2024年1月26日金曜日

第218号

     次回更新 2/9


仲寒蟬『全山落葉』評 「踏みにじる菫は戦車から見え」ぬ時代 (下) 筑紫磐井 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり 1 岩淵喜代子句集「末枯れの賑ひ」 豊里友行 》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和五年夏興帖
第一(10/13)仲寒蟬・辻村麻乃・仙田洋子
第二(10/21)坂間恒子・杉山久子
第三(10/27)竹岡一郎・木村オサム・ふけとしこ・山本敏倖
第四(11/3)岸本尚毅・小林かんな・瀬戸優理子
第五(11/10)神谷波・松下カロ・加藤知子
第六(11/17)小沢麻結・浅沼 璞・望月士郎・曾根 毅
第七(12/8)冨岡和秀・花尻万博・青木百舌鳥
第八(12/16)高橋比呂子・鷲津誠次・林雅樹
第九(12/22)眞矢ひろみ・渡邉美保・網野月を
第十(1/12)水岩瞳・佐藤りえ・筑紫磐井
第十一(1/26)豊里友行・下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第41回皐月句会(9月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第18号 発行※NEW!

■連載

【抜粋】〈俳句四季10月号〉俳壇観測248 俳句四季創刊四十周年ーー私の見る俳句ジャーナリズム史

筑紫磐井 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(42) ふけとしこ 》読む

英国Haiku便り[in Japan](42) 小野裕三 》読む

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句
 2.社会性について 筑紫磐井 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
インデックス

句集歌集逍遙 岡田由季句集『中くらゐの町』/佐藤りえ 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】② 豊里友行句集『母よ』書評 石原昌光 》読む

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む

…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
1月の執筆者(渡邉美保)

■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】〈俳句四季10月号〉俳壇観測248 俳句四季創刊四十周年ーー私の見る俳句ジャーナリズム史  筑紫磐井

(今回は遡って248を紹介する)

 「俳句四季」が創刊四十周年を迎えた。七月七日ホテルグランドヒル市ヶ谷で恒例の七夕会が開かれ俳人を集めて祝賀会が開かれた。多くの祝辞や記念講演が行われたが、ここでは「俳句四季」の歴史を振り返ってみたい。ただ、昨年初代社長の松尾正光さんの追悼記事を書いているので一部重複したところがあるのはお許し願いたい。

 「俳句四季」の出版元である東京四季出版は初代社長松尾正光氏によって昭和五四年三月に創業している。松尾社長は若くして武者小路実篤に師事し、それを契機に多くの文化人と知り合い画廊(ギャラリー四季)を始めた。理想主義の人だったのだが、出版業に移った経緯はよく分からない。しばらくは、「四季出版」の名で詩歌・俳句の本を刊行していたようだ。当初は銀座に編集部があった。

 「俳句四季」は昭和五九年一月に創刊している。当時「俳句」(角川書店)「俳句研究」と「俳句とエッセイ」(牧羊社)という総合誌3誌が鼎立していたが、「俳句四季」はここに割って入った形となる。この時本阿弥書店の「俳壇」も創刊(六月)されている。

 「俳句四季」の位置づけを知るためには当時の総合誌を鳥瞰してみることが必要だ。すでに休刊となった雑誌も含めて眺めてみよう。


【現在刊行中の雑誌】

●角川書店「俳句」(昭和二七年創刊)

●東京四季出版「俳句四季」(昭和五九年創刊)

●本阿弥書店「俳壇」(昭和五九年創刊)

●文学の森「俳句界」(平成七年創刊。北溟社が創刊したが、平成一五年文学の森が承継)

●三樹書房「WEP俳句通信」(平成一三年創刊)


【すでに終刊した雑誌】

●「俳句研究」(昭和九年~平成二三年。戦前大手出版社の改造社が創刊した。戦後はいくつかの出版社が引き受け、俳句研究社(高柳重信編集)時代が有名だが、六一年からは角川系の富士見書房の刊行となり終刊した))

●「俳句空間」(昭和六一年~平成五年。「俳句研究」が角川系の富士見書房の刊行となったため創刊された、国鉄共済会系の弘栄堂出版から刊行)

●牧羊社「俳句とエッセイ」(昭和四八年~平成六年)

●朝日新聞社「俳句朝日」(平成七年~平成十年)

●毎日新聞社「俳句アルファ」(平成五年創刊)


 当時現代俳句協会、俳人協会のほかに新たに日本伝統俳句協会も発足し、数的には最盛期を迎えつつあり、多くの総合誌がひしめき合っていたわけである。

 総合誌はーー特に後続雑誌「俳句四季」と「俳壇」は、競い合ってというよりは補完しあってといった方がいいようで、角川「俳句」に対抗しあったというべきだろう。しかし40年たった現在は、両誌は「俳句」に次ぐ老舗となっており、往時茫々という感じがする。

