2018年5月25日金曜日

第90号

●更新スケジュール(2018年6月8日)

*発売中!*
冊子「俳句新空間」No.9 
特集:金子兜太追悼
   平成雪月花句集

第4回攝津幸彦記念賞発表! 》詳細
※※※「豈」60号・「俳句新空間」No.8に速報掲載※※※

各賞発表プレスリリース
豈60号 第4回攝津幸彦記念賞発表 購入は邑書林まで



平成三十年 俳句帖毎金00:00更新予定) 
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平成三十年 春興帖

第六(5/25)木村オサム・渡邉美保・内村恭子・真矢ひろみ・前北かおる
第五(5/18)林雅樹・ふけとしこ・小沢麻結・飯田冬眞
第四(5/11)堀本吟・小林かんな・神谷波・望月士郎
第三(5/4)仲寒蟬・曾根毅・夏木久・坂間恒子
第二(4/27)大井恒行・田中葉月・椿屋実梛・松下カロ
第一(4/20)北川美美・小野裕三・仙田洋子・杉山久子


【歳旦帖特別篇】金子兜太氏追善
》読む

(4/27)望月士郎
(4/6)山本敏倖・依光正樹・依光陽子・関悦史
(3/23)ふけとしこ
(3/16)長嶺千晶・大井恒行・堀本吟・小林かんな・渡邉美保
(3/9)小沢麻結・竹岡一郎・小野裕三・早瀬恵子・杉山久子・神谷 波・真矢ひろみ・水岩瞳・渕上信子・池田澄子・中山奈々・木村オサム・浅沼 璞
(3/2)辻村麻乃・曾根毅・月野ぽぽな・五島高資・北川美美・島田牙城・豊里友行・加藤知子・仲寒蟬・神山姫余・佐藤りえ・高山れおな・筑紫磐井



【新連載・黄土眠兎特集】
眠兎第1句集『御意』を読みたい
1 『御意』傍らの異界   大井さち子  》読む
2 つくることの愉しみ   樫本由貴  》読む
3 相克する作句姿勢~黄土眠兎第一句集『御意』~   川原風人  》読む
4 黄土眠兎はサムライである。   叶 裕  》読む
5 生活者の目線   天宮風牙  》読む
6 御意てっ!   仲田陽子  》読む


【新連載・西村麒麟特集2】
麒麟第2句集『鴨』を読みたい
0.序に変えて   筑紫磐井  》読む
1.置いてけぼりの人  野住朋可  》読む
2.ささやかさ  岡田一実  》読む
3.乗れない流れへの強烈な関心  中西亮太  》読む
4.ある日の麒麟さん句会  服部さやか  》読む
5.千年宇宙のパースペクティブ  佐藤りえ  》読む
6.鴨評   安里琉太  》読む
7.水熱く――西村麒麟『鴨』の一句   堀下翔  》読む
8.私信 麒麟さんへ   藤井あかり  》読む


【新連載】
前衛から見た子規の覚書  筑紫磐井 
(1)子規の死   》読む
(2)子規言行録・いかに子規は子規となったか①   》読む
(3)いかに子規は子規となったか②   》読む
(4)いかに子規は子規となったか③   》読む
(5)いかに子規は子規となったか④   》読む
(6)いかに子規は子規となったか⑤   》読む
(7)いかに子規は子規となったか⑥   》読む
(8)いかに子規は子規となったか⑦   》読む
(9)俳句は三流文学である   》読む
(10)朝日新聞は害毒である   》読む
(11)東大は早稲田に勝てない   》読む
(12)子規別伝1・子規最大のライバルは落合直文   》読む
(13)子規別伝2・直文=赤報隊・東大古典講習科という抵抗   》読む
(14)(9-2)俳句は三流文学である――続編   》読む
(15)子規別伝3・新体詩の創始者落合直文   》読む




【現代俳句を読む】
三橋敏雄『眞神』を誤読する
   115. 霞まねば水に穴あく鯉の口  / 北川美美  
》読む

   116. 鈴に入る玉こそよけれ春のくれ  / 北川美美  》読む





【抜粋】
<「俳句四季」6月号> 
俳壇観測185/楸邨・草田男・兜太のつながり ――「寒雷」終刊の感傷
筑紫磐井 》読む


  • 「俳誌要覧2016」「俳句四季」 の抜粋記事  》見てみる








<WEP俳句通信>




およそ日刊俳句空間  》読む
    …(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 … 
    • 5月の執筆者 (柳本々々・渡邉美保) 

      俳句空間」を読む  》読む   
      …(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子
       好評‼大井恒行の日々彼是  》読む 





      *発売中*
      冊子「俳句新空間」No.8 
      特集:世界名勝俳句選集
      購入は邑書林まで



      筑紫磐井 新刊『季語は生きている』発売中!

