2024年4月26日金曜日

第224号

           次回更新 5/17


【広告】俳句新空間第19号・WEP俳句通信139号・俳壇年鑑2024年版・『戦後俳句史』  》読む

【募集】現代俳句協会・評論教室開催のお知らせ 》読む

【現代俳句協会youtube紹介】いまさら俳句第7「三協会統合論って何?」 
ゲスト:筑紫磐井 インタビュアー:後藤章  》読む


■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和五年秋興帖
第一(2/16)竹岡一郎・山本敏倖・杉山久子・仲寒蟬・関根誠子
第二(2/23)瀬戸優理子・大井恒行・神谷波・ふけとしこ
第三(3/8)冨岡和秀・鷲津誠次・浅沼 璞・仙田洋子・水岩瞳
第四(3/16)曾根毅・小沢麻結・木村オサム
第五(3/22)岸本尚毅・前北かおる・豊里友行・辻村麻乃
第六(3/26)網野月を・渡邉美保・望月士郎・川崎果連
第七(4/12)花尻万博・眞矢ひろみ・なつはづき・五島高資

令和五年冬興帖

第一(2/23)竹岡一郎・山本敏倖・杉山久子
第二(3/8)仲寒蟬・関根誠子・瀬戸優理子
第三(3/16)大井恒行・神谷 波・ふけとしこ・冨岡和秀・鷲津誠次
第四(3/22)浅沼 璞・仙田洋子・水岩瞳・曾根毅・松下カロ
第五(3/26)小沢麻結・木村オサム・岸本尚毅・前北かおる・豊里友行
第六(4/12)辻村麻乃・網野月を・渡邉美保・望月士郎
第七(4/26)川崎果連・花尻万博・眞矢ひろみ・なつはづき・五島高資

■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第44回皐月句会(12月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第19号 発行※NEW!

■連載

【抜粋】〈俳句四季2月号〉俳壇観測253 昭和99年の視点で見た歴史 ――昭和俳句史・平成俳句史・令和俳句史をたどる(続)

筑紫磐井 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり6 佐藤文香句集『こゑは消えるのに』 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(45) ふけとしこ 》読む

英国Haiku便り[in Japan](44) 小野裕三 》読む

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 5.和紙の三つの時代 筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句 》読む

句集歌集逍遙 筑紫磐井『戦後俳句史nouveau1945-2023——三協会統合論』/佐藤りえ 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
インデックス

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む

…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
4月の執筆者(渡邉美保)

■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】〈俳句四季2月号〉俳壇観測253 昭和99年の視点で見た歴史 ――昭和俳句史・平成俳句史・令和俳句史をたどる(続) 筑紫磐井

 (前略)

平成・令和俳句史

 平成俳句史・令和俳句史(つまりリアルタイムな現在史)を書こうとする試みはないわけではない。長期間にわたる歴史観察は長くさえあれば、時評をつなげていっても見ることは可能だ。例えば、普通の俳句時評は1年ないし半年交代で様々な論者に執筆させているが、これを長い視点で続ければ自ずと俳句史が出来上がる可能性があるわけである。例を挙げて見よう。

 ➀「詩学」・俳壇時評:林桂1989-2003(15年間) これは『俳句・彼方への現在』(詩学社)として抜粋刊行している。

 ➁「俳句四季」・俳壇観測:筑紫磐井2003-2023(21年間) これは『21世紀俳句時評』(東京四季出版)として2013年までのものを抜粋刊行している。

 抽象的ではわからないから、それぞれの本で掲げられている面白い事件・事象・著書を眺めてみよう。(年数表示は原著に従う)


●林桂『俳句・彼方への現在』

乾裕幸「俳句の現在と占典」(1989.1)

小林恭二「俳句という遊び」の問い(1991.1)

飯田龍太「雲母」終刊の意味(1992.10)

「雷帝」創刊終刊号(1994.2)

筑紫磐井「飯田龍太の彼方へ」(1994.8)

復本一郎「俳句と川柳」(2000.3)

金子兜太「東国抄」(2001.6)

黒田杏子「証言・昭和の俳句」(2002.7)

川名大「モダン都市と現代俳句」(2003.1)

坂本宮尾「杉田久女」(2003.8)


●筑紫磐井『21世紀俳句時評』

七十代の冒険[星野麦丘人・吉田汀史](平成15・1)

新興俳句を読んでみよう![高屋窓秋・加藤郁乎](15・3)

鎌倉虚子記念館に行く[高浜虚子](15・4)

中岡毅雄よ、もっと有季を語れ[中岡毅雄](17・3) 

俳句は囗承詩である[鈴木六林男・桂信子](17・5)

俳句時評の書き方[林桂・田中裕明](17・6)

結社誌の時代は終わった?(18・2) 

『新撰21』新世代大いに語る(22・3)

東日本大震災を考える(23・6)

「俳句研究」の終刊(23・11)

俳句甲子園の定着(24・12)


 林桂『俳句・彼方への現在』は川名の本と同様新興俳句系の作家の動向に詳しい。筑紫磐井『21世紀俳句時評』は雑多で、伝統俳句や俳人協会系の事項、風俗的な事件まで含まれている。よって立つ俳句史観が異なることが大きいが、これらの時評が真理である必要はない、それは読者が自らまとめ上げるべきことだからだ。読者が考えるための心覚えのための年表であるからそれぞれの時代が浮かび上がることが大事だが、史観の違いはそれほど大きな問題ではない。少なくとも何の手がかりもない状況で、戦後や昭和を考えるわけにいかないから、その補助手段である。

