2019年4月26日金曜日

第112号

※次回更新 5/10

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」

筑紫磐井編        》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

歳旦帖
第一(3/15)山本敏倖・曾根 毅・松下カロ・小野裕三
第二(3/22)仙田洋子・神谷 波・岸本尚毅・堀本 吟
第三(3/29)飯田冬眞・辻村麻乃・夏木久・杉山久子
第四(4/5)小沢麻結・真矢ひろみ・浅沼 璞・渡邉美保
第五(4/12)坂間恒子・田中葉月・木村オサム・乾 草川
第六(4/19)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子
第七(4/26)ふけとしこ・井口時男・前北かおる・水岩瞳

■連載

【抜粋】〈「俳句四季」5月号〉俳壇観測196
金子兜太の日記と回想——「海程」と「狼」はこう生まれた  筑紫磐井》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑩ のどか  》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
2 俳句における静かな飛翔〜〜/一門彰子 》読む

麻乃第2句集『るん』を読みたい
インデックスページ    》読む
13  『るん』句集を読んで/歌代美遥  》読む

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
7 佐藤りえ句集『景色』/西村麒麟  》読む

葉月第1句集『子音』を読みたい 
7 生真面目なファンタジー 俳人田中葉月のいま、未来/足立 攝  》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む

句集歌集逍遙  山田耕司『不純』高山れおな『冬の旅、夏の夢』/佐藤りえ  》読む


■Recent entries

「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」アルバム

※壇上全体・会場風景写真を追加しました(12/28)

【100号記念】特集『俳句帖五句選』


眠兎第1句集『御意』を読みたい
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麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ    》読む
10.『鴨』――その付合的注釈   浅沼 璞  》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
インデックスページ    》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事  》見てみる

およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
4月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む  》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子





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「兜太 TOTA」第2号
Amazon藤原書店などで好評発売中

筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

【抜粋】〈「俳句四季」5月号〉俳壇観測196 金子兜太の日記と回想——「海程」と「狼」はこう生まれた      筑紫磐井

●『金子兜太戦後俳句日記』
 兜太がなくなった後もいくつもの話題が生まれている。
まず兜太の一周忌に合わせ、『金子兜太戦後俳句日記1』(平成三一年二月白水社)が刊行された。兜太は昭和三二年から晩年まで、六〇年という長期間にわたり日記をつけている。金子兜太が戦後俳句の中心にいたことを思えばこれほど貴重な記録はないはずである。戦後俳句史はこの日記によって書きかえられるはずだ。
 例えば兜太の活動拠点となった「海程」の創刊は昭和三七年四月であるが、この前後の時期に兜太は、造型俳句論の執筆、第二句集『金子兜太句集』刊行、俳人協会の分裂への対応、岡井隆との共著『短詩型文学論』の執筆と八面六臂の活躍をしている。それらが相互に絡み合って、複雑な人間関係を知ることが出来るのも貴重である。
 いずれまとめた話題となるであろうがここでは、「海程」創刊の経緯を中心に眺めてみよう。契機は、日記に拠れば一年ほど前になる。

五月十五日(月)曇、晴
 昼、赤尾[兜子]氏から電話。神戸からわざわざかけてくれる。小生が「縄」「十七音」のキャップになるという噂があるとのことだが真偽如何、というわけ。雑誌を出すべき時期にきていると判断されるが、方法に迷っていること、意見をきゝたい、とこたえる。(以下略)

 まだ積極的な「海程」創刊の準備ではない。ここから次第に醸成されていくのである。

九月四日(月)晴
 昼、塚崎くん[角川書店俳句編集長]と話した結果、雑誌の構想を得る。もうこれしかないと思い、皆子にも話したところ、どうもいままでのは小さすぎると思っていました、と賛成してくれる。プランは、全国の同人グループと結社内の同志向の人を結集する、大同人誌を出すこと。そのため編輯同人に、堀、赤尾、和地、田川、隈、北、それに出来れば島津を加え、各地を担当してもらう。季刊。誌名は「創原」ではどうかと思ったりする。六〇名くらいあつめたい。塚崎氏も、「後はあなたの政治力ですよ」という。情熱を傾けてみたい。何か今度こそやり甲斐のあることのように思う。

 「創原」という誌名は面白い。いずれにしろ、この間さまざまな人の意見が寄せられ、主宰誌、個人誌等いろいろな形態を検討する。面白いのは、豪放磊落な兜太らしくないうじうじとした思慮が続くことである。

十月二十三日(月)雨
 雑誌のことをしきりに考えている。自信がない。はたして売れるか集るか、と不安。自分に対する人気というものが、客観的なものにすぎず、いざとなると、おそれをなすか、むずかしすぎるとして敬遠されるかするのではないかと思う。また思うことによって、純度を失うことも心配。なんとも、もやもやしたこの頃で、同人の幾人かの未回答、伊勢崎や熊谷からの返事もないことなど、みな気になる。
(以下略)