 こうした中で振り返ってみると、創刊当時の「俳句四季」の特色は、「創作・紀行・情報・写真」「目で見る月刊俳句総合誌」をキャッチフレーズにしているように一貫してビジュアルな雑誌であった。これはその前身が画廊を運営した経験のある会社であったことが大きいと思う。例えば貴重な写真を満載した「俳人アルバム」(新潮社の『日本文学アルバム』シリーズをモデルにしたものだという)・「結社アルバム」の連載は現在となってみると、戦後の俳句風景を目の当たりに確認できる貴重な資料となって居る。

 併行して、「短歌四季」を創刊(平成元年。ただし残念ながら一六年に終刊している)、また表紙には浅井慎平氏を七年から起用して現在まで続いている。一三年からは俳句四季大賞を始めている。俳人以外の方々に寄稿を依頼したのも特色であり、印象にあるのは詩人の宗左近氏で、『さあ現代俳句へ』『21世紀の俳句』長期連載を依頼した。宗氏が中句という新しい詩形式を提案したのもこうした理由であろう。

 雑誌を少し離れて出版業として見ると、従来から行っていた単行本の句集に加えて、早くからシリーズを刊行した。「秀逸俳人叢書」「俊英俳句選集」「新鋭句集シリーズ」が初期のもので、特に「新鋭句集シリーズ」は若い世代を中心に構成されており、なかなか登場しがたかった新世代の発掘にも貢献した。「新鋭句集シリーズ」はなかなか洒落た装丁でボリュームのある句集であった。私の第一句集も実はこのシリーズに声をかけられたものであった。

 やがて、東京四季出版独自の大企画が登場する。『処女句集全集』、『処女歌集全集』、『最初の出発』、『現代俳句文学アルバム』、『歳華悠悠』、『現代俳句鑑賞全集』、『21世紀現代短歌選集』、『平成俳人大全書』、『現代一〇〇名句集』と大冊のシリーズが登場する。

 特に現代俳句の資料としては、句集一冊を丸ごと収録した全集は角川書店の『現代俳句大系』以来途絶えていたが、『現代一〇〇名句集』一〇冊を刊行した。この時、村上護、川名大、稲畑廣太郎、小沢克己氏と私が声をかけられ、句集選定や解説までを実施した。『現代俳句大系』がやや偏ったところがある(無季俳句を排除していた)のに対し、一応現代名句集となり得たのではないかと思われる。

 こうした中で、27年ごろから松尾社長が体調不良となり、西井現社長がさまざまな場面で代行することになった。松尾社長も一気に引退したわけではないので、漸進的な交替であった。その意味では、「俳句四季」は急激な変化なく、創刊以来の伝統を維持することが出来たように思う。しばしばほかの雑誌ではトップの交代が、大きな誌面の変化となって現れ、読者を戸惑わせることがあるが、「俳句四季」にはそれはなかった。これは総合誌の役割を果たすうえでも重要なことであったと思う。

 二人の社長の関係した「俳句四季」の企画としては、十四年から始まった「俳壇観測」(246回連載)、二一年から始まった「最近の名句集を探る」(84回連載)がある。

英国Haiku便り [in Japan] (42)  小野裕三

クロアチアから届いた句集

 依頼を受けて、クロアチアの詩人が書いた句集の評を国際俳句交流協会のウェブサイトに寄稿した(「haikuつれづれ」第20回)。ゴラン・ガタリサという詩人の句集『夜のジャスミン(Night Jasmine)』で、繊細で芯のある冴えた句が多かった。自分が行ったこともない国の詩人が書いたhaikuを読むのは、異国への一人旅の感覚と少し似ていて、それも面白かった。

 night jasmine –

 her bloomed soul brings water

 to a refugee

 夜のジャスミン / その花のみずみずしい心は / 難民に水を運ぶ

 難民問題という大きなテーマが、巧みに構成された詩的なイメージとして、俳句という形式に上手にはめこまれている。旧ユーゴスラビアの解体からできたクロアチアは、過酷な民族紛争を体験するなど、歴史に翻弄されてきた小国と言える。そんな小国から見える国際的な問題という図式が、俳句という小さな器を通して大きな真実を見るという図式にも重なるのだろうか、大と小、動と静、重と軽、といった対照が詩的な結晶へと昇華している。彼は本書の前書きでこう語る。

「俳句は、我々の自然への結びつきを表現する力を持つだけではない。俳句は、我々をどんな歴史上の時代へでも瞬間移動させ、それをあらゆる人に理解させる力を持つ」

 クロアチアという場所からhaikuを見るからこそ可能になった、ユニークな俳句観とも感じる。

 melted snow –

 my wife’s daydreams

 in the fertility clinic

 雪解け / 不妊治療クリニックの / 妻の白昼夢

 「不妊治療クリニック」とは座りの悪い日本語だし、文字数も多いので、これを俳句に詠む日本人はほぼいないと思う。だが、例えば英語なら六音節と短く、かつかなり一般的に流通する単語でもある。となれば、「fertility clinic」を詠んだhaikuはこれからも増えていきそうだ。そんなちょっとした言葉の設えの違いが、その存在にまつわる情感を詩情として育てていくか否かを左右するのかも、と考えるのも興味深い。

