2018年8月25日土曜日

第96号

●更新スケジュール(2018年9月14日)

*発売中!*
冊子「俳句新空間」No.9 
特集:金子兜太追悼
   平成雪月花句集
*購入は邑書林まで

第4回攝津幸彦記念賞発表! 》詳細
※※※「豈」60号・「俳句新空間」No.8に速報掲載※※※

各賞発表プレスリリース
豈60号 第4回攝津幸彦記念賞発表 購入は邑書林まで




「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」 開催要項


【雑誌『兜太 TOTA』創刊・イヴェント開催のお知らせ】
※金子兜太関連書籍・雑誌案内



平成三十年 俳句帖毎金00:00更新予定) 
》読む

平成三十年 夏興帖

第二(8/24)大井恒行・曾根 毅・網野月を
第一(8/17)松下カロ・小林かんな・西村麒麟・仙田洋子・岸本尚毅



平成三十年 花鳥篇

補遺(8/24)早瀬恵子・浅沼 璞・北川美美
第八(8/10)青木百舌鳥・井口時男・花尻万博・小野裕三・飯田冬眞・佐藤りえ・筑紫磐井
第七(8/3)加藤知子・西村麒麟・水岩 瞳・ふけとしこ・中村猛虎・仲寒蟬
第六(7/27)岬光世・依光正樹・依光陽子・近江文代
第五(7/20)前北かおる・望月士郎・林雅樹・下坂速穂
第四(7/13)岸本尚毅・渡邊美保・神谷 波・木村オサム・堀本吟・内村恭子
第三(7/6)坂間恒子・網野月を・渕上信子・田中葉月・山本敏倖・原雅子
第二(6/29)椿屋実梛・夏木久・杉山久子・小沢麻結
第一(6/22)仙田洋子・辻村麻乃・松下カロ・曾根 毅



【新連載・黄土眠兎特集】
眠兎第1句集『御意』を読みたい
1 『御意』傍らの異界   大井さち子  》読む
2 つくることの愉しみ   樫本由貴  》読む
3 相克する作句姿勢~黄土眠兎第一句集『御意』~   川原風人  》読む
4 黄土眠兎はサムライである。   叶 裕  》読む
5 生活者の目線   天宮風牙  》読む
6 御意てっ!   仲田陽子  》読む
7 重なる日常と不思議   本多伸也  》読む
8 私の声が言葉の声であること   曾根 毅  》読む
9 北京ダックまでは前菜花氷   森本直樹  》読む
10 出会うべくして――『御意』を詞書から探る   岡村知昭  》読む
11 案外な  黄土眠兎句集『御意』を読む   久留島 元  》読む
12 仲間たちへ   三木基史  》読む


【新連載・西村麒麟特集2】
麒麟第2句集『鴨』を読みたい
0.序に変えて   筑紫磐井  》読む
1.置いてけぼりの人  野住朋可  》読む
2.ささやかさ  岡田一実  》読む
3.乗れない流れへの強烈な関心  中西亮太  》読む
4.ある日の麒麟さん句会  服部さやか  》読む
5.千年宇宙のパースペクティブ  佐藤りえ  》読む
6.鴨評   安里琉太  》読む
7.水熱く――西村麒麟『鴨』の一句   堀下翔  》読む
8.私信 麒麟さんへ   藤井あかり  》読む


【新連載】
前衛から見た子規の覚書  筑紫磐井 
(1)子規の死   》読む
(2)子規言行録・いかに子規は子規となったか①   》読む
(3)いかに子規は子規となったか②   》読む
(4)いかに子規は子規となったか③   》読む
(5)いかに子規は子規となったか④   》読む
(6)いかに子規は子規となったか⑤   》読む
(7)いかに子規は子規となったか⑥   》読む
(8)いかに子規は子規となったか⑦   》読む
(9)俳句は三流文学である   》読む
(10)朝日新聞は害毒である   》読む
(11)東大は早稲田に勝てない   》読む
(12)子規別伝1・子規最大のライバルは落合直文   》読む
(13)子規別伝2・直文=赤報隊・東大古典講習科という抵抗   》読む
(14)(9-2)俳句は三流文学である――続編   》読む
(15)子規別伝3・新体詩の創始者落合直文   》読む
(16)子規別伝4・明治書院・大倉書店と落合直文   》読む





