2020年4月24日金曜日

第135号

※次回更新 5/15

特集『切字と切れ』

【紹介】週刊俳句第650号 2019年10月6日
【緊急発言】切れ論補足

【新企画・俳句評論講座】up!

・はじめに(趣意)
・連絡事項(当面の予定)
・質問と回答
・テクスト/批評   》目次を読む

【新連載・俳句の新展開】

句誌句会新時代(その一)・ネットプリント折本  千寿関屋  》読む
句誌句会新時代(その二)・夏雲システムの破壊力  千寿関屋  》読む
[予告]ネット句会の検討  》読む
[予告]俳句新空間・皐月句会開始  》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

令和二年春興帖
第一(3/20)仙田洋子・曾根 毅・夏木久
第二(3/27)五島高資・松下カロ・辻村麻乃
第三(4/3)堀本 吟・木村オサム・林雅樹
第四(4/10)前北かおる・神谷波・杉山久子・望月士郎
第五(4/17)内村恭子・早瀬恵子・渕上信子・真矢ひろみ・仲寒蟬
第六(4/24)ふけとしこ・渡邉美保・下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

令和二年歳旦帖
第一(1/10)辻村麻乃
第二(1/17)曾根 毅・池田澄子
第三(1/24)坂間恒子・大井恒行・仙田洋子・山本敏倖・堀本 吟
第四(1/31)浅沼 璞・渕上信子・松下カロ・加藤知子・関悦史
第五(2/7)飯田冬眞・竹岡一郎・妹尾健太郎・真矢ひろみ・木村オサム・神谷波
第六(2/14)早瀬恵子・夏木久・中西夕紀・岸本尚毅
第七(2/21)ふけとしこ・花尻万博・前北かおる・なつはづき・網野月を・中村猛虎
第八(2/28)林雅樹・小林かんな・小沢麻結・渡邉美保・高橋美弥子・川嶋ぱんだ・青木百舌鳥
第九(3/6)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子・のどか・水岩瞳
第十(3/13)家登みろく・井口時男・仲 寒蟬・五島高資・佐藤りえ・筑紫磐井
追補(4/24)北川美美


令和元年冬興帖
追補(4/24)北川美美

■連載

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい
インデックスページ    》読む
6 桃の花下照る道に出で立つをとめの頃からずっとふけとしこ/嵯峨根鈴子  》読む

葉月第一句集『子音』を読みたい 
インデックスページ    》読む
8 パパともう一人のわたし/北川美美  》読む

麻乃第二句集『るん』を読みたい
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17 無意識の作品化、俳句のフレームを超えて/山野邉茂  》読む

英国Haiku便り(9) 小野裕三  》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか  》読む

【抜粋】〈俳句四季4月号〉俳壇観測207
結社はどこへ行くか――俳壇35年の回顧から見えてくるもの
筑紫磐井 》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
インデックスページ    》読む
6 『櫛買ひに』を読む/山田すずめ 》読む

句集歌集逍遙 樋口由紀子『金曜日の川柳』/佐藤りえ  》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む


■Recent entries

 第5回攝津幸彦記念賞応募選考結果
 ※受賞作品は「豈」62号に掲載
特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編  》読む
「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」アルバム
※壇上全体・会場風景写真を追加しました(2018/12/28)
【100号記念】特集『俳句帖五句選』

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
インデックスページ    》読む

眠兎第1句集『御意』を読みたい
インデックスページ    》読む

麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ    》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
インデックスページ    》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事  》見てみる

およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
4月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む  》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子


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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

【ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい】6 桃の花下照る道に出で立つをとめの頃からずっとふけとしこ  嵯峨根鈴子

 それでは早速眠たい羊に付き合って夢の遠近を彷徨ってみたいと思います。

 意地悪のふつと愉しき辛夷の芽 
 蟻地獄暴いてよりを気の合うて 


 こういうのはたまりません。人間の本質に必然的に在る部分です。それを認めたくない人もいるようですが、私だけじゃなくてyouもねという目配せに、さもありなんです。意地悪の内容は言うほどのことでもない。蟻地獄だって一人で暴くより二人の方が二倍楽しい。そして全ては忘れ去られてしまうけれど、また何時でもこの感覚は戻ってくる。こんなところをさりげなく見せてくれるふけとしこ俳句に魅かれます。

 桃咲いて柩の中といふところ   

 柩のなかに入ったことはありませんが、桃の花咲いてとあらば、花盛りのシャングリラを連想させるところが皮肉っぽくて面白い。<百姓に今夜も桃の花盛り・永田耕衣>が浮かびます。ふけさんの俳句とエッセイそして、ふけさんの弟さんの詩的な写真とのコラボによる『草あそび』と言う一集が手元にあります。「桃の花」の章に大伴家持の一首<春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つをとめ>を挙げて、初めて詩歌の桃の花に出会った小学生のころを回想しています。それから幾星霜、<桃の花死んでいることもう忘れ・鳴戸奈菜><人間へ塩振るあそび桃の花・あざ蓉子>を挙げて、あちら側の人の句とも読めるとか、だんだん桃が不思議な花に思えてきたとしています。エッセイにもあるように、桃の実ともなれば、曰く因縁付きの壮大な物語を伴うことにもなる
ろうし、それらがないまぜとなっての「桃咲いて柩の中といふところ」なのでしょう。なかなか真髄を突いているではありませんか。

 桃の雫泉下覗いてきたやうに  
 桃の夜の遠縁といふ苦きもの 
 

 桃の実にも触れておきたいです。西東三鬼の「夜の桃」にも通ずるエロスと、タナトス(伊邪那岐命が黄泉の国から逃げ帰る際に投げつけたのが桃の実)、の絡みが味わい深いです。子孫繁栄の象徴である桃の実にも拘らず、家族の延長にある遠縁との関係は微妙で複雑なものです。桃の実の甘美さを「苦きもの」とは言い得ているではありませんか。家族、絆と迫られるほど引いてしまいそうです私。

 向日葵の首打つ雨となりにけり  
 電池消耗ひまはりの沈むとき  


 <ロダンの首泰山木は花えたり・角川源義>を思い起こさせる「向日葵の首打つ」と言う措辞に、ダイナミックな向日葵を思い描きます。一方、「ひまはり」に対しては電池消耗という静けさを伴ってゆっくりと日の沈んでゆく様を描いています。漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字、古語に口語と日本語の奥行の深さと広さに思いを致すところです。

 黒蟻の死よ首折つて腰折つて  

 黒蟻の亡骸を克明に描写してをり、「首折つて腰折つて」はすごみさえ感じさせます。前句集『インコに肩を』の中に<ぎくしやくと死んでゐたりし冬の蜂>があり、これとても死骸を間近に凝視しています。村上鬼城の有名句<冬蜂の死に所なく歩きけり>について、ふけさんは、「死に所なく」の措辞がこの句の眼目であり、一番嫌いなのもこの措辞だとしているのを目にしたことがあり、とても衝撃を受けたのを覚えています。「首折つて腰折つて」「ぎくしやくと死んで」がふけさんのものへの迫り方、捉え方なんだと納得いたしました。

 春昼のひんやりとある眼の模型  
 枕からことばぞろぞろ春の夜  


 子規さんの<毎年よ彼岸の入りに寒いのは>に通ずるようです。「眼の模型」と言う言葉にドキッとさせられます。地球儀ほどのバカでかい「眼の模型」に射すくめられて、自分が小人のようにも思えてきます。心もとないひんやりした春昼の気分を独特な表現を用いて一句にしてあります。第二句集『真鍮』には<歯の模型並べて春の過ぎゆけり>と言う句もあります。春埃を被った模型に何となく眼がゆくのが春と言う季節でしょう。眠ろうと布団に入ったとたんに、言葉がつぎつぎと頭に浮かんでくることがたまにあります。言葉たちが枕から出て来るなどと気付く人はいないでしょう。眠たい羊から借りた枕かも知れませんね。

 若布刈鎌やつてみるかと渡さるる  
 夏はじめ研ぎより戻る裁鋏   
 海の日の海より青き布を裁ち  
 船中に使ふ俎板冬かもめ  


 「毛虫のふけ」とは周知のことで充分納得していますが、私はもう一つ献上したい渾名があります。「刃物のふけ」です。<刈り捨ててあり黄菖蒲もぎしぎしも 『インコに肩を』><和紙裁つて夜を長きと思ひけり・疲れたるペーパーナイフ春の雷・鎌の刃も菖蒲も雫してをりぬ 『鎌の刃』より>第一句集からずっとふけさんは「切れ者」だったのです。

 敗戦日吊られて動くものばかり     
 冬深し生きる限りを皿汚し  


「吊られて動く」は「釣られて動く」であり、「連られて動く」でしょう。戦時中は吊られている者ばかりだったのだろうなあ。今はどうか?「生きる限りを皿汚し」て生き続けるしかありません。人類の普遍的原罪を云い留めてあり、仕方ないねぇ、でも「冬深し」には待春の思いがありそうです。「冬深し」と言う季語のぼんやりとした輪郭が実体をもって現れた瞬間ではなかったでしょうか。

