●はじめに
「豈」62号で「切字と切れ」の特集を組んだ。その中で、川本皓嗣氏が、新しい提案をいくつかあげている。簡単に紹介すると、①芭蕉が愛用した古い切字を復活して表現的・リズム的効果を生かす、②二段切れ三段切れも切字に考えてよい、③季語同様、続々と新しい切字を案出したらよい、④切字のない句も多く作る、である。
もはや、連句がなくなった現在、前句と付け句の区別もないのだから俳句で切字を議論する余地はないと言う考え方もあるが、現在の俳人は3~400年にわたる俳諧時代の遺産を持っているし(俳句から迂遠になればなる程、芭蕉しか知らない国民が増えるはずである)、現代俳句がどれほど発展しようと遂に芭蕉を超えることはできないわけであるから、頭の片隅では切字をおいておくことは必要であろう。
その意味で川本氏の提案も無視できないところがある。もちろんこのうち、④「切字のない句も多く作る」、は切字否定論であるから当面ここでは措いておくことにする。そうすると、古い切字の再発見、新しい切字の開拓を勧める主張ということになる。
同じ特集号で、仁平勝が「古い切字も、切れを生むための修辞でなく異化効果を狙うものと考えている。」と言っていたが、それは一つの解釈であって議論の最初からそう決める必要もない。我々が知らない全然別の理由も留保しておくべきだからだ。
川本説の興味深いことは、〈前句が短歌の一部でなく、独立した詩歌だと認識させるためには、前句と下句の間に切断が必要となり、そのために「かな」という語――切字が重用されるようになった〉という前提を排除して、ともかく切字というものが歴史的に存在したが、それがどういう理念を持つかは別としていろいろに変形させることが有り得ると考えていることだ。切字にもはや切れは不必要になった、しかし得体の知れない切字がこれからも起こってよいだろうというのである。
* *
こうした考え方を私は「動態的切字論」と呼びたいと考える。従来の切字のあるべき論(発句は切れなければならない、等という主張)を静態的切字論と呼ぶとすれば、未来に向って切字は変化し続けるだろうという考え方なのである。この考え方のすぐれているのは、『八雲御抄』から始って、連歌へ、そして俳諧へ、芭蕉へ、そして更には現代俳句へといくらでも発展できると言うことである(もっとも動態的になると、ことさら切字論と呼ぶ必要もないのであるが・・)。
ただこうした新切字の提案には、①切字の範囲がどこまでであったのかを確定し、②切字から外れていたものは何であったかを確認し、③この外れていたものが切字に拡張し始めたことを確認するという作業が必要である。
●切字の確定
動態的切字論では、まず、切字の範囲を確認することが必要である。高山の『切字と切れ』は論争書であるから、必要な素材は逐次引用しているが、無味乾燥な素材の一挙羅列、比較は行っていない。その意味では、高山が批判している浅野信の『切字の研究』の方がこの目的には便利である。
『切字の研究』や岩波文庫『連歌論集』を使って、切字の推移を抜粋してみる。最初期の切字資料は、順徳院『八雲御抄』、二条良基『連理秘抄』・撃蒙抄』と言うことができるであろう、切字の原書が伺える。ただ、ここではまだ数語しか切字は挙げられていない。次に第2期として、梵灯庵『長短抄』、宗砌『密伝抄』をあげ、第3期として連歌における切字のほぼ完成した里村紹巴『至宝抄』、専順『専順法眼之詞秘之事』を上げておくことにしよう。この第2,第3期では10語以上の切字が提示されるようになる。特に専順法眼之詞秘之事ではその後の定説となる「切字18種」が生まれたからである。