「現代」と言うこと――水原秋桜子展に寄せて  筑紫磐井  》読む


季重なりについて     筑紫磐井   》読む




【夏休み特別企画】
  文庫・新書で読む俳句  ※作品集以外の俳句関連書籍  》読む


  文庫で読める俳句集  ※作品集   》読む




【—俳句空間—豈weeklyアーカイブ】
■第0号(創刊準備号)●俳句など誰も読んではいない・・・高山れおな  》読む

■第0号(創刊準備号)●アジリティとエラボレーション・・・中村安伸  》読む




【抜粋】
〈抜粋「俳句通信WEP」105号〉 
朝日俳壇新選者――高山れおな(人物紹介)
筑紫磐井 》読む


  • 「俳誌要覧2016」「俳句四季」 の抜粋記事  》見てみる




<WEP俳句通信>




およそ日刊俳句空間  》読む
    …(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 … 
    • 8月の執筆者 (柳本々々・渡邉美保) 

      俳句空間」を読む  》読む   
      …(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子
       好評‼大井恒行の日々彼是  》読む 




      雑誌『兜太 TOTA』第1号
      〈特集〉金子兜太とは何者か
      2018年9月創刊

      編集長 筑紫磐井
      編集委員 井口時男・伊東乾・坂本宮尾・中嶋鬼谷・橋本榮治・横澤放川・黒田杏子(編集主幹)
      〈第1号 寄稿予定者〉
      井口時男/池内紀/伊東乾/加賀美幸子/金子兜太/金子眞土/ドナルド・キーン/窪島誠一郎/黒田杏子/坂本宮尾/佐佐木幸綱/澤地久枝/下重暁子/瀬戸内寂聴/高山れおな/筑紫磐井/中嶋鬼谷/夏井いつき/橋本榮治/長谷川櫂/藤原作弥/アビゲール・フリードマン/星野恒彦/マブソン青眼/宮坂静生/宮崎斗士/横澤放川
      (五十音順・敬称略)



      —筑紫磐井最新編著—
      虚子は戦後俳句をどう読んだか
      埋もれていた「玉藻」研究座談会
      深夜叢書社刊
      ISBN 978-4-88032-447-0
      ¥2700
      アマゾン紀伊國屋ウェブストア他発売中


      *発売中*
      冊子「俳句新空間」No.8 
      特集:世界名勝俳句選集
      購入は邑書林まで

      兜太と未来俳句のための研究フォーラム(仮)

      「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」開催概要が決定いたしました。
      多くの皆様のご参加をお待ちしています。
      未定事項は決定次第あらためて告知させていただきます。

      ◇ ◇ ◇

      Ⅰ 趣旨
      さる2月急逝した現代俳句の最高峰に位置する金子兜太氏の偉業をしのびつつ、その遺志を継いだ多様な展開を議論する。
      雑誌「兜太 TOTA」が創刊され、多くの人に開かれた創刊記念シンポジウム「兜太を語りTOTAと生きる」(有楽町朝日ホール9月25日)が開催されるところから、これに引き続き兜太と未来俳句のための研究フォーラムを開催する。
      具体的には、金子兜太氏と交流の深い作家による業績の顕彰、兜太氏が熱心に推進した俳句による国際交流の報告、そして兜太氏の業績を21世紀に引き継ぐ代表的若手作家などによる討議を行う。

      Ⅱ 概要
      1.名 称 兜太と未来俳句のための研究フォーラム(仮称)
      2.日 時 2018年11月17日(土)13:00-17:00
      3.場 所 津田塾大学 千駄ケ谷キャンパス SA207教室(定員90名)
            渋谷区千駄ヶ谷1-18-24(JR中央・総武線千駄ヶ谷駅徒歩1分)
      4.入場料 無料
      5.主 催 兜太と未来俳句のための研究フォーラム実行委員会(仮)【注】
        共 催 津田塾大学・三砂ちづる研究室、藤原書店
      6.内 容 ※下記Ⅲを参照
      7.後 援 ※検討中 

      Ⅲ プログラム(予定)

      第1部 兜太に関する基調講演
       井口時男・坂本宮尾・筑紫磐井・中嶋鬼谷・橋本榮治・横澤放川

      第2部 セミナー「兜太俳句と外国語」
       木村聡雄(司会)、(パネラー:検討中)

      第3部 シンポジウム「『新撰21』から9年」
       筑紫磐井(司会)、高山れおな、関悦史、柳生正名、江田浩司、福田若之


      【注】研究フォーラム実行委員会メンバー(予定)
      藤原良雄(藤原書店社主)・黒田杏子(雑誌「兜太 TOTA」編集主幹)・筑紫磐井(同誌編集長)

