2021年7月23日金曜日

第165号

       ※次回更新 8/13


豈63号 発売中! 購入は邑書林まで

俳句新空間第14号 発売中 》刊行案内

【新連載】澤田和弥論集成(第3回) 》読む


【新企画・俳句評論講座】

・はじめに(趣意)
・連絡事項(当面の予定)
・質問と回答
・テクスト/批評 》目次を読む

【俳句の新展開】

句誌句会新時代(その一)・ネットプリント折本 千寿関屋 》読む
句誌句会新時代(その二)・夏雲システムの破壊力 千寿関屋 》読む
ネット句会の検討 》読む
俳句新空間・皐月句会開始 》読む
皐月句会デモ句会結果(2010/04) 》読む
皐月句会メンバーについて 》読む
》第1回(2020/05) 》第2回(2020/06)
》第3回(2020/07) 》第4回(2020/08)
》第5回(2020/09) 》第6回(2020/10)
》第7回(2020/11) 》第8回(2020/12)
第13回皐月句会(5月)[速報] 》読む
第14回皐月句会(6月)[速報] 
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■平成俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和三年花鳥篇

第一(7/2)仙田洋子・曾根 毅・杉山久子・夏木久
第二(7/9)岸本尚毅・渕上信子・山本敏倖
第三(7/16)坂間恒子・中村猛虎・木村オサム
第四(7/23)ふけとしこ・神谷波・小林かんな

令和三年春興帖
第一(4/23)のどか・大井恒行・夏木久
第二(4/30)仲寒蟬・曾根毅・坂間恒子・岸本尚毅
第三(5/7)前北かおる・渕上信子・辻村麻乃
第四(5/14)青木百舌鳥・山本敏倖・堀本吟・中村猛虎
第五(5/21)杉山久子・網野月を・木村オサム・ふけとしこ
第六(5/28)妹尾健太郎・望月士郎・眞矢ひろみ・神谷 波
第七(6/4)小沢麻結・松下カロ・早瀬恵子・小林かんな
第八(6/11)林雅樹・渡邉美保・浅沼 璞・水岩 瞳・下坂速穂・岬光世
第九(6/25)依光正樹・依光陽子・井口時男・佐藤りえ・筑紫磐井


■連載

英国Haiku便り[in Japan]【改題】(23) 小野裕三 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (12) ふけとしこ 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい
インデックスページ 》読む
20 中村猛虎句集『紅の挽歌』/中野はつえ 》読む

【抜粋】 〈俳句四季5月号〉俳壇観測222
時間が奪うもの――こもろ・日盛俳句祭と野の会
筑紫磐井 》読む

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい
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15 恋と出会い/野島正則 》読む

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい
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17 ゆとりの句集/永井詩 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい
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18 『ぴったりの箱』論/夏目るんり 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい
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11 『眠たい羊』の笑い/小西昭夫 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
2 鑑賞 句集『たかざれき』/藤田踏青 》読む

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい
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11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む

句集歌集逍遙 なかはられいこ『脱衣場のアリス』/佐藤りえ 》読む

葉月第一句集『子音』を読みたい 
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大井恒行の日々彼是 随時更新中! 》読む


■Recent entries

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【100号記念】特集『俳句帖五句選』

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
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佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
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眠兎第1句集『御意』を読みたい
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麒麟第2句集『鴨』を読みたい
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前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
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麻乃第二句集『るん』を読みたい
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寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事 》見てみる

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
7月の執筆者 (渡邉美保

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…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子







「兜太 TOTA」第4号 発売中!


筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (12) ふけとしこ

    握り墨

青き葉に青き実の見え盛夏なる

七夕も過ぎたる奈良の握り墨

かなぶんのぶつかり癖といふ遺伝

モノクロに仕上げる写真夏つばめ

時鳥西国十番三室戸寺

    ・・・

 友人の写真展を見に行った時、多くの写真の中で私が惹かれたのは一輪の薔薇の枯れ始めた姿を捉えた作品であった。「この写真欲しい!」と彼に注文した。同行の女性が「いややわ! そんな死にかけの花なんか……」と言った。「もっと元気な写真を飾った方が絶対いいよ。こんなの見てたら気持が萎えてしまうよ」というわけである。勿論その通り。ただ、光や影や角度やと、工夫された作品の中、枯れ始めた花へカメラを向けた心情、更にはそれを作品として出展する気持等々、そんなことも含めて気に入ったのだった。

 ある俳誌の表紙に蒲公英の絮の、その大方が飛び去った写真が使われていた。綿毛つまり種が全て飛んでしまえば、この台座(?)は役目を終えたことになるのだな、と接写されたそれをしばらく眺めていた。後は倒れて干乾びてゆくだけだ。

 蒲公英は春の花に分類されているが、ほぼ一年中どこかで咲いている。咲けば綿毛を作るから、こちらも季語としては春。花と実が同季ということになる。

 そんなことをばんやり考えていたら、「対岸」7月号に

たんぽぽの絮吹く息の無駄遣ひ  今瀬剛一

という句を見つけた。「息の無駄遣ひ」という措辞にちょっと驚いた。同じフーッと強く吹く息でも火を消したり、熱いものを冷ますのではなく、遊びで綿毛を散らしているのは、確かに無駄遣いに違いない。肺機能が低下している人などからみれば、本当に羨ましくも妬ましいことであろう。