 一例をあげれば、冒頭、青木亮人氏の発言を引用した中で、「現代俳句協会、俳人協会、日本伝統俳句協会に分裂したが、これらを「三派鼎立時代」と見なすようなーーあるいは見なすべきではない」と断定するためには、矢張り多くのディテールの詰まった、何らかの資料集が必要であろう。特にそれが、血湧き肉躍るような面白いエピソードが語られることは嬉しいものである。実は冒頭かかげた、楠本憲吉編『戦後の俳句 : 〈現代〉はどう詠まれたか』はこうしたことから見ても傑出した名著であった。文章練達の士が書いた歴史はこんなにも面白くわかりやすくなるのかと感心するほどである。 


【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり6 佐藤文香句集『こゑは消えるのに』豊里友行

  『新撰21』(共著、2010年、邑書林)は、21世紀にデビューしたU‐40世代21人による1人100句収録のたいへん話題を呼んだアンソロジー句集で、その若手俳人の1人である佐藤文香さんは、もうすでに刊行されていた第1句集『海藻標本』(2008年、ふらんす堂、宗左近俳句大賞受賞作品)で名を馳せていた。

  『新撰21』の佐藤文香俳句には、その第1句集『海藻標本』収録の「少女みな紺の水着を絞りけり」など名句も沢山あった。

 それらには、触れられていない2002年の第五回俳句甲子園の団体準優勝、最優秀句に選ばれた佐藤文香俳句もとても鮮烈な佐藤文香さんの代表句のひとつ。


夕立の一粒源氏物語


 葡萄ひと房のような夕立に遭遇する。それは、まるで源氏物語の恋物語のひと粒のようでもある。紫式部の『源氏物語』のような小説を書きたいと思い描きつつも書けない日々を過ごす私にとっては、17音の俳句に凝縮された佐藤文香俳句の鮮烈さにカメレオンのように舌を巻いたものだ。


 今年、2024年に刊行された詩集『渡す手』(新潮社)で中原中也賞受賞。

 同時期に『こゑは消えるのに』(2024年刊、港の人)を出版している。

 云うまでもないが花のある作家だ。

 今回の私の句集鑑賞は、この『こゑは消えるのに』なのだが俳句も、もちろん良いのだが、写真も掲載されていて良い感じなのだ。

 アメリカ句集とあるように2021年10月から2022年9月までの1年間、アメリカの西海岸、カリフォルニア州のバークレーに住んだと後書に記されている。


こゑで逢ふ真夏やこゑは消えるのに


 本句集名にもなるこの句は、俳句甲子園や『海藻標本』とは異なる「私」が濃厚に語り出しているように感じた。

 声で逢う。

 電話で恋人同士が真夏の時を惜しむように語り合う。

 作者の「こゑ(声)は消えるのに」と捉えたせつなさの感受性が俳句の器に掬い取られることで永遠となるような感じさえある。

 初期の俳句の鮮烈さよりも自己の感受性に向き合う時間がゆっくりと沈澱するように積み重ねられてきたのだろうか。

 熱いスープを冷ましながら唇へおそるおそる喉元を通り過ぎるような異国の地での俳句日記が、この句集の此処に確かな何かを佐藤文香さんの生きた証として存在させている。

 この句集の物語の私は、源氏物語の紫式部のような誰かの物語ではなく佐藤文香さんの物語なのだ。


湾に凩目を惑星に喩へ合ふ

教はりたる春を聴きたいように聴く

白鳥帰る君のからだの火照るとき

春川を走る試し書きのごとく

帰りみち見ましたね野兎を二度

逢う筈の人と画面に梨食みつ


 これらは、佐藤文香俳句の日記のようでもある。

 湾に凩(こがらし)を抱きしめるように逢瀬の目は、惑星に喩え合う。

 異国での2人の時間を過ごすのは、春を迎えるのを春を教わっているように感受したのかもしれない。「聴きたいように聴く」は、あの『新撰21』に寄せた佐藤文香さんの短文の「たくましく、率直に。いま一番いいと思うことを、言葉を。それも本気で。」を私は、思い出した。