      【新連載・黄土眠兎特集】眠兎第1句集『御意』を読みたい12 仲間たちへ  三木基史

      御降や靑竹に汲む京の酒
      鳥の巣や図面にはなき隱し部屋


        藤田湘子は一流志向だった。当然のごとく「鷹」は一流の俳句結社でなければならなかった。「鷹」の目指す一流の俳句結社とはどのようなものか。そのヒントを小川軽舟の言葉の中に求めた。すると、二つの手掛かりを見つけた。韻律として格調の高い作品を生み出す作者を育てる場であること、そして結社として幅広い許容力を持つことだ。

      まだ熱き灰の上にも雪降れり
      アマリリス御意とメールを返しおく
      押し黙る子を抱きしめよ月今宵
      大年の花屋は水を流しけり


       P.F.ドラッカーのマネジメント理論ではパラレルキャリアの重要性が説かれている。個人が特定の組織に過度に依存せず、組織外でも活動すること(パラレルキャリア)によって、そこで得た経験が個人の人生を豊かにし、結果的に主たる組織にも還元される効果があるのだとか。黄土眠兎にとって「里」というやんちゃな遊び場はパラレルキャリアそのもの。そんな彼女の存在は「鷹」の許容範囲を広げ、一流の結社たらしめることに僅かでも寄与しているのではないだろうか。

      紙漉の男の名刺厚きかな
      昨日より足跡多き結氷湖
      オリーブの花咲く店のAランチ
      蜘蛛の囲にかかつてばかりゐる人よ
      わが影に西瓜の種を吐き捨てぬ


       著者はとても身近な仲間たちを読者と想定して「御意」をまとめている。師の選を追求して極めるほどの気負いは無さそうだ。俳句創作の心構えのひとつでもある「ものをよく見る姿勢」というよりも、小さなことが気になって(見つけて)しまう損な性格のように感じられた。これは気配りの延長。

      髪洗ふ今日は根つから楽天家
      大陸横断鉄道渾身の星月夜
      あつぱれや古道具屋の熊の皮
      でこぽんのでこぽん頭から剝きぬ


       句集前半の作品からどことなく漂う危うさは、後半に向けて力強く変化してゆく。紡ぎだす言葉は月曜日の朝の気だるさも金曜日の夜の解放感も内包しながら、定型の中で縦横無尽に飛び跳ねる楽しさを覚えた兎。どのような表現も、どのようなこだわりも受け入れてくれる仲間たちへの「御意」なのだ。その他の共鳴句も挙げておきたい。

      初刷は十のニュースを以て足る
      子の息を吸ふ窓ガラス冬満月
      冬帽を被り棺の底なりき
      紙飛行機雛のまへを折り返す
      かごめかごめ櫻吹雪が人さらふ
      菜の花が八百屋に咲いてしまいけり
      丸洗ひされ猫の子は家猫に
      夏兆す木工ボンド透明に
      さばさばと芽の輪潜りてゆきにけり
      くわりんの実まだ少年に拾はれず
      船旅に地酒一本鬼貫忌
      円窓に月を呼び込むための椅子


      〈抜粋「俳句通信WEP」105号〉 朝日俳壇新選者――高山れおな(人物紹介)  筑紫磐井

      朝日俳壇の歴史

       終戦後の朝日俳壇は高浜虚子の単独選が続いたが、虚子の急逝により、1959年4月19日から高浜年尾・星野立子の共選に改まった。ただしこれは、新しい構想の下に新たな選者を委嘱するまでの間という条件付きであった。
       やがて、三選者時代となり、59年5月3日から中村草田男・星野立子・石田波郷(波郷没後は加藤楸邨70年~)の選が始まる。これは、いち早く朝日歌壇において、結城哀草果の没後に始めた三選者方式にならったものであった。
       ついで、全国の投稿を一堂に集めた四選者時代が始まる。70年9月19日から中村草田男・山口誓子・星野立子・加藤楸邨の四氏共選が行われるのである。
       虚子以後の民主的な三選者、四選者時代の系譜をたどってみると、朝日俳壇はまさに俳句史そのものだ。数字は在任した年(西暦)、()内は主宰する雑誌である。結社を持たない選者は、飴山實と高山れおなしかいないから朝日といえども新聞俳壇は結社を念頭においていたことが分かる。

      ①星野立子(玉藻)59~70→高浜年尾(ホトトギス)72~79→大野林火(浜)80~82→稲畑汀子(ホトトギス)82~
      ②中村草田男(萬緑)59~83→安住敦(春灯)84~86→金子兜太(海程)86~18→高山れおな18~
      ③石田波郷(鶴)59~69→加藤楸邨(寒雷)70~93→飴山實93~00→長谷川櫂(古志)00~
      ④山口誓子(天狼)70~94→川崎展宏(貂)94~06→大串章(百鳥)07~