※詳しくは「俳句四季」5月号をお読み下さい。

寒極光・虜囚の詠〜シベリア抑留体験者の俳句を読む〜⑩ のどか

第2章‐シベリア抑留俳句を読む
Ⅱ小田 保さんの場合(2)
 
   ナホトカ
 降ろされて焚くものもなし不凍港
*厳冬のナホトカ港に降り立った小田さんたち日本兵は、木や草を焚いて暖を取ることもままならず、足踏みをしながら放り込まれた運命におののいたのである。
 『シベリヤ俘虜記』P.170から、小田さんは昭和20年12月「ダモイ東京の夢を満載して、ソ連船は北千島を離れた。乗船後、数時間は、自称日本軍輸送司令官の指令が伝わってきたが、間もなくつぶされた。
 そして、続シベリヤ俘虜記P.58には、昭和20年12月9日ナホトカに着いたとある。

 捕虜われを拒否する凍土掘る手なし
*捕虜である私たち抑留兵を凍り付いてコンクリートのように固い土が拒否する。土を溶かすための焚火の草木も無かった。土は、非情にも金梃(ローム)を跳ね返す。ノルマが果たせなければ、懲罰食(減食)が待っている、捕虜の身の弱さをつくづく噛みしめるのである。

 自動小銃(マンドリン)抱くソ連兵より露語盗む
*小田さんはシベリアで捕虜として暮らすために、ロシア語の理解が必要だと考え、その言葉を監視兵との冗談などのコミュニケーションや作業場の老監督からせしめた「初等露英教科書」から習得したというのである。平和祈念展示資料館で抑留体験を語った方たちも作業のノルマの交渉に中国語やロシア語を覚えたと話している。部下をまとめていく立場でロシア語の習得は、その日のノルマの交渉、食料改善の要望のために、不可欠であった。

 襟章もがれ雪の華咲く防寒帽
*武装解除のときに日本軍の階級を示す襟章は取り上げられた。日本の軍人としての誇りは踏みにじられたが、代わりに防寒帽に雪の華が咲いていた。どの兵士の防寒帽にも平等に雪の華は咲いたのである。
 
 抱く屍まだぬくみあり雪やまず(続・シベリヤ俘虜記)
*シベリヤ抑留において、一年目の冬に飢えによる栄養失調と寒さとダニによる発疹チフスなどによって次々に同朋が亡くなった。作業中突然倒れた友を抱きかかえれば、まだぬくもりがある。呼びかけても、呼びかけても返事はもうない。声をかき消すように雪はどんどん降り積もっていく。
  
 厳冬(マローズ)へ飢えて郷愁のまなこ満ち
 俘虜死んで置いた眼鏡に故国(くに)凍る(続・シベリヤ俘虜記)
*眠っている間に死んだのだろうか、枕元に置かれた眼鏡は、霜で凍り付いている。それはまるで、夢見る故郷まで凍らせてしまっているようである。
同じ部隊で戦い、厳冬の夜は故郷の雑煮の事、牡丹餅のことなどを語り合った仲間である。

 結氷の砕(わ)れるある夜の脱走者
*ある夜すべての結氷を打ち砕くような銃声が鳴り響いた。脱走兵か。
抑留体験者の話では、ラーゲリ(収容所)に入った時に「絶対に逃亡するな。凍死をするから。」と言われたそうである。ラーゲリ(収容所)の四方には、監視塔がありガンボーイが21連発のマンドリンを持って見張っている。熱があって水を飲みたいため雪を取りにゆき、鉄条網の近くにうっかり近づき、銃殺された例もあったという。

 雪割草頭をだしくずれゆく階級  
 万葉集もつことも反動スウチャンへ
 シベリヤ鉄道果てなく西へ俘虜二人
  ※スウチャン=ウラジオストックから120キロメートル離れた奥地
*雪割草が雪を溶かし角ぐむころに、民主化運動により、旧日本軍の階級は崩れていった。日本への帰還船の出るウラジオストクまで行き、仲間はみんな帰還していった。しかし、帰還とならず仲間を見送る小田さんの落胆はとても深かったと思う。収容所で盛んになっていた、民主化運動の影響により、万葉集を持っているという理由で、仲間から密告され吊るし上げにあった。ウラジオストクから120キロメートルも奥地のスウチャンヘ送られることになった口惜しさや絶望感は、言葉で表すことはできない。

 入ソ二年目の冬を間近に帰還が始まった、しかし小田氏は、そのときに帰還とはならず、同じ作業班の一人の友と一緒に、元将校・憲兵・警察官ら150名と共にナホトカからウラジヲストックへ転送され、一緒だった友も昭和22年12月には帰還し、小田さんは石切山の指揮官(カマンジール)として取り残された。句の背景として、『続・シベリヤ俘虜記』P.62を引用する。