      実業広報社




      題字 金子兜太

      • 存在者 金子兜太
      • 黒田杏子=編著
      • 特別CD付 
      • 書籍詳細はこちら (藤原書店)
      第5章 昭和を俳句と共に生きてきた
       青春の兜太――「成層圏」の師と仲間たち  坂本宮尾
       兜太の社会性  筑紫磐井

      【抜粋】〈「俳句四季」6月号〉 俳壇観測185/楸邨・草田男・兜太のつながり ――「寒雷」終刊の感傷  筑紫磐井

      楸邨と草田男
       金子兜太の逝去と前後するように、加藤瑠璃子氏が選者をする「寒雷」が、創刊九〇〇号を迎える七月で終刊することが報じられた(三月号)。選者の加藤氏が体調がすぐれないことは誌面で伺っていた。後継誌の誌名は「暖響」と決まり、八月創刊、選者は江中真弓氏となったそうだ。新体制を報じた四月号には、客員としての兜太の逝去(「海程」も七月終刊)も報じられているから、二、三月は楸邨一門にとってまことに慌ただしい時期だった。
       さて、戦前人間探求派と呼ばれた加藤楸邨と中村草田男だが、草田男により昭和二一年一〇月に創刊された「萬緑」は、昭和五八年草田男没後香西照雄などに承継されたが平成二九年三月終刊となり、後継雑誌として横沢放川主宰の「森の座」が創刊された。草田男の亡き後の「萬緑」は三三年間続いたことになる。一方、楸邨により昭和一五年一〇月創刊された「寒雷」は、平成五年楸邨没後加藤瑠璃子氏らを選者として継続されたが、今般終刊することになった。楸邨亡き後の「寒雷」は二五年続いたことになる。これほど偉大な作家たちでも、二、三〇年という時の経過は、子飼いの弟子たちの物故や独立によりその純粋な思想を維持できなくなったのだ。
       人間探求派のもう一人の巨頭石田波郷は、昭和一二年「鶴」を創刊し、昭和四四年一一月波郷没後は石塚友二らが承継しており、現在も継続している。確かに、山本健吉が司会をした「新しい俳句の課題」座談会――いわゆる人間探求派座談会(「俳句研究」昭和一四年八月)に同席しているが、しかし、波郷は純粋には人間探求派とはいいにくかった。古典派、境涯派に変身していたからだ。以後の波郷は「俳句は文学ではない」「俳句は・・・打坐即刻のうた也」「俳句の晩鐘は俺がつく」という伝統的志向を強める一方、俳壇のプロモーターとして活躍したから別扱いした方がいいだろう。兜太が波郷を嫌っていた理由だ。
       その意味で、真の人間探求派は楸邨と草田男であった。そしてまた、この二人の強い影響の下に、社会性俳句も生まれたのである。社会性俳句の代表作家、金子兜太、沢木欣一、古沢太穂らの多くは楸邨門に育った。そして彼らはまた、草田男と論戦を進めながら戦後派世代のユニークな俳句を形成した。なにしろ、「社会性俳句」という呼称自体、草田男の戦後句集『銀河依然』の跋文における「社会性」に触発されたものであるからだ。
       その意味では、社会性俳句の父でもあり母でもあった楸邨と草田男の肉体は速く滅んでも、その思想のアリバイとして結社「萬緑」「寒雷」が残っていたことは戦後史の臍の緒が残っていたようなものである。しかしその臍の緒が切れてしまったのである。そしてその社会性俳句を体現していた金子兜太――特に最後の数年は反戦俳句活動を含め、昭和二〇年代の活動が復活したように見えなくはない――がなくなり、結社「海程」が同じ時期に終刊することは、戦後俳句の遺跡が消えてしまったような寂しさを受けるのである。
      (以下略)

      ※詳しくは「俳句四季」6月号をお読み下さい。

      【新連載・西村麒麟特集2】麒麟第2句集『鴨』を読みたい8 私信 麒麟さんへ 藤井あかり

       刊行された『鴨』の初めての読者が私であることを思うたび、つい頰が緩んでしまいます。

       数年前、麒麟さんのお宅と私の実家の最寄り駅が同じであるご縁で、麒麟さん・A子さんご夫婦と親しくなりました。近所のカレー屋さんやイタリアン・レストランに行ったり、お花見や忘年会をしたり。
       たいていたわいないおしゃべりに終始して、俳句の話が出ることもたまにあるけれど、「麒麟さんって推敲とかします?」「あんまりしないんですよ」「私もしなくって」などとのんびりしたもの。吟行と称して会っても、書き留めた句を見せ合ったことはなく、でもたしかに句は残っています。
       A子さんはいつも麒麟さんの横でほほ笑んでいます。A子さん自身は俳句を作らなくて、ただただ麒麟さんの俳句を大好きなのが伝わってきます。