 襖外すおそらく父の指紋だらけ  
 万華鏡へ入れてみようかこの金魚  
 箱庭の二人心中でもしさう  
 蛤になる気の失せて浜雀    
 木の芽寒箸を入れれば濁るもの 


 最後に、付箋を付けた句をランダムに挙げておきます。父の指紋だらけの襖、そうでしょうとも。母の指紋なんぞ一つもないのです。「おそらく」が効果的で、リアリティが増します。万華鏡に金魚を入れるなんて、是非是非やってみたい。きっと見たこともないほど豪奢な絵になるでしょう。箱庭とは一種の異界です。わざわざ箱庭で心中でもしそうな二人にクエスチョンマーク10個付けたい。「心中でもしさう」と少し離れた表現に真実味があります。「雀蛤になる」と言う季語に対して、その気も失せてしまった浜辺の元気な雀だそうです。諧謔ですね。

 感染症に恐れおののく日々です。身を小さく小さくしているうちに気持ちまで小さく固まってしまいそうです。『眠たい羊』に導かれて山野や郊外を散策させてもらえたことに深謝いたします。

【葉月第1句集『子音』を読みたい】8  パパともう一人のわたし  北川美美

  「ボヘミアン・ラプソディ」はフレディのピアノソロと「ママー」の歌い出しが強烈な印象を残した。またジョー山中の「ママ― ドゥユーリーメンバー」とはじまる「人間の証明」も冒頭の「ママー」が頭の中を駆け巡る。青年が母親に思いを託すのはエディプスコンプレックスの傾向があるからだろうか。

 もう一度抱つこしてパパ桜貝

 句集『子音』は「パパ」で幕が開く。句集カバーに写る葉月さんは美しい大人の女性だ。

 「抱つこして」の句の「パパ」に不思議な印象が残り、作者・田中葉月のバイオグラフィーを読むイメージで句集のページをめくっていく。読み進めていくとそのおねだりをしている童子と同様、幼少の作者が顔を出し始める。

あのときのあなたでしたかアネモネは
天国のファックス届く風信子
万緑や消した未来の立つてをり
古本に賽の河原の明け易し


 幼少時にどこかではぐれた自分自身、死んでしまったもうひとりの自分、その時を境にこの世を生きてきた作者は、少女期を経て、恋をして、結婚、出産、育児と人生のサイクルを経験してきた。はぐれたままのもうひとりの自分はいつまでも童子のまま。時を経てあの頃の自分に句の中で作者は邂逅しているようだ。

 「パパ」という呼ばれ方をする父親のイメージは、シルクガウンでブランデーグラスを片手にソファに座る男性を想像みたりする。石原裕次郎がいた時代の戦後昭和の華やかさが重なりあう。筆者に於ける身近なパパとは天界の魔王である「魔法使いサリー」のパパ、破天荒で心根のやさしい「バカボンのパパ」という両極端なパパを思い出す。サリーちゃんのパパもバカボンのパパもとてもママに愛され、頭が上がらないパパだった。

 ところで「パパママ」という呼称は俳句との関連が微妙にある。虚子が大正六年に「パパママ反対論」を打ち出し、与謝野晶子から反論を受け、ちょっとした論争に発展したのである(二〇〇六年二月四日朝日新聞)。時を経て「パパ、ママ」の呼称が広く定着したのは、1960年代から1970年代にかけてのオリンピックや万博の頃ではないかと私自身は感じている。アットホームで平和で華やかで勢いのある時代の日本の象徴が「パパ、ママ」という呼び方に現れている気がするのだ。

 『子音』の「パパ」は、高度成長期に多忙を極め子煩悩で優しく、かっこよくて、多くの仲間のいて、洋行帰りのパパ・・・と勝手に読者としての想像が膨らむ。もっと抱っこして欲しかった…しかし、「もう一度」がないことを、人生のどこかではぐれたもう一人の作者は悟っていたようだ。

 四つの章タイトル SPRING BLUE/SUMMER  ORANGE/FALL  GOLD/WINTER  BLACKは、人生の移り変わりを既成概念にない自分の色として表現していることを思わせる。現世を生きる作者は常に彩られている。

人参や絵本の中に脚のばし
金色の扉のつづく枯野かな

 作者を未踏の世界へ連れてゆく道先案内役として童子の頃のもうひとりの作者が時折現れる。「パパ」はもういない。作者はボヘミアンとなり新天地の扉を自ら開き風に吹かれている。そこで聴こえるさまざまな風の音が「子音」なのかもしれない。Anyway the wind blows, doesn't really matter to me.

 以下印象句を掲げよう。


白れんや空の付箋を剥がしつつ
ふらここやうしろに痛み曳きずりて
ふらここの響くは子音ばかりなり
短夜や心音独り歩きして
勾玉の心音はやし薄暑光
月光をあつめてとほす針の穴
美しき父離れゆく草の絮
投げ入れる石の足りない花野かな
どこまでも笑ひたくなる芒かな
短日や絵画の中の砂時計

 本書は、序・秦夕美、本人あとがき、著者略歴を含む。2017年7月30日ふらんす堂〈第一句集シリーズ/I〉として刊行された。定価1700円+税


※現代俳句協会月刊誌「現代俳句」2019年2月号〈ブックエリア〉掲載に加筆修正。

【麻乃第2句集『るん』を読みたい】17 無意識の作品化、俳句のフレームを超えて  山野邉茂

 本句集には、日常を詠んだ秀句が少なくない。

  珈琲粉膨らむまでの春愁
  母留守の家に麦茶を作り置く
  「追ひ焚きをします」と声する夕月夜
  ポインセチア抱へ飛び込む終列車
  初冠雪二円切手の見つからぬ


 しかし、辻村麻乃という俳人の作家性が現れているのは、句集タイトルになっている「るん」を詠んだ、次のような句ではないだろうか。

  鳩吹きて柞の森にるんの吹く

 「鳩吹く」「柞」「るん」の三つの言葉の響きは、懐かしい匂いを纏って、読む者をどこか謎めいた世界へ誘う。
 「ハメルンの笛吹男」でも「魔笛」でもよいが、笛は古今の物語において、しばしばあるパワーを呼び覚ます装置として機能する。鳩吹くは秋の季語だが、窄めた両手を合わせ、親指と親指の隙間から息を吹き込んで鳩の鳴き声に似せた音を出すことで、凡そ昭和の子供たちなら経験している遊びだろう。古くは猟師が仲間同士の合図や獲物をおびき寄せるために使ったという。
 掲句は、鳩の笛を吹いたところ柞の森に風が吹くのを感じた、と読める。しかもそれは、チベット語で風を意味する「るん」だという。「るん」は、寂しい秋風でも、木々を激しく揺らすような風でもない。人の体内の気脈にも通じる自然界の「気」の流れに近いものだろう。
 柞(ハハソ)はブナやナラといった落葉広葉樹の総称で、柞の森は、縄文以来の日本の森の姿を伝える空間であり、気を貯める神聖な場でもあった。実際には、作者がたびたび訪ねる埼玉県秩父市の秩父神社にある柞の森と呼ばれる鎮守の森のことだろう。このいわゆるパワースポットで、森に満ちた気を感じながら、「ぽー、ぽー」と鳩の笛を吹いたのだ。すると森の気が動き出し、柞の森と身体が一体になるような神秘的な体験をしたのだろう。「るん」と表現したことで、句そのものが、寂し気な秋の森の景ではなく、人と自然とが交わる生の称揚へと高められているのである。
 本句集には、こうしたスピリチュアルな体験や異界との交信、あるいは日常にある異なった位相の存在を感じさせる句が少なくない。日常の中に異界を見つけ、虚実を織り交ぜながら独自の抒情性を描き出す。作者はそこに、言葉を自由にはばたかせ、自らも自由になろうとしているのだ。

  春嶺や深き森から海の音
  姫蛍祠に海の匂ひして
  夏の雨耳石の破片漂うて


 姫蛍は、水辺に生息する源氏蛍などと異なり鬱蒼とした森や山深い草地などで見られる。山の祠を囲む斜面に広がる蛍の光はさながら夜の海だろう。その地は太古では海だったかも知れない。作者は確かに地層が記憶する海の音を聞いたのだ。耳石の破片が漂う感覚とはめまいに似たトランス状態を思わせる。かつて見た魚の美しい耳石のイメージが、夏の雨のザザーという耳鳴りのような音に導かれ、かつて人類が魚類であった時代の記憶へワープしていったのだ。
 作者は、日常生活でも吸い寄せられるようにして欠損したもの、過剰や虚空に引かれていく。