 春川を走る。その試し書きの喩えも。

 帰り道に見た兎を二度も。

 この時期は、コロナ禍の暗雲立ち込める時期でもあり、そうした時期のパソコン画面のリモート上での逢瀬というには、梨をたべながらも。

 佐藤文香さんの俳句日記のようでもあり、俳句形式の器に注がれる刻々と移ろう時や輝きを持って私の人生として俳句物語を語られている。


にはとりのはぐれて一羽春の中

もぞもぞの植物にゐて囀れる

港から街までパレードは虹の

雪や地図に友らの生くる国散らばる


 俳句としても瑞々しい感性の結晶が顕著にうかがえる。

 鶏が群れからはぐれて一羽、春の中を舞う趣。

 もぞもぞの植物の中からも囀りが、まるでもぞもぞの植物が鳴くようにも。

 港から街までパレードを「虹の」で鮮やかに俳句の「切れ」が効果的だ。

 さまざまな国から地図の友との出会いを得ながらまたさまざまな国へと散らばる。

 多くの出会いの財産となったのだろう。


 この句集の後書きに「ほとんどの日、はやく日本に帰りたかった。」とある。

 アメリカ句集のなかで佐藤文香俳句の母語への眼差しは、本句集の収録に散りばめられている写真たちが効果的に俳句にも共振し合っているようだ。

そ のようなアメリカで詠まれた俳句たちの共鳴句を下記に記して置く。

 ますますの花盛りの俳人ならではのこれまでもこれからも今を丁寧に噛み締めて俳句語りが成熟していくのを期待して止まない。


懐郷病ここからもここからも海が見え

あらたしきもののすべてにライム絞る

走る栗鼠毎に尾の形その影

言ひ古す和語のいとしく冬の雨

馬面のながくやさしき夏野かな

アメリカの日落ちて夏の明るさよ

色色を咲かせて庭は夏が好き

カリフォルニアらしく乾いて夏落葉

マンゴーの皮肉したたる夜なりけり

作曲家ごとのてのひら夏のピアノ

牛肉を切れば厚さや夏景色

虫のこゑ我がアパートの石造り  


【募集】現代俳句協会・評論教室開催のお知らせ

 研修部では今年度より評論教室を新規開講します。

 評論を読むのは好きでもいざ自分が書くとなると何から始めればいいのか解らない、頼まれて書いてはみたが今一つ自信が持てない、そんな方も多いのではないでしょうか。この講座では三人の講師がそれぞれの視点で受講者に「書くヒント」を伝授します。

 評論初心者から評論経験者まで、どんな方にもためになる講座です。


日程:令和6年8月3日(土)・8月17日(土)・8月24日(土)全3回

   毎回講師、テーマ、内容は変わります。

   午後1時から4時まで


料金:3回分同一料金(1回から申し込み出来ます。ただし金額は変わりません)

現代俳句協会会員  5000円

    協会員外  10000円


お支払い

郵便振込またはペイパル(paypal)。

ご返信の際にお振り込み方法についてご案内致します。


会場:現代俳句協会 図書室(千代田区外神田6-5-4 偕楽ビル7階)


特典:受講者は現代俳句協会会員に限り、令和7年度評論賞の選考料無料


申込

令和6年4月10日より

氏名、所属結社、協会員・会員外の別、住所、電話番号、メールアドレスを添えて、往復はがきまたはメールで受付けます。


往復はがきの宛先:東京都千代田区外神田6-5-4偕楽ビル(外神田)7階 一般社団法人現代俳句協会研修部宛て


メールの場合:件名を「評論教室参加希望」とし、 こちら までご連絡下さい。


定員:各回15名(先着順)


内容

8月3日「評論とはどのような文学か」 講師:秋尾敏

1)文学の種類

2)評論の種類〈読み方の種類・書き方の種類〉

3)大切なこと

「これは評論ではなく感想文だ」という批評があります。

感想文でも鑑賞文でもない、そもそも評論とはどんなものか、その疑問にお答えします。


8月17日「評論執筆のヒント」 講師:筑紫磐井

1)どうやって評論のテーマを選ぶか。

2)効果的な評論執筆テクニック。

3)評論講座のフォローアップサービス。

評論のテーマは非常に重要です。自分の力量を見極めつつ、周りから「これは!」と思わせる評論とはなにか考えます。


8月24日「俳句評論は「文学」か? 論とツンデレの「あはひ」で」 講師:柳生正名

「俳句は文学である」桑原武夫が第二芸術論を唱えて78年。俳句関係者はもちろん、一般レベルでも、このテーゼに異論を唱える向きは今や少数だろうと思います。それならば、「俳句評論は文学か?」この問いに的確に答えられる人が今、どれほどいるでしょうか?今回は、読者の視点から「俳句評論」の文学的魅力の在りかたをあぶり出そうと考えています。その切口として、批評の「ツンデレ」性に着目し、読者が俳句評論に「何」を見、「何」を求めているのか、明らかにできればと。


講師紹介

秋尾敏

昭和25年生れ。「軸」主宰。現代俳句協会副会長。全国俳誌協会会長、千葉県俳句作家協会副会長、野田俳句連盟会長。評論集『子規の近代』(新曜社・平成11年)、『虚子と「ホトトギス」』(本阿弥書店・平成18年)、『俳句の底力』(東京四季出版・平成29年)等。平成3年第11回現代俳句評論賞、平成30年俳句四季特別賞、平成32年現代俳句協会賞。俳文学会、日本ペンクラブ、日本文藝家協会会員。


筑紫磐井

昭和25年生れ。「豈」発行人・「兜太TOTA」編集長。現代俳句協会副会長。評論集『飯田龍太の彼方へ』(俳人協会評論新人賞)『定型詩学の原理』(正岡子規国際俳句賞特別賞・加藤郁乎賞)『伝統の探求』(俳人協会評論賞受賞)『戦後俳句の探求』『季語は生きている』『虚子は戦後俳句をどう読んだか』『戦後俳句史nouveau1945―2023』等。編著『現代百名句集(10巻)』『俳句教養講座(3巻)』『新撰21』『超新撰21』等。