石切山で苦労をした豊田も、22年12月には帰還、私ひとりが帰還に乗りおくれたやけっぱちの新顔ばかりを率いて、ウラジオの第10分所に移った。ここでの民主運動は頂点をきわめていた。元下級将校を階級闘争の仮想敵とする策謀もあったのである。彼らが狙った小田は「反動も帰れるといった」「万葉集も持っている」と密告された。私が中隊の夜の集会で吊るし上げられた、その翌朝の集会で人民裁判にかけられた若い男と2人、炭鉱の町、アルチョム第12分所に拉致されたのである。(『続・シベリヤ俘虜記〜抑留俳句選集〜』小田保編 双弓舎 平成元年8月15日)
(つづく)
参考文献
『シベリヤ俘虜記〜抑留俳句選集〜』小田保編 双弓舎 昭和60年4月1日
『続・シベリヤ俘虜記〜抑留俳句選集〜』小田保編 双弓舎 平成元年8月15日

【渡邉美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい】② 俳句における静かな飛翔〜〜 一門彰子

 渡邉美保さんとは月に1度句会でお会いする。私はたいてい彼女の斜め前辺りに着席するものだから、当然ながら彼女がよく見える。句会での彼女は大変お行儀がよい。退屈な表情を見たことがない。句稿を熱心に読み、静かな声で意見を述べられる。ところが、そんな彼女にして、思いも掛けない「静かでない俳句」が飛び出すから面白い。そのような俳句を、ここで探ってゆきたいのである。

  けむり茸踏んで花野のど真ん中

 けむり茸は熟すと頂端の小孔から煙のように胞子を吹き出す。それが煙茸の自然界における営みであるにも関わらず、作者は煙茸を見つけたとたん、多分、煙茸を見つけたことが余程嬉しかったのであろう、わざわざ意識的に煙茸を踏ん付けた。当然ながら煙茸からは胞子が煙のように噴出したのである。その行為が人知れず花野の片隅でのことならばそれはそれでよい。よくあることだ。しかし揚句には、「花野のど真ん中」とある。そこが曲者で、この句の大いに面白いところだ。ど真ん中だったからこそ踏ん付けた。人間心理が働いている。人間の心に潜む「暗とも、明とも」を十分に知っている作者である。しかし、その煙に、作者が浦島太郎にならなくて、ああ、よかった。「けむり」のひらがな表記がしっかり生きている。因みに、第29回俳壇賞30句中の一句である。

 ががんぼに言ひ寄られけり夜のトイレ
 
 夜のトイレでががんぼに出会った作者。夜のトイレにががんぼが居てもなんら珍しいことではないのだが、作者にはそれが意外の出来事であった。なぜならば、驚くなかれ、ががんぼが作者に言い寄ったのである。言い寄るとは普通、求愛することに他ならない。ががんぼが作者の何処かに止まりに来たのであろう。それを直ちに求愛されたと表現する作者は、求愛したががんぼと同様、非常に飛んでいる。この句は、ががんぼとの夏の一夜の恋を書きとめた「恋の日誌」である。これほどあっけらかんとして幸せな俳句が他にあるだろうか。

 日記買ふついでにニッキ飴を買ふ

 「来年の日記を買ったついでにニッキ飴を買ったのよ」と言われて、「それがどうした?」と言ってはいけない。相手は俳人なのである。「おもしろい、来年はきっと良い年になりそう」と応じるべし。揚句には来年へ向っての明るい展望がひらけているのである。この句の楽し気なリズムがそれを証明している。句集『櫛買ひに』には佳句秀句がずらりと並んでいる。この一句、その中にあっては、さらりと読み流されがちな句かもしれない。しかし、よくよく作者の声を聞こう。作者はたった17音の中で、又17音であるからこそ効果的であるのだが、伸びやかにリズムと遊び、跳ねているのである。飛んで、飛んで、飛んで、17音の恩恵を我が物にしているのだ。
 
 白粉花の種とつてより片頭痛

 この句も日記買ふついでにニッキ飴を買ふと同様、さらりと読み流されがちな句かもしれない。が、ここでも作者の声を聞こう。作者は白粉花の種をとったから片頭痛が起こったのだと言っている。では、その時、白粉花の種をとらなかったら片頭痛は起きなかったのだろうか。そう、片頭痛は起きなかったのである。と、作者は言っている。悪いのは白粉花なのである……。不思議な責任の転嫁ではあるが、そこが人間の心理を突いているのだ。そうしてこの転嫁、日常的によくある事なのだ。作者のペン先は鋭い。

 建国記念日馬の前脚後脚

 『櫛買ひに』中、最も大胆な句であろうか。人間には前脚後脚と言えるものはなく、覚束無くも2本の足で歩きつつ、考えつつ暮している。と思えば、馬の前脚と後脚の計4脚の頼もしさには一寸した憧れを抱く。その上に美しいとくれば猶更である。建国記念日、作者は馬の逞しい疾走を見たのであろうか。その美しさは他に類を見ない、と思ったか。その「美」こそが建国の精神である、と思ったか。大胆な発想でありながら、実に的を得ているのだ。その発想に尻込みせずに一句に認め、句集に収められた潔さに私は感動する。