  周波数合はぬラヂオや春埃
  雛の目の片方だけが抉れゐて
  引鶴の白吸はれゆく空の孔
  電線の多きこの町蝶生まる
  方角の定まらぬまま実梅落つ
  髭男ざらりと話す夜店かな


 二句一章であろうと一句一章であろうと、ここでは見慣れた風景を少しずらすことで作者独自の世界を創り出している。周波数の合わぬラヂオ、片目の抉れ、電線の多き街、方角も定まらずに落ちる梅の実などなど、見慣れた不調和の風景は、シュルレアリストたちが試みた無意識の作品化を思わせる。シュルレアリスムの画家たちが、細密なリアリズムの技法を駆使して夢や無意識を描いたように、写生という方法で、日常の中にある孔や不調和を描き出す。それは作者の無意識の表出に他ならないのだが、いずれの句も言葉を俳句のフレームに閉じ込めることなく、読むものをフレームの外の世界へとおびき出す。そして、いよいよ我々を異界へと誘うのである。

  あはあはと人込みに消ゆ狐の子
  走り梅雨何処かで妖狐に呼ばれたり


 こうした作者が好むファンタジーに、次のような句を並べてみると、日常の可愛らしい姉妹のふるまいも、まるでスタンリー・キューブリクの映画「シャイニング」の双子の少女のように思えてこないだろうか。

  アネモネや姉妹同時に物を言ふ

【俳句評論講座】共同研究の進め方――「有馬朗人研究会」及び『有馬朗人を読み解く』(その1) 津久井紀代・渡部有紀子

【津久井紀代】
1.一作家を究めるということ
                津久井紀代

    
 この稿を興すきっかけになったのが評論家坂本宮尾の一通の手紙からである。そこには次のように書かれている。「ついに朗人句集十冊読破、すばらしい。偉業ですね。とりわけ独りで読むのではなく多くの人に学ばせ楽しみながら作業したところがほんとうに立派。おめでとうと百回言いたい。」というものである。率直にこころが震えた。この研究はこれで良かったのだとやっと自分にけりをつけることが出来た。
 坂本の言うところの偉業とは「有馬朗人全句集10巻を読み解く」という壮大な計画を立て、五年余をかけてこの度読破したことを差すものである。

 この計画は『天為』同人故澤田和弥の発言に依るものである。これを実行に移したのが『天為』同人内藤繁である。有馬先生の了承を得て、丁度『一粒の麦』の評論集を出したばかりの筆者が講師として招かれた。
 この計画がどのように進められたかを残っていた当時の資料から検証してみたい。
 結論を急ぐと、この計画が成功した理由には大きく次の三つことを挙げることが出来よう。

1.坂本が言うように独りではなくみんなで読み解いたということである。このことはすでに『天為』誌上において対馬康子が指摘していることでもある。有馬朗人研究会をはじめるにあたり「勉強会の目的」を掲げた。「有馬朗人の新しい世界を創り上げる。朗人に関する今までの知識は筆者が伝えるので、その上で新しいことを発見する。新しい眼で朗人俳句を見ると、意外な発見がある。そこが勉強会の目的である。その成果を一回ごとに出す。それにはみんながひとつになること。」と掲げたのである。

2.一回ごとの成果として、一つの句集が終わるたびに一冊づつ本にまとめて出版した。
これは最初から決めたことではないが研究を進めていく上において「纏めておきたい」という思いから、出した結論である。しかし、一冊出したがすべて個人の資金でやるという事は大変なことであった。途中なんども挫折したが、研究会会員の熱意が勝り、ここまでやっと出版することが出来た。最初の『母国』『知命』については筆者一人の著書として纏めたものである。理由として講義は筆者が主で進行していたためである。『天為』の三冊目に入ったころ、会員の一人から発言があった。「講師ばかりの発言でななく、みんなの意見を活発にしたい」というものであった。私はここで一つの成果を得た、と思った。三冊目は会員一人が一句づつ有馬朗人の句について論じたものを掲載した。この頃からノンリーダーの方式を採用した。一人一人全員で割り当てられた句について論じるという形式になった。これも一つの成果であったと確信する。会員は一回ごとに膨大なレジメを作成し発表したのである。

3.五年余という時間を人数は増えても挫折者がでなかったことの理由として、「有馬朗人の俳句を読み解く」という事のみに終わらなかったことである。その背景にあるものに膨大な時間を費やしたことに拠るものであろう。一例を挙げる。

 まづ第一句集『母国』に触れると略歴として年代、年齢、東大入学、東大ホトトギス入会、夏草入会、「子午線」創立にに参加、古館曹人、高橋沐石との交流。背景として 前半10年間アルバイトの連続、生活に追われ、疲れ果て、電車の中で立ながら眠った青春。生き抜くための励ましは俳句と物理の他なにもなかった。初めての海外出張シカゴアルゴンヌ研究所とその周辺のこと。俳壇での『母国』の評価、同年代鷹羽狩行、上田五千石、原 裕、について述べた。
 このように全体を把握した後に、一句一句について鑑賞を試みた。
 更に、「山蚕殺しし少年父となる夕べ」の句については斎藤茂吉が下敷きにあること
から斎藤茂吉について多くの時間を費やした。「水中花誰か死ぬかもしれぬ夜も」に
対しては、山口青邨の「ある日妻ぽとんと沈め水中花」を揚げ、山口青邨に膨大な時間
を使った。西東三鬼の即物的手法についても学んだ。「運河淀む蝙蝠己れの翳おそれ」では塚本邦雄と二物衝撃に触れた。「冬の夜も影ひくいとど草城死す」からは、大正後期没個性時代ホトトギス沈静期の無人時代に草城が突如現れたことから、大正時代初期に頭角を現した虚子の四天王について例句を挙げながら読み解いた。
 第二句集『知命』については主に聖書に触れながら海外俳句に多くの時間を使った。
 第三句集『天為』については海外からみた日本の伝統の美について論じた。
 繰り返すがこのように句集を読み解きながらその背景に多くの時間を費やしたことが
五年余という時間の重みになっていると思われる。
 
 この稿を書いているとき、井上弘美さんより『読む力』(角川)をいただいた。そこには次のように書かれている。

 「名句は誕生したときから光を宿している。しかし、その光を感じとったり引き出したりする読み手がいなければ、光は孵らない。光を放つ一句と出合える喜びは何ものにも代え難い。・・・しかし、そんな一句に出合ったとき、その輝きがどこから生まれるのかを読き解き、誰かに伝えて感動を共有したいといつも思う。」

 この一文に出合って、この五年間は無駄ではなかったことを確認できた。さらに「・・ある世界史の先生がようやく教科書の内容が絵巻物のように、途切れることなく一枚物として、自分の中でつながりました、と晴れやかに語ったことがあった。」と述べている。
最後に成果として言えることはこの井上弘美が言う様に「有馬朗人」が絵巻物のように一枚物として会員全員の心の中に繋がったことである。有馬朗人にとって決して満足のいくものではないことを承知しているが、この10冊を読み解くという作業を終えた後、会員がいかなる論を展開していくかが今後の課題である。すでに渡部有紀子が名乗りをあげている。
 私自身もこのままで終わるつもりはない。すでに論点はきまっているが、3年くらいをかけてじっくり取り組みたいと考えている。

つれづれなるままに

【渡部有紀子】
2.「有馬朗人研究会」について
                   渡部有紀子


 有馬朗人研究会は、「天爲」の有志たちが始めたもので、平成二十六年九月より令和元年十一月までの五年間、毎月一回休むことなく開催した。
 この会の設立には、天爲の浜松支部同人、故澤田和弥が大きく関わっている。
 和弥氏の第一句集『革命前夜』出版を記念しての句会を神奈川県藤沢市で行った際に「結社の中の若手を育成するにはどうしたらよいだろうか?」という相談を和弥氏にしたところ、「主宰である有馬朗人の全ての句集を徹底的に読み解く研究会をすると良い」という助言を得た。
 これに応えて研究会の設立準備を進めていた頃、有馬朗人の作品百句について論評をまとめた著書を出版したばかりだった東京の同人、津久井紀代氏と知遇を得ることができ、氏を講師役に迎えての研究会が始まった。会の代表は神奈川の同人、大西孝徳氏である。
出席者は神奈川県内の「天爲」同人・会員で毎回十三名前後。同時期に東京でも開設された会の五名を合計すると、全会員は約十八名であった。
 また、研究会では各句集が終了する毎に会員各自の学んだことを記した冊子を発行した。この度、「俳句新空間」に掲載の機会をいただいた本稿は、もともと第十句集『黙示』についての冊子に寄稿した原稿である。よって文中には、それまで発行した第一句集から第九句集についての報告冊子での内容を踏まえて書かれた箇所も多い点はお許しいただきたい。
 所属する結社主宰の句集に対し、主に結社内の人々に発表する論考であることから、どうしても「師の礼賛」あるいは、有馬朗人本人が過去の著作やインタビューの中で語ったことを「師の言葉」として無条件に受け入れてしまうといった傾向から逃れることはできなかったという反省もある。
 それでも有馬朗人という一人の俳句作家の作品を全て読み解いたことで、二十代・三十代から現在の八十代に至るまで、師が俳句を通じて志向した一本の線のようなものがおぼろげながらも見えてきたこと、有馬朗人俳句はこれまで巷でよく言われてきたような学術的な知識の豊富さのみでは語り得ないのではないかと気づけたのは大きな収穫であった。これをいかに結社外の人々にも説得力ある論に展開していけるかは、今回の筑紫磐井先生、角谷昌子先生からの御評でご指摘いただいた点をしっかりと受け止め、論考を重ねていきたいと思う。まだまだ不勉強の身ではあるが、これからも両先生はじめ「俳句新空間」、俳人協会「評論講座」の皆様よりご鞭撻いただければ幸いである。

