2021年6月25日金曜日

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第八(6/11)林雅樹・渡邉美保・浅沼 璞・水岩 瞳・下坂速穂・岬光世
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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【連載】澤田和弥論集成(第1回)

はじめに

  没後6年、35歳で亡くなった澤田和弥がひそかにブームになっている。

 火付け役は「天為」同人であり、「天晴」発行人の津久井紀代である。津久井は「天為」で最初に(亡くなった)澤田論を書いており、いままた「天晴」2号(6月号)で「澤田和弥追悼」の特集を組んでいる。


目次

『革命前夜』より 杉美春(抄出)

筑紫磐井「澤田和弥は復活する」

杉美春「「のいず」の頃」

渡部有紀子「言えばよかった言葉」

兵頭恵「澤田和弥さんのこと」

米田清文「澤田和弥の思い出」

江原文「俳人澤田和弥の孤独」


 この特集を契機に、声高ではないが澤田和弥が再び語られ始めているようだ。

 第1句集『革命前夜』(平成25年)刊行直後よりは、亡くなった今の方が澤田について語られるべき内容が増えてきた。それは若い人々が生きづらくなっている現在だからこそ、澤田に共感できる環境ができてきたと言えるかもしれない。

 「俳句新空間」では既発表の澤田論をいくつかまとめて澤田を考える場としてみたい。多くは転載記事であるが、こうしたものは分散していてもなかなか価値がわからず、その気になった時に読めてこそ価値があると思うからである。


(1)澤田和弥の最後とはじまり

                    筑紫磐井


 「狩」の同人遠藤若狭男が27年(2015年)1月に俳句月刊雑誌「若狭」を創刊している。遠藤は、若狭、つまり福井県の出身の人で、早稲田大学を出て学校の教師をしていたが、若くから詩や小説など多角的な活動をしていた。同じ早稲田の先輩である寺山修司の心酔者でもあった。

 ところでこの「若狭」に澤田和弥は創刊同人として参加しているのである。遠藤が、早稲田の先輩であり澤田が大学院在学中に所属した早大俳研の指導顧問であり、寺山への共感者ということが澤田参加の大きな動機となったのであろう。「若狭」へは、遠藤との個人的つながりだけで入会したのではないかと思う。従って入会の経緯はこの二人しか知らない。しかも、入会の年に澤田はなくなっているから、俳句の発表も僅かである。1~4月号と6~7月号であり、7月号で逝去が告知されている。

 特筆すべきは1~4月号まで澤田は「俳句実験室 寺山修司」(1頁)を連載していることである。むしろこの文章を執筆するために「若狭」に入会したと言ってもよいかも知れない。継続した澤田の文章としての最後のものと言うべきであった。やはり澤田の最後の思いは寺山にあったというべきであろう。

 この間の事情を知りたいと思ったが、何と言うべきであろう、遠藤若狭男自身は30年(2018年)12月に亡くなり、「若狭」も廃刊されてしまったから、伺う手がかりもない。ほとんど時期を一緒にして亡くなった師弟は寺山つながりだけで我々のもとに「若狭」という資料が残っているのだ。

 「俳句実験室 寺山修司」は寺山の一句鑑賞であるが、

豚と詩人おのれさみしき笑ひ初め 寺山修司(29年)

目つむりて雪崩聞きおり告白以後(30年)

十五歳抱かれて花粉吹き散らす(50年)

父を嗅ぐ書斎に犀を幻想し(48年)

など僅かこの4句を鑑賞し、「俳句実験室 寺山修司 第四幕」は終了している。翌五月号では編集後記で遠藤は「好評を博している「俳句実験室 寺山修司」の著者である澤田和弥氏が体調を崩されてやむなく休載となりました。一日も早い回復を願っています。」と告知している。俳句も五月に欠詠し、六月に復詠している。文書を書く気力は蘇らなかったようである。7月に最後の俳句作品(七句)が載せられている。