 柿剥いて明日はちやんとするつもり

この句の神経の太さに喝采する。神経の太さと、こまやかさを兼ね備えた魅力的な作者が居る。

 烏瓜灯しかの世へ櫛買ひに
  
 句集の題名は揚句に因む。彼女の回りに居る誰しもが、好きな句として1票を投じる完成度の高い句である。句意は一読して容易に理解出来る。読後、烏瓜の赤色が眼に沁みる。その明かりを心の灯火としてかの世へ櫛を買いに……。果して誰が…亡き人への鎮魂の詩とも受け取れるであろう。その人はかの世へ一寸櫛を買いに行っているだけ、待っていれば直にこの世へ帰って来るはずなのだ…しかし、この読みはあまりにも淋しい。…作者自身がかの世まで出掛けて櫛を買いに行って来た。そして何事もなくその櫛で夜の髪を梳いている。それも澄ました顔をして。かの世はすぐそこにあり、この世は今ここにある。それ程遠い距離でもない。この世、かの世、という重いテーマを重くれになることなく、軽やかなフットワークで書き上げた1句である。美保さんは、何にこだわることもなく自由に詩の世界を行き来する、又それを表現し得る技量を持った俳人である。
 
 『櫛買ひに』は作者自選の句集である故に、一読者としては親しみ易く、又作者への興味深い面を多く発見出来たように思える。

2019年4月12日金曜日

第111号

※次回更新 4/26

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」

筑紫磐井編        》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

歳旦帖
第一(3/15)山本敏倖・曾根 毅・松下カロ・小野裕三
第二(3/22)仙田洋子・神谷 波・岸本尚毅・堀本 吟
第三(3/29)飯田冬眞・辻村麻乃・夏木久・杉山久子
第四(4/5)小沢麻結・真矢ひろみ・浅沼 璞・渡邉美保
第五(4/12)坂間恒子・田中葉月・木村オサム・乾 草川

■連載

〔新連載〕渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
1 「櫛」に纏わるこもごも/嵯峨根鈴子  》読む

麻乃第2句集『るん』を読みたい
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13  『るん』句集を読んで/歌代美遥  》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑨ のどか  》読む

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
7 佐藤りえ句集『景色』/西村麒麟  》読む

【抜粋】〈「俳句四季」4月号〉俳壇観測195
俳人協会評論賞のあり方 ――句作ではない俳人の活動を振興するためには  筑紫磐井》読む

葉月第1句集『子音』を読みたい 
7 生真面目なファンタジー 俳人田中葉月のいま、未来/足立 攝  》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む

句集歌集逍遙  山田耕司『不純』高山れおな『冬の旅、夏の夢』/佐藤りえ  》読む


■Recent entries

「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」アルバム

※壇上全体・会場風景写真を追加しました(12/28)

【100号記念】特集『俳句帖五句選』


眠兎第1句集『御意』を読みたい
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麒麟第2句集『鴨』を読みたい
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10.『鴨』――その付合的注釈   浅沼 璞  》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
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「WEP俳句通信」 抜粋記事  》見てみる

およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
4月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む  》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子



「俳句新空間」発売中! 購入は邑書林まで


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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

〔新連載〕渡邉美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい① 「櫛」に纏わるこもごも 嵯峨根鈴子

 烏瓜灯しかの世へ櫛買ひに      渡邉美保
  
 句集名となった一句である。烏瓜を灯して死後の世界へ櫛を買いに行くと言うのだ。櫛を買うと言う瑣末な日常の行為でありながら、何か時代がかったドラマの一場にも思えるのはなぜだろう。まず「烏瓜灯し」は異界への入り口であり、すんなりと読者は異界に運ばれてしまう。「櫛」とは、艶やかな烏瓜の実の色で女性の若さの象徴としてシンポリックに描かれている。果たして櫛は手に出来たのだろうか。
 ここで、中村苑子の「春の日やあの世この世と馬車を駆り」を思い浮かべた。「春の日や」とおおらかでゆったりとした春の一日が一句全体を覆っている。馬車だと言うにもかかわらず、まるで四輪駆動車の動きのようにスピード感にあふれていて現代的だ。あの世もこの世も作者にとっては同じ春の一日と言うことなのだろう。もう一句、中村苑子の「黄泉に来てまだ髪梳くは寂しけれ」に登場していただこう。髪を梳くとは女の性と若さを強く意識させる行為である。黄泉に来てさえまだ髪を梳くとは、女を捨てきれないことを寂しいと言いながら、情念を突き放したかのような一種の諦観と安らぎが読み取れる。これらの句をふまえての渡邉美保の「櫛」なのではないかと思えた。