【俳句界4月号より転載】
 天為「有馬朗人研究会」最終回  令和元年十一月二十六日(火) ユニコムプラザさがみはらに於て

 有馬朗人研究会は「天爲」浜松支部同人、故澤田和弥の助言により神奈川県の有志たちが始めたもので、主宰有馬朗人の全句集を読み解く会である。
 講師役に同人津久井紀代を迎え、平成二十六年九月に藤沢市総合市民図書館会議室にて第一回をもち、以降、月一回定例的に五年間休むことなく開催した。出席者は毎回十三名前後。同時期に東京でも開設された会の五名を合計すると、全会員約十八名である。
 物理学者である有馬朗人は、研究機関の委員や理事などの仕事で海外に出向くことが多く、これまで米国、欧州、中東、南米、特に中国での作品を発表している。「天爲」同人には中国からの留学生も多いが、留学生向けの寮の運営関係者が本研究会に参加。中国で詠まれた句に深い洞察を与え、大いに刺激となった。
 「漢詩や外国の歴史について調べるきっかけとなった」「国内作品には、古事記だけでなくアイヌや沖縄の神話も詠み込まれていて、新たに知ることが多かった」「ごきぶりなどの忌み嫌われがちな生物にも的確な写生を与え、科学者としての冷静なまなざしを感じる」と、いった発言が会員から寄せられた。
 また、各句集が終了する毎に会員各自の学んだことを記した冊子を発行。最終の第十句集『黙示』については、二〇二〇年三月の発行となった。最後にこの冊子より会員の論考を一部抜粋する。

 「朗人俳句についてよく言われることは、海外俳句と日本での作との間に差がない……つまり「平常心」という事である」(津久井紀代 『同シリーズ⑨ 第九句集 流轉』より)
 「朗人俳句は……上六、中八、下六など、俳句を音のバランスで創り上げている」((澤田和弥 『同シリーズ① 第一句集 母国』より)
 「(〈ねこじやらし神々もまたたはむれて〉について)日本独自の俳諧味……一神教の風土では、森羅万象、至る所に神々がいるというのは、ほとんど生まれない発想」(大西孝徳 『有馬朗人を読み解く⑤ 第五句集 立志』より)
 「その土地の歴史や風俗、人々の暮らしに思いを馳せて、重層的な句作りを行っている点が非凡」(杉美春 『同シリーズ⑨ 第九句集 流轉』より)
 「(<万霊雪と化して原爆ドームかな>について)作者は物理学者として……慙愧に堪えない……「万霊雪と化して」の言葉が心の叫びとして響きわたる」(妹尾茂喜 『同シリーズ⑥ 第六句集 不稀』より)
 「眼前の自然風景の中にある隣りあう二つの世界の存在を読者に感じさせる詠み方であれば、海外、日本国内を問わず詩情豊かに且つ、読者にも判りやすい俳句が作れることを朗人主宰は発見した」(渡部有紀子 『同シリーズ⑧ 第八句集 鵬翼』より)

(報告:渡部有紀子)

Q(筑紫).ある作家の句集をまとめて読む方法としては、今回の『有馬朗人を読み解く』のように通時的に、1冊ごとに句集を読んでゆく方法と、すべての句集を通じて同一季題・同一テーマを比較する方法があると思います。俳句評論講座で角谷さんが例として取り上げた桂信子「激浪ノート」(1976年刊。その後、邑書林句集文庫『山口誓子句集 激浪』1998年刊付録として復刻)が後者にあたりますが、誓子の俳句の内部構造を剔抉する名著となっています。実は『有馬朗人を読み解く』のように通時的に句集を読んでゆく作業が進んでいれば、同一季題・同一テーマを比較する研究も進めやすいと思いますが、何かヒントになる発見がありませんでしたか。こうした全句集をまとめての特定のテーマについての漏れない分析を進めて頂ければ興味深いと思います。

A(渡部). 共同作業によって有馬朗人の全句集通読は完了しました。ご指摘のように、これを第一段階として、研究会のメンバー各自が何らかのテーマを決めて論考を深めていくのが第二段階となるかと思います。同一の季題・同一のテーマを前句集の中で見つけ、その変遷を指摘するのも興味深いと思います。その際、有馬朗人という作家のこれまでの半生をも踏まえた俳句の世界にフォーカスしていくのか、それとも同時代の作家たち―上田五千五石、鷹羽狩行などーと比較して当時の俳壇の様相を描きだすのか、アプローチが大きく二つに分かれると思います。個人的には、有馬朗人の俳句は初期作品より見受けられる「夜」―昼に見えるものは隠されて、昼に見えないものが見えてくるーのイメージがずっと続いていると感じています。

【筑紫磐井】
 俳句評論講座で様々な話題が出来ましたが、共同研究の進め方も話題の一つになりました。ちょうど講座に参加されていた津久井さん、渡部さんが「有馬朗人研究会」を実施され、その成果として有馬氏の句集10冊を『有馬朗人を読み解く』①~⑩として刊行されたので、講座参加者の皆さんの参考になるのではないかとその記経緯をご執筆頂きました。
 実は、これもこの講座に参加されている中西さんと私も相馬遷子の共同研究を行い、『相馬繊子――佐久の星』とまとめ上げたことがあるので、必要があればそれらを紹介したいと思います。
 今回は鑑賞と批評はありません。

【緊急発言】切れ論補足 【広告】WEP俳句通信115号切字と切れ特集(2020年4月14日刊 定価1050円)

●特集座談会:〈切字神話〉よ、さようなら (渾身の30頁)
 出席者/岸本尚毅・高山れおな・筑紫磐井(司会・進行)


 切字・切れについて改めて、あるいは新しく考えるときがきているように思われます。そこで3人の俳人に切字・切れについて一般公開の場で語り合っていただきました。

  • 戦後俳人と切字
  • 波郷以後の傾向は
  • わからないということがわかった
  • 切字を使わない俳句の世界(終戦直後)
  • 切字の共通認識
  • 仁平勝・川本皓嗣・藤原マリ子の切字論
  • 俳句は不安定な文芸か
  • 切字は使ってもいい、使わなくてもいい
  • 切字は規範でなく機能
  • 「古池」の〈や〉
  • 山頭火の添削
  • 〈や〉の特殊性・〈や〉の曖昧さ
  • 個人の文体・集団の文体
  • 生まれる瞬間と生成・発展
  • 写実のベクトルと切字のベクトル
  • 動詞の終止形止め
  • 切字の並び
  • 芭蕉は切字否定論者?
  • 幕間、あるいは改めて執筆の動機
  • 「切れ」のヴァリエーション
  • 「一月の川」の読みあげについて
  • 切字を前提とした切れ
  • 視覚上・リズム上で切れる場合
  • 「切れ」は俳句固有のものではない
  • 切字絶対視の神話は、さようなら
  • 切字による内容と情報量
  • 「切字と切れ」
  • 自分の文体・自分のスタイル


●新しい詩学のはじまり(24) 番外編――切字神話からの決別――  筑紫磐井
  • 仁平・川本・藤原の切字論
  • かつて自由な切字時代があった
  • 不思議な切字「や」の誕生と衰亡
  • 切字・切れの口伝が生まれた
  • 現代の切字論――龍太の新しい文体
(渾身の8頁)