冴返るほどに逢ひたくなりにけり  澤田和弥

菜の花のひかりは雨となりにけり

白梅を抱き締めている瞼かな


 「若狭」三月号では寺山の「十五歳抱かれて」の句を取り上げて鑑賞している。高校時代の作品として掲げられる『花粉航海』が実は四〇歳を過ぎてからの作品(つまり「新作」)を多く載せていることが巷間知られているが、それでも澤田はこの句を寺山の「未刊行」の句ではないかと推測する。それは十五歳という年齢が寺山の創作活動のスタートに当たるからだ。真実は寺山本人しか知らないが、そのように読み解く澤田の心理は分からなくはない。

 そしてこの鑑賞を読むと、澤田の「白梅」の句と構造が似ていることに気付く。澤田のこの最後の句を寺山に重ね合わせると、澤田の俳句人生のスタートとも見えてくるのだ。

澤田の『革命前夜』は決して全共闘世代の革命とは違うようだ。どこか「革命ごっこ」が漂う。それはしかし寺山にも似てはいなくはない。革命よりは革命ごっこの方が一般大衆には分かり易いのだ。革命前の露西亜のプーシキンは、革命と革命ごっこを行きつ戻りつした。革命史『プガチョーフ反乱史』と革命期の恋愛小説『大尉の娘』を同時並行して執筆した。『プガチョーフ反乱史』(この書名はロシア皇帝ニコライ一世の命名になるという)は革命家にとっての教科書となった、しかし一般大衆に愛されたのは『大尉の娘』だった。

      *

 澤田から生前、句稿が送られてきている。『革命前夜』(2013年邑書林刊)収録の後、角川俳句賞に応募して落選した「還る」(2011年)「草原の映写機」(2013年)「ふらんど」(2014年)、第4回芝不器男俳句新人賞に応募した無題の100句である。『革命前夜』後の澤田和弥を語るのに決して少ない量ではない。『革命前夜』で「これが僕です。僕のすべてです。澤田和弥です。」といった、「これ」以後の澤田和弥――新しい「これ」を我々は語ることが出来る。我々自身について、我々は語ることが出来ない。なぜなら我々が提示する、「これ」が全てではないからだ。しかし我々は今や安心して澤田和弥を語ることが出来る。「これ」以外に澤田和弥はないからだ。ようやく澤田和弥を伝説として語ることが出来るようになっているのである。


『革命前夜』より(順不同)


冬夕焼燃え尽きぬまま消え去りぬ

言霊のわいわい騒ぐ賀状かな

マフラーは明るく生きるために巻く

生前のままの姿に蝿たかる

地より手のあまた生えたる大暑かな

黄落や千変万化して故郷

冬の夜の玉座のごとき女医の椅子

革命が死語となりゆく修司の忌

シスレーの点の一つも余寒かな

接吻しつつ春の雷聞きにけり

短夜のチェコの童話に斧ひとつ

幽霊とおぼしきものに麦茶出す

母も子も眠りの中の星祭

終戦を残暑の蝉が急かすなり

香水を変へて教師の休暇明

金秋や蝶の過ぎゆく膝頭

狐火は泉鏡花も吐きしとか

恋猫の声に負けざる声を出す

空缶に空きたる分の春愁

卒業や壁は画鋲の跡ばかり

伽羅蕗や豊胸手術でもするか

外套よ何も言はずに逝くんじやねえ

椿拾ふ死を想ふこと多き夜は

若葉風死もまた文学でありぬ

半島に銃声響き冴返る

拘置所の壁高々と雪の果

薄氷や飛天降り立つ塔の上

鳥雲に盤整然とチェスの駒

船長の遺品は義眼修司の忌

英国Haiku便り[in Japan]【改題】(22) 小野裕三

それぞれの国の短詩型

 日本は俳句や短歌など短詩型の盛んな文化だが、もちろん他の国にも短詩型がないわけではない。俳句の話をイギリス人にしていた時、こう言われた。

 「イギリスにもね、リメリックっていう短い詩があるのよ。調べてみるといいわ」

 リメリック(Limerick)は、まさに英語の中で成立した短詩型だ(以下の説明はMatthew Potter『The Curious Story of the Limerick』に多く依拠する)。それは五行で書かれる詩で、だから三行の詩とされる俳句よりは少し長い。各行はそれぞれ、厳格ではないが、九・九・六・六・九の音節が基本らしい。その他、各行の韻を踏んだりと英語詩らしいルールも加わる。リメリック専門の詩人は日本の俳人ほど多くはなさそうだが、ルイス・キャロル、キップリング、ジェイムス・ジョイス、など多彩な英語圏の作家が(必ずしも多作したわけではないが)リメリックに手を染めている。