 さて、渡邉美保さんの俳句の原風景は天草の自然と生活にあるようだ。初期の作品は、俳句という手段を手にした喜びと瑞々しさにあふれている。

 風花や島の突端まで歩く
 土に釘つきさす遊び桃の花
 えごの花水面に鯉の口動く
 明易の海を見てゐる帰郷かな
 朝涼や草色の糞落とす馬
 山積みの二百十日のバナナかな
 島の端に鉄屑の山十三夜
 金柑に山羊繋ぎある日向かな
 足裏の砂崩れゆく盆の波


 普段何気なく目にしているものたちとの新しい切り口による新鮮な出会いは、静かな波動となって美保さんを満たしていったことだろう。俳句の原形として天草の島とその生活実感が揺らぎなくある、手触り感のある句群である。これだけでも俳句の恩寵に与ったと言えるのではなかろうか。しかし、そこからどれだけ離れられるかというのが、筆者の場合は常に立ちはだかるものとしてあるのだが。美保さんはどうなんだろう。

 目合はさぬ母の横顔十三夜
 なんとなく拗ねてゐる母着ぶくれて


 「目合わさぬ母」と「十三夜」という日本独特のシックな美意識の季語、この取り合わせの落差が面白い。「なんとなく拗ねている母」は「着ぶくれて」ますます膨らんで不機嫌さが募ってゆきそうだ。筆者の場合、母を詠むには少々勇気がいる。特に母娘の間柄というものは、どんなに幸せ親子に見えてもどこか屈折したものが溜まっているものだと思う。母と娘の接触は清く淡白にとはいかないのだ。

 痒さうな鶏頭の種とつてやる
 けむり茸踏んで花野のど真ん中
 穴惑ひ武具甲冑は蔵の中
 鰭酒や身内に虫を養うて
 山火迅しあとさきになる人のこゑ
 すかんぽの中のすつぱき空気かな
 山羊小屋の昼は眠たし踊子草
 拾ひたる昼の蛍を裏返す


 「けむり茸」の章は、第二十九回俳壇賞受賞作品らしく完成度の高い句が並ぶ。それでいて、作者の気負いもあまりなく自然体が心地よい。

 島ふたつ並んでをりぬあをさ汁
 寄居虫の殻を出たがる脚ばかり
 きのふ鷺けふ少年の立つ水辺
 花びらの中に目覚めしなめくぢり
 島老いて寒風に波突つ走る


 島ふたつを前にしての「あをさ汁」が、意外なようで無理なく味わえる。「寄居虫」の気持ちは作者の気持ちに通じるものだ。「鷺」と「少年」、無意識の同類であり悦楽の感さえある。花びらの中に目覚めた「なめくぢり」とはなんというエロスの発散だろう。 「島老いて」の措辞にはハットさせられた。寒風の天草に思いを馳せ、その未来を想うところに「島老いて」があるのだろう。写生の焦点を自身の内面にも当ててみることで句に奥行が生まれ陰影が濃くなってくる。
    
 サーカス一行箱庭に到着す

 最近のサーカスは、ミラクルイリュージョンサーカス(木下大サーカス)とか言われてエンタテイメント化されているようだが、ここでのサーカス一行はやはりあのウラサビシイ曲馬団の一座でなくてはならない。やっと到着したのが箱庭だったとは。それからテントを張って荷をほどき、猛獣の世話もはじまる。その裏では煮炊きの用意も始まって箱庭はさぞかしぎゅうぎゅう詰めでぎやかなことだろう。すべてがミニチュアで創作されてゆく世界であり、ウラサビシイながらも人の温もりと安寧さえを感じられるのはなぜだろう。これこそ箱庭療法と言えるものなのかもしれない。

 ワルナスビの棘いきいきと半夏雨
 うかうかと泣いてバナナの斑のふえて
    龍淵に潜む卵の特売日
 絵屏風の裏にふくろふ飼ひ馴らす
 ふくろふを啼かせ異類婚姻譚
 海鳴りや布団の中にある昔
 うつぼかづらに誘はれてゐる花の昼
 陽炎や女は太き尾を隠し
 揺れてゐる芥子から順に切られけり
 内部より波の音して浦島草
 明易の蟇掛軸に戻りたる
 かたつむり琵琶湖一周してきたる


 おそらくこれらの句あたりに、原風景を遠く離れた、解き明かせない美保さんの体臭のようなものが潜んでいるのではなかろうか。筆者は提示されたわずか十七文字丸ごと取り込み、再構築したものを再び作者に差し出して見せたいと思う。作者の描きたかったものとの差異にも興味が湧く。

 結社に学び、俳句雑誌の賞を得て俳句の完成度が増してゆく一方、ことばは奥深く探られだし、虚実皮膜の両刃に立ち合い、現世から異界へと自在に遊ぶことを覚え、この世に起こりうるあらゆる不思議や魔が事に背を向けず、矯めつ眇めつ見定め、味わう覚悟を持ちつつある一人の俳人の、二十年の軌跡を見極めることができる一冊であろう。編年体で編まれた句集のよろしさが発揮された自選の第一句集である。


