(俳句界・2020年8月号)
困窮のこと
筑紫磐井
澤田和弥は生前直接逢ったことのない作家である。彼の第一句集は『革命前夜』。寺山修司に強い感化を受けていたが、その師有馬朗人がいうように、寺山のような力強さや野性には欠いていた。感受性を持ちながら、その言葉とは裏腹に、革命を起こす力は持っていなかったのだ。
アンダー40の世代を取り上げるために私は『新撰21』という選集を企画した。その後続編も続いたのだが、結局澤田はそこに登場できなかった。この企画から漏れた西村麒麟から後日、『新撰21』は選ばれた人は選ばれて当然だと思っていたようだが、それから漏れた人には強い屈折を与えた、と言われたことがある。西村はそれをばねに俳壇の賞を軒並み取ったのだが、澤田はこれによって折れてしまった。平成27年5月に35歳で自死している。
友人たちが澤田の追悼記事を書いたというが私はまだ読む機会がない。ただ私が発行する「俳句新空間」で澤田和弥追善を募集し、21人が作品を手向けた。しかし、あれから5年、澤田はすでに忘れられかけているといってよいであろう。つい最近、澤田を囲んだやや年配の人たちから彼の事を再び聞いた。せめてもう一度取り上げてみたいと思った次第である。
理由のひとつは、実は若い俳人のかなりが、澤田のような微妙なバランスの上に立っていると思われてならないからである。今回のコロナ禍の中で、そうしたバランスを崩し、自死はないにしても、俳壇から行方不明になってゆくかもしれない。そういうナイーブさを持つからこそ文学者であるのだ。澤田もまぎれもない文学者であったと思うのである。
コロナのやうな
筑紫磐井
「革命の五月が来た」と書き始む
弾丸尽き糧絶え市街しづかなり
寺山忌詐欺師のやうな雨が降る
自死・憤死 さまざまな死の万華鏡
「令和」といふ暗き時代が今をおほふ
いつの世もコロナのやうなことありし
革命は後からそれと分かるもの
こんな時期に猫の死を待つ紫陽花忌
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