 この句集では、クロアチア語と英語だけでなく、日本語も含めた七カ国語の翻訳で句を載せている。本書前書きで、米国の俳人ジム・ケイシアンは、「俳句とは、その牧歌的な性質ゆえに、世界の隅々にまで行き渡り、どこででも書かれる」と記し、その上で多言語で翻訳された本書にhaikuの「現代性」を見る。確かに「現代性」という観点からはいろんな意味で、多くの日本人の句集はこのクロアチア人の句集にはなかなか敵わないかも、とも思わせる。

(『海原』2023年3月号より転載)

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり 1 岩淵喜代子句集「末枯れの賑ひ」  豊里友行

【はじめに】

 私は、初期の俳句鍛錬の場を経て俳句の武者修行のようなことをしていた。

 さまざまな俳人たちの俳句の世界観に触れて、多大な俳句の刺激を感受した時期だ。

 写真家であることもあって地域の風土や社会情勢などを俳句にしていくことも多かった。

 それは、俳人としても写真家としても幸福なことなのかもしれない。

 だが、これまでの私は「他者がどうあるべきか」ということに意識を向けすぎていた。

 「さて。私は、どうあるべきか」ということと上手く向き合えていなかった気がする。

 私は、首を傾げてしまう。

 そんなことから最近の私は、自己に向き合うようになる。

 それは、私自身の俳句の土台を耕したり、俳句の種を蒔いて心のアンテナを張り巡らして詩心の水やりなどをしながら私自身の俳句の開花に向き合うことでもあった。

 それと対局のように思われるかもしれないが、他者との関わり、社会と繋がること無くして生きていけないというのも骨身に沁みる。

 写真家・豊里友行として向き合っている激動の沖縄や日本社会、世界情勢にも向き合うことを私が、どう感じて行動しているかということにも繋がっている。

 その豊里友行の俳句人生の開花と向き合う日々の中で中島敦の短編小説『山月記』の李徴の虎の独白にある自戒のように虎にならないようにしたい。

 そのためにも他者の句集鑑賞を勉強することで他者の俳句の開花にも眼を向けられるようになりたい。

 この場での句集鑑賞は、それぞれの俳句の開花をめぐる旅のようなものかもしれない。

 今回の【豊里友行の俳句集の花めぐり】では、俳句論評というよりは俳人の開花を読み解くことを目的としたい。

 どうか私の俳句鑑賞の鍛錬に俳句新空間の読者の皆様にお付き合いいただけると幸いです。

豊里友行    

2024年1月16日   


【第1回】岩淵喜代子句集「末枯れの賑ひ」(2023年刊、ふらんす堂)


 末枯れの賑ひにあり雑木山


 岩淵喜代子句集「末枯れの賑ひ」(2023年刊、ふらんす堂)の「あとがき」から引用された帯文を引いてみる。


末枯れが始まると、林はその空を少しずつ広げて、

いつの間にかどの樹も残らず裸木になってしまうのです。

毎年その経緯を眺めながら、林の根元に日差が行き渡るのを、

なぜかほっとしながら眺めています。


 著者略歴によると岩淵喜代子さんは、1936年10月生まれとある。

 90代のいただきは、どのように見えるかが、伺えるような句集のトップを飾る句だ。

 四季折々を丁寧に生きること。

 末枯れの雑木林が成す山でさえ梢は、指揮者のように賑わいを誘う。


牛たちに夏野の乳房四つづつ

 牛の乳房(乳頭)は4つ。それだけなら事実を述べただけ。しかしこの俳句は、牛たちに夏野の乳房を見出すことで俳句の詩的表現の本質に迫る。

 草木萌え出す夏野の乳房があり、そこに牛たちの乳房もおそろしいほど膨れ上がって4つずつ揺れている。

 もちろん夏野の乳房は、命を育む母なる大地との融合を高らかに謳われているのだ。


かがみたる子にいちめんのいぬふぐり

しろつめくさからおきあがる女の子

草いきれ児は身体ごとぶつかり来

 「いぬふぐり」「しろつめくさ」「草いきれ」に絶妙に活きる。

 屈んだ子の一面に広がる犬ふぐり。白詰草の原っぱから飛び出すような女の子。身体ごとぶつかる児の勢いに成長を感じつつ草の匂い立つ。子らの輝ける未来の光に希望を燈したい。