       あの日は麒麟さんのお宅に遊びに行っていましたね。
       三人で炬燵に入り、A子さんの絶品おでんと私の林檎ケーキを食べながら、いつものようにおしゃべりしていると、ピンポンとチャイムが鳴って玄関先にドカドカと十数個の段ボール箱が置かれ、その一個目の封が開けられて、一番上の一冊をいただいたのが私でした。
       そのあとはなんだかもう胸がいっぱいになってしまって、はしゃぎすぎてお皿を下げるのも忘れて帰ってしまったこと、ごめんなさい。

       お詫びといつものお礼をかねて『鴨』から「愛妻10句」を選んでみたので、お二人で楽しんでくれたら嬉しいです。

      二家族同時にわつと初笑

       笑いのツボが同じってことがまずはめでたいなぁと。

      白団扇顔のみ妻の方へ向け

       出会った当時は体ごと向けていたと思うけれど。

      鰻重の蓋開けてゐる妻の顔

       変わっていく表情がいとおしい。

      端居して妖しきものかいや妻か

       いや、妻って妖しいものなのでは。

      踊子の妻が流れて行きにけり

       もう戻ってこないような切なさも。

      向き合つてけふの食事や小鳥来る

       おのずと向き合う時間をもてる幸せ。

      帰宅して気楽な咳をしたりけり

       外用の咳と家用の咳。

      アロハ着て息子の嫁を眺めをり


       これ以上ない気の置けなさ。

      妻留守の半日ほどや金魚玉

       自由でさびしい時間。

      無花果や妻の幼き頃の本

       懐かしいような、新しいような。

       麒麟さん、『鴨』出版おめでとう。
       それから、A子さんと出会えたこと、改めておめでとう。

       では、また近いうちに。


      【新連載・黄土眠兎特集】眠兎第1句集『御意』を読みたい6 御意てっ! 仲田陽子

       関西人の日常会話の中では漫才でいうところのボケとツッコミが存在する。分類するならば眠兎さんはツッコミの人で、うかうかしていると「そこ!突っ込むとこなっ!」とダメ出しされることが多々ある。
       そんな眠兎さんの処女句集のタイトルが『御意』。。。いきなり全力でボケてきた!と思った。
       「読んで面白い句集にしたい!」という意気込みは聞いていたし、速水御舟の装画に活版印刷のこだわりも、サービス精神旺盛な彼女のことであるから・・・と期待値は自と高まる。

       漫才の要素にはネタフリ、ボケ、ツッコミ、オチの分類ができる。一頁二句立て、見開き四句、章立てごと、句集全体へとバランスを保ちつつネタフリからオチまで構成されている。そしてツッコミどころの多い句、いわゆるボケの句に佳句が多かったように思う。

      朝寝して鳥のことばが少しわかる

       この朝寝は一見とても気持ちがいい句だ。だけどどうだろう?何を言ってるのかがやたら理解できるとなると、うるさくってしかたない。鳥のことばは少しわかるくらいで調度いいのだ。いや、少しわかるともううるさいのだ。

      アマリリス御意とメールを返しおく

       この句集タイトルはこの一句から。何度も「御意てっ!」と突っ込みたくなる。
      LINEなどで既読だけではなんとなく愛想がないときの、承知した旨をスタンプで返すような軽さ。アマリリスの花の明るさに相手との関係性がうかがえる。

      うかうかとジャグジーにゐる春の暮
      カッパ巻しんこ巻春惜しみけり


       他人のうかうかを突っ込む眠兎さんが「うかうかとジャグジーに」浮いていたり「カッパ巻しんこ巻」の緑と黄色で春を惜しんでみたりとボケにボケをやんわりと重ねてくる。あかねさすの章の余韻の残し方がオチとして絶妙だ。

       『里』の句会でお会いするから、うっかり忘れそうになるけれど、眠兎さんは『鷹』に所属されている。
       さすが抒情の系譜に繋がるだけあって、抒情たっぷりな句も多く見られる。なのにここでも見開き四句でボケとツッコミを美しく成立させている。