必ずしも上げられた名前の有名作家が執筆したとは言えないものも混じるが、一応その権威が信じられていたと見て紹介する。不徹底な方法だが、逆に言えばこれ以上に信頼できる充分な切字の数を確認できないからである。少なくとも江戸時代には、これらの伝書が切字に関して何らかの影響を持ったと言えるだろう。
以下では、著者(仮託者も含む)名、書名、含まれる切れ字数、本文を掲げることとする。本文で、判明しがたい切字は「」を付した。
1)初期伝書
①[順徳院・八雲御抄] 2語
発句は必ず言い切るべし。なにの、なには、なにをなどとはせぬことなり。「かな」共、「べし」共、また春霞、秋の風などの体にすべし。
②[二条良基・連理秘抄]確認済み 6語(ただし、品詞としてはけり・けれ重複)
発句は最大事の物なり。・・・「かな」・「けり」常の事なり、このほか、「なし」・「けれ」・「なれ」・「らん」、また常に見ゆ。
[注]「けれ」→「けり」、「なれ」→「なり」と扱った。「なし」(形容詞又は補助形容詞)は撃蒙抄で例示がある。
2)中期伝書
③[梵灯庵主(浅山師綱)・長短抄]12語(含むセイバイ)
発句の切字
かな・けり・ぞ・か・し(「かし」の部分)・や・ぬ・(セイバイ)・む・す(ず)・よ・けれ(「けり」と重複)。
[注]セイバイは命令形。
④[宗砌(高山時重)・密伝抄①] 15語
連歌の大事、三百五十九ヶ条の内、然りと雖もてにはに過ぎたる大事なし。てにはの詞五十一、切てには十三、追而二、已上十五、「かな」・「けり」・「らむ」・「や」・「ぞ」・「せむ」・「けん」・「そ」・「こそ」・「れ」・「ぬ」・「よ」・「す」・「な」・「き」。
3)後期伝書
⑤[伝専順・専順法眼之詞秘之事]18語(下知4語あり)
一、発句切字十八之事
かな、けり、もかな、らむ、し、そ(ぞ)、か、よ、せ、や、つ、れ、ぬ、す(ず)、に、へ、け、し(じ)、
⑥[里村紹巴・至宝抄]23語(下知を1語とする)
かな、や、し、ぞ、か、もなし、もがな、けり、ぬ、し(じ)、む、を、さぞ、いさ、よ、いつ、いかで、いづれ、いく、こそ、ば、下知
[注]「下知」は命令形。
さてこのように眺めたが、実は同じ著者の本にあっても切字は合致しない。次に掲げた事項は上記の同じ著者の著書とは、切字の数も内容も必ずしも合致しない。特に紹巴『至宝抄』と『連歌教訓』は別人が書いた程相違がある。実はこれには、「表に見えぬ切字は口伝あり」とあるように口伝問題がかかわってきている。一見すると、大事な部分は口伝で伝えることのようにも見えるが、実は全逆なのである。抑も口伝は、詩歌や芸事に始ったものではなく、大陸から導入された密教が前提としていたものであり、時代を追って「十二口伝」と言われるような詳細な口伝の方式が定められ、口伝を前提にしてテクストが作られていたのである。テクストがあって口伝があるわけではない。だから、抑も西欧の学問方式や後世のテクストクリークの成り立たない世界なのである。
②ー2[二条良基・撃蒙抄]5語(ただし、品詞としてはけり・けれ重複)
発句の体さまざまなるべし。「かな」・「けり」常は用べし。の事なり、このほか、「らん」・「けれ」・「つれ」など時にまた見ゆ。
[注]追加の「つれ」(→「つ」と扱う)。
④ー2[宗砌・密伝抄②(密伝抄後段で再度切字に言及している例)] 5語
発句の切れたると申すは、「かな」・「けり」・「や」・「ぞ」・「な」・「し」、何等申すほかに、なにとも申し候はで、五文字にて切れ候ふ発句、―――是は五文字の内にて申す子細候ふ。
[注]密伝抄②は密伝抄①に包含される。
⑥ー2[里村紹巴・連歌教訓]
かな、もや、や、ぞ、つ、か、き、なめり、けり、ぬ、もなし、はなし、し、し(じ)、いく、いさ、めや、なれや、やは、かは、らし、なれ、らん、、下知(け、よ、へ、せめ)
[注]『連歌教訓』と『至宝抄』の異動
(至宝抄から削除)もがな、む、を、さぞ、よ、いつ、いかで、いづれ、こそ、ば、
