2019年11月29日金曜日

【連載】寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉔  のどか 

第3章 戦後70年を経ての抑留俳句

Ⅵ 百瀬石涛子(せきとうし)さんの場合(4)
【百瀬石涛子著『俘虜語り』を読む】‐その2

*は、インタビューをもとにした、筆者文。

2 蛇の眼窩・夏のペチカ
  存念の蛇の眼窩の深みどり(蛇の眼窩)
*章のタイトルとなっているこの句を読んで、はっとした。存念の蛇の眼窩とは、ただ普通に死んだ蛇の骸を見ているのではなく、死んで暫く経ち干からびた状態をみているのだ。眼窩とは、眼を収める窪みのことであるが、この句では、生気を失った眼と痩せて窪んだ眼窩を含めたものと感じた。石涛子さんの眼にはかつて帰還を待たず、栄養失調や感染症や寒さで先に逝った、戦友の落ち窪んだ眼窩ややつれた頬骨に重なるのである。

  吾亦紅むかし門閥言はれけり(蛇の眼窩)
*帰国後国鉄に就職し電車のバッテリーを保全する仕事をした。当時労働調整と言った赤狩り(レッドパージ)により、シベリア帰りを首にした。石涛子さんもシベリア帰りということで、25歳で首になった。この出来事は、本当に悔しかったと石涛子さんは語った。
 お国のためにいつも誠実に懸命に生きてきたのに、シベリア帰りであるということで、レッドパージの対象となり、国鉄を辞めざるをえなかった。吾亦紅の赤がレッドパージを象徴し、風に吹かれるのを見るたびに世間の無常を感じるのである。

  捕虜収容所(ラーゲリ)の歳月はるか鳥渡る(蛇の眼窩)
*今年もシベリアから鳥の渡る季節になった、歳月は過ぎれども捕虜収容所で過ごした日々は忘れない。

  鳥渡るシベリアにわれ死なざりし(夏のペチカ)
*鳥の渡ってくる、北の空を眺めるたびに、シベリアから生きて還ったことを思い、「われ死なざりし」の気持ちの中には、過酷な抑留生活のなかで生き残ってしまったという、罪悪感が秘められている。

3 ナホトカ・夏のペチカ・寒極光
  抑留の一歩となりし氷河渡河(寒極光)
*インタビューから、1945(昭和20)年8月、満州昌図、現在の中華人民共和国遼寧省で終戦を知らされ、武装解除を受けた。終戦の知らせを受け武装解除の準備をして、ソ連軍の来るのを待ったが、いつ頃ソ連軍が来たのかは覚えていないと言う。
 ソ連軍が来て私物接収をされソ連国境を流れる川が凍るのを待って、松花江・黒竜江を橇でソ連に渡った。未凍結の河に足を滑らせ死んで行った日本兵の死体を幾体も見ながら。中にはその遺体から衣類を剥ぐものもいた。まさに三途の川の辺に居る奪衣婆(だつえば)である。その時は、戦争が終わったのだから日本に帰れると思っていた。帰還(ダモイ)の言葉を信じていたのだ。

  収容所(ラーゲリ)の私物接収霏々と雪(寒極光)
*収容所では、71連発できる銃を持つソ連兵に腕時計などの私物を奪われた。バイカル湖は凍りつき、雪は霏々と降り続くのである。

  バイカルの凍湖さ走る雲の形(寒極光)
*十月に入るとロシア各地は、氷点下10度を下回り、バイカル湖も凍結し始め本格的な冬の到来である。空を行く雲も厚く次第に雪雲に変わる。

  伐採のノルマ完了眉氷る(寒極光)
*石涛子さんは、ウラノデ収容所で主に伐採の仕事をしたという。伐採の仕事は大地が凍結し材木の移動が容易になる冬に行われることが、多かったと言う。マイナス四十度のシベリアでは、水分すべてが凍り付く。ノルマが完了するころには、自分の吐く息に眉毛も凍り付いてしまうのである。

  寒林を伐採の俘虜声忘れ(寒極光)
*朝の点呼が終わると伐採の作業地まで、2~3キロメートルを徒歩で向かう、1日のノルマが終わるまでは、作業は終わらない。2人1組で切り倒した木の枝を払い、一本が何百キロもある木を何トンも運び台車に乗せる。作業が終わるころには誰も口を利くものは居なくなる。

  伐採のノルマの難き白夜の地(寒極光)
*ソ連はあらゆる作業にそれぞれのノルマを課した。基準をこなせば決められた量の食糧が支給され達成出来なければ、食料は減らされた。美しい白夜の日で有っても、ノルマが達成しなければ仕事は続く。終戦を迎えた年は20歳で、ロシア語を必死で覚えた。言葉を覚え現場監督と仲良くすることも仕事の一つだと考えた。スプラスカという成績表の点数を上げてもらうために。他の班が50点のところを常に75点の評価を貰い、羨ましがられた。与えられたノルマの成果が上がるように、常に心を砕いた。

  ノルマ果つ軍褌虱汗まみれ(寒極光)
*ノルマが終れば、褌ばかりか虱まで汗まみれだというのである。収容所に帰ってまずすることは虱とり。虱は、寒さで死ぬことは無く洋服の縫い目にびっしりと食い込み、白樺の木でこそげ捕るほどであった。

  捕り棄つる虱凍雪には死なず(寒極光)
*虱は発疹チフスを媒介する。衣類の縫い目に潜み、血を吸われると猛烈な痒みに襲われる。虱はマイナス40度を超える凍てた雪の上でも死ぬことはない。

  ペーチカに虱ぱらぱら焼き殺す(寒極光)
*虱は、ペチカで焼いても間に合わないくらいだったと。かゆみも眠りを妨げ精神的な消耗を増す原因にもなった。

  木の根開く異国の丘の生き競らべ(寒極光)
*「木の根開く」は、春になって立ち木の周りの雪がいち早く空き始める、雪国の春を告げる現象で、木の周りに土がのぞくと春が足早にやって来ることをいう、シベリアの地では、「木の根開く」季節がひとしお待たれたのである。
  収容所(ラーゲリ)での話は、もっぱら故郷の郷土料理や母の手料理の事で有った。そして、木の根の開く季節は、飢えをしのいで生き延びるため、腹をわずかながら満たせる季節となる。異国の丘で明日をも知れぬ自分の寿命との生き競らべである。
(つづく)
句集『俘虜語り』百瀬石涛子著 花神社 平成29年4月20日

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