 蒲公英の側に立てば、種を飛ばす手伝いをして貰って「ありがとう」なのだと思うのだが。

 掲句の「息」から反射的に思い出したのが

手をのべてあなたとあなたに触れたきに

     息が足りないこの世の息が  河野裕子

の一首だった。この人の絶唱である。思い出す度に鼻の奥が熱くなる。この世での最後の歌、最後の息……。

 それにしても蒲公英という花、早春から咲き出して、特に黄花は道端や野原を輝かせるし、花の可憐なことに加えて、あのまん丸い綿毛のお陰で随分得をしている。

蒲公英の絮吹いてすぐ仲良しに  堀口星眠

 きっと二人以上の女の子達。可愛いな。

(2021・7)

英国Haiku便り[in Japan](23) 小野裕三


 俳人漱石の倫敦

「もう英国も厭になり候」

 と、漱石はロンドンから虚子に宛てた手紙に書いた。交通も通信も未発達な時代だから、ホームシック的な感情もあっただろうが、とにかく漱石はロンドン滞在を決して楽しんでいなかったらしい。漱石は二年間をロンドンで学び、その間に五回引越しをしたが、滞在の後半はひたすら書物を買い漁ってほぼ下宿に引きこもり状態だったという。渡英前は盛んに俳句を作った漱石も、渡英中はあくまで〝文部省派遣の英文学者〟として生きた。そんな漱石がロンドンで詠んだ俳句は、数えるほどしかない。

 空狭き都に住むや神無月  漱石

 栗を焼く伊太利(イタリー)人や道の傍  同

 霧黄なるまちに動くや影法師  同

 また漱石は、ロンドンや英国にまつわる随筆や小説も書き残している。「倫敦塔」が一番有名だろうが、その他にも「倫敦消息」「自転車日記」「カーライル博物館」等があり、また「永日小品」では多くの章が滞英中のことを題材とする。

「昨夕は汽車の音に包まって寝た。十時過ぎには、馬の蹄と鈴の響に送られて、暗いなかを夢のように馳けた。その時美しい灯の影が、点々として何百となく眸の上を往来した。」(「永日小品」)

 漱石は半ば幻想的にロンドンの街をそう描写する。一方、これらのどの作品を読んでも俳句に触れた箇所はほぼない。当時の漱石は、僕のような〝英国Haiku便り〟は書かなかった。その理由は簡単で、彼の暮らした英国には、Haikuのことなどほぼ影も形もなかったからだ。漱石は、ロンドン在住の日本人たちと細々と句会をするのみだった。彼は帰国後にこう書き記す。

「俳諧の趣味ですか、西洋には有りませんな。川柳といふやうなものは西洋の詩の中にもありますが、俳句趣味のものは詩の中にもないし、又それが詩の本質を形作つても居ない。」(「西洋にはない」)

 漱石の滞英は一九〇〇年から一九〇二年だが、実は一九一〇年にロンドンで大規模な「日英博覧会」が開催され、それ以降日本の文物がちょっとした流行になったらしい。その時期以降、西洋の文学者や芸術家の間で、俳句(当時はhaikaiやhokkuとも呼ばれたが)に影響されたという活動が散見され始める。その意味では漱石の滞在時期は少し早すぎた。そしてそれからたった百年ほどで起きた西洋でのHaikuの浸透には驚かされる。

 するとこんなことも夢想する。もし歴史の歯車がどこかで変わって、漱石のいたロンドンでHaikuが既に浸透し始めていたらどうだったか。漱石は、Haikuを愛好する英国の詩人たちと交流し、そんなことを興奮しつつ子規や虚子に書き綴っただろうか。とすれば、子規や虚子の俳句観にも影響し、俳句の歴史も大きく変わっていたかも知れない。

(『海原』2021年3月号より転載)

【新連載】澤田和弥論集成(第3回) 

 (俳句界・2020年8月号)

   困窮のこと

             筑紫磐井

 澤田和弥は生前直接逢ったことのない作家である。彼の第一句集は『革命前夜』。寺山修司に強い感化を受けていたが、その師有馬朗人がいうように、寺山のような力強さや野性には欠いていた。感受性を持ちながら、その言葉とは裏腹に、革命を起こす力は持っていなかったのだ。

 アンダー40の世代を取り上げるために私は『新撰21』という選集を企画した。その後続編も続いたのだが、結局澤田はそこに登場できなかった。この企画から漏れた西村麒麟から後日、『新撰21』は選ばれた人は選ばれて当然だと思っていたようだが、それから漏れた人には強い屈折を与えた、と言われたことがある。西村はそれをばねに俳壇の賞を軒並み取ったのだが、澤田はこれによって折れてしまった。平成27年5月に35歳で自死している。