 十九世紀に活躍した詩人のエドワード・リアは、「リメリックの父」と呼ばれる。ただし、彼は自身の詩を「ナンセンス詩」と呼び、だから、彼はキャロルなどとともに二十世紀まで続く「ナンセンス文学」の文脈で語られることも多い。彼の作品を引用する。

 一人の老人がいて彼は小さい頃に / よく薬缶の中に落っこちた / でも逞しく育ったので / そこから二度と出られなくなり / 生涯をその薬缶の中で暮らした

 このようにリメリックには起承転結的な展開があり、そこでの滑稽さに重きを置く。その意味ではむしろ川柳に近い。滑稽だけでなく卑猥な題材が多いのも特徴らしい。英文学者の柴田元幸氏曰く、「飲み屋で誰かが即興でリメリックを作り、最後の一行を口にするとともにみんながプーッと吹き出しついでに鼻からビールも吹き出してしまう」(『英日狂宴滑稽五行詩』)みたいな雰囲気の存在らしい。二十世紀初頭には新聞等で盛んにコンテストが行われるほど人気となり、リメリックの専門誌も登場した。

 ある英語圏のリメリックの詩人がブログで、俳句とリメリックを比較していた。彼曰く、「あなたはいつ頃からHaikuを書いているの?」とよく人から聞かれるそうで、リメリックを生み出した英語圏の人の間ですら、今やリメリックよりは俳句の方が知名度が高いのかも知れない。また彼は、仮に俳句の短さで書こうとすると、「気の利いたことをもっと言いたい」誘惑がどうしても出てくる、とも語る。とすれば俳句とは、英語の最短詩型が超えられなかった起承転結が成り立ちうるぎりぎりの短さの壁をあっさりと超えてしまった存在とも思える。ロジックによる思考形式の限界点がリメリックの短さだとすると、俳句はその限界点の先にある。それが俳句の本質だと考えると面白い。

(『海原』2021年1-2月号より転載)

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(11)  ふけとしこ

   星釣る

雨ながら北の明るき青芒

令法の花褒めて六甲山下る

走り根の太きへ降りて梅雨の蝶

青柿を踏まねば行けぬ父の墓

夏風邪や星釣る猫に遇うてより

     ・・・

  どの木にも生年月日ありて夏至  塩野谷 仁

 現代俳句文庫『塩野谷仁句集』(ふらんす堂)の1句鑑賞を書かせて頂いた。多くの句の中から掲句を選んだ。私が初見の時に驚いたのは、それまで草木の「生年月日」など考えたこともなかったからだ。その印象が強くて、この一集に収められても、やはりこの句に立ち止まってしまったのである。

 私自身は林を歩いていても、せいぜい「あら双葉! 可愛いね、どの木の子?」などと辺りの木を見上げるぐらいで過ごしてきただけだったから。

 そして塩野谷氏が「生年月日」とする日はいつなのだろう? と気になってきたのである。多くの種は土の中にいる時にまず根を出してから、白い芽をちょっと出す。それから伸びて土から顔を出し、日を浴びて緑色になり、双葉を広げ、本葉を出し……成長してゆく。このどの段階が彼らの「生年月日」になるのだろう。人間の目で普通に考えれば、土からちょこっと覗いた時だろう。さらに言えば双葉になって初めて気付かれることが多いのだけれど。

 移植できる程に育った時。花木なら花を咲かせる日。果樹なら実を結ぶ時。木にも色々と節目があるのだなあと改めて思う。「芽生え祝」も「初成り祝」も誰もしてくれなくても……。