電球の振れば樹氷林の音

花守の腰の鋏の黒光り

知らぬ間に鬼の加はる薬喰

魂を取り出せさうな青闇

夜ごと咲く月より白き烏瓜

鰡飛んで海の黒さを見せんとす

手秤で貰ふ鰍の五六匹

 電球を振ることで樹氷林の音を見出す語感の絶え間なき練磨に脱帽。

花守の腰に鋏の光の存在感も圧巻の句だ。

 薬喰(くすりぐい)は、体力をつけるために、寒中に滋養になる肉類を食べること。そこに獣のように鬼が加わるという生命力の暗示。

 青葉闇から魂を取り出せそうだと感受する岩淵喜代子俳句の瑞々しい感性のきらめき。

夜ごと咲く烏瓜の美しさをどのように例えれるだろうか。月より。その慧眼に脱帽。

鰡(ぼら)が海面を飛び出し、海の黒さを流星のきらめきのように際立たせる。

 市場などで見かけた手秤(手計り)は久しく見えなくなるが、此処では手の加減で重さを計ることを手秤としてみてはどうだろう。

 その手分量の秤で貰う鰍(かじか)の五六匹の存在感には、まさに原石鼎の研究の第一人者でもある岩淵喜代子さんの頂きなのだろう。


 たくさんある優れた俳句の中よりほんの僅かですが、下記にも共鳴句をいただきます。


足袋脱いでひとりの我に戻りたる

繭玉の揺るるや誰か帰るたび

若鮎のあるかなきかの虹の色

薔薇は薔薇ごとに坩堝を持つてゐる

虎杖の花に老人紛れけり

何もなき部屋に夕焼け満たしけり

川の名を一つ覚えて夏休

広島の六日のあとの星祭

白桃を水の重さと思ひをり

玫瑰(はまなす)の実にゆきついて引き返す

綿の実を握りて種にゆき当たる  


仲寒蟬『全山落葉』評 「踏みにじる菫は戦車から見え」ぬ時代 (下)  筑紫磐井

 ●『全山落葉』の諸相


当局の者とおぼしき黒外套

誘蛾灯有害図書を売る店に

助走から記録の予感夏の雲

緑陰の献血車から白き足


 句集前半から選んでみたが、当局、有害図書、助走、記録、献血車とあまりふつうの句集にはなじみのない言葉が並ぶ。ただ、だからこそ風景がくっきり浮かびあがる。映像の輪郭がはっきりしている。これはいいことか悪いことかわからないが、他の伝統派の句集のように、対象の影がにじみでることがない。


世界史に悪妻多し曼殊沙華

百足より叫びし顔のおそろしき

見るほどの裸ならねど見てしまふ

水中り世界が終わりさうな顔

埋蔵金永遠に隠して花の山


 こうしたユニークな素材の句から、やがて滑稽味のある句やショッキングな句へと発展する。絶対他の作者ではここまで読みはしないだろう。地雷原に一歩踏み出してしまっている。しかしだからこそ面白いのだ。「見るほどの裸ならねど見てしまふ」は素直な鑑賞者はエロチックに見てしまうだろうが、むしろ私は「見るほどの裸なら」ぬという失礼さに興味を持ってしまう。これは自らの裸にいわれなき自信を持っている人への皮肉なのだ。

 ここで少し時系列で眺めていこう。


わが去りし席が消毒され西日

さうあれは春の風邪から始まった


 これはこの4年間俳人が被っていたコロナの身辺環境ではないか。2023年7月、4年ぶりで開催された「こもろ日盛俳句祭2023」でシンポジウムが開かれた。テーマは「ポストコロナの俳句」。その司会を仲寒蟬が行っている。多分、日本で最初のポストコロナ俳句シンポジウムだったことだろう。その時パネラーがコロナの例句を掲げた時の、仲の上げた句が第一句。この時仲は「不要不急はとんでもない話で逆に文学・芸術の重要性が実感できた。「つまらないこと」の大切さ。」と述べている。


踏みにじる菫は戦車から見えず

この茂り戦車かくしてゐはせぬか


 はっきりとそうとは言えないが、この時期の句集に含まれているとロシアのウクライナ侵攻と関係づけてしまいそうだ。作者がそうと思わないで作っても、編者としてはそう思われてもかまわないと考えて編んでいるだろう。私はコロナの句以上にこの時期に相応しいと思う。仲寒蟬は、紛うかたなき社会性俳句作家なのだ。


かつてダンディー枯れ放題に父の髭

秋灯や母ゐてこその父の家

独活の香や父のわがまま母にだけ

父でなく老人五月闇の奥


 父君がなくなったこともあり、この時期には父の句が多い。師の大牧広も第一句集を『父寂び』と名付けたほどに父にこだわっていたが、大牧広との違いは、その父の相違でもあるようだ。大牧の父はどこか庶民的で行ってみればフーテンの寅さんのような面影がある(「もう母を擲たなくなりし父の夏」大牧広)が、この作者の父はインテリのように感じる。やくざで横暴な父の方が俳句の素材には向いているが、この著者の父は少しインパクトが弱いかもしれないと思う。この父は少し抽象的かもしれない。しかし一方で、男の作者にとって父は自己投影の一面も持っている。年を取って鏡で髭を剃っている自分の顔を見ていると、一瞬鏡の中に父の顔を見つけて愕然とすることがある。