俳人協会評論賞選考委員、『俳句文学館紀要』編集委員、「日本現代詩歌研究」刊行委員、俳人協会俳句評論講座企画・講師。


柳生正名

1959年5月19日生れ。「現代俳句」編集長。平成に入り、大木あまりの指導で作句開始。その奨めで「海程」入会、金子兜太に師事。海程新人賞、海程賞受。「海程」終刊に伴い、「海原」同人・実務運営委員長。同人誌「棒」、創刊同人。2005年第25回現代俳句評論賞受賞、12~17年同賞選考委員。朝日カルチャーセンター新宿、読売・日本テレビ文化センター川口講師。句集「風媒」(14年・ウエップ) 評論「兜太再見」(22年・同)著書(共著)「現代俳句の100人」(04年・新書館)俳句総合誌「WEP俳句通信」に「子規と佛 子規の佛」を23年6月より連載中

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(45) ふけとしこ

   リスボンより

エイプリルフールリスボンよりメール

万愚節デコイの首に緑濃き

花時や机に並ぶ貸しミシン

薄濁りするは田螺のゐるあたり

影長く人の去りたる春の浜


・・・

 割れた器が置かれていた。

 絶句。

 私の留守中に家人が電子レンジに入れてしまったらしい。

 ちょっと古い物で気に入りの鉢、金継が施されていた。

 何でよりによってこの鉢を使ったのだ!

 かつて所属していた「船団」で、会員各自一人旅をして短文と俳句で参加すること、という企画があった。

 思案の挙句、智頭鉄道に乗ってみようと決めたのであった。新聞記事で「宮本武蔵駅」なるものが出来たと読んだのをかすかに憶えていたからである。新駅が出来たのか、名前を変えただけだったのか、もう記憶もあやふや。

 智頭は鳥取県の東部、岡山県との県境の町。古くには因幡街道が通り、備前街道と交差する所で宿場町として栄えたというが、一度も訪れたことのない土地であった。

 鉄道に詳しいわけでもないから、智頭鉄道の歴史もよくは知らない。名前に惹かれて宮本武蔵駅で下車してみようと考えてみたが、各駅停車しか止まらない。智頭なら特急「スーパー白兎」で、大阪駅から2時間ほどで行ける。これなら十分日帰りができるだろうと考えた。白兎とは「因幡の白兎」伝説からの命名だろう。

 実行。

 初めての町、智頭は杉の町だった。手入れのされた杉山は壮観であった。町並も懐かしい感じである。  

 旧街道沿いの家々は花を植えたり、水舟を備えたり、杉の町らしく杉玉や木工品なども飾ってあったり……気持よく歩けた。

 予備知識無く訪れたのだが、観光案内所でかつて日活映画で活躍された西川克己監督の出身地なのだと知った。

 その縁でこの町が『絶唱』のロケ地に選ばれたとのことで、古い教会の建物を利用した「西川克己記念館」なるものがあった。入ってみたが、全くの無人、少し心細い。

 映画の台本やポスター、当時のスナップ写真、撮影に使用されたカメラなどが展示されていた。

 『絶唱』は何度か映画化されていて、智頭で撮影されたのは舟木一夫・和泉雅子が主演したもの。写真では出演者もスタッフも、エキストラなどで協力した町の人達も、当然のことながらみんな若かった。

 ビデオの視聴も出来るようになっていたが、座り込んでいては時間が無くなる。

 裏通りへ回って製材所の跡地や小さい畑などをゆっくりと見て回った。

 帰りもまた特急「スーパー白兎」に乗った。

短 文と俳句を書くのが宿題というか、目的だったのだが、私はどんな句を作ったのだろうか。はっきりとは覚えていないが、時々製材所の俳句が出来たりするのはこの時の記憶の断片によるものである。

 件の金継の器は旅の記念にと、駅前の小さな店で買ったものだったのだ。


金継ぎに唇ぬくし星月夜  檜山哲彦


 先頃亡くなった檜山哲彦氏の最終句集『光響』にこの句を見つけて、思い出したことである。

 駅で声をかけてくれた老婦人が「遠い所へよく来られたねえ。ここはドウダンツツジがよくてなあ、つつじ祭りがあるんよ。今度はつつじの頃に来られるといいよねえ」と言われた。

 今頃はそのつつじの花の時期だろう。山間の町だから、一斉に咲くのはもう少し先になるのだろうか。

(2024・4)

【広告】俳句新空間第19号・WEP俳句通信139号・俳壇年鑑2024年版・『戦後俳句史』

●俳句新空間第19号 (2024年3月)

特集・コロナに生きてⅣ――皐月句会(令和2年)

評論特集

・【句集歌集逍遙】『戦後俳句史 nouveau 1945-2023』  佐藤りえ

・俳句の課題とは何だろうか  中島進

令和五年俳句帖(歳旦帖~花鳥篇)

前号作品鑑賞                 

・玄玄帖鑑賞    もてきまり 

・俳句新空間18号句評 小野裕三 

龍神帖(特別作品20句)     

網野月を・加藤知子・神谷 波・川崎果連・岸本尚毅・佐藤りえ・清水滋生・高橋比呂子・竹岡一郎・田中葉月・筑紫磐井・辻村麻乃・冨岡和秀・豊里友行・仲寒蟬・中西夕紀・中村猛虎・中島進・中嶋憲武・なつはづき・夏木久・ふけとしこ・堀本吟・前北かおる・松下カロ・眞矢ひろみ・もてきまり・渡邉美保


●WEP俳句通信139号(2024年4月)