 当り前だが、樹齢を誇る大木にしても、誕生の日があったのだ。様々な木の有り様を見て物語を思いつく人があるのも解る気がする。

(2021・6)

【中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい】18 中村猛虎「紅の挽歌」を読んで  谷原恵理子

  二年ほど前から亜流里の句会に参加させていただいている。

 伝統俳句から出発した私にも、中村さんの俳句は手強いながら、とても惹きつけられる詩情があり、この「紅の挽歌」を私なりに読んでいきたいと思う。

 全体として、心をぐっと掴まれる句と、人を食ったような句、眩しさを遮断し醒めた目で詠んだ句。人生に立ちはだかる句、虚無感を飼いならそうとする意思。絶望に近くいる人が再生していく時間。そういうものが込められていた句集だった。 

 私が最初に衝撃を受けた句。 

余命だとおととい来やがれ新走 

 おととい来やがれと啖呵を切っているが、しかしこの句は祈りなのである。不幸を寄せつけまいと、近づいてくる死に向かい立ち塞がる。夫としての気概と愛を感じさせる。人は魔を祓う時に酒を用いる。自分自身が新走を飲み、死の気配に立ち塞がり祓わんとする。新走の威を借り結界を作るのだ。立ち塞がる作者の深い祈りが、乱暴な怒りとも言える啖呵に隠されて、悲しみの深さを伝えるのである。

 始まりの衝撃はあまりに痛ましく、冷徹にその情景を伝えるが、

 詠んだすぐ後から、傷口から滴るものが読み手を巻き込んでいく。


 さくらさくら造影剤の全身に

白息を見続けている告知かな

モルヒネの注入ボタン水の秋

葬りし人の布団を今日も敷く


 句集の中に散りばめられる死生感。

 重く沈み、虚無感が漂う。しかしながらその虚無感を飼いならそうとする生への意思。

 あちら側とこちら側。

 揺れ動く地点。時間と色彩と季節を超えていく句を追ってみたい。

 

早逝の残像として熱帯魚


 儚い命がひらひらと輝く。中村さんは命の儚さを鮮やかな色彩の熱帯魚の姿に思う。こんなにも赤く青くいきいきと泳ぐ熱帯魚たち。

 命はさまざまな明るい色を纏い、作者の目を射る。思い出のいきいきとした欠片たちが早逝の妻の残像となり、水の中を揺蕩う。

 

春の昼妻のかたちの妻といる

亡き人の香水廃盤となりぬ


 時間は過ぎていく。作者は花野に立つ時にゼロの地点に帰るようだ。

 花野はいつも、時空を超えて死のイメージと共に、再生への入り口でもあるようだ。どちらへ進むのか、問い続けるのだ。

 

どこまでが花野どこからが父親

存在を組み立て直す大花野

箱寿司の隙間に夏野広がりぬ

百合折らん死ぬのはたった一度きり

 

 死の匂いがあるが、方向は生へと向かう。

 ゼロからプラス 1へ。

  少しはぐらかされたような句もある中、自然の中で、透き通るような視線を持つ句にも注目したい。


順々に草起きて蛇運びゆく

 

 蛇は滑るように草の上をゆく。この写生は視点を逆転させている。

 草起きてと擬人化して、神を祀るごとくしずしずと草たちが意思を持って蛇を運んでゆくのだ。草が起き上がり運ぶ蛇は、神格化され神々しい。主語を草に変えて揺るぎない目で蛇の動きを捉え、自然への畏敬を感じさせる一句と言える。

 

冬すみれ死にたくなったらロイヤルホスト


 一人でいる一人。

 大勢の人中の一人。

 前者は音の無い世界。

 後者は人が生きて喋って食べ物を咀嚼する音が聞こえる世界。

 誰一人知る人がいなかったとしても、生きて音を立てて動く人がいる空間で、ふと死にたくなった自分を繋ぎ留めることができるのだ。

 友達でも、まして知り合いでもなかったとしても、人は人に力をもらい助けられる瞬間がある。

 冬すみれのように凛と、小さくても生きている鮮やかな意思がある。

 作者はそんなふうにロイヤルホストの小さな一角に席を得て、この一日を生きる。

 