白魚や死ぬとは濁ることにして

死して出ることも退院寒月光

うららかやあくびのごとく人吐く駅

上空に無駄な雲ある炎暑かな

真っ直ぐに来し台風と渋谷で会ふ


 このあたりから仲寒蟬は大牧広から離れ始める。自分自身の俳句を考え始めるのである。言葉の絶妙な使い方に興味が湧いてくるのである。例えば最後の句――多分、足の速い台風が東京に上陸し、強風となっている渋谷に作者は来たのだろうが、待ち合わせをしたかのように「渋谷で会ふ」という言い方をしている。いかにも俳句的表現だが、余り見たことがない。大牧広の師、能村登四郎は擬人法を得意としたが、擬人法にも様々な用法がある。仲寒蟬はどうやら登四郎の世界に踏み込み始めたようなのだ。

 以下、特に分類しきれない多様な作品の中で、仲寒蟬の今後を暗示させる句を若干あげさせていただく。これらが次句集へつながるようであれば、評者冥利に尽きるものである。


海女にして人の祖なり花海桐

いつ影と入れ替わりしや夏の蝶

落ちてどこかへ成人の日の画鋲

廃業と決まりし店の夜なべの灯


【連載】ほたる通信 Ⅲ(42)  ふけとしこ

    熊笹に隈

栂の実の五つを並べ冬籠

石を打つ雨冬菊を叩く雨

古九谷のひといろ貰ひ竜の玉

冬ざれや我も鴉も川を見て

二十日正月熊笹に隈清ら

・・・

 新しい七草なるものが売られていた。

  芹→三つ葉 

  薺→ 高菜

  御形→春菊

  繫縷→法蓮草

  仏の座→葉牛蒡

  菘→葉蕪

  蘿蔔→葉大根 

というように変えられていた。いわゆるベビーリーフ。小さな葉物が詰められていて「定番の品種を近い系統のなじみのある品種に変え、新しい七草を選定しました」との説明が書かれていた。確かに七種に違いない。

 自分ではとても揃えられないから、毎年パック詰めのセットを買うのだが、本当にハコベばかりが多くて苦笑せざるを得ない。しかも同名である故の間違いから、本来ならホトケノザとしてタビラコが入るべきところに、同名異種のホトケノザが入っていることもあるからややこしい。

  仏の座光の粒が来て泊まる としこ

  畦道の昔へ続く仏の座

 かつて、こんな句を作ったことがあり、鑑賞して下さった方も何人かあったが、この解釈は黄色い花の方だなとか、赤紫の花の方だな、などと思えたりして作者である私も楽しませて貰ったことがあった。黄色い花はタビラコ(田平子)であり、赤紫の方はサンガイグサ(宝蓋草)との名前もある。

 サンガイグサの方は春の花に分類されてはいるがほぼ一年中見られる。つまり摘み放題であるが、タビラコの方は新暦1月7日にうまく見つけられるかどうか?

 レンゲの咲き始める頃の田んぼや畦なら成長していて難なく見つけられるけれど。

 因みに、私の好きな仏の座の句は次のもの。

  是ならば踏んでも来たり仏の座  梅室

 「仏の座なんていうから、どんなに有難いものかと思っていたが、なんだ、こんな草だったのか。ここへ来る途中の道端で踏んで来たよ」とでもいったところか。まさにあるある……。一座も和んだことだろう。

(2024・1)

第41回皐月句会(9月)

投句〆切9/11 (月) 

選句〆切9/21 (木) 


(5点句以上)

7点句

嵯峨本を繙いて是銀河なり(佐藤りえ

【評】 豪商角倉素庵が京都の嵯峨において出版されたとされる嵯峨本。これを繙いた時、正に銀河を感覚した。嵯峨本と銀河の配合美。なりと断定している。そこに共鳴出来なければ、それまで。──山本敏倖

【評】 接続助詞「て」に続けて、是銀河なりの説明的句展開には?本阿弥光悦から不定理な宇宙への幻景は嫌いじゃない!愉しめる。──夏木久

【評】 嵯峨本は本阿弥光悦の刊行した活字本。博物館に置いてある稀覯本であるからそれを身近で繙くことなどありそうもない。空想で飛んで、江戸時代初期の庵にでも棲んでいる気分なのだろうか。折口信夫は「隠者文学」と呼んだが、そんな風景。──筑紫磐井


6点句

石ごとに丸みのちがふ水の秋(依光正樹)

【評】 当り前と言われればそうなんだが石と水の取合せに納得。──仲寒蟬


落蟬のやや傾きて地に刺さる(渡部有紀子)

【評】 土の面に落蝉が刺さっている。それだけでもリアルから不思議な空気感が醸し出される。それがやや傾くというのである。思わずしてこんな形となった蝉の最後。それを見守る作者は何を思ったのだろう。──辻村麻乃

【評】 刺さるほど固さはあるだろうか、とも思いつつ、即物的なところを買います。──佐藤りえ


嚙み合はぬ話も阿吽新走(松代忠博)

【評】 二人(いや三人か)とも新酒に酔っているのだが、そこはそれ阿吽の呼吸で噛み合わないようでも話は流れていく。──仲寒蟬


5点句

うすあじのとうがんながらすてぜりふ(妹尾健太郎)