       この系譜から幾つかのことが分かる。それは、間に多少曖昧な人選も入る(大野、安住)が明確な系譜があることである。一つはホトトギスの系譜(①)であり、もう一つは現代俳句の系譜(②)である。前者は高浜虚子から始まった血縁によるホトトギス王国であり、後者は、社会性俳句や前衛俳句の系譜といってもよいかも知れない。朝日俳壇においては、この対立する原理で人選が行われ、俳壇を啓蒙してきたと言ってよいであろう。この二つの系譜に比べ他の系譜(③④)はそれほどはっきりした傾向はない。
       注目したいのは、現代俳句の系譜であり、中村草田男ー金子兜太ー高山れおなで示そうとする系譜である。もちろんこれを系譜というのは乱暴である。昭和三〇年代、いたるところで、草田男は兜太を批判し、最後は卓袱台返しのようにして現代俳句協会から反兜太派を率いて俳人協会を作ってしまったのだ。にもかかわらず、その行動原理は不思議な程一致し、特に兜太の方は自分の先人として草田男をかかげ、師事した楸邨とは別に俳句の恩人として語っている。そしてこれは、兜太とれおなについても言え、兜太がれおなにそれ程好意を持っていたわけではないだろうが、角川書店の唯一の兜太読本『金子兜太の世界』で兜太が「金子兜太論」を書かせたのは、坪内稔典、筑紫磐井、仁平勝、そして最年少の高山れおなの四人しかいなかった。このメンバーを選んだ兜太は、顔ぶれを見る限り、自分の忠実な弟子・模倣者でなく、批判者によってこそ正しい評価が生まれると考えていたらしい。実際この時の高山の「命なりけり――金子兜太の俳句的行き方」は名品であったと思う。
       余談になるが、かつて私が兜太の前で、自作の

       老人は青年の敵 強き敵 筑紫磐井

      の句を披露したら怪訝な顔をされたが、この句の「老人」は草田男でありまた兜太である、「青年」も兜太であり、れおなのような青年である、老人はいつも強すぎて困ったものだと解説したら、大いに気に入ってくれたのである。歴史はいつも繰り返すのである。

       さて、高山れおなが朝日俳壇の新しい選者となったことを不思議に思う人がいるようだが、私はこれに何の不思議も感じていない。いささか妄想めいたところがあるが、私の考えを述べてみよう。朝日俳壇は、戦後、虚子以来の伝統的な俳句の系譜(①)を温存させる一方で、社会性や思想性を常に意識した系譜(②)をつくり出していた。俳句は伝統文芸であると同時に、現代文学でなければならないという意識があった。これは、俳壇の社会学的分析である(歌壇では大野道夫がこれに類した研究を行っている)。もちろん正しいかどうかは分からない。
       従って、朝日俳壇においては、金子兜太の後任は前衛的傾向の作家でなければならなかった。特に現在のアベ政権が続く限りは兜太に匹敵する社会性や前衛性が存在しなければ朝日新聞のアイデンティティが保たれない。その一方で、かつて長谷川櫂が四〇代後半で選者になったように、求められたのは四〇~五〇歳の作家であった。この二つの基準が結びついたときに、高山れおな以外のいかなる人材も選者として存在しないことは多くの人に納得できることであった。四〇代の前衛作家などそうどこにでも転がっているものではないのである。

      (以下はwep105号をご覧ください)

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      平成三十年 花鳥篇

      第八(8/10)青木百舌鳥・井口時男・花尻万博・小野裕三・飯田冬眞・佐藤りえ・筑紫磐井
      第七(8/3)加藤知子・西村麒麟・水岩 瞳・ふけとしこ・中村猛虎・仲寒蟬
      第六(7/27)岬光世・依光正樹・依光陽子・近江文代
      第五(7/20)前北かおる・望月士郎・林雅樹・下坂速穂
      第四(7/13)岸本尚毅・渡邊美保・神谷 波・木村オサム・堀本吟・内村恭子
      第三(7/6)坂間恒子・網野月を・渕上信子・田中葉月・山本敏倖・原雅子
      第二(6/29)椿屋実梛・夏木久・杉山久子・小沢麻結
      第一(6/22)仙田洋子・辻村麻乃・松下カロ・曾根 毅



