渡邉美保さんとは月に1度句会でお会いする。私はたいてい彼女の斜め前辺りに着席するものだから、当然ながら彼女がよく見える。句会での彼女は大変お行儀がよい。退屈な表情を見たことがない。句稿を熱心に読み、静かな声で意見を述べられる。ところが、そんな彼女にして、思いも掛けない「静かでない俳句」が飛び出すから面白い。そのような俳句を、ここで探ってゆきたいのである。
けむり茸踏んで花野のど真ん中
けむり茸は熟すと頂端の小孔から煙のように胞子を吹き出す。それが煙茸の自然界における営みであるにも関わらず、作者は煙茸を見つけたとたん、多分、煙茸を見つけたことが余程嬉しかったのであろう、わざわざ意識的に煙茸を踏ん付けた。当然ながら煙茸からは胞子が煙のように噴出したのである。その行為が人知れず花野の片隅でのことならばそれはそれでよい。よくあることだ。しかし揚句には、「花野のど真ん中」とある。そこが曲者で、この句の大いに面白いところだ。ど真ん中だったからこそ踏ん付けた。人間心理が働いている。人間の心に潜む「暗とも、明とも」を十分に知っている作者である。しかし、その煙に、作者が浦島太郎にならなくて、ああ、よかった。「けむり」のひらがな表記がしっかり生きている。因みに、第29回俳壇賞30句中の一句である。
ががんぼに言ひ寄られけり夜のトイレ
夜のトイレでががんぼに出会った作者。夜のトイレにががんぼが居てもなんら珍しいことではないのだが、作者にはそれが意外の出来事であった。なぜならば、驚くなかれ、ががんぼが作者に言い寄ったのである。言い寄るとは普通、求愛することに他ならない。ががんぼが作者の何処かに止まりに来たのであろう。それを直ちに求愛されたと表現する作者は、求愛したががんぼと同様、非常に飛んでいる。この句は、ががんぼとの夏の一夜の恋を書きとめた「恋の日誌」である。これほどあっけらかんとして幸せな俳句が他にあるだろうか。
日記買ふついでにニッキ飴を買ふ
「来年の日記を買ったついでにニッキ飴を買ったのよ」と言われて、「それがどうした?」と言ってはいけない。相手は俳人なのである。「おもしろい、来年はきっと良い年になりそう」と応じるべし。揚句には来年へ向っての明るい展望がひらけているのである。この句の楽し気なリズムがそれを証明している。句集『櫛買ひに』には佳句秀句がずらりと並んでいる。この一句、その中にあっては、さらりと読み流されがちな句かもしれない。しかし、よくよく作者の声を聞こう。作者はたった17音の中で、又17音であるからこそ効果的であるのだが、伸びやかにリズムと遊び、跳ねているのである。飛んで、飛んで、飛んで、17音の恩恵を我が物にしているのだ。
白粉花の種とつてより片頭痛
この句も日記買ふついでにニッキ飴を買ふと同様、さらりと読み流されがちな句かもしれない。が、ここでも作者の声を聞こう。作者は白粉花の種をとったから片頭痛が起こったのだと言っている。では、その時、白粉花の種をとらなかったら片頭痛は起きなかったのだろうか。そう、片頭痛は起きなかったのである。と、作者は言っている。悪いのは白粉花なのである……。不思議な責任の転嫁ではあるが、そこが人間の心理を突いているのだ。そうしてこの転嫁、日常的によくある事なのだ。作者のペン先は鋭い。
建国記念日馬の前脚後脚
『櫛買ひに』中、最も大胆な句であろうか。人間には前脚後脚と言えるものはなく、覚束無くも2本の足で歩きつつ、考えつつ暮している。と思えば、馬の前脚と後脚の計4脚の頼もしさには一寸した憧れを抱く。その上に美しいとくれば猶更である。建国記念日、作者は馬の逞しい疾走を見たのであろうか。その美しさは他に類を見ない、と思ったか。その「美」こそが建国の精神である、と思ったか。大胆な発想でありながら、実に的を得ているのだ。その発想に尻込みせずに一句に認め、句集に収められた潔さに私は感動する。
柿剥いて明日はちやんとするつもり
この句の神経の太さに喝采する。神経の太さと、こまやかさを兼ね備えた魅力的な作者が居る。
烏瓜灯しかの世へ櫛買ひに
句集の題名は揚句に因む。彼女の回りに居る誰しもが、好きな句として1票を投じる完成度の高い句である。句意は一読して容易に理解出来る。読後、烏瓜の赤色が眼に沁みる。その明かりを心の灯火としてかの世へ櫛を買いに……。果して誰が…亡き人への鎮魂の詩とも受け取れるであろう。その人はかの世へ一寸櫛を買いに行っているだけ、待っていれば直にこの世へ帰って来るはずなのだ…しかし、この読みはあまりにも淋しい。…作者自身がかの世まで出掛けて櫛を買いに行って来た。そして何事もなくその櫛で夜の髪を梳いている。それも澄ました顔をして。かの世はすぐそこにあり、この世は今ここにある。それ程遠い距離でもない。この世、かの世、という重いテーマを重くれになることなく、軽やかなフットワークで書き上げた1句である。美保さんは、何にこだわることもなく自由に詩の世界を行き来する、又それを表現し得る技量を持った俳人である。
『櫛買ひに』は作者自選の句集である故に、一読者としては親しみ易く、又作者への興味深い面を多く発見出来たように思える。
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