 友人たちが澤田の追悼記事を書いたというが私はまだ読む機会がない。ただ私が発行する「俳句新空間」で澤田和弥追善を募集し、21人が作品を手向けた。しかし、あれから5年、澤田はすでに忘れられかけているといってよいであろう。つい最近、澤田を囲んだやや年配の人たちから彼の事を再び聞いた。せめてもう一度取り上げてみたいと思った次第である。

 理由のひとつは、実は若い俳人のかなりが、澤田のような微妙なバランスの上に立っていると思われてならないからである。今回のコロナ禍の中で、そうしたバランスを崩し、自死はないにしても、俳壇から行方不明になってゆくかもしれない。そういうナイーブさを持つからこそ文学者であるのだ。澤田もまぎれもない文学者であったと思うのである。


コロナのやうな

              筑紫磐井


「革命の五月が来た」と書き始む

弾丸尽き糧絶え市街しづかなり

寺山忌詐欺師のやうな雨が降る

自死・憤死 さまざまな死の万華鏡

「令和」といふ暗き時代が今をおほふ

いつの世もコロナのやうなことありし

革命は後からそれと分かるもの

こんな時期に猫の死を待つ紫陽花忌

第14回皐月句会(6月)[速報]

投句〆切 6/11 (金) 

選句〆切 6/21 (月) 


(5点句以上)

10点句

箱庭に幸福なひと立たせたり(渕上信子)

【評】 秘なる水脈暴露されたる心地して良いではないかこれもまた夢──真矢ひろみ


8点句

黄金虫落ち一粒の夜がある(渡部有紀子)

【評】  「一粒の夜がある」の孤愁に惹かれた。黄金虫が床に落ちた時の乾いた音を「一粒」といい留めたところが良い。

結句を「がある」で止める俳句型式で、真っ先に思い浮かぶのが、「水枕ガバリと寒い海がある」(西東三鬼)があるが、こちらは病床の幻視。ほかにも「洪水に身を現わせる魚がある」(安井浩司)、「昼顔のさすらいやまぬ足がある」(鳴戸奈菜)、「はなみづき空にはやはり顔がある」(川崎展宏)など。型のよろしさ、がある。──飯田冬眞


7点句

ばらずしや峠を夕立の走る(小林かんな)


片蔭に寄せてあるなり供花の束(仲寒蟬)

【評】  これから墓参に向かうのでしょうか。暑いある日中の照り付ける日差しを片蔭が伝えています──小沢麻結

【評】 炎天下、塀に沿ってできる日陰。そこには墓参りに行くための供花の束が寄せてあり、作者も炎昼の墓参に迷いが生じている様子も伺えます。──松代忠博


捕虫網かぶせるための弟欲し(望月士郎)

【評】 きょうだい(兄弟、姉妹)がいればこういう戯れもするだろう。意味はないし些細なことなのだが「ああ、きょうだいやってるな」と思える瞬間かもしれない。それにしてもこの悪ふざけを「かぶせるための」とまるで大切な目的のように書いたところが大袈裟で滑稽だ。──仲寒蟬

【評】 記憶の中に…、ある悪戯!調子に乗り父親も、途端に「こらっ!」ぽかっと‼、叱られてよかった。叱られてなかったら…、怖い‼──夏木久

【評】 単純な「弟欲し」ではなくて、「捕虫網かぶせるため」であるところが面白い。捕虫網は虫を捕らえても面白くなく、人間を捕らえる句が多い。「捕虫網買ひ父が先づ捕らへらる」(能村登四郎)などもあり、やや類想性があるが、弟のいない作者であるとすれば、こうした弟を持っている友人や親戚などをうらやましく思っている感じはわからなくはない。というよりは、むしろ作者が老境にあると考えた方がしみじみとした実感が伝わってくる。弟というものを生涯持ちえなかった寂しさは、年を取った方がよりつのるだろう。──筑紫磐井

【評】 いないはずの弟がまるで遠い思い出の弟のように描いた不思議な句──依光正樹


6点句

いま昭和から戻ったところ昼寝覚(山本敏倖)


5点句

ファールボールなかなか落ちてこない夏(佐藤りえ)


夏帯や火星にも川あるらしく(松下カロ)

【評】 さらさらとした手触りの夏帯と火星の地表に残る川の跡。夏帯にも川を思わせる模様が描かれていたのだろう。夏帯を締めながら火星の川のことを考えていることに意表を突かれた。──篠崎央子



(選評若干)

老鶯や書庫の窓開け放たれて 4点 内村恭子

【評】 別荘の曝書、みたいな情景を思い浮かべました。──佐藤りえ


肘に触れ生乾きなる蛇の衣 2点 仲寒蟬

【評】 「肘に」「生乾き」と言ったことで、冷やっとした感触がリアルに感じられました。経験したことはありませんが、一瞬びくっとしたのが伝わってきます。──前北かおる


熱帯魚タワーマンションのこども達 2点 近江文代

【評】 タワーマンションが巨大水槽だ。その閉じた立方体から放たれてくる得も言われぬキラキラ感が怖い。メトロファルスの「消息不明の子供達」を思い出した。──依光陽子