 全体を通して絶望を俳句というものは救う力があるのか、と思いながら読んだ。救うのかどうかわからないが、刻まれた命は、白いページに色彩を残し、日を重ねていくと、いつか抗っていても、明るい日の色を見てしまう自分がいるのだ。


冬の日を丸めて母の背に入れる

銭湯に手書きの星取表立夏

ポケットに妻の骨あり春の虹

2021年6月11日金曜日

第162号

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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】〈俳句四季6月号〉俳壇観測221 遠藤若狭男と澤田和弥――寺山修司に憧れる者たち  筑紫磐井

   少し季節は遅れたが、五月は寺山修司の忌(昭和五八年五月四日)である。それだけではなく、寺山の代表句や代表句集は五月と切っても切り離せない。

  目つむりていつも吾を統ぶ五月の鷹 『われに五月を』

寺山の俳句はもちろん個性的であるが、寺山の強い影響を受けた作家も忘れがたい。特に、寺山は早稲田大学の出身である。早稲田大学俳句研究会と呼ばれるサークルがあり、指導者に高橋悦夫、遠藤若狭男、学生会員に村上鞆彦、日下野由季、高柳克弘、澤田和弥、松本てふ子、佐藤文香などいたが、しかし寺山の影響を最も強く受けていた作家は、遠藤若狭男と澤田和弥の二人であった(我が「豈」の同人山崎十生も若き日寺山の強い影響を受けた一人であるがまた改めて書こう)。

    *      *

 遠藤若狭男は鷹羽狩行の「狩」の出身であるが、早大の先輩である寺山修司の心酔者でもあった。若くから、寺山同様、詩や小説など多角的な活動をしていたせいもあったろう。

  五月もの憂しなかんづく修司の忌 『神話』

  修司忌や使者のごとくに揚羽蝶  『青年』

  すでに夏かもめに乗りて修司来よ 『船長』

  海の声聴かむと海へ修司の忌   『去来』

  風に吹かれて旅に出て修司の忌  『旅鞄』


 五冊の句集に寺山修司の名が満載されているだけでなく、寺山の章を設けている句集もあるくらいである。また、こんな言葉で結んでいる句集もある。

 「――今は五月、折しも寺山修司忌。風に逆らうようにして、雑木林の奥へ駆けぬけていったのは、寺山修司が詠った揚羽蝶ではなかったではなかったでしょうか。鏡の破片の反射だったかもしれません。」

 五冊目の句集の後、遠藤は平成二七年一月に俳誌「若狭」を創刊したが、この遠藤に師事したのが澤田和弥である。澤田は、すでに「天為」に入会し天為新人賞も取っているが、澤田が俳壇で知られるようになったのは同年の七月に上梓した第一句集『革命前夜』であった。『革命前夜』の章構成は「青龍」「修司忌」「朱雀」「白虎」「玄武」となっており、遠藤同様、寺山へのオマージュを隠さなかった。だからこそ、遠藤は「天為」で『革命前夜』読後感「言葉のダンディズム」を書いたのである。結社の関係を離れて、寺山とつながり合う者が書くのが最も相応しかったからだ。

  革命が死語となりゆく修司の忌

  海色のインクで記す修司の忌

  男娼の錆びたる毛抜き修司の忌

  船長の遺品は義眼修司の忌

  五月芳し修司忌の扉を叩く

 前述のように「若狭」が創刊されると、澤田は創刊同人として参加したのだが、これは寺山への共感者ということが大きな動機となったのであろう。だから澤田のライフワークになると思われた寺山修司研究(「俳句実験室 寺山修司」)を「若狭」に連載したとき、これが完成したら、寺山と澤田の関係はもっと濃密に見えるだろうと思えたものだ。また第二句集以降では、遠藤に匹敵する寺山忌の句を詠んでいたかもしれない。しかし澤田はいくばくもなく亡くなる。平成二七年五月九日、寺山の忌日を追うように澤田はなくなっている。   