      円窓に月を呼び込むための椅子
      大根が首だしてくる月夜かな
      満月が地球を重くしてをりぬ
      細波のとぎれし月の舟渡る


       小川軽舟氏の帯文に『トリックスターの野兎のように俊敏だ』と書かれているとおりネタフリからオチまでが実に軽妙だ。
       あと、お金の句をこんなに多く見る句集も珍しいのではないだろうか。

      立春の会費袋を回しゆく
      銀行の金庫に育つ余寒かな
      魚は氷に上りて貯金増えにけり
      両替の紙幣に輪ゴム囀れり
      鈍色の硬貨の湿り終戦日
      ご破算に整ふ指や夕月夜
      大陸のにほひの紙幣鳥渡る
      札束のかすかにぬくし秋の暮
      歳晩や尻ポケットのドル紙幣


       これだけお金を詠んでいるのに守銭奴の臭いがしない。逆に直接お金が出てこない「ご破算に」の句が頭の中で算盤を弾いていて、関西的な腹黒さをかもし出ているという面白さも注目すべきところではないだろうか。

       とにかく、句集『御意』は素通りしてしまいそうな一見普通に見える句も実は軽くボケていたりする。突っ込みどころ満載な作品であるから、おおいにツッコミを入れながら読んでみてほしい。

      2018年5月11日金曜日

      第89号

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      第四(5/11)堀本吟・小林かんな・神谷波・望月士郎
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      第一(4/20)北川美美・小野裕三・仙田洋子・杉山久子


      【歳旦帖特別篇】金子兜太氏追善
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      (4/27)望月士郎
      (4/6)山本敏倖・依光正樹・依光陽子・関悦史
      (3/23)ふけとしこ
      (3/16)長嶺千晶・大井恒行・堀本吟・小林かんな・渡邉美保
      (3/9)小沢麻結・竹岡一郎・小野裕三・早瀬恵子・杉山久子・神谷 波・真矢ひろみ・水岩瞳・渕上信子・池田澄子・中山奈々・木村オサム・浅沼 璞
      (3/2)辻村麻乃・曾根毅・月野ぽぽな・五島高資・北川美美・島田牙城・豊里友行・加藤知子・仲寒蟬・神山姫余・佐藤りえ・高山れおな・筑紫磐井



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      1 『御意』傍らの異界   大井さち子  》読む
      2 つくることの愉しみ   樫本由貴  》読む
      3 相克する作句姿勢~黄土眠兎第一句集『御意』~   川原風人  》読む
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      2.ささやかさ  岡田一実  》読む
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      4.ある日の麒麟さん句会  服部さやか  》読む
      5.千年宇宙のパースペクティブ  佐藤りえ  》読む
      6.鴨評   安里琉太  》読む
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      前衛から見た子規の覚書  筑紫磐井 
      (1)子規の死   》読む
      (2)子規言行録・いかに子規は子規となったか①   》読む
      (3)いかに子規は子規となったか②   》読む
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      (13)子規別伝2・直文=赤報隊・東大古典講習科という抵抗   》読む
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      【現代俳句を読む】
      三橋敏雄『眞神』を誤読する
         115. 霞まねば水に穴あく鯉の口  / 北川美美  
      》読む

         116. 鈴に入る玉こそよけれ春のくれ  / 北川美美  》読む





      【抜粋】
      <「俳句四季」4月号> 
      俳壇観測183/金子兜太逝く――海程終刊後何をしようとしたのか
      筑紫磐井 》読む


      • 「俳誌要覧2016」「俳句四季」 の抜粋記事  》見てみる








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          題字 金子兜太

          • 存在者 金子兜太
          • 黒田杏子=編著
          • 特別CD付 
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          第5章 昭和を俳句と共に生きてきた
           青春の兜太――「成層圏」の師と仲間たち  坂本宮尾
           兜太の社会性  筑紫磐井

          【新連載・西村麒麟特集2】麒麟第2句集『鴨』を読みたい7 水熱く――西村麒麟『鴨』の一句/堀下翔

           澄江堂芥川龍之介、明治二五年東京市に生まれ、関東大震災を挟んで昭和二年にみずから毒を含んで死するまでの僅々三五年間に、専ら短編小説をものし、また我鬼を自称してしばしば発句を吐いた。

           わたしの座右には澄江堂の第三の短編小説集である『傀儡師』(大正八年、皇都新潮社開雕)の復刻版がある。ただし、いまこうして「短編小説集」と書いてしまったのは迂闊なことである。近代日本文学で短編小説という領域を先導したのはほかならぬ澄江堂であって、ましてやそれを一冊の本にするに際して、発表年月日に随わず、作品の趣向に沿って配列するなどという配慮にいたっては、そうした配慮の存在自体、ながらく発見されずにいたことにすぎず、いったいこの一冊のすごみを往時の読者はいかようにして看取していたのか、思うだにただ立ち尽くすのである。