水中花捨てた記憶の底に咲く 4点 田中葉月

【評】 いろいろあったなあ。あれも愛これも愛、今はみんな生き〳〵と死んでいる・・・──渕上信子


茄子くれし父をゴルフに誘ひけり 2点 前北かおる

【評】 父とのやわらかい繋がり。『掌をかざす』(小川軽舟)を思い出しました。──渕上信子


輪廻転生ときどきは牛蛙 3点 仙田洋子

【評】 「ときどきは牛蛙」というのが、面白いです。──水岩瞳


父の日の父のもぐもぐしてゐたる 4点 仙田洋子

【評】 何かを咀嚼しているもぐもぐが散文的に普通のもぐもぐなのだけど、高齢になるとそうではないもぐもぐもままあって、それは別に何の日だからするということもないもぐもぐなのだが、父の日の父にしかできない類いのもぐもぐであることよ。──妹尾健太郎


よひらよひらよひらくべくしてこのよ 4点 妹尾健太郎

【評】 読みつつふと摑みそこねるような感じがありました。紫陽花の花の密生を見つめていて、不意に焦点を失ってしまったときのようです。──青木百舌鳥

【評】 よで始まって、よで終わる。この意味よりもあえてリズムに乗れるかどうかで、評価が分かれよう。ひらがな書きがよひらをあじさいよりも、ひらくべくこの世の別のイメージを誘う。──山本敏倖

【評】 高度な言葉遊びの楽しさと、意味のラインを追っていったときの、いきなりの転調の凄み。──望月士郎


蕗のあく抜けて余白のあをみゆく 3点 真矢ひろみ

【評】 蕗のあく抜き。本体から抜けたその「あく」にも質量があり、それは消滅ではなく、別のどこかに染み込んでいるわけです。エネルギー不滅の法則ではないけれど、手つかずの領域がしだいに染まっていく。「余白」があるから、汚れたものでもまだ純粋さへの希望が持てるんだ、とあらためて気が付きます。「余白」を比喩として読むと、その部分がうすめられた「あく」で「あをみゆく」のです。あまり考えなかったことだけに、この進行状態が不気味です。この句は、巧みな出来上がりです。──堀本吟

【評】 蕗のあくが抜けると段々と青みがまします。作者は余白の部分が色を増すことに着目。その茹で上がった蕗は料理され食卓を賑わすことになります。──松代忠博

【中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい】20 中村猛虎句集『紅の挽歌』 中野はつえ(青門同人)

いつもお引き立てをいただき、ありがとうございます。厚く御礼申上げます。

此の度の中村様の句集「紅の挽歌」一読させて頂き、島肌がたち、涙が止まりませんでした。

と申しますのも我が家の主人と一ヶ月ほどお早い旅立ちでいらっしゃいます著者の一句一句が我がことのように切なく辛いです。

私などは沢木欣一、細見綾子の両師より「即仏具象」とたたき込まれて四十年余経て来た者には、実に斬新で且つ繊細な感覚でとらえていらつしゃる。

その間を行き来しながら言葉を紡ぐ作者の視点は縦横無尽です。

俳句アトラス社 林誠司様がお書きのように天才でいらつしゃるのかも

目からうろこでございます。

何かしら「紅の挽歌」に酔うたような感じてございます。

自分でも何を書いたのやらお恥ずかしい事です。

何卒お許し下さいませ。また折角ご指名頂きましたのに、大変遅くなりました事深くお詫び申しあげます

どうぞコロナも第二波でございます、くれぐれもお身おいとい下さいましてご活躍のことお祈り申し上げます


中野はつえ 猛虎句集 紅の挽歌 選

白息を見続けている告知かな

余命だとおととい来やがれ新走

秋の虹なんと真白き診断書

厚岸の秋刀魚喰らいて昏睡す

寒紅を引きて整う死化粧

葬りし人の布団を今日も敷く

鏡台にウィッグ残る暮れの秋

亡き人の香水廃番となりぬ

初盆や万年筆の重くなる

手鏡を通り抜けたる螢の火

羅の中より乳房取り出しぬ

月天心胎児は逆さまに眠る

着膨れてオスの役目の終わりけり

冬日向死んだふりでもしてみるか


霜柱人は殺める言葉持つ

看護婦の囲みの真中桜餅

桜貝女の骨の柔らかき

鏡から出てこぬ妻よ啄木鳥よ

三合を過ぎて秋思の丸くなる

息吹けば息の形の葛湯かな

白木の祭壇崩せば残る冬座敷

2021年7月9日金曜日

第164号

      ※次回更新 7/23


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■連載

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7月の執筆者 (渡邉美保

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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】〈俳句四季7月号〉俳壇観測222 時間が奪うもの――こもろ・日盛俳句祭と野の会 筑紫磐井