特集<『戦後俳句史nouveau 1945-2023――三協会統合論』>を読む

 青木亮人 「俳句という詩型の蘇生」

 福田若之 「二冊の《俳句史》から」

 後藤 章 「表紙の謎 1969」

 角谷昌子 「『俳句通史』の醍醐味」

 川名 大  「『碩学』の方法をこそ」

 本井 英  「ほんとに怖いですよ」

 堀田季何 「書名通りの本」

 柳生正名  「『言葉そのもの』という橋頭堡」

 松田ひろむ「わたしの体験的俳句史」

ウエップ 2024年4月14日刊 1050円(税込み)


●俳壇年鑑2024年版(「俳壇」5月号増刊号)

鼎談 俳句史と言う視座ーー俳壇展望

    神野紗希/筑紫磐井/中村雅樹

2023年は、川名大『昭和俳句史ーー前衛俳句~昭和の終焉』、筑紫磐井『戦後俳句史nouveau 1945-2023』と言う俳句史の刊行が相次ぎました。そこで、俳句史を見直す動き、現在の俳壇、俳句の将来について、三氏に語っていただきました。

▼俳句史再検証の動き ▼「シン社会性俳句」と「オブジェクト俳句」 ▼苦難で始まった令和の俳句 ▼いかに詠むか、子育て、介護、老境 ▼新たな俳句の為の新たな枠組み

本阿弥書店 2024年5月1日刊 2800円(税込み)


●『戦後俳句史』広告


2024年4月12日金曜日

第223号

          次回更新 4/26


【緊急告知】黒田杏子一周忌の集い  》読む

【現代俳句協会youtube紹介】いまさら俳句第7「三協会統合論って何?」 
ゲスト:筑紫磐井 インタビュアー:後藤章  》読む


■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和五年秋興帖
第一(2/16)竹岡一郎・山本敏倖・杉山久子・仲寒蟬・関根誠子
第二(2/23)瀬戸優理子・大井恒行・神谷波・ふけとしこ
第三(3/8)冨岡和秀・鷲津誠次・浅沼 璞・仙田洋子・水岩瞳
第四(3/16)曾根毅・小沢麻結・木村オサム
第五(3/22)岸本尚毅・前北かおる・豊里友行・辻村麻乃
第六(3/26)網野月を・渡邉美保・望月士郎・川崎果連
第七(4/12)花尻万博・眞矢ひろみ・なつはづき・五島高資


令和五年冬興帖

第一(2/23)竹岡一郎・山本敏倖・杉山久子
第二(3/8)仲寒蟬・関根誠子・瀬戸優理子
第三(3/16)大井恒行・神谷 波・ふけとしこ・冨岡和秀・鷲津誠次
第四(3/22)浅沼 璞・仙田洋子・水岩瞳・曾根毅・松下カロ
第五(3/26)小沢麻結・木村オサム・岸本尚毅・前北かおる・豊里友行
第六(4/12)辻村麻乃・網野月を・渡邉美保・望月士郎

■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第44回皐月句会(12月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第18号 発行※NEW!

■連載

【抜粋】〈俳句四季2月号〉俳壇観測253 昭和99年の視点で見た歴史  ――昭和俳句史・平成俳句史・令和俳句史をたどる

筑紫磐井 》読む

英国Haiku便り[in Japan](44) 小野裕三 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり5 マブソン青眼句集『妖精女王マブの洞窟』 》読む

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 5.和紙の三つの時代 筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(44) ふけとしこ 》読む

句集歌集逍遙 筑紫磐井『戦後俳句史nouveau1945-2023——三協会統合論』/佐藤りえ 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
インデックス

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む

…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
4月の執筆者(渡邉美保)

■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】〈俳句四季2月号〉俳壇観測253・昭和99年の視点で見た歴史 ――昭和俳句史・平成俳句史・令和俳句史をたどる  筑紫磐井

 無事、令和6年を迎えた。ところで、令和の前に平成が31年続き、さらにその前に長い昭和時代があった。我々の歴史意識は、この昭和・平成・令和でぶつんと切れていて、余り整理された時間の流れが感じられずにいる。特に昭和は今もって素晴らしい時代・悲惨な時代として様々に語られるが、それだけ存在感が強い時代だった。しかし、平成・令和はそれは希薄だ。そこで昭和を基準に考えてみると、今年(令和6年)は昭和99年に当たることが分かった。さてこの昭和俳句史、戦後俳句史はどのようなものであったか。


昭和俳句史・戦後俳句史の試み

 青木亮人氏が「現代俳句の研究を思いたった時、或る困難に気づくのではないか。当惑と言ってもよい。まず、通史が存在しないのである。「現代」を昭和期以降として、昭和期全体を俯瞰した俳句史が見当たらない。特に戦後俳壇は現代俳句協会、俳人協会、日本伝統俳句協会に分裂したが、これらを「三派鼎立時代」と見なすようなーーあるいは見なすべきではないとする――史観が存在しないのである」(『昭和文学研究』(平成21年)の「研究動向・現代俳句」)と指摘している。確かに長く華やかだった昭和俳句史をだれもまとめて語ってくれていない。探してみると次のようなものぐらいであろうか。


〇『戦後の俳句 : <現代>はどう詠まれたか』楠本憲吉編著. 社会思想社 昭和41年(終戦から現代俳句協会の分裂後まで)