英国Haiku便り(9) 小野裕三


ベネチアで出会ったHaiku

 この夏(2019年)、僕が在籍する王立芸術大学のプログラムの一環で、ベネチアビエンナーレを見に行った。ロンドンから格安航空券で行く二泊三日の旅で宿は共同部屋、とゆとりのある行程ではないが、世界的に高く評価される現代美術の祭典を見られることにわくわくした。
 一緒に行った仲間と街を散歩していると、書店を発見。一人がそのショーウィンドウを見て、「あら、Haikuの本があるわよ」と言う。イタリアの作家による『季節の俳句(Haiku for a Season)』という本で、早速購入する。序文などはイタリア語で書かれているが、それぞれの句には英訳も付いている。事後に別の文献を調べると、作者のアンドレア・ザンゾットは1930年代には既に「俳諧的」であると評され、20世紀後半にはイタリアで最高の詩人と評価されるようになったらしい。彼の俳句を引用する。
7月という名の小さな火山/何にでもやわらかい溶岩を流す/人生がなにか/夢以上のものとなるように
昼間にビエンナーレを見た後、夜は街のレストランで仲間と食事。イタリア名物のスプリッツを飲みながらの雑談は楽しい。カナダの高校を卒業したという台湾人の女性がいて、彼女いわく、その高校の授業でHaikuを作ったとか。僕が驚いていると、逆に彼女は言った。
「なんでそんなことに驚くの。だって、俳句は世界的に有名じゃないの!」
 その夜の会話では各自がビエンナーレの感想をコメントし、僕はこんなことを語った。ビエンナーレで見た作品の多くはとても巨大で、時にはひとつの作品が数十メートルの空間を占める。また、暗闇や照明を活用し、音や動きを使ったり、と五感に訴えるものが多い。つまり、現代アートは、観客の感覚をコントロールしようとあらゆる手段を使う。一方、文字だけを使う文学作品にはそれはできず、できるのは読者の想像力を刺激することだけ。俳句のように短く限られた形式の場合には特にそうだ。だが、そのような作品の大型化・多感覚化の傾向は本当に現代アートにとって幸せなことなのか——。
 そんな僕の話を受けて、帰路の空港でイギリス人女性の友人が話しかけてきた。彼女は20世紀の美術作品がなぜ大型化したかの歴史について語り、そしてあるアイデアを提案した。
「ねえ、すべての美術作品を10センチ以内とか小さなスペースに制限するビエンナーレがあったら面白いんじゃないかしら?」
 まるで俳句みたいだ、と思いつつ、創造行為にとってある種の制限があることは意外に重要かも、とも考えた。そのような観点からは真逆の位置にあるとも見える現代アートと俳句は、それゆえにお互いが学び合えることも多そうだ。そんなことを感じたベネチアビエンナーレだった。
(『海原』2019年10月号より転載)

【新連載・俳句の新展開】【予告】俳句新空間・皐月句会開始

俳句新空間では参加者有志により夏雲システムによるネット句会を5月から開始することとしました。
第1期は37名の参加者による大掛かりな句会となる予定です。
その成果を取りまとめ逐次発表する予定でいます。
句会がままならぬ時期になっているところからこのような試みも有意義と思います。ご参考にしてください。
末筆ながら、千寿関屋さんのご協力に感謝します。

【進行スケジュール】
投句受付開始:毎月1日/締切:毎月第2日曜/ 選句受付開始:投句受付締切日翌月曜すぐ/締切:毎月第4日曜)/公開:選句受付締切後すぐ

【運営について】
①投句:1人2句。
②選句:1人5句。
③選評:選句5句のうちから1句について選評。

【結果発表について】
俳句新空間で結果を毎月BLOGで発表(たぶん翌月)。
 ①高点句を点数順に名前を付けて発表。
 ②高点句を特選に選んだ方の選評も原則発表。
 ③6か月6回の句会をまとめて、冊子「俳句新空間」に編集して掲載(検討中)。
 ④投句作品は、その後BLOGの俳句帖や冊子版「俳句新空間」の特別作品、あるいはそれぞれ所属されている同人誌や結社誌に投句してかまいません。

2020年4月10日金曜日

第134号

※次回更新 4/24

特集『切字と切れ』

【紹介】週刊俳句第650号 2019年10月6日
【緊急発言】切れ論補足

【新企画・俳句評論講座】up!

・はじめに(趣意)
・連絡事項(当面の予定)
・質問と回答
・テクスト/批評   》目次を読む

【新連載・俳句の新展開】

句誌句会新時代(その一)・ネットプリント折本  千寿関屋  》読む
句誌句会新時代(その二)・夏雲システムの破壊力  千寿関屋  》読む
[予告]ネット句会の検討  》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

令和二年春興帖
第一(3/20)仙田洋子・曾根 毅・夏木久
第二(3/27)五島高資・松下カロ・辻村麻乃
第三(4/3)堀本 吟・木村オサム・林雅樹
第四(4/10)前北かおる・神谷波・杉山久子・望月士郎

令和二年歳旦帖
第一(1/10)辻村麻乃
第二(1/17)曾根 毅・池田澄子
第三(1/24)坂間恒子・大井恒行・仙田洋子・山本敏倖・堀本 吟
第四(1/31)浅沼 璞・渕上信子・松下カロ・加藤知子・関悦史
第五(2/7)飯田冬眞・竹岡一郎・妹尾健太郎・真矢ひろみ・木村オサム・神谷波
第六(2/14)早瀬恵子・夏木久・中西夕紀・岸本尚毅
第七(2/21)ふけとしこ・花尻万博・前北かおる・なつはづき・網野月を・中村猛虎
第八(2/28)林雅樹・小林かんな・小沢麻結・渡邉美保・高橋美弥子・川嶋ぱんだ・青木百舌鳥
第九(3/6)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子・のどか・水岩瞳
第十(3/13)家登みろく・井口時男・仲 寒蟬・五島高資・佐藤りえ・筑紫磐井


■連載

英国Haiku便り(8) 小野裕三  》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか  》読む

【抜粋】〈俳句四季4月号〉俳壇観測207
結社はどこへ行くか――俳壇35年の回顧から見えてくるもの
筑紫磐井 》読む

句集歌集逍遙 樋口由紀子『金曜日の川柳』/佐藤りえ  》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい
インデックスページ    》読む
5 温かい視線/衛藤夏子  》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
インデックスページ    》読む
6 『櫛買ひに』を読む/山田すずめ 》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む


■Recent entries

 第5回攝津幸彦記念賞応募選考結果
 ※受賞作品は「豈」62号に掲載
特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編  》読む
「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」アルバム
※壇上全体・会場風景写真を追加しました(2018/12/28)
【100号記念】特集『俳句帖五句選』

麻乃第二句集『るん』を読みたい
インデックスページ    》読む

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
インデックスページ    》読む

葉月第一句集『子音』を読みたい 
インデックスページ    》読む

眠兎第1句集『御意』を読みたい
インデックスページ    》読む

麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ    》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
インデックスページ    》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事  》見てみる

およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
4月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む  》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子


「兜太 TOTA」第4号 発売中!
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「俳句新空間」11号発売中! 購入は邑書林まで