 二年ぶりのこもろ・日盛俳句祭

 時々本時評でも取り上げてきた毎年夏恒例の「俳句甲子園」と「こもろ・日盛俳句祭」だが、コロナの影響で昨年「俳句甲子園」は投句審査に切り替え、「こもろ・日盛俳句祭」は中止となった。今年も、「俳句甲子園」は既に地方大会は中止となった。8月の全国大会は、予定は示されているが予想もつかない。「こもろ・日盛俳句祭」はコロナの継続で今年も小諸に集まっての俳句祭は実施不可能と判断されたが、2年続けて中止は忍びがたかったのだろう、通信特別大会と銘打って開始することとなった。

 もともと日盛俳句祭は「夏潮」主宰本井英が、高浜虚子の明治四十年に行った一夏三十日間の句会「日盛会」に倣ったものだ。はじめは本井宅で行っていたようだが、平成二十一年から、虚子にゆかりのある小諸市で開くこととなったものである。結社や協会の大会と違って、門戸自由で参加でき、句会はボランティアが集って行う点でユニークなものであった。夏の恒例の行事としては愛媛の俳句甲子園と並んで多くの参加者を得ている。俳句祭の中では、虚子が戦中に疎開した虚子庵など小諸近傍の名勝で句会を開いたり、夜を徹しての夜盛り句会を開いたり、講演会やシンポジウム、懇親会が開かれたりと、様々な工夫が凝らされている。こうした常態での日盛祭は令和元年第十一回が最後となったのだが、いわば日盛俳句祭方式で通信句会を行おうというものである。いくつかのグループに分かれ、それぞれのグループにボランティアのスタッフ俳人が張り付き指導するというものである点は変わらない。既に郵送での投句は五月三十一日締切りとなってしまっているので、事後報告となるが、七月末から八月ごろその結果は発表となる。

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 こうして二年ぶりになる俳句祭なのだが、ショックなことがあった。俳句祭の常連となっている働き盛りの作家たちが相次いでなくなったのだ。ほぼ毎年参加している私にとっても顔なじみとなっているだけに驚きである。結社に属している人は、結社でそれぞれに追悼もされるだろうが、こうした超結社の句会の物故者は誰が顕彰してくれるわけでもない。簡単に紹介して、偲ぶこととしたい。

●中嶋夕貴

 「鷹」所属。こもろ・日盛俳句祭の地元の上田市在住。句集に『樹冠』がある(「降りだして樹冠かがよふ鳥の恋」)。平成十二年「鷹」入会、平成二十年再入会し、直前まで中堅同人として活躍していた。昭和二十九年生まれ、令和二年九月に心不全で逝去した。享年66。いつ会っても明るい人であった。

連山を見返す空へ夏燕

汗の手に半券を渡されてゐる

肩ひものよじれポンポンダリアかな

●北川美美

 「面」「豈」所属。歌手渚ようこより誘われゴールデン街の渚の店「汀」の句会に出席、三田完、山本紫黄と知り合い、「面」入会。後、池田澄子のつうの会、「豈」に参加。BLOG、ネット句会「皐月句会」を立ち上げる。評論集『真神考』を準備中であった。昭和三十八年生まれ、令和三年一月死去した。享年57。あらゆることに活溌な人であった。

夏燕崩れ去るものなつかしき

山百合の山のしづけさ真楽寺

夕立の中へどんどん入つていく

 日盛り句会の記憶にある句を掲げてみた。コロナが始まった時、多くの結社の主宰者はそれが終焉するまで我慢をするように勧めた。高齢者にとってはそれは堪えがたいことと思ったが、高齢者に限らない元気な人にとっても堪えがたいことであった。僅か二年間の我慢の間に掛けがえのない連衆を失ってしまったのだ。コロナは矢張り残酷な病気であった。

(以下略)

※詳しくは「俳句四季」7月号をお読み下さい。

【篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい】15 恋と出会い  野島正則

  篠崎央子句集『火の貌』との出会いは、「未来図」同人の永田満徳氏が管理者である、フェースブックの「俳句大学」というサークルがきっかけです。

 俳句交流の「場」として、ポスト「結社の時代」を担う俳句界のフロンティアを理念に集い、インターネットで毎日三句の投句を行っているこのサークルの「俳句大学投句欄」の講師として、篠崎央子さんが選評を担当されています。(2021年5月より)

 このサークルが縁で、第44回俳人協新人賞受賞となり、入手困難となっていた、『火の貌』を寄贈していただきました。改めて御礼を申し上げます。


ばい独楽の弾けて恋の始まりぬ

 恋とは、新しい言葉との出会いである。

 あとがきで、著者が書いている。

 俳句を通じて、どのような出会いがあったのか読み解きたいと思いました。

 ばい独楽は、巻き貝の一種、バイで作ったこまを回すとことです。江戸時代のこまは、無性独楽(むしょうごま)といわれ、貝をむちやひもでたたいて回すものでした。江戸時代にはかけ事が盛んになりすぎて禁止されたほどであったという。

 恋の始まりはこのように夢中になってしまうものなのでしょう。思いあたる方は多いでしょう。

キャベツ刻む独身といふ空白に

 キャベツを包丁で千切りするには、キャベツを大きく4等分に切り、それを端から細く切っていく方法と、芯を取った葉を数枚重ね、端から細かく切っていく方法があるようですが、空白から連想するに、4等分にして、芯の部分を空白と感じているように思いました。