〇昭和俳壇史 松井利彦著 明治書院 昭和54年(戦後初期から虚子没年まで)

○『鑑賞現代俳句全集』(昭和56年立風書房)巻1「昭和俳句史(二)」坪内稔典[戦後から兜太・重信まで]


 しかしこれだけでは十分ではない。やっと昨年、川名大『昭和俳句史―前衛俳句~昭和の終焉』(令和5年8月角川文化振興財団刊)が出たが、それでも昭和30年代から昭和末年までというやや中途半端な切り口となっている。特に、昭和以後の俳句史が存在しないところが残念である。特色としては新興俳句系の歴史が多いことだ。


平成・令和俳句史(以下次号)


【緊急告知】黒田杏子一周忌の集い

令和5年3月13日に亡くなられた黒田杏子氏の一周忌を迎え、一周忌の集いが開かれることとなった。詳細は下記の通り。

杏子氏没後、6月11日件の会主催偲ぶ会が開かれ、8月に最終句集『八月』刊、9月17日藍生俳句会主催偲ぶ会が開かれ、6年2月25日一周忌を前に文京区本郷法眞寺にて納骨が行われた。墓には「花巡るいつぽんの杖ある限り」(句集『八月』)の句が刻まれている。


【一周忌の集い 趣旨】

  黒田杏子さん一周忌の集いのご案内


皆様におかれましてはご健勝にてぉ過ごしのことと存じます。

「藍生」主宰、「件の会」同人として、俳句へのゆるぎない信頼を根幹に活動してこられた

黒田杏子さんとの突然のお別れから、はや一年が経ちました。

一周忌を迎えるにあたり、ご遺族をはじめ多くの皆様のご協力のもと、

追悼文集『花巡る 黒田杏子の世界』が藤原書店より刊行となりました。

これを機に、左記の通り黒田さんを偲ぶ集いをもちたいと思います。

多数の皆様のご参集をお待ちしております。

   二〇二四年三月


発起人

坂本宮尾 筑紫磐井 橋本榮治 横澤放川 藤原良雄(藤原書店社主)

      

日時 二〇二四年四月十三日(土) 午後一時~(十二時三十分開場)

会場 アルカディア市ヶ谷(私学会館)「大雪」の間 

(JR・地下鉄「市ヶ谷」駅徒歩2分)

会費 七〇〇〇円(『花巡る 黒田杏子の世界』1冊含む)

 *当日は平服でお越しください。


【現代俳句協会youtube紹介】いまさら俳句第7「三協会統合論って何?」  ゲスト:筑紫磐井 インタビュアー:後藤章

   現代俳句協会youtube「いまさら俳句」で筑紫磐井が「三協会統合論って何?」のインタビュを後藤章氏から受けました。正味50分ほどの聞き取りとなっています。次のURLからご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=JC7dmw2BvwM


インタビューの際の用意したレジュメから前半部分の概要を紹介しておきます。


後藤:『戦後俳句史 nouveau1945-2023  三協会統合論』が上梓された。本の内容についてはいろいろ聞きたいことはあるが、本日は、何故俳句の協会というモノが存在してきたのかという点に絞って聞いてみたいと思う。


私(筑紫)としては協会や協会史に関心があったのではなく、「戦後俳句史」に興味があった。戦後俳句史は、拙著では<表現運動史>(第1部)と<俳壇史>(第2部)に分けて考えてみた。


➀表現運動:第二芸術とそれに対する反発→社会性俳句→前衛と心象伝統俳句 の一貫した流れを摘出した。

現代俳句協会の初期(分裂以前)は表現運動・表現史と俳壇史は合致していた。表現運動の代表者(兜太、重信等)=協会の幹事=ジャーナリズムである『俳句年鑑』の編集を担った。協会にとって幸福な時代であった。


➁俳壇史:しかしこうした表現運動史は昭和30年後半から40年にかけて中断してしまった(前衛と伝統以降の俳句表現運動は俳壇全体としてほとんど語られることがない)。それからは、俳句史=俳壇史となってしまったのである。俳壇史にあっては、協会史が大きな意味がありその意味で今日お話することもあると思う。


後藤:現代俳句協会は戦後まもなく俳人の生活をよくするために設立されて、著作権原稿料などを規定していた。しかしいつしかこの趣旨が変容していったが、それはいつ頃からでどのような事情によるモノだったか?


現代俳句協会の発端が原稿料問題であることは協会清記ではっきり書かれている。ジャンルは違うが、現代歌人協会(昭和31年設立)も「会員相互の生活を守る」とうたわれており、およそあらゆる文芸分野で終戦直後こうした問題が意識されていたのだろう。

しかし原稿料を稼げる人たちは、人数的にも限界があり、また原稿料を稼げる人たちの協会での活動みも限界があったのではないか。協会の機関誌「俳句芸術」も終刊、協会賞である茅舎賞も中断するようになった。開店休業となってしまったのである。

協会の活動を活発化、拡大するためには大量の会員が必要で、かつ若い世代である戦後派を導入することが必要となり、27年・28年に戦後派作家が大量に入会した。

原始会員(38人)と新参加会員を比較してみると面白い。原始会員は戦前派であり表現傾向から言うと人間探求派と新興俳句、新参加会員は戦後派であり表現傾向から言うと社会性派と前衛派と言える。これにより戦前はと戦後派に分離するようになった。つまりまず世代対立が生まれたのである。しかしだからと言って思想対立にまでは至っていない。