豈62号 発売中!購入は邑書林まで


筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜  のどか 

シベリア抑留俳句および満州引揚げの俳句を読んで‐その2

(2)「戦争」を語り継ぐ、「平和への祈り」としての俳句
 21から26話の百瀬石涛子さんには、面談・手紙・電話でのインタビューにご協力いただいた。電話で武装解除の時期について尋ねると当時を思い出し涙ぐまれる場面もあり、戦争当時の記憶が現実のことのように呼び起こされ、辛い記憶の蓋を開けてしまったようで、申し訳なかった。
 26話のまとめにも書いたように、電話で何度か話す中では、不眠や悪夢のような症状はなかったというが、とにかく戦争を想い起こすことについて誰からも触れられたくない、回避したい気持ちばかりかであったという。
 シベリアという厳しい環境下で辛くも自分が生き残ったことへの贖罪の念や、このような回避傾向もストレスから自分を守る心の反応の表れと推察する。
 百瀬さんは抑留時代の自分の俳句について、厳しい評価をされ、抑留時代に俳句が支えになったかについては、語られない。70歳代ごろから生まれてきたシベリア抑留俳句を句集として編まれる過程は、先の戦争によって亡くなられた戦友への鎮魂と戦争を知らない若い世代へ「反戦」のメッセージを伝えたいという強い意志であり、自ら負った心の傷を抱えて「いまを大切に生き抜く」力となったと思われる。
 百瀬さんの句では、戦後約70年の時を経て結晶となった、“毛布欲し丸太の棚に俘虜遺体(寒極光)” “死者の衣を分配の列寒極光(寒極光)”のような人間のやるかたなく生きる様を洞察した句が生まれ、一方、晩年の句では、“俘虜に果つ我が身たりしを恵方巻”と生涯消えない俘虜としての記憶に苛まれながらも、行く末の幸せを願って食べる恵方巻に、自分のこれまでの生き方の受容を見て取ることができる。
 さて、井筒さんは、「満州追憶」として纏めたメモから俳句を詠み、加藤楸邨主宰の寒雷に投句をされ、主宰の選を受けた百句を、句集にして満州開拓犠牲者の三十三回忌の法要記念にされたことは、先に紹介したところである。
 主宰から認められた百句を集める三年の年月は、満州での暮らしや過酷な引揚げの足跡を一歩づつ残す、大変な過程であったと思う。
 井筒さんは、『生かされて生き万緑の中に老ゆ』の「はじめに」の中に、~自暴自棄になって行った大陸の花嫁。について、死線を超えて培った心の友を得ることができたことは、幸せである。と記されている。
 また、生涯学習として取り組まれた「写経」の中から体得したことについて、~不幸な生い立ちの人生に「いつどんな場合でも私は誰かに助けられている。その誰彼はみな御仏の化身だったのではないだろうか~と『生かされて生き万緑の中に老ゆ』16「川」において書かれている。
 これは、井筒さんか72歳頃の記述であり、その後も井筒さんは、老人福祉センター及び中国残留邦人支援活動語部や語部としての活動を続けておられる。
 しかし、80歳を迎えた井筒さんは、戦争の記憶を今のうちに書き残したいと、2001(平成13)年に『大陸の花嫁』を自費出版されている。
 2015(平成27)年に井筒さんは、永眠されていらっしゃるので、俳句が生きる支えになったかを確かめる術はないが、井筒さんの『大陸の花嫁』の巻末「戦争を語り継ぐために」の中で、新谷陽子(亜紀)さんはP.223に以下のように書かれている。
 さらに、母の「俳句人生」も幸いしたのでしょう。母は若い頃から、自分の思い出をうまく凝縮させて、俳句として昇華させることを心得ていました。どんな逆境においても、膨れ上がってくる自分の悲しさや苦しさ・怒りといったマイナス感情も、そのエキスだけを句の中に押し込めることで、抜け道を作り、気持ちを前にしゃんと向かせることができたのだと思います。 そして、日常的には娘の私や孫にまた語部として人々に戦争の愚かさを語り伝えることで、逆に生きる力を得てきたのかも知れません。
井筒さんの「平和への祈り」というブログの中で、娘(陽子)さんは、井筒さんの最晩年の“死も良しと死をうべなえる夜長かな(紀久枝)”を紹介し、波乱に満ちた前半生に比べ、後半生はとても穏やかで幸せに過ごされ、静かで安らかな旅立ちを迎えられたと述べている。
 また、百瀬さんと井筒さんの共通点として、同じ体験をした人々への鎮魂と、戦争を知らない世代に語り継ぎ平和への願いを広めることへの使命感がご自身の生きる力となったものと推察する。
 
 ほぼ1年に渡り、筆者のシベリア抑留俳句及び満州引揚げをたどる拙い文章の「俳句新空間」への掲載をお許しいただきました筑紫磐井先生、執筆にあたり取材にご協力いただいた、山田治男様、中島裕様、百瀬石涛子様、新谷亜紀(陽子)様、執筆にご理解頂きました小田保様ご遺族の小田照子様、白須朋子様、高木一郎様のご遺族高木哲郎様、取材による時代考証にご協力いただきました、戦場体験放映保存の会の田所智子様、この旅を一緒にしてくださり、励ましてくださった読者の皆様に深く感謝いたします。
 最後に、この文章を4年半のシベリア抑留生活を語らず60歳で他界した父への献辞といたします。

参考文献
句集『俘虜語り』百瀬石涛子著 花神社 平成29年4月20日
『生かされて生き万緑の中に老ゆ』1993(初)生涯学習研究社(NHK学園指定教材代理部)発行
「平和への祈り」井筒紀久枝 編集人 新谷陽子(亜紀)2019.8.23更新


英国Haiku便り(8) 小野裕三



「そりゃ青鮫だね」 〜ハイドパーク吟行会報告

 ロンドンで親しくなったイギリス人とよもやま話をしているうちに、いつの間にかハイドパークで吟行会をやることになった。俳句の経験のないイギリス人やその他の国の人を集めて英語で句会をやって、どれほどうまく行くものか、という不安もあった。それでも、告知ポスターまで作られて話は盛り上がり(写真1)、僕の方でも説明資料や道具などを揃えて、当日を迎えた。
 五月初旬の快晴の日曜日。集まったメンバーは僕を含めて13人。彼らを前に、「俳句とは何か」という説明をまずは始める。以前の本連載でも紹介した、日本の俳句の本質を踏まえつつ有季定型には囚われないという、米国の小説家ジャック・ケルアックが提唱する「西洋流俳句」(Western Haiku)を体験してもらうのが今回のテーマ。理由は二つあって、有季定型は西洋人には馴染みにくくて無用にハードルを高くする、というのが一点。さらには西洋人が有季定型にこだわることでかえって俳句の本質が見えにくくなる、というのがもう一点。
 となると、では有季定型とは別の、俳句の本質とは何なのか、が重要となる。まず僕が強調したのは、芭蕉の「言ひおほせて何かある」だった。俳句ですべてを言ってしまってはならず、読者に何かを残すために、ある意味で俳句は常に「不完全」(imperfect)でなくてはならない、ただしもちろん細心の配慮をもって。そして二点目に強調したのが、実際に見たことだけでなく、感じたことにも忠実であれ、ということ。そのために例に引いたのが、「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」(金子兜太)。もちろん「青鮫」が庭にいることはありえないが、それでももしそう感じたのなら、それを書け、と。そこまで解説を終えて、あとは各自がハイドパーク(および隣接のケンジントン・ガーデン)内に散っていく。持ち時間は1時間。


 ちなみに、暖かい季節になるとロンドン市内の各地の公園で多くの人がピクニックを楽しむ。我々もピクニックがてら、ということで公園内の芝生の上で句会を開始。一枚に一句を書いた紙を芝生の上に並べ、それに各自が選をして名前を書き込んでいく、というスタイルを取ってみた(写真2)。2句提出の3句選でやって見たのだが、8点が入る高点句が出た。

   The wind              風は
   meets the grass   草に出会う
   They applaud       そして拍手する


 僕も一目見て選を決めた句で、英語で読むと確かにいい句だと感じる。次は4点句が一句、あとは3点句以下なので、この句が図抜けていることがわかる。
 それから、点数の順に各自からの句評を進める(写真3)。「イメージが鮮烈」「うまく説明できないけどいい」「うまく組み合ったパズルみたい」「これも取りたかった句だったよ」といった日本の句会でもよく聞くような台詞が次々と飛び出してきたのは面白かった。一方で、各行のレイアウト的なバランスや、あるいは押韻の美しさ、といった点へのコメントがあったのはやはり英語の詩の伝統だな、とも感じた。


 ちなみに、僕も2句作ったのだが、共に無点句。日本人が英語で俳句を作ることの難しさを痛感させられた。そもそも、どのような言葉を選んでも、こちらが思うニュアンスが英語で伝わるのか、という疑問が拭えない。例えば、「雨」という言葉ひとつを取っても、イギリス人の多くが雨が降っても傘を差さないというのは有名な話だが、英国の雨はたいてい、霧雨みたいなものか、少し強く降ってもすぐに上がる。となれば、「雨」が持つ詩的叙情は日本とまったく違うものとなっても不思議ではない。例えば「梅雨」を「六月の雨」と訳して季語として共有しても、その英語から想像できるものは梅雨とは程遠い。異言語の壁を超えて、本当に詩的イメージは伝わるのか。
 だがそんな僕の疑念をよそに、参加者たちはなんだか楽しそうに見えた。吟行や句会は、「ポエトリーのコンテストであり、ゲームです」と僕は説明したのだけれど、歩き廻りながら俳句を作る、匿名の句に全員で投票して結果を競い合う、そんな仕組みの持つ素朴な楽しさが、参加者を魅了していたようだった。俳句の本質論は別としても、そのような俳句のイベントとしての楽しさは、異国に伝えていく価値のあるものなのでは、とも感じた。
 そうやって句会が進行する中で、こんな句(3点句)が取り上げられた。

   Smiling up at lightening  稲光に微笑みかける
   Some say it’s luck          これは幸運だと言う人がいる


 もちろん、快晴なので稲光などは実際にはない。あくまで感じたままに書いたと作者自身が説明する。すると誰かが言った。
「そりゃ青鮫(blue shark)だね」
 僕のアドバイスがきちんと消化されて活かされていたのも嬉しかったし、「青鮫」という言葉がそのような詩的原理の象徴として使われているのも、兜太先生に多くを学んできた者として、素直に嬉しかった。
 広く世界にHaikuを伝えていく時に、五七五や季語よりもまず伝えるべき本質的な何かがある。それが英国に来て以来僕がずっと感じていることだし、その過程において、「言ひおほせて何かある」や「青鮫」という言葉が象徴的なキーワードとして使われていくならば、僕としてもこれに勝る喜びはない。
(『海原』2019年9月号より転載)

【緊急発言】切れ論補足 【予告】WEP俳句通信115号 特集:〈切字神話〉よ、さようなら


(2020年4月刊行予定)
 出席者/岸本尚毅・高山れおな・筑紫磐井(司会・進行)