      【新連載・黄土眠兎特集】
      眠兎第1句集『御意』を読みたい
      1 『御意』傍らの異界   大井さち子  》読む
      2 つくることの愉しみ   樫本由貴  》読む
      3 相克する作句姿勢~黄土眠兎第一句集『御意』~   川原風人  》読む
      4 黄土眠兎はサムライである。   叶 裕  》読む
      5 生活者の目線   天宮風牙  》読む
      6 御意てっ!   仲田陽子  》読む
      7 重なる日常と不思議   本多伸也  》読む
      8 私の声が言葉の声であること   曾根 毅  》読む
      9 北京ダックまでは前菜花氷   森本直樹  》読む
      10 出会うべくして――『御意』を詞書から探る   岡村知昭  》読む
      11 案外な  黄土眠兎句集『御意』を読む   久留島 元  》読む


      【新連載・西村麒麟特集2】
      麒麟第2句集『鴨』を読みたい
      0.序に変えて   筑紫磐井  》読む
      1.置いてけぼりの人  野住朋可  》読む
      2.ささやかさ  岡田一実  》読む
      3.乗れない流れへの強烈な関心  中西亮太  》読む
      4.ある日の麒麟さん句会  服部さやか  》読む
      5.千年宇宙のパースペクティブ  佐藤りえ  》読む
      6.鴨評   安里琉太  》読む
      7.水熱く――西村麒麟『鴨』の一句   堀下翔  》読む
      8.私信 麒麟さんへ   藤井あかり  》読む


      【新連載】
      前衛から見た子規の覚書  筑紫磐井 
      (1)子規の死   》読む
      (2)子規言行録・いかに子規は子規となったか①   》読む
      (3)いかに子規は子規となったか②   》読む
      (4)いかに子規は子規となったか③   》読む
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      ■第0号(創刊準備号)●俳句など誰も読んではいない・・・高山れおな  》読む

      ■第0号(創刊準備号)●アジリティとエラボレーション・・・中村安伸  》読む




      【抜粋】
      〈「俳句四季」8月号 
      俳壇観測187/速報!朝日俳壇新選者高山れおな――最年少俳壇選者から見る新しい俳句
      筑紫磐井 》読む


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        …(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 … 
        • 8月の執筆者 (柳本々々・渡邉美保) 

          俳句空間」を読む  》読む   
          …(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子
           好評‼大井恒行の日々彼是  》読む 




          雑誌『兜太 TOTA』第1号
          〈特集〉金子兜太とは何者か
          2018年9月創刊

          編集長 筑紫磐井
          編集委員 井口時男・伊東乾・坂本宮尾・中嶋鬼谷・橋本榮治・横澤放川・黒田杏子(編集主幹)
          〈第1号 寄稿予定者〉
          井口時男/池内紀/伊東乾/加賀美幸子/金子兜太/金子眞土/ドナルド・キーン/窪島誠一郎/黒田杏子/坂本宮尾/佐佐木幸綱/澤地久枝/下重暁子/瀬戸内寂聴/高山れおな/筑紫磐井/中嶋鬼谷/夏井いつき/橋本榮治/長谷川櫂/藤原作弥/アビゲール・フリードマン/星野恒彦/マブソン青眼/宮坂静生/宮崎斗士/横澤放川
          (五十音順・敬称略)



          —筑紫磐井最新編著—
          虚子は戦後俳句をどう読んだか
          埋もれていた「玉藻」研究座談会
          深夜叢書社刊
          ISBN 978-4-88032-447-0
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          冊子「俳句新空間」No.8 
          特集:世界名勝俳句選集
          購入は邑書林まで