問題は、世代対立はどのジャンルでも、どの業種でもあったが、なぜ現代俳句協会だけは分裂しなければならなかったかということである。分裂以外の選択肢はなかったか?が疑問である。


後藤:現代俳句協会の分裂の真相は大事なことだが、筑紫さんの本では、その分裂は非常に属人的要因でハプニングのように行われたものと感じるがどうか? この辺の事情について筑紫さんの考えを聞きたい。


俳人協会独立の経緯を申し上げたい。ただ、今まで、現俳協の主張は現代俳句協会の中の資料でもっぱら論じられていたようだが、私は、俳人協会の内部資料も使ってみた。


【昭和36年】

その始まり

9月26日、第1回現代俳句協会賞選考委員会(選考委員会は都合2回行われた)が開かれた。第1回では、会員から推薦された多くの候補から予選候補を選ぶ作業であり、その結果、石川桂郎(52)がトップを占めた。しかし従来の受賞者が大半が30代であり、もともと現代俳句協会賞の性格が新人賞であったから、議論の結果、僅差で桂郎を協会賞から外す決定をした。

その直後、日付不明であるが、角川源義から当時無所属であった安住敦に俳人協会発足の打診があった。

10月16日、第1回俳人協会発起人大会が開かれ、事務所の場所(角川書店内)、幹事制の採用、会長・顧問人事の決定、俳人協会への呼びかけ等が決定された。つまり、この時点では現代俳句協会賞の決定はされておらず、桂郎が候補から外されたこと(つまり世代対立)を以て俳人協会の発足が決まったのである。

10月31日、第2回選考委員会が開かれ、最終候補者は飴山実・赤尾兜子であったが、採決により兜子に決定した。ただしこの時、幹事長でありかつ選考委員長である草田男は欠席、俳人協会設立を主導した波郷、三鬼、源義らも欠席し、サボタージュした。飴山実の支援者が出席しなかったのであるから、受賞が兜子になったのは当然である。

11月16日、第2回発起人大会、直後、幹事会を開催し、俳人協会清記を決定し、俳人協会賞を桂郎に決定した。

11月16日以降、兜太らに情報が洩れるが、彼らは特に過剰な拒否反応はしていない(兜太日記等)。

言っておくが、三鬼、波郷、源義が当初作成した俳人協会清記原案(その後長く俳人協会の憲法となったが)は、➀伝統を基盤とすること、➁親睦団体とすることがポイントであった。当時現代俳句協会内では、内部団体を結成することは禁止されておらず、すでにいくつかの団体・会合が設置されていた。兜太らが俳人協会の設置に反発しなかったのはこうした理由があったためである。


➁大きな転換

12月4日、草田男が朝日新聞に寄稿し、現代俳句協会の運営は前衛作家で占められ、現代俳句協会賞も彼らの志向で決められた、従って、伝統俳句を守る俳人協会を設置し、敵対独立する旨の宣言をする。(11月16日に決定した俳人協会清記にはこのようなことは何も書かれていないので草田男の独走である)

12月16日 草田男の朝日新聞の記事に対し、現代俳句協会は声明を発表する(俳人協会の本質を草田男の朝日の言葉だけから誤解し過剰反応したと思われる)

12月19日以降、現代俳句協会幹事会は草田男幹事長に不信任(これは当然)。三鬼、源義、登四郎幹事を問責する(これはやりすぎか)。

12月21日俳人協会総会が開かれ、重要な事項が付議されたが、採択されなかった

*脱退か残留か(一律に脱退を求める人もいたが、結局は各人の自由意思で決めればよいとなった)

*現代俳句協会声明に対する反対決議(幹事会預かりとし中止)

*組織拡大(条件付き入会は認めるが、積極的勧誘はしない)

このように、草田男が意図した方向には当初向かっていかなかった。そんな事情もあってか、草田男は俳人協会設立の6か月後に会長を辞任し、秋櫻子が第2代会長に就任した。


以下省略。詳しくは、youtubeをご覧いただきたい。 質問のみ掲げる)


後藤:世代更新は現代俳句協会の分裂と関係があるのか?その分裂が思想対立の様相を呈してしまったからなのか?それが俳人を縛り始めて、その所属する協会の立場で考えるようになったからなのか?


後藤:そこで問いたい、平成無風と言われてから今日までの状況は俳句界に取って決して良いこととは思えないが、どう感じているか?仮に協会が統合した場合、この状況は解決するか?