【麻乃第2句集『るん』を読みたい】13 『るん』句集を読んで 歌代美遥

 句集の表紙の絵画的な秀美に感動する。

 美少女からビーナスの美の化身の 女に成長した美しい肢体が、ひかり輝やく日輪を浴びて面洋的な作者自信の妖艶な姿態を「るん」という風の精に身を任せている。
 造物主から放たれジオラマの外側へ楽奏の誘なわれるままに凛と立つ具象画の女性。

  夕焼けを見て無く私の血が泣く

 いずれ主宰としての道を実感しながら、史乃主宰から血族として本質的な俳句の可能性を受け継ぐ。心の揺らぎがあるものの、表紙絵の作者からは主宰から紡ぎ出された智の俳諧を熟成させる誇りを感じられる。
 闇に寝かせた樽でふつふつと発酵を終えたワインのごとく華やかに酔わせるような魅力ががある。

  花篝向かうの街で母が泣く
  雛の目の片方だけが捻れゐて


 『るん』の序文にある筑紫磐井氏の文章では辻村麻乃という作者が童話の中の不思議な少女の様に書かれている。不思議な町に住む異国から越境して入学してくる。日常と違う回路を持っておりノートにきれいな字を書き、どうもこころの国の言葉だけから出来ている国からきたのだろうと思う。

  バタバタと死に際の蟬救へない
  砂利石に骨も混じれる春麗


 もし、砂利石に骨が混じっているのならば人間達はうららうららと骨を踏んでいるのだ。作者はどの場所でその景を眺めているのだろうか。詩の国から越境した作者の真実の普遍性は心の中にあり、万物の生の哀感を心奥に閉じ込め、詩境で葛藤し、それを着実に俳句の知性に表わした。

  カピタンの女郎部屋にも春埃
  窓毎の家族の色や月朧
  囀りや脳が閉ぢたり開いたり
  鞦韆をいくつ漕いだら生き返る
  家ありてなほ寂しからむ春の暮
  泥棒猫てふ女ぴしりと秋袷
  落つるなら谷まで落ちよ冬紅葉


 家族が恋しい、家という矩形が恋しい。求めても求めても空疎な思慕に落ちてゆく。
伝説にも似て鬼気に迫る。序文にある少女は、俗世で何を見たのだろうか、カピタン織の女郎の哀れで美しい姿に化身したのだろうか。
 「るん」の帯文に詩人、岡田隆彦を父に、俳人、岡田史乃を母に、詩歌の世界から生まれて来た作者とあるが、親を越える苦しみは本人が一番理解しているだろう。そして誇りでもあろうと思われる。
 きっぱりと名詞で留め、リズムの崩れを拒否する句の調べが心良い。

  蛇苺血の濃き順に並びをり
  眠るやうに交はるやうに秋の蝶
  老いといふ抗へぬものとろろ汁
  鰯雲何も赦されてはをらぬ
  赤坂は誰の街なる野分後


 限りある生命の中で悲しみは逃げ場を失った少女となる。蛇苺、蝶、とろろ汁、鰯雲とメルヘンな優しい季語が愛別離苦の覚悟を緩和してくれる。色彩の映像の効果の詳悉法が素晴らしい。
 『るん』で見せる俳句は悶悶とした心を美しい季語に託し、読者を納得させるカードを切る事で鮮やかなマジシャンのごとく酔わせる。豊かな俳句の花を咲かせてくれる。
 謙虚という美学は『るん』の主人公には不必要であろう。しかし作者は他人の知らない見えない所で努力をする情熱を渡らせている。そうしながら伝統的俳句を越えようと、見えないものへ視線を探り、気配を感受し、掬いとって宇宙へ心を飛ばしていく。
 ご両親から受け継いだ知性を礎に自身の詩道を深化させ、詩的センスと才能と実力が
『るん』で開花した。このような感動を得られる事は読者のひとりとして嬉ばしい。

  ようばけや老鶯の声跳ね返す
  三峰の摂社ずらりと春の雪
  髭男ざらりと話す夜長かな
  肯定を会話に求めてゐは朱夏
  おお麻乃といふ父探す冬の駅


 句集『プールの底』で、水底から空や宇宙を眺める少女の眼は、その境にある水の表情に超えられない隔りを感じていた。しかし『るん』では成長した蝶のごとく作者の宇宙へ翔びたっている。宇宙へと連なることのできた勝者の俳句の力強さが声となり、表紙の絵にあるビーナスの姿に重なっていくのである。
 例えば桜の花は今、正に今と変化しつづけ同じ形、景を等しくはしない。俳句という文芸は生命を宿したこのような美の一瞬一瞬を切り取ることで風や太陽、さらには宇宙の流れに同化していく、無限の作業である。
 平等と尊敬と情愛の俳の国を誘導する先達として、これから主宰として船の舵を強靭
な力で引っ張っていかんとする覚悟を感じる。