           『傀儡師』には「枯野抄」(大正七年九月)という作品が収められている。芭蕉臨終に立ち会った弟子たちの内面を描いた名品で、漱石の葬儀を模したともいう。古典を題材にすることの多かったこの作家のこと、ご多分に漏れず「枯野抄」も、芭蕉終焉のありさまを門弟どもの手記によって再現したという文暁の「花屋日記」に想を得ている。「枯野抄」の執筆時期に相前後して「花屋日記」は偽書であるとささやかれるようになり、かつ澄江堂は偽書と確信していたとも考えられているが、それはささいな問題である。「花屋日記」には記述のない立会人たちの席次にあっても、いざ筆をふるうや、木節以下、治郎兵衛、其角、去来、支考、丈草、乙州、惟然坊、正秀、之道と手際よく、そして意味深長に座敷に並べてしまうさまには、陶然たるものがある。

           彼が「花屋日記」という珍しい典籍に関心を持ったのは当然、自身が東洋城の「渋柿」や虚子の「ホトトギス」に句を投じた俳人であったからだろう。〈鉄條に似て蝶の舌暑さかな〉という我鬼の句が「ホトトギス」(大正七年八月号)に載ったあと、当時、主観尊重の旗手として虚子に称揚されていた蛇笏はこれを評して「無名の俳人によつて力作さるる逸品」としたそうだが――むろん、蛇笏は我鬼の正体など知っていたのである――、件の句がのちに〈蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな〉という名句に改作されるという事情を差し引いても、蝶の舌なるものと発条との繊細な相似をこともあろうに「暑さ」という大味な季題にべっとりと取り合わせる手腕には、この無名の俳人の感覚の鋭さを思わざるを得ない。

           なんにせよ、澄江堂の名前を聞けば、わたしはすなわち才気煥発といったたぐいの言葉を想起することになる。

           芥川龍之介忌か水熱く 西村麒麟

           『鴨』(平成二九年、文學の森)収載のこの句とは、初出の句会で出合って、心中アッと叫びながら特選に取った。

           澄江堂の忌日である七月二四日、その頃の水が熱いのだという。そしてまさにその水の熱気に、この句の主体は、今日が秀才澄江堂の命日であったことを実感し、あるいは思い出したのだ。この「か」は詠嘆の終助詞の「か」。

           そのへんの甕や盥に汲んであった水が夏の太陽に晒されて熱を帯びている。これを俳句ではふつう「日向水」というが、作者とてもちろんこの言葉を知らなかったわけではあるまじく、しいて言うならば「日向水」を芥川龍之介忌の熱い水と言い換えているということになる。いくら忌日季語は季節感が薄いから季重なりにしていい、したほうがいいと世の人が言うとはいえ(もっとも、わたしはこのような考え方をいっさい信じていないのだが)、〈芥川龍之介忌か日向水〉では、「か」を挟んで名詞が二つ並んだだけで平坦だから、ちょっとさまにならない。それに、「日向水」というと、あたたかく、またぬくいといった印象になるだろうが、掲句は熱いというのだから、まったく同じというわけでもない。ふつふつと沸かんとするかのごとき気配さえ一抹ある。何気なく手を差し入れてみたら瞬間その熱にやられて驚いている景を想像する。あたかも、聡明で神経質そうな澄江堂がいざ筆を執るや鋭い才をたばしらせ、周囲の人々がそれに遇して唖然とする様子を思わせるではないか。熱い水がフックとなって一句の主体が芥川龍之介の命日を連想したのと同時に、メタ的には、水と主体との関係が澄江堂と周囲との関係と二重写しになって読者の目には映る。

           俳句は象徴詩であるという、言い出しっぺが誰なのかはいまひとつ判然としないながらも、根強く、そして正鵠を射た言説があるが、掲句などはその言に随うといっそう読み甲斐が出てくる代物なのである。

           ついでにいえば、澄江堂の忌日は、河童忌とか我鬼忌と称され、特に俳句の世界では彼の俳人としての功績を重んじて我鬼忌と詠むことが多いようだが、西村は優雅に「芥川龍之介忌」と詠んだ。長々しい言葉が意表を突くという狙いもあるのかもしれないが、なにより、この句の核は「水熱く」という五音に尽きているという判断があるのだろう。河童忌や我鬼忌と詠めばどんな水だったか描き出す余裕もあるが、澄江堂の姿をしのぶには「水熱く」で充分だと考えたのである。そしてここには「俳句はこれくらいでいいんだよ」という西村の傍白も潜んでいそうだ。