英国Haiku便り [in Japan] (44)  小野裕三


「モノ句」の謎を追う

 haikuを論じる英語の文章に「monoku」という言葉をときおり見かける。「monoku」の「モノ」はギリシャ語由来の「単」を表す接頭辞。「ク」は俳句を表す「句」。英語のhaikuは、三行詩の形態をとることが定着しているが、それに対してmonokuは一行で書かれ、haibun(俳文)やrenku(連句)と並びhaiku文芸のサブジャンルと受け止められている。米国の俳人ジム・ケイシアンの造語らしいが、現象としては七〇年代頃から見られたとか。一行俳句(one-line haiku)などとも呼ばれる。

 nightfall the key turns into a blackbird  Alan Summers 

 夜が来る 鍵は黒鳥になる

 だが、この話を聞いて日本の俳人の多くが、「え、でも俳句は一行で書くのが普通だよね?」と思うだろう。実際、三行で書かれた英語haikuは日本の俳句に比べて情報量が多くなりがちで、そのことも含めてmonokuはhaikuを俳句に近づける原点回帰とも見えるし、そう受け止めるhaijinもいる。

 そしてここで面白い事実がある。

 一つめは、monokuのような一行詩は、西洋語にhaikuが伝わる以前から脈々と存在していたらしいこと。monostichとも呼称され、米国のホイットマンやフランスのアポリネールもそんな一行詩を書いたとも言われ、あたかも西洋詩に潜在する俳句的な系譜のようにも思える。

 二つめは、多行詩を通常とする西洋詩の歴史において、monokuという特異な形式はいかにも前衛的な雰囲気を濃厚に放つこと。実際、ギンズバーグなど革新的な詩人が手を染めている。日本では、俳句を多行形式にすることが実験だったが、逆に西洋ではhaikuを一行にすることが実験となったのは面白い事実だ。それは極論すれば〝現代詩の実験場〟のような様相を呈して、英語の用法の隙間を突いたような興味深い試行が次々と行われてきた。例えば、あえて全単語を繋げて書いた実験的な句さえある。

 Tryingtomakeheadortailofanearthworm  Rafal Zabratynski

 ミミズをなんとか理解しようとする

 monokuの特徴として、あえて文法的に判然としない構造にして一句に複数の意味やイメージを孕ませたり、動詞を入れずに一文を作る効果を狙ったり、ということがよく行われる。

 と、それを聞いて、「それ、日本の俳句もよくやってることじゃない?」と日本の俳人は再び思うだろう。そう、monokuはいろんな意味でhaikuを俳句に近づける試みであり、しかもその過程で俳句形式が本質的に持つ実験性・前衛性が顕わになるかのようで、かくして日本の前衛俳句以上に実験的野心に満ちた創作現場となったのが「モノ句」だと言える。

※写真はKate Paulさん提供

(『海原』2023年5月号より転載)


【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり5 マブソン青眼句集『妖精女王マブの洞窟』豊里友行

  マブソン青眼氏より句集『妖精女王マブの洞窟』(マブソン青眼、2023年6月刊、本阿弥書店)を寄贈いただく。

 フランス生まれのマブソン青眼(せいがん)俳句を眼にしたのは、やはり俳誌「海程」での金子兜太先生の選の常連の同人だったことから私の注視する俳人のひとりだった。

 今回の句集も格調高く海外滞在経験の無い私には、読み手として俳句鑑賞の力量の無さはあるが、私なりの共鳴句を鑑賞したい。


七夕は体外受精説明会

胎児いま小海老ほどとや大地凍つ

妊婦には心拍ふたつ深雪かな

胎児いま宙返りとや鳥雲に

花は葉にベイビーベッド組み立て中

熱帯魚熱帯魚熱帯魚と妊婦かな

入道雲 陣痛ごとに来ては去る

生(あ)れし児の笑みのふるえに青田波

子を見つめ子に見つめられ大西日


 私は、特に子どもの誕生の一連の俳句にマブソン青眼俳句の粋を感じ入る。

 七夕の日に体外受精説明会という取り合わせ。現代俳句に生命の現代性を取り込む力作だ。

 胎児がいま、小海老ほどだと云う。この大地が凍りつこうというのに脈々と生命の誕生に妊婦と胎児の心音ふたつを感じ入る俳人が居る。

 胎児の宙返りと鳥雲の季語もきらりと活きている。

 花は葉になるというのにベイビーベッド組み立て中のユーモア。

 水槽越しに眺めているかのような熱帯魚のリフレインの中に妊婦が居る。

 入道雲の生命観と妊婦の陣痛ごとに来ては去る右往左往ぶりの父なのだろうか。入道雲に生命の期待感が押し寄せてくる。青田波の生命感。

 子を見つめている。子に見つめられている。至福の大西日ですな。

 他の共鳴句もいただきます。


銀漢の重さに耐えて糸蜻蛉


銀漢とは、銀河のこと。その銀河の重さに耐える糸蜻蛉の感受性に俳人としての慧眼がある。金子兜太先生の詩魂を受け継ぐ俳人のひとり。


枯柳これほどやさしく死ねるか

くちばしが銃より太き鴉かな

蟲の音の裏が無音の宇宙かな


枯柳のこういう感受性は、好きだな。

鴉の存在感のある俳句。素晴らしい。

蟲の鳴き通す裏側に無音の宇宙を見出す俳人の業に舌を巻く。


戸籍謄本われにはあらずいわしぐも

選挙終えセシウムしみる枯野かな

マスクしても異人と覗(み)られ花薊


 日本で生まれた俳句という表現領域の形式に囚われることなくマブソン青眼俳句の自由奔放な表現形態を模索している。

 その日本社会の違和は、日本社会の歪を顕著に捉えたかつての社会性俳句の新たな進化なのかもしれない。

 これまでに培った俳句形式も活かしつつも無垢な青眼によって新たな俳句の領域を拡大していく豊穣なる俳句の開拓地を切り拓くことを切に祈る。

 素晴らしい句集『妖精女王マブの洞窟』(マブソン青眼、2023年6月刊、本阿弥書店)の心意気をありがとうございます。