(連歌教訓に追加)もや、つ、き、なめり、はなし、めや、なれや、やは、かは、らし、なれ、らん、下知(け、よ、へ、せめ)
これら中世の連歌の切字を受け継ぎながらも江戸期の誹諧・俳諧ではよほど風通しが良くなったが、逆に悪い面が生まれた。ジャーナリステックにするために切字の数を争ったり、俳句の知識の乏しい売文家が濫造したり、俳句作法書の質は下落している。こうした江戸期の切字については、浅野『切字の研究』では、正風以前までの例をあげており、総攬するのには便利である
(浅野から見ると、芭蕉は四十八字皆切字なりと言った程当時にあっては革新的であったから、ここを以て「切字精神」史は完成したと見てよく、浅野はもはや芭蕉以後の切字資料の研究には熱心でないようである)。以下では、『切字の研究』により書名と切字数だけを示す。当面これで足りると思われるからである。なおついでながら、浅野の推奨する『白砂人集』『袖珍抄』も加えてあるが、これは浅野の切字=和歌発生説に叶うためである。
『埋木』 28+下知9*誹諧埋木
『誹道手松明』 32+下知*
『をだまき綱目』 48+下知9*誹諧をだまき
『新式大成』 39+下知8*俳諧大成新式
『真木柱』 56+下知9*
『暁山集』 18*
*
『白砂人集』 22+下知
『袖珍抄』 20附加5+下知
(*は角川書店『俳句文学大辞典』の掲載の有無と名称)
動態的切字論のベースとなる切字一覧については、里村紹巴『至宝抄』以下の例としては、北村季吟『埋木』と、浅野は上げていないが、藍亭青藍『増補俳諧歳時記栞草』を上げておきたい。季吟『埋木』は江戸時代の初期の貞門作法書としてこれを代表させたいと思うし、青藍『増補俳諧歳時記栞草』の付録はこの歳時記が明治以降もさまざまな出版社から復刻されて、よく知られていたからである(岩波文庫『増補俳諧歳時記栞草』解説(堀切実)参照)。また参考に、高山がもっとも切字数が多いと上げている挙堂『真木柱』を挙げておく。
⑦[北村季吟・埋木]28語+下知9
発句乃切字
かな、も哉、けり、けりな、む、し、もなし、そ、さそな、かしな、か、や、やは、かは、こそ、なり、いさ、いかに、いつれ、いつこ、いつ、なに、なと、いく、誰、つ、ぬ、よ、下知(れ、よ、な、へ、そ、け、や、せ、め)
⑧[藍亭青藍・増補俳諧歳時記栞草]40語+下知
や、かな・かも、もがな・てしがな、し(き)、し(たし)、ぬ(否定)、ぬ(完了)、つ、下知、か、ゆ、よ、ぞ、ぞ(係助詞)、なそ、こそ、なん、ん、らん、らし・けらし、まし、まじ、な、を、べし、たり、けり、あり、かし、やは、
いかに、いづれ、いづこ、いづら、いかが、何、いく、誰、さぞ、いさ
⑨[挙堂・真木柱]56語+下知9
哉、もがな、けり、成けり、けりな、む、らむ、し(形容詞、まし、じ)、ず、き、候、がもな、ぞ、さそな(さぞな)、か、か(が)、れり、めり、たり、もなし、はなし、けらし、ならし、かは、やは、こそ、やら、なり、ぬ、いかに、いかむ、いか、いかで、いかにせん、いかがせん、なに、なんと、など、どこ、いづこ、いづち、いづく、いつら、いつ、いづれ、誰、いく、かも、さそ、いさ、いざ、つ、よ、な、せ、や、下知(よ、れ、な、へ、そ、け、て、せ、め)
【訂正】前号で、「高山れおなは、芭蕉以後には基底部と干渉部の構造が当てはまるものは多くなく、特に現代俳句ではそれが主調となっていると言う。」と書いたのに対して、「(基底部・干渉部説については)誓子や素十の句がそれで読めるのかというような言い方で疑問を呈していたはず。また、芭蕉は例外的な作者だから、芭蕉を材料にして俳句一般を規定することには慎重であるべきだとも言ったかと思います。」と返事が来ました。たぶんはみ出した分は、高山発言に対して私が包括して書いた感想になると思います。