烏瓜灯しかの世へ櫛買ひに 渡邉美保
句集名となった一句である。烏瓜を灯して死後の世界へ櫛を買いに行くと言うのだ。櫛を買うと言う瑣末な日常の行為でありながら、何か時代がかったドラマの一場にも思えるのはなぜだろう。まず「烏瓜灯し」は異界への入り口であり、すんなりと読者は異界に運ばれてしまう。「櫛」とは、艶やかな烏瓜の実の色で女性の若さの象徴としてシンポリックに描かれている。果たして櫛は手に出来たのだろうか。
ここで、中村苑子の「春の日やあの世この世と馬車を駆り」を思い浮かべた。「春の日や」とおおらかでゆったりとした春の一日が一句全体を覆っている。馬車だと言うにもかかわらず、まるで四輪駆動車の動きのようにスピード感にあふれていて現代的だ。あの世もこの世も作者にとっては同じ春の一日と言うことなのだろう。もう一句、中村苑子の「黄泉に来てまだ髪梳くは寂しけれ」に登場していただこう。髪を梳くとは女の性と若さを強く意識させる行為である。黄泉に来てさえまだ髪を梳くとは、女を捨てきれないことを寂しいと言いながら、情念を突き放したかのような一種の諦観と安らぎが読み取れる。これらの句をふまえての渡邉美保の「櫛」なのではないかと思えた。
さて、渡邉美保さんの俳句の原風景は天草の自然と生活にあるようだ。初期の作品は、俳句という手段を手にした喜びと瑞々しさにあふれている。
風花や島の突端まで歩く
土に釘つきさす遊び桃の花
えごの花水面に鯉の口動く
明易の海を見てゐる帰郷かな
朝涼や草色の糞落とす馬
山積みの二百十日のバナナかな
島の端に鉄屑の山十三夜
金柑に山羊繋ぎある日向かな
足裏の砂崩れゆく盆の波
普段何気なく目にしているものたちとの新しい切り口による新鮮な出会いは、静かな波動となって美保さんを満たしていったことだろう。俳句の原形として天草の島とその生活実感が揺らぎなくある、手触り感のある句群である。これだけでも俳句の恩寵に与ったと言えるのではなかろうか。しかし、そこからどれだけ離れられるかというのが、筆者の場合は常に立ちはだかるものとしてあるのだが。美保さんはどうなんだろう。
目合はさぬ母の横顔十三夜
なんとなく拗ねてゐる母着ぶくれて
「目合わさぬ母」と「十三夜」という日本独特のシックな美意識の季語、この取り合わせの落差が面白い。「なんとなく拗ねている母」は「着ぶくれて」ますます膨らんで不機嫌さが募ってゆきそうだ。筆者の場合、母を詠むには少々勇気がいる。特に母娘の間柄というものは、どんなに幸せ親子に見えてもどこか屈折したものが溜まっているものだと思う。母と娘の接触は清く淡白にとはいかないのだ。
痒さうな鶏頭の種とつてやる
けむり茸踏んで花野のど真ん中
穴惑ひ武具甲冑は蔵の中
鰭酒や身内に虫を養うて
山火迅しあとさきになる人のこゑ
すかんぽの中のすつぱき空気かな
山羊小屋の昼は眠たし踊子草
拾ひたる昼の蛍を裏返す
「けむり茸」の章は、第二十九回俳壇賞受賞作品らしく完成度の高い句が並ぶ。それでいて、作者の気負いもあまりなく自然体が心地よい。
島ふたつ並んでをりぬあをさ汁
寄居虫の殻を出たがる脚ばかり
きのふ鷺けふ少年の立つ水辺
花びらの中に目覚めしなめくぢり
島老いて寒風に波突つ走る
島ふたつを前にしての「あをさ汁」が、意外なようで無理なく味わえる。「寄居虫」の気持ちは作者の気持ちに通じるものだ。「鷺」と「少年」、無意識の同類であり悦楽の感さえある。花びらの中に目覚めた「なめくぢり」とはなんというエロスの発散だろう。 「島老いて」の措辞にはハットさせられた。寒風の天草に思いを馳せ、その未来を想うところに「島老いて」があるのだろう。写生の焦点を自身の内面にも当ててみることで句に奥行が生まれ陰影が濃くなってくる。
サーカス一行箱庭に到着す
最近のサーカスは、ミラクルイリュージョンサーカス(木下大サーカス)とか言われてエンタテイメント化されているようだが、ここでのサーカス一行はやはりあのウラサビシイ曲馬団の一座でなくてはならない。やっと到着したのが箱庭だったとは。それからテントを張って荷をほどき、猛獣の世話もはじまる。その裏では煮炊きの用意も始まって箱庭はさぞかしぎゅうぎゅう詰めでぎやかなことだろう。すべてがミニチュアで創作されてゆく世界であり、ウラサビシイながらも人の温もりと安寧さえを感じられるのはなぜだろう。これこそ箱庭療法と言えるものなのかもしれない。
ワルナスビの棘いきいきと半夏雨
うかうかと泣いてバナナの斑のふえて
龍淵に潜む卵の特売日
絵屏風の裏にふくろふ飼ひ馴らす
ふくろふを啼かせ異類婚姻譚
海鳴りや布団の中にある昔
うつぼかづらに誘はれてゐる花の昼
陽炎や女は太き尾を隠し
揺れてゐる芥子から順に切られけり
内部より波の音して浦島草
明易の蟇掛軸に戻りたる
かたつむり琵琶湖一周してきたる
おそらくこれらの句あたりに、原風景を遠く離れた、解き明かせない美保さんの体臭のようなものが潜んでいるのではなかろうか。筆者は提示されたわずか十七文字丸ごと取り込み、再構築したものを再び作者に差し出して見せたいと思う。作者の描きたかったものとの差異にも興味が湧く。
結社に学び、俳句雑誌の賞を得て俳句の完成度が増してゆく一方、ことばは奥深く探られだし、虚実皮膜の両刃に立ち合い、現世から異界へと自在に遊ぶことを覚え、この世に起こりうるあらゆる不思議や魔が事に背を向けず、矯めつ眇めつ見定め、味わう覚悟を持ちつつある一人の俳人の、二十年の軌跡を見極めることができる一冊であろう。編年体で編まれた句集のよろしさが発揮された自選の第一句集である。
0 件のコメント:
コメントを投稿