 作者はこれまでの、独身というキャベツの芯のように手応えのなかった時間を空白と捉えたのかもしれません。

 当然、いままでの空白を埋めるべく夫のことが頭にあったのでしょう。


エプロンは女の鎧北颪

 わずかな火加減で、旨さ、味付けの勝敗が分かれることもある料理はまさに戦い。ここではもう、妻として、家事を仕切っているように思います。一家の料理人の“戦場”であるキッチンへ足を踏み入れるには、エプロンは鎧。北颪などには負けない、着るだけで気持ちが引き締まるのでしょう。

図形めくおでんを囲み文学者

 おでんのルーツは室町時代に流行した「豆腐田楽」だという。江戸庶民には、屋台で手軽に食され、やがて煮込みおでんへと進化し、家庭で食べる料理へと変化。おでんは現代の定番料理となったという、いわば食の文化。

 あとがきから推測するに、これは万葉集の研究の著者、古事記の研究の夫とおでん鍋を囲んでの食卓の景でしょう。

花ミモザ夫ていねいに皿洗ふ

 おや、いつの間にか旦那様を台所の手伝いに使うようにまでなったようですね。

花ミモザの花言葉は「真実の愛」

愛情に溢れているようです。

竜となるまで素麺をすすりけり

 「竜」は、古くから信仰の対象だった「蛇」が由来で土の神さまなのだそうです。昔の人は、不幸を蛇に例えたという。「竜」は、その不幸を乗り越えた象徴になっているのだそうです。

 そうめんの起源には、飢饉と疫病に苦しむ民の救済を祈願したところ、神の啓示を得て、肥沃な三輪の里に小麦を撒き、その実りを水車の石臼で粉に挽き、癒しの湧き水でこね延ばして糸状にしたものと伝えられているそうです。

 苦しみを乗り越える竜、家庭内の苦労などからも乗り越えようとしているとみるのは、深読みでしょうか。

太股も胡瓜も太る介護かな

 ギネスブックには何とキュウリが「世界一栄養がない果実」として堂々1位に挙げられているようです。

 現在我々が食している緑色のきゅうりは実は肥大途中の未熟果で、江戸時代末期まではあまり人気のある野菜ではなかったようです。水戸黄門こと徳川光圀は「毒多くして能なし。植えるべからず」とまで言っていたそうです。幕末にきゅうりの品種改良が行われ、成長が早く歯ごたえや味の良いきゅうりが出てきて、人気の野菜となったようです。

 今、私の父が脳梗塞で、母の介護がかかせません。現代社会の一面をみるようです。

二世帯暮らし雑炊に噛む魚の骨

 雑炊の文字は、野菜、魚貝類などを米や穀類に加えて混ぜ合わせ、炊き上げるものの意で寒いときには体を芯から温めてくれる。二世帯暮らしに垣間見るぬくもり、魚の骨からはその反対に冷たさも感じられます。

ごまめみな笑ひ転げて曲がるなり

 正月のおせち料理、祝い肴として欠かせないものの一つであるが、好んで食べることもないようなごまめ。手造でしょうね。弱火で炒ったカタクチイワシの曲がった形に思わず笑みが。明るいお正月となったようです。

相続の灰汁掬ひつつ蕗を煮る

 避けては通れぬ相続の事もさらりと一句に。

 灰汁を使って食品自体がもつ強くてクセのある味を処理したことから、そのような嫌な味やクセそのものも「あく」と呼ぶようになったという。一つ一つ解決して、上品な蕗の味付けとなったことでしょう。

