ……陽美保子   >>読む



              大井恒行の日日彼是       ≫読む
              読んでなるほど!詩歌・芸術のよもやま話。どんどんどんと更新中!!


              412日更新:筑紫磐井『我が時代』         》読む
              4月30日更新:仁平勝『路地裏の散歩者ー俳人攝津幸彦』 》読む 




              ● あとがき  ≫読む



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                    第74号 (2014.06.14 .) あとがき

                    北川美美 

                    花鳥篇第三、そして、小津夜景さん竹岡一郎さんの創作的作品。現代風狂帖の名にふさわしい連載です。花鳥篇も次号以降も続々と掲載となります。どうぞお楽しみに。

                     以下の筑紫氏の後記にもありますが、雑誌(俳句雑誌という意味だと思います。)の枠組みを壊すものが続々・・ということに備え、作品画像をPDFファイルとしてweb上に格納し、リンクする方式に変えてみました。 今号は試運転です。

                    関東甲信越は梅雨空の中休み。夏がすぐそこです。


                     筑紫磐井

                    ○竹岡氏の意欲的な俳句小説が届いた。これから連載となる予定。せっかくのブログ雑誌であるから、既存の雑誌の枠組みを壊すものが続々と出てくれるとうれしい。

                     ○日本文芸家協会ニュースの編集後記を読むと、商業雑誌から同人誌の記事がほとんどなくなったと書いていた。その上で今こそ同人誌の意義が増しているのではないかと挑発している。筆者によれば、「顔の見える相手に向かって書く強み、自分の想いが理解者に届く幸せ、芸術家のポーズは必要なく文学を追求できる立場」だそうで、いうなれば「町内会の銭湯」に相当するそうだ。「商業誌の多くは立ち直れない、志ある熱き同人誌を見習え」、は同人雑誌だけでなく、このブログにも共通して言えるようである。

                    【俳句作品】 平成二十六年 花鳥篇 第三









                       平成二十六年 花鳥篇 第三

                         花尻万博
                    母の家造花に満ちて若葉雨
                    薇を入れてすまし見飽きたり
                    定型の言葉透けつつ薊かな

                         下坂速穂(「クンツァイト」「屋根」)
                    羽抜鳥何を怖るることもなく
                    紫陽花のきのふの色を水の上
                    夏蝶や一枚の葉の朽ちるまで

                         岬光世 (「クンツァイト」「翡翠」)
                    どこからが風や莟や花みづき
                    葉桜や上人像の名を忘れ
                    夏きざす大樹は雲を歩かせて

                         依光正樹 (「クンツァイト」主宰・「屋根」)
                    どこまでもいけると思ふ著莪の花
                    街に道寺に径や花樒
                    ひらきては潮を臨むひからかさ

                         依光陽子 (「クンツァイト」「ku+」「屋根」)
                    抱卵期影のひとつとなりて啼く
                    借景として姫著莪の喪の如く
                    鈴蘭や硝子隔てて内と外に

                         藤田踏青
                    類語を嫌いすねるばかりの花筏
                    逆走の片眼に荒野と花菜畑
                    寂光土にはいつも山鳩が
                    逆縁なれば時鳥など知らず
                    車椅子にも九尺藤の乱れ文字

                         林雅樹(「澤」)
                    新樹風に揺れ駅前のロータリー
                    夢遊病者新樹に呼ばれ木戸を出づ
                    栗の花匂ふ通りに出て叫ぶ

                         中西夕紀
                    東(ひんがし)の月まだ淡し生ビール
                    神輿来る暗渠に橋の名を遺し
                    水貝を出せう貧交に淡交に

                         津髙里永子
                    青芝やザッケローニと母言へて
                    駅薄暑犬の里親募る声
                    チューブ入り病院食や青葉冷 

                    山田露結(「銀化」)
                    紫陽花のこれは造花でこれも造花
                    リア充とは空しづかなる罌粟の花
                    命などかけてはならぬ冷奴

                         小林苑を(1949年東京生まれ。「里」「月天」「百句会」「塵風」所属。句集『点る』2010年上梓。)
                    大南風姿の見えぬものばかり
                    捨て鉢な金魚尾鰭を叩きつけ
                    黙祷をしてその後の海開き