 「若狭」に入会してわずか五か月である。澤田に最も熱い思いを寄せている「天晴」主宰の津久井紀代は「和弥は「眞の革命とは何か」をつきつめた最後に「死」という結論を自らに出した」と述べている(「こころが折れた日――澤田和弥を悼む」(「天為」二八年五月号)。こうした事情があったのだ。

 しかし、残された遠藤自身も三〇年十二月に亡くなり、雑誌「若狭」は終刊した。すべての人々はこうして去ってゆくのだ。

 もちろん彼らの修司忌の句が卓越しているというわけではないが、こうした強い思いがなければそもそも文学は生まれないのである。

(下略)

※詳しくは「俳句四季」6月号をお読み下さい。

【補足】
遠藤若狭男の句集『若狭』が出た(角川書店2021年5月25日刊)。第5句集『旅鞄』以後の「狩」、主宰誌「若狭」に発表した作品を中心に、さらに諸雑誌に掲載した句文を遠藤和子氏がまとめられたものであり、1,285句を収録する。最後のものは「俳壇」2018年12月号に発表したものであり、若狭男は12月16日に急逝しているから、まさに亡くなる直前までの活動がうかがえる。

【中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい】17 「紅の挽歌」読後評  滝川直広(藍生、いぶき)

  題名に「挽歌」という語がある通り、この句集は亡き妻に捧げられた追悼句集だ。しかも、句集の構成は独特で、亡妻の発病から死去、初盆までを「記録」した俳句を「モノローグ」という一章を立てて冒頭に配置している。妻の追悼というメンタリティから発したこの句集には、死から生、性、肉体への関心を示した句が多いことが一つの特徴といえる。それらの句を「モノローグ」以外から抜いてみる。

 【死】

  秋晴れて死出の旅路を寄り道す

  冬すみれ死にたくなったらロイヤルホスト

  子供はね死ねないんだよ冬ひなた

  布団より生まれ布団に死んでいく

  殺してと螢の夜の喉仏

  魂の重さ二g曼珠沙華

  死に場所を探し続ける石鹼玉

  寒紅やいつか死にたる赤子生む

  百合折らん死ぬのはたった一度きり

  ポケットに妻の骨あり春の虹

 【生】

  月天心胎児は逆さまに眠る

  朧夜の肩より生まれ出る胎児

  妹と朧を母の産み落とす

 【性】

  遠火事や右の卵子が今死んだ

  卵子まで泳ぎ着けない十二月

  ひとつずつ歳とる卵子花疲れ

  キスをして夜の向日葵に見られたり

  テトリスのような情事や春の月

  秋袷生涯抱きし女の数

  短夜の妊娠中のラブドール

  男根を祀る神社に色鳥来

 【肉体】

  羅の中より乳房取り出しぬ

  天高しふぐりはいつも鉛直に

  小春日や退屈そうなふくらはぎ

  梟や喪服の中にある乳房

  遠雷や乳房悲しき掌の形

  星涼し臓器は左右非対称

  春月や抱かれてあやふやなフォルム

  子宮摘出かざぐるまは回らない

  喉仏二回動いて桜桃

  心臓の少し壊死して葛湯吹く

  喉仏探して迷い込む枯野

  傷口のゆっくり開く春の夕

  春の雪溶かす人体積もる人体

  押し潰せそうな四月の喉仏

  古団扇定年の日のふぐり垂れ

  鬼灯を鳴らす子宮のない女


 ざっと挙げただけでもこれだけある。【肉体】に入りそうな句はこれの倍ほどあったが、冗長になるので割愛した。挙げなかった句の中には読みようによってはどれかに入りそうボーダーラインの句もあったが、やはり省略した。

 挙げた中では「喉仏」を詠んだ句が四句ある。闘病中の細君があまりの激痛に「殺して」と口走ったと「モノローグ」に書かれていることから、作者には忘れられない人体の一パーツになったのだろう。【死】に挙げた「殺してと螢の夜の喉仏」は上記の場面を詠んだと思われる。