          「現代」と言うこと――水原秋桜子展に寄せて  筑紫磐井

           「現代」というのはいったいいつを言うのか定かでない。文学においては、厳密には個々それぞれのジャンルごとに「現代」の判断は異ならねばなるまい。
           では「現代俳句」というのはいつを開始時期とするか。著名な俳人を当てはめてみても、正岡子規、高浜虚子、水原秋櫻子、山口誓子、中村草田男、金子兜太などの誰をもって現代俳句のメルクマールとするかははっきり定めがたい。子規、虚子は近代俳句の創始者であろう。秋櫻子、誓子、草田男は昭和俳句の開始に当たる。兜太は戦後俳句の創始者だろう。しかし、そのどこをもって「現代俳句」と言うかは難しい。
              *     *
           ところで昭和四七年から刊行された角川書店の『現代俳句大系』では秋櫻子、誓子を大系の冒頭の第一巻に収めていた。ちょうどこのころ、虚子の人気は凋落し、ほとんど底を打っていた、一方、前衛俳句ブームから伝統俳句ブームに潮目が変わりつつある時期でもあった(それは俳人協会と角川書店が俳壇を席巻している時期でもあった)。明らかに秋櫻子はこうした時代の――つまり「現代俳句」の――頂点に位置付けられていたのである。
           さて金子兜太らが登場した「戦後俳句派」の時代の次に、「戦後生まれ派」の若い作家たち(長谷川櫂、夏石番矢、小澤實、田中裕明、攝津幸彦、和田耕三郎、正木ゆう子、片山由美子ら)が続々と台頭して来たが、実は戦後生まれ派は上に述べた環境下で俳句を始めていたのである。そして彼らはまた「現代俳句」の幸福・可能性を信じていた世代でもあった。なぜそれを信じられたのか。それは、この時に4S・人間探求派が全員存命し(波郷だけが直前に亡くなっていた)、新興俳句も三鬼を除けばそろっていたからである。こうした壮観な俳壇風景が目前に存在していれば自ずと現実は肯定せざるを得ない。そして、その頂点に立っていたのが秋櫻子であったのである。
           これは後世の評論家などがあと知恵で考える俳壇史的評価で言うのではなく、その時代に生きた者だけが肌で感じ取れる風景のことである。
           その時生きた者の実感でいえば、虚子のように重苦しい雰囲気ではなく、いかにも戦後的な仕方で君臨したのが秋櫻子ではなかったか。それは、俳句はかくあるべきだという人の道・芸の道を強制するのではなく、こんな美しいものに何故感動しないのか、という、素朴な美意識であったからである。
           しかし今思うに、これは我々の前の兜太等の戦後俳句派が見る秋櫻子とも少し違ったのではないかと思う。なぜなら、我々戦後生まれ派は、兜太らよりもっと素朴でミーハーだったからである。容易にこうした現代俳句の大系を受容していたのである。そしてそれは今もつづいている。
           (日本現代詩歌文学館特別企画展「水原秋櫻子展――現代俳句の出発――」(2018年3月24日~6月10日)より)

          【夏休み特別企画】文庫・新書で読む俳句



          前回に続き新書で読める俳句集を—とさがしたところ、所謂新書版で刊行された句集以外はヒットしなかった。
          そのため今回は少し趣向を変えて、俳句に関連した記事のある文庫・新書を紹介する。
          書影とアマゾンへのリンクを掲載するが、すでに品切れ・絶版となっているものも含まれるため、ご留意いただきたい。





          現代作家100人の字 /石川九楊(新潮文庫)
          北川透谷以降の作家100人の筆蹟(モノクロ図版アリ)を書家ならではの着眼点から読み解く本。ひとりひとりへの言及は短いが文字形、運筆から道具にまで及ぶ細かな観察と、書き文字の変遷をも含んだ示唆が興味深い。俳人からは万太郎・草田男・楸邨・波郷が収録されている。滝井孝作の項において、師・碧梧桐への言及もなされている。
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          杉田久女随筆集 (講談社文芸文庫)
          久女の関連書籍といえば小説や評伝のほうが先に眼にはいってくる感がある。当書では代表句・随筆・俳話、俳論がコンパクトにまとめられている。解説で宇多喜代子氏が述べられているように、短編小説の趣のある随筆「竜眼の樹に棲む人々」「出石まで」などもおさめられている。
          http://amzn.asia/db9XFqP


          珍本古書/高橋啓介 (カラーブックス)
          保育社「カラーブックス」のなかの一冊。特装本、稀覯本の書影と書誌を集めた本。内容についてはあまりふれられていない。「特に珍しい句集」の項に秋桜子『葛飾』草城『銀(しろがね)』誓子『凍港』などが載っている。書影は残念ながらモノクロで小さく見づらいが雰囲気がわかる。
          http://amzn.asia/d3KvbZP



          新編 俳諧博物誌/柴田宵曲(岩波文庫)
          ルナール「博物誌」にならい、動植物のテーマごとに俳諧に評釈をくわえた随筆集。芥川竜之介や柳田國男、『徒然草』『詩経』『和漢三才図会』など幅広い記事を参照しながらの評釈が愉しい。その筆致は季題の検討にとどまらず、民俗学的考察を含んだものとなっている。
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          尾崎放哉随筆集 (講談社文芸文庫)
          年代別に抜粋された俳句から、漱石に刺激を受け記したとされる随筆「俺の記」や「入庵雑記」、書簡などがおさめられている。書簡の文章の圧に圧倒される。
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          怖い俳句/倉阪鬼一郎 (幻冬舎新書)
          ミステリ・幻想文学作家であり俳人でもある著者が、芭蕉から現代の若手の作品まで、独自の「怖さ」を見いだして鑑賞していく俳句アンソロジー。直接的な怖いオブジェクトを含まない〈目と鼻をまだいただいておりません/広瀬ちえみ〉〈草二本だけ生えてゐる 時間/富沢赤黄男〉なども掲載され、ひたひたと読み解かれていく。著者はこの後テーマを異にした「猫俳句パラダイス」「元気が出る俳句」も著している。
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          百人一句―俳句とは何か/高橋睦郎 (中公新書)
          『小倉百人一首』にならい、古事記の旋頭歌から現代の前衛俳句までを視野に入れた「百人一句」を試みた一冊。各項は各俳人の評伝でもあり、俳句の通史をたどる一冊にもなっている。
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          (文責:佐藤りえ)