  家族皆元に戻れよ冬オリオン
  木の神も野の神もゐて半夏生

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑨ のどか

第2章‐シベリア抑留俳句を読む

  小田 保さんは、昭和60年に、『シベリヤ俘虜記~抑留俳句選集~(以下『シベリヤ俘虜記』という)』で12人・304句の作品を、平成元年には『続・シベリヤ俘虜記~抑留俳句選集~(以下『続・シベリヤ俘虜記』という)』により欧露における俳句集団のアンソロジーも含め85名・813句の作品をまとめている。本稿では、個人の作品群の中から、それに付された作者の随筆を合わせて紹介して行きたい。   
 『シベリヤ俘虜記』『続・シベリヤ俘虜記』の両方に作品のあるものについては、その両方から句を選抜して鑑賞した。なお、筆者の鑑賞部分には、*マークを付し、引用部分は段落を下げた。
 また、両句集の引用等については、2019年1月小田保さんの御遺族より活用の許可をいただくことができた。
 一般には、「シベリア」と表記される場合が多いが、小田さんの編纂した作品名は、「シベリヤ」と表記されているため、作品名は「シベリヤ」と表記した。

『シベリヤ俘虜記』(厳冬)『続・シベリヤ俘虜記』(タイガ)から
Ⅰ小田 保さんの場合(1)

 北千島の占守島(しゅむとう)・幌筵島(ぱらむしろとう)は、カムチャッカ半島の南端の先にあり千島列島最北の島である。小田さんは幌筵島で終戦を迎え、ナホトカ、ウラジオ・ストク、アルチョームを転々。昭和23年10月信洋丸で舞鶴へ帰還。
 作品の鑑賞の前に、ソ連の千島列島侵攻について要約して触れる。
 昭和20年8月15日夜、ソ連軍はソ連第2極東方面隊と太平洋艦隊に千島諸島占領のための上陸作戦の作成と実行を命令した。8月16日夜、ソ連軍は占守島上陸部隊の出動を開始した。
 千島上陸作戦の狙いは、占守島の上陸により幌筵島、ネオコタン両島の侵攻にあった。(『関東軍壊滅す~ソ連極東軍の戦略秘録~』ソ連邦元帥マリノフスキー著 石黒寛訳 徳間書店 昭和43年4月20日(以下『関東軍壊滅す』と言う)』P.232~234)
 一方、小田さんの手記には、8月15日終戦の勅を聞いた。虚脱と安堵の平和も束の間「ソ連軍侵攻」の情報が電撃のごとく北千島を走った。「赤軍の性格から婦女子はただちに送還すべし」を受電。とある。

 占守に戦車死鬪すとのみ濃霧濃霧(続・シベリヤ俘虜記)
 *『関東軍壊滅す』P.234には、「16日の夜は、静かで、風もなかった。煙が空を覆っていた。霧が次第に濃くなり、これが夜をとくに暗くした。」とある。北千島の小さな占守島を深く濃い海霧が包み込み幌筵島からは、日本のものかソ連のものかも分からぬ砲弾の音が聞こえるばかりである。
 小田さんはのちに、占守島の戦いでソ連人民まで伝わったという池田戦闘隊の健闘について、戦記を借りてでもあらすじを書きたいと思うとして、『シベリヤ俘虜記』P.166に、以下のように記している。(小田さんの引用に於いて、この戦記についての出典は、定かでないことを付け加え、要約を紹介する。)

 カムチャッカ半島の東海岸、ペトロパウロフスクを発ったソ連軍は、18日零時を期して、艦砲射撃の掩護の下に、占守島、竹田浜に上陸を開始した。当面する守備隊・村上大隊はこれを水際でとらえて、いったんは撃破するのであるが、あとからあとから波のように押し寄せてくるソ連軍によって、次第に苦戦に陥ちいっていった。
 濃霧のために主力部隊の来援が遅れる中で、千歳台にあった池田末雄大佐の戦車第11大隊は、村上大隊救護のため決戦場となった、四嶺台に向かって進撃したのである。(略)池田大隊長は、上半身素っ裸になり、白鉢巻をきりりとしめ、砲台に馬乗りになり日章旗を振るった。(略)阿修羅のごとき隊長車もついにはあの独ソ戦において、独軍のタイガー戦車を打ち抜いたソ連軍のロケット砲弾を横腹に受けて炎上し、戦車と運命を共にしたのである。(略)
 そして終戦の日から七日目にして戦いは終わった。北千島守備隊将兵の流血は最小限にとどめられたのである。
 占守島の戦いは、「栄光なき最後の勝利」の言葉が示すように、終戦後の戦争目的を失った戦いであったのだ。
(『シベリヤ俘虜記~抑留俳句選集~』小田保編 双弓舎 昭和60年4月1日)