 こんなことまで句に詠むのは俳人の性と言ってしまえば簡単であるが、しかし目の前で愛する人間が苦しみ、半ば壊れそうになっている状況を詠むのは、傍が思うほど簡単、楽なことではないだろう。むしろ、句に詠まないと作者は作者自身を保てなかったのではないか。どこかでこの恐ろしいと言ってもよい状況を客観的に見る自分を担保しておかないと、裏返して言えば、妻の心配だけしている時間ばかりの時分では病魔と闘う妻を支えられなかったのだ。


 しかし、この句集の真骨頂はこのような句よりも、作者独特の観点が光る作品にあると思っている。

  新涼の死亡診断書に割り印

   診断書というものが改めて事務的な書類だということを感じさせる

  少年の何処を切っても草いきれ

   思春期の青臭さが感じられる

  白菜の葉と葉の隙間の不信感

   そりゃ白菜の葉に隙間があれば不信

  雪ひとひらひとひら分の水となる

   思いがけない叙情。

  三月十一日に繋がっている黒電話

   3.11と黒電話に共通する非日常。

  不と思と議切れば海鼠の如くなる

   発想の冴え。高尚な軽み

  たんぽぽがよけてくれたので寝転ぶ

  光らざれば生き永らえし螢かな

   命を見つめる作者の姿が切ない。

  存在を組み立て直す大花野

   枯野でなく花野であるところが非凡な感性。

  雪のない街へ線路は続きをり

   「雪のある」ではないところが作者らしい。


 この句集は亡妻の追悼に重点がおかれているが、次の句集こそ、俳人中村猛虎の本質が十全に発揮された句集となるに違いない。

俳句新空間第14号刊行案内

特集 北川美美追悼記

長嶺千晶・神谷波・仲寒蟬・松下カロ・青木百舌鳥・中山奈々・佐藤りえ

「お名前はミミさんとお読みするの?」と私が尋ねると「いいえ、ビビです。」と言われた。「珍しいわね。Vividのビビ?そうか、『受胎告知の羽音微々』のビビか。」と川端茅舎の俳句を持ち出した私に「何でもいいんですが、ビビと呼んでもらえればと思って」と朗らかに笑われた。(中略)そのうち「ウエップ俳句通信」に連載を頼み込んで、三橋敏雄研究を始めたことも知った。いつでも、何にでも、積極的な方だったと思う。時には、三橋敏雄俳句を「赤・白・青」のトリコロールから分析した文章などを見せてくれたりした。その文章内に「草田男は白」の記述があったため、「梅真白は確かにそうだけど、〈赤きもの甘きもの恋ひ枯野ゆく 草田男〉などもあるから、演繹的に括るは危険かもしれないと思う。やはり、サンプルをもっと集めて帰納法で行った方が良くない?」などと言った覚えがある。(「北川美美さんのご逝去を悼み/長嶺千晶」より)

令和二年俳句帖(夏興帖~冬興帖)

前号作品を読む(もてきまり・小野裕三)

新作20句(新春帖)
小野裕三・福田葉子・浜脇不如帰・中島進・渕上信子・辻村麻乃・網野月を・松下カロ・仲寒蟬・夏木久・五島高資・加藤知子・関根誠子・中西夕紀・眞矢ひろみ・岸本尚毅・井口時男・坂間恒子・前北かおる・神谷波・渡邉美保・青木百舌鳥・竹岡一郎・近江文代・中村猛虎・ふけとしこ・なつはづき・もてきまり・田中葉月・中山奈々・筑紫磐井・佐藤りえ


定価500円+税(送料180円)

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【新連載・俳句の新展開】第13回皐月句会(5月)[速報]

投句〆切5/11 (火) 

選句〆切5/21 (金) 


(5点句以上)

9点句

蝶々を捕へし網をかるくねぢる(依光陽子)

【評】  「蝶々を捕へし網」までは、子供っぽいノーマルないたずら心。「かるくねぢる」のところで、とつぜんこの情景の残酷さがせりあがる。

「かるく」とさりげなく言ってのけた作者のテクニックを褒めたい。しかし、さりげない動作が内面のアモラルな本音を無意識のうちに吐露している、とまでいうのは私の深読みなのだろうか?