          【新連載・黄土眠兎特集】眠兎第1句集『御意』を読みたい11  案外な 黄土眠兎句集『御意』を読む  久留島 元

           黄土眠兎の次のような句は、現代を颯爽と生きる快活な作者像を想像させ、読者に心地よい読後感を与える。

           香辛料多き俎始かな
           啓蟄や叩いてたたむ段ボール
           大陸のにほひの紙幣鳥渡る
           大陸横断鉄道渾身の星月夜
           コンビニのおでん水道水を足す


           ほかに、小川軽舟氏も集中十句として帯文にあげる「あつぱれや古道具屋の熊の皮」や、いささか理屈めいた句だが「結論は先に書くべし冬木の芽」「つきあつてやる食卓のばんぺいゆ」など、思い切りの良い文体は作者の美質のひとつ。それが現代的な生活実感と結びついたり、狭い日本を飛び出して「大陸」の風景に触れたりするとき、既知の季語大系からはみ出した世界が広がる。
           ところでこの作者、「立春の会費袋を回しゆく」「両替の紙幣に輪ゴム囀れり」など繰り返し金銭に言及する。計算にまつわる「ご破算に整ふ指や夕月夜」などもあって、経理関係に目配りする、細心な性格にみえる。しかし同時にややおおざっぱなところも感じられる。
           より正確には、おおざっぱな句のほうに魅力があるのではないか、と感じるのだ。上掲の句のほかに「丸洗ひされ猫の子は家猫に」も「たつぷりと落ち葉踏みたる影法師」も、細かな写生描写というより作者の実感とダイレクトに季節感をとりあわせ、その展開に魅力がある。突き詰めた緊張感より、つきぬけた開放感につながる句がいい。
           一方で「髪洗ふ今日は根つから楽天家」は季語の含意にとどまるし、「不老死の水に蓋あり青き踏む」の略語のように、やや雑な言葉遣いも目につく。言葉感覚には案外おおざっぱなところがあって、開放感と表裏の関係にあるのかとも想像する。
          おそらく句集タイトルにもとられた

           アマリリス御意とメールを返しおく

          にただようちょっと気取ったユーモア(で一句をものしてしまう茶目気と洒落気)も、多少のおおざっぱさを含んだ開放的な魅力の一部なのだろう。
          その感覚とつながっているのか、作者には

           雪原に掘らんか忘れられし影
           わが影に西瓜の種を吐き捨てぬ


          のようなぼんやりとした対象をとらえた不思議な句が散見される。
          実は、私が集中もっとも印象的だったのは

            むささびの領に入りけりかの詐欺師

          である。
           「むささびの領」というおおざっぱな空間把握から、現代的というか現実的というか「詐欺師」に結実させる意外性。私が読み取れなかっただけで案外単純な文脈があるのかもしれないが、上句で民話的な世界観を期待させられただけに、予想外のオチがついたという気がした。このあたりの抜け感、この作者の魅力ではないだろうか。


          季重なりについて    筑紫磐井

           今年のこもろ日盛俳句祭で季重なりシンポジウム(7月28日)に出席して来た。余り、他人の言うことを聞いていなかったので記憶にあるのは自分の喋ったことばかりであるが、シンポジウムの記録はなかなかでき上らないので、それだけでも記録しておくことは意味があろう。
           特に私は、『虚子は戦後俳句をどう読んだか』(深夜叢書社)を出したばかりであり、そこから最晩年の虚子が論評した主な季重なり句は面白かったと思う。シンポジウムの資料から例を挙げてみよう。