 切字・切れについて改めて、あるいは新しく考えるときがきているように思われます。そこで3人の俳人に切字・切れについて一般公開の場で語り合っていただきました。

戦後俳人と切字
波郷以後の傾向は
わからないということがわかった
切字を使わない俳句の世界(終戦直後)
切字の共通認識
仁平勝・川本皓嗣。藤原真理子の切字論
俳句は不安定な文学か
                 等々

【俳句評論講座】テクストと鑑賞⑤ 渡部テクスト(2)

【テクスト本文】
鑑賞 幻想の俳人 有馬朗人
                   渡部有紀子

 既刊の句集を全て読み通して、有馬朗人という作家は幻想を詠むことに長けているとつくづく感じた。こう書いてもおそらくすぐに肯定的な反応を得られることはないだろう。なるほど、これまで有馬朗人が評価される際には、単なる旅行者の眼を超えた海外詠しかり、豊富な知識に裏打ちされた知的操作に富む句しかり、全てに(良い意味での)「教養主義」(筑紫磐井「三つの視点―『不稀』を読む―」「天為」平成十七年四月号)という賛辞が送られてきた。

 だがここで一度足を止めて考えたい。有馬朗人は単なる「教養」の一言だけで片付け得る俳句作家なのだろうか?もちろん、原子核物理学の世界的研究者であり、八十代後半となった現代に至るまで常に海外の教育機関より招かれ、一時は文部科学大臣として国の教育行政にも携わり、世界の神話や宗教、詩学、歴史といった各方面への造詣が深いことは有馬朗人のゆるぎない知的好奇心とたゆまぬ努力の賜物である。しかし、それだけでは単なる「物知り」の俳句作家にすぎず、豊富な知識を披歴しただけの俳句では難解と評されるだけに終わっていただろう。

 ふらここのきしみ輪廻を繰り返す
 大寒やアダムと神の指の距離
 蝶はがれ舞ふや最後の審判図


 第八句集『鵬翼』のあとがきにおいて有馬朗人は俳句を「自然中心のアニミズム的思想に基づいた文化活動」と定義付けている。ここから筆者は、日本とは文化の異なる海外であっても、各地の地理的条件が織りなす自然の景物の中に生命の秩序を見出すアニミズム的発想が当てはめられることに有馬朗人は気づいたのだと、かつて指摘した。(渡部有紀子「有馬朗人 海外詠の方法」『有馬朗人を読み解く⑧ 鵬翼』二〇一九年)
 眼前の実景に潜む「何者かの気配」を察知する感覚で一句に仕立てているのが朗人俳句の世界である。知識はそれらを引き出すための手段に過ぎない。ふらここの軋む音の繰り返しは輪廻転生を思い起させ、神が最初の人間アダムに命を吹き込む瞬間の、まだ指の触れあわぬ僅かな距離こそが大寒と有馬朗人は我々に提起する。そして、最後の審判が描かれたフレスコ画より剥がれおちた絵具の切片が蝶となって舞う幻想世界へ我々を誘い込む。
  このような句の作り方は急に会得されたものではなく、第一句集『母国』の頃から既にあったことが認められる。

 梨の花夜が降る黒い旗のやうに (『母国』)
 蜥蜴走り去り時計の針となる (『母国』)
 影を売るごと走馬灯を売る男 (『母国』)


 『母国』より三句引いた。この頃はまだ知的操作による作品は少なかったものの、現実とは異なる世界の存在を確かに感じさせる。

 水中花誰か死ぬかもしれぬ夜も (『母国』)
 冴ゆる夜を鈴振り行きぬ凶神 (『知命』)


 「死」「凶神」と他所からやってくるものを捉える感覚の鋭さを即物的に一句に仕立てている。夜や影は朗人に句を作らせる格好の舞台装置である。
 第一句集『母国』の前書きで、山口青邨は朗人の作品に「メルヘンとか、童話とか、牧歌とか、さういふ叙情に豊かだ……童話的とか童心といふことは詩の古里」という言葉を贈った。実景をただなぞるのではなく、そこから想起される詩世界を作り上げていくことを、有馬朗人は最初から志向していたと言えよう。そのような朗人が三十歳代で最初に渡米して以降、諸外国の自然の景物に触れる中でその土地の人々の生活の基底にある宗教や神話・伝承に関心が向いていったのは不思議ではない。

 創造ブラフマーの微笑みに蝶生まれ継ぐ
 サーカスや白夜の空へ身を投げる
 語部の黙深かりし遠雪崩


 右の三句はそれぞれミャンマー、ウクライナ、秋田県横手市での句だが、蝶の羽化や空中ブランコ、語部を囲む子どもたちといった場面設定によって、読者は我々の生きる世界のすぐ隣にあるもう一つの世界へと入り込む。有馬朗人が専門とする物理学では、直接手に触れることはできなくても確かにそこにあるらしきものの存在は、原子核の融合や粉砕といった働きかけによって発生する粒子やガンマ線の計測によって確認されるという。朗人俳句においてもまた、作者から働きかけられた句の言葉によって我々読者の胸中に景が立ち上がる時、幻想世界の存在が確かなものとなる。
 同時にもう一つ重要な点は、朗人俳句はそこに永住しない者、やがて去る者としてのドライな視線を強く感じさせることである。第一句集『母国』に〈異邦人どうしが分つ木椅子の冷え〉〈落葉掃く黒人肌を輝かし〉とあるように、アメリカ滞在中の一時期、黒人の多く住む地区に居を構えたことがあったが、これは自らを異邦人と認識するからこそ、黒人差別の実態を【知りたい】と願い、西洋文化の根底にあるキリスト教的思想を聖書から【学ぶ】。徹底的な他者としての自覚から「乾いた抒情」は生まれている。

 十戒を得し地の井戸の雪解水 (『知命』)
 街あれば高き塔あり鳥渡る (『知命』)
 水温むガリア戦記の大河かな (『黙示』)

 幼少時より大阪、野田、橋本、浜松、そして東京と住まいを変えることが多かったからだろうか。転居の理由も後半は、実父の病や逝去といった自分の力では及ばないことに依ったからだろうか。常にどこに行っても朗人俳句にはその土地の者になろうという気負いや土にまみれたような匂いが感じられない。歴史的、神話的なモチーフに絶妙な季語を付けることで、その土地の人々の生活を垣間見しているかのような感覚を読者に抱かせる。両親については、第十句集『黙示』においてこれまで以上に多く作品が掲載されている。

 父母の流寓の地や獅子ばやし
 あの窓に父の魂魄夕桜
 梨の花流寓の地に残る家
 もらひ風呂せし遠き日や梨の花
 父焼きし野辺のはづれの菫草


 具体的に親と交わした言葉や遺品などを詠むことはせず、ただ事実だけを淡々と述べ、ここでも乾いた抒情に徹している。

 蠍座のマヤの森より這ひ上る (メキシコ)
 夏の蝶白し韓方医薬街 (韓国)
 斧沈め白夜の森の小さき湖 (オランダ)


 句集『黙示』は第五十二回飯田蛇笏賞だけでなく、第十七回俳句四季大賞も受賞した。選考委員の一人である星野高士は、海外詠の作品については、読者が未体験の地名であると深く鑑賞するのが難しいのではないかという危惧を抱いたが、『黙示』の作品に関しては、自分もそこの地を訪ねたくなるほどの力を感じたと述べている。これは、句の詩情に惹かれたからに他ならないのだが、もし実際にその土地に足を運んだとしても、俳句に描かれた景色そのものに出会うことはおそらく難しいだろう。有馬朗人の乾いた抒情によって差し出された景は、読者と作者の間にのみ存在する詩の世界なのだ。
 有馬朗人は第一句集『母国』にある「黒い旗のやう」な夜や「死」「凶神」といった別の世界からやってくるものに魅せられた経験から、諸外国の神話や聖書、、古代史を読み漁った。そこで得た知識は、やがて詩情豊かな幻想に満ちた句の世界へと結実したのだ。有馬朗人の俳句は読者を魅了してやまない。

【角谷昌子・鑑賞と批評】
 簡単ですが、気づいたことを書かせていただきます。

 渡部さんには、俳人協会新鋭評論賞への応募はじめ、評論講座にも熱心にご参加いただいています。このたびは、さっそく師事されている有馬朗人論をご提出されたことを嬉しく思います。
 「幻想の俳人」とのタイトルは、心惹かれるものの、「幻想」とは、現実からかけ離れた想念、との認識があるので、そのテーマをどのように論じてゆかれるのか、とても興味がありました。
 まず、冒頭段落ですが、「知識に裏打ちされた知的操作に富む句」とのご指摘は、もう少し説明を要するかとも思います。かつて中村草田男が山口誓子、金子兜太や、ほかの俳人の作品に対して「知的操作」を恣意的な態度だと強く批判していたので、孫弟子の自分としては、この言葉につい、マイナスの反応をしてしまいます。
 また、筑紫磐井氏の「教養主義」との評価も、「賛辞」とお書きですが、もしかすると筑紫氏の論が揶揄かとも受け取られてしまうので、積極的かつ肯定的な解説が必要かとも思います。(もちろん、このあとを続けて読んでいけば、肯定的な評価と分かるのですが)