          【新連載・黄土眠兎特集】眠兎第1句集『御意』を読みたい5 生活者の目線   天宮風牙

           初めて所属誌以外に文章を書くということで過去分(西村麒麟特集)を覗いてみると執筆陣は僕でも名前を知っている著名俳人の方ばかり、しかも論客ばかりである。少々気後れしつつもどんなに頑張っても感想文の範疇でしか書けないことは自分がよく知っている。いや、寧ろ『御意』評、黄土眠兎論には論客よりも僕のような俳句愛好家のおっちゃんの感想こそが相応しいのだ。
           句会に出始めた頃、季語に対して「付き過ぎ」「離れ過ぎ」「付かず離れず」という選評に戸惑った。付くとか付かないは俳諧(連句)での前句と付句との関係に対して使う言葉である。俳句=発句(の発展形体)だと思っていた僕には発句とは眼前の現実との関係であり、一句を季語とそれ以外の措辞とに分けてその関係として読む習慣が無かったのだ。暫くして二句一章という俳句用語を知り、付合が長句短句一連で短歌として成立させるところを季語+12音の17音にしたような句だと知ることになる。付合は二句間で「転じ」がおこなわれていなければ付合とは言えないが、概ね季語+12音の俳句では良く言えば「季語+その季語の本意の具象化」だが「季語+その季語の本意の説明、言い換え」とも言える。俳諧の視点からすると発句とも平句とも言えない奇妙(俳)な句ということになる。しかし、季語+12音の俳句でも分離不可能な程に付き且つ見事に転じているものも稀にあるのだ。

           御降や青竹に汲む京の酒     黄土眠兎
           最後には噛みくだく飴日脚伸ぶ
           アマリリス御意とメールを返しおく
           菱形の臍を褒めらるすいつちよん
           末枯やペン持つ前に考へる


           掲げたらきりがない。黄土の二句一章の句はそのどれもが季語と季語以外の措辞と季語の本意とは異なる同じ「匂い」で強固に結びつき第三の意味を作り出している。それは、蕉風俳諧の「匂い付」の手法そのものである。黄土は匂い付を俳諧から学んだわけでは無く体感でできるのだろう。
           『里』誌で黄土の作品を読む度に季語の使い方の上手さに感心すると同時に匂いとしか言いようのないことに句評の書きづらさを感じてきた。匂い付を用いて作句できる俳人は特別な才の持ち主だと思っていたのだが、『里』誌、特に吟行句会の句会報の黄土の句を読み考えが変わってきた。それは、黄土の最大の魅力とも言える目線にあるのではないか。

           香辛料多き俎始かな         黄土眠兎
           菜の花が八百屋に咲いてしまひけり
           北京ダックまでは前菜花氷
           白桃の指の形のまま凹む
           あつぱれや古道具屋の熊の皮


           どの句も生活者の目線で「今」「此処」が描かれている。俳諧の発句が俳句となり新興俳句、前衛俳句を経て多様化してきたが、今、現代俳句として目にする8割くらいは17音ポエムと呼びたくなる作品も含み平句であると感じている。残り2割の内の殆どは形式こそ発句体ではあるが形骸化し(和歌としての)連歌の発句とも思える。又、前衛を志向する作品は単なる談林回帰であろう。貞門風の言葉遊びの句すらある。それでも蕪村ら天明俳諧を含む蕉風の系譜は生き残っているのだ。

           コンビニのおでん水道水を足す  黄土眠兎

           僕にとって俳句とは「詩」ではなく「現代を生きていることを伝える手段」である。正岡子規によると韻文はその民族の知的レベル、文明が発達する程に長くなるのだという。だとしたら17音の俳句が伝えるべきことはくだらなければくだらない程良い。
           「水道水を足す」たったこれだけの措辞で、これまで幾万と詠まれてきた句によって「おでん」が纏ってしまった昭和ノスタルジーや演歌的詩情が剥ぎ取られ、「コンビニのおでん」としての本情が露になっている。それは、食べ物は少しでも美味しく食べたいという生活者の目線であり、詩人から生活者が「おでん」を奪い返したとも言える。(『里』2018年4月号)
           貴族から庶民が詩歌を俳諧として奪い、知的エリートや詩人に奪われた俳句を再び生活者が奪い返したのだ。痛快である。
           俳句は眼前の風物(若しくは事象)と作者との関係であるならば生活者の目線により詠まれた句はより多くの共感を得ることができる。それは同時代人だけの共感ではない、