 恋の芽生えから、結婚、夫婦の新しき暮し、二世帯暮らし、夫の親の介護、俳句と共に歩んでいる姿をみたように思います。

 食に注目して、共感した句を付け加えておきます。


第一章  血族の村

ビアガーデンとばされさうなピザの来る

ハンカチを出すたび何かこぼれゆく

洗面器の底に西瓜の種一つ

失敗の多き一日とろろ飯

黄落や乾ききつたるパンを食ふ

漬物の茄子さびてをり神渡し

極月の地球の果ての魚を食ふ

牛乳を一息御慶述べにゆく


第二章  石のこゑ

土筆煮て化粧の仕方忘れたる

桜より淡し魚のソーセージ

きのこみな宙から降つてきたやうな

生ゴミと魚と目の合ふ夜寒かな

天孫の古墳と信じ大根干す

討ち入りの日なり醤油の黒光り

年の瀬や目つきの悪しき魚を提げ

魚屋より潮の匂ひ日脚伸ぶ


第三章 氷菓の痛み

石臼は農婦のまろさ遠蛙

浅蜊汁星の触れ合ふ音立てて

短夜の隙間だらけのクロワッサン

父に似るじやがいも抜かりなく洗ふ

おでん煮る部屋に膨らむ本の嵩

信長の骨はいづこに闇汁会

焼芋を食み考へる人となる

伊勢海老の謀叛を起こしさうな髭


第四章  巻貝の虹

伊達巻きの焦げ目艶めく寒の明

遅き日の団扇にしたき魚を干す

チョコレート舌に溶かしぬ春の闇

魚河岸は赤き肉売る苺売る

ステーキを端より攻めて梅雨に入る

無防備な海に囲まれ冷奴

生命の棲まぬ星あり栗を剥く

ミサイルにまたがれし島いなご食む

珈琲の暗さの質屋漱石忌

密偵の眼して塩鮭届きたる

身の洞へ牡蠣を滑らせ明日は鬱

火の貌のにはとりの鳴く淑気かな

 本句集の出来上がりを楽しみにしておられた鍵和田秞子主宰は、刊行を待たずに急逝されたことがあとがきにあります。天上から見守ってくれていることでしょう。


プロフィール
野島 正則(のじま まさのり)
昭和三十三年 東京都中野区生まれ
昭和六十二年 句作を始める
平成  二年 「沖」入会を経て
平成 二十年 「青垣」入会
平成二十七年 「俳句大学」参加
平成三十一年 第2回俳句大学五島高資特別賞受賞
令和  三年 「平」参加

【中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい】19 中村猛虎「紅の挽歌」を読んで 辛口十句選 内海海童

水撒けば人の形の終戦日

 さきの大戦で炎に焼かれ水を求めて亡くなった方が、まだ水を求めてさまよっているのでしょうか、合掌。

 お酒の瓶に俳句を刻む、手刻み俳句ボトルはこの句から始まりました。


斬られ役ずっと見ている秋の空

 斬られ役は、主役の立ち回りの邪魔にならないよう上手く倒れなければなりませんが、背中から斬られてしまうとうつ伏せに倒れるよりありません。


花の名は知らねど真白終戦日

 十八番の終戦日シリーズですが、「ねど」の発見で素晴らしく文学的です。この路線を続けていれば、今頃俳句界を席巻していたのにとても残念です。


唇を這わせて進む大枯野

 少し白髪の交る陰丘にそろりそろりと唇を這わせる描写など、日活作品から着想を得た想像句にしてはよく描写できていると思います


生物学上の父よ梟よ

 何かのきっかけで戸籍謄本でも見てしまったのでしょうか、逞しく育って欲しいもの。会う機会があれば過去のお年玉を請求するのも手です


犬ふぐり母は呪文で傷治す

 ポンキッキで『ママの右手は魔法の手』という歌がありました。料理洗濯スイスイと魔法のようにこなすママ、なぎらけんいちが歌ってました


三合を過ぎて秋思の丸くなる

 コップ酒三杯立て続けでは更に角が立ちますが、ちびりちびりとやることで、まん丸なほんとのところに辿りつくという事かもしれません


極月や人焼く時の匂いして

 街中でふいに嗅ぐ覚えのある匂い、嗚呼あの時もこんな匂いだったと感傷的になりますが、そこは人気のベルギーワッフルのお店です


葬りし人の布団を今日も敷く

 押し入れにしまう際自分のを上にすればいいのにと思ってしまいますが、独り寝がまだ慣れないのだなと鑑賞するのが人というものです


ポケットに妻の骨あり春の虹

 持っているとすればどの部分か、小指の先であればロマンティックですが、まさか大腿骨ではないでしょうね

【新連載】澤田和弥論集成(第2回)津久井紀代

 (澤田和弥一周忌に寄せて〉 

 こころが折れた日 澤川和弥を悼む 津久井紀代[天為28年5月号]

 

 澤田和弥のこころが折れた日は革命前夜だったのか。

 改めて第一句集『革命前夜』を読む。

 この『革命前夜』を書いた時、すでに和弥は「こころが折れる日」を予感していた。

 理由はいくつも掲げることが出来る。        

 句集名『革命前夜』の命の文字だけ大きく傾いて書かれている。著者名澤田和弥の文字の上にはなぜ血の跡が飛び散っているのか、疑問が残る。

 見開きから静かに目次に眼を移す。

 青竜、朱雀、白虎、玄武、とある。これは天の四方を司る四神である。つまり天の隅々の神様への挨拶と取れる。

 さらに句集あとがきに眼を移すと、そこには「ありがとう」「ありがとう」の文字が多いことが気になる。

 知人友人には「僕の人生は君たちのおかげで色彩を得ることができたよ」と。「こんな弱い僕をいつも、どんなときでも、あたたかく見守ってくれる両親、兄夫婦に心から、最大級の御礼を申し上げます。本当にありがとう。あなた方がいなければ、私はここまで生きてこられなかった。ありがとう。本当にありがとう。」と締めくくる。

 三十五年間という人生の挨拶を『革命前夜』の日にすでに行っていると取っても不思議はない。

 なぜ革命前夜に心が折れたのか。彼の言い知れぬ「やさしさ」ゆえであった。

 三十五年に凝縮された深田和弥の俳句に傾ける情熱を紐解く。


 『革命前夜』の最初と最後の句を見る。

  故郷の桜の香なり母の文

  ストーブ消し母の一日終はりけり

である。

 これは三十五年問常に母の匂いを感じていたのである。言い換えれば母は常に和弥とともにいたのである。ストーブという日常をもってくることにより和弥もまた、母と共にあったのである。