【評】「すてぜりふ」をいって帰ったその表現は、「うすあじのとうがん」みたいな淡い柔らかなもので、にわかにそうとわかるものではなかった、という意味なのだ。この「すてぜりふ」もこのていどのもんで言わせてもらいまっさ、ということらしいが、それがそうだと、じっくり味が分かってくるのはそのあとしばらくしてから。この言い方もなかなか、にくい。冬瓜をこういうふうに炊ける人は料理の名人である。ワルクチにしても、上等の味のあるものだったろう。──堀本吟


秋の潮濁すはじめの杭打たれる(小林かんな)


8月の8をひねって0にする(望月士郎)

【評】 こう言われると確かに…。8月は背負い過ぎているから、いっそ0にしてあげたい気もする。特に今年は長く暑いし。──小沢麻結


風のやうにその人逝きし糸瓜棚(岸本尚毅)

【評】 風のように逝った人、風は糸瓜を揺らして過ぎるのだろうか。正岡子規もそうかもしれない。──仲寒蟬

【評】 「糸瓜棚」の下五で読み手は「その人」が子規の事だと思う(もちろん子規でなくてもいい、という余白も残しながら)。すると「風のやうに」が俄然生きてくる。もし「その人」の代わりに子規と入れてしまったら台無しになるところ、一句の中に固有名詞を敢えて使わずに読み手を信じているところがとてもいいと思った。──依光陽子


花野にて花野いづこと問はれけり(仲寒蟬)

【評】 すっとぼけ俳句という範疇が存在するように思いますがこれはそれに属するものにて、爽やかな味のするトボケだと印象します。──平野山斗士


(選評若干)

火祭の杜行く巫女の朱の袴 2点 小沢麻結

【評】 巫女の神格化が美しい──依光正樹


樹を吸うて櫛比の菌ましろなる 4点 平野山斗士

【評】 真っ白な櫛比の茸と言われて景が浮かんできますね。──仲寒蟬


暗黒を引きずってゆく秋の蛇 2点 中村猛虎

【評】 ああ、如何にも秋の蛇です。──仲寒蟬


波音のする人美術展覧会 3点 依光陽

【評】 〈波音のする人〉は感覚的な表現なのだと思います。実際には、呼吸や衣擦れの音なのかもしれません。あるいは、潮の匂いのする人だったのでしょう。──篠崎央子


触診は銀の芒を鏡にす 3点 山本敏倖

【評】 下五は「模範にする」という意味だが、だからと言って実物の鏡を一切思い浮かべずに読むには無理もある。シルバーグレーの医師を写す鏡を。──妹尾健太郎


2024年1月12日金曜日

第217号

             次回更新 1/26

仲寒蟬『全山落葉』評 「踏みにじる菫は戦車から見え」ぬ時代 (上) 筑紫磐井 》読む

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令和五年夏興帖
第一(10/13)仲寒蟬・辻村麻乃・仙田洋子
第二(10/21)坂間恒子・杉山久子
第三(10/27)竹岡一郎・木村オサム・ふけとしこ・山本敏倖
第四(11/3)岸本尚毅・小林かんな・瀬戸優理子
第五(11/10)神谷波・松下カロ・加藤知子
第六(11/17)小沢麻結・浅沼 璞・望月士郎・曾根 毅
第七(12/8)冨岡和秀・花尻万博・青木百舌鳥
第八(12/16)高橋比呂子・鷲津誠次・林雅樹
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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

仲寒蟬『全山落葉』評 「踏みにじる菫は戦車から見え」ぬ時代 (上)  筑紫磐井

 ●仲寒蟬と大牧広

     「牧」創刊

どの扉開けてもそこが春の牧


 師大牧広の「春の海まつすぐ行けば見える筈」を思い出した。海と高原の違いはあるが、視野の先に開けた風景は師弟共通のものなのだ。いや、さらに『全山落葉』全巻を読みながら師系というものをつくづく感じたのである。それは作品が大牧広に似ているというわけではなく、大牧広の持っていた雰囲気が立ち上っているということである。

 実は毎月いただく「牧」誌の中で、真っ先に食い入るように読んでいるのが小泉瀬衣子氏の「某月某日 大牧広の日記より」である。なぜなら小泉氏が編んでいる大牧広の日記は、まさに私が初学時代をすごした「沖」の風景がそのまま再現されているからだ。当時「沖」では能村登四郎、林翔が指導に臨む句会はやたらに多かった。東京例会、市川例会、千葉例会、京浜句会などである。さすがに怠惰な私でも入会したばかりの頃はほぼ全句会に参加していたので、毎月の土日はほとんど句会で埋まっていた。しかも、多くの有力作家たちは私と同様すべての句会に嬉々として参加していた。大牧広もそんな投句作家の一人であった。こんな濃密な関係であったから、句会参加者たちの心境が厭になるほど共感できるのは大牧日記を読んでもよくわかったからである。そんな中での、大牧広の匂いが、『全山落葉』を読むと感じられたということなのである。