P2 「ふらここ」「アダム」「最後の審判図」の例句のすぐあとに、鑑賞を入れて、それから持論を展開されると、読者を引き込むことができると思います。
 タイトルに「鑑賞」とあるので、ほかの引用句すべてに対しても、ご自身の鑑賞を入れたいです。おそらく、紙幅が限られているか、今回提出された「鑑賞 幻想の俳人」に、さらに肉付けして有馬朗人論を執筆されるおつもりなので、鑑賞は省略されているのでしょう。

 第一句集『母国』は、有馬氏にデラシネの思いがあり、かえって祖国へのいとしさがかきたてられ、作者の存在が強く顕ち現れた句集です。有馬氏の句集の中では、ことに現代詩的手法の反映した一集だと思います。この句集に「知的操作」は薄いようなご印象とお書きですが、どうでしょうか。

P6 「幻想世界の存在が確かなものに」との記述があります。もうすこし納得できる解説が欲しいところです。また前述した通り、引用句には、鑑賞が必要でしょう。鑑賞から読者は、その俳人の世界にますます魅力を感じることができます。せっかく引用されているのに、鑑賞がなくて俳句を挙げるだけだと、その句集の存在も薄くなります。(ですので、『黙示』に関する論考との読者の意識も低くなります)
 ここでは、キーワードの一つ「乾いた抒情」としての対象との距離感や客観性を鑑賞で示してから、持論を展開していただいたら、いかがでしょう。

 最終段落、蛇笏賞・俳句四季賞両賞受賞に至った第十句集『黙示』についての結論で、「知識」から「詩情豊かな幻想に満ちた世界に結実」との評価ですが、少々急ぎ過ぎている印象です。やはり紙幅のためと思いますので、全体の構成を考え、『黙示』にウエイトを置いた評価を丁寧に結語したいところです。

 以上、感想を思いつくまま、書かせていただきました。「幻想」と「虚」の世界は違うのでしょうか?イマジネーションの飛躍、土着よりも、さらに洗練に向かい、知的世界を昇華させる朗人俳句をぜひさらに論考していってください。
 最後に、筑紫さんの「教養主義」との賛辞について、また次のような山本健吉の言葉など、先人の評論を盛り込むとさらに立体的になるかと思います。

(たとえば、一例として、次の言葉がご参考になれば幸いです。)
山本健吉:〇「伝統あるいは歴史的形成作用に結びつくことによつて、個性が無私の普遍的表現を獲得」する。
     〇「土地の精霊との唱和」によって「叙景詩がたんに個性的な叙景的感動たるに止まらず、没個性的な条件を充たすことのうちに、詩の社会的機能を果たす」
     〇(芭蕉について)「詩としての普遍性・永遠性を志向した結果、改作することによつて事実を裏切る」「詩は現実が動機となつて創りだされるものであるが、同時に事実を拒絶することによつて始めて作品となる」

【筑紫磐井・鑑賞と批評と論争】
  渡部有紀子「鑑賞 幻想の俳人 有馬朗人」を読むにあたって少し予備情報を入れておきたい。
 津久井紀代氏を中心とした有馬朗人研究会という勉強会があり、有馬朗人氏の10冊の句集『母国』から『黙示』までを解読した研究が行われた。その成果は、句集1冊ごとに解読本1冊が出されると言う成果が出され、本年4月8日の奥付で『有馬朗人を読み解く⑩ 第十句集『黙示』蛇笏賞受賞作』が刊行されている(私の手元にはもう少し早く頂いているが)。この『有馬朗人を読み解く⑩』では参加者20名ほどの名前が挙がっており、共同研究なのであるが、その最初から最後まで参加している一人が渡部有紀子氏なのである。
 『有馬朗人を読み解く』シリーズは句集1冊ごとに鑑賞・研究されているが、これを横軸とすれば、いきおい句集を通覧した縦軸の評論がなされてしかるべきである。他の人たちがどのようにのぞまれているかは分からないが、その中でいち早く縦軸論文として書かれたのが「鑑賞 幻想の俳人 有馬朗人」なのである。
 その意味では『有馬朗人を読み解く①~⑩』が背景にあることを知って読むのが望ましい。この論では数句集から任意に作品が抜粋されているが、それは恣意的ではなく『有馬朗人を読み解く①~⑩』を踏まえて選ばれていることはよくよく承知しておきたい。
      *
 問題は切り口であろう。既に角谷氏が的確な論評を総論風に書かれて頂いているので、少し個別の話題について言及して見たい。私に係わる事なのでやや辛口になるかもしれないがお許しいただこう。
 渡部氏は、私が「天為」に書いた評論を引いて、「全てに(良い意味での)「教養主義」という賛辞が送られてきた」と言われている。これに対し角谷氏は、「筑紫磐井氏の「教養主義」との評価も、「賛辞」とお書きですが、もしかすると筑紫氏の論が揶揄かとも受け取られてしまう」と述べられている。これは論者である私の日頃の発言・行動から要らざる議論を呼んでしまっているのかもしれず、いたく反省しているところである。
 ただそれはそれとして、教養主義と言った理由は、私自身有馬氏は教養主義以外の何物でもないと感じたこと、そして教養主義がかつての大学の理念として至上の価値を持っていただろうことを申し上げたかったからである。数年前に、俳句講座のシリーズの監修・執筆をしその題名を決める段で、私が「教養」講座がいいのではないかと提案したところ、大学教授たちは猛反発をした。既に、教養という言葉は大学で十分胡散臭いものとしての価値観が定着していたのだと実感した。ただ当時の社長が強引に私の案を推し、『俳句教養講座』3巻が角川から発刊されている。しかしその後の教育行政を考えてみると、教養を捨てたことは間違いだったのではないかと思っている。たぶん有馬氏も同感だと思う。平成10年8月号の「俳句界」に載っている私が有馬氏に行ったインタビューでは、意外なことに他の誰よりも三鬼が好きだったこと、青邨のドイツ教養主義の影響を受けていること等を語っている。
 もう一つは、第八句集『鵬翼』のあとがきで有馬氏が述べている、俳句は「自然中心のアニミズム的思想に基づいた文化活動」という発言を渡部氏は高く評価しているが、充分な検討が必要であるように思われる。本人が言った言葉だからと言って、有馬氏を律する金科玉条となるわけではないだろう。物理学者としての有馬氏(特に教養主義の有馬氏)からどのような思考経路でアニミズムが出て来るか、渡部氏自身の言葉で説明してもらわなければならない。アニミズムの主唱者である金子兜太や稲畑汀子や小澤實(不思議なことに皆人文科学系だ)とは少し違うはずである。
 以上、論争を期待します。
    *
 少し冒頭に戻って、有馬朗人研究会についていうと、「俳句界」の4月号でこの研究会のレポートが載っており、澤田和弥氏の助言によって始まったものだと書かれていたのを見て感慨を禁じえなかった。『有馬朗人を読み解く①』を探してみてみると、確かに澤田和弥氏の名前がある。しかし澤田氏は、『有馬朗人を読み解く①』が出る直前に亡くなっている。澤田氏は有馬氏の序文を頂いた第1句集『革命前夜』を平成25年に出し、平成27年に亡くなっているのである。まさに革命前夜に、革命を見ることなく逝ったのである。今彼が種をまいた成果がこのように結実していることを彼は知らない。渡部氏ならずとも好いが、一度こうした研究会の顛末を書いてほしいものだ。せっかくの試みが忘れられてしまうかもしれないからだ。
 (澤田和弥氏は早稲田大学の出身で、同級生の高柳克弘を俳句に誘ったと言うように若い世代のかなめ役を果たしており、結社を超えて期待を担っていた。「週刊俳句」には彼に対する追悼文が多く寄せられている。「天為」の他に、大学の先輩である遠藤若狭男氏の「若狭」にも所属していたが、その遠藤氏も、澤田氏を見送ったのち平成30年に亡くなった。現代史もどんどん過去のものとなってゆくのだ)

【新連載・俳句の新展開】[予告]ネット句会の検討

    
 「俳句新空間」ではすでに【新連載・俳句の新展開】として「句誌句会新時代(その二)・夏雲システムの破壊力」(千寿関屋)を掲載してまいりました。
 今般、千寿さんの協力を得てこの夏雲システムを使ったネット句会の検討を開始することとしました。これは、BLOG「俳句新空間」・冊子「俳句新空間」の有志による句会として運営したいと考えています。既に30人ほどの方々の登録を頂いており、千寿さんを中心とした数人でシステムの試行を開始しており、順調に進むならば5月ごろには開始したいと思います。よろしくご協力をお願いします。