 更に見ていくと晴よりも褻のものに目を留めているのである。


  壊れてゐたる少年の風車

  空缶に空きたる分の春愁

  このなかにちりめんじやこの孤児がをり

  風船を割る次を割る次を割る           

  蛇穴を出で馬鹿馬鹿しくなりけり           

  箸割つて箸の間を春の風

  卒業や壁は画鋲の跡ばかり


 「青竜」の項より挙げた。

 ここに見られる「虚無感」は「あきらめ」とも取れる。少年の「風車」は和弥にとって、「壊れてゐた」のだ。「空缶」と「春愁」とのあいだに生じる虚しさにはまだ救われる余地はあった。

 たくさんのちりめんじやこの中の一つは、世の中から取り残されたと感じる「われ」ととるべきものであろうか。

 なぜ風船を割らなければならなかったのか。その答えが「割る」を三つかさねたところにある。そんな自分が馬鹿川鹿しくなった時の虚無感は、箸を割った時の間から更に感じ取ることが出来る。晴れやかであるはずの「卒業」は硬質な「画鋲の跡」ばかりだったのか。 「革命」としての「詩」としてはあまりにもさみしい。                  

                             

  咲かぬといふ手もあつただらうに遅桜 

  春愁のメールに百度打つわが名

  陽春や路傍の石が全て笑ふ

  椿拾ふ死を想ふこと多き夜は

  おばあが来たり陽炎より来たり


 和弥に何かあったのか、などと詮索することは無意味だ。

 ここに経験したであろう「挫折感」は、さらに和弥の「革命」へとしての「詩」を深めたのか疑問が残る。和弥にとって「おばあ」は母親にはない「ともしび」であったのだ。シルエットが確としない「陽炎」の中の「おばあ」は和弥に取って最後の救いであった。


  革命が死語となりゆく修司の忌

  海色のインクで記す修司の忌

  修司忌や鉛筆書きのラブレター

  船長の遺品は義眼修司の忌

  廃屋に王様の椅子修司の忌

  折りたたむ白きパレット修司の忌

  修司忌へ修司の声を聞きにゆく


 「修司忌」より挙げた。

 『革命前夜』がここから始まったとすると「革命」は青春に満ちていたはず。「海色のインク」「鉛筆書きのラブレター」「王様の椅子」「白きパレット」、ここから青春の革命は始まるはずであった。しかし幾度の挫折が和弥のあまりの「やさしさ」ゆえにこころが「折れて」しまったのだ。


  若葉風死もまた文学でありぬ

  或る人に嫌はれてゐる聖五月

  とびおりてしまひたき夜のソーダ水

  東京に見捨てられたる日のバナナ

  太宰忌やぴょんぴょんとホッピング

  プール嫌ひ先生嫌ひみんな嫌ひ

  蟬たちのこなごなといふ終はり方


 「朱雀」の項より挙げた。

 ここにきて和弥のこころはすでに折れている。「死もまた文学」と突き放す。「或る人に嫌はれてゐる」という感覚は、すでに和弥のこころを離れて独り歩きを勝手にしている。

 「とびおりてしまひた」いという叫び、和弥を救えなかったのか。すでに「見捨てられた」と言い切る。傾倒した太宰を「ぴょんぴょんとホッピング」と書いた。ここにはすでに心が折れきっている。「嫌ひ」をこれほどはげしく重ねたことはすでに世の中をあきらめていると取れる。だから蟬の死を「こなごなといふ終はり方」と書いた。この時点で救える余地はなかったのかと考えるのは当然であろう。


  秋めくやいつもきれいな霊柩車


 「白虎」より挙げた。

 ここではすでに「霊柩車」を美化している。恐ろしいと思う。


  手袋に手の入りしまま落ちてゐる

  冬めくや母がきちんと老いてゆく

  外套よ何も言はずに逝くんじやねえ

  マフラーは明るく生きるために巻く


 「玄武」の項より挙げた。

 ここでは「母がきちんと老いて」いることを確かめている。

 「外套よ何も言はずに逝くんじやねえ」は自分をすでに他者として客観視している。

 和弥は「真の革命とは何か」を突き詰めた最後に、「死」という結論を自らに出した。一本のマフラーだけが彼の首を離れぽつねんと取り残された。


『革命前夜』より 澤田和弥自選十句

  薄氷や飛天降り立つ塔の上

  佐保姫は二件隣の眼鏡の子

  革命が死語となりゆく修司の忌

  廃屋に王様の椅子修司の忌

  太宰忌やぴょんぴょんとホッピング

  プール嫌ひ先生嫌ひみんな嫌ひ

  秋めくやいつもきれいな霊柩車

  蜘蛛の囲に蜘蛛の屍水の秋

  寒晴や人体模型男前

  ストーブ消し母の一日終はりけり