 『全山落葉』を読むと、俳句的趣味ではなく、現実趣味となっていることが一つの特徴である。その結果情緒に流されない、論理的・知的なスタイルとなっている。これは大牧広のスタイルの一つであり、よく師系を継いでいる。現代俳句で知的と言えば鷹羽狩行をまず思い出すが、変なたとえだが学校の教科で言えば鷹羽は数学の授業、大牧は社会科の授業を聞いているようだ。論理的・知的と言っても教え方と関心が違うのだ。

 普通の作家のなかなか使わない言葉、そのための目新しい素材が豊富にある。これは俳句に新しさを導入してくれる一つの方法である。仲寒蟬は正しく大牧広の系譜を継ぐものであるのだ。


【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句 2.社会性について 筑紫磐井

 林翔は、48年2月号の「沖」で「ベカほろぶ」の十句を掲載している。


潮饐えてベカほろびゆく雁渡し

秋風に古き軍歌やベカ潰え

海棄てし子連れ蜑かも海へ凧

(以下略)


 ところがこれらの作品の下段に次のような随想を掲載している。


       冬の日に

 初めて浦安を訪れたのは何時だったろうと古い句帖をひろげてみた。昭和二十年十一月である。生徒の親の招待で網舟に乗せて貰ったのだが、その時に得た句。

 冬の日にふれてひらきし投網かな

が、二十一年二月号の馬酔木の新樹集(現在の馬酔木集)に他の一句と並んで出ている。他の一句というのは見合のために行った信州での句、

 吾亦紅手にをどらせてゆく日和

で、何か心がはずんでいるようだ。

 「貝死なず」群作を作ったのはそれから十年後の昭和三十一年である。「海苔で知られた浦安町は全滅的な海苔不作のため、貝の採収や加工で僅かに生計を保つてゐる。或る晴れた日と雪の日に」という前書どおりの事情が新聞等で屡々報道されていたから、近くに住んでいながらこれを詠みに行かないという法はないと心に決めた。社会性俳句か盛んな頃だったから、その風潮に衝き動かされたこともあっただろう。十四句を得て、前述の前書きをつけて、秋櫻子先生のお宅に持参した。十句以内に削って頂くつもりだったが、先生は「このまま預かっておくよ」と言われた。四月号をあけてみると十四句そのまま載って巻頭であったのには驚いた。風雪集は十句が限度であるから気がひけていると早速波郷さんが「林さん狡いよ」と例のニヤニヤ笑いを浮かべながら言われた。波郷さんはその号では三席で、中に「葛西海苔不作」と題する一句

 頬被ゆるびて干さむ海苔もなし

があったのである。

                  林 翔


 この時(31年)の林翔の作品を眺めてみよう。


     貝死なず

   海苔で知られた浦安町は全滅的な海苔不作のため、貝の採収や加工で僅かに生計を保つてゐる。或る晴れた日と雪の日にーー

日に照らふ海苔簀空しき南向き

簀の葭の一すぢ一すぢ冬日沈む

痩せ葱と海苔なき海苔簀錯落す

天に凧海苔網洗ひ尽くすまで

冬日に干す籠に縋りて貝死なず

   漁業組合事務所

干拓反対の文字へ風花つひに雪

   まき籠は貝採取に用ふ。丈余の柄あり

まき籠の長柄犇めき雪を呼ぶ

雪にじむこぼれ浅蜊の茶絣に

雪舞うて剥身赤貝血あえたり

炭火あかあか貝剥き捌く一家族

雪の鳥居くぐる不漁のそそけ髪

   猫実の江は広重の版画にもあり

猫実や皆雪とがる細舳

暮雪にてただ漠々の海苔簀原

遠き鴨蜑の早寝に雪積り


 さて社会性俳句と言えばまず思い出されるのが能村登四郎である。馬酔木二九年一一月号で「北陸紀行」の大作を詠んだが、全体は紀行句集であったが、その中で内灘基地(一七句)を詠んだ俳句が含まれているのである。


○二九年一一月「馬酔木」より 「北陸紀行」

   内灘村。日曜日とて射撃なし、炎日眩むごとし

何に追はれ単線路跳ぶ羽抜鶏

射撃なき日の昼顔の昼の夢

砲射音おののき耐へし昼顔か

昼顔の他攀づるなし有刺柵

しづかなる怒りの海よ砂も灼く

炎ゆる日も怒り黝める日本海

ありありと戦車幾台日覆かけ

眠られぬ合歓の瞼も基地化以後

基地化以後の嬰児か汗に泣きのけぞり

基地の子として生まれ全身汗疣なり

合歓の下授乳後の乳しまはざり

   漁夫の大方は基地の傭員として働く

柵ぬちに汗の黄裸の俘虜めけり


 馬酔木は、戦後中心をなした三羽ガラスと言われた作家たちがいた。能村登四郎、藤田湘子、林翔である。この三人によって多くの俳人(山口誓子、橋本多佳子、石田波郷、加藤楸邨、高屋窓秋、石橋辰之助ら)が抜けたにもかかわらず、馬酔木は復活したのである。そしてこの中で、能村登四郎、林翔だけではなく、藤田湘子も社会性俳句を詠んでいるのである。