           オリーブの花咲く店のAランチ  黄土眠兎

           90年代のイタ飯ブーム以降オリーブの鉢を置く店が増えた。スパゲッティはパスタとなり喫茶店にも○○のパスタとメニューにある。「コンビニのおでん」句同様に韻文として子々孫々へ伝達され何百年後かに平成の風俗を垣間見ているかもしれない。
           俳句は百数十年前に西洋かぶれの田舎者のあんちゃんがその卓越した頭脳で俳諧の発句を近代文芸へと生まれ変わらせようとしたものである。それは「詠読分離」を目指したものでありテレビやイベントで「僕にも私にも俳句ができる。」と俳人の数を増やすことでは無かったと思う。これまでにも田中裕明、櫂未知子と俳人以外の読者を獲得できるチャンスは何度かあった。現在なら北大路翼、佐藤文香にその可能性があるように思える。そして、ここに黄土眠兎が加わるのではないか。その意味において冒頭で述べたように『御意』評、黄土眠兎論には論客よりも僕のような俳句愛好家のおっちゃんの感想こそが相応しいのだ。

          天宮風牙 里・塵風

          【新連載】前衛から見た子規の覚書(15)子規別伝3・新体詩の創始者落合直文/筑紫磐井

           少し間をおいたが、連載を再開することとしたい。話題は子規のライバル落合直文に戻る。

          [落合直文年譜②]新体詩~新派短歌時代

          ●明治21年(28歳)、皇典講究所(國學院大學)教師。また言語取調所(後の東京帝国大学事業となる)を上田万年らと創設。新体詩「孝女白菊の歌」(阿蘇の山里秋更けて、眺めさびしき夕まぐれ)を発表し、一世を風靡する。
          [子規21歳]野球に熱中。
          ●明治22年(29歳)、一高講師(後に教授)、早稲田専門学校講師。「国民之友」付録「於母影」を森鴎外らと共編、日本の新体詩の草分けとなる。
          [子規22歳]喀血する。→翌年(23年)、文科大学に入学。
          [その他]陸羯南、2月11日「日本」を創刊。
              *    *
          ●明治24年(31歳)、「日本」への寄稿が始まり、近代的短歌グループ「浅香社」を創設する。
          [子規24歳]→翌年(25年)、執筆した小説を幸田露伴に示すが拒否される。「獺祭書屋俳話」を「日本」に掲載。学年試験に落第し、大学を退学。家族を呼び寄せ、日本新聞社に入社する。
          ●明治26年(33歳)、「桜井の決別」(青葉茂れる桜井の)発表。また、シベリア横断のナショナリズム的叙事詩「騎馬旅行」発表。
          [子規26歳]「日本」の文苑に俳句欄が出来る。「芭蕉雑談」掲載。
          ●明治27年(34歳)、(与謝野鉄幹「亡国の音」を発表。)
          [子規27歳]「日本」の別動紙「小日本」(2月11日創刊、7月15日廃刊)の編集を担当。

           近代文学史に先に登場するのは子規ではなく、落合直文である。直文が新体詩「孝女白菊の歌」(明治21年)、「於母影」(明治22年)という作品で知られたのに対し、子規は「獺祭書屋俳話」(明治25年)という批評からスタートした。一見活動時期は二、三年のずれにしかみえないが、年を食っていた直文を考えると、実は明治の異なる教育システムを二人は背負っていたのである。
           直文には、森鴎外、陸羯南、国分青崖の友人がいたが、子規にとってこれらはすべて頭の上がらない先輩であった。だから、直文たちが維新後の第一世代とすれば、子規は第二世代に当たる。決して、直文と子規は世代内対立していない、下克上なのである。そして子規が短詩型文学で本当に世代内対立したのは、直文に師事した与謝野鉄幹だったのである。
           上の年表から、具体的な直文の初期の活動を、同時代の文芸思潮と対比して感想を述べてみることにしよう。
           (なお余計なことをいえば、落合直文も正岡子規も、その職業は現代では歌人・俳人と信じて疑わないがこれは間違っている。この時代、直文は国文学者(勤務形態でいえば一高教授)であり、子規はジャーナリスト(勤務形態でいえば日本新聞記者)なのであった。歌人・俳人と言う偏狭な肩書は彼らの活動を誤解させるものがあるがこのことは後に述べよう。)

          【年譜②感想】
           子規が漢詩から始まり俳句にいたるまでの文芸の総合的な体験の中で俳句と短歌に集中していったように、実は落合直文は新体詩・短歌・国文学研究――或いは広く新国文といってもよいかも知れないが、これらを常に併行して行っていた。明治のこの時期の書生達は、決して自分たちの活動を絞りきっていなかったのである。そして直文の最も重要なる契機は新体詩にあったのである。