 一弾だに機関銃撃たず投降す

*昭和20年8月15日終戦の勅旨を聞いた後、小田さん達千島守備隊の日本兵は、8月15日から16日にかけてのソ連軍侵攻の情報を得て、抗戦と邦人保護のために戦った。しかし第五方面軍本部(札幌)からの戦闘停止命令を受けて、兜山山麓に備えた機関銃座から、一弾も抗戦することも無く停戦となる。幌筵島で防衛に備えていた小田さん達千島守備隊は、投降したのである。
 一弾だに機関銃撃たずという表現の中に、ソ連軍の侵攻に、一撃もできなかった無念さが伝わって来る。
 
 声のなき絶唱のあと投降す(続・シベリヤ俘虜記)
*「声のなき絶唱」に無念の叫びが込められているのである。「この島での戦いには勝った。しかし日本は敗れた」
 占守島の激戦を見守りながら幌筵島にあり、一撃も出来なかった無念さ、国をかけた戦に敗れた喪失感に一気に襲われる。小田さん達は、兜山山麓の兵舎を出て、北ノ台飛行場に集結し、武装解除された。この作品の背景として、『シベリヤ俘虜記』P.164~165を要約して紹介する。

 その18日の朝であった。幌筵海峡に大型ソ連駆逐艦三隻があらわれた。わが要塞砲はいっせいに火を噴き、海軍基地、片岡を飛び立った戦闘機数機が、空からくりかえし攻撃を加えた。そのとき見た水柱がいまも私の記憶に生々しい。(略)「白旗を掲げて軍使が、停戦交渉に向かった」という情報が入った。それからいらだたしい長い時間がながれた。武装解除か否かをめぐって紛糾し、交渉は手間取るのであるが、第五方面軍司令部からの指令によりすべては、決まった。終戦の詔がおりてから七日目、占守島の戦いはすべて終わったのである。※第五方面軍司令部(札幌)
(『シベリヤ俘虜記~抑留俳句選集~』小田保編 双弓舎 昭和60年4月1日)

 敗戦にみな焼く万葉集だけ残し(続・シベリヤ俘虜記)
*占守島にソ連が侵攻した時、小田さんは、幌筵島兜山山麓に機関銃座を構築したとあり、守備の先鋒を担っていた。武装解除に備えて、作戦に関する資料も持っていたのかも知れないが、万葉集だけを残しみな焼いたという。この万葉集は、シベリアでの抑留生活を支えた一方、思わぬ運命を呼び込むことに・・・。                          (つづく)

参考文献
『関東軍壊滅す~ソ連極東軍の戦略秘録~』ソ連邦元帥マリノフスキー著  石黒寛訳 徳間書店 昭和43年4月20日

『シベリヤ俘虜記~抑留俳句選集~』小田保編 双弓舎 昭和60年4月1日

『続・シベリヤ俘虜記~抑留俳句選集~』小田保編 双弓舎 平成元年8月15日

【佐藤りえ句集『景色』を読みたい】7 佐藤りえ句集『景色』 西村麒麟

2018.11.27六花書林刊行
佐藤りえ句集『景色』より。


中華をむっしゃむっしゃ食べながら、鰻はあそこが美味い、いいやあそこだ、いや穴子のが良い、とか話をしていて、最終的に最後の晩餐は何が良いか、と言う話題になりました。米と味噌汁がやはり人気で、あとはシャンパンが良いわと言う人も。

僕はその場で答えが決まらなく、帰ってお風呂に入りながらうーん、うーん、と悩みましたが、まだ答えが出ない。食べたいもの、美味しいものは世の中にたくさんあります。

今日は、カツカレーが食べたいな。

佐藤りえさんの句集『景色』を読んでいきたいと思います。不思議な面白い句がたくさんあります。

『景色』

眠かつた世界史(ロマノフ朝の転機)

カタカナが多いのが世界史で、漢字が多いのが日本史。

佐渡島「飛沫がすこし気持ちいい」

佐渡島のお気持ち。

ゆんゆんとロケット進む100馬力

好きな句。ゆんゆん、そんな感じがする。

声あげて笑ふをんなの春炬燵

春には春炬燵。

宇宙では液体ごはん食べてゐる

宇宙って、すごい。

人工を恥ぢて人工知能泣く

これも好きな句。なんだか愛しくなる。

ひとりだけ餅食べてゐるクリスマス

そして正月も餅。

馬追がはづかしさうに逃げて行く

きゃ。

中空に浮いたままでも大丈夫

オッケーです、浮いてるけれど。

炎天の隣の駅が見える駅

ここも、向こうもかなり暑い。

黄落やひとでゐるのもむづかしい

誰も見てないところでは。

をぢさんが金魚を逃すその小波

鯉になって帰ってきたり。

見るからに重い土瓶をさげてゐる

そして満タン。

ロシア帽みたいな鬱をかむつてる

黒々とでかい、鬱。

口開けて凧を見てゐる男の子

わぁ。この男の子可愛い。

足首を摑んで投げる鳥雲に

何かをどこかへ。

今日はこの辺で。

じゃ

また

※「きりんの小屋」2018年12月16日より転載