           夜鷹鳴くしづけさに蛾はのぼるなり      秋桜子
           牧開 白樺花を了りけり
           啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々 
           残雪も夜空にしろし梨の花
           田植すみ夕焼けながす雄物川
           蟇鳴けり春田に映る安食町(あじきまち)
           泳ぎ場の裸の中に分け入れり          誓子
           早苗束濃緑植田浅緑              素十
           春の月ありしところに梅雨の月
           夕涼しちらりと妻のまるはだか         草城
           冬晴れや鵙がひとこゑだけ鳴いて
           風邪の床一本の冬木目を去らず         楸邨
           蚊帳出づる地獄の顔に秋の風
           鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる
           虹消えて馬鹿らしきまで冬の鼻
           あえかなる薔薇撰りをれば春の雷       波郷
           春すでに高嶺未婚のつばくらめ        龍太
           麦蒔くや嶺の秋雪を審とし
           炎天の巌の裸子やはらかし 
           冷ややかに夜は地を送り鰯雲 


           虚子が昭和27年から34年まで行った玉藻の「研究座談会」で飯田蛇笏から金子兜太までの著名な戦後俳人35人の戦後俳句を取り上げている。この人選及び例句の選は、清崎敏郎がおこなったものらしく、比較的バランスのとれたものとなっている。
           この中から特に代表的作家の季重なり句を掲げてみた。ここから分ることは虚子の選と評であるが、その前に戦後俳人の季重なりに対する態度も分かるのが面白い。
           後者(季重なりの態度)から言える事は、季重なりは作家によって頻出度に差があり、秋櫻子、楸邨、龍太に目立つことである。言ってしまえば、馬酔木系や抒情系の作家にそれが多いと言うことである(波郷はその後の傾向から云うとむしろ虚子に近いような気がするのでここに出てこないでも不思議はない)。
           次に前者(虚子の季重なりの評価)についていえば、虚子はこれらの句の論評にあたり、季重なりがいいとも悪いとも言っていないのである。虚子は季重なりに全く関心がなかったのである。俳句の評価にあたって、季重なりを何ら基準に置いていなかったということである。これはシンポジウムの司会をした本井英氏も指摘していたことである。永年にわたる虚子研究を重ねて来た本井氏の発言であるから重みがあり、私の多少の不安も払拭された。
                *
           それにしても、季重なりの「季」とは何だろうか。私は、論者ごとに、①季題・②季語と言い分けられているのではないかと感じている。季題とはもちろん虚子やホトトギスの作家が言う季題であるが、その基本理論は、花鳥諷詠である。俳句とは何かという質問に対し、虚子は花鳥諷詠詩であると答えているが、別の場で季題諷詠詩であるとも言っている。何のことは無い、季題諷詠とは題詠のバリエーションのようなものである。約束なのである。
           一方、季語については、虚子と対立した乙字・井泉水の提唱したものであり、季感と密接に関係している。秋桜子の季語もそうしたものと言えよう。
           パネラーの奥坂まや氏は、季題も季語も季感に基づく言葉だと言っているが、これは奥坂氏が馬酔木系(つまり季語派)で長らく育った作家である為の誤解ではないかと思う。虚子の頭の中の季題には季感は存在していない――もちろん季題が発生するには季節感を無視して生まれはしないが、何度も何度も季題を使った作品を使った過程で季感は薄れている。季題は約束だから使うのであり、俳句が季節感を詠む文学であるからではない。
           だから虚子は季題を大事だと言ったが、季節感が大事だとは言わなかった。むしろ、虚子は秋櫻子の季感に対してやや警戒的な立場をとっている。季感を主張することにより、季題がないがしろになるからだ。繰り返して言うが、虚子は俳句は季題の文学であると言ったが、季節感の文学であるとはいっていないのだ。我々は季節感を忘れても、約束事である俳句と言う文芸に参加していることがあるのである。
               *
           なぜこんなことを言うのかと言えば、冒頭の馬酔木系は季重なりが多いという指摘に、会場から黒岩徳将氏が、なぜ流派によって季重なりの是非が出て来るのかと質問が出たからだ。しかし、馬酔木派とホトトギス派が季重なり肯定派と否定派なのではない。馬酔木派は季感を詠むからいくつでも季語を重ねても不都合はないわけである。場合によって季語が無くても寛容な態度をとる。そうしなければ新しい季語が生まれないであろう。これに対しホトトギス派は季題で俳句を作るから、通常季題が二つ以上入ることは無いわけである。しかし入れてはならないと言う原理があるわけではないから、虚子のように季重なりを排斥もしないのである。ただ悩ましいのは虚子の態度を貫くと、季題が無い俳句、つまり無季俳句を作ってみなければ新しい季題ができないことである。
           虚子は、

           塩田に百日筋目つけ通し             欣一
           しんしんと肺碧きまで海のたび          鳳作


          の句を、「塩田」「海のたび」は将来多くの人が詠めば夏の季題となりえるという。しかし、これらが夏の季題に昇格するまでは無季の句を読み続けなければならないのである。