          (1)孝女白菊の歌

           日本における詩作の開始は、『新体詩抄』(明治15年8月)の刊行に拠るが、「泰西のポエトリー」に倣い、帝国大学教官のゝ山外山正一・尚今矢田部良吉・巽軒井上哲次郎同撰により編まれたものである。外山は文学部教授だが社会学の専攻、矢田部は理学部教授、井上のみ文学部助教授で漢詩をよくした。だから、文学について見当違いの多い彼らの編んだ『新体詩抄』は子規のみならず後世の多くの詩人から、官学者の作った駄作としての評価が定まっている。
           新体詩の完成は、子規が書いた如く島崎藤村を待つのであるが、その過渡として「孝女白菊の歌」(明治21年2月)は一応読むに堪え得る新体詩と見なされ、また広く普及したのであった。新体詩の評価が微妙なのは、この詩が唱歌として普及したことにもよるらしい。耳に快い直文の調べは唱歌に向いていたことは、同じ直文作の「青葉茂れる」(桜井の別れ)で広く歌われていたことからも推測される。これは決して直文の不名誉ではあるまい。
           実際、「孝女白菊の歌」はドイツ語、英語にまで翻訳され、日本で最初に海外に紹介された「詩」となったのである。『新体詩抄』と直文の新体詩を比較してみよう。

          抜刀隊      外山正一(ヽ山居士)[新体詩抄]
           
          吾は官軍わが敵は 天地容れざる朝敵ぞ
          敵の大将たるものは 古今無双の英雄で
          これに従うつわものは 共に剽悍決死の士
          鬼神に恥じぬ勇あるも 天の許さぬ反逆を
          起こせし者は昔より 栄えし例あらざるぞ 
          敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に
          玉ちる剣 抜き連れて 死する覚悟で進むべし 

          孝女白菊の歌      落合直文[孝女白菊の歌]

           
          阿蘇の山里秋ふけて
          なかめさびしき夕まぐれ
          いつこの寺の鐘ならむ
          諸行無常とつけわたる
          をりしもひとり門に出で
          父を待つなる少女あり
          袖に涙をおさへつゝ
          憂にしつむそのさまは
          色まだあさき海棠の
          雨になやむにことならず
          父は先つ日遊獵(カリ)に出で
          今猶おとづれなしとかや


           粗雑な『新体詩抄』と比べれば、甘ったるくはあるが「孝女白菊の歌」の方が詩には近い。
           もっとも、「孝女白菊の歌」には原作があり、『新体詩抄』の編者井上哲次郎が明治17年1月に郵便報知新聞に発表した404行の漢詩(7言詩)「孝女白菊詩」を翻案したものであるという。井上は、『新体詩抄』の理念に倣い、泰西の思想を漢詩に導入したものだと言う。これは十分成功したようで、井上の詩が普及したわけではないが、直文の新体詩が井上のこの考えを具現化したと見てよいであろう。要は、表現なのである。
           そしてこうした直文の新しい国詩は、初めて新体詩を知る当時の人・時代に叶い、1年間に17雑誌に転載されたという。後世にまで歌いつづけられたのである。

          (2)『於母影』

           『新体詩抄』に対する「矢田部と外山等の新体詩は詩に非ず」(森鴎外)「かの無味たる、かの蕪雑なる新体詩を斥けむ」(落合直文)と言う志から生み出されたのが「於母影」であった。「孝女白菊の歌」の成功により一躍有名となった落合直文を加えて、森鴎外らによる『於母影』で新体詩の姿がはっきり見えてくるのである。

          勸學の詩  尚今居士(矢田部良吉)訳[新体詩抄]

           
          昔し唐土の朱文公
          よに博學の大人ながら
          わが學門をすゝすめんと
          少年易老の詩を作り
          一生涯は春の夜の
          夢の如しとは嘆きけり
          國の東西世の古今
          人の高卑を問はずして
          學の道に就くものは
          いかに才能ありとても
          同じ多少の感慨を
          起こさぬことのあるべしや(後略)

          笛の音(シェツフェル作) 落合直文訳[於母影] 


              少年の巻
            その一
          君をはじめて見てしとき
          そのうれしさやいかなりし
          むすぶおもひもとけそめて
          笛の声とはなりにけり

          おもふおもひのあればこそ
          夜すからかくはふきすさべ
          あはれと君もきゝねかし
          こゝろこめたる笛のこゑ