    砂川にて(32句)[藤田湘子]抄録

   十月十一日早曉より、支援勞組の一員として砂川基地機張反對鬪爭に加はる

露寒し曉闇かづく雨合羽     

作業衣の同紺五百の白息よ

   測量隊の出動に備へ、農家の庭に分散待機す

熟睡子の足見え籾散りたたかふ家

   午後一時二十分、測量隊到着を告ぐる半鐘乱打されたり

鵙の下短かき脚の婆も馳すよ

守るべし掌にさらさらと陸稻の穗

   測量隊暫時にして引揚ぐ。再び待機

たたかひ解かず膝寄せ露の荒筵

   中央合唱団に人々慰問に来る

鬪爭歌ジヤケツがつゝむ乙女の咽喉

穗絮飛べり爆音に歌消さるゝな

   午後五時以後は測量隊の立入は許されず

砂川の泥濘深き秋落日

   この日の動員は全学連、労組併せて六千を超ゆ。五時より阿豆佐味神社に於て報告大会を開き、順次解散す

黄落す三千の学徒おらぶ杜

黍焼く火赫と砂川雨降り出す


 社会性俳句については誤解があるようだ。金子兜太、古澤太穂、鈴木六林男などだけが社会性俳句を作りだしたのではない。馬酔木の三羽ガラスも社会性俳句を作り出したのだ。あの時期、社会性俳句は伝統も進歩も関係なく、若い世代をその熱病に巻き込んだのである。


【連載通信】 ほたる通信 Ⅲ(41)  ふけとしこ

    木の息

ソーセージとフリルレタスと冬の灯と

冬天や木の下に木の息を聞き

大根の三浦を歩きたき日和

犬の目に馬馬の目に冬の雲

木の瘤に梅の木苔に冬日差


・・・

 故人となられたが酒井和子さんに

  大根の三浦を歩き年惜しむ  和子

という句がある。平成14年発行の『海燕』(ふらんす堂)に収められている。その句に出会って以来、三浦の大根畑、掛大根を見たいと思うようになった。お会いした時にそのことを話したこともあった。過去に一度だけ三浦を通ったことがあるが、その時に見たのは一面のキャベツ畑であった。夕方だっただろうか。行き合わせたのが丁度灌水の時間だったから、スプリンクラーがあちこちで作動していた。その景色も忘れ難い。

 以前の住まいの近くに禅寺があった。大きな銀杏の木があって、晩秋から初冬にかけて、この銀杏の枝に大根が掛けられるのである。沢山の大根を干すのだから寺の人たちが総出で、賑やかに手際よく枝に掛けていくのであった。真白な大根が乾いて色も形も干大根へと変ってゆく、その変化も面白かった。

 家庭の漬物用とは規模が違うのであるから見応えもあった。

 今でもあの掛大根を見られるのだろうか。

  柿といはず桜といはず大根干す  山本洋子

 

 話は違うが『露伴の俳話』(講談社学術文庫)という小さな本がある。私が最近手に入れたのは1993年発行、第6刷の物である。この本のことは友人のエッセイで知った。

 著者高木卓氏は幸田露伴の甥にあたる。この高木氏のメモというかノートというか、記憶をもとにしての記録である。

 露伴が親戚の老若男女の数名を相手に発句や連句の会を開いていたという昭和15年~17年にかけての座の記録が中心だが、親戚ばかりというそんな気安さもあってか、本筋を離れた雑話も多く、面白くもあり、今聞いても納得のゆくことばかり。まだ拾い読みしかしていないが、これはじっくり読んでみようと思っている。

 こんなことも書いてあった。

 「墨をするにアまず滴をたらし、すっては水をくわえていくので、水のほうをこきだすのはいけねえ。いい墨は、おのずから平らにすれるもので、小さくなったとき他の墨とすり口をあわせるとちゃんとつく。又いい硯は、いま洗ってきた手をこすっても、指がすれてしまうものだ。ただつるつるしているだけが能じゃアねえ」

 まあ! そうなのですか! であった。

 まず海へ水を注いで、と親にも教師にも教わってきたし、授業以外にはきちんと書道を教わることもなく我流のままで通してきた私であるから。

 そんなことから思い出したのが小学時代に同級生だった腕白坊主。こぼれんばかりに水を満たし、ずっと墨をすっていた。「G君、書かないと時間がなくなるよ」と先生に言われても「まだ薄い~」と、墨をすり続けていた。習字が嫌いでぐずぐずしていたことはみんな知っていたのだけれど。

 「秋の雲はたかく、春の雲はひくい。夏の雲はかがやき、冬の雲は黒い。」これも露伴の言葉の中にあったこと。誰でもが知っていることだけれど、ふっと抜けてしまうことがある。年々抜けていくことが増えるのが何とも頼りない。

 墨汁で間に合わすような生活もきっとよくないのだ。

(2023・12)

※本号は編集部の都合により、1回順送りとなっています。ふけさんにはご迷惑をおかけしました。