今回、「虚子がにやり」の句とともに最も考えさせられた「俳句」作品です。虚子は、こういう「おも、かる」の句にであったときにはどんな表情をするんだろう。──堀本吟

【評】 「かるくねぢる」、思い出しました。──渕上信子


7点句

母の日の母を坐らせレストラン(近江文代)

【評】 「母を坐らせ」という表現に、色々のことを想像させられました。──渕上信子


6点句

短夜や真面目になれば虚子がにやり(渕上信子)

【評】 虚子とその一門の関係を思わせてこころ楽しい──依光正樹


茉莉花のふくらむ夜の微熱かな(近江文代)

【評】  ジャスミン茶好きの私には、避けて通れない夜の微熱です!!──夏木久


5点句

かなしみの消し方茅花流しかな(依光陽子)

【評】 諸々の悲しみを消す方法として、梅雨の先触れとなる季節風「茅花流し」を配合した絶妙な美意識に、季語「茅花流し」の新しい側面に魅かれた。──山本敏倖

【評】 先ず調の美しさに惹かれました。句末から上五へ吹き戻される様な感覚も茅花流しに相応しいものに思え、意味が繰り返し映像をつくりだします。──妹尾健太郎


うまさうなみどり児並ぶ青葉の夜(田中葉月)

【評】 絵本の世界観、いいですね──中村猛虎

【評】 嬰児の肌は白くふくよかで確かに旨そう。子羊の肉が旨いように人肉にも食べ頃があるのだろう。青葉もまた旨そう。そう考えると少し怖い句かもしれない。──篠崎央子


春陰はガーゼの匂い少しめくれ(望月士郎)


(選評若干)

朝顔の双葉やご自由にどうぞ 2点 小沢麻結

【評】 商店の前だとか、民家の門とかでしょう。「ご自由にどうぞ」の日常性から朝顔らしい気安さが感じられました。──青木百舌鳥


風呂敷の万能の夏来たりけり 3点 西村麒麟

【評】 「万能」で決まり!──仙田洋子


ぼくは鬱なんですバナナむきながら 4点 松下カロ

【評】  こういう場面に「バナナ」というところが滑稽ですが、口調だけでなく、相手をまともに見ることなくバナナの方に向けた視線も思われて、臨場感があると思います。重い話題をそうでもないように振る舞う二人の間柄にも想像が及びます。──前北かおる

【評】 Z世代だろうか。無感情、失感情から思わず洩れた声。「バナナむきながら」が絶妙。──依光陽子


なで肩の少女ばかりの更衣 4点 松下カロ

【評】 ある時代の瞬間をスナップのようにとっている俳句の詠み方がある。これなどはそうであろう。都会では、昭和30年代以前の風景である。逆に、昭和30年代以前の風景として見れば、「なで肩の少女が」現代の少女にはない属性を持っていることが浮かび上がる。そしてこうしたものが、昭和30年代以前の「更衣」を規定する。これだけの読みをさせる俳句の詠み方があるのである。超越的写生と呼びたい。──筑紫磐井


ステンレスボールに苺届きけり 2点 前北かおる

【評】 ステンレスの輝きと冷たい硬質な触感と赤い苺のみずみずしさの対比が目に浮かびました。


浮き出でて蘭鋳宙にひるがへる 1点 真矢ひろみ

【評】 たいそう存在感ある一尾がいるものだから、注目して注目し過ぎて、ついに宙へ浮いてしまった。〈蛇逃げて我を見し眼の草に残る 虚子〉といった具合の行き方で、粋な、誇張表現と感受します。──平野山斗士


憲法記念日池にはびこる外来種 1点 飯田冬眞

【評】 「池にはびこる外来種」をどう読むかで、今の憲法を守りたいとも、改正したいとも意味が取れる句です。そこが面白い句です。──水岩瞳


修司忌の下駄音高く行く叔父貴  2点 渡部有紀子

【評】 無頼風?のかっこよさそうな叔父貴。叔父貴という言葉を久しぶりに見たような気がするのは私だけだろうか。──仙田洋子